たくさんの作品を読む

 講習が終わると、いよいよマイクやカメラの前に立つことになります。そのあと私は俳優としてテレビの連続ドラマなどに出演し、 多くの芝居の舞台にも立ちましたが、そのかたわら、ずいぷん朗読の機会にも恵まれました。
 とりわけラジオやテレビの教育番組で、『源氏物語』や『蜻蛉日記』『平家物語』『更級日記』『おくのほそ道』、井原西鶴の『諸国物語』 などの日本の古典を繰り返し朗読できたことは、貴重な体験となりました。あるときは、文語訳の『聖書』の「詩編」などまで読んだことが あります。
 番組のなかでは、同時に専門の研究者の方たちの講義があり、それをいっしょに聞くことができます。どれほど勉強になったかわ かりません。繰り返しますが、NHKという大学でしっかり学ばせていただいた気持ちがするほどです。
 一葉の作品は、のちにMW(中波放送)やFM放送の番組で、何度も朗読しました。しかし初めのうちは、一葉にかぎらず、じつに さまざまな文章を読んだものです。
 たとえばNHK第一放送の「私の本棚」という番組には、ずいぶんいろいろな作品が登場しました。長い小説は、何回か連続で読む ということも多かったのです。
 最初のころにとりあげた、瀬戸内寂聴先生(当時は晴美(はるみ)先生) の作品、『かの子撩乱(りょうらん)』のことも、 よくおぽえています。三十回ほど連続で朗読したと思います。

 「詩と音楽」という、一時間くらいの番組もありました。現代の詩人にわざわざ詩を書き下ろしてもらい、音楽のあいだにはさんで 朗読するという、ぜいたくな楽しい作りでした。
 一般的にラジオの朗読の時間は、ほとんどが二十分でしたが、三十分の特別番組もあり、たいへん勉強になりました。和田芳恵先生 の書き下ろしの作品なども読ませていただき、感激しました。
 台本作家・松岡励子さんの作品も、感動しながら読んだことがあります。また、作家で演出家である上野友夫さんには、朗読に つながるよい仕事をたくさんさせていただきました。
 井伏鱒二さん、武者小路実篤さんなどの高名な作家のお仕事では、わざわざご自宅にうかがい、読みを聞いていただいたことむ 思い出します。
 とにかく、そういう番組がたくさんあった時代に、私は立ち会っていたことになります。まさに新しい朗読の興隆期だったのでしよう。 その前の時代は、朗読というと、徳川夢声さんなどの名人が、さかんに話芸を披露していたのでした。
 私が放送で、あれだけ朗読の番組に出ていたからには、認めてくださる方がいたのだと思います。 その意味でとても幸せでしたし、大きな財産にもなりました。
 ただ、放送のマイクの前だと、聞き手の反応がないことが不満でした。とくに朗読の技術に対する反応などはまったくなかったし、 またたずさわっている局の人たちにも、善し悪しをいう力はあまりなかったのが残念でした。