valyo さん

戻る HOME 次へ

 ◆「Yahoo!掲示板」より転載 (幸福の科学の教えについて)

1659 件目  fredy99さん、横から突然失礼いたします。   valyo    1999年12月17日 1時44分

>ちなみに、大川氏は主エル・カンターレとして地球計系霊団の最高大霊
>であり、この時代のすべての権限を持ってこの世に生まれた存在とされてい>ます。

実は別の掲示板で幸福の科学の教えでは、聖書にある父なる神=大川氏と信仰していると聞きました。この「父なる神=大川氏」との信仰、あるいは「すべての権限を持ってこの世に生まれた存在=大川氏」はどうやって生み出されているのでしょうか。
その事が証明されたり、誰かが確かにそうであると証言したり、又イエスキリストに関する預言が旧約聖書にあふれているように、父なる神が人間の形をとって地上に降りてこられるとの預言(予言ではありません)があるのでしょうか。お手数でなければご教授お願いいたします。
 (これは fredy99 さんのMsg 1632 に対する返信です )


1714 件目  早速ご返事いただきありがとうございます。fredy99様   valyo    1999年12月17日 16時18分

>つまり、"すべての根拠は大川氏ご自身の発言による"という訳です。

ご教授ありがとうございました。実は私はクリスチャンで、信仰を持つ事がどのようなものかはわかります。そこで、幸福の科学の信者の方々が「大川氏=父なる神」との信仰をどのように組み立てておられるのか大変興味がありました。それが実は全て"大川氏ご自身の発言"からであるとの説明に驚くとともに、根拠と言ってもその程度だろうなと納得もしています。

部外者ではありますが、ことトピは引き続き読ませていただきます。
本当 ノありがとうございました。
 (これは fredy99 さんのMsg 1682 に対する返信です )


2422 件目  Re:エル・カンターレである証明>michael the 3rd様   valyo    2000年1月7日 19時6分

横から失礼します。

聖書(ルカの福音書 5章17-26)は書いています。

ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていた。彼らは、ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレムから来ていた。イエスは、主の御力をもって、病気を直しておられた。するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真中のイエスの前に、つり降ろした。

つづく
 (これは michael_the_3rd さんのMsg 2391 に対する返信です )


2423 件目  Re:エル・カンターレである証明>michael the 3rd様(2)   valyo    2000年1月7日 19時12分

彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。「なぜ、心の中でそんな理屈を言っているのか。「あなたの罪は赦された。」と言うのと、「起きて歩け。」と言うのと、どちらがやさしいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために。」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、「私たちは、きょう、驚くべきことを見た。」と言った。

キーワードは「権威」ですね。大川氏は「権威」を持っているのか?
 (これは michael_the_3rd さんのMsg 2391 に対する返信です )


2425 件目  Re:権威>michael the 3rdさん    valyo    2000年1月8日 0時20分

>valyoさんはなぜ「権威」を「キーワード」と考えられたのでしょうか?

>「病気治し」は一過性のものですから、「法を残す」方が「救世主」としての
>役目として遥かに重要な事だと思いますよ...

「罪を赦す」という発言や説く「法」が単に言葉の羅列ならば、それは「病気治し程度の奇跡」より、よっぽど簡単な事でしょう。しかしそれが単なる言葉の羅列ではなく、本当に罪を赦したり、人類を救う「法」であるならば、それは一過性の「奇跡」よりずっと重要で、且つ難しい事だと私も思います。そう考えると「奇跡」のどちら側に位置するかで言葉の威力が測れます。
イエス様は前記した聖書の個所のみならず、バプテスマのヨハネの「おいでになるはずの方はあなたですか(マタイの福音書 11.3)」と言う質問に「盲人が見、足なえが歩き、らい病人が清められ、 ツんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音が宣べ伝えられている(マタイ 11.5)」と答えたように数々奇跡を起こされた事で自分の発言の威力=権威の所在を示したと思います。そこで大川氏はどうかと質問したわけです。
ahokusaiさんの疑問もそこにあると理解しています。
 (これは michael_the_3rd さんのMsg 2424 に対する返信です )


