Yahoo! 幸福の科学の教えについて<2> 3201-3250

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3201件目   心の問題、名誉の問題   投稿者:fushounodeshi   2001年3月14日 午後 8時12分

ダブルハンドルの件については、ガマンさんは心の問題として捉え、hyougoさんは名誉の問題として捉えた、というのが私の感想です。ガマンさんは常に『想いが全て』と書かれています。「hyougoさんこんなこと続けていて貴方の心は大丈夫?」と問いかけられた。それに対してhyougoさんは「公的掲示板でダブルハンドルと指摘されて黙っていられるか。」と応戦した。だからそもそも噛み合ってはいなかったと思います。ダブルハンドルの件は、こうした匿名の掲示板なのでロムしている限りはどちらが正しいかは判断できません。hyougoさんの心に聞いて、心が大丈夫と言うなら今までの状態で投稿を続けられればいいと思います。私はhyougoさんの投稿の内容に対してレスしているのであって、このダブハン野郎などとは全く考えていません。それより、聖書関連の幸福の科学批判は、GAIAさん、ITさんなどからも指摘されているように、私も「こんなこと続けていて貴方の心は大丈夫?」と思います。ただ、正直に言いますがガマンさんに対しての反応が過剰だとは感じました。気を悪くしないで下さい。

エルカンターレの件については、エルランティーとの関係ですよね。旧約から新約への過程で『愛』が示されたことは、大袈裟に言えば、人類の歴史の上での超エポックメーキングといえるような重大事件だと個人的には思っています。理由は長くなるので割愛しますが、ごく簡単に言うと、神のベクトルが外から内に、全く逆方向に向いたということです。この重大事件は、指導する神が交替なさったのか、二人いらしたのか、さらに上位の神からの啓示だったのか、いずれにしても幸福の科学の考えを受け入れることができます。何だか変ですが、私にとっては、そのくらい何でも受け入れられるような重大事件なのです。
(これは hyougo31 さんのメッセージ3179に対する返信です)


3202件目   不思議不思議5   投稿者:hokuwakoukou(29歳/男性/other)   2001年3月14日 午後 8時18分

ガイア氏は幸福の科学の支部に行っても、全体性や二重性など感じなかったと言っているが当たり前だ。最初からそんなもの表面にあらわす間抜けがいるわけない。そんな事したら誰も入信せんではないか。統一教会やオウム真理教でもそうだろう。
それよりも支部でここにあげられているような幸福の科学の矛盾を批判者の立場から突きつけて見ては如何?彼らが真摯に学んでいるなら真摯な解答が返ってくるはずだがどうだろう。
そしてなぜ幸福の科学は公称1000万人の日本最大の教団でありながら、その主張(ヘアヌード撲滅、創価学会解散、三塚博総理大臣運動、フラーデー廃刊運動、憲法二十条改正運動等々)が世間からまるっきり無視されているか、考えて見たことはおありかな?誰か知識人や政治家で幸福の科学を支持している人いる?教団が邪教と罵る創価学会を自民党が信頼し、熱烈なるラブコールを送った幸福の科学がなぜ冷たく無視されたのか?どーして、これほどまでに1000万人教団が言う事に世間は振り向いてくれないのか?
援護者たちの本の上だけの哲学的解釈よりも、世間一般の皆様のほうが真実を正しく見抜いていると思うな。
(これは hokuwakoukou さんのメッセージ3197に対する返信です)


3203件目   不思議不思議6   投稿者:hokuwakoukou(29歳/男性/other)   2001年3月14日 午後 8時34分

>ダブルハンドルの件については、ガマンさんは心の問題として捉え、hyougoさんは名誉の問題として捉えた、というのが私の感想です。ガマンさんは常に『想いが全て』と書かれています。「hyougoさんこんなこと続けていて貴方の心は大丈夫?」と問いかけられた。それに対してhyougoさんは「公的掲示板でダブルハンドルと指摘されて黙っていられるか。」と応戦した。だからそもそも噛み合ってはいなかったと思います。

違うね。信者ガマンデスネ氏はヒョウゴ氏に対してダブルハンドルというネチケット違反をしたといってるのだ。しかも証拠も無しに。これは大変失礼なことだ。ヒョウゴ氏が証拠を示せと言うのも無理ない。あなただって「教団本部職員に違いない」と決め付けられたら嫌だろう。
ところが

>私も「こんなこと続けていて貴方の心は大丈夫?」と思います。

とまるで被害者であるヒョウゴ氏が悪いかのように問題を摩り替える。貴方の心は大丈夫ですか?

>このダブハン野郎などとは全く考えていません。

だとしたらダブハン野郎と決め付けたガマンデスネ氏の方が間違っている事になるのだが、そういう風にはこの人の思考は向かないらしい。信者の過ちに大してはすごく甘いのね。なんかいやらしいな。
一度「徳と格の高い方」と大絶賛してしまったから、引くにひけなくなっているのではないかな?過ちは過ちとして素直に認めるのが、大人の態度だと思うのだが、この人にはそーいうことができないみたいだ。
(これは fushounodeshi さんのメッセージ3201に対する返信です)


3204件目   アークさんへ   投稿者:hyougo31(31歳/男性/jp)   2001年3月14日 午後 8時37分

アークさんへ

我慢さんとのダブルハンドルの件については、我慢さん側から『あなたとはもう話すつもりはない』と一方的に絶交宣言されました。

管理者に問い合わせてみれば、とのご意見ですが、私なりにこの件につきましては一区切りつけました。

彼が何も答えられなかった事。正しいと主張しつづける彼のほうから絶交を言ってきた事。

この二つの点から私の彼に対する評価はほぼ固まりました。

それから、ガイアさんに指摘され気になってしまったのですが、不愉快にさせてしまった点、深くお詫びします。

また、私のレスに真剣さが足りないと感じられたならば、その点もお詫びします。

心を尽くしてレスしたつもりだったのですが、外側の目から見ればそうではないと感じたとのこと。

すみませんでした。

私個人の宗教的意見を示す事によって、気分を害された方には大変申し訳なく思います。

しかし、私は私の真実を正直に追い求める人間ゆえに、このようなことになってしまいました。

以後気をつけます・・・・と言ってもこの掲示板に書き込みを続ける以上は無理な事なのでしょうが、お許しくださいね。


ヒョウゴより
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3205件目   初めまして   投稿者:fushounodeshi   2001年3月14日 午後 8時49分

初めまして。
<私が、この掲示板で楽しみにしているのが、GAIAさんと不肖の弟子さんと我慢さんとITさんの投稿なのです。
投稿を読んで頂いていたのですね。ありがとうございます。確かにGAIAさんの待機説法能力はすごいですね。その他GAIAさんには理論的な面で、また、ガマンさんには精神的な面で、ITさんには経験的な面で教えて頂くことが多いです。
私は興味がかたよっていて、無意識のことばかり書いていますが、幸福の科学に対する整合性は強く感じています。霊的体験のお話、うらやましく感じながら読ませていただきました。きちんと修行ができている成果なんでしょうね。ハンドルネームが示している通りですね。
(これは ikasareteiru さんのメッセージ3196に対する返信です)


3206件目   「心の貧しさ」表明(hyougo31さんへ)   投稿者:Dove_ZZZ(29歳/男性/東北地方)   2001年3月14日 午後 9時36分

>
>>>hyougo31さんは、当会に対する無意味な発言を繰り返しておられる方。
>
> 無意味に思えるのは、私の疑問提示を貴方がそれと捉えてくれてないからでしょうね。
> 疑問に感じませんでした?
>

ええ。 ここに来ておられる信者さん方はもとより、
生理的にここを覗くことができない うちのおくさまも、
ここのことを知らない地元の信者さん方も、みんな疑問には感じないでしょうねぇ。

なんでか、 ・・・ まあ、いいや。 めんどくさい。


>
> 他人のことを『遊び』でやっていると断定する前に、一言くらい『幸福の科学を
> 信ずる人間』として私の批判に答えてみては如何でしょう?自分の言葉で答
> えられないのでしょうか?
>

