管理人の横顔
生まれ 越後杜氏の二男として新潟県で生まれ、高校卒業まで長岡市で育つ。
仕事 某コンピュータメーカーに勤務。現在は自由業
趣味 スポーツと山野草。中学は野球部、高校、大学、実業団ではバレーボール部に所属。
好きな言葉 越後長岡藩に因んだ「常在戦場」(じょうざいせんじょう:越後長岡藩)、「民者國之本吏者民之雇」(たみはくにのもとりはたみのやとい:河井継之助)、そして「雲従龍風従虎」(くもはりゅうにしたがいかぜはとらにしたがう:易経)。
加盟する団体 Vリーグ某男子バレーボール部OB会員、東京都某バレーボール連盟役員、長岡市内某高校バレーボール部OB全国大会倉敷会員、旧長岡藩士族会柏友会員。
管理人の
  きっかけ
越後杜氏の父が、栃木県西方町の利久発酵工業(後に協和発酵工業と合併)で働いていたとき、同町の実相寺に疎開されていた牧野家の奥方さまと酒造りが縁で知り合い(牧野家も一時造り酒屋だったことがある)、柏のご紋に包まれた「雲従龍風従虎」の掛け軸をいただいた。
その時、ご紋の入った印籠を渡されたが、あまりにもおそれ多いことで辞退したと父は話す。
古くは長岡藩の用水をめぐる寛政の強訴事件(岡村権左衛門事件)で、祖先は首謀者のひとりとして長岡領内から追放されたことがある。その事件のしばらく後の子孫が、今度は模範領民で表彰された。
最近では末の弟が仕事の関係で、牧野家の現ご当主とつながりがある。
そんなことで、長岡藩に強い関心を持っている。
帰省の際には何回か慈眼寺を訪問し、寺と顔なじみになっていた。その後、母の実家の子息が教員になったとき、ご住職の奥さまが同じ高校(小千谷高校)に勤務しておられ、世話になっていたことがわかった。
小泉総理が所信表明演説の結びで、米百俵の故事を引用したころ、職場に河井継之助の姉「ふさ」につながる子孫がいることが偶然にわかり、慈眼寺と長岡のゆかりの地を案内した。
今回の突然の大地震で、ボランティアとして入っていた被災地で、新聞報道で寺の壊滅的な被害を知った。ただちに寺を訪問し、小千谷市、長岡市、司馬遼太郎の「峠」ファン、そして平和を求める多くの人々の貴重な遺産「会見の間」の保存を訴えた。
幼少のころから片貝まつりを見て育ち、小千谷と長岡に通じていたので、ホームページのボランティアを引き受けることになった次第である。
ボランティアにも様々な形態があるが、ホームページを通して少しでも小千谷市の復興を支えたいと思っている。
地震から1年が経過したが、二度目の冬を仮設住宅で過ごす人も多い。中越地震を風化させてはならない。頑張れ!小千谷市そして中越のみなさん。
「常在戦場」(山本五十六
生家の額を下から撮影)
「民者國之本吏者民之雇」
(長岡市郷土資料館にて)
「雲従龍風従虎」
(牧野家から父が拝領)

(画像クリックで拡大)
(2006年正月寄植)
梅、松、笹、ナンテン他
(山野草1)
スズムシソウ
(山野草2)
ツクシカラマツ

慈眼寺のホームページ
“慈眼寺のホームページ”管理人のひとりごと

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