三国街道を歩く(大般若坂)

 関越自動車道が開通するまでは、長岡に帰省するときには必ず17号線を通っていた。北越戦争から会津戦争につながる最も熾烈な戦いは、三国峠を越えた新治村(現みなかみ町)の大般若坂で始まった。
会津領小出島の奉行町野主水の弟で、白虎隊の久吉少年は家宝の槍を振るって奮戦した。小出島の戦いが始まる慶応3年閏4月27日に、先立つ3日前の24日未明のことであった。
今回は永井宿から戦闘のあった大般若坂までの旧三国街道を歩いてみた。久吉の墓は戦死した三国街道の永井宿の近くにある。
詳しくは、「会津に告げよ武士の死を(小出島)」を参照。

三国街道永井宿の町野久吉の墓にある看板
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国道17号線から旧三国街道に入る 右折すると看板と標識がある
目指すは永井宿と三国峠の中間の大般若坂

三国峠7.3k、永井宿0.6kの標識 杉の左下に17号線が走る
大般若坂3k、永井宿0.8k 左端に杉林をやや登りながら進む
三国峠6.6k、永井宿1k やや傾斜が急になる
つづら折の難所が続く 大般若坂2k、永井宿1.8k
かなりの高度で雑木林に変わる 大般若坂1.5k、永井宿2.8k
このあたりから道は平坦になる 大般若坂0.5k、永井宿3.3k
ほぼ平らの道を進む 三最後は急坂でその先が大般若坂

三国峠へ4k、永井宿へ3.8k、ほぼ中間の大般若坂

 大般若坂の一帯は平地であるが、風化した供養塔があたりに霊感を漂わせている。昔は三国峠を越えるのに、多くの命が失われたのであろう。供養塔の台座には多くの文字が刻まれているが、何時ごろの建立であろうか。
大般若坂供養塔 大盤坂とも書くのかな
雨では屋根付きの休憩所は助かる 戊辰戦役戦史の看板  
国道17号1kの文字も見える 三国峠へ4k方面
帰りは永井宿3.8k方面へ 国道17号1k方面が近道
旧三国街道を通らないで、大般若坂が目標なら、国道17号線の法師温泉付近からの登山道が約1kmなのでお勧めする。さらに奥に進みたかったが、この雨ではいかんともできなかった。

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