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4094 件目 re;甘い言葉と暗い道 masshi_26 2000年3月17日 7時55分 >私が元会員さんの「仏教観」を知りたいと思ったのも、こういう背景が >あるうえでのことです。とくに「日本の仏教の伝統を守るために」の >書き込みがあったときは「絶句」していました。 たしかに中身はどうであれ比叡山は歴史的に日本仏教の中核を成していた ところがあります。そのエリート意識みたいなものはあったのでしょうけど、 武士道精神を有する武士たちからすれば、腑抜けの集まりに見えたでしょうね。 世の東西を問わず、宗教が政治に利用されるようになると堕落しますね。 >神仏は崇拝するけれどもお寺の建物などは物質と見ていたのでしょうかね。 無神論者と言われたり、それを自称する人のなかにも、儒教や神道などに ある「天」の思想や礼節の考えに通じた”愛国心”というものを汲み取ることが 出来たりするので、「無神論者」というのも曖昧だったりすることは私の経験上 からしてありますので難しいところですね。哲学的かもしれませんが・・。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 4083 に対する返信です ) |
4095 件目 2re;甘い言葉と暗い道 masshi_26 2000年3月17日 8時29分 不合理なものにとらわれ過ぎると、この世的には判断を見誤ったり失敗したり、 他力本願的になったりしますので、組織のリーダーや指導者というのは、 合理的思考が出来るようでなければ勤まらないです。 また、組織において”お人好し”はすぐ悪になりますから、信長にはその辺の 徹底さが見られます。そ アは我々にとっても学びになると思います。 あとは「愛なくば発展は死である」という言葉を忘れないようにすることですかね(^^)。 >特に危ないと思うのは「感情」に支配され発言されていることですね。 まあ、元会員さんは信長の小説に影響されていたようですね(^^ゞ。 それで感情的な理想論(主観)に留まってる感じがします。 組織においては、自分の思い通りばかりに行かないことは当然ありますし、 それはサンガ(僧団)においても言えることですね。 感情のみで批判を昂じるというのは、反論封じになるところがありますね。 可愛そうな人たちを蔑ろにしているという安っぽい正義感を持ち出されては 適わないですのでね^^;。前にも言ったけど、気持ちは分からないではない時も ありますが、卑怯な手段として持ち出されることは往々にしてありますので、 注意が必要だと思います。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 4083 に対する返信です ) |
4096 件目 お元気かな・・・。 masshi_26 2000年3月17日 8時37分 そうですね。 出来ればfredyさんともう少しお話したかったですね^^。 お元気かな・・・。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 4093 に対する返信です ) |
4197 件目 勘違いでしたか・・。 masshi_26 2000年3月20日 1時7分 あれ、小説ではありませんでしたか? たしか過去ログでそう言っていた記憶があるのですが、 勘違いでしたら申し訳ありません。 2ちゃんは、すべて読んでいるわけではないのですが、 事実かもしれませんし、そうでないかもしれませんとしか言い様がないです。 また、元会員さんに限ったことではなくて、議論に際してよくありがちな事を 述べたつもりです。 退会者に関しては、ひとつは自己責任であるということをよく言ってますが、 サンガ(僧団)に関しては、「愛なくば発展は死である」ということを忘れないことが 必要だということも述べました。ですので、恐怖心については他の会員さんも 言ってるように、普通に教えを学んでいるのであれば、それほど恐れるということに 疑問を感じてしまいます。 MSG4183 > その罪の無い人間の虐殺に対して、「むしろ滅んでもこと当然」 とうそぶける、 >色々さんの発言に、「人の命を軽視した信仰者の危険性」 を指摘する事が、 >どうして 「感情のみで批判を昂じる」 という事になるのでしょうか。 「失言」というか、誤解されやすい発言だったのかもしれませんが、 色々さんも、パワーオブバランスについて語っただけだと思います。 女、子供の虐殺については、戦争には起こりうることであるということ、 まして現代のような国際法が発達していない戦国時代であることを視野に 入れた話をしていたと思います。 (これは motokaiin さんのMsg 4184 に対する返信です ) |
4216 件目 そうですね。 masshi_26 2000年3月20日 12時20分 そうですね。 私は当会に入る前から「天国と地獄」については信じていましたから、 当会に始まったことではありませんね。 ゛しろ明確に天国的な生き方と地獄的な生き方を説いているところに 高度なものを感じたくらいですからね。 それくらいのことでやたらと恐怖するという感覚に疑問を感じます。 たとえば、ふしだらな生き方や邪な思いを持った時に罪悪感や羞恥心を 感じることを「恐怖」と言っているのであれば、人間として当たり前のこととも 言えますし、また、人間には明るい人や暗い人、臆病な人、鬱っぽい人など いるでしょうから、地獄の話を人一倍やたらと怖がってしまう人も、 もしかしたら、いるのかもしれません。 たとえ、そうだとしても、当会には恐怖心を克服する方法まで明示されていますし、 やたら怖がる人に対しては、光明思想的なものや祈りや信仰論であるとか、 発展思考、常勝思考、ダイナマイト思考なんていうものもありますね。 「幸福になれない症候群」にもその処方箋は書かれています。 他のお勧めとしては、「不動心」「幸福への方法」あたりでしょうか・・・。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 4199 に対する返信です ) |