答えても聞いてはくれないみたいですからねぇ。。。
自分の見解を信じることに躍起になっている「盲信者」(笑)には
何を言っても無駄でしょうから。


>
> そういう見下す態度を持ち、あからさまに他人にそれを表明するのは心の貧
> しさの表れと感じてしまいます。
> すべては『主に選ばれた選民』という意識がそうさせるのでしょうが。
>

ええと、、、hyougo31さんのこの意見も、Doveを見下す発言になってますよね。
「Doveは心が貧しい」と確かに発言しておられます。
すべては『自分こそが真実を知っている選民』という意識がそうさせるのでしょう(笑)

おっしゃるとおり、わたしはまだまだ、心の貧しい凡夫でしかありません。
仏神の前において、わたしも、あなたも、
まだ「悟っていない」一修行者でしかありませんからね。


>
>>>・・・ ねぇねぇ、これって何か意味ある言動だと思う?
>
> 貴方のような幸福の科学教義に凝り固まっている人に対する疑問提示で
> す。何度も言っていることですが。
> 疑問提示自体に『意味は無い、答える必要も無ければ考える必要も無い』と
> 貴方がお考えならば確かに意味はありませんね。もしそうであるならば聞き
> たいのですが、貴方は心の自由を持っていますか?
>

今度は「盲信者Doveなんて心の自由を持ってないんだろ」ときましたか。
すごい見下げ方ですねぇ。

そう何度も、hyougo31さんご自身の「心の貧しさ」を表明しなくてもいいのに。


>
>>>この場において、ご自慢の(自己流の)聖書解釈を披露することが、
>自らが真理へ近づいてゆくための 何らかのたすけになっているとは とても
>思えません。
>
> 自慢しているつもりは全然ありませんよ。そういう曲がった目で見られている
> のですね。
> 私の、イエスキリストは転生輪廻を説いたか?についてどう思われました
> か?ぜひお答えください。興味がありますので。
>

明らかに「聖書」側の資料不足ですので、
(ITさんが危惧しておられるように)勝手な憶測による回答は控えたいと思います。


>
>>>じゃあ、無信仰の見物人(ROM者さん)たちにとって、
>聖書を解説することで何か意味があるのかな〜って考えると、
>そもそも信仰そのものを否定している方にとっては、何の効果もないのはわ
>かりますよね。
>
> そうかなぁ?楽しんでくれてると思うんだけど(笑)。ここを見てるっていう事
> は何らかの意味でこういう事に興味がある人しかいないと思うし。
> それこそ、延々と幸福の科学の素晴らしさを聴きたい人なら、こんな所うろう
> ろしていないで会員になってるだろうからね。
> 批判を聞いてみたい人もいれば、批判に対してどう答えるのかを見ている人
> も居るんじゃない?
>

たとえば、「信仰とは現実逃避である」とする CIAKGBDEAさんにとっては、

hyougo31さん = 現実逃避としてカルトにはまり、そこから うまく脱退できたにもかかわらず、
また今度は「聖書」なんかに逃避しようとしている弱い人間

ということになると思いますよ。
ダカラさんも同じように思ってたりするのかな?
(これは hyougo31 さんのメッセージ3159に対する返信です)


3207件目   当会どうこう以前に(CIAKGBDEAさんへ)   投稿者:Dove_ZZZ(29歳/男性/東北地方)   2001年3月14日 午後 9時36分

>
> 本当に神がいるのならもうちっとましな世の中になってい
> るでしょうね。ましてや宗教戦争なんかあり得る訳ないでしょうね。
>
> イエスが地上に降りてきて2000年。何か人間変わりましたか?人の物を
> 盗み、人を殺し、妬み、恨み。。。な〜んも変わってない カゃないですか。何
> 年かければ神様は自分が作り上げた地球を平和な場所にできるのかな
> 〜? こう言う事を言うと信仰している人達は”これも神の考えてる事だか
> ら”なんて言っているけど。何万年かければこの地球プロジェクトは完成する
> のかな〜?
>

仏神のプロジェクトは、個人の生長が基本ですから、
転生を繰り返しながらそれぞれの個人が・・・

・・・なーんて いくら説明しても駄目か。


とりあえず わかったことは、
CIAKGBDEAさんは、幸福の科学どうこう以前に、
「全世界の信仰者たちを見下しておられる」という事実ですね。


全世界の信仰者っていったい何億いるのかわかりませんが、、、

これまでの人類史上すべての信仰者といったら、
それこそ「星の数ほど」ということになるのでしょうけど、、、

そういう人たち すべてを、
「(自分とは違って)現実から逃避した弱い人間」と豪語するわけですね。

「所詮、釈尊もイエスも、『うそつき』か『キチガイ』でしかない」と。


さて、そんなわけで、

この度、CIAKGBDEAさんは、(ダカラさん同様)、
このトピのタイトルとは相容れないスタンスで参加しておられることを
よく理解することができました。

ではでは ごきげんよう。。。
(これは CIAKGBDEA さんのメッセージ3152に対する返信です)


3208件目   仏性に正直に(ぷりんさんへ)   投稿者:Dove_ZZZ(29歳/男性/東北地方)   2001年3月14日 午後 9時37分

>
> きちんとお返事をしておらず、申し訳ございません。
> このところ忙しくなってきたこともあるのですが、それ以上に自分自身の問題
> とぶつかっておりまして、お返事できる余裕がありません。
>

所詮、こんなの匿名のBBSにしか過ぎません。
どうか、ご自分の実生活のほうを優先してくださいね。
わたしのような者に対しての義理など、全く気にしなくていいですから。

ところで、、、

もし「自分自身の問題」というのが、「悩み」といった類のものであるなら、
それは わたしの専門分野ですので、どうかメールででも相談いただければと思います。
こちらには、必ず、適切なアドバイスが取り揃えてありますから。

もし差し支えなければ、ぜひメールでもください。


>
> きっと愛溢れる、何もかもを受容できるほどの大きな神であれば、自分に正
> 直に、愛を持って真面目に生きていれば救われるのではないかと思います。
> 例え他の信仰を持っていたとしても。
>

ええ、きっとそのとおりだと思いますよ。

ただ、この「自分に正直に」の部分が、
「自分の仏性に正直に」ということでなければ、それは不十分なのです。

と申しますのは、、、


たとえば、犯罪者なども、
「自分の欲求に正直に振る舞っただけだ」と言うかもしれませんよね。

自殺者だって、
「何もかもから逃げ出したいという自分の気持ちに正直だった」なんて
言うかもしれません。

ぷりんさんが被害にあった痴漢も、
「自分の欲望に正直にしただけ」って言うかもしれませんよ。。。


「自分に正直に」というだけだったら、
動物の方が わたしたち人間よりも はるかに得意だと思いませんか。

しかし、わたしたち人間みんながみんな、
動物を模範として、本能の赴くままに行動するようになったとしたら、
そこにはどういう世界が繰り広げられることになるでしょうか。。。

それって、、、神さまが喜ばれる世界だと思いますか?


欲望の赴くままに従った犯罪者の言う「自分」と、
ぷりんさんが言われる「自分」とは、異質なもののような気がします。

つまり、世の中の人が「自分」と呼んでいるもののなかには、
「本物の自分」と「ニセモノの自分」が潜んでいる、というのが真実です。


だからこそ、世の中にある宗教はすべて、
「自分のなかのどれが善で、どれが悪なのか」という区別を解きます。
そしてその上で、必ず「善をとれ!」と示します。


「自分に正直に生きる」ことと「神の御心にかなった社会をつくる」ことが
矛盾せずに双方が達せられるためには、
何らかの宗教的な善悪の価値基準が必要である、ということになるのです。

だからこそ、それを教えるためにこそ、
これまで、いろいろな地域、いろいろな時代において、
様々な形での宗教が 現出してきたわけなんですよね。


それぞれの地域、時代、生活環境などの制約を受けながら、
それらの様々な条件に促した形での教えが世界中で説かれてきたわけですが、
しかし、「何が善なのか」「何が悪なのか」という根本の部分については、
不思議と どの宗教も、そんなに大きくは矛盾していないんですよね。。。


さて、振り返って 現代社会を見渡してみたときに、どうでしょうか。
そこには、「宗教が必要のない社会」がひろがっておりますでしょうか?
(これは pucchinpudding さんのメッセージ3094に対する返信です)