2468 件目  Re:景山さん5>ahokusaiさん   valyo    2000年1月10日 19時6分

その疑問はもっともだと思います。実は私はプロテスタント系のクリスチャンです。「クリスチャンの広場」で幸福の科学の会員の方は「大川氏=父なる神」と信じておられると聞いたので、その点を会員の方に問い合わせてみたく、こちらに来ました。丁度「奇跡」に関する回答が会員の方から出ていたので勝手に横からレスさせて頂きました。

私としてはエル・カンターレがどのような神かわかりませんし、どのように幸福の科学の教義がそれを説明しているかも知りませんが、「大川氏=父なる神」に関しては聖書を通じてク 潟Xチャンとしての疑問点を指摘できればと思っています。
 (これは ahokusai さんのMsg 2426 に対する返信です )


2469 件目  Re:奇跡>michael the 3rdさん    valyo    - 2000年1月10日 19時44分

michaelさんの言われるのは「奇跡」とは一過性の業でしかなく、「法」のように魂を救うものではない。だから大川氏は、ただ単に見た人が信じる為だけの行為「奇跡」をする必要はない。

michaelさんのご意見を私が正確に理解しているとして、まず指摘したいのはイエスの「奇跡」がただ単に見た人が信じる為に行われたのかという点です。前投稿にバプテスマのヨハネのイエスに対する「おいでになるはずの方は、あなたですか?」との質問にイエスが「盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音が宣べ伝えられているのです。」と回答した事を書きました。これは「奇跡」が預言(予言ではありません)の成就である事を意味します。

そのとき、盲人の目は開かれ、
耳しいた者は ィがあけられる。
そのとき、足なえは鹿のようにとびはね、
おしの舌は喜び歌う。
荒野に水がわき出し、
荒野に川が流れるからだ。 (イザヤ書 35章 5-6節)

大川氏がイエスが「アバ、父よ。」と呼んだ存在、すなわち「父なる神」であるならば、聖書の預言は大川氏から出ているわけですからイエスと同様か、それ以上の「奇跡」を行うべきではないでしょうか。

又、大川氏=父なる神なのですか?
 (これは michael_the_3rd さんのMsg 2427 に対する返信です )


2470 件目  >michael the 3rdさん(2)    valyo    2000年1月10日 20時37分

「奇跡」以外にもメシヤ(救い主)に関する旧約聖書の預言でイエスによって(あるいはイエスに関係して)成就した個所を御参考までにいくつか書き出します。

1) Re:出生地(ベツレヘム)
ベツレヘム・エフラテよ。
あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、
あなたのうちから、わたしのために、
イスラエルの支配者になる者が出る。 (ミカ書 5章2節)

2) Re:バプテスマのヨハネ
荒野に呼ばわる者の声がする。
「主の道を整えよ。
荒野で、私たちの神のために、
大路を平らにせよ。 (イザヤ書 40章3節)

3) Re:宣教の開始(ガリラヤから)
先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。(イザヤ書 9章1節)

4) Re:エルサレム入城(子ろば)
見よ。あなたの王があなたのところに来られる。
この方は正しい方で、救いを賜わり、
柔和で、ろばに乗られる。
それも、雌ろばの子の子ろばに。 (ゼカリヤ書 9章9節)

5) Re:裏切りの代価(銀貨30枚)
すると彼らは、私の賃金として銀三十シェケルを量った。(ゼカリヤ書 11章12節)

6) Re:裁きの場で(イエスの沈黙)
彼は痛めつけられた。
彼は苦しんだが、口を開かない。
ほふり場に引かれて行く小羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。 (イザヤ書 53章7節)

イザヤ書 53章は全節がメシヤによる罪の贖いに関する預言です。
これら預言の成 Aはイエスがキリストである事を私が信じる根拠にもなっています。
 (これは michael_the_3rd さんのMsg 2427 に対する返信です )


2492 件目  >michael the 3rdさん    valyo    2000年1月11日 16時2分

>valyoさんは「法の価値」よりも「奇跡」を重視されてる様ですね...

