Yahoo! 幸福の科学の教えについて<2> 0051-0100

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51件目   ふかい   投稿者:DRAGONROAD999   2000年10月06日 午前 0時41分

なーんだ。安心しました。(2CHに出ていたんですね。)

[腐海=不快?]
 幸福の科学に限らず、新興宗教団体がこのようになってしまう理由は、私はある意味「風の谷のナウシカ」の”腐海”に例えることができると思います。
 腐海は、綺麗な自然を破壊して、どんどん増殖しています。しかし、ナウシカの持つ地下室では、腐海の植物も毒気を発せず、マスクなしでも観賞することができます。
 場所が変わって、腐海の中。ナウシカと男の子(名前忘れた)は、腐海に入り、さらにその底なし沼のような所に落ちてしまいます・・・。するとそこでは、腐海の植物の結晶が、綺麗な砂となって堆積していました。つまり、腐海とは、核戦争(だったかな?)によって汚染されてしまった自然を、健全な状態に戻す浄化装置のようなものだったのです・・・。
 私の考えでは、腐海= @教団体、腐海の植物・蟲=信者、結晶=元信者 の様に見えます。(王蟲(オウム)なんか、正にそうですね)
 つまり、宗教に毒が出てくるのは、「宗教が、社会にある矛盾が一挙に凝縮して出てくる地点、空間であるから」、と思っています。それは、学校なども同じだと思います。宗教、学校などは、”無意識”、”子供”に対応するかな。
 この考えによると、いくら宗教団体を潰したところで、社会に矛盾が存在しつづける限り、また新たな出口、団体を探して毒が噴出してくる、ということになります。

[むし、虫、蟲、無視、無私、無死・・・]
 さて、対処法ですが、これもアニメが参考になります。当然、トルメキア(だか)のように、巨神兵を使って、腐海を焼き払おうとすれば、結果は見えています。
 ナウシカは、思い出の中で、王蟲の子供を区別せず、かばおうとしますが、大人は「蟲にとり憑かれている」と、蟲を取り上げようとします・・・。
 まあ、ナウシカみたいに、蟲の中に飛び降りろ、とは言いませんが、少なくとも、蟲を”敵”と見ている間は、どうどうめぐりが続く・・・、と私は見ています。
(これは pucchinpudding さんのメッセージ50に対する返信です)


52件目   ロンパー・ルーム の時間だよん   投稿者:DRAGONROAD999   2000年10月06日 午前 0時48分

>そこで思ったのは、絶対に「論破」をしてはいけない、という事です。
ただ、矛盾点をあげても、彼の心には届かないだろうと思うのです。
でも知識がなければお話にならないので、とにかくあちこち読んでいます。

 私もこの意見には、”大賛成”です。批判意見もとても勉強になり、いままで知らなかった幸福の科学の一面を知ることができ、とても感謝しています。
 しかし、論破を目的としているのであれば、ただ単にディベートのようになってしまい、”勝ち負け”の争いになってしまいます。

[きょうちょう だじょ!]
 これは、船井氏なども言っていることですが、私は、この”勝ち負け”つまり競争のマイナス点が、今どっと出てきているのだと思っています。
 自然界であれば、競争の敗者は食われてしまい、この世には残りません。人間界もつい百年(60年?)ほど前までであれば、敗者は殺されるか、奴隷にされるかで、かたがついてきました。また領土も殆ど勝者の思い通りにすることができました。
 しかし現代社会では、敗者であっても一市民として、それなりの生活を送れるようになってきています。ロシアが経済的に破綻したからと言って、「じゃあ、土地を取り上げて、他の国の植民地にしよう」、という訳にはいかなくなっています。
 このような時代では、他人の不幸が、遅からず自分に帰ってくる、ということになります。つまり、助け合いをしなければならないのです。

 じゃあ、真の助け合いとは・・・? この辺は、まだ考え中。
(これは pucchinpudding さんのメッセージ50に対する返信です)


53件目   NIGHT HEAD   投稿者:DRAGONROAD999   2000年10月06日 午前 1時50分

>とても気になったのが、彼は幸福の科学の何処に心を惹かれたのか、そして何を求めているかという事でした。

[あ、クマさんだぁ〜!]
 これは、例えるとするならば、「初めて見たものを親だと思ってしまう、アヒルの子」と言う感じですね。目が開いた瞬間、それが風船だろうと、クマさんであろうと、「自分の親」として認識してしまう・・・。風船であろうが、クマさんであろうが、その後ろを、何処まででも憑いていってしまう。

[おっは〜!]
 この「目が開く瞬間」、これは「真理を知った(と思った)瞬間」なのかも知れません。今まで眠っていた脳のある部分が目を醒ます。しかしそれは重要な時間であると同時に、”最も危険な時間”でもある。
 「サナギが蝶になる瞬間」とも例えることができるかも知れませんね。わくわくする瞬間であると同時に、他の捕植物に襲われるかも知れない一瞬・・・。
 もしかしたら、この”一瞬”で、勝負が決まってしまうのかも知れません・・・。
(これは pucchinpudding さんのメッセージ50に対する返信です)


54件目   ほっ........   投稿者:pucchinpudding(女性/関東地方)   2000年10月06日 午後 1時42分

ほっといたしました。
だって私が発言してからどなたも反応がないので、「変な事言っちゃったのかしら」なんて気にしておりました。
良かった。

さて、実はですね。
私にも苦い経験と言うのがございまして。
20才くらいの事です。
当時、統一教会にはまっていたり、自己啓発セミナーでちょっと異様な程の高揚感に浸っていたりという友人が3人おりました。

やはり私はおせっかいにもその友人達と何度か会って話をしたり致しました。
でもその時に私のした事はなに物でもない「論破」でした。
そのために本を読んだり致しましたが、結局のところそれは私自身の優越感を持つためのものだったように思います。

結果、2人の友人はそのまま疎遠になってしまいました。
1人はやめましたが。
と言ってもそれが私だけの意見によるものでもないでしょうし。

それからは政治、宗教に関しては当たらず触らずになりました。(実は思想関係でもそれをやりまして、痛い目を見ています。ははは..。)

でもそうですね。
今回私に火が付いたのは、「暇だから」かしら?(苦笑)

子供が産まれるまでは仕事に夢中でしたし、それ意外にも合唱団などでピアノを弾いたり比較的中心の活動をしていました。
非常に活動的、外交的な性格ですし。

それでも今2歳と3歳 フ幼子を抱えて、私はそれらをしたくありませんでした。
勿論葛藤はたくさんありましたが、最終的に私の選んだのは「私の時間の大部分は子供につかう」というものでした。
だからといって私は自分が子供の犠牲になるつもりはさらさらありません。
自分勝手な性格ですし。

という事で毎日をたれパンダのように子供と遊んでいます。
...だからでしょう、きっと。
「あーんっ私も何かしたいっ社会に参加したいっ色々な人たちと関わりたいっ」
と思っていたところへの恰好の「餌」(??)でした。(こらこらこらこら)

おかげさまで充実した生活です。
主人にも「おまえ、幸福の科学にはまってるよな、別の意味で」と言われております。

すみません、なんだか調子に乗って私事ばかりをつらつらと申し上げてしまいました。
でもこのように過ごせる時間もいつまでも続く訳ではないので、真剣に楽しむつもりです。

失礼致しました。
                   ぷりん
(これは DRAGONROAD999 さんのメッセージ53に対する返信です)


55件目   さいだん   投稿者:DRAGONROAD999   2000年10月08日 午前 1時44分

[し〜ん]
 ぷりんさん、こんばんは。
>だって私が発言してからどなたも反応がないので、「変な事言っちゃったのかしら」なんて気にしておりました。良かった。
→いやー、なんか静かになっちゃいましたね(って、静かにしちゃったのかな?)。私の場合、幸福の科学Q&Aの方に既にかなり意見を投稿してしまい、また仕事+家事労働もしなかればならないため、今後もけっこう投稿に間隔があいてしまう、と思います。

[両極端]
 また、幸福の科学関係サイトを見ていると、”中立者が非常に少ない”、という印象を受けます。賞賛派か、憎悪派に分かれている、という感じです。
 このようになってしまう例は、他の所にも見受けられます。例えば、@中国、韓国における日本人への感情。私は韓国の人と何回か話をする機会があったのですが、過去の非植民地体験、反日教育などによって、「日本憎し」という感情がまず入っている。その後、日本の大衆文化の流入によって(かなり規制されてきたが)、日本に対する憧れのようなものが生まれる。
 逆に、うちの親なんかもそうなのですが、支配者側にいたことのある人間(年配の日本人)は、朝鮮、中国に対する差別感情が抜けきれない。これは、石原知事の”支那”発言、森首相の”神の国”発言となって現れます。
 また、ゾマホンなどアフリカ人のフランスに対する感情についても同様のことが言えます。
 他には、A例えば日本における英語。英語が喋れることに憧れ、英会話教室に通う人。その反対に大の英語ギライになってしまった人・・・。

[刃]
 私は、このように、賛成派、反対派に分かれてしまう原因は、「裁く」ということにあると思っています。@過去日本は朝鮮、台湾、満州などを植民地にし、その民衆を被支配者として”裁いて”きました。
 また、A今の学校教育により、英語教育も、本来の英語力習得という目的より、「英語により子供たちを選別する」という目的に使用されています。
 この”さばく”という行為は、「魚をさばく」という行為で魚が3枚の切り身に分かれるように、裁かれたものを真っ二つに(またはそれ以上に)分けてしまいます。片一方は”憧憬派”、片一方は”憎悪派”。
 ”刃によって、派に分かれる”、ということでしょうか?

