虚業教団・第2章

戻る HOME 次へ

25 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 15:31
「虚業教団」25 (第2章−1)
第2章 「神」は結婚を命じ給うのか?

○ 「(幸福の科学)にもあつた神託結婚」
 女優の桜田淳子や、スポーツタレントの山崎浩子らが参加し、マスコミの注目を
浴びた統一教会(世界統一神霊教会)の合同結婚式。何千人もの男女が集まり、教
祖の祝福を受けるあの式に、世間があんなに激しい反発を示したのはなぜだろう。
愛情と尊敬で結ばれるべき生涯の伴侶が、教祖の指示一つで決められる。そこに不
自然なもの、人間の尊厳を否定するものがあるのを、多くの人が感じたからに違い
ない。
 統一教会のそれと似たものが、じつは〈幸福の科学〉にもあったと言えば、驚く
人が多いだろう。新しい会員は「まさか」と思うかもしれない。しかし何組かの男
女が、大川隆法の「これは高級霊からの指示である」という言葉によって、結婚さ
せられたのは紛れもない事実である。
 古参幹部を除くと、会員にもほとんど知られていない“神託結婚”の
実態を、ここでお話ししてみたいと思う。
 忘れもしない、1987年12月のことである。
 〈幸福の科学〉の2年目にあたるその年は、非常に有意義な一年だった。
講演会とセミナーが各地で開かれ、会員も増えた。前年の10月に中原の
自宅を改築して開いた6畳の事務所がもう手狭になり、5月には荻窪松庵
三丁目にある新築ビルの地下へ移転している。広さはそれまでの6倍。
ボランティアの会員も、活躍の場所をやっと得て大喜びで働いていた。
 ついでながら、移転に要した敷金500万円は中原に頼まれて私が
用立てた。誤解のないよう言っておくと、この500万円は後に全額返済
してもらっている。こういう面では、大川はきっちりケジメをつける人だった。

26 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 15:32
「虚業教団」26 (第2章−2)
 その年も終わりに近づいた12月26日。
 この日はちょうど、中原幸枝のヨガ教室主催による4週間 メ想セミナーの最終日
にあたっていた。最後を飾るべく中原は、特別講師に大川隆法を招いた。このこと
からも、初期の〈幸福の科学〉が中原のヨガ教室と半ば一体だったことがわかる。
 「セミナーの終わりに、直接大川先生のご指導がいただけるみなさまは、ほんと
うに幸せです。みなさまは、人生のクリスマス・プレゼントを今夜いただけるので
す」 中原から開会の挨拶を促された私は、参加者を前にそんな話をした。
人生のプレゼント。いま思い出すと忸怩たるものがある。
 この夜は大川の誘導で、自分が金の仏像になり体から金色の光を放つところをイ
メージしたり、体から意識を抜いて拡大させる瞑想などをおこなったと記憶してい
る。当時の〈幸福の科学〉は、中原の影響もあってか瞑想が大きなウェートを占め
ていた。
 大川の講演中、彼女と私はいつものように特別席に並んで腰かけていた。その日
にかぎって、中原が妙に私を意識しているらしいのが気になった。今までは、一度
もそんなことはなかった。互いに異性を意識せず、兄と妹のように仲良くやってき
た二人である。
 “きょ 、の中原は少しヘンだな。何かあったのだろうか”
 何があったかは、セミナー終了後に明らかになった。


27 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 15:32
「虚業教団」27 (第2章−3)
 「今日は私からちょっとお話がありますから、一緒に食事しましょう。吉祥寺に
場所を予約してあります」
 セミナーが終わって、声をかけてきたのは大川だった。
 「双葉」という古い料亭へ案内された。大川と私、そして中原の三人である。部
屋に通された私たちは、料理をいただきながら、今日のセミナーのできばえや、瞑
想の反応状態について話し合った。
 そこまでは、いつもと何ら変わったものはなかった。
 途中で、急に大川が話題を変えた。
 「関谷さん、じつは私、結婚することにしたんです」
 意外な話に、私はびっくりした。崩していた膝を思わず直してお祝いを言った。
 「イヤ、それはそれは。ほんとうにおめでとうございます。会の流れからしても、
今がー番いいときだと思います。これで、会もしっかり ェをおろします。ほんとう
に、よかった。でも、お相手は誰なんでしょう。私には見当もつきませんが」
 「アハハ。誰だと思いますか」私は一瞬、中原ではないのかと思った。
彼女の名誉のために言っておかなくてはならないが、二人が特別な関係だったとい
うことではない。大川のまわりには、とにかく女っ気がなかった。結婚に対する憧
れをしばしばほのめかした主宰先生だが、それらしき女性は見あたらない。縁談が
あるとも聞いていない。その場にいた中原を、とっさに思っただけのことである。
 「関谷さんは、たぶん知りませんよ。あの方はボランティアですから」
 返答に困っている私に、中原が助け船を出してくれた。
「じつは木村恭子さんという会員です。これは、神示が下っての神託結婚なのです」
 名前を聞いても、私には顔も浮かばなかった。それより私には、“神託結婚”と
いう耳慣れない言葉が異様に響いた。大川先生ほどの人になると、やはり結婚にも
高級霊からの指導があるのか・・・。
 「もうすぐ東大を卒業される、素晴らしく優秀なお嬢さんですよ」
 それが現在、主宰夫人 ニなっている大川恭子のことを聞いた最初である。
 彼女の登場で、〈幸福の科学〉はまた一つ大きな転機を迎えることになる。
 しかしそれが会を変貌させ、空虚なものにしていくことになろうとは、中原や私
はもとより、大川自身も知らなかったことである。


