虚業教団・はしがき

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1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 14:24
「虚業教団」 〈幸福の科学〉で学んだものは何だったのか?

 著 者  関谷皓元
  1936年生まれ。セールスマンを経て、67年、自動車販売会社
       フタバ商事(株)を設立。22年間社長業。86年、大川隆法氏と
       出会い、すべてを処分して、〈幸福の科学〉の基礎造りに励み、
       初代総務局長、関東支部長のほか、本部講師、出版社の重責も兼任。
       89年10月退会。以後4年間神理の探求を深め、93年〈D.I.
       L探求会〉を創立。自分の過去の出来事こそが最高の師であるした
       新しい自己啓発法を探求中である。 
初 版  1993年12月31日
 出版元  現代書林  
定 価  1200円   

幸福の科学から、数十カ所について、事実をねつ造していると1億円の損害賠償
を求める裁判を起こされたが、6年間の裁判で、最高裁までいき、そのすべてに
ついて事実であることが立証され、勝訴している。
(参考)
フォーカスの記事転載 http://rain.prohosting.com/sachiko1/4_sekiya.htm

2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 14:26
「虚業教団」1(はしがき−1)
 コウフクノカガク。
 この不思議な名前に、人は何を思い浮かべるだろうか。
 講談社へのファックス攻撃で、教団の名を一躍世に知らしめたフライデー事件。
 ハンドマイクを握り、絶叫する小川知子や影山民夫の勇姿。
 大手広告代理店・電通が制作し、繰り返し茶の間に流れたCM・・・
「時代は今、幸福の科学」をおぽえている方も多いと思う。
 それとも、1991年7月15日東京ドームで催された“御生誕記念祭”
だろうか。集まった5万人のド肝を抜いた、主宰・大川隆法の「星の王子さま」
や「冒険ダン吉」を思わせる異様ないでたちや、おかしな抑揚をつけた演説
だろうか。しかし私たちは、誰一人そういうものを望んで〈幸福の科学〉を
設立したわけではなかった。たぶん、大川隆法その人にしても。
 コウフクノカガク。
 元会員の胸には、さまざまな思いが去来するはずだ。去ることになった理由は
何であっても、この名前に一度は夢をみた。それは確かなのだから。
 いま、私の胸にーつの苦い問いがある。 宗教に団体は必要なのか?
 神と共に生きるのには、組織が必要なのか。一人では、神の望む生活は
不可能なのか。教団に入らなければ、幸福は科学できないのか。
 断じて、否である。むしろ団体が、組織が、人を神から遠ざける。
そんな場面を、私は〈幸福の科学〉という神理探究の集団に幾度となく見てきた。
 ″これでいいのか!″ そのたびに、心がかきむしられた。
 私は一人になって静かにまわりを見まわす。素晴らしい人たちが身近に
たくさんいる。宗教を知らなくても、明るく優しく、暖かく、協調性に富んだ人々。
健全で、力強く、楽しい人々。私たちが必死で追い求めた宗教の理想を、
彼らは易々と実現しているように見える。どんな教団にも属さず、理屈を
振りかざすこともなく、職場で、あるいは家庭で、精一杯生き生きと暮らしている。
この人たちこそ、神のみこころの実践者ではないのか。
そのことを知るために、私はーつの教団を通過してきたのかもしれない。
私にとって〈幸福の科学〉はーつの通通点であった。だから卒業の時がやってきた。


3 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 14:27
「虚業教団」2(はしがき−2)
 「そんなことを言うおまえは誰か」と、読者は問うだろうか。
 私は1986年〈幸福の科学〉発足以前から学習会の基礎造りに人生を
懸けてきた男である。
順調な仕事を閉鎖し、自社ビルを処分し、家族との辛い別れを体験しながらも、
すべてを捨てて打ち込んできた者である。
 そのあいだには、教団の最重要ポストを幾つも歴任してきた。
 組織として形が整う前は、活動推進委員として基盤造りに励んだ。会が動き出す
と、秘書課長として大川隆法に密着。その私生活にも深くかかわった。
大川隆法・恭子夫妻の仲人も オている。初代総務局長としての華々しい武勲も
いくつかある。幹部人事を担当し、資金計画を立て、出版ルートを開拓した。
他教団との折衝も手がけた。あの紀尾井町ビルヘの入居も、それを発案し、
折衝し、勝ち取ったのは私である。本部講師となり、会の基本原理である
「四正道」を解説して全国を巡回した。あの頃にあった草創期の熱気―。
 いま思い出しても、自然と熱いものがこみあげてくる。文字通りゼロからの出発。
情熱の奔流に身を任せ、しゃにむに舟を漕ぎつづけた。そして、小さな舟が
堂々たる大型船になったとき、伸び盛りのこの会を私は″卒業″した。
 1989年10月のことである。決別の日から、早くも四年が過ぎようとしてい
る。
 その後、さらに会は大きく発展した。会員は急速に膨張し、その数は500万人
とも700万人とも言われるほどになった。しかしその半数、いや9割以上は
すでに脱会していると聞く。
 いま脱会者の多くは宗教難民となって、心をさまよわせている。何かを求め、
辿り着くべきところを懸命に探しつづけているに違いない。私には、その思い
が痛いほどよくわかる。一度宗教に夢を託した人間の宿命である。
 4年の歳月は、過去を冷静に振り返る余裕を私に与えてくれた。客観的な目で、
ようやく会を見ることができるようになった。今こそ、〈幸福の科学〉の設立
から脱会に至るまでの魂の遍歴を、率直に語ろうと思う。

