牧野家のふるさと(牛久保とその周辺)
牧野城2に定着した牧野氏は、この頃の三河国守護職の一色氏の被官となり、勢力を広げ始めた。文明4年(1472)に一色城9にあった一色刑部は、家臣の波多野氏に討たれた。 明和2年(1493)に牧野古白(成時)は、波多野氏に対抗すべく牧野城の南西に瀬木城7を築き、この年に主君の仇の波多野氏を滅ぼし自らは一色城に入り、子の能成を牧野城に、成勝を瀬木城の城主として東三河に勢力を拡大した。 明和4年(1495)には、豊川の西に今橋城(のちの吉田城で豊橋市)を築き城主となる。古白が転出した一色城には成勝が入り、享禄2年(1529)により堅固な城を築いたのが牛久保城8である。 |
豊川周辺図(クリックで拡大) |
牛久保城 |
飯田線JR牛久保駅の近くの牛久保城跡 |
享禄2年(1529)から天正18年(1590)までの60年間は、牧野氏の勢力拡大と危機の年間である。今川氏、松平氏(のちの徳川)と戦いを繰り返し、また傘下になったりしながら牛久保で逞しく生き残った。 大永5年(1525)に、牧野一族の繁栄につながる武将の牧野成定が牛久保で生まれる。成定はそれまで争ってきた松平との戦を止め、今川義元の討死した翌年の永禄4年(1561)に徳川家康に付くという選択をした。 5年後の永禄9年(1566)成定は牛久保で亡くなるが、子の康成が家康の承認を受け家督を継いだ。康成の長男で初代長岡藩主になる忠成は、天正5年(1580)牛久保で生まれた。康成が牛久保から大胡(前橋市)に移るのは、天正18年(1590)のことである。 牛久保城の近くに若宮(八幡神社)があり、領民を大事にした古白が、城に領民を招き、深酔いした領民が、転がりながら帰った故事から「うなこうじ祭り」という奇祭が今に伝わっている。 |
牛久保城の説明 |
一色城攻撃の足がかりとした瀬木城 | 今橋城(吉田城)、櫓の造成は江戸時代 | |
一色城は小さな土塁だけ残る | ほぼ牛久保城跡に位置するJR牛久保駅 | |
牧野氏の隆盛を見守る八幡神社 | 八幡神社の奇祭「うなこうじ祭り」 |
光輝院と牧野成定公霊廟 |
徳川家康の傘下に入った牧野定成公廟 |
牛久保城8と城下町を挟むように北に牧野家菩提寺の光輝院11がある。この寺に牛久保の古図が伝わっており、昔の様子を知ることができる。古図には牛久保城を中心に、熊野神社20、光輝院、若宮(八幡神社)、大聖寺12、一色城9などが見られる。 また牧野家の古い家臣となった山本家、稲垣家、能勢家、武家などが読み取れる。大林勘左衛門と養子の山本勘助の名が載っているのが注目される。 武将として優れているだけでなく、住民からも慕われた牧野成定公廟15は、光輝院の北側になるが、昔は成定公廟も光輝院の敷地の中だったと伝わる。 光輝院の二階には、牧野柏紋が付いたまばゆいばかりの位牌が多数ある。成定公廟もこの日はご住職の特別の計らいで、鍵を開けていただいた。 |
光輝院は牧野家の菩提寺 | 牛久保城付近の古図(牛久保城の説明看板より) | |
光輝院に残る牧野一族の位牌 | 光輝院に残る牧野一族の位牌 | |
定成公廟もこの日は特別公開 | 廟前で記念撮影 |
光輝院に伝わる牛久保古図(クリックで拡大) |
大聖寺と今川義元公墓所 |
今川義元公墓所がある大聖寺入口 |
かっての一色城9の近くに大聖寺と今川義元公墓所12がある。永禄3年(1560)に京を目指す今川義元は尾張の桶狭間で織田信長の奇襲にもろくも敗れた。首をとられた胴体を家臣は担いで大聖寺に葬った。 大聖寺は義元だけでなく、家臣に討たれたかっての守護職一色刑部の菩提寺でもある。 |
今川義元公墓所の説明 |
今川義元公墓所 | 墓石の下は手水鉢 | |
家臣に討たれた一色刑部の墓 | 一色刑部の墓の説明 | |
今川義元公位牌は永禄3年5月9日 | 今川義元と一色刑部を祀る |
長谷寺と山本勘助 |
山本勘助の墓 |
伝説のように思われる山本勘助であるが、牛久保や長岡では実在した人物を疑ってはいない。長岡藩の家老の山本家は勘助の弟の家柄であるし、その子孫には山本五十六がいる。 大林勘左衛門の養子になった勘助は、養父に実子ができたので大林家を去り、甲斐の武田信玄に仕えた。 この時、勘助は親しくしていた長谷寺(ちょうこくじ)の念宗和尚に麻利支天像を残した。 長岡藩の家臣に大林姓はいない。大林家は天正18年(1590)に大胡(前橋市)には移らず、牛久保に残ったと思われる。今回の旅で、牛久保に大林姓を数軒見つけた。 |
山本勘助の墓の説明 |
武運山とは勇ましい | 長谷寺、勘助の墓は建物の奥 | |
勘助の麻利支天像 | 大林家の跡地は今は駐車場 |
熊野神社 |
牧熊野神社で牧野忠精手植えの柏を見る |
昔のままの所にある神社や寺は、時を越えて語りかけてくれる。熊野神社にも牧野忠精公手植えの柏の大木が社殿の前にあるし、社殿の中に入れば、江戸時代に奉納した絵図や木の札が掲げてある。神社の入口にも江戸時代に寄進した灯籠があった。 手植えの柏は2代目がやっと芽を出し、成長しそうなので、長岡に里帰りさせるのだという。 |
牧熊野神社の言われ |
うっそうと茂る熊野神社入口 | 忠精手植えの柏 | |
熊野神社の国の天然記念物ナギの巨木 | 少し前の台風の爪跡 | |
熊野神社の内部、中央に柏 | 忠精手植えの柏の2代目の柏 | |
笠間牧野家奉納 | 牧野忠篤奉納 | |
長岡家中今泉某奉納 | 忠精手植えの柏の下で記念撮影 |
牛久保小学校と参州牛久保の壁書 |
牛久保小学校については、「参州牛久保の壁書と牛久保小学校」に追記した。 |
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