28 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 15:33
「虚業教団」28 (第2章−4)
○ 「天上界が計画した?二つの結婚」
 「それでこの際、関谷さんにも結婚していただくことになりました」
 まるで事務処理を指示するような調子で、大川隆法が言った。
 思わず自分の耳を疑った。大川が結婚するのはいい。相手が誰でも、先生と呼ぶ
人の結婚を、私は心から祝福するだろう。しかし、なぜ私が・・・。妻と五年間も
別居しているとはいえ、まだ夫婦である。その私に結婚せよという大川の言葉は
冗談としか思えなかった。
 不思議なことに、大川とあれほど身近に接していながら、大川との個人的な会話
はあまり私の記憶に残っていない。人の心に感動を呼び起こすもの、鮮烈な印象を
残すものが少なかったように思う。しかし、このときの話はさすがに今でもハッキ
リと覚えている。記憶に従って、できるだけ忠実に再現してみよう。
 「先生、何をおっしゃいます。第一、私には相手がいませんし、そんな段階では
ありません」
 「いや、それがちゃんと決まったんです。天上界の(高橋)信次先生からの通信
です。これはもう、明日入籍していただきます。お正月には新婚旅行に行っていた
だくことになっています」
「ハハハ・・・。なんだ、冗談ですか。先生も悪趣味ですね。でも、先生が結婚さ
れるのはほんとうでしょうね」
「とんでもない。これは神託結婚です。天上界の計画通りにしていただきます」
 言うべき言葉が見つからなかった。
「関谷さんのお相手は、もう決まっているんです」
「どんなふうに決定しているんですか。どこにそんな人がいるんですか」
「はい、ここにいますよ。ほら!」
 大川のこの声を待っていたように、中原幸枝がパッと畳に手をついた。
「関谷さん、よろしくお願いします」
「エッ! アレ!・・・そ、そりゃぁない・・・」
 このように書けば、一場の喜劇でしかない。ドタバタ喜劇のおかしさは、人間の
尊厳というものを踏みにじるところに生まれる。だからピエロたちの演技はどこか
悲しい。

29 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 15:34
「虚業教団」29 (第2章−5)
 「よろしくお願いします」と手をついた中原の心中はどうだったろう。世俗的な
幸せを捨て、ひたすら道を求めてきた中原の生き方は、このとき完膚なきまでに踏
みにじられたのではなかったか。彼女はどんな気持ちで、私に手をついたのだろう。
その気持ちを、私はいまだに聞きえずにいる。
 しかし大川に心酔していた中原は、私との結婚について、一分の疑念も持ってい
ないようだった。
 大川は私の説得にかかった。思いどおり事が運ばないときは、相手を押さえつけ
るような、威圧的な口調になるのが彼の流儀だった。
 「関谷さんは二度目の結婚になります。あまり自分勝手は許されません。それに
中原さんは、過去に何度も転生しながら、一度も結婚したことがない。今回始めて
神示により、関谷さんと結婚することになりました」
 「・・・・」
 「私たちは何度生まれ変わっても、今ほど重大な時代に生まれることはできませ
ん。神のご意志に従ってください。私たちはみんな、自分の使命を果たさなければ
なりません」
 神の意志、使命。それを言われると、私には抗弁のしようがなかった。
「この幸福の科学は、今、そのための基礎造りの段階です。私も神のご意志に従っ
て、よく知らない人と結婚します。この際、関谷さんも己を捨てて、会の土台造り
に身をあずけていただけませんか。・・・それとも、中原さんではダメですか。中
原さんは昨日1秒でO・Kを出したんですョ」
 私はそういう目で中原を見たことはなかったが、一般的な見方をすれば、彼女は
たぶんとても品のある美人である。妹のような存在としか思ったことはないけれど、
どうして中原でダメなことがあるだろう

30 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 15:35
「虚業教団」30 (第2章−6)
 “だが”と私は思った。“精神世界の探究に身を捧げている尼さんのような彼女
が、本気で私などを受け入れるはずがない”
 そう思って中原を見ると、彼女はこちらを向いて正座し、両手を膝に置いたまま
私の返事を待っている。その表情には何の不安もなく、私から「OK」の返事が当
然くるものと確信しているらしい。
 このとき、私の脳裏に走ったのは、セックスなき不自然なカップルだった。私を
含めて男とセックスなどできる中原とは、到底思えなかった。としたら、聖職者同
士の夫婦生活である。この私にそんな生活が可能だろうか。まだ残している問題も
あるし・・・。さまざまな思いがわいてきて、頭が混乱してしまった。
 “ええい、ままよ。人生は所詮ドラマじゃないか”と、私は心の中でつぶやいた。
“天上界の信次先生のご指示だというなら、それもよし。私もそろそろ、そんな禁
欲生活に入っていい頃かもしれない。そのために、今までの恵まれた生活があった
んだろう”
 もう一度中原に目をやった。即座の返事を求めるように真っ直ぐに私を見ている。
 「よろしく、お願いします」ひとりでに口から出ていた。中原と私は、両手をつ
いて頭を下げあった。
 それを受けて大川がしゃべった言葉を、私は今もハッキリ思い出すことができる。
 「よかった。何しろ、神理を説くトップの私だけの結婚となると、会員からいろ
んなことを言われそうで、困っていたんですよ。しかし、中原さんと関谷さんが結
婚するとなれば、意外性ということで話題になり、私のほうの話は半減されて助か
ります」
 いまなら、中原と私の結婚を煙幕にするつもりなのかと言うこともできる。だが、
そのときは“おかしなことを言うな”と感じただけだった。それも、心の片隅で。



