Yahoo! 幸福の科学の教えについて<2> 0201-0250

戻る HOME 次へ

201件目   re:いろいろ   投稿者:UM_GAIA   2000年10月20日 午前 7時54分

◆re:いろいろ
   投稿者: ixtlan 2000年10月20日 午前 0時14分
 
> いろいろ書かれてますけど、中身が危ういと思います。以下いちいち指摘しましょう。
> 「合目的的に存在の形態が変転しているだけです。もちろん因果律の連鎖によってです」

> 合目的的に、というのは生物界では言えるでしょうが、非生物界ではいえません。

その根拠を示してください。
私のこの見解は「いわゆる生物」か否かなど全く関係なく、宇宙の全事象についての
存在論・認識論的な見解です。(思想的に認めないのはご自由ですが)

ついでに言いますと、貴方の生物の定義もお教え下さい。
生命とは何か、というのは生命科学においても実は大変な命題であります。
(私はこれについて一定の見解を持ってはおります)

> 人間はせいぜい、あた ゥも目的がそこにあるかのように思考できるだけでしょう。

これは認識論の三大原則からして、正しい認識の一つでしょう。
この箱庭から出るためには、哲学的な思惟に頼るしか今のところ方法がありません。

> 一方、法則としての形態の変化は生物、無生物の両者を含むものでしょうから、
> 存在の形態変化を制限なしに「合目的的」と呼ぶのは危ういです。

「制限なしに」と言うよりも、「条件なしに」と言ったほうが適切でしょうね。
制限というのは「誰かが一定の意図を以って何かに枠をはめる」語感ですので。
危ういというのは、思想的な価値判断とお見受けしますが、整合性が危ういと
言っているのでしょうか? 思想的な本質が危ういと感じるのでしょうか?

ただでさえ私の投稿は長い傾向なので、掲示板で言説として詳細な記述には
自ずから限界があります。
この部分は貴思いつき?質問への私の結論を簡潔に述べただけです。

◆re:いろいろ2
   投稿者: ixtlan 2000年10月20日 午前 0時29分

ふつうは「縁起」というのは、全ての存在者は独立的存在ではなく、依存している、
相互依存的な関係にある、だから「それ自体として存在するものはない」ということに
なっているのでしょう?

その通りです。 補足すれば時間と空間双方の因果律について言えること。
これは哲学的な存在論命題について釈尊が具体的に言及されている点です。
しかし当然ながら、「だから存在するものはない」という帰結にはなりません。

そのような縁起の理法そのものを成立させている根源(力)が推定されるわけです。
これを神の意志そのものと言おうが、光と言おうが、表現は難しいですが。

存在は変転を内包している、ということです。もっと言えば、存在は変転する時間を
内包している、ということです。(これはハイデッガーの存在論流の言い回し)


> これをエネルギーの場合には特権的に認めるわけですか?

私の論では、そうとも言えますね。
ただ、特権的と言う修飾はどうかと思います。
エネルギー概念というものを、「個別な存在物質の一つ」の如くに考えてしまうと、
導き出される言葉ですが、その存在概念自体が違っているのです。

> 貴方の言によれば、どうもエネルギーという言葉が「それ自体で存在している」形を
> 越えたものということになりそうですね。

少しはご理解戴けている部分もあるようで嬉しいです。



◆re:いろいろ3
  投稿者: ixtlan 2000年10月20日 午前 0時34分

> 「形式論理学が自性として論理矛盾を内包する」なんて聞いたことがありません。
> どこの誰がそのようなことを言っているのでしょうか?

とりあえず不確定性原理(数学の範疇です)を勉強されてください。
これが証明されてしまったことは、20世紀の知性のショックの一つであります。
(これは ixtlan さんのメッセージ195に対する返信です)


202件目   信者のパンツ事件への見解(2ちゃんねる)   投稿者:misikitamotu(男性/jp)   2000年10月20日 午前 8時49分

849 名前:AM2000 投稿日:2000/10/19(木) 01:55
>842さんへ 質問ありがとうございます 感謝いたします
ただ 貴方は 自分なりの答えを持っていらっしゃるようですが
私への質問で 何を確かめられたい フでしょうか?
確かめられるかどうかは 分かりませんが 答えさせていただきます

>あなたの支部では職員パンツ強奪事件について、職員から何らかの説明や指示が
ありましたか?

ありません もっとも 聞いてもいません 聞く必要が無いからです

>リバティの記事について、あなたはどう思っていますか?

あの内容で問題無いと思います
警察のあり方 体質に対しての指摘は 的確であると思います

また今回の事件で私は 多くの学びがありました
「腑」に落せていない言葉 甘く考えていた言葉があったことに気付きました
「完全なる自由」です
仏は私達に「完全なる自由」を与えてくださいました
「己の心(魂)の主人公である」という名の自由
こんなにも頑固な いや 「完全な自由」を与えられていたのかと
驚きました また喜びもありました

「完全な自由」であるからこそ リバティの記事には 納得です
ありがとうございました

850 名前:AM2000さんへ 投稿日:2000/10/19(木) 02:42
>849

ショックです。自分のいた幸福の科学が、これほど非常識なカルト団体に
なってしまったのかと思うと...

851 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/10/19(木) 07:30
>849

カルトに思考を縛られていながら「完全な自由」とは・・・・。

幸福の科学の信者のほとんどが、もしこのように考えて(?)(考えさせられている?)
としたら情けないというか怖いですね。
元信者として非常に残念です。


852 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/10/19(木) 09:29
>849さんへ  842です。

一縷の望みも虚しく予想通りの回答、ありがとうございました。

ただ、ひとこと言うとしたら「自由には責任が伴う」という言葉も忘れてはならないと
思います。個人としてはもちろんですが、団体としての責任もです。
「共業」「重々無尽」という言葉もあったと思いますが、まず教団内で
みずから実証体現してほしいものです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とにかくどんな事があっても絶対に自分達は正しいのだ。これはサリン事件を起こしたオウムと同じではないでしょうか?(程度は違うけど)。この辺普通人の感覚と違うから、いつまでたっても教団は世間に受け入れられないのではないか。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


203件目   もう一丁、2ちゃんねるより転載   投稿者:misikitamotu(男性/jp)   2000年10月20日 午前 9時05分

858 名前:815 投稿日:2000/10/19(木) 14:09
AM2000さん

>仏は私達に「完全なる自由」を与えてくださいました
「己の心(魂)の主人公である」という名の自由
こんなにも頑固な いや 「完全な自由」を与えられていたのかと
驚きました また喜びもありました

*「仏」=大川隆法氏

「完全なる自由」とは、善を取るか悪を取るか、自分で選び取るという
主体的意志が、人間に与えられているということなのでしょう。
自動的に善しか行わないようにプログラムされていては、機械と同じで、
それでは魂の向上が望めないということですね。

でも、あなたにもしお子さんがいて、たとえばお子さんが自分の友だちに怪我を
させてしまったとする。
お子さんは、人に怪我をさせてしまったという事実から
きっと何かを学びとるでしょう。
しかし、「完全なる自由」ということで、お子さんが、その後も何十人という人に
怪我をさせ続けていっても、それでもまだ注意もしないで放任するのでしょうか。
これが我が家の教育方針だと、怪我をさせた親御さんに言い放つことができますか。

大川隆法さんは、それをやった人ということになります。
ご本人の主張するところによると、霊能力でなにもかもお見通しだった
わけですから。

ぜひあなたの真摯なお考えを、お聞かせください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
思想というものは便利なものでなんとでもいいつくれるものなんですよね。それこそ論破不可能。だからこそ我々は実際にどのような行動をとっているのかで、その団体の価値を判断するわけ。この価値判断ができなければ、正邪の具体的な区別ができなければ我々は行動できないもの。でもって、教団に都合の悪い事実から総て目をそらしているってのはやはり問題ありと思うわけです。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


204件目   教祖の自慢話(退会者トピより)   投稿者:misikitamotu(男性/jp)   2000年10月20日 午前 9時21分

古本屋で「旧太陽の法」と「新太陽の法」の二冊を購入しました。思った通り、教祖が都合の悪い部分を
片っ端から削除し、自分を美化するために書き換えています。とりあえず教祖の生い立ちから始めましょう
か。