[NIGHT HEAD]
 いったんこのように”さばかれて”しまうと、元の中立状態に戻るのは非常に困難であると思われます。というのは、顕在意識上で中立になった、と思っていても、潜在意識、または無意識状態にこの情報がインプットされており、ちょっとの感情によりこの情報が増幅されて出現するからです。いわゆる”トラウマ”というやつです。私は、この辺りが宗教系のトピの荒れる原因ではないか、と思っています。(この辺は、幸福の科学Q&A[473]に、皆さんの投稿を元にまとめてみました。もし良かったら読んで見てください。また、感想でも聞かせてください。)

※・・・かなり推測部分が入っています。もし間違っていたら、御免なさい。  >みなさん。

>とても大切な友人であるし、まさかこの人が、と思うような人だったのでとても驚きました。
→具体的に、どのような人だったのでしょうか?(今まで他の宗教をやっていた、とか、根っからの無神論者だった、とか) もし差し支えなかったら、教えていただきたいです。
(これは pucchinpudding さんのメッセージ54に対する返信です)


56件目   それはそうですが   投稿者:ixtlan   2000年10月08日 午前 2時29分

>私は、このように、賛成派、反対派に分かれてしまう原因は、「裁く」ということにあると思っています。

ここで止まるわけにはいきませんねぇ。「韓国を端女にする」だっけ、それとも中国だっけ、大川はこんなことを言ったそうではありませんか。こういう教祖の言葉を「聞かなかったことにしよう」というのでしょう?信者は。言説に対するシビアな感覚を「教祖の人格の統一」が破壊してしまう例ですね。なぜかと考えるに、ある部分に疑わしいことがあると心理的に不安定になって、その不安定を耐えることができないからだと思うのですが、どうでしょうか。
(これは DRAGONROAD999 さんのメッセージ55に対する返信です)


57件目   ループ   投稿者:DRAGONROAD999   2000年10月08日 午後 2時07分

 全くその通りです。”言説に対するシビアな感覚が破壊されている”んですね、たぶん。
 このような場合、潜在意識、または無意識領域で拒否されるような議論を行うと、まさに”シビアな感覚”が破壊されている為、まともな議論にならないと思います。

 幸福の科学Q&A[615]で、A@ahokusaiさんに紹介していただいたサイトですが、
>●心のケア(カウンセリングとリハビリテーション)
>マインド・コントロール研究所所長パスカル・ズィヴィ氏のHP。
>破壊的カルトから脱会した人、脱会したい人からの相談を受けています。
 http://www2.ocn.ne.jp/~mind123c/
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3:救出カウンセリングの時に大切なこと
1:本人に対する非難をしてはいけない。
2:本人の破壊的カルトに対する非難をしてはいけない(教祖、組織、教え)
(1、2、本人の信仰を尊重しないで気持ちを傷つけるような配慮のない批判 をすれば本人は完全にこころを閉ざしてしまいます。)
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※・・・もし、救出カウンセリングをするの ナあれば、まず、大川君に怒られない話題で信者の心を開き、それから徐々に本題に入っていく。このような配慮が必要なのではないかと、私は思っています。(いろいろな人の意見をHPで聞いて)
(これは ixtlan さんのメッセージ56に対する返信です)


58件目   まずもって   投稿者:ixtlan   2000年10月09日 午前 1時12分

信者は教祖と一体となってしまっているので、教祖の悪口は即自分への悪口に聞こえるものと見えます。「人格的統一」とはそういう面も含むように思います。ですから全体主義に流れやすい。
 口ではいくらごまかし、ソフト路線をとっても、たとえば「神との対話」信者に見られるように、この手のものが全体主義指向になっていくのは明らか。


>3:救出カウンセリングの時に大切なこと
>1:本人に対する非難をしてはいけない。
>2:本人の破壊的カルトに対する非難をしてはいけない(教祖、組織、教え)

 なるほど。しかしこういう「操作的」態度に対しては信者は逆に怒り狂わないのだろうか?もっと正面切って闘争すべきだとも思うが、専門実践的「救済」にとってはそうなんでしょうかね。
(これは DRAGONROAD999 さんのメッセージ57に対する返信です)


59件目   こんにちわ   投稿者:pucchinpudding(女性/関東地方)   2000年10月09日 午前 9時53分

> なるほど。しかしこういう「操作的」態度に対しては信者は逆に怒り狂わないのだろうか?

今勉強中の身ですが、この時相手に「操作的」と思わせてしまってはダメでしょうね。
心を寄り添わせる事が大事だと思います。
ですからカウンセリングにおいては人格、知識、経験がとても問われます。

>もっと正面切って闘争すべきだとも思うが、専門実践的「救済」にとってはそうなんでしょうかね。

例えば「佐倉哲ホームページ」の中でなさっているような論争、あちこちである泥の投げあいではない論争とはもうすでに意味も役割も違うと思います。
論争はお互いが真剣にぶつかり、その中で高めあっていく側面が強いと思います。その意味ではある程度同等である事が求められるかもしれません。

しかしカウンセリングでは心のケアが一番の目的となります。
従って闘争そのものが意味をなしません。

横槍で失礼致しました。
                 ぷりん
(これは ixtlan さんのメッセージ58に対する返信です)


60件目   考え込んでしまいました   投稿者:pucchinpudding(女性/関東地方)   2000年10月10日 午後 8時30分

「幸福の科学Q&A」の掲示板は、まだ興味を持ち始めた時に見て、全然意味が分らず、読み飛ばしていました。
こおもりさんにおっしゃっていただき読んでるところです。
せっかく読むならと思い最初から読んでいます。たくさんありますね。
「473」まだきちんと読んでいませんが、大変そう、と思ってしまいました。
すみません、お時間を下さい。
それにしても雰囲気が全然違いますね。
私なんかはそちらに行った方が良いでしょうか。こちらだと浮いちゃっているみたいだし......。(しくしくしく..)
みなさーん、出てきてぇ....。
信者さんにもお話していただきたいのに.....。もっと分りたいのです。本当に。

>具体的に、どのような人だったのでしょうか?(今まで他の宗教をやっていた、とか、根っからの無神論者だった、とか) もし差し支えなかったら、教えていただきたいです。

考え込んでしまいました。
そこまで深く関わっていなかったからです。と申し上げると、よくない印象になってしまいすが。

私が合唱団に所属している時でした。
当時私は青年部の指揮、指導をしていました。その時に出会ったのは今回本を送ってきてくれた友人の彼女でした。

音楽を一緒に作っていると人柄がよく出ます。明るく、思慮深く、常に前を向いて、一生懸命ぶつかっている女性でした。
私はすぐに大好きになってしまいました。そして彼女も私を慕ってくれました。そのすぐあと位に彼とも出会い、わずかな時期一緒に音楽を作っていました。
わずかな時期、と言うのは、そのあとすぐに「劇団四季」に受かり地方公演が重なり会えなくなってしまったからです。
体を壊してしまい、最近やめてしまいましたが、今では2人は結婚し、舞台役者として全国の小学校を公演しています。

彼の方は穏やかで優しく、でも力強い人でし ス。
私の主人に似ていたので、あまり関わらずとも判断してしまっているのでしょう。
あとは私自身感性が強く、それで判断してしまったのだと思います。

....今回手紙をもらったのは彼でしたが、その後の連絡で奥さんも幸福の科学に入っているとのことでした。
....多分そうだろうと思っていましたが、やはりショックでした。

今のところ2人はとても喜んでいます。
私と話す事を。
多分近いうちに会うでしょう。
もう早く会いたい気分です。でもやはり、不安も強くあります。

私ってどの程度の人間なのでしょう。
そのような事をしても大丈夫なのかしら。本当はする必要のない事をしているのではないかしら。
物事をきちんと深く知らないのに、結局付け焼き刃で対応しようといているだけなのかしら。

くすん。なんだか落ち込んできちゃった。
                                      ぷりん
(これは DRAGONROAD999 さんのメッセージ55に対する返信です)


61件目   「私は、”これ” ナ、辞めました」   投稿者:DRAGONROAD999   2000年10月11日 午前 1時55分

 ぷりんさん、こんばんは。昨日もYAHOOに投稿しようとしましたが、なぜか投稿の段階ではねられてしまい、投稿できませんでした。
>私ってどの程度の人間なのでしょう。
そのような事をしても大丈夫なのかしら。本当はする必要のない事をしているのではないかしら。
物事をきちんと深く知らないのに、結局付け焼き刃で対応しようといているだけなのかしら。

[株] 
宗教を、”お金”という観点で考える場合、「株」に置き換えてみるというのはどうでしょうか?
(実際、私は株で百万円単位の損をしたことがあります・・・。要は、宗教以外でもいくらでも損はするということ。)
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 冷静な判断力が働いている時は、「そんな馬鹿な・・・」と思うのですが、そこまでのめり込む人も実際にいます。それほど株はおもしろいものです。
 しかし、これでは家族もたまったものではありません。何のための株式投資かということを考える時、やはり自分の限度を決めておく方が賢明でしょう。
 そこで次のような目安を用いてみました。
1.買った株が買値を下回り、売ると損するという場合でも、「まあ、しょうがない、上がるまで待つか」と気長に待てるだけの金額で株とつき合う
2.借金、信用取引は基本的にやらない
3.親、兄弟に株の資金を借りない
4.買う前に自分の買った株が半値になったらどうするかと考えてみて、困らないようだったら買う
5.自分の買った株が下落した時に買い増しできる資金は残しておく
6.病気になったり、仕事ができなくなっても困らないだけの現金は残しておく
7.世の中に絶対大丈夫ということはない、ということがわかっている
そんな範囲の金額で株とつき合いたいものです。(株 入門の入門 木村佳子 アスカ P80〜81)
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
 ”株”という未知の世界に飛び込む時、何が起こるのか、素人には想像もつきません。そんな右も左も分からない株初心者に、「これだけは守って欲しい」と言っている部分です。この意図は、「最低でもこれだけ守っておけば、失敗したとしても何とかやり直せることができる」、というもののようです。
 この”株”の部分を”宗教”に置き換えて読んでみるといいのではないでしょうか。
(完全には置き換えられないけど)

[人生は一冊の問題集]
 幸福の科学の言葉に「人生は一冊の問題集」というものがあります。要は、その問題を”誰が”解くのか? ということです。他人の問題を自分が解いてあげることはできないと思います。
 ただ、私は何回か家庭教師をしたことがあるのですが、そのような”サポート”のようなことはできると思います(記述式問題を、選択式問題にしてあげるとか)。私の感覚では、普通の人で「自力80%、他力20%」くらいなのではないか、と思っています。