31 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 15:36
「虚業教団」31 (第2−7章)
 統一教会の合同結婚式の後、親族やキリスト教関係者に説得されて結婚を破棄し
た山崎浩子が、記者会見で「マインド・コントロール」という言葉を使った。
 宗教団体という特殊な世界にいると、正常な判断力が麻痺する。神との仲介者で
ある教祖が、信者の心をいとも簡単に支配してしまう。そんな状態を「マインド・
コントロール」と、彼女は呼んだのだろう。
 しかし支配される心は、支配されることを望んでいるのである。自分のすべてを
理解し、行くべき道を指し示してくれる存在を心の底で求めている。中原や私にも、
その思いがなかったとは言えない。
 「お互いの仲人をやりませんか。それで、どちらも貸し借りなしのオアイコとい
うことにしましょう」 私の都合などまるで無視して、嬉しそうに大川が言った。
 しかし、私にはまだ妻がいる。離婚は話し合いがついていたが、高校生の娘が大
学受験を終えるまでは、籍だけでもこのままにしておこうという話になっていた。
いまではそれが、身勝手な父親である私が娘にしてやれるたったーつのことだった。
 このことを話すと、大川は驚いた顔をした。
 「エッ、まだ籍が抜けてなかったんですか。それは知らなかった」
 いつも、私たちのすべてを見通しているようなことを言っている大川が、こんな
重大なことを見落としていたとは。
「あと2ヵ月で娘の入試が終わります。それまで、このままではいけませんか」
「いや。私のことも、もう発表してしまわなければならないし、それは困るよ。何
とかなるでしょう、関谷さん」
 いまや、大川と私は師弟の関係にある。まして、その師は天上の世界から直接指
導されているのだ。人間の浅知恵では計り知れない大計画が、こうして一歩ずつ実
現されようとしているのかもしれない、と私は考えた。私もまた、「マインド・コ
ントロール」によって正常な判断力を失っていたのである。
 その場は、「すぐにでも妻と話し合ってみます」ということでお開きになった。


32 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 15:37
{虚業教団」32 (第2章−8)
 家に帰っても心が落ちつかなかった。独り暮らしのマンションで、何時間も
自問自答を繰り返した。
 まず、大川主宰がご自分の結婚の話題を半減させたいという、その心理は
いったい何だろうと考えた。
 “そういえば、若い女性とのデートすら、先生は一度も経験したことがない
と聞いたことがある。そんなことからくる、先生特有のテレなのだろうか”
 “それにしても、私と妻との現状を、まったく重視できなかったのだろうか。
この結婚は、中原と私の一生を左右する重大事である。すべてを見通したうえ
でのお話しではなかったのか”
 “もしかしたら大川先生は、じつは異次元など何も見えない、頭のいいだけ
の人間なのだろうか。自分の都合だけを優先させ、他を思いやる愛のない人
なのだろうか”そうした考えに行き着くたびに、私は何度も首を振った。
“いや、いや。そんなことは絶対にない”
 この夜、私の頭は混乱し、ハッキリした結論はついに見出せなかった。


33 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 15:38
「虚業教団」33 (第2章−9)
○ 「神を信じるのか、大川隆法を信じるのか」
 私は常々、自分は〈幸福の科学〉という小舟が、大型船となって大海へ乗り出す
までの臨時の乗組員に徹すべきだと考えていた。大きな船になり、本格的に大海原
を走りだしたら、もっと優秀な、若くて元気な人たちが帆を 繧ー、舵を握るだろう。
そのときまでの縁の下の力持ち。私にはそれが相応しい。
次のクルーに胸を張って船をあずけられるよう、指導グループの一員としてこの舟
を守っていこうと決めていた。
 “そのためにも、いまは大川先生の言葉を信じよう”
 そんなふうに私は自分を説得した。
 “こんな私にも、大きな使命があると言われるのだ。何を迷うことがある。命懸
けで、自分の使命を果していこう”
 1日も早く離婚手続きをすませ、先生との同時結婚式を挙げなければならない、
と私は観念した。急流を下る小舟の揺れは大きい。私の心も大揺れに揺れた後、
大川隆法を信じ切るほうへ落ちついていった。
 このときから大きな不幸が始まった。
 信じれば信じるほど苦しみが増した。
 本源の絶対神を信じたつもりでいた。だが実際は、大川隆法という人物を信じよ
うとしていたのだ。妄信狂信に走ったと非難されてもしかたないだろう。
 世の中には、残念なことに、信仰ゆえに陥る不幸というものがたくさんある。
それらはすべて、信じる対象を取り違えたところから起きてくるもののよ 、に、私
には思えるのである。