 ”・・・・生来、田舎育ちで、愚鈍っであった私ですが・・・・小学校の頃から「自分は頭が悪いから、人の
二倍、三倍努力して、やっと一人前だ。」・・・・十代の自分を振り返ると、まったく亀のようであったと思い
ます。私は、兎のようにあかぬけた秀才にはなれなかったのです”
「旧太陽の法(文庫) p231」

 実に素直な良い文章だと思います。ところがどっこいこれがこうなるのです。

”小学校の高学年時代の私は、小学生とは思えないほど、平気で長時間の勉強に耐えられる子供でし
た。・・・小学校の高学年になると、年間通算で平均点99・7もとるようになりました。それも、平均点が百
点にならなかった理由は、ある国語の試験にケアレス・ミスで解答を記号で選ぶのを、間違えて言葉で記
入して何十点か失ったからでした”
「新太陽の法 p334」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
教義にも多々問題があると思うが、教祖の人格にもかなり問題があると思います。この二つの教祖の文章を読んで信者さんはどのような見解を持ちますか?教祖が正しいのなら、この文章にもそれなりの訳というのか、正しさがあるわけですが、一般人にはそれがまるで理解できないのですよ。このトピックには信者さんが多々参加しているみたいなので、是非聞かせてもらいたいです。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


205件目   警戒しすぎ?   投稿者:flowersfor   2000年10月20日 午前11時16分

我慢さん>批判者の皆さんからまた批判が出れば、それ以上に素晴らしい映画を製作すれば良いのです。

口では立派なことをいえるものです。でも幸福の科学が教団内外を問わず出てきた教義や団体批判のどれかひとつでも真摯に受けとめたことがあるの?ないでしょう。あなたがたが受け入れることのできる批判なんてのは結局「CGをもっと丁寧に」とかそういう「お手柔らかな提言」程度のもの・「仏」を傷つけない程度のものであって、内容そのものに対する批判は受け入れられないでしょ。書籍に「この本を読んで涙が出ないということは、悪霊にとりつかれてるということだ」ということが書かれてるということは、映画に対してもそういう考えになるってことですよ。なにせ映画も「仏が監修した」んだから。
(これは gamandesune さんのメッセージ193に対する返信です)


206件目   根幹をなす教え   投稿者:flowersfor   2000年10月20日 午前11時20分

パパさん>空観も中道のおしえであろうかとおもいますし縁起の理報からも説いておられるとおもいますから、まさに根幹をなすものといえると思いますよ。

そういうことじゃなくてですねー(はあ・・・)「進歩と調和の秩序のなかに中道がある」という教えが仏教の根幹をなすものであればもっと有名であるはずなのに仏教を勉強する過程でそんな考えはまったく聞いたことがないということです。
(これは papayohkoh さんのメッセージ192に対する返信です)


207件目   成功と失敗   投稿者:flowersfor   2000年10月20日 午前11時52分

チキンさん>成功者がいれば失敗者がいるというのは「現在ただ今」であればその通りかもしれませんが、時間の流れを汲み入れて見たならば敗者復活はありますし違う分野における成功の道もあると思います。

競争原理をとりいれた社会というのはパイの奪い合いをつねにしてるわけで、パイをより多くとったものが勝者ということになる。「時間の流れを汲み入れて見た」ところでそれは変わらない。どの時点で「現在ただいま」を切り取っても成功者と失敗者は絶対にいる。それが競争原理の働く社会だ。成功と失敗とは相対的なものであって失敗するものがいるからこそ成功者は成功者とされるのであって、失敗者がいない状態では成功者というのは存在しない。いったい「全員が成功者」とはどんな状態をイメージしてるんでしょうか。

チキンさん>足ることを知るという教えがありますが、自分の分をわきまえた上で成功することも大事な考えと思います。

つまり幸福の科学の教えは「全員が成功者になる教え」ではなく成功してない者にも「これでいいんだ」と納得させる教えすなわち「見方を変えなさい」という教えであって、客観的状況を変える教えではないということですか。

それから、

チキンさん>これはゼロ・サム型、パイの取り合い型の思考になっていると思われます。その考え方をとりますと、成功することが難しくなります。

と考えるのはどうしてでしょうか?
(これは chicken_soup_00 さんのメッセージ190に対する返信です)


208件目   根幹をなす教え   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2000年10月20日 午後12時59分

>仏教を勉強する過程でそんな考えはまったく聞いたことがないということです。

ひとから聞いたことがないから、無いとおっしゃるのですか、さてこまりましたね。
二人の比丘が魂の進歩のための修行と伝導の遊行の途中で、川を渡ることに難渋している女性に出会って、一人の僧は女人と話しては戒律に触れるから関わらず先きに行こうとするけれども、片方の僧はその女性を背負って向こう岸まで連れて行きそこでおろしなにごともなかったように行脚についたところ、さきの僧は、お前は戒律をやぶった女人に触れた、常識はずれの、世間に笑われるの、と責めたてはじめたところ、くだんの僧は「おまえはまだ背負っているのか」と答えそれまでと変わること無くひたすらな遊行のなかにあった。という説話を戒律のたんなるやり取りの話しとみるか、そこに中道の教えをくみとるか、さらなるものを見い出すか、人がどうこう言うことによって教えが左右される受け止めかたは、仏教の勉強からは、すこしはなれているとおもいます。
(これは flowersfor さんのメッセージ206に対する返信です)


209件目   誰かさんの発想では   投稿者:Thankyou_El_Cantare   2000年10月20日 午後 2時02分

”家族全員が幸せ”ということは有り得ないことになりますね。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


210件目   くみとる   投稿者:flowersfor   2000年10月20日 午後 3時23分

仏教の思想に「進歩と調和の秩序のなかに中道がある」というものが「ある」と主張し、「ない」と主張するひとに反論するならそれなりの根拠なり示していただきたい。
「くみとる」とか「見出す」というのは主観であって本当にそのような思想をしめすものとして解釈できるかどうかは検討しなくてはいけないでしょう。そういう解釈がメジャーでない(どころか存在もしないのでは?)以上は、それがあなたの妄想な 闔vい込みである可能性があるわけです。「わたしはそうくみとったのだ」なんていってなんでも正当化できるんだったら、釈尊の思想でないものまで釈尊の思想であるとして主張することになりますよ。
「進歩と秩序のなかに中道がある」という思想をしめす言葉として解釈されるものを教えてください。時間があるときでいいので。
(これは papayohkoh さんのメッセージ208に対する返信です)


211件目   そんなに疑うとは   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2000年10月20日 午後 4時32分

ここで一つだけ確認したいですね。
批判されることは良いのですけど、
フラワーさんご自身がご自分で
批判事実を確認されたものはどれだけあるのでしょうか?
伝聞とか他者の記述とかから入れた情報も
もまったくないとは言えないと思いますね。

太陽の法の映画を見て頂きたいのは
フラワーさんご自身がご自分の目で
心で魂で直接、幸福の科学の真の姿に
触れることの出来る機会になるからですね。
そして、その体験をもとに批判される
言葉に対して真摯に受け入れられない
はずはないのですね。

フラワーさんの魂からの訴えに耳を傾けない私ではありません。

お互い地球の子であり仏の子であるのですからね。

「魂は知っている」のです。
そして魂は求めているのです。
真実を!!!

疑いすぎては体に毒ですよ。
それでは。
(これは flowersfor さんのメッセージ205に対する返信です)


212件目   疑う?警戒?   投稿者:flowersfor   2000年10月20日 午後 9時21分

我慢さん>疑いすぎては体に毒ですよ。

いったいなにを言っておられるのか・・・。お聞きします。「涙が流れないということは悪霊にとり付かれてるからだ」と述べる教祖に追随するあなたが「涙が流れませんでした」という反応にどういう根拠をもって「真摯な対応をできる」などといえるんでしょうか。「批判は真摯に受けとめるべし」という信念をお持ちならば「涙が流れないということは悪霊に取り付かれてるということだ」と主張し、批判など受けとめる気持ちがさらさらない教祖をこそまず批判なさい。そんなことはできないでしょう?だから言ってるのです。「批判を真摯に受けとめるなんていうのは言葉だけであって、幸福の科学を理解できない人をあなたたちは見下すだけだろう」と。

我慢さん>フラワーさんご自身がご自分の目で心で魂で直接、幸福の科学の真の姿に触れることの出来る機会になるからですね。

自分の目で触れるとはなんです?ぼくは原作である太陽の法はもちろん、20冊の書籍を読んでますよ。あなたのいう「真の姿」ってなんですか?

