初めて人前で読んだのが『十三夜』

 その大岡先生の朗読の授業の、最初のテキストが、樋口一葉の『十三夜』だったのです。
 私はとにかく〈十三夜の幸田〉というくらい、朗読の舞台の初めのころは、この作品ばかり読んでいたものでした。しかし朗読として 人の前で読んだのは、この講座の『十三夜』が最初でした。
 いまだに、そのときの感激は忘れられません。当時の授業は、ひとつの作品を何人かで読む「輪読」だったので、とくに主人公の お関さんを私が担当するときは、これだけは人にぜったい負けられないなどと思いました。
 朗読の講習で渡されたテキストの『十三夜』に、私はあるなつかしさをおぼえていました。中学時代、一葉の『たけくらべ』を同級生と 芝居にして上演したことがあり、そのとき以来、一葉につよくひかれていたからです。
 研修で使われた一葉の作品は『十三夜』だけでしたが、難しくて読めないということはありませんでした。すでに一葉に触れていたこと もあったでしょうし、時代のせいもあったはずです。今は外国語より難しくて読めないなどといいますが、あのころは本や教科書をはじめ、 ラジオその他、原文に接する機会がいろいろ残っていたのだと思います。
 講習で初めて朗読したときの、今でもよみがえる思い出は、一葉の地の文章の鮮烈な美しさです。中学での『たけくらべ』の上演は、 それはセリフの部分だけでしたから、子供同然の私たちにもわかりやすかったし、だからこそ芝居にできたのです。
 しかし、一葉で本当に魅力的なのは、地の文章です。たとえば『たけくらべ』の一節。

 春は桜の(にぎわ) ひよりかけて、なき玉菊(たまぎく)燈籠(とうろう) の頃、つづいて秋の新仁和賀(しんにわか) には十分間に車の飛ぶ事この通りのみにて七十五輛と数へしも、二の替りさえいつしか過ぎて、 赤蜻蛉田圃(あかとんぼうたんぼ)に乱るれば 横堀(よこぼり)(うずら) なく頃も近づきぬ、朝夕の秋風身にしみ渡りて上清(じょうせい) が店の蚊遣香懐炉灰(かやりこうかいろばい)に座をゆずり…

 いまも、朗読していてこの箇所が近づくと、ゾクゾクするくらいです。