34 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 15:40
「虚業教団」34 (第2章−10)
 このことは、合同結婚式で有名になった統一教会にもあてはまるだろう。世界の
宗教を統一するという原理思想は確かに素晴らしい。しかし信者たちは、その思想
より、それを語る文鮮明を信じ、文鮮明という人物に我が身をあずけ、ついには合
同結婚式という非人間的なものにも平気で自分を従わせてしまったのではないか。
 私たちの〈幸福の科学〉も、この悲劇と無縁ではなかった。
 信者同志の結婚は、教団組織を固めていくうえで、まことに便利な方法である。
後でも触れることになるが、私の知るかぎり当時の〈幸福の科学〉では、五つか
六つの神託結婚が大川によって命じられた。それをきっかけに会を離れていった者
もいる。結婚はしたものの長続きせず、互いに深い傷を負って別れた夫婦もある。
今日まで続いているのは1組にすぎない。その1組も、それまでのカップルを強引
に引き裂き、別の相手と 汲ムつけたものだったから一騒動持ち上がっている。
 誰の心にも大きな傷を残した。どのケースも〈幸福〉とはかけ離れたものだった。
 ほんとうに天が望むなら大川が何をしなくても、いずれは結ばれたに違いない。
なぜ大川は、“神託”などという言葉を持ち出し、そこに不自然な手を加えようと
したのか。言うまでもなく、会の組織づくりのためである。

35 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 15:42
「虚業教団」35 (第2章−11)
 ここで、当時の中原幸枝と私が、会に占めていた位置を考えてみよう。
 すでに述べたように、中原は初期〈幸福の科学〉の物心両面での最大の支柱であ
った。彼女なくして〈幸福の科学〉は存在しなかった、と言っても過言ではない。
 いっぽう私は、大川の目には会の経済的な支援者と映っていた。彼の「幸福の科
学入門』という本の中で、私は大黒天の1人として紹介されている。
 釈迦が教えを説き始めたとき、土地の長者が精舎(僧院)を寄進し、物質面から
僧侶集団を支えた。法が説か 黷驍ニころには必ずそういう経済的支援者が現れる。
それが大黒天であり、〈幸福の科学〉には1人の大黒天がいると大川は書いている。
 第一の大黒天が私。第二は秋山行男。第三は高橋守人だった。
 この3人の大黒天は、現在1人も会に残っていない。機関紙や「高橋信次霊訓集』
の発行に尽力した高橋は、パージ同然のかたちで会を去った。秋山のほうは、
新事務所への移転に際し、OA機器やデスクをはじめ一切の什器類を寄贈して
くれた会員である。その後大川があまりに彼を持ち上げたため、「まだしぼり取ら
れるのか」と気味悪がって退めていった。
 新しい会員を集めるのもいい。しかし草創期に、おのれの何がしかを犠牲に
して活動に打ち込んだ大黒天たちがなぜ去っていかなければならなかったのか。
それを反省することなしに、会のほんとうの発展はありえないだろう。
 精神的支柱であった中原と、物質的支援者である私。この2人を組み合わせよう
としたところに、したたかな計算を見るのは私の邪見だろうか。
しかしそうでもなければ、まだ離婚も整わない私と、結婚などまるで眼中にない
中原を、誰が強引に結びつけたりするだろう。
“2人が夫婦として尽くしてくれら、会にとってこれ以上ない強力な武器だ”
と考えて、まるで将棋の駒を動かすように、私たちに神託結婚を命じたのだろうか。
 その判断は読者に委ねるしかない。


36 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 15:44
「虚業教団」36 (第2章−12)
 ○ 「〈幸福の科学〉は幸せを科学したか?」
 やむなく私は妻との離婚話を急いだ。しばらく遠のいていた我が家へ重い足を向
けた。次女の合格までは形だけでも夫婦でいようと決めながら、「1日も早く」と
迫る夫を、父を、妻や娘たちは何と思っただろう。
 予想したことだが、妻は私の要求に態度を硬化させた。
 「なぜ、そんなに急ぐの。急に除籍しろなんておかしいわ」
 しかし私は、神様の指示で中原と結婚することになったとは、どうしても言えな
かった。仮に言ったとしても、信じてもらえたかどうか。
 「こんなに急に無理を言われるなら、貰うものは思いっきり貰ってやる ゥら。そ
うじゃなければ、絶対に離婚には同意しない!」
 妻はいきり立ち、叫びつづけた。冬だというのに汗をかき、その後頭部からは赤
い炎がポッポッと燃えているのが見える気がした。
 あのときの妻はじつは菩薩ではなかったか、と思うときがある。菩薩という愛の
仏は、ときには恐ろしい憤怒の顔をした不動明王の姿をとって現れ、手にした縄で
人を縛り、剣で切り刻んでまで、その魂を救済するという。人の道に外れてはなら
ぬと、妻は私に訴えていたのである。
 しかし悲しいかな、当時の私は、神の心が通じない愚かな女としか見なかった。