3209件目   ニセモノの自分(ぷりんさんへ)   投稿者:Dove_ZZZ(29歳/男性/東北地方)   2001年3月14日 午後 9時37分

以前、ITさんが書き込みのなかで経典から引用しておられましたが、、、
(すみません、勝手にコピペさせていただきます)

>
> ねたみ、そねみ、感情や本能にもとづく怒り、愚痴、足る事を知らない心、
> 不平不満、悲観的な心、消極的な心、優柔不断、臆病、怠惰な心、自己嫌悪、
> うらみ、にくしみ、のろい、情欲、自己顕示欲、利己主義、毒舌、二枚舌、
> 躁うつ、酒乱、暴力、排他主義、うそ、いつわり、唯物主義、無神論、孤独、
> 独裁主義、金銭欲、地意欲、名誉欲、不調和。
>

これらが「ニセモノの自分」の代表的な具体例です。

このなかで、「暴力」「怠惰な心」「利己主義」などは
現代社会の道徳感だけから判断したとしても、十分に否定できるわけですが、

「悲観的な心」とか「自己嫌悪」「孤独」などが、
「ニセモノの自分」(=悪)の範疇に入るというのは、
なかなか言われても ピンとこない人が多いのではないでしょうか。


たとえば、「カゲグチ」という行為がありますよね。
本人は「自分に正直に心の内を口にだしてるだけ」だと思いますよ。
でも、実際にはそれは「ニセモノの自分」なんです。

たとえば、「感情的な怒り」という行為がありますよね。
そこから「暴力」を働いたりしたら、確かに否定されるかもしれませんが、
「感情的な怒り」そのものが「ニセモノの自分」だと言われて、
納得される方が(無信仰の人のなかに)どれだけいるでしょうか?

しかし、宗教をやっておられる方であれば、
「感情的な怒り」が悪であるということは、
何らかの形で教えられていることであろうと思います。

(どこかのカルトは、怒りんぼさんが多いみたいですけど)


現代社会の道徳感だけでは、「ニセモノの自分」と「本物の自分」を
本当の意味で 正しく区別することは難しいと思います。

だからこそ、
「正しく反省するためには、正しい宗教信条がどうしても必要」
ということにも、つながってくるんですね。


あ、でも、、、

過去世において、何らかの宗教的修行を積んでこられて、
魂の奥深いところまで 宗教的信条がしみこんでおられる方であれば、
今世において特定の宗教を勉強されてなくても、
自分自身の悟りの力で「ニセモノの自分」を見抜くことができる人も
いるかもしれませんよね。

っていうか、現実に、一定の割合で そういう方もおられますよね。
(ぷりんさんの旦那さんとか、うちの両親もそうですね)


でも、決して大多数ではありません。
ほとんどの人にとっては、やはり「善悪を教わる手段」は必要です。

若い人たちが、まるで動物かなにかみた 「に 道ばたの上に転がって、
「自分に正直に」タムロって ダベってるような姿を見て、
もし「そんな社会はあまり好ましくないなぁ〜」って思うのなら、ですよ。


ぷりんさん、その動物みたいな連中に、
「自分に正直に、愛を与えて生きてね」って言ったとしたら、
どういう答えが返ってくると思いますか?

きっと、
「ああ、いつでもそうしてるよ」って言うんじゃないでしょうかねぇ。。。
(これは pucchinpudding さんのメッセージ3094に対する返信です)


3210件目   気にしないでください。   投稿者:ark4_99(30歳/男性/東京都北区赤羽)   2001年3月14日 午後11時25分

ヒョーゴ様へ
 不愉快・・・ですか?何の事だか判りかねます。
ぼくは、・・・そうですね。
例えば、不治の病で余命が無かったり、優れた未来予知で、
または定まった運命が、挫折のみだと判っていたとしても、
日々頑張って努力する事に、なんら変わりはありません。
何もせずに生きていたら、それこそ激しく後悔するからです。
神様が居なくとも、死後の世界や来世が無くても同じです。
ぼくは別に誰かに、答えを求めている訳では無いのです。
ここの掲示板が楽しいから、勉強させて戴いていますが、
とても失礼ですが、信仰という行為には興味が無いのです。
なぜならば例え答えが、何であったとしても影響無いからです。
とは言えここは楽しいので、みなさんには感謝しています。
(これは hyougo31 さんのメッセージ3204に対する返信です)


3211件目   はじめまして、居眠り中の会員です。   投稿者:calltree   2001年3月15日 午前 0時15分

ここの掲示板をはじめて拝見しました。(少しだけですが)
建設的な意見交換もあり、時間があるときにゆっくり読ませていただきます。

私は10年ほど前、会員が急増したころに入ったものです。学生時代にはいろいろ活動した懐かしい思いでもあります。

しかしここ数年は、活動らしいことはほとんどしていません。諸事情と私自身の怠惰さも大きな原因なのですが、どうしても府に落ちない事柄があり消化しきれないのです。
その事柄として1つあげますと、

■世紀末天変地異の予言について
90年代初頭の会員の活動の原動力となったのが、世紀末現象(天変地異など)が起こるまでにできるかぎり教えを広めることであり、総裁の涙ながらの訴に対して、会員がそれに答える形で獅子奮迅の努力をしてきたと思うのです。
それが、現に世紀末になると、活動の成果であったり、天変地異調伏祈願の効果であるとしたことについて、どうも腑に落ちないのです。
もう天変地異をなくす事はできず、どれだけ抑えることができるかということで訴えられた場面があったと記憶しています。
頑張ってもらうために、多少方便が含まれていた、或いは外れた部分もあったと言ってくれたほうが納得できるのですが。
こういう事は、事情を考慮して会員の中で処理するべきなのかとも思ってしまいます。

しかし、幸福の科学の心の教えは、本当の意味で人間的成長を促す教えてであると思っていますし、教えを深く実践されてる方(或いはそれが出来る方)は、教団内だけでなく、教団外の人が見ても立派で憧れてしまうような人物が多く、それを裏付けていると思っています。(もちろん私みたいに進化途中? フ人間もいますよ)

上記の件、他の会員の方は、どのように考えているか大変興味があります。

#上記の記述で過去のことについて私の思い込みや間違いがあればすみません。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3212件目   久しぶりです.   投稿者:welcomeyama   2001年3月15日 午前 1時34分

「ニセモノの自分」から、「ほんとうの自分」になるのに、難しいですね.頭では、分かっていても、本当に実践できるかといえば、なかなかできないですね.できるだけ、心をコントロールしていくことが大切な事ですね・
(これは Dove_ZZZ さんのメッセージ3209に対する返信です)


3213件目   神が裁く=自分が裁く(ぷりんさんへ)   投稿者:Dove_ZZZ(29歳/男性/東北地方)   2001年3月15日 午前 8時09分

>
> 「裁き」があったとしても一生懸命それほどおかしな事をしなければ、
> 見捨てられることはないのではな 「か、と。
>

さて、ここで ぷりんさんはまた 一つ誤解されてます。

「裁かれて地獄に行く」=「見捨てられる」ではないのです。

たとえ地獄に行ったとしても、親が子を見捨てるわけがないのです。
このことは、幸福の科学の経典であれば 何度も出てくるはずです。
映画「太陽の法」にも、そういうシーンが出てきましたよね。

本当の神ならば、決して見捨てたりはしません。 当たり前です。


でも、それと「裁き」とは別問題です。

天国と地獄について考えるときに、
もちろん「神が裁く」という言い方もできるのですが、

別の表現方法として、

「自分で自分を裁く」という言い方もあるのをご存知ですか?

また、「魂の比重によって、それなりの世界へ赴くことになる」
あるいは、「波長の荒さ〜精妙さによって、同通する世界へ赴く」
という言い方もあります。


これらはみんな真実です。
そして4つとも、同じ現象のことを説明しています。

「神が裁く」=「自分が裁く」=「魂の比重によって」=「心の波長で」

これらが矛盾しないように考えられるようになったときには、
晴れて そのぷりんさんの疑問は、氷解してゆくことになるでしょう。。。



今回、ぷりんさんは「相手の立場で物事を考えた(死後があるなら、神がいるなら)」
つもりでいるみたいですけど、自分の理解の範囲だけで思考を止めてしまわれました。

神は、どんなことがあっても、自分の子を見捨てられるような方では決してありません。
しかしまた、自分の子に「本当の幸福」を掴ませてあげたいがために、
いろいろな試練もまた必要だ、ということを知っておられる方でもあります。


「受験なんて可哀相だから」といって、
子供の代わりに試験を受けるような親が、愛あふれる親だと思われますか?