[アンケート]
2000年10月6日、8日、幸福の科学Q&AのTAKASHIさんの意見が、かなり説得力があると思います。
>宗教信者は、
「とにかく償いしたい!」という謝罪精神が強いらしい。(何に対する償いかはハテナ)
それだけ良心が、働いてるみたい。(または、苦しみから逃れたい?)
この場合、無理をしてしまう。
その結果、自分を失ってしまう。
→例えば、株に例えるならば、「自分で最初にどれだけの額を株に賭けられるか決めておき、それ以上は絶対につぎ込まない、ということ。(この辺は、株以外でも、何かの体験に置き換えられないか、考えてみるといいでしょうね。)

[アドバイス]
 他人にアドバイスをする場合でも、私は、「最大でも他人の20%くらいの関与」しかできないし、してはいけない、と思っています。
 また、自分が他人の手助け(?)をする場合、あくまでも「自分のできる範囲で」という鉄則を守る必要があると思います。
 例えば、水難救助を思い浮かべて欲しいのですが、当然助けられる人には限度があると思います。助けようとして、自分まで溺れてしまったら元も子もありません。聖人ならともかく、一般人であるなら、この「自分のできる範囲で」ということを守るべきであると思います。
 あらかじめ、「自分はどの程度のことができて、どの程度までの時間、労力がさけるのか」というのを考えておいた方が良いのではないでしょうか?
(これは pucchinpudding さんのメッセージ60に対する返信です)


62件目   ば〜 ソある?   投稿者:DRAGONROAD999   2000年10月11日 午前 2時33分

>みなさーん、出てきてぇ....。
信者さんにもお話していただきたいのに.....。もっと分りたいのです。本当に。
→これも幸福の科学の言葉だと思いますが、「波長同調の法則」が働いている、と思います。私は、インターネットというのは、かなり「霊界」に近いと思っています。(幸福の科学などでの、霊界の特徴を思い浮かべると・・・)
 その一つが「波長同調の法則」です。
 つまり、中立の立場の人が発言していると、それ以外の人(賛成派、反対派)は、なかなか話しづらくなってしまうのです。
 そういう意味では、「バーチャル霊界」とも言えるし、「霊界に行く前の予行練習」とでも言えるのではないでしょうか?(どっちがバーチャルなんだよ?)(~~;

>それにしても雰囲気が全然違いますね。
私なんかはそちらに行った方が良いでしょうか。こちらだと浮いちゃっているみたいだし......。(しくしくしく..)
→一回、「幸福の科学Q&A」にも出てきてみてはいかがでしょうか? 私もインターネットデビュー(?)してから日が浅いので、大きなことは言えま ケんが(既に言ってる?)、いろいろなHPに出てみて、自分に合った所を中心に活動した方が楽だと思いますよ。
(これは pucchinpudding さんのメッセージ60に対する返信です)


63件目   ぷりんさんへ   投稿者:yukisan_kokodoko   2000年10月11日 午前 8時23分

謹慎中ですがちょっと出てきました。

幸福の科学を信じるようになる要因という物は
人それぞれであって一様ではありません。
そしてその違いにより対処法も大きく変わると
思います。聞き役に徹するのが良いケースもあれば
(以外にも)論破が功を奏するケースもあります。

「幸福の科学を信じてしまった理由」により、
その様に対処法が違うでしょうから先ず最初に
やることは、取り敢えず相手の話を聞いて
その友人が「幸福の科学を信じてしまった理由」
が何なのかを発見することなのではないでしょうか。

ちなみに私の感想としては、以下のような理由で
入信した方が多かったようです。

@悩みがあったケース
 病気・結婚できない・事業の失敗、そう言う悩みを
 解決するために或いは逃避するために入信する方が
 多かったようです。

A今までとは違う価値観を獲得したかったケース
 学生に多かったのですが、両親の価値観と全く
 異なる価値観が欲しかった。そこに偶々幸福の科学が
 あったから傾倒してしまった。

B普遍の真理や心の法則に興味があったケース
 純粋に法を求めて入ってくるケースです。
 自分の心を高め人格を向上させる何かを探している
 時に偶々幸福の科学と出会ってしまった。

C無私の精神の活動をしたかったケース
 ボランティアでも何でもいいから無私の活動を
 したい。そう言う気持ちで入ってくる方も
 (特に学生を中心に)大勢いました。
 ただこれらの方は、会の思想と行動の矛盾に
 いち早く気づき、脱会者も大量に出ました。

D単なる霊好き・UFO好き・予言好きのケース
 これも非常に多かったです。ただ幸福の科学では
 霊や予言やUFOに興味を持つ人を「裏側の心境」
 として差別していますので、これらの人も表面的には
 そのような物に興味がない振りをしています。
 他人だけでなく自分自身の心にも嘘をついている
 ようです。ただその本質は「オカルト大好き人間」です。

E宗教遍歴を繰り返しているケース

F一発逆転型人生を求めているケース
 これも多かったようです。今の秩序(スタンダード)では
 成功者の中に入れなかった人、例えば学歴もない資格もない
 技術もない特技もない、それ故に立身出世が出来ない人が
 幸福の科学が次世代の(立身出世のための)スタンダード
 になることを賭けて、一発逆転ホームランを望むかのように
 今の生活を否定しここにのめり込んできたケース。
 こういう人は途中で幸福の科学のおかしさに気が付いても
 それまでに失ったものが大きすぎて引き返すことは困難です。

G政治的な考えに共感したケース
 右派と言っては失礼かも知れませんが、幸福の科学の独特の
 政治思想に引かれる人もいたようです。
 民主主義の否定・強い日本の肯定・女性の社会進出反対
 こういう独特な考えですね。おもしろいのは幸福の科学の
 会員には「渡部昇一」さんと「小林よしのり」さんの本を
 読むのが好きな方が多いことですね。

Hマイナー志向(人がやらないことをやりたがる)のケース
 実はこれが非常に多いと思います。
 とにかく「人と同じ事をするのは嫌い」
 人と同じ事をすることは何か自分という人間の価値を下げて
 しまうように錯覚するわけです。逆に人と違うことをやっていると
 「なんて自分は特殊な人間なんだ」「自分は特別だ」という
 確固たる自分の存在感を確認できるわけです。
 だから新興宗教という人が忌み嫌うものをやることで
 自分の存在感を確認でき満足するというケースもあります。

まあ字数の制限でこれ以上は書けませんがまだあると思います。
これらのうち1つだけが要因ということは少ないでしょう。
いくつかが複合要因となって「幸福の科学」に心が奪われて
しまうのでしょう。

脱会まで導くというのは何年もの長い歳月が
かかることで直接的には難しいと思いますが、何らかの
きっかけを与えること位は可能だと思います。
今すぐにはその「きっかけ」は生きなくても、将来彼らが
幸福の科学に少しでも疑問を感じたときに、その「きっかけ」
が大きく生きてくる事があるのです。

そう言う意味でも先ず現状把握ということで
「幸福の科学を信じてしまった理由」を探り出すこと
あたりからやるのがいいかも知れませんね。

(私の独断と偏見で言うと、演劇系の方はHが多い)

それでは謹慎中の身分ですので、またROMに戻ります。
(これは pucchinpudding さんのメッセージ60に対する返信です)


64件目   感涙...   投稿者:pucchinpudding(女性/関東地方)   2000年10月11日 午前 9時59分

こおもりさん、yukisan-kokodokoさん、ありがとうございました。
お二人の言葉が胸に染みます。
じーーーん....。
私ってば未熟者。
励まして欲しかったのですね。(ちょっと恥ずかしい)
心に留めて精進します。
              ぷりん
(これは DRAGONROAD999 さんのメッセージ62に対する返信です)


65件目   質問です   投稿者:pucchinpudding(女性/関東地方)   2000年10月11日 午前11時03分

この疑問はあまり見受けられないのでお伺い致します。
次元のお話です。

現実社会が3次元、時間が加わると4次元と言うのはどなたも共通する認識だと思いますが、問題はそれ以降の「高次元」のお話です。
「精神」「真理知識」「利他」「慈悲」「宇宙」「意識」とひとつ加わるごとに次元が上がっていきますが、それらの何処に「時間」が入っているのでしょうか。

だって普通に考えたらそれらの認識は全て「3次元」での思考であるし意識であると思うのですが。
4次元の時間が加わった時点を知っているものはそれこそ「大川隆法先生」なのかもしれませんが、それならばそれを会員にも一般人にもある程度納得させる要素があっても良いと思うのですが。

まずはじめの純粋な疑問でした。
お答えお待ちしていますね。
                            ぷりん
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


66件目   これは鋭い質問。会員さんはどう答える。   投稿者:yukisan_kokodoko   2000年10 ・1日 午後 3時26分

あっいかん。また出てきてしまった。

>「精神」「真理知識」「利他」「慈悲」「宇宙」「意識」とひとつ加わるごとに
>次元が上がっていきますが、それらの何処に「時間」が入っているのでしょうか。

このそれぞれの要素に「時間」は含まれていないと思います。
例えば5次元というのは「精神」そのものが5次元という訳ではなく、
5次元の中の「5つ目」のベクトルが「精神」であるということですから・・・。
5次元というのは「縦」「横」「高さ」「時間」「精神」の5つがセット
になって5次元となるのであって、それぞれの要素は独立した物でしょう。
何も「5つ目」の次元である「精神」という要素がそれより低次元の
1〜4次元分の4要素を内包しているという訳ではないと思います。



>だって普通に考えたらそれらの認識は全て「3次元」での思考であるし意識であると思うのですが。

これは鋭い質問ですね。私も今まで深く考えた事がありませんでした。
でも言われてみるとその通りですね。「精神」「真理知識」「利他」
「慈悲」「宇宙」「意識」。こういった要素は3 沍ウに住む私たちの
頭でその概念を理解できる物です。でもそれは確かに不自然ですね。

例えば1次元の「縦」という概念だけしかない世界に生きる生物がいたとして
彼らが「横」という概念を理解できるか。「高さ」「時間」という概念を
理解できるか、と考えたとき理解できないかも知れませんからね。
高次元に住む者は低次元を理解できるでしょうが、低次元の者は高次元を
理解することは難しいかも知れない。そうした中で4次元以降の6つの
ベクトルが全て3次元の私たちの頭でその概念を何となく理解できるという
のは、確かに不自然と言えば不自然ですね。全然気が付きませんでした。