37 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 15:49
「虚業教団」37 (第2章−13)
 こんなふうに私と妻が醜くケンカしている家の2階では、高校3年の次女が、
間近に迫った大学入試のために捩り鉢巻で勉強していた。新築間もない日本家屋だ
ったが、両親の目論は筒抜けだったに違いない。たぶん勉強も手につかなかっただ
ろう。
 どんな気持ちで机に向かってい スかと思うと、今でも胸が痛む。これは中原も
同じだったらしい。後々の結婚生活の中でも「娘さんに申しわけない」というのが
彼女のログセだった。
 娘のことを考え、早々に切り上げて会社へ戻った。苦しかった。苦し紛れに、私
は思わず中原に電話した。
 「こんなことをさせる神様は間違っていないか。あまりにも無慈悲だ。あなたか
ら大川先生に、あと2ヵ月だけ待ってくれるよう伝えてほしい」
 すると中原は、昨日大川に言われたという言葉を私に伝えた。
 「恭子さんの身にもなってみろ。彼女は両親の反対を押し切ってまで決意したん
だ。早く会員に発表してもらいたいと心待ちにしている。関谷さんは、そのくらい
のことが解決できないのか」
 そう責められて、中原も困っているということだった。


38 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 15:50
「虚業教団」38 (第2章−14) 
 大川はいつも中原を通して私と話をした。直接話そうにも、話せないように素早
くお膳立てができてしまう。これは ゛独特の、一種の処世術だった。
 この処世術は、会が現在のように巨大化してからも変わっていない。あのフライ
デー事件のときも、1人の事務局長を通して指令が下っていた。幹部こそいい災難
である。指示を忠実に実行しようとして知恵を絞り、その結果がよければ、主宰の
指導がよかったということになる。もし悪い結果が出たときは、末端会員の批判は
その幹部に集まり、自分がツメ腹を切らされる。
 ご本人は奥にいて、滅多に顔を見せない。したがって、真実の姿は一般会員には
まったく見えない。そのほうが、確かに神秘的である。講演会の後の質疑応答でも、
霊言を求められると、大川はよく「安っぽくしたくないから」と言って断っていた。
霊言に安っぽいも高いもない。神秘というベールをまとうことが必要だったにすぎ
ない。
 事実、最近の講演会では、そのぺールの向こうの姿に向かって会員たちは喜んで
感激の涙を流している。大川の写真がご本尊として拝まれる。大川という宗教的天
才、いや組織づくりの天才の目論見が、計算どおり実現していると言ってもいいだ
ろう。


39 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 16:04
「虚業教団」39 (第2章−15)
私たちの離婚話はこじれにこじれていた。
 妻は、世間で言うところの良妻賢母の典型だった。私の自慢である2人の娘を立
派に育てだのは妻だと思えば、どんなに感謝してもし尽くせない。
 それにくらべ、私はどうだったろう。妻や子からすれば“得体の知れない宗教”
に入れあげ、娘の入試直前に乗り込んできて、「1日も早く別れろ」と迫る男。
どう考えても言いわけのしようがない。家族すら思いやれない男が、“与える愛”
を説く〈幸福の科学〉の幹部であることがすでに間違っていた。
 とくに2番目の娘には思い出が多い。小さい頃から勉強嫌いで、「中学を卒業し
たらすぐに働くから」と言い張っていた子である。テストの点数を見て、「これだ
とビリだな?」と私が尋ねると、「心配ないよ、トト。もう1人ナオミちゃんがい
るんだよ」と無邪気に笑っていた。
 そんな子が今、大学を目指して一生懸命勉強している。私はといえば、その勉 ュ
部屋の下で妻と大声でケン力しているのだ。娘よ、何という愚かなトトであったこ
とか。たとえ両親が離婚しようと、子どもには愛され、尊敬されるトトでいたかっ
たと思う。親としてあたりまえのその希望を、私は自らの手で砕いてしまったので
ある。
 こんな家庭の地獄化と時を同じくして、職場でも健康面でも次々と不幸が重なっ
た。
新しい年(88年)に入った正月8日。ちょっとした不注意で転倒した私は、した
たか肩を打ち、鎖骨骨折で2力月間もサポーターを巻いていなければならなくなっ
た。独り暮らしだから、下着の着替えにさえ困った。
 夜はその肩が痛んで眠れない。籍のことは急がされる。妻とは激しいケンカがつ
づく。娘の受験も心配である。おまけに、仕事には今までのような勢いがなく、創
業以来はじめて赤字になりそうな形勢だった。会の仕事に追われていた私と社員の
あいだにはミゾが生じ、かつての楽しい職場は見る影もなくなっていた。もう、「泣
きっ面に蜂」どころではなかった。


40 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 16:04
「虚業教団」40 (第2章−16)
 このように私の状態が悪くなっていくのと反比例して、〈幸福の科学〉の業務は
次第に膨らんでいった。私の役目もどんどん増える。それでも会議の前後に大川を
送り迎えするのは、相変わらず私の役目だった。私は片手で運転し、大川の乗り降
りの際には、使える左手で後部座席のドアを開閉していた。
 私の全面的な譲歩によって、ようやく妻との離婚問題が決着した。籍を抜いたこ
とを報告すると大川は非常に喜んでくれた。その慰労もかねてだろうか、大川の婚
礼が近づいたある日、二つのカップルが新宿のホテルで食事をともにすることにな
った。
 主宰夫人となる木村恭子は、当時まだ東京大学の4年生だった。色白で鼻の高い、
西洋風の顔だちだった。秋田県の医者のお嬢さんと聞いていたが、物静かで、おと
なしそうな女性だった。
 とても印象深く覚えているのは、私の心をくすぐった恭子のひと言である。
 「釈迦の時代の高弟たちも、みんながみんな家族と円満に別れて出家したのでは
ないと思います 諱Bそれぞれが、関谷さんのように大問題を解決して自分の道を選
び、生涯を懸けたのだと思います」
 Sekiyaとネームの入ったボールペンを恭子から贈られた。さすが先生の選
んだ人だと妙に感心した。