私が最も重視しているのはイエス・キリストが十字架にかかり死んだが、三日目に復活して死に勝利した事、そしてこれで救いが完成した事です。私はこれを信じます。「奇跡」は単に預言の成就の一つでしかありません。

イエス・キリストの生涯はmichaelさんが言われるような「法」の為のものなのでしょうか。イエスが旧約に出てくるモーセ、イザヤ、エレミヤなどの預言者であるならば永い年数をかけて神の言葉を伝え、ユダヤの民を導く事に専念したことでしょう。しかしイエスは3年弱の宣教を経て十字架に向けてまっしぐらに進みます。特に十字架にかかる直前は律法学者達の憎しみの渦巻くエルサレムに自らの意志で進んで行きます。それはメシヤとしての御自分 フ役割(イザヤ書53章で預言されている)を十分承知していたからだと思います。
 (これは michael_the_3rd さんのMsg 2471 に対する返信です )


2493 件目  大川氏>michael the 3rdさん(2)    valyo    - 2000年1月11日 16時13分

>私自身は「大川総裁=父なる神」だと判断した(後略)

もう一つ疑問があります。大川氏は多くの霊示集を出しておられますが、これはすでにこの世を去った人の霊と交信する事と理解しています。

ところで、旧約聖書の申命記は「神が命じられたイスラエルに対する律法」に関する書物です。その18章に次のように書いてあります。

あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地にはいったとき、あなたはその異邦の民の忌みきらうべきならわしをまねてはならない。あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。 (申命記 18章 10-11節)

大川氏が父なる神であるならば、イスラエルに対し忌むべきこととして禁じた行為を自分自身が行うのは矛盾していませんか?
 (これは michael_the_3rd さんのMsg 2471 に対する返信です )


2497 件目  >michael the 3rdさん、それに他の信者の皆さん    valyo    2000年1月11日 18時55分

>私の場合は、大川隆法総裁先生の「法の質(救済力の強さ)と量」に触れた
>時に、ご指摘の様な矛盾などは、些細なもの・どうでも良い程度のものに
>なってしまったと言うことです。

上記は「どう結論づけるかはともかく、矛盾はある」と理解して良いのでしょうか? michaelさん以外の幸福の科学の信者の皆さんはどうお考えでしょうか?

>>大川氏=父なる神なのですか?
>この答えはvalyoさんが掴み取るものだと思いますよ。

聖書にはエジプトを脱出したモーセとイスラエルの民がシナイ山で神と会う個所があります。

三日目の朝になると、山の上に雷といなずまと密雲があり、角笛が非常に高く鳴り響いた フで、宿営の中の民はみな震え上がった。モーセは民を、神を迎えるために、宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。シナイ山は全山が煙っていた。それは主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上がり、全山が激しく震えた。(出エジプト 19章16-18節)

どう掴み取ろうとも、大川氏=父なる神の信仰に私が辿りつくとは思えません。それは偶像だからです。
 (これは michael_the_3rd さんのMsg 2496 に対する返信です )


2564 件目  ミカエルさん、色々さん、西田さん   valyo    2000年1月12日 21時7分

御返答いただきありがとうございました。又、体験談も読ませて頂きました。私も信仰を持つ身ですので、聖書にある聖霊の働きを体験した事があります。それについては今回のテーマと離れてしまうので、特に言及しないこととします。さて問題の件ですが、集約する意味でも色々さんの次の言葉について触れたいと思います。

>ノアの家族は最後に許されたのではありませんか。

聖書には「しかし、ノアは主の心にかなっていた。(創世記 6章8節)」とあります。

>神仏の計画があらたに起こされたとしたらそれはむしろ矛盾ではなく
>神の意志が変わられたと考えるのが妥当でしょう。

確かに聖書の預言に関しては神が計画を変えられることはあります。エルサレムがバビロンに攻撃され、ユダヤの民が捕囚にあう事を預言したエレミヤも神の言葉として次のように言っています。

イスラエルよ。もし帰るのなら、
わたしのところに帰って来い。
もし、あなたが忌むべき物を
わたしの前から除くなら、
あなたは迷うことはない。
あなたが真実と広義と正義とによって、
「主は生きておられる。」と誓うなら、
国々は主によって互いに祝福し合い、
主によって誇り合う。 (エレミヤ 4章1-2節)

神は警告を発すると共に「悔い改めて神に帰れ」そうすれば預言を変えると言われます。イエスも引き合いに出すヨナ書でも同様に神が「思い直される」ことを示しています。

しかし「あなたの異邦の民の忌みきらうべきならわしをまねてはならない。(申命記 18章9節)」は預言ではなく、律法の言葉です。別の言い方をすると、神は「心にかなう者」の基準を変えた事になると思います。単に計画が変わった(預言を思い直した)程度の変更ではないと思いますがどうお考えでしょうか?
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 2517 に対する返信です )


