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No.10Mr.武石のウルトラマラソン記 そのA

A東海道五十三次走旅(‘99 〜‘00   531.5km

199912月29日〜200013日 京都三条大橋〜東京日本橋間 計531.5km

73時間47分 総合2

無理はどこかでつけがまわってくるといいます。歩いてしまうというのは、それまでがきっと、ハイペースだったのだと思います。ウルトラマラソンは、自分の一番適したペースで最後まで走り切る事がもっとも大切な事だと思います。走りと歩行では、使う筋肉が違うので、歩きを入れるとリズムが崩れて余計に疲労してしまいます。日頃の練習の中で、「このペースなら呼吸も乱れないし、一番、長い距離を走れる。」という自分のペースを体にたたきこむ事だと思います。

今回の東海道は、自分のペースを守り、なるべく、止まらない、休まない、歩かない、とにかくゆっくりでもいいから、走りつづける事を目標にしました。走り続ける中で、食事をしたり、水をのんだり、昔からの屋並みに感激したり、とにかく走る中で全てを行うように努力しました。一日中走り続けられるゆっくりしたペースで、最初からゴールまで走る事ができるかどうか。このゆっくり走り続ける事のむずかしさ、がんばらない事の大切さを今回は、つくづく感じました。速く走るための練習はするのですが、ゆっくり走る練習はなかなかできないものです。

1日目は、井上さんと、5日目、6日目は北条さんと、いっしょに走る機会がありました。あとは、だいたい、ひとり旅が多かったように思います。走るのはもちろん、ひとりです。これは、音楽や舞台を鑑賞する事と同じで、皆んなといっしょに楽しんでいるのですが、その楽しみ方、受け取り方は、ひとりひとり違うはずです。ジャーニーランは自分のペースで走るのが理想ですから、最初は一勢スタートでも、おのずとひとり旅になるはずで、ずっといっしょに走るのは、きっとどちらかが、もしくは両人とも並走する事を優先して、自分のペースでないペースで走っている事になります。1日目、井上さんとの並走は、私にとって、ちょっと無理をしたように思います。また、後半、北条さんといっしょになったのは、たまたまペースがとても似ていて前後はするのですけれど、並走は、していません。ただ、ひとり旅をつづけていても、このどこまでもつづく道の前後でみんなががんばって走っているのだと思うと、何か心強い一体感を感じます。それぞれの走歴、走力、コンデション、ペースが違います。

いっしょに走っていなくても、今日与えられた一本の長い道の上を今、みんなベストを尽くして、ゴールに向かって走っている。そう考えるだけでも楽しくなります。

早朝から真夜中まで、とにかく、ただひたすら走っています。逆に考えると、走る以外は全て忘れていいという事です。仕事の事も考えず、電話も鳴らず、紅白歌合戦がどうの、2000年問題がどうの、世の中、何がおきているか、我、感知せず、………………何にも知らなくてもいいのです。ただ、前を向いてゴールめざして走る事だけに専念すればいいのです。

おなかがすけば、好きな時に食べ、喉がかわけば、水を飲む、ただこれだけです。こんなシンプルでぜいたくな生活は日常したくても、できません。いかに、いつもの生活が複雑で、余計な事が多すぎるか、走っているとよく見えてきます。シンプル・イズ・ベスト。もっと、もっと生活をシンプルにするべきだと思います。

残された時間を考えると、そろそろ、やりたくない事をやっている時間がなくなってきた事を感じます。

昔の道は、やわらかに曲がりくねっています。たとえ、バイパスや、新道に分断されていても、その曲線は、はっきりと感じとる事ができます。二股に分かれた道でも、どちらが旧東海道か、一瞬に感じるようになるから、不思議です。この歴史の道は、長い時間の中でたくさんの人々が、それぞれの目的をもって行きかった事か……何百回となく葉を落とした藤沢遊行寺の大イチョウの木も、今もしっかりとあたりを見すえてたっています。そんな悠悠たる時間がこの東海道には流れているのです。

一歩、一歩体でそれを感じながら走っていると、歴史の深さととほうもない大きさを感じます。約一年間で田中さんに教わりながら、街道関係の歴史書を約500冊位、購入し、暇を見つけては少しつづひもといています。

四本足の鹿や馬は、二本足の人間よりも速いスピードで走る事ができますが、10キロ、20キロと長い距離は走れません。動物の中で唯一、人間だけが長距離を走る能力をもっています。これは、四本足も動物をどこまでも追いかけ、その動物が息が切れ、くたびれるまで走りつづけ、手にもったヤリやオノ等の道具で、しとめ、食糧を得る。こうして人間は生きのびてきたのです。だからというわけでもないのでしょうけれど、一日中、走っていると、何か昔の縄文人のD.N.Aが目をさまし、体の中の感覚器官が、とてもするどくなった様な気がします。ゆっくり、そして、長く走る事は人間にとって、とても自然で本能的な動きだと思います。

ゴールに到着するという事は、一応目的を達したという事でとてもうれしく、また尊敬される事です。でも、大事なことは、その人の、その時のベストを尽くすという事だと思います。たとえ、結果が途中、リタイアしても、その人にとっては、その時のベストを尽くしての結果だったのかもしれません。また、たとえ完走してもベストを尽さず、その人の能力を出し切らなかった人に比べると、前者の方が私には輝いてみえます。

いつも真剣にものごとに立ち向かう、そして、常にその時のベストを尽す。結果はひとつの表現であって、全てではないと思います。もちろん完走する事は大事ですが、すべて、完走、あるいは順位という2文字で価値観をつけるのは乱暴です。いろいろな人のいろいろな走りの価値観があっていいと思います。

 

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