41 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 16:05
「虚業教団」41 (第2章−17)
「関谷さん、中原さんの年を知っていますか」大川が突然私に尋ねた。
じつはそのときまで、私は彼女の正確な年齢さえ知らなかったのである。そんな2
人が間もなく結婚する。思えば不思議なカップルだった。
「20代ではなさそうですね」と答えたのは、若い恭子の前で中原の年齢を云々
したくない気持ちがはたらいたからだ。
それを聞いて大川は、私たちがびっくりするほど大笑いした。そして、こんなふう
につづけた。 「30代・・・でもなさそうだしな」
 私はハッとした。一瞬の沈黙があった。だが、そんなことを気にする中原ではな
かった。再び笑いが起きた。たわいなく笑い合う私たちは、おそらく誰が見ても幸
ケな二組のカップルだったろう。
 後になって、この場面を思い出すたびに、機転の利かなさを呪ったものである。
「そう、40代でも50代でも、60代でもなさそうですね」と、なぜとっさに出
てこなかったのだろう、と。
 恭子が口にした釈迦の高弟との比較は、私をいい気持ちにした。正法流布に一生
を捧げよう。大川先生を信じきっていこう。あらためてそう決心した。
 この単純さを、読者は笑うだろうか。
 一挙に押し寄せてきた不幸なできごと。家庭の崩壊、商売の衰退、社員との行き
違い、肩の骨折などはすべて、私にこの道を進ませようとする神の導きに
違いない・・・。ここに自分の天命があるのだと、無理にでも納得するほか
なかったのである。
 幸福ではなかった。だから、なおさら幸福を科学する必要があった。


42 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 16:06
「虚業教団」42 (第2章−18)
○ 「奇妙な大川主宰との相互仲人」

 同月10日に、大川隆法と木村恭子の結婚式が杉並会館でおこなわれた。
 その日まで中原幸枝と私は目まぐるしく動きまわった。赤坂プリンスホテルでの
結納、式場選び、式の手配から主宰夫婦の新居の整えまで、あらゆる準備が私たち
に任されていた。会の仕事もほかの幹部と同じようにこなさなければなかったから、
その忙しさは大変なものだった。
 当日は、会場に80名ほどが集まっただろうか。新婦の同級生らしい嬢さんが
4人ほどいた以外は、すべて〈幸福の科学〉の会員だった。
“これは、仏陀の結婚式なのだ”誰もがそう思っていた。
 媒酌人として挨拶に立った私の言葉も、そういう全員の思いを代弁していた。
「今、私たちが立ちあっているのは、偉大な魂の再来が挙げる結婚式です。霊性時
代のはじまりを告げる式に私たちは臨んでいるのです」
 そんなことを私は緊張しながらスピーチした。
 シンセサイザーやレーザー光線を駆使した“御生誕祭”をご存じの方は、さぞか
しハデハデしい演出が施されていただろうと想像するかもしれないが、結婚式とし
てはむしろ質素で、新しい時代に向かって運動を起こしていこうとする人々の集い
に相応しい張り詰めた空気が漂っていた。
 型通りに一通りの式がすむと、30分ほど大川の演説があった。物の時代はすで
に終わった、これからは心の時代である。そんな話だったように記憶する。
 結婚式の後、恭子はすぐに主宰補佐に任じられた。


43 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 16:07
「虚業教団」43 (第2章−19)
 中原と私の結婚式のほうは2ヵ月後の6月26日に、大川夫妻の媒酌によって、
やはり同じ杉並会館でおこなわれた。
 複雑な気持ちで中原と夫婦の誓いをした。ただ一つの救いは、中原の両親がとて
も喜んでくれたことである。私は前々から彼女の父親と親しく、ゴルフの趣味も一
致していたから一緒にフェアウェイをまわり、ゴルフ談義によく花を咲かせたりし
ていた。ご両親にしてみれば40を過ぎて、一生独身かと思っていた娘が、突然結
婚すると言いだしたのだから、その喜びはひとしおだっただろう。
 このお父さんのことでは、大川が一つの予言をしていた。
「中原さんのお父さんの寿命はもうほとんどない。6月いっぱいもてばいいほうだ。
生きているうちに、娘の花嫁姿を見せてあげなさい」
 それを聞いていたから、私たちは大いにアセッた。中原の父親は、20年前に直
腸ガンで死を宣告されたこともある。奇跡的に回復したが、そういう過去が大川の
予言に真実味を与えていた。どうにかして6月中に式を挙げなければ、と私たちは
思った。中原も最後の親孝行のつもりだったろう。
 ところが、この予言は見事に外れた。5年後の今もピンピンしていて、
毎年100日以上もフェアウェイに出る。これは、いったいどうしたことか。
しかし会の中では、あのときの予言に触れようとする者は一人もなかった。
 稀に外れた予言なら話題にもなる。しかしことごとく外れては、話のタネにもな
らないということなのかもしれない

