古典から一葉まで

 もしかしたら、私ほど朗読を演じたものはいないのではないでしようか。ことにFM放送では、本当にたくさんの作品、すばらしい 日本の古典などを読ませていただきました。
 こうした大胆な番組が多かったのは、当時のFM放送が開始直後であり、かなり実験的な側面をもっていたからではないかと 思います。質の高いものを、徹底的に追求するという自由さがあったのでしょう。
 ただし、予算はあまりなかったようで、トータルで考えれば江戸以前の古典や、著作権の切れた明治の作品、たとえば、 田山花袋の『蒲団(ふとん)』 とか、国木田独歩の『武蔵野(むさしの)』や『 源叔父(げんおじ)』その他の全短編などをとりあげることが多かったと 思います。それは、私には勉強になると同時に、ある大きな夢をふくらませてくれる元にもなりました。
 あるとき、私は番組のプロデューサーに、こう頼んでみました。「そんなに明治文学を朗読できるのなら、お願いですから一葉を やらせてください」。
 しかし最初のうち、答えはかんばしいものではありませんでした。
 今ではとても考えられないことですが、そのころ、一葉はもう古いと思われていたのです。NHKの担当者も、同意見でした。
 なぜかといえば、当時の一葉は、もっぱら新派の演劇として上演されていたからです。新派では、久保田万太郎さんの脚色で、 花柳章太郎さんや水谷八重子さんがいろいろな役を演じており、それを観客がうっとりと見ながら泣いていました。浪曲版もあった くらいですから、いわば〈お涙頂戴(ちょうだい) もの〉として、一葉は古くさい世界に閉じこめられていたわけです。
 そんなイメージがあったので、プロデューサーも、一葉作品の朗読には消極的でした。
 「でも新派には、地の文がないじゃないですか」と、私は力みました。「いいのはそこなんです。地の文章こそが、一葉が自分ひとりで 生み出した独特のものなのですから」。
 私の熱意が通ったのでしょう、一葉の作品を全部、何カ月かかけて放送で読むことになりました。 唯一の口語体作品である『この子』や、日記の一部も含めて。
 もちろん、そのときはマイクを前にしてですから、のちの舞台とは違い、本をテーブルにおき、その通りに読むというスタイルでした。 この全作品の朗読がいかに貴重な私の体験になったか、はかりしれません。
 あるときテレビの特集で、一葉に扮して日本髪を結い、ランプの光で日記の一部を読んだこともあります。それを「一葉が生きて いたらこうだったろう」と国文学者の塩田良平先生にほめていただき、たいへんうれしかったことをおぼえています。