さあ、会員の方からどのような答えが来るのか楽しみです。

(予想される答え或いはリアクション)
1.都合が悪い質問なので無視する
2.それは大川さんの慈悲で3次元の人間に理解できるように
  話のレベルを下げて説明したのですよ。
(これは pucchinpudding さんのメッセージ65に対する返信です)


67件目   見えない! さわれない! 謎の世界   投稿者:DRAGONROAD999   2000年10月12日 午前 0時28分

現代物理学でも、多次元の研究がされているようなので、引用しておきます。(かじっただけだけど)
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 われわれはいま三次元空間に住んでいる。縦・横・高さの三つの座標によってあらゆる場所は厳密に指定できると考えている。物体の運動を扱うときは、もう一つ時間の次元を導入して、四次元の時空へと拡張する。昔も今も将来も、四次元の時空こそはあらゆる物質を包み込む舞台であることにかわりはない−−われわれはこう信じて疑わない。ところがここでも、超ひも理論は、人類が長い歴史のなかで獲得してきたこの信念を、いとも簡単にうちくだいてしまう。超ひも理論は世界はもともと十次元であると主張するからだ。この十次元という値は、超ひもが量子論的に存在しうる、という条件からみちびかれるもので、超ひものもっとも基本的な性質の一つである。
 (略)超ひも理論においても、はじめにあった十次元の時空のうち六次元はきわめて小さな[内部空間]として縮んでしまっていて、観測にかからな 「と考える。その結果、われわれが住む四次元の時空がのこる。
(超ひも理論と「影の世界」 広瀬立成 BLUE BACKS 講談社 P196〜197)
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
 この本は、読んでも数%くらいしか分かりませんでしたが、私の理解では、要は、
@物理学でも10次元(または26次元)などの次元を考えている
Aそれが何らかの理由で、3次元(または4次元)のみが膨張した、いびつな次元となっている
B残りの6次元は、なんだかよく分かっていない
ということのようです。
(これは pucchinpudding さんのメッセージ65に対する返信です)


68件目   次元大好き?   投稿者:DRAGONROAD999   2000年10月12日 午前 0時32分

 他の本も参考にして、自分なりに多次元の話を考えてみました・・・。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<3次元>
{3次元の対称性}
 1次元・・・前後、2次元・・・前後左右、3次元・・・前後左右上下
となります。それが、宇宙空間に出ると、”前後左右上下”がどれも同じ(等価)となってしまう、ということですね。つまり、次元が上がると、今まで別々だと思っていたものが、[実は全く(?)同じモノであった」ということに気づくわけです。
{3次元の断面}
 よく、球(3次元)の断面は円(2次元)、円の断面は線(1次元)、線(1次元)の断面は点(0次元)といいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<4次元>
{4次元の対称性}
 すると、4次元では、「時間と空間が同じモノ」という観念である、と予測されます。
{4次元の断面}
 時空間(4次元)の断面は、空間(3次元)ということ。
※・・・すると、4次元とは、空間の連続体(ちょうど線(1次元)が点(0次元)の連続体であるように)ということになります。つまり時間とは、空間の連続体の中を、一定スピード(?)で移動しているために発生する”概念”のようなものではないか?(これは、SFでいう”パラレルワールド”のようなものではないか?)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<5次元>
{5次元の対称性}
 すると、5次元では、「精神と時空間が同じモノ」という観念である、と予測されます。
{5次元の断面}
 精神(5次元)の断面は、時空間(4次元)ということ。
※・・・すると、5次元とは、時空間の連続体、ということになる。(精神の断片が時空間、つまり「精神から時空間が作り出されている」ということではないか?)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<6次元>
{6次元の対称性}
 すると、6次元では、「神知識と精神とが同じモノ」という観念である、と予測されます。
{6次元の断面}
 神知識(6次元)の断面は、精神(5次元)ということ。
※・・・すると、6次元とは、精神の連続体、ということになる。(神知識の断片が精神、つまり「神知識から精神が作り出されている」ということではないか?)
=====================================
[精神と神知識]
 ここで、”精神”とは、「個人の意識」、”神知識”とは、「集団の意識」と解釈しています。
 つまり、「集団の意識」から分かれたものが「個人の意識」であり、その個人の意識から、それぞれの時空間が創造されている、と解釈できるのではないか?
※・・・この解釈の場合、”神知識”というより、”集団精神”という言葉のほうがぴったりくるが・・・。
※・・・幸福の科学の教えとは、必ずしも一致していないかも・・・。

 とりあえず、ここまで。
(これは pucchinpudding さんのメッセージ65に対する返信です)


69件目   教義の最大の問題点は・・・、   投稿者:SOLNA_99   2000年10月12日 午前 4時54分

釈迦は、無余涅槃とか、入滅とか言われているように、
もう2度とこの世には生まれてこない、とされているのだ。

これは、仏教の根本的な教義の一つであり、これと完全に矛盾している。
どのように説明されているのだろうか?
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


70件目   教義の最大の問題点   投稿者:flowersfor   2000年10月12日 午前10時55分

うーむ、去ると言う宣言はどこへ・・・?>自分

釈尊は悟りを開き輪廻からは解放された。それゆえ地上には二度と生まれてこない。したがって幸福の科学の大川教祖が「わたしは仏陀の生まれ変わりだ」と主張するのは間違いである・・・・。

こういう批判は今回のみならず消滅した例のトピでもあった。それに対して信者さんは「悟りを開いた仏陀は輪廻のサイクルに組み込まれて生まれてくるのではなく、衆生を救うために自主的に生まれてくる」という説明をする。そして実は「釈迦の魂(?)」はインドに2500年前に生まれて悟ったときにはじめて輪廻から解放されたのじゃなく、インドに生まれたときにはすでにとっくに輪廻のサイクルから外れてて、衆生を救うために自主的に生まれてきたのだ、ということになる。

それはいいとして、では「仏陀以外のひと」はどうなのか。幸福の科学の書籍を読んでるとどうも「仏陀以外のひと」も「輪廻のサイクルに組み込まれて」生まれてるようには思えない。
幸福の科学によれば「住んでる霊界の次元の低い人ほどサイクルが短く、霊界 フ次元が高くなるほどサイクルが長くなる」とあって一見「自動性」を感じさせるのだが、「悟ってない人=霊界の次元の低いひとは地上への執着があるから早く生まれ_たがる_」という説明を聞くとそこには「自動性」よりもむしろ各々の魂の「自由性」を想定せざるを得ない。(「この世よりもあの世の方が自由なのに、どうしてレベルの低い魂たちは地上への執着があるのか」という疑問がわくが、それは置いておこう。)
また「あなたたちは仏陀の生まれる時代に生まれるために、他の(この時代に生まれたいという)魂たちを押しのけて生まれてきたのだ。だから早く目覚めよ。」というような一節がある。言ってみれば「我も、我も」ということだったんだろうが、ここにもレベルの低い魂たちの完全な自由意思が見られる。

仏教もしくはヒンドゥーが持つ輪廻思想の場合、「死ねばすぐに次の生に生まれ変わる」というような「自動性」がある。輪廻の法則そのものが強制性を持つのだ。だからそこから逃れたがる。逃れたものが仏陀である。
ところが幸福の科学ではそうはならない。「死んでしばらくは霊界に住み、その後ふたたび自ら計画をたてて生まれる」という教義だから、そこに強制性はない。そう。「仏陀だから自主的に生まれてくる」のではないのだ。「仏陀でなくても自主的に生まれてくる」のだ。「輪廻転生」のシステム自体、各々の魂の「自主性」によって支えられてるシステムなのだ。こういうシステムなら「生まれてきたくなければ、ずっとあの世に住んでいてもいいんじゃないか?」ということになる。それでも個々の魂はカルマを刈り取ろうと「自主的に」生まれてくるらしい。なにせ積もったカルマを今回の人生でどれだけ刈りとるかというのも「自由意思」による「計画」なのだ。この自主性のどこに「法則」性が?

こうしてみると幸福の科学の教義は、仏教思想とは悉く違うものなんだなということがわかる。(違うからいけないのではない。違うのに仏教を名乗るからいけない)
(これは SOLNA_99 さんのメッセージ69に対する返信です)


71件目   感想   投稿者:aaokasii   2000年10月12日 午後 3時19分

>仏教もしくはヒンドゥーが持つ輪廻思想の場合、「死ねばすぐに次の生に
>生まれ変わる」というような「自 ョ性」がある

そうだよね。
なんか、TV番組かなんかで、「ダライ・ラマが死ぬと直ぐに生まれ変わるので、その“生まれ変わった”
子供を探し出して次のダライ・ラマとして育てる」というようなことを聞いたことがある。不確実で申し訳ないけど。

ダライ・ラマでさえそういう扱いなんだから・・・ねェ。
(これは flowersfor さんのメッセージ70に対する返信です)


72件目   まず   投稿者:ixtlan   2000年10月13日 午前 0時04分

次元などというものを言い出したら科学の専門家でないとどこまでもいい加減な想像になると思います。貴方は3次元までは空間座標を、4次元で時空連続体を、5次元で+精神をというふうに持っていきますけど、なんでここでいきなり精神などというものが出てくるのでしょうか。
(これは DRAGONROAD999 さんのメッセージ68に対する返信です)


73件目   いろいろ説明、ありがとう。   投稿者:SOLNA_99   2000年10月13日 午前 5時30分

とはいえ、若干、質問内容に相違があるようです。

『解脱した人間が、なぜ再生するのか?』、という質問ではなく、
原始仏典にも書いてあるように、『もう2度と来ないと言った人間が、
なぜ再生するのか?』、という質問です。

また、完全に再生のなくなった状態を『滅』と言うのに、なぜ再生できるのか?
という事です。

flowersforさんに聞いてもしょうがないですね!(笑)
(これは flowersfor さんのメッセージ70に対する返信です)


74件目   最大の問題点とは平面的解釈に終始する   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2000年10月13日 午前 9時14分