我慢さん>フラワーさんご自身がご自分で批判事実を確認されたものはどれだけあるのでしょうか?伝聞とか他者の記述とかから入れた情報もまったくないとは言えないと思いますね。

当然でしょう。自分の考えを形成するにあたって自分で体験したもの以外にいっさい頼らないなんていうひとがどこにいるのか。信頼すべきと判断した情報だったら、それが他人の情報であったって何の問題もありませんよ。信者はオウムを批判してきたがオウムの書籍をきちんと読んだうえで批判してる人がどれほどいるというのか。ほとんどが伝聞や他人の記述から取りいれてるでしょう。
(これは gamandesune さんのメッセージ211に対する返信です)


213件目   よく言うよ   投稿者:sonibeer2001(30歳/男性/大津市)   2000年10月20日 午後10時17分

>そして魂は求めているのです。
>真実を!!!

>疑いすぎては体に毒ですよ。
>それでは。

あんたにこんな事言う資格あったっけ。関谷元幹部の幸福の科学内部告発本「虚業集団」を出版した現代書林を講談社の陰謀だと決めつけるあんたが。 しかもその理由が現代書林が小さな出版社だから、採算の取れない本を出すからには後ろから講談社が糸を引いているに違いない(実際は充分採算が取れた)と、証拠もなしに断言するあんたは、口が裂けたってそんなこと言えないはずだがね。信者は自分の事は棚にあげてこんな事言う連中ばかり。
(これは gamandesune さんのメッセージ211に対する返信です)


214件目   あれれ   投稿者:ixtlan   2000年10月20日 午後11時05分

UM_GAIA氏と別の人を混同してました。どうもすみません。
(これは UM_GAIA さんのメッセージ199に対する返信です)


215件目   認識論とは何か   投稿者:ixtlan   2000年10月20日 午後11時11分

 「私のこれまでの投稿・論考中にそのモデルが読み取れませんでしょうか。昨日の私のお返事中では、かなり根本的な認識論・存在論命題についての見解を述べています。」

 それについては私はUM_GAIA氏の述べた内容が誰か他の人にも了解可能なのかどうか疑っています。認識論とは認識がいかにして成立するか、という話です。伝統的には感覚と言語と意識の話です。前の投稿にありましたが、認識論チックうんぬんという箇所の一体どこが認識論チックなのかさっぱりわかりませんでしたが。

 「ixtlan氏ならある程度理解できる内容レベルである、と考えていたのですが、難し過ぎたかなあ。。。ちょっと反省。」

 難しいのではなくて、ある程度共通する理解がないと何言ってるのかわからんということになりますね。
(これは UM_GAIA さんのメッセージ200に対する返信です)


216件目   目的的思考について   投稿者:ixtlan   2000年10月20日 午後11時20分

>> 合目的的に、というのは生物界では言えるでしょうが、非生物界ではいえません。

>その根拠を示してください。私のこの見解は「いわゆる生物」か否かなど全く関係なく、宇宙の全事象についての存在論・認識論的な見解です。(思想的に認めないのはご自由ですが)

 そういうことを言ったらお互いさまでしょう。一体どうして全事象が合目的的なんですか?

 まあしかし、いろいろ考えられることを考えてみます。全てのものが合目的的であるとすると、普通に言われる悪というものが、あるいは倫理的価値世界も変容します。たとえば、普通にはナチスは悪である、がしかしナチスも合目的的であるとなれば、それを消滅させるような行為は反目的的になるでしょう。このようなことになってしまう以上、あらゆるものが合目的的である、という理屈にはその限界を課さなくてはなりますまい。
(これは UM_GAIA さんのメッセージ201に対する返信です)


217件目   幸福の科学は   投稿者:ixtlan   2000年10月20日 午後11時27分

 幸いにして「仏教は」が主題ではなくて、「仏陀が」が主題でしょう。なにせ教祖が仏陀の生まれ変わりだと言っているわけだからさ。

 それでですね、

 「そのような縁起の理法そのものを成立させている根源(力)が推定されるわけです。これを神の意志そのものと言おうが、光と言おうが、表現は難しいですが。」

 こういうことを言ってしまえる心境がわからんのです。仏陀は「創造主」などということを言ったのか?仏陀とイエスを混同していないか?

 「存在は変転を内包している、ということです。もっと言えば、存在は変転する時間を内包している、ということです。(これはハイデッガーの存在論流の言い回し)」

 UM_GAIA氏はペロペロと人の名前を出すけれども(前の投稿には確かキルケゴールというのもありましたね)、ハイデッガーは認識論を拒絶したところから存在論を始めたのです。ハイデッガー ェどうたら言うのであれば、あれの認識論拒否に対してどう思うのか聞きたいなぁ。
(これは UM_GAIA さんのメッセージ201に対する返信です)


218件目   だから   投稿者:ixtlan   2000年10月21日 午前 0時13分

>> 「形式論理学が自性として論理矛盾を内包する」なんて聞いたことがありません。
>> どこの誰がそのようなことを言っているのでしょうか?

 「とりあえず不確定性原理(数学の範疇です)を勉強されてください。これが証明されてしまったことは、20世紀の知性のショックの一つであります。」

 数学の範疇だったら形式論理学の範疇ではないでしょう。しかも形式論理学は言語全般を対象とするわけではない。もし「言語的表現」には限界がある、ということを言いたくてゲーデルをもってくるなら、何か変ですね。
(これは UM_GAIA さんのメッセージ201に対する返信です)


219件目   UM_GAIA氏の言っていること   投稿者:ixtlan   2000年10月21日 午前 0時56分

は何がなんだかさっぱりわからないのだが、認識論とか存在論とか、その実この人自身がなにかわかっていてこういうことを言っているのか、ただ言葉を適当にペロペロつむいでいるのかもわからない。

 かろうじて今までにほのかに見える信念は、つまりエネルギーが「常住不変」のものであるということ。それからどうも、「全体性」とか「総体性」というものを「常住不変」のものとしたがっているように見えるということ、以上ですね。

 これは認識論とかではない。存在論というならわかる。しかしこの存在論は危うい。「全体は常住不変である。全体に関わる真理も常住不変である。全体に見えるものは常住不変の真理を持っている。もしかするとそれは仏陀の生まれ変わりの大川隆法かもしれない。そうだそうに違いない。みんなひざまずかねばならない。」という信念の養分になる可能性がある。
(これは ixtlan さんのメッセージ217に対する返信です)


220件目   修辞学   投稿者:ixtlan   2000年10月21日 午前 1時13分

 「当然でしょう。自分の考えを形成するにあたって自分で体験したもの以外にいっさい頼らないなんていうひとがどこにいるのか。信頼すべきと判断した情報だったら、それが他人の情報であったって何の問題もありませんよ。」

 しかりしかりしかり。このようなタイプの真理をも許容するだけのものが伝統的修辞学にあったそうです。

 しっかししっかりしている人がおられて好ましい、ここの批判者側は。
(これは flowersfor さんのメッセージ212に対する返信です)


221件目   よく言うね   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2000年10月21日 午前 1時15分

その件は個人的に知っているので
書いたんですよ。

それに関谷さんのいた時代は過去の過去ですね。
私も古いですから知っていますが関谷本はもう情報的にも古いので
価値がないように思いますが?