「学校で変なことを覚えたらいけない」ということで、
子供を家に閉じ込めて、一歩も外へ出さないような親がいたら、
ぷりんさんは「それこそが親としての愛だ」と賞賛するでしょうか?


子供の成長には、人生の途上におけるいろいろな試練も必要です。
数々のツラさ、悲しみ、苦悩などを経験し、それらを乗り越えることで、
子供は「本当の逞しさ」や「本当の優しさ」を体得して 艪ュことができます。

その子供の行為に対して全責任を受けとめながら、子供の苦悩をすべて共有しながら、
その姿を見守っている親の姿、、、それが神の姿なのではないかと わたしは思います。

それを評して、「見捨てた」とは決して言えないはずなのです。

前にITさんが、BONFUさんとの対話のなかで出してこられた([2650]中の)、
「足跡が消えたと思ったら、仏が背負って歩いていた」という喩え話が、
このことを とても端的に表した説話になっていると思います。 参考にしてください。
(これは pucchinpudding さんのメッセージ3094に対する返信です)


3214件目   強者の論理(再)(ぷりんさんへ)   投稿者:Dove_ZZZ(29歳/男性/東北地方)   2001年3月15日 午前 8時09分

そして ぷりんさん、

GAIAさんが[3186]中の「◆(1)」でお話しくださった内容が、
理解できますでしょうか?

わたしは以前、「強者の論理」というタイトルで伝えようとしていたことは、
今回GAIAさんが解説くださった内容と、同じ内容だったつもりなのですが、、、

あのときは、わたしの文章表現力不足で
ぷりんさんには まったくわたしの真意を理解していただけませんでしたが、
GAIAさんの文章だったらどうですか?


>
> いろいろな意味で劣悪な環境(個人的、国家的、歴史的、家庭的にも)に置かれている人が、
> 世界には沢山いることでしょう。(現代の日本では少ないとは思いますが。)
> そうした人達に性善説的な素朴な道徳論を説いても、ほぼ意味を為さないであろう場面や現実が
> あることと思います。(言ってる間に後ろから撃たれて、金品とられることもあるでしょう)
> 公平に見て甘ちゃんの良心に頼る道徳です。
>

前に わたしが言いたかったのは、

「ぷりんさんのような道徳観では、劣悪な環境にあるような人を救うことはできない」
「ぷりんさんのような恵まれた環境の方のみに通用する道徳である」=「強者の論理」

GAIAさんの言葉を拝借して補完すると、こういうことだったんですよ。

(GAIAさん、勝手にごめんなさい・・・)
(これは pucchinpudding さんのメッセージ3094に対する返信です)


3215件目   人生が無意味だったら−1(ぷりんさんへ)   投稿者:Dove_ZZZ(29歳/男性/東北地方)   2001年3月15日 午前 8時09分

>
> 「もし霊界がなかったら」を考えてみると、どのようになりますか?
>

ここで ぷりんさんが言っておられる「もし霊界がなかったら」というのは、
「もし神もいなくて、死後の世界もなくて、人生に意味なんて無いのが真実だったら」
ということですよね。

それに答えるのには、真理と出会う前のわたしを呼び出すのが一番だと思いますので、
10年前のわたしを登場させることにいたします。

(注・波動が悪くなることが予想されますので、信者のみなさんは読みとばしてください)
=========================================


もし、実際は霊界なんてなくて、人生なんて無意味なんだということが
何らかの形で証明されることがあったら、、、

わたしは自殺します。


わたしは、めんどくさがりなんです。
無意味なことに、労力をかける気はありません。


「人生が無意味」ということは、
「生きても 生きなくても、どうでもいいよ」ということですよね。

また 他人の命も、同じように「どうでもいいもの」ということです。
人類も「滅亡しようが別にどうでもいい」ということです。
地球自体、あってもなくても構わない、ということになります。


人生が無意味なのに、何のために生きるの?
なんで生きなくちゃいけないの?

あなたがやってることって無意味なんだよ?

仕事も無意味。 家庭を大切にするのも無意味。
人を愛したって無意味なんだよ。 大切な人を守るのも無意味。

本を読むのも無意味だし、勉強も、スポーツも無意味。

あ〜〜〜 もう、無意味 無意味。

なにしたって、なにがんばったって、無意味なんだよ そんなもん。


めし食ってなんになるの? −−− 死ぬのが一日遅れるだけだよ?

呼吸してなんになるの? −−− 結局、生きたって無意味なんだよ?


あんたさぁ、、、「死なないために生きてる」んだろ。

人生なんて無意味なのがわかっててさ、
それでも「死ぬのが怖いから」生き延びようとしてるだけなんだろ。


死にたくないから生きてる人たちの集団。これが社会。
死にたくないから生きてる人たちの総称。それが人類。

馬鹿馬鹿しいなぁ。。。どうせ死ぬのに。

死んだら何も残らないのに。
いくら努力したって、何の足しにもならないのに。

たとえ今日は生き延びられても、いつかすべての努力が無になる日がくるのに。


馬鹿みたい。・・・「生きるって素晴らしい!」な〜んて騙されて。

結局のところ、「死にたくない」人たちの集団じゃない。

(( つづく ))
(これは pucchinpudding さんのメッセージ3094に対する返信です)


3216件目   人生が無意味だったら−2(ぷりんさんへ)   投稿者:Dove_ZZZ(29歳/男性/東北地方)   2001年3月15日 午前 8時10分

(( つづき ))


あんた死にたくないんだろ?
死ぬのが怖いんだろ?
だから生きてるだけなんだろ?

しょせ 人生なんて意味がないんだから、
「死なないため」以外に、なにか他に「生きる理由」があるの?


−−− 愛する家族のため?

そんなの無意味だよ。
だってその家族だって、いつかきれいに消えて無くなるんだから。

家族の人生だって無意味なんだもの。
なんでそんな家族のためなんかに、あなたが生きる必要があるの?

なに? 自分を必要としてる?

あ〜 それこそ無意味。 そもそも あんたの人生なんて無意味なんだから、
そんなあんたがいようがいまいが、誰も困りゃしないよ。

もし 仮に 必要としてる人がいるとしてもね。
その事実自体が 無意味なんだから。


どうぜみんな無くなっちゃうの。

消えて無くなりゃ、はい、それ〜ま〜で〜よぉ〜。

どんな努力してもね。 結局は無駄なんだから。
努力するなんて馬鹿だよ、馬鹿。 ぜんっぜん意味ね〜の。


−−− え? 自殺は逃避だって?

なんで? 人生に意味なんて無いのに、なんなのそれ?

生きてること自体が無意味なのに、なんで死んじゃいけないわけ?


あ、、、そういや、、、他人の人生も無意味ってことなんだから、
別に殺そうが なにしようが構わないってわけだな。

迷惑かけようが、自分の好きなようにしていいわけだな。
どうせ み〜んな、「無意味という点では平等」なんだから。


そうだよなぁ。。。自分だけ死ぬのもつまんないから、
(おもしろいか つまらないかって考えることすら すでに無意味なんだけど)

せっかく これから死ぬんだから、
最後くらい、何か派手なことやってみようかな。

どうせ人類が生き延びようがどうしようが無意味なんだから、
全人類を巻き込んで 死ぬってのも悪くないな。


そうだよなぁ、、、地球にとっては、人類の躍進こそが、
「地球を滅ぼそうとしている」元凶でしかないわけだから、

全人類を滅亡させたら、案外、地球に感謝されちゃったりするかも。あははは。


−−− ん?

そもそも地球だって、たまたま偶然に生まれたものでしかないから、
地球があること自体には意味なんて無いわけだから、
地球が滅びようがどうなろうが、宇宙全体にとったら何の価値もないのか。

じゃあ、いったい「かけがえのない地球」って何のことだろ?

