朗読なのに「大衆芸能部門」とはへんだと思われるかもしれませんが、芸術祭では、ほかに入る部門がなかったのです。 それまでこの部門は、「一般庶民のための芸能」が対象で、おもに 賞がほしかったわけではありません。舞台朗読を始めてから、その仕事に大きな手応えを感じ、これはひとりでも多くの方に 聞いていただきたいと思ったのが、芸術祭参加の理由です。また舞台朗読を世間に認めさせたい、という気持ちがあったことも 事実です。 昭和56年、1981年は、朗読を舞台にかけて5年目。ミュージカル部門の審査員の方が、声を大にして推薦してくださったとかで、 はじめて受賞することができました。対象となった作品は、前述のように、辻邦生先生の短編『誇り』の朗読でした。 その当時、一葉は文章が擬古文で難しく、大衆向きではないという評価が一般的でした。とくに私の舞台は、最初から最後まで 緊張を強いられる。大衆に密着していない、というのです。審査委員会では、いっも私の朗読が大きな話題となり、受賞か否かで 毎回もめにもめたということを聞いています。 しかし私は、最初の本牧亭の舞台から、一葉の文章ほどすばらしいものはないと思っていたので、その後も一葉の作品を中心 にとりあげていきました。 芸術祭では、一回目の受賞に続き、幸いにも1982年は『 そんなころ、ジャン・ジュネの『女中たち』の舞台で、松本典子さんや吉行和子さんと共演しましたが、吉行さんの妹で占いの わかる理恵さんに、「あなたは教育で成功する」などと言われたこともあり、そうだとするなら、日本語のすばらしさを伝えていく 朗読こそは、私に向いているなどと思ったこともあります。 もちろん、放送や芝居の仕事は今でも続けています。私は演劇が大好きですから、お声がかかると、ついうれしくなって しまいます。 孤独な朗読とくらべ、芝居はとにかくスタッフや出演者といっしょにつくっていく楽しさ、変身できる歓びがあります。いちど 芝居をやったらやめられないとは、よく言ったものです。 |