あの本で価値があるのは若かりし頃の
総裁のお姿ですね。
また、特に失礼を思うのは無断で総裁のご結婚記念写真を使用していることですね。

まあ彼はこの写真を無 fで掲載することで
幹部だったんだ!!の証拠にしたいのでしょうが、結局、それは総裁にすがっていることですよね。
自分に自信と正義があるなら無断掲載など
しないで自分の言葉で話せば良いのではと
思いますよ。
退会してからも総裁に甘えていること
が理解できないようですね。

私は、そのように思いますね。
(これは sonibeer2001 さんのメッセージ213に対する返信です)


222件目   どうして   投稿者:ixtlan   2000年10月21日 午前 1時19分

割り込めごめんなさい。
「どうして自分のことを棚に上げるのか」
その理由の一つが例の「中道」とかいうものではないのかな、とふっと思ったんです。「疑いすぎては体に毒ですよ」信者側のレトリックは、この点で中道言説の危うさを露呈しているように見えます。真ん中に戻そうというその時点で「恣意的(自分勝手)」になりやすいということでしょうね。それならこちらも勝手に「信じすぎては馬鹿になりますよ」と言いたくなる、あはは。
(これは sonibeer2001 さんのメッセージ213に対する返信です)


223件目   そうですね。   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2000年10月21日 午前 1時34分

19日のアンビリバボーってテレビ番組
みましたか?
水の結晶を紹介した番組ですね。もとは
江本勝さんの水の話です。
その江本さんの著書に水の結晶写真が沢山
掲載されています。

「悪魔」、「天使」、「天照大神」等と書いた紙を水の入ったビンに貼り付け、その水の結晶を観察するのですが悪魔なんて書いた紙を貼り付けた水の結晶と天使や天照大神の結晶では美しさがまるで違いますね。
愛、感謝も美しいですね。是非、御覧に
なってください。悪魔と書いた紙を貼り付けた水の結晶は見れたものではありません。

話がそれてすいません。

さてフラワーさんの引用は何処からでしょうか?涙が流れないということだけでは
意味不明ですよ。

笑い話をしているときもおかしくて涙が出ますし、そこまで行かない場合は涙が出ませんね。それは悪霊にとり付かれているからだなんて話でしょうかね?

総裁の話を部 ェ的に引用されても困りますね。

またフラワーさんは悪霊に憑依されている
と言われるのが怖いのですか?
結構、怖がりなんですね。

ともかく映画を見てみてください。
疑いは吹き飛びますよ。

魂は必ず解りますよ。貴方も仏の子ですからね。

また、これ以降の話は映画を見てからにしませんか?
話がそれていくようですから。
映画よろしく!!!
(これは flowersfor さんのメッセージ212に対する返信です)


224件目   追伸です。   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2000年10月21日 午前 1時46分

知り合いの医学博士がビタミン療法を
患者に施していた時の話です。
その患者は確かにビタミンEの不足から
体に異変が起きていると確認して
ビタミンEを投与したそうです。
しかし、状況は改善されないかわりに
悪くもならない。
そこで、これまでの経験からは到底
考えられない量を投与したところ
、状況は好転したそうです。

生活習慣の違いなどが大きく影響して
いたそうで、こんなに必要な人もいるのだなと考えさせられたそうです。

20冊読んでくださっているようですね。
それならもう10冊ぐらい読んでみて下さいよ。
何か変化するかもしれませんよ。

デモ最初から否定する気持ちで読めば
あまり意味がないように思います。

よろしく!
(これは flowersfor さんのメッセージ212に対する返信です)


225件目   どうして?   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2000年10月21日 午前 1時54分

言葉や理屈遊びで幸福の科学に入って
いるんじゃないんだね。

体験しているだな。これは言葉で説明して
理解して欲しいといっても無理かもしれない。

また、信じすぎて馬鹿になることは有りません。あははは。

本を読んだだけだろうよと思っているのが
貴方かもしれませんね。
でも体験している側の私からすると
馬鹿にしている貴方が可哀想と思うのだけどね。
信仰は経験をとおしても深くなるのですよ。
頭で考えただけでは、ここまで出来ませんね。

そこで簡単な質問を貴方にし スいのですが

人は死んだらどうなるでしょうか?
是非、貴方のお考えをお伺いしたですね。
よろしく!!
(これは ixtlan さんのメッセージ222に対する返信です)


226件目   非常に不思議な状態です。(笑)   投稿者:SOLNA_99   2000年10月21日 午前 5時45分

激しい議論が飛び交うなか、私だけが、
まるで台風の目の中にいるような、静けさです。(爆笑)

みなさん、門外漢にはお強いようですが、同業者には
まるっきり弱いようです!
(これは SOLNA_99 さんのメッセージ198に対する返信です)


227件目   ほらまた信者の苦しい言い訳がはじまった   投稿者:sonibeer2001(30歳/男性/大津市)   2000年10月21日 午前 6時43分

>その件は個人的に知っているので書いたんですよ。

俺は「虚業集団」を出版した現代書林がなぜ講談社の手先か聞いている。あんたは「退会者トピ」で現代書林はちっぽけな会社だから、講談社に操られてい 驍ノ違いない、と証拠も無しに誹謗した。個人的に証拠を握っているならそれをカキコしたらどうだい。できないだろう。所詮あんたの思いこみにすぎないからな。
そう言えば証拠も無しに創価学会が殺人テロを繰り返しているとか言ってた信者がいたな。確証も無しに妄想と事実を一緒にする所は本当によく似てる。
(これは gamandesune さんのメッセージ221に対する返信です)


228件目   2ch「幸福の科学は嘘つき集団!」より転載   投稿者:SachisanUSA(44歳/男性/USA)   2000年10月21日 午前 6時52分

皆さん、以下のコメントどう思われます?

------------------------------------
4 名前: 大川隆法 投稿日: 2000/10/21(土) 06:44

まあ幸福の科学の嘘は数え上げればきりがありませんが、一番
大きな嘘はなんといっても、教祖が「宇宙で一番偉い神様で、この
地球さえも創ったお方だ」という本人の主張ではないでしょうか。
ですから以前大川氏は「地球の裏側で葉が一枚落ちるのも自分の
手にとる様にわかる」と言っていました。と アろが、今回の
自分の運転手をして毎日顔を合わせていた職員が半年以上に
わたって100人近くの被害者を出していたにも関わらず何も
しませんでした。その職員が警察に捕まってから、幸福の科学を
クビにして、「あれは全部彼の自己責任だから」の一言で片付け
ています。これでは、「宇宙で一番偉い神様」どころか、普通の人
にも劣る「人間」ではないでしょうか?
(これは gamandesune さんのメッセージ225に対する返信です)


229件目   がはははは、信者は本当に笑わせてくれる   投稿者:sonibeer2001(30歳/男性/大津市)   2000年10月21日 午前 7時05分

>その江本さんの著書に水の結晶写真が沢山掲載されています。「悪魔」、「天使」、「天照大神」等と書いた紙を水の入ったビンに貼り付け、その水の結晶を観察するのですが悪魔なんて書いた紙を貼り付けた水の 結晶と天使や天照大神の結晶では美しさがまるで違いますね。愛、感謝も美しいですね。是非、御覧になってください。悪魔と書いた紙を貼り付けた水の結晶は見れたものではありません。

正気かい?紙に「天使」と書いて貼ったらたらきれいな水の結晶ができ、「悪魔」なら見れたものではない。本気で言っているの?じゃあ浄水器など買わずに、水道に「天使」の張り紙をすれば良いわけだな。外国語もオッケーなの?漢字間違えた場合は?いくらでも疑問が湧いてくるな。さらに「大川隆法」ならさらに光のパワーのおまけ付き(実行してる?ガマンデスネ氏)。ついでに「創価学会」の文字があったら、早死にする訳だな。これは大変だ。新聞なんかどれも読めない訳だ。あっそうか、それで信者は家の四隅に大川隆法の本を埋めたり(「私が幸福の科学を辞めた理由」トピ参照)、パソコンの周りに大川隆法の本を積んで光のバリヤーなどと真面目にやれるんだ。
幸福の科学信者はマスコミ批判をしつこいくらいしているのに、こういうオカルト的な事はびっくりするくらい素直に信じちゃうのね。電波少年と同じで、だれもあの番組をマジでみている訳ではあるまい。小学生とオカルトマニアと幸福の科学信者くらいか。
(これは gamandesune さんのメッセージ223に対する返信です)


230件目   私も信者さんから解答を待ってます。   投稿者:misikitamotu(男性/jp)   2000年10月21日 午前 7時18分

古本屋で「旧太陽の法」と「新太陽の法」の二冊を購入しました。思った通り、教祖が都合の悪
い部分を
片っ端から削除し、自分を美化するために書き換えています。とりあえず教祖の生い立ちから始
めましょう
か。

 ”・・・・生来、田舎育ちで、愚鈍っであった私ですが・・・・小学校の頃から「自分は頭が悪いか
ら、人の
二倍、三倍努力して、やっと一人前だ。」・・・・十代の自分を振り返ると、まったく亀のようであっ
たと思い
ます。私は、兎のようにあかぬけた秀才にはなれなかったのです”
「旧太陽の法(文庫) p231」