44 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 16:08
「虚業教団」44 (第2章−20) 
ところが困ったことに、大川はことのほか予言が好きだった。何かあると、あいつ
はどうなる、あれはこんな結果になると口にした。その予言が全滅に近い。よく当
たったのは経済的な動向だったが、元商社マンの彼にはお手の物だったろう。
 にもかかわらず、大川自身は自分の予言能力を信じきっているフシがあった。
 後に、GLAとのあいだでトラブルが生じたときもそうだった。大川は、GLA
を率いる高橋佳子が間もなく死ぬと予言した。ケンカ相手の死を予言する幼稚さは、
まあ措くとしよう。それだけなら一種のイヤミと解釈できる。しかし彼は、佳子の
死を本気で信じ、密かに心待ちしていた。大川に命じられ、新聞の訃報欄に毎日目
を通すのが、その頃の私の仕事だったのである。
 ところで、中原と私の結婚生活はどのようなものだったろうか。
 それはまことに奇妙な夫婦だった。私たちは、車庫付きの豪勢なメゾネットタイ
プの新居に入った。大川夫妻の住まいより立派なのが気が引けたぐらいの豪華さだ
った。断るまでもないと思うが、これは会から提供されたものではもちろんない。
 そのメゾネットの1階と2階に別れて、私たちは生活した。最初に私が予感した
通り、セックスのない兄妹のような夫婦生活。一度もベッドを共にすることなく、
それに不満も、不自然さも感じなかった。不自然なのは、そういう二人の関係では
なく、無理やりつくられた夫婦という形だった。
 ただ一度だけ、これも大川の「いよいよ関谷さんのところに赤ちゃんが生まれる」
という予言で、子どもを産もうかと中原と相談したことがある。しかしさすがの主
宰も、生涯を懸けた中原の生き方までは崩すことができなかった。
 もっとも私たちには、普通の夫婦が持つような家庭的時間は、まったくと言って
いいほどなかった。会の仕事に追われ、食事も家でした記憶はあまりない。夜は夜
で、会員のレポート採点が待っている。〈幸福の科学〉が私たちの生活のすべてだ
ったのである。


45 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 16:09
「虚業教団」45 (第2章−21)
○ 「神託結婚は大川隆法の『霊的現象』?」

 真実の教えは、「理証」「文証」「現証」の三つの証をそなえていると言われる。
 「理証」とは、 Vッカリと筋が通り、論理的に人を納得させ得る教えであること。
実際に体験してみなければ宗教はわからないという人もいるが、真の教えは決して
そういうものではない。
 「文証」とは、その教えが仏典や、先人の言葉に根拠を置くものでなければなら
ない、ということ。独りよがりの教えは、仮にそれがどんなに素晴らしくても、真
理ではあり得ない。
 三つ目の「現証」とは、現実を変える力があること。たとえばキリストは、足萎
えを立ち上がらせ、盲人の目を開かせた。通俗的な言い方をしたら、奇跡とか霊的
現象ということになるだろう。
 この三つは「三証」といい、真実の教えには必然的にそなわるものである。
 大川隆法の〈幸福の科学〉には、この三つがそなわっていただろうか。
 東大卒という経歴を持つ大川の教えには、きっちりとした論理が確かに存在
していた。また、本の虫だったという彼の言葉には、仏典や聖書、先人の教えがき
ら星のごとくちりばめられている。「理証」も「文証」も問題はなさそうだ。私は
もちろん多くの会員が、この二つに引かれて、会に入ってくるのである。
 では、三番目の「現証」はどうか。
 すでにお話しした通り、大川の予言はことごとく外れている。どうやら、予知・
予言に関する「現証」はないらしい。では、キリストのように悪霊を払って病気を
治したか。その的確なアドバイスで悩める人を救ったか。3年半のあいだ身近に接
していた私は、これにも「否」というしかない。
 これに関して、大川はいつもこう言っていた。
 「いくらでもできるけど、来る人が病人ばかりになったら困るからやらないんで
すよ」そう、〈幸福の科学〉はご利益信仰の新興宗教とはそもそも違うのだ。神理
探究の場であるから、病気治しなど必要ない。しかし、もしそれができるなら、
なぜ兄の富山誠に憑いた悪霊を追い払わないのだろう。


46 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 16:10
「虚業教団」46 (第2章−22)
富山に悪霊が憑依していることは、すでに最初の霊言集である「日蓮聖人の霊言」
にも書かれている。その兄が若くして脳溢血で倒れ、今も廃人同様というのに、
なぜ放っておくのか。まさか、子ども時代に比較され、惨めな思いをしたという
兄に対する恨みがあるわけではないだろう。
 病気消しをしてほしいのではない。もし大川に人を救う力があるなら、身近にい
る家族に、仲間に、会員に、手を差し延べてほしいと思うのである。
 大川は、一般会員とはほとんど接しなかった。普通の人間でもするような個人的
アドバイスさえ聞いたことがない。「自分で解決できないのか」のひと言で切られ
てしまう。
 そのことは、『日蓮聖人霊示集』を読んでみるとよくわかる。大川のもとに寄せ
られた悩みに答えを与えるという体裁をとりながら、「誰々の寿命はあと何ヵ月」
とか「こんな恐ろしい未来が待っている」という、当たらない予言を連発しながら、
相読者を脅しにかかっているだけ。救いをもたらすようなアドバイスはどこにも見
つからない。
 天上界の構造や先人の教えには通じていたが、大川主宰は人の心、人生の喜びや
悲しみを理解しようとはしなかった。私にはそんなふうに思える。
 GLAの高橋信次は、初対面の相手でもその経歴をたちどころに当 トたという。
しかし、大川にそんな芸当はできない。ソ連の崩壊や円高は、元商社マンとしての
知識で予見できても、人生経験の乏しいこの青年には、ひと目で相手の素性を見抜
いたり、的確なアドバイスをする能力は欠けていたのである。


