小学校で一葉に出会う

 あるとき、私の地方公演にいらしてくださったお客さまのなかに、とてもなつかしい顔を見つけました。なんとそれは、小学校 2年生のときの担任の先生だったのです。
 半世紀ぶりの再会でした。そのときも先生はかくしゃくとされ、朗読のボランティアをなさっているというお話をうかがいました。 私は先生から小学校時代に大きな恩恵をこうむったことを、ありがたく思い出しました。
 私の通った小学校では、雨が降ったら体育のかわりに、先生がいろいろな物語を読み聞かせてくれたのです。
 とにかく面白い学校でした。私は東京の六本木で生まれたので、入ったのは近くの 三河台(みかわだい)小学校。
 財閥の娘もいれば、貧しい家の子供もいるといったありさまで、いろいろなクラスの子供たちがひしめいていました。
 『たけくらべ』の子供の世界がよくわかるのも、あの学校での体験があったからかもしれません。しょっちゅう喧嘩があったりして、 まことに元気な学校でした。
 その先生は、熱心なすばらしい教師でした。生徒たちへの読み聞かせ、音読させることがお好きで、読みたい本を学校にもって らっしゃいと、よく言われました。私は、家にあった童話をもっていき、よく朗読したものです。
 また、それはのちに中学に入っての話ですが、テニスンの「イノック・アーデン」という英語の詩を朗読された先生がいて、意味は わからなくても英語の音の表現だけでうっとりとなる、そんな体験を味わうことができました。
 やがて太平洋戦争が激しくなると、私は愛知県に疎開することになりました。小学校6年生の秋、そこで初めて一葉の『たけくらべ』 を読んだのです。もしかしたら子供用の翻案だったのかもしれませんが、それが私と一葉との出会いでした。

 第十高等女学校(現・豊島高校)の2年のとき、『たけくらべ』の芝居を上演しました。発案者はクラスメートの、いまはニューヨーク にいらっしゃる工藤恵さん。
 終戦の次の年、まさにいちばん自由な時間だったと思います。教える先生方も、何をしたらいいのか途方に暮れ、生徒たちの自由 にさせてくれたのかもしれません。
 学芸会でした。2クラス共同で、何かひとつの演目をやること。そこで工藤さんが『たけくらべ』を選んで構成し、演出しました。
 おぼえているシーンがたくさんあります。舞台装置は、一畳くらいの千代紙をはりめぐらした背景。あり合わせの古い材木で こしらえた門。みんなで芝居をつくる楽しみは、そこで最初に味わったのです。
 私は、美登利を演じました。その美登利はいたらぬものでしたが、ほかの配役は、いまだにあのときほどすばらしいものはないよう な気がしています。みな、作中人物と同じような年でした。そのことも大きかったのでしょう。
 劇では、地の文はありません。セリフの部分だけを使いました。しかしセリフもまた一葉が工夫に工夫をこらした、魅力的なところで す。のちに『たけくらべ』を放送で読んだとき、高校のときのセリフの読み方がそのまま出てしまって、あわてたことがあります。その くらい、芝居の体験が鮮明に残っていたのです。
 なおこの学校では、その後もいろいろな劇を演じ、私の芝居好きはしっかり定着しました。