美しい日本語の読み方
その研修の講座のなかに、俳人の大岡龍男先生などが教えてくださった、朗読の授業がありまし
た。ここで私はあらためて、そして本格的に、樋口一葉と出会い直すことになったのです。
あらためてという意味は、すでに子供のころや中学のときに、一葉をある程度は「体験」してい
たからですが、入団後の研修で学んだ一葉は、それとは質の深さが違いました。
朗読の講習で、まず徹底的に身にっけさせられたのは、「美しい日本語の読み方」です。きれい
に日本語を読み上げるにはどうすればよいか、文章の内容をくみ取り、どうやってそれを表現する
か、そんな基礎的なテクニックも教わりました。
当時の放送は、まだラジオが主流でした。局の全体が言葉には非常に神経を使っていた時代です。
だから私たちの指導をしてくださった先生方も、それはきちんとした方たちばかりでした。
放送に出るためには、まず言葉のプロにならなければならない。そのために知るべきことはいくつもいくつもあって……。
私たちは、発音、呼吸、読み方などを学びました。
しかし不思議なことに、私はそういった細かな「訓練」の内容を、あまりおぼえていないのです。
すでに入団前から、ある程度は読めていたこともあったためか、それほど苦痛に感じなかったのか
もしれません。それよりも記憶に残っているのは、大岡先生の教え、というよりも教えられなかったことのほうです。
大岡先生は不思議な方で、私たち研修生に朗読させても、具体的にどこをどうしなさいとか、そ
ういった細部の注意はまったくなさいませんでした。読み終わったあとも、「よございます」とお
っしゃられるくらいで、どこが悪い、良い、という具体的なサジェッションはなかったのです。
私は今でも、「朗読は教えられないもの」という思いをもっていますが、このときの大岡先生の
姿から影響を受けているのかもしれません。
ただ朗読の時間があり、先生が聞いてくださる。次々にいろいろな作品を読まされる。それがと
てもよかったと思っています。朗読は、とにかく聞く人があって初めて成り立つものなのですから。
当時の研修生の朗読のなかでは、里見京子さんと私が評価されていたようです。同じ東京放送劇
団の一期生であり、すでにNHKで活躍中の加藤道子さんと渡辺文子さんが評価されていました。
そのあとを追うものとして、先生も私たちに目をかけてくださったのでしょう。
のちに、放送で私が読んだあと、うちに帰ると大岡先生から「ようございました。今日の語りに
は〈序の許し〉をさしあげます」と書かれた、巻紙や原稿用紙の長い手紙が未たりしたものでした。
そういう、しっかり聞いてくださる方がいるというのは、たいへんな励みになります。とくに、
放送では視聴者からの反応がないのが普通ですから。
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