ああ、そっか。 自分たち(人間)に都合のいいように勝手に言ってるだけか。

あはははは・・・馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。


−−− あ、そうだ!

素手で何人まで殺せるかっていうゲームでもしてみようかな。
自分が殺されるまでの間に、どれだけ殺せるか。

うん、それいいな。

人生なんてどうせ無意味だから、つまんないことばっかだったけど、
最後くらいは笑えるようなことしてから死ななきゃな。

よし、それでいこ。 いまから何人殺せるか。


ゲームスタート!


(( 劇 終 ))
(これは pucchinpudding さんのメッセージ3094に対する返信です)


3217件目   不肖の弟子さんへ   投稿者:hyougo31(31歳/男性/jp)   2001年3月15日 午前 9時02分

>>>ダブルハンドルの件については、ガマンさんは心の問題として捉え、hyougoさんは名誉の問題として捉えた、というのが私の感想です。ガマンさんは常に『想いが全て』と書かれています。「hyougoさんこんなこと続けていて貴方の心は大丈夫?」と問いかけられた。それに対してhyougoさんは「公的掲示板でダブルハンドルと指摘されて黙っていられるか。」と応戦した。だからそもそも噛み合ってはいなかったと思います。ダブルハンドルの件は、こうした匿名の掲示板なのでロムしている限りはどちらが正しいかは判断できません。hyougoさんの心に聞いて、心が大丈夫と言うなら今までの状態で投稿を続けられればいいと思います。私はhyougoさんの投稿の内容に対してレスしているのであって、このダブハン野郎などとは全く考えていません。それより、聖書関連の幸福の科学批判は、GAIAさん、ITさんなどからも指摘されているように、私も「こんなこと続けていて貴方の心は大丈夫?」と思います。ただ、正直に言いますがガマンさんに対しての反応が過剰だとは感じました。気を悪くしないで下さい。

正直、仰りたい事がよくわかりませんでした。

我慢さんが『ヒョウゴはダブルハンドルだ』と言ったことは、『こんな事続けていて大丈夫?』ということだったというのですか?

あなたは私が、我慢さんが指摘されたように、ダブルハンドルであると思っていますか?

聖書関連の批判については、私が思うような、正当な反論はありませんでした。
そういう意味で、あまり意味がなかったと感じてきてはいます。

大川氏が言っているのだから、そう理解する・・・・・というのが会員さんの結論であるとそう感じました。
私の心は大丈夫ですよ。狂ってます?悪霊つきかな?(笑)

我慢さんへの反応が過剰な理由を正直にお話します。

実は、彼のある行動が許せないでいるのです。
それは、この掲示板で以前投稿をしていた『motokaiinさん』への彼がとった行動です。
我慢さんの『悪霊つき』発言を受けて、彼は掲示板から去りました。
私は同じく退会したものとして、motokaiinさんの気持ちが解るのですが、退会した者にとって『悪霊つき』といわれることは非常に嫌な事なのです。
私のようにある程度吹っ切れていれば問題はないのですが、退会して間がない人や、心の傷が癒えていない人にとっては一番嫌な言葉なのです。
これは、現会員さんであっても同じであろうし、気持ちは解ってもらえると思います。
愛ある人間ならば、かのように人の心の傷口を知っていながら、そこに塩を塗りこむような事は出 ・ネいはずです。
しかし、我慢さんは平気でそれを行いました。
それでいて、自らを高しとし続けている彼に嫌悪感を覚えます。
これが、私が我慢さんを嫌う理由です。おかしいですか?

>>エルカンターレの件については、エルランティーとの関係ですよね。旧約から新約への過程で『愛』が示されたことは、大袈裟に言えば、人類の歴史の上での超エポックメーキングといえるような重大事件だと個人的には思っています。理由は長くなるので割愛しますが、ごく簡単に言うと、神のベクトルが外から内に、全く逆方向に向いたということです。この重大事件は、指導する神が交替なさったのか、二人いらしたのか、さらに上位の神からの啓示だったのか、いずれにしても幸福の科学の考えを受け入れることができます。何だか変ですが、私にとっては、そのくらい何でも受け入れられるような重大事件なのです。

これもよくわかりませんでした。

我慢さんは、『イエスの霊言を受けた当時は、大川氏自体が自分がエルカンターレであるという事に気がついていなかった。
それに翻訳能力もまだ完全ではなかったから、エルランティとエルカンターレを間違えてい スだけだ、簡単な事ですよ』と私に仰いました。

しかし、月刊誌の大川総裁紹介文では、当時既に『エルカンターレの自覚を持っていた』と明示されています。

私はこの事について、我慢さんの記憶違いであり、ある意味法を曲げているのでは?外部の私から見ても明らかに間違いなのでは?ということで、我慢さんは発言を訂正されるべきだと思いました。

それとも、他に何か説明があるのでしょうか?と質問したのですが、一方的に絶縁宣言されてしまいました。

これについてどう思われるかという事を質問したのですけどね。
不肖の弟子さんにはあんまり関係がないか・・・・このことは。

いや、我慢さんの理解者から見てもおかしく感じなかったのかな?・・・・・・とそう思っただけなので。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3218件目   歯止めゼロの世界(ぷりんさんへ)   投稿者:Dove_ZZZ(29歳/男性/東北地方)   2001年3月15日 午前 9時20分

ぷりんさん自身は、「死後の世界がないとはどういうことか」について
それほど深く考えたことがないのではないでしょうか。
(一般人の多くもそうなんでしょうけど)

「人生に意味なんて無いし、死後の世界もない」をつきつめると、
わたしはこうなります。 これが真理を知る前のわたしです。

わたしのこの考え方を、否定できる論理はありませんでした。


GAIAさんが[3186]中の「◆(2)」で述べられている状態をつきつめると、
ちょうどわたしのような意見に行き着くことになります。

GAIAさんの言われる「歯止めがゼロ」の状態ということです。

>
> この根源的な反問、思想に対しては、だれも答えられなくなります。
> その通り、というしかなくなる。
>

GAIAさんは こう結論づけておられますが、ぷりんさんはどうですか?

さきほどわたしが述べたような思考に対して、
「人生は無意味」という前提をはずすことなく、
その上で「あなたは間違ってる」と反論できますか?

わたしが全人類と心中するのを、止めることができますか?
(これは pucchinpudding さんのメッセージ3094に対する返信です)


3219件目   理不尽な暴力(ぷりんさんへ)   投稿者:Dove_ZZZ(29歳/男性/東北地方)   2001年3月15日 午前 9時20分

>
> あ、ところで幸子さんの「悪意ある発言」ってどこにあるのですか?
> 私は「サイトを立ち上げた理由」以外に彼女の「私的な発言」を
> 見たことがないのですが?
>

わたしは「悪意ある発言」とは言っていません。
「コンテンツの並べ方に込められた悪意」と言ったのです。

仏教の皮を被った唯物論者・佐倉さんが使うのと同じ手法です。


あと、、、

ぷりんさんは今でも、幸子さんの「サイトを立ち上げた理由」を鵜呑みにして
「幸子さんは中立者だ」なんて思っているのかもしれませんが、、、


幸子さんが行った(悪意からの)無断リンクが発端となって、
自分のプライベートサイトを閉鎖に追い込まれた人がいるんですよ。

またある人は、
幸子さんが行った(悪意からの)無断リンクのせいで、
BBSを 制限付きの不自由なものへと改変を 余儀なくされました。

ある lは、
幸子さんが行った(悪意からの)無断リンクに対して抗議し、
リンクの解除を(真摯な態度で)BBS上で幸子さんに訴えたのですが、
幸子さんはその訴えに耳を貸すことなく、徹底的に無視されました。
そのリンクは、現在も そのままになっています。。。


批判者や中立者の間では人望があるようなのですが、
これらの事実を受けとめた上で、冷静に判断してほしいと懇願いたします。

自分の都合から、他人のホームページを破壊してしまうような、
そんな理不尽な暴力行為を、ぷりんさんは容認できますか?
(これは pucchinpudding さんのメッセージ3094に対する返信です)