 実に素直な良い文章だと思います。ところがどっこいこれがこうなるのです。

”小学校の高学年時代の私は、小学生とは思えないほど、平気で長時間の勉強に耐えられる
子供でし
た。・・・小学校の高学年になると、年間通算で平均点99・7もとるようになりました。それも、平
均点が百
点にならなかった理由は、あ 骰糟黷フ試験にケアレス・ミスで解答を記号で選ぶのを、間違えて
言葉で記
入して何十点か失ったからでした”
「新太陽の法 p334」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーー
教義にも多々問題があると思うが、教祖の人格にもかなり問題があると思います。この二つの
教祖の文章を読んで信者さんはどのような見解を持ちますか?教祖が正しいのなら、この文章
にもそれなりの訳というのか、正しさがあるわけですが、一般人にはそれがまるで理解できない
のですよ。このトピックには信者さんが多々参加しているみたいなので、是非聞かせてもらいた
いです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
どうして答えてくれないのでしょう。神である教祖の人格が疑われているのですよ。信者さんは説明する義務があると思いますよ。なぜなら教祖が否定されているのですよ。どうしてぼーっと見ていれるのでしょう?幸福の科学が一般人に理解されなくてもかまわない教えなら別にいいですけど、仏国土ユートピア建設を目指しているのでしょう?
(これは misikitamotu さんのメッセージ204に対する返信です)


231件目   これについての信者さんの見解も知りたい   投稿者:misikitamotu(男性/jp)   2000年10月21日 午前 7時27分

教祖の自慢話の何が見苦しいかと言うと
投稿者: ikarugayamamoto
2000年10月18日 午後 7時52分
メッセージ: 803 / 807

 誰も自分の事をほめてくれないから、自画自賛している点ですね(それもテストの点に執拗に こだわっているのが笑える)。賞賛というのはあくまで他者によって行われるから価値があるも のであって、自分で「僕は小さい頃からこんなに勉強ができたんですよ。凄いでしょう。僕の鶴の 一声にみんな従う、生まれながらの指導者なのです」などいう奴は、指導者失格です。
 「愛」を教義としながら、一番愛に飢えているのは大川教祖なのではないでしょうか。だから自 分の写真や彫像を拝ませて、悦にいっているのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これについての信者さんの見解も是非知りたいです。確かに自分で自分の事を(それもテストの点が良かったと言う俗っぽい事で)誉める教祖も珍しいと思います。大川教祖には何か特別な理由があって、そうしているのでしょうか?それがわからない限り、「太陽の法」がいかに素晴らしかろうとも、教祖の生い立ちを語る部分で、多くの人々が幸福の科学を誤解するはずです。
(これは misikitamotu さんのメッセージ230に対する返信です)


232件目   そう言いたくなる   投稿者:ixtlan   2000年10月21日 午前 7時53分

心境というのはわからんでもないですが..とくに自分の言葉が通じないときには。

 「言葉や理屈遊びで幸福の科学に入って
いるんじゃないんだね。」

 であれば、幸福の科学から言葉を全部とって布教しなさい。その際にはもちろん『太陽の法』はないし、映画も無声映画とするように。

 犬猫に宗教はない、おなじく言葉もない。その当たり前のことをもう一度見つめてみよ 、。

 「体験しているだな。これは言葉で説明して理解して欲しいといっても無理かもしれない。」

 だから体験というのであれば犬猫にだってあるだろう。

 「また、信じすぎて馬鹿になることは有りません。あははは。」

 だったら疑いすぎても体に毒ではないだろう。私が言いたいことはこういうことではないんだが。中道に戻す契機が恣意的だということですよ。

 「人は死んだらどうなるでしょうか?
是非、貴方のお考えをお伺いしたですね。
よろしく!! 」
 
 死んだら死んだという状態になる。それ以外はわからない。
(これは gamandesune さんのメッセージ225に対する返信です)


233件目   不確定性原理?   投稿者:iwasikyo_kyoso(50歳/jp)   2000年10月21日 午前10時28分

なんで「形式論理学が自性として論理矛盾を内包する」ということに不確定性原理が出てくるんでしょう?

ixtlanさんが書かれているように不完全性定理ならまだ拡大解釈(それも拡大の拡大をしないといけない)してやっとなんと ゥ意味が通じる。

UGさんて、「ただ言葉を適当にペロペロつむいでいる」だけじゃないんですか。
教祖そっくり。
(これは ixtlan さんのメッセージ218に対する返信です)


234件目   ちょっと違いますね。   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2000年10月21日 午前10時43分

言葉や理屈遊びと書きましたが幸福の科学は目的は遊びでは有りませんから言葉をとりません。

ixtlanさんの目的は何かな?

拝見しているとご自説の展覧会みたいで
趣味的な発言をされていると感じるので
言葉や理屈遊びと書いたんですけどね。

だってそうでしょ。死んだら死んだ状態に
なるしか解らないのなら私からすれば
なんの救いもありませんね。

解らないから解りたいと考え努力するんです人間はね。(無駄な努力かもしれませんけど)

でも解らないからお終いであればあまりにも寂しいですよね。

違うことで遊んで誤魔化しても必ず人間には死が訪れます。それをどのように迎えるかを考えている私からすると悪いけど、貴方の発 セは言葉、理屈遊びにしか感じられないのです。
虚しいと感じるんです。

ごめんなさいね。でも、そう感じます。
人間が地上で生きる意味は何かを知りたいから遊びではなくなるんです。
必死になりますよ。違いますか?
人の死は様々な教訓を与えてくれます。
それを考えたいと思うから必死なんですよ。

ですから失礼かもしれませんが貴方の発言は私には言葉遊びにしか感じられません。
(これは ixtlan さんのメッセージ232に対する返信です)


235件目   そう思い込みたいのは貴方の自由だよ。   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2000年10月21日 午前10時52分

講談社の話は知っている人は知っているんですよ。出版関係にいれば特にね。
君が知らないだけですね。

あそうだ、やけに創価学会に拘るけど何でかな?

創価学会は会員数が多いので私にももと地区婦人部の婦人部長と言って良いのかな?
知り合いがいますよ。
彼女の話を聞いたらひっくりかえりますよ。
殺人なんて、そんな風に考えていないでょう。法難を取り除くだけでしょう。

君は学会員の波動とそっくりなんですけど
違います?
違っていたらご免。
(これは sonibeer2001 さんのメッセージ227に対する返信です)


236件目   ixtlanさんへ返信 1   投稿者:UM_GAIA   2000年10月21日 午前11時24分

パラパラお返事どうもでした。

◆re:あれれ      投稿者: ixtlan

> あれれ、UM_GAIA氏と別の人を混同してました。どうもすみません。

「あれれ」、という訳のわからない弁明をされてるようですが(失笑、失礼)
謝意を表わす最低の礼儀はお有りの様ですので、一応受諾しておきます。
(テキト〜に批判している感は拭えませんが)

指摘した点の他にも、錯誤は散見されるので、ご自分の投稿も再度見直して
おかれる事もお薦めします。

それから、貴方は思いつきか何か知りませんが、「自己の思想に基づいて」
「テキト〜に質問し」、答えを要求しているような物言いが大変多いのですが、
私から貴方宛ての質問には、曲りなりにもキチンと答えて戴いていることが
ほとんどありません。
都合が悪い部分?で話を逸らすのは、この点、批判者の一部も(信者の一部も)
同レベルの所が見受けられます。

それから、この点だけは再度質問させて戴きますが、議論の前提として
「投稿にあたる、貴方の依って立つ立場 (思想的でも、その他何でも)を、
 はっきりとお示し下さい」ませんか?
私の立場は最初の投稿時(No.93)に「箇条書き」ではっきりと示しています。


◆re:認識論とは何か     投稿者: ixtlan

> それについては私はUM_GAIA氏の述べた内容が誰か他の人にも了解可能なのか
> どうか疑っています。

「他の人」と言うより、「貴方」に理解・了解が可能なのかどうか、現在私も疑問です。
貴方向けの返信ですので、他の人の理解はそれほど想定していません。
賛同せよ、などとは言いませんが、頑張れば理解くらいは出来るでしょう、と言う事です。
(ある程度健全な哲学的教養を積んだ方、もしくは直観力や悟性の備わった方なら
 私の論、底流にある思想の理解は充分に可能だ、と考えていますが)

> 認識論とは認識がい ゥにして成立するか、という話です。
> 伝統的には感覚と言語と意識の話です。前の投稿にありましたが、認識論チック
> うんぬんという箇所の一体どこが認識論チックなのかさっぱりわかりませんでしたが。

勉強の為に整理しておきますと <引用〜哲>

▼真理認識の方式にはおおよそ三つの立場がある。
 ・観念(認識する知性)と実在との合致によって真が成立すると考える「対応説」。
 ・当の観念が整合的な観念体系の内部で適合する時に真が成立すると考える「整合説」。
 ・仮説が事実によって検証されたときに真が成立すると考える「プラグマティズム」。
現実の真理認識は、この三説によって成り立っている。▲

という理解が正統と考えます。このいずれかの範疇です。
人によっては一つしか(すら)理解していない事も多い。異論がおありでしょうか?