考えかたではないでしょうか、仏陀とは悟りたるものという意味はご存知のことでしょうが、釈尊のみを意味しないことは常識ですし、イエスもモーセも仏陀にほかならないこともついでに読み取っていただきたいものです。
我も我もといって仏陀下生のときに生まれたものと輪廻の軛から自己の意識自覚のないまま生れるものとの輪廻の階層は必ずしも同じではないことも読み取っていただきたいものですし差別智、平等智のそんざいと同時にヒンドゥー、ジャイナ教の輪廻の修正が仏教の輪廻となっていることは仏典からもよみとれるとおもいます。
その自由性、自主性、自動性のはたらきの中に、またそのものに、そのそんざいが法則そのものを現しているのではありませんか。悉く仏陀の教えそのものに他ならないしそれ以上の教えといえると思います。  
(これは flowersfor さんのメッセージ70に対する返信です)


75件目   時間論はなかなか   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2000年10月13日 午前 9時51分

分かりづらいものですね、わたしの把握していることでしか言えませんけれど、
すべて存在するものに時間が内包されているといったらいいんでしょうか、1次元には1次元の時間が2次元には2次元の3次元には3次元の時間が次元によってその現れかたが違っているためにその次元あるいは下次元のことしか把握できないというのでしょう。
3次元での思考での認識は時間についてもあなたが感覚的にも認識できる限界があるとおもいますが、精神、利他、慈悲
などという認識なるものが、どこまで解っているかということになると、ここでもいろいろと仰るかたがあるように、実のところお分かりになっていないからあれこれと言えるのであって、3次元の認識の限界のなかで迷っていると言えるのではないかと思えますが。
その認識もじつは本来の心の領域は3次元の時間を超えているもの、空間を超えることの出来るものとの自己認識が出来た時、時間の多様性が解ってくるものだと思います。そのために宗教、科学があるのだとおもいます、幸福の科学はその教えが遍万するものといえましょう。
薄っぺらな似而非常識にとらわれることなくオープンマインドで思考することが時間を把握することになりましょう。
(これは pucchinpudding さんのメッセージ65に対する返信です)


76件目   君ですね。無責任な人は   投稿者:shiadow2000(男性/jp)   2000年10月13日 午前10時33分

レプタリアンのトピを立ち上げたのは
君ですね。

私は友人と勘違いされたものですが、君は
あのトピをどのようなつもりで立ち上げたのですか?

君から直接その答えを伺いたい。

単なる幸福の科学たたきの場にする場所を増やしたのでしょうか?

立ち上げた以上、責任というものがあるのではないか?
ドタバタ劇を演じて消えたと思ったら
このような形で登場できるなら
私の質問にも責任を持って答えて欲しい。
それをしないで、このようなことをここに書き込んでいるとは無責任にもほどがある!!

あの場も単なる口論の場になって見苦しい。

あのトピックを今後どうするのか君の
考えを教えてくれ。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ66に対する返信です)


77件目   言葉遊び   投稿者:flowersfor   2000年10月13日 午前10時59分

パパさん>仏陀とは悟りたるものという意味はご存知のことでしょうが、釈尊のみを意味しないことは常識ですし、イエスもモーセも仏陀にほかならないこともついでに読み取っていただきたいものです。

イエスやモーセが今回の議論に関係ありますか?釈尊の話ですよ?「二度と来ない」と言った釈尊が再来したのはなぜかという話をしてるんだから「仏陀は釈尊のみを現す言葉ではない。イエスやモーセも仏陀だ」なんていう主張は無意味です。


パパさん>我も我もといって仏陀下生のときに生まれたものと輪廻の軛から自己の意識自覚のないまま生れるものとの輪廻の階層は必ずしも同じではない

だからなに?あなたの言ってることは結局「我も我もといって仏陀下生のときに生まれるもの」は「計画をたてて生まれてくる」ということで、やっぱり「仏陀以外でも自主的に生まれてくる」ということになりますね。
それから「輪廻の軛から自己の意識自覚のないまま生れるもの」の階層は言いかえれば「計画をたてて生まれてくるわけではない」ということになるが、それはどの書籍に書いてあるんでしょうか?読もうと思います。

パパさん>差別智、平等智のそんざいと同時にヒンドゥー、ジャイナ教の輪廻の修正が仏教の輪廻となっていることは仏典からもよみとれるとおもいます。

「差別智、平等智の存在と同時に」の部分が意味不明ですが、ヒンドゥーやジャイナ教の輪廻観をどのように修正したのが仏教的輪廻観なのか教え トください。そこには「人間は自分で計画をたてて生まれてくる」と書いてあるのですか?あるいは「仏陀は自分の意思で生まれてくる」とあるのですか?そうでなければ「(幸福の科学の輪廻観は)悉く仏陀の教えだ」などと言えませんよ。

パパさん>その自由性、自主性、自動性のはたらきの中に、またそのものに、そのそんざいが法則そのものを現しているのではありませんか。

※あなたの言葉は本当にいつも意味不明ですねー。「その」とか「そのもの」という語が多すぎます。上の文章を一度自分で音読してください。きっと自分でもおかしくて笑うから。言葉遊びしてるだけでは?

さて「いつどこにどのようなかたちで生まれるかは自由で、自主性にまかされてる」ということは「生まれたくなかったら生まれなくてもいい」という選択肢が出てくるわけです。それでもみんな生まれたがるそうですが、しかい選択権が個々の魂に託されてるということは通常それは「法則」とは呼ばないわけです。あなたは無理やりに「法則」という言葉を使ってるだけのように見えます。
縁起の理法の一部として語られるカルマの法則についても同様。幸福の科学によればカルマをどのくらい刈り取るかというのはやはり生まれてくる前に本人が決めてくるようですね。しかし「どの行為がカルマとして残り、それをどのようなかたちでいつ刈り取るか」が本人の預かり知らぬところで自動で決まるときはじめてそれは宇宙の神秘的な「法則」として聞こえるのであって、本人が生まれてくる前にすべて自主的に決めるということはやはり「法則」という言葉とはまるで無縁のものを感じざるを得ません。だってそれでは「カルマの法則」を成り立たせてるのは「犯した罪は償おう」という個々の魂の自主性であり、それは厳密には法則ではなく「法則に見える」というだけのことですから。縁起の「理法」とは言葉だけなのでは?
(これは papayohkoh さんのメッセージ74に対する返信です)


78件目   使いなれない言葉   投稿者:flowersfor   2000年10月13日 午前11時09分

「貴方」「貴女」はやめて「君」ですか・・・。
(これは shiadow2000 さんのメッセージ76に対する返信です)


79件目   レプタリアントピより。   投稿者:flowersfor   2000年10月13日 午前11時22分

シャドウさん>ここは意見を交換する場所であり、何か特定のものを否定することを喧伝する場でないと思います。

誰がそんなことを決めたの?このカテゴリには特定のものを批判するトピがたくさんありますよ。あのトピはあのトピの作成者(ユキさん)の意図に従って進められるべきでしょう。その意図とは「幸福の科学教義との関連でレプタリアンを語る」ということであり、

シャドウさん>本来のレプタリアンについての探究や情報交換

をするということではない。そして特定教団との関わりでそれも批判的観点からトピを作成することはなにも批判されるようなことじゃない。
何度も言ってるでしょ。「宇宙人についての情報交換を求めるならオルタナティブにでもいきなさい」と。
(これは shiadow2000 さんのメッセージ76に対する返信です)


80件目   誰が「欠席裁判」やるかを見ていました   投稿者:yukisan_kokodoko   2000年10月13日 午後 1時41分

基本的には出てこないつもりでいますが、
催促がありましたので発言させていただきます。

貴方が行った欠席裁判を楽しませていただきました。
貴方の人柄が大変よくわかり勉強になりました。


「レプタリアン星人はいるか?」トピック No.85より引用-----------------

>どうもこの場を作成した意図が本来のレプタリアンについての探究や
>情報交換というよりは、貴方の私怨を晴らす場所を作ったようにしか思えません。
>その点ではUMGAIAさんの意見に納得します。
>貴方の行なった行為はファシズムの起こりと同じように思います。

---------------------------------------------------------------------

人をいとも簡単に「ファシズム」呼ばわりするというのはどういうことでしょうか?
これは「批判」を通り越して「誹謗中傷」と言うのではないでしょうか?
正に掲示板利用の初歩的な違反であると思うのですが・・・。




「レプタリアン星人はいるか?」トピック No.101より引用-----------------

>またYAHOO関係者の皆さんに質問です。
>このようなトピの利用は許されのでしょうか?
>発言するのに誰かの許可がいるのでしょうか?
>是非、お答えいただきたいものです。

---------------------------------------------------------------------

貴方の「ファシズム」発言について、
規約違反ではないのかと逆に問い合わせたい位ですね。



取り敢えず上記の「ファシズム」発言について
どのように考えておられるか聞かせてください。

「レプタリアン星人はいるか?」トピックの趣旨
に関しては、その後の話でしょう。
(これは shiadow2000 さんのメッセージ76に対する返信です)


81件目   すみませんが   投稿者:pucchinpudding(女性/関東地方)   2000年10月13日 午後 3時58分

よく分らないので、また質問させていただきます。

>1次元には1次元の時間が2次元には2次元の3次元には3次元の時間が

1次元や2次元に「時間」の概念はあるのですか?

>時間が次元によってその現れかたが違っているために

はい。3次元の「時間」と4次元のそれはもう全く違います。
私達一般人にとっては4次元そのものを体験した事はない訳ですから。
しかし大川隆法先生が「太陽の法」の中で仰っているように、4次元とは「鎌倉時代の人間と昭和時代の人間が握手出来る」訳ですよね?(p36)
それを会員の方にも一般人にも理解でる要素があっても良いのでは?と言うのが私の質問です。

>精神、利他、慈悲などという認識なるものが、どこまで解っているかということになると、ここでもいろいろと仰るかたがあるように、実のところお分かりになっていないからあれこれと言えるのであって、3次元の認識の限界のなかで迷っていると言えるのではないかと思えますが。

はい。ですので「3次元の認識の限界」を超えた御説明が、「会員」の方にも「一般人」にもあって良いのでは?と言う質問です。

>その認識もじつは本来の心の領域は3次元の時間を超えているもの、空間を超えることの出来るものとの自己認識が出来た時、時間の多様性が解ってくるものだと思います。

?
自己認識ができるだけで理解出来るものなのですか?
papayohkoh様はもうご存知なのでしょうか?

