朗読はひとりでやるものだ

 私は朗読の「舞台」を何人かで演じるようになり、それを聞いた方からも評価していただくことが多くなりました。いっぽうでは、 請われて中学・高校などの国語の先生たちを対象に、ためしに『十三夜』を読むなどということも始めていました。そこでも 熱心なよい反応をもらい、しだいに少しずつ、自分だけで演じる自信がついていったのです。
 これらの体験や時代の流れが、私を新しい「舞台朗読」という世界へ、押し上げようとしていました。
 のちに、私の舞台をご覧になった国語研究家の大村はま先生から、「いままで誰も体験したことのない、未経験の芸術、 まったく新しい朗読芸術の誕生です」というお言葉をいただき、挑戦した甲斐があったとつくづく感激したものです。
 けっきょく私は、朗読はひとりで演じるものだと思い始めていました。なぜならば、私の読みたいのは、すぐれた日本の 文学作品。作家がひとりで、命がけで書いたものです。それを、たとえお客さまが何百人いらっしゃろうと、そのひとりひとりに、 読み手がたったひとりで、やはり命がけで手渡していかなければ、朗読とはいえない…。
 朗読は、みんなで楽しくやるものではないかもしれない。あいかわらずユニークな舞台などにも出ていたけれど、朗読は仲間 でお祭り騒ぎをするものではないとの確信が、しだいに深まっていきました。
 こうしたさまざまな思いや経験をふまえ、ひとりで納得がいくまで好きな作品を読み込んでみようと考えたのが、そもそも舞台で 朗読を始めた、大きな動機となったのです。