3220件目   私信   投稿者:Dove_ZZZ(29歳/男性/東北地方)   2001年3月15日 午前 9時21分

<信者のみなさまへ>
波動が悪い投稿ばかり続けて申し訳ございません。
時間をあけてゆっくり考えてみたのですが、、、
いまのわたしの心境では、これ以上はどうしようもありませんでした。
この程度の人間ということで、お許しください。

<ITさん、GAIAさんへ>
文中で何度か、断りもなく勝手に引き合いに出してしまって申し訳ございません。
どこか引用の仕方でまずい点・誤解している点などありましたら、
訂正いたしますので、ご指摘ください。

<ITさん、ikasareteiruさんへ耳うち>
GAIAさんが2/5に投稿された[2363]をお読みになってください。
読んでいただければ、何が言いたいのかご理解いただけると思います。
現在のところ、このことが周知徹底されてないのは、
信者さんを含む3人だけとなっておりますので、どうかお気をつけくださいね。
(これは Dove_ZZZ さんのメッセージ3208に対する返信です)


3221件目   愛と裁き@   投稿者:hyougo31(31歳/男性/jp)   2001年3月15日 午前 9時30分

どうも。

うまく説明できないかもしれませんが、正直に書いてみます。

イエスは人々がイエスを信じる信じないに関係なく、救いをもたらす福音を告げに受肉されました。
段階的に神は人を導く、という考え方は人間の都合のように思います。
人には愛が必要です。愛は神なりといわれています。
愛は最初から生きる人間すべてに与えられています。

私が幸福の科学を離れた理由に、愛と裁きの問題があります。

私は、大川氏を信じなくとも素晴らしい人たちをたくさん知っています。
神など信じなくとも、愛をたくさん持っている人たちをたくさん知っています。

会員時代の私は真理を知らない人たちを、時には裁く事もありました。
同じ人間なのに、『悪霊がついているのでは?』『心の汚れが取れていないのかな?』などとどうしても考えてしまうのです。
素晴らしい教えを学び、愛が深まっているはずの自分が、同じ心で人を裁く気持ちを持ってしまうのです。
これは熱心な会員であるガマン氏、ITさんの発言にも見られる傾向です。
これは、ここに登場されていない会員さんであっても同じであることを私は知っています。

他人の悪を指摘するのは、その悪に気がついてもらい、反省してもらうため、愛に気がついてもらうためという考え方なのでしょう。
しかし、『兄弟の目にある塵を見て、自分の目にある梁を認めないのか』という心はここにありません。


M仰する事が、人々と自分とを知らず知らずに分け、隔てている。

人間にとって一番大事なのは、人を愛する行為そのものなのでは?

あの人たち(幸福の科学を知らないひとたち)は、何も知らなくても愛を知っている。

人の悲しみを自分の悲しみとし、人の喜ぶ姿を見て自分も喜んでいる。

私は一体何を知っているのだろう?・・・・・そう思い、会を離れました。

もちろん、これだけが理由ではありませんでしたが、これも大きな理由の一つでした。

現会員の人たちなどは、愚かだと笑う事でしょう。人を愛する、そんな事は当たり前ではないかと。

しかし、ただ一時でも他人を裁く気持ちを持ってしまうことに、『大川氏への信仰、その教義を学ぶ事』に疑問を感じました。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3222件目   愛と裁きA   投稿者:hyougo31(31歳/男性/jp)   2001年3月15日 午前 9時31分

幸福の科学の会員さんは、愛の教えは大川氏のほうが上である。愛の発展段階などはキリストの悟りで ヘ到底説けないものである、と考えておられると思います。愛の根源とはエルカンターレであるとも。

私が感じるキリストの愛と、幸福の科学の説く愛の違いはこうです。

キリストの愛は人を裁きません。すべての裁きは神が行われるからです。兄弟を裁くものは罪に定められます。
神は愛であり、愛は神そのものです。愛はすべての掟の上に立ちます。信仰、希望、愛、その中でもっとも偉大なのは『愛』です。(隣人愛)

しかし、幸福の科学を説く愛を学ぶ人は、知らず知らずのうちに人を裁いてしまいます。
自分の心の裁きを行うのは、自分の心(仏性)だと教えられているからです。
許す愛は、一段上の愛であるとも言われています。
それは人の上に立たないと(認識力を高めるという意味で)できない愛といわれてます。

私は、人が人を許す行為は『祈り』に近い行為ではないかと思います。
罪の許しは神によって定められていると考えます。
人がいくらその認識力を高めようとも、偉大な神から見れば、おそらくそれはどんぐりの背比べのようでしょう。
認識力をいくら高めて、人の心がわかるようになっても、それが人を裁くこと ノつながっては何の意味も持たないと思います。
人格神の最高霊と自らを位置付けている大川氏でさえ、その根本経典において仏法を理解しない人間を悪魔のように言っています。
逆らう奴は悪魔だと、人間ではなくなると。

仏法(仏性)はあなたを救う、仏法(仏性)を裏切れば仏法(仏性)はあなたを裁く。
ならば、仏法など知らなくとも愛に生きてもいいのではないか。
仏法を学び、『人の罪を認める心』を持ってしまうのなら、許しと裁きは神にお任せして自分は愛に生きればいいのではないか・・・・・

正しさの根本が神ならば、その正しさは何によっても揺るがないはずです。

霊的進化のために悪の存在を許していると教える方が、その同じ口で悪は許さない、究極の悪は仏法を汚すものである、仏法を汚し、流布を邪魔するものは既に人間ではない悪魔であると言っているのです。
これは人間の考えであるように思います。


今でも私は未熟です。

しかし信仰などなくとも、泣いている人を慰め、困っている人の話を聞き、人を愛せる人間になりたいと思っています。

今の私にはキリストの教えは心に響きます。

当時の律法を信ずる人たちが、人を裁くことをしていたなら・・・・当時に私が居たのなら、あるいは律法から離れていたかもしれません。

そんな保証はどこにもないので、何とも言えませんが。

私の心は神を求めています。

しかし今の私は、ある教えが絶対であるという考え方よりも、まずは信仰が無くとも、本当に人を愛せる人間になる事を望みます。

そういう今の私に、キリストの教えは心に響きます。

投稿とは矛盾している部分もあるかもしれませんが、正直な気持ちです。

教義の理解と、自分の心との整理がまだうまくついていないので曖昧になり申し訳ありませんが、正直な気持ちなのです。
(これは hyougo31 さんのメッセージ3221に対する返信です)


3223件目   Doveさんへ   投稿者:CIAKGBDEA(39歳/マル秘)   2001年3月15日 午前 9時43分

あなた、ちょっと勘違いしているよ。

>たとえば、「信仰とは現実逃避である」とするCIAKGBDEAさんにとっては、hyougo31さん = 現実逃避としてカルトにはまり、そこから うまく脱退できたにもかかわらず、また今度は「聖書」なんかに逃避しようとしている弱い人間

確かに弱い人間だとは言いました。その後人間だれしも弱いからね〜って付け加えたよ。この意味わかる?私もあなたも心が揺れ動く事ってあるでしょうね。そこで宗教に手を出す事を私は悪いとは言っていませんよ。ただ、あまりにも洗脳されてどっぷり漬かる人を批判しているんですよ。

宗教に入り友達を捨て新たな友達を作り、家族に迷惑をかけたり。そう言う人が弱い人間だと言っているんですよ。別にあなたがそうだとは言いませんが。

私の周りに何人かいるんですよ。KKに入って家族に迷惑をかけたりしているやつが。家に入れるお金をKKに差し出しているバカなやつが。

hyougoさんは違いますね。ちゃんと一般社会で通用する言葉で物事を語っていますね。それに聖書に頼ってはいませんね。よ〜〜く理解しましょうね。彼は聖書を使ってKKの矛盾を批判しているんですよ。
(これは Dove_ZZZ さんのメッセージ3206に対する返信です)


3224件目   そう言う物の言い方が   投稿者:CIAKGBDEA(39歳/マル秘)   2001年3月15日 午前 9時57分

心の清い人の言葉だとは思えませんな〜。

>・・・なーんて いくら説明しても駄目か。

全く心のレベルが低い。あなたこそ人を見下していますね。

>仏神のプロジェクトは、個人の生長が基本ですから、転生を繰り返しながらそれぞれの個人が・・・

Theoryはわかりますよ。だから何回くり返すの?何回地上におりて苦しまなければいけないの?どうして神は人間を苦しめるの?苦しめないと魂は向上しないの?愛だのなんだの言っている神がどうして人を苦しめるの?