>そ フために宗教、科学があるのだとおもいます

はい。
私も今「科学」方面を確認しているところです。

お返事ありがうございました。
またお待ちしていますねっ。
            ぷりん
(これは papayohkoh さんのメッセージ75に対する返信です)


82件目   何いってんだあんた?   投稿者:sonibeer2001(30歳/男性/大津市)   2000年10月13日 午後 7時38分

>レプタリアンのトピを立ち上げたのは
>君ですね。
> 私は友人と勘違いされたものですが、君は
>あのトピをどのようなつもりで立ち上げたのですか?

バカかあんた?過去ログ読めば判るだろう。あそこは幸福の科学関連でレプタリアン情報をカキコする場所なの。あんたは何も知らずに口だしてたしなめられたのを、どうしてトピ主に対して逆ギレする必要がある?さらに信者のイロイロアリマスと勘違いされたことをなんでそんなに怒る必要があるのか?イロイロアリマスは狂信者だがそんな奴と一緒にされたのが腹が立つ訳ではあるまい。あいつとは友達なんだろ?二人 ェ出会うきっかけとなったんだ。むしろ喜べよ。

>あの場も単なる口論の場になって見苦しい。

お前の嫌らしい、からみカキコの方がよっぽど見苦しいよ。嫌ならカキコなどせずに、黙ってされよ。だれもあんたに登場していくれと頼んでなんかねーぜ。
(これは shiadow2000 さんのメッセージ76に対する返信です)


83件目   re:すみませんが   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2000年10月13日 午後 8時33分

こちらこそみませんね、うまく言えませんで。
自己認識といっても深く魂の根源までの自己を知った時という感じでしょうか、私などとてもそこまではまいりませんが。
3次元世界ではあなたも、私も一応ほぼ同じ時間の流れの中の同じ空間の違った位置にいるわけですが、思考というか想いというものは通わす方法があればこのように意見を交じらわせることができます、この思いが交わるのは同じ時代に生きるものどうしだからで、原則過去や未来のひととは出来ませんよね、これが3次元の次元あるいは時間の限界といえるんでしょう4次元になると空間の座標というんでしょうか、 同じ位置は占めることは出来ないけれども過去現在未来という、時間の区切りというか断絶というのか壁がない次元となるということでしょう。
時間は普通考えられているような時計が刻むようなものではないということが4次元世界以降にあらわれるものであって、3次元世界の時間はある意味で共通の意識が作っているところの流れであろうということになるようですがどうでしょうかますます解らなくなっていませんでしょうか、時間は神の想いの中で作られた空間をあらしめる要素であるということで、理解するにはより高い悟り、認識力がいるかも知れませんが、神の子として出来ないはずはないというのが教えの中にありますが、そのためにこそ神理探究がとかれているのですよ、ご一緒に探究しましょう、それこそ時間がかかりますが、おもしろいですね。
(これは pucchinpudding さんのメッセージ81に対する返信です)


84件目   re:言葉遊び   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2000年10月13日 午後 9時09分

どの書籍だったでしょうか、わたしは u議と質疑応答を記憶していますので、どれかの本になっているかは詳しいかたにお聞きくださると良いでしょう。
計画にもいろいろあって、たんに生まれかわりたくて輪廻するもの、大雑把なものおおまかなもの、細かく計画するもの、きっちりと立てて転生するものとまさに魂の数だけの仕方があって必ずしも単一ではないということですよ。階層によってはゆるされてあるいは、指導されて生れるものもあるということですが。
あなたが限定された仏陀の名称にこだわっておられると見えたのでイエスの例をいいましたしそのような仏陀もまたなんども人類救済の為に再来していることをもうしあげているのですし、二度と来ないといったのではなく、輪廻の軛による転生に流されることはないその意味でくることがないのであり、如来はその名のごとく来るものでありましょう。
仏教以外の輪廻はかつてのオームがとりこんでいたようにひとは死後うじむしに転生しあるいは犬あるいは豚牛へと生れるとして人間に生れることは至難のこととして死生観をもっていたものをかえたということであり、バラモンはバラモンという身分制度さえ輪廻にとりこんだものだったものを釈尊が改革した ニいうこではありませんか。
縁起の理法が言葉だけのものだったらなんで仏教が今日まで伝わったでしょうか、
flowersforさん申し訳ない仕事が入りました又次回、しつれいします。
(これは flowersfor さんのメッセージ77に対する返信です)


85件目   そういう話は>papaさん   投稿者:ixtlan   2000年10月13日 午後11時21分

何か根拠があるのでしょうかね。
一つ問を出してみましょう。かりに4次元で貴殿が想定している「時間の拘束からの自由」なるものがあるとして、その世界では「決断」というのがあると思いますか?
(これは papayohkoh さんのメッセージ83に対する返信です)


86件目   法則?慣習?   投稿者:flowersfor   2000年10月13日 午後11時36分

パパさん>計画にもいろいろあって、たんに生まれかわりたくて輪廻するもの、大雑把なものおおまかなもの、細かく計画するもの、きっちりと立てて転生するものとまさに魂の数だけの仕方があって必ずしも単一ではないということですよ。

そうでしょ?だからこそ「法則と呼ぶにふさわしくない」と言ってるんです。今回あなたは輪廻の在りかたが個々の魂の自由裁量に任された、場合によっては他者の干渉さえもある「人為的なもの」であることを改めて示してくれたわけです。それは「法則」という言葉に抱くイメージとはまったくかけ離れてます。こうまで人為的だと当然「生まれ変わらない自由」も許されるだろうということになるわけです。しかしそこには「いや、修行になるんだぞ、地上は。いってこいよ・・・」こんな説得もあるんでしょう。

こういうシステムに「輪廻転生の法則」なんていう言葉を当てはめるのはまったく不適切。「輪廻転生の慣習」という言葉のほうがよほど適切だ。

というのがぼくの主張です。

パパさん>仏教以外の輪廻はかつてのオームがとりこんでいたようにひとは死後うじむしに転生しあるいは犬あるいは豚牛へと生れるとして人間に生れることは至難のこととして死生観をもっていたものをかえたということであり、(後略)

今回の議論とぜんっぜん関係ないじゃないですかー。ぼくが問題にしてるのは「輪廻転生が個々の魂の自主性によって支えられたシステムだというような考え方はヒンドゥーにも仏教にもないでしょう」ということです。修行者が「解脱したい」と願ったということは、「ひとは望むと望まざるとに関わらず輪廻しつづける。その輪廻の法則から逃れるには解脱しなければならない」という信仰があるということです。
これに対して幸福の科学では「ひとは望んで輪廻する」という考えかたです。解脱しなくても輪廻から逃れる自由はある、ということ。だから「仏教とはまったく違う」と言ってるんです。


パパさん>縁起の理法が言葉だけのものだったらなんで仏教が今日まで伝わったでしょうか、
「仏教に於ける縁起の理法が言葉だけのもの」などといってませんよ。「幸福の科学における縁起の理法が言葉だけのもの」といってるんです。「理法」という言葉がまるでふさわしくない「作為的なものだ」ということです。「今回はこれくらいのカルマを刈り取ってくるよ」と計画をたてて生まれるという説明は「理法」という言葉にはまったく似つかわしくない。だから「言葉の遊び」だと言ってるんです。本人が望むと望まざるとに関わらず粛々とカ 泣}は成立し精算されていく・・・。こういう考え方を「理法」というんでしょ。
(これは papayohkoh さんのメッセージ84に対する返信です)


87件目   やっぱりそうか   投稿者:shiadow2000(男性/jp)   2000年10月13日 午後11時42分

やはり予想通りの答えだな。
まあ、その程度なんだよな。良く解ったよ。

私と彼とが縁遠くなったのは、彼が
幸福の科学に入ったからで、私の立場は
批判者側であった。
なんでそんなものに入ったのかと思っていたよ。

しかし、今回の件で暫くぶりに電話をして
事情を話すと、まず最初にでた彼の
言葉は「それは、すまなかったな。」
だったよ。

君とはまるで違うね。
ドタバタ劇の主役さん、何でドタバタを演じたかといえば、君に意見を言う第三者が全て幸福の科学側の人間と勘違いしたのが始まりだな。

意見の違う人の言うことを頭ごなしに否定して、自分の支持者と徒党を組んで悦にいっている。

そして、あちこちに自分のネッワークを広げさも正義の味方のように振舞う。

それからよく注意して見てみろ私の書いたことを!!
「ファシズム」呼ばわりはしていない。
「ファシズムの起こりと同じよう」と書いた
んだ。

意味が違う。解るか。

ともかく今回の君の回答でどのような人間か解った。

君のような人間がいたら幸福の科学でも
迷惑したろうよ。
君が辞めて助かったのは幸福の科学側では
ないかと思うよ。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ80に対する返信です)


88件目   遅くなりましたが、こおもりさんへ   投稿者:pucchinpudding(女性/関東地方)   2000年10月14日 午前 0時38分

調べて下さってありがとうございました。
ただ「超ひも理論」というのは宇宙物理学者のホーキング博士による仮説では.....?
こちらも調べていますが、私には理解できかねるものだと....。(お恥ずかしいですが)

それぞれの次元を仮定として対称性と断面を御説明いただいたのですが、5次元以降の「精神」「真理知識」等はすでにその言葉事体「科学」にはあてはまらないと思います。これらは「哲学系の認識論」ではないのかしら。

とりあえずこおもりさんは、この手のお話がお好き??(だってちょっと楽しそう....。)
私も楽しいですが。

ありがとうございました。
               ぷりん
(これは DRAGONROAD999 さんのメッセージ68に対する返信です)


89件目   余計なお世話ですが....   投稿者:pucchinpudding(女性/関東地方)   2000年10月14日 午前 0時43分

>君が辞めて助かったのは幸福の科学側ではないかと思うよ。

幸福の科学では「愛」を基礎としていらっしゃるのだもの。
そのような悲しい事はきっと言わないわっ。

              ぷりん
(これは shiadow2000 さんのメッセージ87に対する返信です)


90件目   シュレーディンガーの猫   投稿者:DRAGONROAD999   2000年10月14日 午前 3時51分

>次元などというものを言い出したら科学の専門家でないとどこまでもいい加減な想像になると思います。貴方は3次元までは空間座標を、4次元で時空連続体を、5次元で+精神をというふうに持っていきますけど、なんでここでいきなり精神などというものが出てくるのでしょうか。

