「六道の辻」の長岡藩士の墓

 東北新幹線の宇都宮駅の西3kmほどに「六道の辻」というところがある。
六道の辻一帯は、戊辰戦争では宇都宮城を奪回しようとした新政府軍と、迎え撃つ旧幕府軍が激戦を繰りひろげたところである。
ここに会津で戦死した長岡藩士などの戊辰役戦士墓がある。飯寺で捕らえられた山本帯刀と長岡藩兵は、明治に改元された9月8日に、長岡の方向に別れを告げ粛々と異郷の地に散っていった。
六道の辻には捕らえられた長岡藩兵と、捕らえた宇都宮藩兵との友好の証となるような墓標が残されている。  
 戊辰役戦士墓 明治百年祭 記念碑

戊辰役戦士墓 明治百年祭 記念碑

 明治戊辰の役官軍に属して勇躍出陣した宇都宮藩兵は、9月4日会津城下飯寺村において越後長岡藩兵と戦い本藩戸田三男隊が敵将山本帯刀及び部下7,8名を捕え、軍監中村半次郎(後の桐野利秋)の命により、帯刀を薩州隊に移し兵たちを斬った。
彼らは首の座に臨み計200両を集めて処置を三男に委せ、従容として斬られたが実にこの墓こそはこれを基金とし、さらに三男ら士民の義心により、長岡藩将兵の亡き霊を弔らい併せて、この地六道口の激戦における会津藩等戦没幕兵を合葬した任侠悲涙の結実である(官軍戦死者はすべて官修墳墓として各所に管理されている)。
因に帯刀は斬られる時、愛刀一振を三男に托し三男は帰国後これを戸田藩主に贈ったが、現在この由緒の剣は当地の護国神社に秘蔵されている。
    昭和42年5月31日
    宇都宮市文化財保護審議委員会委員長
    栃木県文化功労者 小林友雄撰文

戊辰役戦士墓

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