>とりあえず わかったことは、CIAKGBDEAさんは、幸福の科学どうこう以前に、「全世界の信仰者たちを見下しておられる」という事実ですね。

違うよ。見下してないよ。さっきも言ったように人間だれしも弱い生き物です。誰しもが第三者に頼って生きている動物ですね。それが親、兄妹でも宗教でもいいですよ。ただ、周りの人に迷惑がかかるような信仰を批判しています。

>ではでは ごきげんよう。。。

あなたこう言う嫌みを言う事を学ぶために信仰をしているんですか?それがKKのあり方なんですか? だからカルト集団なんていわれるんですよ。あなたみたいな人が団体のイメージを悪くする事もお忘れなく。
(これは Dove_ZZZ さんのメッセージ3207に対する返信です)


3225件目   あなたは   投稿者:CIAKGBDEA(39歳/マル秘)   2001年3月15日 午前10時10分

やっぱり普通じゃないですね。よかったですねKKと巡り合えて。そりゃ〜、どっぷり漬かりますよ。

では。
(これは Dove_ZZZ さんのメッセージ3216に対する返信です)


3226件目    さてさて、   投稿者:Dakaranannda(不明歳/メリーの下)   2001年3月15日 午前10時34分

おいらがhyougo31さんが「弱い人間」とか「強い人間」だとかを論ずる立場でもありませんし、それにふさわしい場所でもないでしょう。意味があるものとも思えません。ですから、いちいちおいらの引き合いに出す必要はないのでは?

おいら自身は「強くあろうとする人間」でありたいとおもいますし、 サのような人間を尊敬いたします。一番嫌いなのはその「強さ」を勘違いした上で他者に押し付けたり、それをもって奢り高ぶる人間であります。

宗教観をとればhyougo31さんとおいらは相容れないのかもしれません。このトピでなければ対立していたかも、、、だからこそ共闘する訳でもなく(一部を除く、何のことだかはおわかりでしょ)対立する訳でもなくお互いの立場と主張で投稿している訳ですが、問題あります?
(これは Dove_ZZZ さんのメッセージ3206に対する返信です)


3227件目    んでもって。   投稿者:Dakaranannda(不明歳/メリーの下)   2001年3月15日 午前10時38分

映画の件はあいかわらずどなたも触ってくれませんな。

効果も功徳もない。つまらない映画であったのでしょうな、、、やっぱビデオ見るのやめよっと。
(これは Dakaranannda さんのメッセージ3226に対する返信です)


3228件目   とりあえず   投稿者:pucchinpudding(女性/関東地方)   2001年3月15日 午前11時11分

時間がありませんが、これだけは申し上げますね。

んもうぅぅぅぅぅ。
「人生が無意味」なんて私が思っている分けないでしょう?
宗教だってなくて良い、と言うような発言も一度だってしていません。
人間にとって宗教は偉大であり、必要であるとさえ思っていますよ。

他のいろいろなところはまた明日にでも時間がとれると良いな。
んもう、ほんとに、一度お会いしてゆっくり飲めたらいいのに。

ね、みなさま、真面目にオフ会しません?

んー、とりあえず批判者側と信者側はわけてお会いして、中立者はどちらも良いことにして。
まず分けるというのは、宗教は根が深いので、あるいは「世間一般で言われている紳士淑女としての礼節を守る」事が出来ない方がいらっしゃると大きな問題が起こりかねない事を危惧しているからです。 

さて、いかが?

                     ぷりん
(これは Dove_ZZZ さんのメッセージ3219に対する返信です)


3229件目   とりあえず ィ答え(イノベーション問題)   投稿者:Okotae_123abcxyz   2001年3月15日 午後 7時02分

 しておくでごんす。
 仏陀機関説を類推すれば解決するでごんす。

エルカンターレ宣言以前は、
  幸福の科学代表取締役 エル・カンターレ事業本部長 不在(代理で大川隆法どの)
  幸福の科学代表取締役 エル・ランティ事業本部長 大川隆法どの
  幸福の科学代表取締役 仏陀・ヘルメス事業本部長 大川隆法どの
  幸福の科学代表取締役 イエスキリスト事業本部長 大川隆法どの
  幸福の科学代表取締役 神道事業本部長 大川隆法どの
  幸福の科学取締役   ナイチンゲール事業部 大川きょうこどの
  幸福の科学取締役相談役 善川三郎どの
のようであったでごわす。

エルカンターレ宣言後、最近は、
  幸福の科学代表取締役 エル・カンターレ事業本部長 大川隆法どの
  幸福の科学取締役   仏陀・ヘルメス事業部長 大川隆法どの
  幸福の科学取締役   イエスキリスト事業部長 大川隆法どの
  幸福の科学代表取締役 文殊事業本部長 大川きょうこどの
  幸福の科学代表取締役 アフロディーテ事業本部長 大川きょうこどの
のように変わったでごわす。エル・ランティ事業本部と神道事業本部を廃止したでごんす。

 相談役を廃止したでごわす。大川きょうこどのの支配力が高まったでごわしょう。
 イエスキリスト事業本部が事業部になって、事業の目的が変わったのでごわす。

 事業の目的が変わったのだから、霊言が変わるのは当然でごんす。
 霊言が変わった理由を、大川隆法どのの悟りが深まったと考えるのは、信者どのの
ご自由でごわす。外から客観的に見れば、単なる組織改革のイノベーションでごわす。

 さすがKKと略されている宗教でごんす。

 少々つまらないピントぼけの議論が増えてきたでごんす。
 どかんとガツンとスパッといきたくなってきたでごわす。

 オフ会は、4月1日に上野公園でアーク氏関連のがあるそうでごんす。とりあえず、
まぎれ混んでみて、アーク氏の能力を知るのもおもしろそうでごわす。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3230件目   経営者の器について   投稿者:ikasareteiru   2001年3月15日 午後 7時15分

私が勤務している会社は連結グループの社員が2000人規模の中堅企業です。
 92年2月、私は創業者である会長にトップ伝道することを決意し実行しました。
 会長が月初めの全体朝礼にて、「私に言いたいことがあったら朝6時から7時まで時間を空けておくから会長室まで来なさい」と言う言葉を信じて、私は午前6時過ぎ、会長室に大川隆法先生の「人生の再建」「成功理論の新展開」の2本のビデオを持って行きました。正直言って、心臓がドキドキして、不安でしたが、「仏が下生している事実を自分が勤務しているトップに伝えなくては使命が果たせない。会長に真実を知らせることが私の使命の一つである」という信念を心の迷いより優先させて行動しました。
 突然、早朝に平社員が目の前に現れたので、会長もびっくりしていたと思います。
 私も会長に何を話したのか覚えていませんが、ビデオを渡すことに成功しました。
 その日の午後4時過ぎ、会長が突然、私の職場に来られ、ビデオを見たことを告げ、私に感謝の言葉を伝えたのです。もう、びっくりし スなんてものではありません。職場の同僚たちも、この突然の出来事にパニック状態でした。この時、会長の器の大きさをしみじみと感じました。それから一年後の93年3月、私は役員を含む50名以上の幹部の前で、今後の会社の発展についての発表をすることになるのです。この時は、「八正道に基づく自己変革について」の話をしたように記憶しています。私の発表の後に役員の一人が発表したのですが、その時、私の発言に同調していただき嬉しかったでした。
 その幹部勉強会が終わった後、会長から声を掛けられました。そして、また、会長室に行くことになるわけです。その時に持って行ったのは、「天国と地獄」「逆境からの脱出」のビデオ2本でした。その後、秘書を通して、ビデオを返却してもらいましたが、4月に入って、秘書から「逆境からの脱出」をもう一度貸してほしい頼まれました。理由を聞くと会長命令で、「逆境からの脱出」を活字に起こしてテキストとして幹部勉強会で使用するということでした。最近、私の職場に赴任した係長から聞いた話によると、当時そのビデオの抜粋も上映したそうです。私の知らないところで法輪が回転していたのですね。
 やはり、企業のトップになられる方は魂の器が大きいのですね。その器に応じた繁栄発展をしていくのだろうと思われます。その後、同じ会社の法友の一人が彼の上司(係長)を伝道しました。その方が現在では地区長として大活躍しております。
 過去の十年を振り返ると、自分の人生もまんざらでもないと思える今日この頃です。
 仏はいつも手をさし伸ばして下さっています。その手をつかむのは私たち一人一人です。
 本当に、常に側にいて見守っていて下さっていることを実感しております。人生さまざまな苦難困難がありますが、これもみな魂の修行の一つです。その気になれば、いつでも人生は再建できるのです。
これからも、「敵は自分の内にあり」という言葉と「希望は情熱から生まれ、情熱の基は信仰である」と言う言葉を深く胸に刻み、努力精進していきたいと思います。ありがとうございました。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3231件目   不肖の弟子さん、はじめまして。   投稿者:ikasareteiru   2001年3月15日 午後 7時59分