4458 件目 re;バランス感覚 masshi_26 2000年3月26日 18時23分 Mokkadoさん、はじめまして。 これは難しいものがありますね。 お答えになるかわかりませんが、とりあえず思うところを述べます。 宗教と対比されるものとして「政治、経済、科学」などがありますが、 普遍的宗教の立場を考えると、これらと親和性がありながら、 完全な同化は出来ないものだと思います。 その立場を維持しているということが、よい宗教の判断基準のひとつ としてあると思います。「政治、経済、科学」などにも配慮した、 親和性のある拓けた教えであるということ。 そして尚且つ完全に同化しないことですね。 (これは Mokkado さんのMsg 4444 に対する返信です ) |
4459 件目 2re;バランス感覚 masshi_26 2000年3月26日 18時24分 もうひとつは、様々な個性に合わせた教え、人間の認識力、魂の特性に 合った教えが広範囲に渡って説かれているものでなければならないと思います。 教えが多様性(バラエティ)に富み、様々な人の境涯に合わせた教えが あることだと思います。 仰るような「0か100かのどちらか」というような、すべてを一元化することは 不可能ですが、宗教の原点として宗教心の前提としては純粋な心を必要とします。 それは神仏に向かっていくことを目的としているからですね。 その辺のバランス感覚が必要でしょうね(^^)。 もちろん私は自由なよい宗教だと思ってますが、何事もそれを実践する者たちの魂が 枯渇してしまえば、たとえ自由でよいものであっても足かせになってしまいますので、 注意が必要ですね。 当会には「発展」の教えがありますし、移りゆく現実社会に対応した柔軟さも 持ち合わせていると思います。 (これは masshi_26 さんのMsg 4458 に対する返信です ) |
4460 件目 お久しぶりです masshi_26 2000年3月26日 19時36分 一連の議論を全部読んだわけではないのですが・・・。 思うこととしては「本能の愛」というのは「博愛思想」ではないですね。 「本能の愛」というのは、そもそも唯物論とか宗教には特に無関係で、 人間なら誰にでも出来ることでしょう。 「唯物論者であるから」とか「信仰者であるから」とかいうことで、 危険であるとか愛が可能か否かという確かな根拠は出て来ないのではない ですかね。ドグマに捕らわれることも狂信者になることも、 唯物論者と宗教者はどちらも可能性としてはあります。 よって人間には誰でも「危険性がある」ということでもあるでしょう。 ただそんな危険性ばかりを論うのも片手落ちで、 どちらがより人々を幸福にして来たか、叡智を推し進めて来たか、 という観点も必要だと思いますね。 議論に参加せずにこう言うのもなんですが^^;。 (これは motokaiin さんのMsg 4439 に対する返信です ) |
4699 件目 一応ね(^^;。 masshi_26 2000年4月4日 5時9分 師範さん、お久しぶり。 >「幸福の革命」の「天使の条件」 >の章をもう一度読んでみて下さい。そ アに必ずヒントがあります。 「天使の条件」は”幸福の革命”ではなくて、”ユートピア創造論”の書籍ですね。 一応ね(^^;。 (これは shihann23 さんのMsg 4673 に対する返信です ) |
4700 件目 仰る気持ちはよく分かりますが masshi_26 2000年4月4日 5時11分 仰る気持ちはよく分かりますが、Mokkadoさんと同様の考えは、 色々さんを始め会員の皆さんも持っていることだと思います。 >また貴方がたが、どのようにご理解されるかは想像がつきますが敢えて >書かせていただきます。すいません。 このMsg4662でも、色々さんにはその辺の配慮の姿勢が見られます。 ですが言わせてもらえば、宗教というのは「魔」に対する心得を説き、 仏神やあの世を説くものです。 唯物論、無神論的観点からの誤解や揚げ足取りを気にしてばかりで、 「宗教的教導」を口にすることが出来なくなるのであれば、 それは宗教、仏神が唯物論に敗北した姿であると言ってもよいでしょう。 そうしたものを語ることが恥ずかしいものであり、それを否定することをもって、 進歩的文化人、知識人の仲間入りを果たしたと思い込む人も多い。 「魔」という言葉抜きに言うとすれば、表面意識と潜在意識の見極めを しっかりとすること、自分自身の探求というくらいになるかもしれませんが、 それだけでは物足りないものがありますね。 以前、論議された「危険性の可能性」を語る上でも物足りない。 現代日本においては、仰るような配慮も必要でしょうけど、 まあ、戦後教育によってか分かりませんが、「魔」にしても「地獄」にしても、 随分と精神が軟弱になったものだと感じるところです。 でも、いろいろと助言をありがとうございました。 しばらくお休みさせて頂きます。 それでは・・・。 (これは Mokkado さんのMsg 4682 に対する返信です ) |
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