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被災の写真(3)

 司馬遼太郎『峠』のタイトル名の一つに挙げられている藩境の榎峠。信濃川の「越の大橋」のたもとにある「峠」文学碑から対岸の榎峠はよく見える。現在は小千谷市(浦柄)と長岡市(妙見)の境に位置する峠である。
中越地震によりこの一帯は、家屋の被害だけでなく、皆川優太君の救出や新幹線の脱線現場として全国に知られることになった。
「峠」文学碑から対岸の榎峠を見る 榎峠に向って建つ司馬遼太郎の文学碑
小千谷の慈眼寺方面 文学碑の向こうには越後平野が広がる

 新潟県が地震の翌日に上空から撮った写真。左の写真で、左端が信濃川、赤い橋が県道(旧国道17号線)、その上がJR上越線である。右上には国道291線が走り、その先は山古志に通じている。新幹線は写真の上端を走り、左方向の妙見トンネルを抜けた所で脱線した。
(写真提供:新潟県、無断使用を禁ず)
上空からの榎峠一帯 朝日川がせき止められた浦柄集落
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 5月15日に長岡市妙見から崩落現場を撮った写真。
(写真提供:おかさん)
長岡市妙見側から見た崩落現場 右下は信濃川に落ちたトラック

 長岡造形大学環境デザイン学科澤田研究室が、地震直後に榎峠と浦柄集落を撮った写真。
(写真提供:長岡造形大学、無断使用を禁ず)
小千谷市の浦柄橋から見た崩落現場 落下した長岡市の標識、ここから妙見
間一髪脱出か 崩れたJR上越線のトンネル
浦柄橋から長岡方面 活躍した遠隔操作の無人ショベルカー
地震と水害の浦柄集落の被害 朝日山古戦場の標識
浦柄集落の被害、流れるのは朝日川 ダムになった悲惨な民家

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