> 難しいのではなくて、ある程度共通する理解がないと何言ってるのかわからん
> ということになりますね。

それはある意味その通り♪
その為にも、上質問のお答え、ぜひお示しください。

私は貴方の書かれている内容や、主張、(また錯誤の部分)など理解はできます。

「さっぱりわからん」「わからん」と連発されるのは正直で結構ですが、失礼ながら
一般的には「わからん」「理解できん」という現象は、当人には「難しい」ことを顕します。
(これは ixtlan さんのメッセージ219に対する返信です)


237件目   返信 2です   投稿者:UM_GAIA   2000年10月21日 午前11時25分

◆re:目的的思考について   投稿者: ixtlan

>>> 合目的的に、というのは生物界では言えるでしょうが、非生物界ではいえません。

>> その根拠を示してください。
>> 私のこの見解は「いわゆる生物」か否かなど全く関係なく、宇宙の全事象についての
>> 存在論・認識論的な見解です。(思想的に認めないのはご自由ですが)

> そういうことを言ったらお互いさまでしょう。一体どうして全事象が合目的的なんですか?

詳述すると長くなるので前回は省略しましたが、簡単にお答えしますと、
まずこれは私の思想、哲学、世界観、価値観、(信仰のあり方含)に基づく結論です。
援用すれば、以前書いたようにヘーゲルの哲学と基本的に同じものです。
(もちろんへーゲルに反対されるのはご自由です)

因果律に依り、存在は変転を内包している、という書き方をしましたが、これが真である
として、次なるテーゼは、ではその展開の流れには何れかの方向性というものがありや
なしや、ということになります。私は「ある」と主張したいだけです。それを「合目的的」と
哲学では表現するのです。(それほど難しいでしょうか♪)

それから、私の前回の質問群は決して「思いつき」の質問ではありません。
貴方が思想的依拠をなかなか明示しないので、それを知る一端になるやと思い
質問しております。その点ご理解下さいますよう。(生命についての質問も然り)

貴方の思想的依拠については、実は言葉の端々から一定の信条が推定されるの
ですが、推測では失礼なのでお答えをお待ちしております。


>全てのものが合目的的であるとすると、普通に言われる悪というものが、あるいは
> 倫理的価値世界も変容します。

その通りです。
この辺りについ トの私の見解は、ixtlanさんへの「返信1〜6」に示してあります。

補足しますと、(超久々に「幸福の科学」の教義について想的に言及しますが)、
「悪とは何か」について、「自由意思の相克である」「TPOによっても変容する」
と言う、教義中の解釈・思想には賛同しています。

> たとえば、普通にはナチスは悪である、がしかしナチスも合目的的であるとなれば、
> それを消滅させるような行為は反目的的になるでしょう。

面白い例え(言葉遊び)ですね。
私はナチスが健全であったとは考えませんが、絶対悪であったと断定できる根拠も
見つかりません。歴史上で現在のところは悪判定が下されているというだけ、と言えば
だけです。もちろん下されてる理由には、それなりに正当な価値が含まれているでしょう。

まさにナチス主義とアンチナチス主義が(戦争という暴力行為を通じてですが)、
弁証法的に展開された結果、一定の止揚を見た。ということに他なりません。
この現在の「合」に対する新たな「反」は、必然的に発生してくることでしょう。

それから一つ指摘しておきますと、そもそも貴方の提示した論点は
「生物では言えるが、無生物では言えない」という主張ではなかったでしょうか?
ナチスの例えは「人間=生物」の話なので、そもそもこの例えはご自身の主張の
中で甚だ矛盾しております。

> このようなことになってしまう以上、あらゆるものが合目的的である、という理屈
> にはその限界を課さなくてはなりますまい。

どのレベルで議論するかによります。
各論では限界や条件に見えるものも設定可能ですが、第一原因まで遡れば、
真理はシンプルに成立し得る、と考えます。
単なる言葉の上での「理屈」ではなく、真理についての思惟を通じた考察・見解を
述べているのです。(よくわからなければ、ヘーゲルの再読をお薦めします。)
(これは UM_GAIA さんのメッセージ236に対する返信です)


238件目   返信 3です   投稿者:UM_GAIA   2000年10月21日 午前11時27分

◆re:幸福の科学は         投稿者: ixtlan

> 幸福の科学は幸いにして「仏教は」が主題ではなくて、「仏陀が」が主題でしょう。
> なにせ教祖が仏陀の生まれ変わりだと言っているわけだからさ。それでですね、

>> 「そのような縁起の理法そのものを成立させている根源(力)が推定されるわけです。
>> これを神の意志そのものと言おうが、光と言おうが、表現は難しいですが。」

> こういうことを言ってしまえる心境がわからんのです。仏陀は「創造主」などということを
> 言ったのか?仏陀とイエスを混同していないか?

相手の心境がわからん、というのは、他の人間に対する洞察力、理解力に限界がある
ことをただ示しているだけです。卑近な例では、これが劣っていると、恋愛時に多大な
障害・不幸が発生するでしょう。(みなさん、人生の勉強もしましょうね♪)

何故こうくるのか、またまた理解に苦しみますが、折角のコメントですので。。。

仏陀は創造主などとは言って降りません。その代わりとして、第一原因に相当するもの
として、法(ダルマ)と言う言い方でそのあり方について言及している、と考えます。

ヘーゲルが世界精神と呼ぼうが、仏陀が縁起の法として顕されようが、イエスが主と
呼ばれよ 、が、大川氏が十何次元神霊と言われようが、その実在概念は同一である、
と考えます。別に混同はしておりません。それが私の思想的な認識です。


>> 「存在は変転を内包している、ということです。もっと言えば、存在は変転する時間を
>> 内包している、ということです。(これはハイデッガーの存在論流の言い回し)」

> UM_GAIA氏はペロペロと人の名前を出すけれども(前の投稿には確かキルケゴールと
> いうのもありましたね)、ハイデッガーは認識論を拒絶したところから存在論を始めたの
> です。ハイデッガーがどうたら言うのであれば、あれの認識論拒否に対してどう思うの
> か聞きたいなぁ。


さて、以前の貴方のコメントに、「形而上学にひたっている」という表現があったので、
you are 哲学コンプレックスか、哲学嫌いか、苦手なのか、とも一瞬思ったのですが、
「いいや違うぞ、これはポーズである」、と推定していたのです。

予想通り実は、「いっぱしのハイデッカー通」でらっしゃるようですね♪
すると。。。ニーチェやフッサールやポストモダンに傾倒されているのかな? 更に。。。

人に「どう思うか」を思いつきで聞くときは、まず「自分がどう思っているか」を言うべき
でしょ。 で、お答えする前に <ちょっと脇道へ。。。>

◆re:それはおかしいでしょう 投稿者: ixtlan    No.136

> つまり「闘争が自由の基盤にある」ということではないか?闘争を避けようとするのは
> 「自分は間違ってました」とは絶対言わない官僚主義と同じですね。
> いつでも真理は我にありという形而上学にひたっている。

これです、これ。
「闘争が自由の基盤にある」という結論、発想は恐らく、史的唯物弁証法
平たく言ってマルクス史観を持っている人が言いそうな言説です。
同時に「官僚主義」という言葉から、権力層に対する絶対悪的な断定と
憎悪の感情が醸し出されています。(違います?)