→確かにその通りです。この辺は、”推測”に過ぎず、これ以上説明できる状態ではないし、また、もしかしたら間違っているかも知れません。まず、自分の勉強という意味も含めて、まず物理学などのHPをあげておきます。
[シュレーディンガーの猫]
http://www3.justnet.ne.jp/~yoshida-phil-sci/kasetsu/subject/sub13.htm
※・・・「猫の状態は、実際に生きている状態と死んでいる状態の和であり、生きていると同時に死んでいる。」こういう仮説も、物理学で真面目に考えられている、ということですよね。


[科学と技術の諸相]
http://plaza2.mbn.or.jp/~nif/paradigm/paradigm-web.htm
※・・・この量子論的なところが、空間、時間、精神の接点になっているような気がするのですが・・・。
(これは ixtlan さんのメッセージ72に対する返信です)


91件目   あの世の科学   投稿者:DRAGONROAD999   2000年10月14日 午前 4時32分

>それぞれの次元を仮定として対称性と断面を御説明いただいたのですが、5次元以降の「精神」「真理知識」等はすでにその言葉事体「科学」にはあてはまらないと思います。これらは「哲学系の認識論」ではないのかしら。
→まさにその通りです。”哲学”と”科学”が融合しようとしている時代である、と思われます。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「あの世」の科学の立場から、著者はさらに宗教と科学の融合に挑む。量子力学、深層心理学、東洋哲学の3つを柱に、時間も空間もない「あの世」の実体に迫る。
(未来を開く「あの世」の科学 祥伝社刊 NONBOOK 天外伺朗)
http://www.so-net.ne.jp/TENGESHIRO/king/bookshelf.html
↑<F↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

※天外伺朗:大学で電子工学を専攻した後、大手企業の研究所で活躍。CDをはじめとする先端技術開発に携わった経験を生かし、科学技術評論、人材開発論に健筆を振るう。
(≒D博士):CD(コンパクト・ディスク)やNEWS(ヒット商品となったソニーの専門家向けコンピュータ)などの開発プロジェクトの成功に貢献したひとり。

(この辺りは、幸福の科学Q&A[618]に引用しました。)
(これは pucchinpudding さんのメッセージ88に対する返信です)


92件目   追加質問!   投稿者:SOLNA_99   2000年10月14日 午前 5時02分

仏教では、釈迦の入滅後、次の仏は、弥勒菩薩(マイトレーヤ)と
なっていますが、どのように考えられていますか?

それと、「私はすぐに来る!」と力強く宣言した、イエスについては、
何か情報を持っていますか?
(これは SOLNA_99 さんのメッセージ73に対する返信です)


93件目   縁起の理法について   投稿者:UM_GAIA   2000年10月14日 午前 5時29分

はじめてこちらに投稿させて戴きます。
面白そうな話題になっているので私の認識している
「縁起の理法〜カルマの法則〜輪廻の法則性」について、
少し「私見」を述べさせて下さい。

さて諸般のムード?に鑑みて、はじめに私の立場を断っておきますと。。。

1.私は無神論者、ダーウィニズム的唯物論者、マルクス的な史的弁証法唯物
  史観論者ではありません。
2.また特定の団体の誹謗中傷にも、また狂信的擁護にも興味はありません。
3.哲学、思想、宗教のみならず現代の自然科学、社会科学、人文科学領域も
  含めて広範な関心を持っています。
4.故に私は幸福の科学否定派ではありませんが、無条件の賞賛派でもありません。
  またその教義に共感する所もありますが、そうでない所もあります。
5.掲示板はどんな書きこみもアリの場ですが、一定の見識や礼儀のない方とは
  意見交換をするつもりはありません。

以上、お含み置きをお願いしたいと思います。 では〜本題♪
(長いので複数に分けました。)

▼縁起の理法について

原始仏典によると縁起の理法とは、
「これあるが故にこれあり。これ生ずればこれ生ず」「すなわち無明によりて行がある」
「これなければこれなし、これ滅すればこれ滅す」「すなわち無明の滅によりて行滅す」
(自説教)とあります。

これは自然科学的な言い方をすると「極めて常識的な因果律を指している」
という解釈が第一義なのですが、釈尊はその教説により、因果律というものを
「人間の存在(=生存=執愛)形式にまで敷衍して適用し得るものである」
ことの証明を試みた方、とも言えるでしょう。何故なら、「これがこの宇宙そのもの
を規定・支配する中心的法則性の一つである」と看破したため、と推定します。

現代では道徳的に単に善因善果・悪因悪果と言われることが多く、人生訓・
処世訓の一つとして魅力的な格言となっていますが、釈尊自身の縁起論は
もっと詳細で広範で精緻なものです。                  <…続く>
(これは flowersfor さんのメッセージ86に対する返信です)


94件目   縁起の理法について 2   投稿者:UM_GAIA   2000年10月14日 午前 5時33分

▼縁起の理法について 2

釈尊は3支縁起、4支縁起、6支縁起、10支縁起、と様々な段階に展開して
説かれており、特に10支縁起に至っては凡庸な学者の理解を寄せ付けない
雰囲気さえも醸し出しています。つまり極めて哲学的(=認識論的)であり、
思索的、思弁的、思惟的教説であるのです。
(異論がある方はまず原典にあたってくださいな♪)

これらについては様々な学説がありますが、私が仏教関連書の中で最も
分かり易く矛盾なく説明されていると感じたものは、実は「悟りの挑戦」上巻
(幸福の科学出版)にある記述でした!この点で幸福の科学の教義には
とても共感しています。
(これも異論がある方はまず原典にあたってからにして下さいね♪)

よく大川氏と釈尊の同質性?についての賛否が議論のテーマになってますが、
少なくとも、この「悟りの挑戦」や「仏陀の証明」といった書籍を詳細に読むと、
同質性の可能性はかなり高いものを感じます。嘲笑す 黷ホ済む、とは感じません。

いずれにせよ縁起論は個々の人生論・哲学になるだけでなく、先に述べた様に
「存在の本質論まで敷衍が可能な内容」となっています。
全ての存在が因果律の連鎖の中にあるということ。更に存在は個々に独立して
あるようにも見えながら、すべてが重なり微妙に影響し合い、全体として複雑な
因果律をもって変転しているということです。

さてここで話題になっているのは、人生訓の部分ではなく存在論の部分でしたね。
                                           <…続く>
(これは UM_GAIA さんのメッセージ93に対する返信です)


95件目   カルマの法則について   投稿者:UM_GAIA   2000年10月14日 午前 5時43分

▼カルマの法則について

カルマ(業)の解釈について釈尊は、土着の信仰・宗教説話的な部分
(アートマン理論であるとか動物転生説など)を否定し、自らが説いた
縁起の法に基づいて、万物が(生存もまた例外なく)流転するということを
言っています。(この対応法としては四諦八正道を説いていますね)

ですので、この存在の真理というものを深く考察したときに、これは一種の
「エネルギー変換論である」と言えるのではないでしょうか。
(物理的に表現すれば)

「エネルギーとは何か」という議論の本質は難しいのですが、共通項として
仕事能力、展開する能力をポテンシャルとして秘めている力、あるいは場の
状態と整理・解釈できるでしょうか。

一般に認知されている物理学の範疇では、当然ながら対象として3次元的な
エネルギー形式しか扱えませんが、それでも先端研究では古典的な3次元
解釈を超えなければ全く説明できないラインに沢山当たってしまっています。
(数学はもちろん、素粒子論しかり、特殊相対性理論しかり、複雑系しかり)

釈尊の縁起の教説では、「人間の霊的?存在さえも一種のエネルギー
の合目的存在形態に過ぎない」と喝破している、と考えられます。
現代的に解釈を試みるなら、思考というものも一つのエネルギーである、
と捕らえているわけです。

大脳生理学などでも、思考の過程では少なくとも副産物として電流・磁場の
変動が観察される訳ですから、状況証拠にはなりますか。。。

そこで、「因果をくらますことが出来ない」「カルマが法則性である」と言われる
所以は、「このエネルギーの等量・等質での変換過程をくらますことが出来
ない」という捕らえることも可能です。
人間の思考の結果として、人生で具現化した全ての行為・事柄もまた、
「エネルギー作用法則として逃れられないもの」と解釈可能です。 
                                  <…続く>
(これは UM_GAIA さんのメッセージ94に対する返信です)


96件目   カルマの法則について 2   投稿者:UM_GAIA   2000年10月14日 午前 5時48分

▼カルマの法則について 2

では個別具体的には、どのような因果律が作用するのだろうか。
カルマと輪廻転生にテーマを絞って考察して見たいと思います。

例えば「他人に対して攻撃的・暴力的な人生を送った、場合によっては
殺人をした」という事実が、どういうカルマとなって後に作用するのか。

例え同じ状況・環境下においても、各個体は自由意思を発揮し得る余地が
充分に残されているのは確かなので、万人がここで必ず同じ選択をするはず
はなく、従って同じ結果の発生約束はありえません。これは前提。
しかしながら、ある状況下ではおそらく7割方の人はこう反応し行動するであろう、
というような状況心理学的な統計分析は可能でしょう。

彼が「攻撃的で暴力的であった」原因は種々あるでしょうが、ケースとしては、
+前世からの業(傾向性:性格)
+今生での環境、価値観の教育・伝承
+後天的トラウマなど                の複合例などが考えられます。

いずれにせよ、自然法的な理念に反して「他人の自由意思を侵す」という
意味で、他への加虐的行為は、カルマのエネルギー軌跡としては恐らくマイナス
領域での波動・軌跡を刻むことが推定されます。存在の因果律に反するが故に。

▼すると次に発生が考えられるのは、「そのマイナス部分のエネルギーの解消」
というテーゼです。                           

要は「そのエネルギー位相が反転するか、または解放・消滅するか、または
昇華されるか、または補填され相殺されるか」が問題(目的)となりますので、
その目的達成の為の方法論は決して一様ではなく、様々な触媒を介した
多様な解法が想定されます。

いわく、同等な環境を再度与えられ、同じ行動をするかをテストされる、
逆に虐げられる環境を与えられ、加虐行為のもたらす意味を学習させられる、
かつて憎しみあった者同士、親子など親しい間柄で生まれ昇華を求められる。
などなど。。。