2612 件目  ミカエルさん、色々さん、西田さん   valyo    2000年1月13日 17時58分

沢山のご返事ありがとうございました。最後に私の感想を述べさせて頂きます。

皆さんが信じておられる幸福の科学では、たとえ信仰の基礎のような原理・原則でも、それが神(大川氏)の計画であるという「方便?」で変更されているのではないでしょうか。そして、今日は「正しい」とされる事柄が、明日は「正しくない」とされる可能性を常に秘めていると思います。それに対し、以前紹介しました聖書の申命記やモーセの十戒は3000年以上前にに書かれたとされる物で、現代でもクリスチャンの指標になっています。数千年に渡り変わらぬ原則と明日は変わるかもしれない原則。皆さんの情熱的な投稿には感謝しつつも、残念ながら私は「変わらぬ原則」に関わって行きたいと思います。

お付き合いいただき本当にありがとうございました。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 2579 に対する返信です )


2621 件目  時間的保証>iroiroarimasuさん   valyo    2000年1月13日 22時12分

貴方が言われる時間的保証とは伝統やキリスト教の歴史と言うものと理解します。しかしイエスを十字架かけた当時の律法学者の末裔達、すなわち現代のイスラエルの律法学者達はキリスト教の約2000年の歴史を見ても未だイエスをメシヤとして認めていません。経過した時間の永さが常にプラスに作用するとは言えないと思います。

それよりも私が言いたかったのは「変わらぬ原則」です。すなわち3000年前に神に忌み嫌われる行為は現代でも嫌われているし、逆に麗しい行為は今でも神を喜ばせると思います。そこに時代を越えた価値観が生まれのではないでしょうか。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 2614 に対する返信です )


2636 件目  霊示、iroiroarimasuさん   valyo    2000年1月14日 0時51分

何を言われたいのか良く理解できません。私がミカエルさんを初め会員の方に質問したのは次のことです。

まず大川氏が行っている霊示とはすでにこの世を去った人の霊と交信すると理解します。それに対し、聖書の申命記18章にはこうあります。

あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地にはいったとき、あなたはその異邦の民の忌みきらうべきならわしをまねてはならない。あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。これらのことを行う者はみな、主が忌みきらわれるからである。これらの忌みきらうべきことのために、あなたの神、主は、あなたの前から、彼らを追い払われる。あなたは、あなたの神、主に対して全き者でなければならない。(申命記 18章9-13節)

大川氏の行われる霊示とは上記で父なる神が忌みき 轤、行為としてイスラエルの民に禁止した事と同様であり、大川氏が父なる神であるならばその忌みきらう行為を自らが行うのはおかしいのではないか。

それとも神だから自身が忌みきらう死人に伺いを立てる行為等をしても不思議ではないと言うことでしょうか。

>神から選ばれた指導者は異なるのではないでしょうか?

神から選ばれた指導者だから神の忌みきらう行為をしても良いということでしょうか。私は神から選ばれた指導者だからこそ、神の忌みきらう行為をしてはいけないと思いますよ。

それとも大川氏は父なる神ではなく、モーセのような指導者と言う事でしょうか?
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 2622 に対する返信です )


2667 件目  Re:それでは、iroiroarimasuさん   valyo    2000年1月14日 17時42分

>イスラエルの民に禁止した理由はなんでありましょうか?

あなたがたが自分の身を聖別するなら、あなたがたは聖なる者となる。わたしがあなたがたの神、主であるからだ。あなたがたは、わたし フおきてを守るなら、それを行うであろう。わたしはあなたがたを聖なる者とする主である。(レビ記 20章7-8節)

神が聖なる方であり、イスラエルを聖なる者とされる為に、イスラエルの民に自分を聖別することを求めておられると考えます。

同時に現代を生きるクリスチャンにも同様に神が忌みきらう行為とは一線を引くように求めていると思います。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 2641 に対する返信です )


2668 件目  追加、iroiroarimasuさん   valyo    2000年1月14日 18時5分

>なぜ「主が忌み嫌われる」のでしょうか?

それらが偶像につながるからだと思います。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わ スしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。(申命記 5章 8-10節)
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 2641 に対する返信です )


戻る HOME 次へ