闘争=必要悪という側面は認めますが、最初の投稿で断ったように私は
史的唯物論者ではなく、これとは真っ向から対立を辞さない立場であります。
闘争=自由の十分条件、などという言説には「片腹痛い」というのが正直な感想。

<脇道おしまい♪>

で、「ハイデッカー質問」に簡潔にお答えしますと。。。

ハイデッカーが認識論を拒絶した、などとは全く思いません。
ホントに通???  どこからの受け売りでこうなるのでしょうか?
従来の近代哲学的な認識論に一定の批判を加えたのは事実です。
ニーチェ、フッサールと流れて表れた現象学の方法を(あくまで方法的懐疑手段として)
採用し、より止揚された観点から「存在論問題」「存在論的差異」を説いただけです。
主体と客体の単純二項対立を思想的に否定、止揚しようとしただけです。
そしてそこから、あらたな認識の議論・命題として、自分の存在論を展開している。

とりあえずお答えは以上。 異論があれば根拠と共に明示してください。
(これは UM_GAIA さんのメッセージ237に対する返信です)


239件目   返信 4です   投稿者:UM_GAIA   2000年10月21日 午前11時29分

◆re:だから      投稿者: ixtlan     216

>> 「とりあえず不確定性原理(数学の範疇です)を勉強されてください。
>> これが証明されてしまったことは、20世紀の知性のショックの一つであります。」

> 数学の範疇だったら形式論理学の範疇ではないでしょう。
> しかも形式論理学は言語全般を対象とするわけではない。もし「言語的表現」には
> 限界がある、ということを言いたくてゲーデルをもってくるなら、何か変ですね。

まず、すみません。タイプミスがありました。不確定性原理ではなく(←これは違う話になる)
「不完全性定理」の間違いです。基本的な表記ミス、慎んでお詫び致します。
(まあ、ゲーデルの名前が挙がるようなので、重大な誤解はなかったと思いますが)

貴方の形式論理学に対するイメージが、どうなっているのか分かりませんが、
その基盤は数学的な証明法を源とした、論理的・演繹的な命題の処理方法です。
ゲーデルはこの方法命題に対して、数学的に厳密に追求し、論理証明的な方法は
「ある程度は有用であるが、究極的には言葉遊びの箱庭を出れない」と言う事を
完全に証明してしまったのですよ。「反」を提出してしまったと言っても良い。
ゲーデルの名前を知ってはいても、内容をご存知ないのでしょうか?

(数学的な思考が現在の全ての学問の共通の礎になっております、
また数学は思想であり、哲学でもある、という見解は決して異端ではありません)

不完全性定理についての、オッペンハイマーの端的な言を引用しておきます。
「ゲーデルは、人間の理性一般における限界の役割というものを明らかに示した」
(ちゃんと勉強してから反論は言ってね。)


◆re:UM_GAIA氏の言っていること      投稿者: ixtlan    219

> は何がなんだかさっぱりわからないのだが、認識論とか存在論とか、
> その実この人自身がなにかわかっていてこういうことを言っているのか、
> ただ言葉を適当にペロペロつむいでいるのかもわからない。

はあ。。。まとめは遂にこうなるのですね。
(これは捨て台詞に聞こえなくもない♪)
まあ、ぺロぺロという形容詞がとっても可笑しいので許容しましょう。

貴方の疑念と憤懣=
「おまえホントは何もよく勉強してないくせに適当なこと並べてるな」
「くそう、有名どころの名前や用語をもちだしゃいいってもんじゃないぜ」
は理解いたしますが、さて、そうであるかどうかの判定は、やりとりを読まれた方
各人の判断に一任いたしましょう。

「何が何だかさっぱりわからない」とのことですが、やはり貴方には難しいのでしょう。
(100%の理解でなくとも、)大筋はご理解戴ける方々がいらっしゃることでしょう。
どうも「自分の予定通り簡単に論破出来ないばかりか、逆に窮地に立たされかねない」
という危惧感を感じてしまいますよ。 こういうまとめ方に対する率直な感想です。
(これは UM_GAIA さんのメッセージ238に対する返信です)


240件目   質問です。   投稿者:lon_lon_tei(女性/jp)   2000年10月21日 午後12時00分

いつも拝見しています。

私が会員だった頃は大川さんは9次元大霊とのことだったのですが、どこかのトピックで14次元だと聞きました。
現在大川さんはご自分のことをどのように位置付けているのでしょうか。
14次元の大霊とはどのような存在なのでしょう。

どなたか教えてください。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


241件目   返信 5です。ラスト   投稿者:UM_GAIA   2000年10月21日 午後12時07分

> かろうじて今までにほのかに見える信念は、つまりエネルギーが「常住不変」のものである
> ということ。それからどうも、「全体性」とか「総体性」というものを「常住不変」のものと
> したがっているように見えるということ、以上ですね。

要約としては30点ですが、0点ではありませんよ。
また「全体性」「総体性」という術語概念は使っていません。

> これは認識論とかではない。存在論というならわかる。

そうですね。ではそうご理解ください。
存在の真理に対する言説を述べようとすると、「存在論」にしかなりえません。

ただ、貴方は認識論と存在論を完全な別物と分けたがっているようですが、
その見解には賛同できません。不可分一体な面があるに決まっているでは
ないですか。これについてはハイデッガーの所で述べた通りです。

> しかしこの存在論は危うい。
> 「全体は常住不変である。全体に関わる ^理も常住不変である。全体に見えるものは
> 常住不変の真理を持っている。もしかするとそれは仏陀の生まれ変わりの大川隆法
> かもしれない。そうだそうに違いない。みんなひざまずかねばならない。」
> という信念の養分になる可能性がある。

妙ちくりんな理屈を展開されていますが、とにかく「私の存在論が危うい」理由が、
「幸福の科学の教義の思想的な肯定につながる可能性があるから」ですか?
それは、思想的反論でもなんでもない。ただ感情的な好き嫌い議論でしかありません。

イカルガさんは「思想はどうでもいいから社会問題として事実中心の排撃をされる」
旨、基本姿勢を明示されてらっしゃいます。
ixtlanさんは一体どんなスタンスで、GAIAに果敢な論戦を挑んでらっしゃるのですか?
「思想的な主張が背景にお有りで」、と思っていましたがこの最後の反論のレベル
ダウンにはにはガクッと来ました。
この投稿に反論ないしコメントを戴ける場合は、何度も言いますが、ぜひお立場を
明示されて下さい。真面目に書いてまとめがこれでは、こちらは徒労に終りますので。

最後に私のまとめ。土曜版。

「幸福の科学の教義の思想的な肯定につながる可能性があるから」「私の存在論危うい」
というのが貴方のまとめ・主張だとすると、善意に解釈して、ある意味、お褒めの言葉を
頂戴したと理解しておきます。

最初から書いているように、私は(団体は知りませんが)思想的には大川氏の教義に
賛同している部分も多いので、何がしかその思想性の紹介に役立ち、何がしかの
「信念の養分になる可能性がある」ようなクオリティーを、私の下手くそな論考がもし
備えていると判断されたのなら、ある意味、投稿の目的・意図が達成されていますので。

では良い週末を。(私は今日もこれから、明日もまた仕事です♪)
(これは UM_GAIA さんのメッセージ239に対する返信です)


242件目   表記ミスをお詫びいたします。   投稿者:UM_GAIA   2000年10月21日 午後12時07分

iwasikyo_kyosoさんへ

ちょっと訂正が遅かったようで申し訳ありませんでした。
ixtlanさんへの返信4にも訂正の旨書いているので、そちらもご覧下さい。

これは私の完全な表記ミス、タイプミス、ですので、慎んでお詫びと訂正をさせて頂きます。

不確定性原理(誤) 不完全性定理(正)

(これでは全然違うお話ですね 汗)

昨日朝の投稿の後、見直さなかったので
返信を書いた今日まで気付きませんでした。

今後はこのようなミスのないよう、充分注意致しますので、この度はご容赦くださいませ。

PS 悪口(だと思いますが)は、どうぞご自由に。内容への反論なら応じます。
(これは iwasikyo_kyoso さんのメッセージ233に対する返信です)


