テキストは体がおぼえてくれる

 そのあいだも、NHKの仕事は続けていました。あいかわらず、古今東西の、じつにさまざまな作品を次々に読まねばなりません。
 放送では普通、一、二回のテストで本番になります。もちろん家で読みこなしたうえで、テスト、本番を迎えるわけですが、 仕事に追われていると、読み方は充分ではありません。文字を声でただなぞるだけに終わることも、まったくないとはいえない のです。
 これではいけない、もっと読み込んできちんと表現する場をつくらなくては。舞台朗読は、そのためにもふさわしいものと思 われました。
 しかし、今までそういうかたちでの舞台をもたれた方はいらっしゃらなかったので、何もかもが私ひとりの手探りで、切り開いて いくほかはありませんでした。
 自分だけの仕事ですから、準備の期間は、いくらでもあります。一年前にとりあげる作品を決め、一年かけて読んでいくという のが、最初に自分に課した時間割でした。いまでもそれは、秋のリサイタルに向かって守っている約束事です。
 「読書百遍意自から通ず」といいますが、一年三百六十五日、ひとつの作品を読んでいけば、行間に込められた作者の心が、 しぜんに伝わってくるものです。頭で理解するのでなく、体で理解できるようになるのです。
 それに、繰り返し読み続けているうちに、テキストがいやでも頭に入ります。ですから舞台では、台本を手に持つことはあっても、 目で文字を追うことはありません。
 むしろ最初から台本を持たないで立つことが多いので、よく暗記しましたねなどと言われますが、おぼえようとしておぼえたわけ ではないのです。読んでいくうちに、テキストが体に染みこんでしまった、というのが本当のところです。
 私の舞台での朗読のスタイルは、このようにしてできあがっていきました。

 一葉の命日は、11月23日。その日に、台東区の一葉記念館で一葉の作品を朗読するようになって、もう27年にもなります。 最初は、八十回忌、1976年。一葉記念館の中里館長が私の朗読を知り、「八十回忌にぜひに」ということで、読ませて いただいたのがきっかけです。またその後、本郷の法真寺でも、朗読するようになりました。
 さらにその次の年、私のライフワークとなる「幸田弘子の会」の舞台が始まりました。