しかしいずれの解にせよ、「エネルギー変換の要請からは逃れられない」
という点で、「平等な法則性の適用下にあると言えるのではないか」
と考えます。

ただ先に述べたように、このカルマの修正や刈り取りに関しては、現代の
物理学対象概念の範疇を超えたエネルギー形態が相手ですので、
方法論の提示には現状では極めて哲学的な記述に頼らざるを得ません。
                                   <…続く>
(これは UM_GAIA さんのメッセージ95に対する返信です)


97件目   輪廻転生の法則性   投稿者:UM_GAIA   2000年10月14日 午前 6時39分

「仏陀が輪廻のクビキから解脱する」というのは、
この「生存エネルギー変換の因果律の諸相を全て把握し、
なおかつ転生時に修正が要請される因(カルマ)というものを
全て止滅させた状態に入る」ということでしょう。

この状態ではくらます必要のある因が既にありませんので、
「修正を要請する法則が働く余地がない」、ということになり、
逆に言えば「完全な自由意思で次の転生を必要なら決定できる」
という理論的帰結になります。話題にも出てましたが
「転生しないのもまたある程度自由である」ことが推定されます。

ここら辺(如来の転生)については「ゼウス霊示集」(土屋書店)というのにも
大変興味深い記述があるのですが、今回は割愛いたします。

ところが我々=おそらく凡夫の場合は、仏陀の悟りに到達していないが為に、
何らかの形で、この「エネルギーの調和(反エントロピーベクトルとも言えます)
を図ろうとする因果律」に常に作用されることにな 閧ワす。
その度合いはもちろん個々人のエネルギー軌跡の固有の独自性によって
当然異なってくるものでしょう。

ただ言える事は、「修正すべきマイナス波動の軌跡総量が少ない人ほど、
反作用を受ける割合が低いであろう」という点です。
これは某教義で、「一般に高次元界住人ほど、転生計画上の自由度が高い」
などと言われている所以でもありましょうか。。。

例としては極端ですが、自分が霊的なる存在であることを認識すら出来ない
状態の意識では、そこが霊界(←敢えて使う)であることも分からず、
ただ地上世界の特別な延長環境であると認識し、なおかつ何故か地上には
直接干渉できないが故に、不自由を感じ、盲目的に次なる転生に惹かれていく、
という事態は充分に発生が推定可能な現象です。
この点ではキルケゴールなどの実存哲学も一定の真理を含んでいるもの、
と言えるでしょう。                  <…続く>
(これは UM_GAIA さんのメッセージ96に対する返信です)


98件目   輪廻転生の法則性 2   投稿者:UM_GAIA   2000年10月14日 午前 6時41分

最後に「自由か強制法則か」という議論ですが、多くの霊界物語中には、
「各領域と次元に転生に関わる役所がある」と明記されています。

つまり、「普通の認識力のある人なら、各人自由に計画立案は出来るが、その
申請が100%通るのではなく、一定の基準でチェックを受けて裁定される」
という秩序構造の存在が推定されます。

この審査・チェックの部分で、(要請されている)負のエネルギー転換・修正が
可能かどうかが審理・判断されるのだ、と考えられます。
人によっては一発で通るでしょうし、人によっては何度もかなりの修正意見を
受けて改筆してからの認可となるのでしょう。全ては、このエネルギー転換の
法則性を誰も破ることが出来ないが故にです。

ということは、ある程度の修正を受けて(希望を退けられ)多少の不服、不満点が
本人としては残るとしても、最終的にはその自筆の計画書をもって認可を受け、
転生過程に入るという点において、少なくとも「本人が預かり知らぬ転生を自動的
にさせられる」という意味での自動法則性は、ほと ck有り得ないと思われます。

つまり、そういう環境に出る事は知ってはいる、その承諾は自分の責任において
一応はした、ある程度の運命は選んでいる、という自覚的意味合いで言えば、
それが広義で「自分の立てた計画」となるのでしょう。

ですから、疑問提示者のおしゃる、「恣意性や自由計画によって輪廻が
決められるならばそれはせいぜい習慣・慣行であって法則性ではないのでは」
という意見は、表面的に解釈するとそうなりますが、実際は
「極めて侵す事の出来ないエネルギー転換の法則に厳然と基づいている」
とも言えるのではないでしょうか。

長くなりましたが以上です。
(これは UM_GAIA さんのメッセージ97に対する返信です)


99件目   2ch「幸福の科学今度は警察...」から転載   投稿者:SachisanUSA(44歳/男性/USA)   2000年10月14日 午前 7時40分

今回話題になっているリバティーの記事に関して2chの「幸福の科学、今度は警察と前面対決!!」のトピに以下のコメントが載っていました。この方々の意見に対し ト信者の皆さんは、どう思われますか。
___
投稿者: jiankis 2000年10月13日 午後 5時27分
メッセージ: 787 / 787

....ところで、私は今回の件で一番気になるの
は警察の批判はいくらしてもいいけれども
まず、被害者あるいは世間に対して全然
謝罪するという気持ちがないこと。逆に
勝ち誇ってるかのような傲慢な印象を受け
ました。ちなみに、4年前にT信託の社員
が函館でハイジャック事件を起こしたとき
は全店に次の日「詫び状」が張られまし
た。

今回、わずかな転載しかしませんでしたが、この記事の前(P10)に今まで警察官が起こした20件のワイセツ記事を克明に紹介し、「これほどある警察のワイセツ不祥事!!」あたかも自分たちの事件の印象を薄れさせるような子どもっぽい手法を使ってました。

哀れです。私も他とは違う社会性をこの団体は有してると思ってました。

___
110 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/10/13(金) 21:56
私も数年前に脱会した者ですが、jiankisさんのおっしゃるように心の片隅では
幸福の科学は時間の経過とともに、良き「他とは違 、社会性」を顕現してくれる
のではないかと期待していました。

しかしこの度のリバティの記事を読み、そのかすかな期待も悉く崩れ去りました。
リバティは一般書店に置かれている唯一の対外的月刊誌(幸福の科学の基本的な
考えを一般社会に提示する情報誌)です。
あの恥ずかしい事件について教団はどのように対応するのか、半ば祈るような気持ち
で見守っておりましたが・・公的なコメントがあれでした。

現在の信者さんたちは、本当のところあの記事の内容にどのような感想を持ち、
どう考えているのでしょう。
もし私がまだ信者だったとしたら、とてもいたたまれない気持ちになったことでしょう。
元信者というだけでも恥ずかしい・・・限りです。
それは事件そのものもですが、それ以上にあの記事の内容に対してです。

総裁が説いた「法」とも全く違っているではないですか。
同時に世間解からも遠く遊離し、かつ見下されて当然の内容です。
見識・良識ある人間として当然の態度――反省、謝罪の言葉こそをまず表明するのが
筋ではないでしょうか。
宗教信者といえども人間ですからあやま ソを犯すこともあるかもしれませんが、
この事件の内容およびそれに対する教団の対応については全く共感も同情も得られず、
ましてやまともな宗教団体としての面目を保つことさえ困難になるでしょう。

最後は大川総裁直接の責任ある潔いコメントを望みます。
第一に多くの被害者の方に、第二に世間を騒がせた近隣および一般の人々に、
そして現在の信者のためにです。
そうしなければ世界ユートピアはおろか教団ユートピアもあやういでしょう。

表面的(建前的)には信仰心を盾に取り繕っていても、内部的(良心的)には
確実に崩壊していくでしょう。心の医者を目指していたところが心の病人を
たくさん創出してどうするのですか。

自己保身と優位性を守らんがための醜く傲慢なリバティの記事の修正と謝罪を
強く求めたいと思います。
そして信者さんたちはチームや支部で自分の本当の気持ちを正直に発言すべき
だと思います。それができないのなら他の方々が言われるようにカルト教団と
指定されても仕方がないでしょう。残念ですが・・・。
____
112 名前:今年脱会した信者 投稿日:2000/10/14(土) 02:50
色々読ませていただきました。カルト教団と言われてもしかたないとおもいます。
信者に対して恐怖心をあおるようなことは、数知れずありますから、外から見てきて
幸福の科学がすべて 正しいとは、思いませんし職員の横の繋がりとか まったく
ありません。職員も大変な精神的ダメージがあったのは、昔からです。
私は、10年ほどやっていましたが やはり主催が言われることとのギャップ
が大きすぎます。私は、霊的に目覚めて会に入ったのですが 入っている時のほうが
危険が多く発生しました。今のほうがありません。
特別かんじょにも参加しましたが、危ないと感じました。地獄的な感じがしました。
信者でいる人たちにも早く気がついてほしいと思っております。
幼いころから純粋に生きてきてとても 大変なところときがつきました。
最終的に大事なのは、己に頼ることです。生まれてくる時も自分一人です
あの世に行くときも一人です。ツ
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


100件目   毎回ユニークな回答ですね。   投稿者:yukisan_kokodoko   2000年10月14日 午後 3時48分

私が貴方の立場だったら口が裂けても
この様な事は言わないでしょうね。
何故ならイロイロ氏ではないかとの
疑惑が深まるだけですからね。

ユニークですね。


>私と彼とが縁遠くなったのは、彼が
>幸福の科学に入ったからで、私の立場は
>批判者側であった。
>なんでそんなものに入ったのかと思っていたよ。

>しかし、今回の件で暫くぶりに電話をして
>事情を話すと、まず最初にでた彼の
>言葉は「それは、すまなかったな。」
>だったよ。


誰がこんな事聞きました?

興味深いのでひとつ伺いますが、
貴方がイロイロさんと同一人物であるという疑惑について
私がただの一言でも質問したことがありますか。
私はイロイロさんの「イ」の字も出したことはないのですが
何故この私に上記の様な話をいきなり為さるのでしょうか?

つまり貴方の頭の中では
「自分がイロイロ氏ではないという印象を
 多くの人に植え付けないといけない」
という意識が過剰なまでに強いということを
現しているだけなんですけどね。

では何故そのような意識が過剰なまでに強いのか?
それは大変興味深いことで追求したい事ですが
可哀想なので止めておきます。まあ、本人が
イロイロ氏ではないと言っているのですからね。
(これは shiadow2000 さんのメッセージ87に対する返信です)


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