243件目   訂正表記ミス 2   投稿者:UM_GAIA   2000年10月21日 午後12時12分

先ほどの投稿「返信2です」中、またタイプミス発見。

ixtlanさんへの「返信1〜6」ではなくて
ikarugayamamotoさんへの「返信1〜6」でした。

これも単純ミスです。
お詫びして訂正いたします。
(これは UM_GAIA さんのメッセージ237に対する返信です)


244件目   それを曲解というのでしょう   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2000年10月21日 午後12時41分

批判されるならよく全体をお読みになってからその意を分かった上ではんたいをいわれるならともかく一部分の語句をあげつらうのは感情ろんではないでしょうか。
その記述のまえに、いまの日本の国は、謙譲の美徳が通じなく、あえて正直に有りのままを述べるとおっしゃっているではありませんか、愚鈍であったというのは自省してみて自分はそうだったとおっしゃったことをその心の内に土足で上がり込むがごとくその言葉をあげつらって誹謗中傷曲解をするものに対しての慈悲としての記述変更であるのですよ。
謙遜すれば誹謗する、事実を言えば中傷するいつから日本はすぐれたものにたいする尊敬の念を失ったんでしょうか。
欧米では、指導者としていかに自分は優れているか自覚すると同時に外に向かってはっきりと表現出来なければ、無能とみなされるのですがそれをご存じのうえでの指導者失格論なんでしょうか。
(これは misikitamotu さんのメッセージ231に対する返信です)


245件目   くみとる   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2000年10月21日 午後 1時23分

ことがなければ、如是我聞も成り立たなくなるんでは無いでしょうか、法句経など説話にみちあふれていると思いますが、どこにも進歩調和という語句は出て参りませんよね。
修行者たちよ、二つの極端に近付くな第一は欲望に自己を奪われて快楽に耽ることであり低級なる営みであり、第二には自分で自分を苦しめることそれは下等なるものであって無益なこと。どちらにも片寄らず中道を歩め、
それあることによって眼を開き、智を生じて真の認識を得て澄み切った悟りにいたることができよう。
という言葉もマイナーな中道のおしえということになりましょうか。
(これは flowersfor さんのメッセージ210に対する返信です)


246件目   いろいろな方々が   投稿者:pucchinpudding(女性/関東地方)   2000年10月21日 午後 1時25分

発言して答えて....。
とても盛り上がっていますね。
このように信者さんも元信者さんも一般の 々もたくさん発言出来る場があるのは、とても良い事ですね。
相互理解の可能性もあるからです。

信者の方々へ。
私は、あなた方の土俵であなた方を理解したい、という気持ちを強く持っています。
私の質問だけでなく、率直な御意見、御感想もお聞かせ下さいね。
ここで発言すると突っ込まれるから、と思うと心配でしょうが、それは「答えられる範囲」でかまわないと思いますし、何人もの方々の意見で一つの答えが見えてくる事もあるでょうし。
宜しくお願い致しますね。
                   ぷりん
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


247件目   2ch「私が幸福の科学正会員を..」より転載   投稿者:SachisanUSA(44歳/男性/USA)   2000年10月21日 午後 3時02分

私は、大川氏は確かに霊能力があったからその事実を霊言集として出していたが、或時点でそれが全く無くなってしまった。普通の人間に戻ってしまった。だが一度掴んだチャンスは逃がすものかと事実をひた隠しにして頑張っている。そ 、考えると、会で起こった今日までの様々な出来事、特に最近起こった事が納得できるのではないかと思うのですが。みなさんは、どう思われますか?

----------------------------------
881 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/10/21(土) 13:08
どこかでも語られていたけど、もう総裁は霊能力なくなったんじゃない?
ターニングポイントはいくつかあるけど、宗教団体にして今ままでの霊言集を
方便とかたり、自分を生き紙様にしてしまった時点ではないか?
およそ宗教家たるもの、もっぱら自己研鑽に励み、他人を導くことを
主とし、それ以外のことには無頓着であるべきですね。
しかるに、某総裁は訴訟に奮迅し、精舎と言う名の形あるものに執着して
いる姿を見たときにもはや宗教ビジネスに成り果ててしまったと
言わざるをえないですね。

子供からお金を巻き上げて自分の生活の肥やしにするのが認識力が高いのかな?
子供に自分の写真を100万円で売りつけて毎日拝みなさいというのが認識力が
高い親のすることなのかな?
子供が悲鳴をあげて苦しんでいるのに、その苦しみはあなたの自己責任です私は
関係ありません。子供が勝手にやったことですと言い放つ親が認識力が高いのですか?

子供が犯罪を犯してもなにも世間に謝罪せず、捕まえた方が悪いと言い放つ親は
認識力が高いのですか?
子供と親の関係に置き換えるとおかしいことがたくさん出てきますね。
(これは SachisanUSA さんのメッセージ228に対する返信です)


248件目   島国だからね。   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2000年10月21日 午後10時31分

パパさん、やはり日本は島国なんですよね。
島国根性という奴は昔から扱いにくいものですね。
自分の価値基準に満たなければ例え相手が
真実を述べても「認めたくない」という
感情が先立ち、本質を見ないということ
なんでしょう。

この島国根性と共産主義的悪平等+闘争正義
説が合体すると、とんでもない化け物になるんですね。

これを幸福になれない症候群という化け物
になのですね。

もっとおおらかに生きたいですね。

マスコミ関係者もお呼びした試写会
。マスコミ関係者も泣いた感動の試写会
だつたようですよ。

ああ、楽しみだ映画が。

魂は知っている!!
ですね。
(これは papayohkoh さんのメッセージ244に対する返信です)


249件目   進歩と調和の秩序のなかに・・・   投稿者:flowersfor   2000年10月21日 午後10時44分

パパさん>法句経など説話にみちあふれていると思いますが、どこにも進歩調和という語句は出て参りませんよね。

そうでしょ?だから「そういう思想は釈尊のものではない」と言ってるんです。「くみとる」というのは大事ですよ。そうじゃなくてなんでもかんでも「わたしはこの言葉からこういう釈尊の意図をくみとった」なんて正当化できないでしょ、って言ってるの。如是我聞だって釈尊の思想として認定されたものだけがお経になったのであって、だからこそ「これが釈尊の思想だ」と主張するからには検討が必要なんです。だからこそまずあなたが「進歩と調和の秩序のなかに中道がある」という思想をしめすものとして解釈した部分を教えてくださいとお願いしたんですよ。それがなんと呆 黷スことに以下だというのですか?

パパさん>修行者たちよ、二つの極端に近付くな第一は欲望に自己を奪われて快楽に耽ることであり低級なる営みであり、第二には自分で自分を苦しめることそれは下等なるものであって無益なこと。どちらにも片寄らず中道を歩め、それあることによって眼を開き、智を生じて真の認識を得て澄み切った悟りにいたることができよう。

これは単に「苦行のなかにも快楽のなかにも真理にいたる道はない」という思想であって、「進歩と調和の秩序のなかに中道がある」なんていう思想とはまったく無関係です。どこに「進歩」とか「調和」が関係するというのか。そもそも「進歩と調和の秩序のなかに中道がある」という言葉の意味すら理解不能です。まずこの主張の意味からもっと具体的に教えていただきたい。「進歩と調和の中道」とはいかなる状態を指すのか。
(これは papayohkoh さんのメッセージ245に対する返信です)


250件目   謙譲の美徳   投稿者:flowersfor   2000年10月21日 午後10時47分

パパさん>その記述のまえに、いまの日本の国は、謙譲の美徳が通じなく、あえて正直に有りのままを述べるとおっしゃっているではありませんか、

やれやれこのカキコミが教祖に対するフォローか何かになるとでも思っているのか。なにがみっともないって、この前書き部分こそが一番みっともない部分だというのに。「謙遜したら馬鹿にされたから本当のことを書く」なんてなんと器の小さい人物であることか。謙遜したことを自分で「美徳」などとのたまうのだから手におえない。

パパさん>欧米では、指導者としていかに自分は優れているか自覚すると同時に外に向かってはっきりと表現出来なければ、無能とみなされるのですがそれをご存じのうえでの指導者失格論なんでしょうか。

日本の美徳の話をしているというのに今度は欧米が根拠ですか。なんといい加減な物言いだろう。
(これは papayohkoh さんのメッセージ244に対する返信です)


戻る HOME 次へ