4 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 14:29
「虚業教団」3 (はしがき−3)
 いま、しみじみ思うことは、宗教団体に身を置いて学習する以上の、
神理探究法、自己変容の道の存在を強く感じていることである。
 しかし、それを語ろうとする時、どうしても一度は、今までの過程・事実
について是非を問い、中立公平な第三者の立場に戻らねばならない。
 この書は、その意味で私自身の点検書でもある。
 最初にお断りしておきたいのは、私は〈幸福の科学〉のすべてを非難するつもり
など毛頭ない、ということである。その教義内容は、たとえ世間の有識者が
何と言おうと、良いことを言っているのだし、また「霊性時代の樹立」
「偉大なる常識人」というスローガンも、時節柄を鑑みて思うに的を得ている
と賛同している。 ただ問題なのは、その本来の素晴らしい教えが、〈教団〉
という形に形勢されていく途中のどこかで、天の御心にあるまじき形態に、
内容が変化してしまうことである。
僅か数十人、数百人の天使の集いだったものが、飛躍するうちに「虚業教団」
になっていく。言っていることと、やっていることにどうしてもズレが出てくる。
 宗教教団とは魔物であり、多くの場合には虚業でもある。その意味では大川隆法
や善川三朗も私達同様に、大きな魔物に振り回された被害者なのだろう。
 人によっては、〈幸福の科学〉と大川隆法の未知の部分の暴露本だろうから、
思いきり悪く書いてくれるだろうとの。”期待”もあった。しかし誹膀中傷は、
私たち求道者の本意であるはずがない。
 体験した事実を事実として、ありのままにストレートに書いた。
 どのように受け止めるかは、読んでくださる方々の心境に委ねるしかない。
そう思うと何の力みもなく安心して書き上げることができた。
 事実は小説よりも奇なり、という。読み方によっては、本書は三面記事的な
面白い読み物にもなるだろう。また、別の受け止め方をすれば、理論理屈の本より、
いっそう深い神理を本書からくみ取っていただけるものと信じる。
 コウフクノカガク・・・それは、私たちの夢と挫折の物語である。
   1993年9月                     関谷 皓元
※本書に登場する人物の名前は敬称を略し、〈幸福の科学〉会員の名はすべて
仮名とします。

113 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 18:50
「虚業教団」  (目 次)

第1章 ささやかな、けれども爽やかな第一歩    >>5
     大川青年との最初の出会い          >>5
     6畳ひと間の事務所からのスタート      >>10
     86年11月 発足記念座談会        >>13
     仕事を捨てて〈幸福の科学〉へ飛び込む    >>15
     真摯だった発足記念講演会          >>18
     〈幸福の科学〉に集う純真な求道心      >>22

第2章 「神」は結婚を命じ給うのか? >>25
      〈幸福の科学〉にもあった神託結婚      >>25
      天上界が計画した? 二つの結婚      >>28
      神を信じるのか、大川隆法を信じるのか   >>33
      〈幸福の科学〉は幸せを科学したか?     >>36
      奇妙な大川主宰との相互仲人        >>42
      神託結婚は大川隆法の「霊的現象」?    >>45

第3章 「裸の王様」への道  >>50
      「真っ黒な雲が覆いかぶさってくる」     >>50
      大川夫人の登場と会の変質         >>52
      大川ファミリー経営の企業=〈幸福の科学〉 >>57
      「生命線」出版ルートの確保         >>60
      「ワンマン社長」としての大川の力量     >>62

第4章 愛なき教団だから「愛」を説くのか >>65
      「高橋信次」はなぜ大川隆法に霊言したのか  >>65
      底の浅さを思い知らされたGLAとの接触  >>69
      GLAに対する大川主宰の異常な憎しみ   >>76
      大事件となったある「神託結婚」の失敗   >>79
      愛なき断罪と追放の実態          >>83
      悲しくそれぞれの道へ別れて        >>86
      建前だけの「与える愛」          >>90

第5章 さらば(幸福の科学)よ    >>94
      紀尾井町ビルヘの入居契約が最後の奉公   >>94
      「光の天使」から「光の戦士」への変質    >>98
      必然的だったフライデー事件への道     >>101
      これがフライデー事件の真相だ       >>104
      〈幸福の科学〉との決別           >>109

おわりに                       >>110



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