47 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 16:11
「虚業教団」47 (第2章−23) 
 しかし大川は、自分にはすでに“六大神通力”が与えられていると公言していた。
私たち会員もそれを信じきっていた。それも、じつに素直に信じていた。証拠とい
えば、大川自身の言葉しかなかったにもかかわらず、である。
 ずっと後のことだが、幹部の一人と昼食をとりながら、雑談の中で大川に対する
批判めいた言葉を交わしたことがあった。その頃になると、古くからの会員は多か
れ少なかれ疑念を持ち始めていた。食事を終え、本部へ帰ろうとしたとき、その幹
部が心配そうに私を見ながら怯えた声でこう言った。
 「今の話はみんな、大川先生にツツ抜けじゃないか。大丈夫かな」
 思わず рフ声は高くなった。
 「ゼーンゼン。聞こえてなんかいないよ。何もわかりはしないんだから」
 大川隆法は、私の知るかぎり奇跡はおろか霊的現象すら一度もあらわさなかった。
このことは彼自身が、一番よく知っていたと思う。頭脳明晰な大川のことだから、
奇跡を起こせない霊能力者であるという、痛切な自覚があったに違いない。
 そこで彼は、「これほど多くの本を次々と出せるということが奇跡なのだ」と言
っていた。わずか3年ほどのあいだに100冊以上の本をあらわすのは、それを奇
跡と呼ぶべきかどうかは別として、確かに並の人間ワザではない。
 本の出版のほかにもう一つ、大川が奇跡、霊的現象と呼んでいたものがあった。
それが神託結婚である。
 「天上界の指示で会員が思わぬ人と結婚していく。これこそ霊的現象にほかなら
ない」その頃は、公の席でもそのような発言をしていた。言い換えれば、霊的現象
をあらわせなかった主宰先生は、神託結婚に「現証」を求めたのである。


48 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 16:12
「虚業教団」48 (第2章−24)
 そうした「現証」をいくつか紹介してみよう。
・飯田隆夫と菅田まゆみの場合
 青年部の講師だった飯田隆夫には10年来の恋人がいた。たぶん2人の仲がうま
くいっていなかったのだろう。大川に相談すると、同じ青年部の菅田まゆみと結婚
せよ、という神託が下った。以前の恋人からのイヤガラセもあり、菅田はかなり悩
んだようだが、最終的には結婚に至った。現在は2人とも会を退めているが、皮肉
なことに、私の知るところでは今まで続いている唯一の神託結婚カップルである。
・岡本春子の場合
 関西在住の会員・岡本春子に示された神託結婚の相手は大阪支部長だった。彼女
が資産家のお嬢さんだったことを考えると、私の場合と同様、そこにも何かの計算
があったことを疑いたくなる。まことに悲しい私の性である。彼女は結婚を拒否し
て脱会した。
・河本裕子と石田尚路の場合
 婚約していた河本裕子と石田尚路は、神示によって別れている。河本の霊は、石
田の霊より格が高く、格の低い霊との結婚を悲しんでいる、とい 、のがその理由だ
った。
・阿南浩行と佐藤真知子の場合
 佐藤真知子との神託結婚を拒んだ阿南浩行は、大川の信頼を裏切ったとして断罪
され、追放同様に退会していった。これは“阿南事件”として会を揺るがす大騒動
に発展したが、詳細は後に述べることにしよう。
 このような悲喜劇を見ながら、私たちはまだ大川隆法を絶対と信じつづけていた。
 いや、絶対と信じ込もうとしていた。疑いを押し殺し、無理やり信じていた。自
分自身の心を正直に見つめる勇気を、私たちは欠いていたのである。
-

49 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/02/03(日) 16:14
「虚業教団」49 (第2章−25)
 自分の心をもっとよく見つめるべきであったと思う。本源の神は、教祖に降りる
のではなく、私たちの心にこそ宿っている。心の奥にある神に匹敵する人間など、
たとえ聖人だろうと霊能力者だろうと、断じていないことを、この際ハッキリさせ
ておこう。
 冷静になって聞けば、“神託結婚”など誰でもおかしいと思うだろう。そのおか
しさの結果が、ここに挙げた悲喜劇である。しかし私たちはみんな、自分の自由意
志で勝手には動けないと感じていた。
 「これだけの本が頭で書けると思うか!私を信じない人がいたら、それは天上界
すべてを否定したことになるのだ」
 誰もかれも自分の“浅はかな思い”を否定し、大川の方針に従って進んだ。自分
の心を見ないで、大川の言う天上界を見ていたのである。真理は、我々の心の中に
こそあるというのに。
 疑いに苦しんだ者は、さらに忠実な信者となって励んだ。雨降って地固まるよう
に、会は急速に発展していった。



戻る HOME 次へ