童謡“浜千鳥”(柏崎の思い出)


柏崎には、若いころのスポーツの思い出がある。1つはバレーボールのインターハイ予選が、柏崎高校などを会場にして開催され、その県予選を突破して全国大会に進んだこと。もう一つは3年半の柏崎の赴任で、職場の若い仲間と野球をやったことである。
軟式野球であるが、高校野球の経験者も多くいたので、柏崎ではかなり強豪チームで、市営球場や鯖石のコミュにテーセンターなどで、よく試合や練習を行った。

地方に散らばった工場の対抗球技大会が、毎年東京で開催され、東京に戻ってからは、今度は選手から受け入れ側の役員に変わった。
試合後に各地交流の懇親会があり、ご当地の紹介と言うことで、柏崎のかっての仲間が合唱してくれたのが、“浜千鳥”であった。


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柏崎にいた頃に、市営球場の近くに生田萬の碑があり、何所にも義民がいるものだと、祖先が関係した寛政の減免歎願事件を思い浮かべたことがあったが、この時は“浜千鳥”が柏崎で誕生し、近くに碑まであるとは知らなかった。

近くにある義民「生田萬」の碑 北越に散った西軍の招魂碑
みなとまち海浜公園に石碑はある 石碑と遠くに米山が望まれる
歌詞の4枚の銅板が嵌め込まれる 昭和36年七月の浜千鳥の碑

“浜千鳥”は、鹿島鳴秋作詞、弘田龍太郎作曲の童謡で、大正8年(1919年)に鳴秋が柏崎に訪ねた時に誕生したものである。 浜千鳥の碑は、昭和36年に海岸公園で建てられたが、数度の移設があり、現在は「みなとまち海浜公園」内にある。4枚の銅板は、鳴秋の書いた文字をもとに建立したと伝わる。
どこかもの悲しそうな中にも、美しい旋律の歌で、大好きな童謡の一つである。
碑の片面には、「浜千鳥の碑 大正八年初夏 鹿島鳴秋この地に遊び この歌を作る」。
裏面には4枚の銅板に歌詞が綴られている。

青い月夜の 浜辺には  

    親をさがして 鳴く鳥が


波の国から 生まれでる

   ぬれた翼の 銀の色

夜鳴く鳥の 悲しさは  

    親をたずねて 海こえて


月夜の国へ 消えてゆく

    銀のつばさの 浜千鳥

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