は カめまして、
>私は興味がかたよっていて、無意識のことばかり書いていますが、幸福の科学に対する整合性は強く感じています。

不肖の弟子さんは、ユングの研究をなさっておりますよね。私もユングに関心があって清水書院の人と思想シリーズのユングを購読しました。その中でとても興味深かったのがグノーシス主義への傾倒についてでした。グノーシス主義の参考文献を知っていたら教えて下さい。

>霊的体験のお話、うらやましく感じながら読ませていただきました。

幸福の科学の精舎研修に参加すれば、かなりの確立で霊的体験ができると思います。
96年頃ですが、支部の公案禅で行われた守護霊との対話の瞑想で、はじめて自分の守護霊をはっきりと見ました。
もう、鏡を見ているような鮮明さでした。自分のそっくりでした。その姿は、映画「太陽の法」に出ていた釈尊の弟子とまったく同じ格好をしていました。
現在の私の体重を15キロ減量して、15歳ぐらい若返らせてスキンヘッドにすれば、双子のようになるでしょう。
 
>きちんと修行ができている成果なんでしょうね。ハンドルネームが示している通りですね。

いえいえ、 ワったく修行ができていなくて困っています。霊的体験は仏の慈悲でさせてもらっているだけです。修行の成果ではありません。
(これは fushounodeshi さんのメッセージ3205に対する返信です)


3232件目   Dove_ZZZさん、はじめまして。   投稿者:ikasareteiru   2001年3月15日 午後 9時02分

ご指摘、ありがとうございます。
今後、気をつけたいと思います。
また、何が非常識なところがありましたら
ご指摘下さい。お願い致します。
(これは Dove_ZZZ さんのメッセージ3220に対する返信です)


3233件目   布教誌配布の意味   投稿者:ikasareteiru   2001年3月15日 午後10時02分

私個人にとって布教誌配布とは、降魔そのものですが、仏の光による地上界の浄化が目的です。
仏の光を一人でも多くの魂にお届けすることがとても大切であること実感しております。
過去にも、不登校の生徒からの葉書きが本部に届き、家のポストに入っていた布教誌を読んで心が癒されたことを知りました。
今まで8000冊以上の布教誌を配布してきましたが、回を重ねて配布した地域ほど波動が確実に良くなっています。
これは、怠らず地道に確実に着々と続けていきたいものです。
昨年は、「太陽の法」を60冊以上、縁ある方々に献本することが出来ました。
会社の幹部の方ほど、わざわざ感謝の言葉を延べに私に会いに来られます。本当にありがたいことです。
私の職場の上司(未会員)は、「太陽の法」を新入社員に薦めております。
彼に言わせると、「太陽の法」は人間の魂の器を広げる本であるそうです。
私が誘わなくても、自ら高校3年生の息子さんを連れて、映画「太陽の法」を鑑賞しに行きました。
4月にはビデオがレンタルされるので、楽しみにしています。
この掲示板を読んでいる会員さんに伝えたいことは、伝道は善因善果ということです。
私もがんばります。みなさんもがんばって下さい。仏国土建設のために。
ありがとうございました。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3234件目   予言について   投稿者:WW_R2(28歳/男性)   2001年3月16日 午前 0時03分

ikasareteiru さんのような方の存在を知り,
その投稿を読んでいると私はなぜか嬉しく感じます。

タイトルのとおり,予言に関する私見を述べさせていただきます。

未来に起こりうる出来事を記録したものが「予言」だと思います。
予言者や宗教家に関わらず誰でも,自分が関心を持っている分野についての
予言をすることが可能だと思います。

決定論や宿命論的な思想からいけば,完全に未来を予測してしまうことが可能だと
考えるかもしれません。逆に,偶然説では予言そのものがありえないということ
になるかもしれません。

特に社会現象に関する予言は基本的に当たらないのが普通であると私は思います。
それは,多数の人が関係する現象であり,あまりに複雑な多体問題だからです。
また,わからないという意味では,未来のことだけでなく,過去のことでさえ,
情報が希少になると,事実の認定が難しくなります。
(「イエスが転生輪廻を説いたか」というような問題もそうかもしれませんが...)

幸福の科学に出て ォた予言者の筆頭は,ノストラダムスでしょうか。
前世紀末の日本で「ノストラダムスの予言」が流行りましたが,
もともと五島勉という作家がそのブームのパイオニアだったと思います。
しかし,予言が的中したと言う場合,きわめて抽象的でどのようにでも解釈できる文章を,
実際に起こった出来事に合うように後から意味付けしているに過ぎない,と思います。
さらに,社会現象や天変地異に関する時間と場所を特定した明確な予言というのは,
ほとんど的中していないと思います。

したがって,予言の的中率(成就率)というものは
きわめて曖昧なものである,と言わざるを得ません。
(ただし,「ノストラダムス戦慄の啓示」(幸福の科学出版刊)のあとがきには,
 7〜8割以上の的中率と述べられてはいます)

SOLNA_99 さん (3142) のようなご意見もありますが,私は,
認識力の高い人物の予言の方が成就しやすいという考えには賛成ですが,
予言と関係がない話の信頼性に関して,
予言の的中率を基準にした判断をしようとは思いません。

ノストラダムスの予言は,たいてい外れてよかったと思うような内容です。
calltree さん (3211) と同様,私も10年ほど前に会員となった者ですが,
(その後,政治色が強くなった頃に私は距離を置くようになりましたが)
言われて見れば,当時の幸福の科学の教えから,ノストラダムスの不幸の予言を
成就させないために,というような伝道における活動指針もあったように思います。

それで,私は時間と場所を指定した天変地異系統の予言が当たる確率がもともと低いと
考えているために,めでたくも天変地異による被害が予言されているほどに多くなかった理由が,
その活動の結果なのか,天変地異調伏祈願の効果なのか,といった問題に対する
納得のいく説明が私にはできません(腑に落ちないという言葉に関する私なりの同意です)。

このような類の話は,理性的な(あるいは客観的な)判断が可能であるとは思いがたく,
信じるか信じないかという個人の宗教的判断に委ねる面が相当あると思います。
どのような説明を受けいれるか(受け入れないか)は,個人の自由だと思います。
(ヘルメス神が天変地異をおしとどめたのだという信仰もありうるかもしれません。)

昨年も,天変地異調伏祈願の 謔、な行事は開催されていたので,
天変地異が将来起こらない,とは考えていないことは事実だと思います。

なお,最近になって改訂された「黄金の法」(幸福の科学出版刊)では
西暦2000年の日本に関する予言は削除されていますので,
外れたことを認めた上での改訂だと私は思います。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ2に対する返信です)


3235件目   予言について(1)   投稿者:WW_R2(28歳/男性)   2001年3月16日 午前 0時09分

ikasareteiru さんのような方の存在を知り,
その投稿を読んでいると私はなぜか嬉しく感じます。

タイトルのとおり,予言に関する私見を述べさせていただきます。

未来に起こりうる出来事を記録したものが「予言」だと思います。
予言者や宗教家に関わらず誰でも,自分が関心を持っている分野についての
予言をすることが可能だと思います。

決定論や宿命論的な思想からいけば,完全に未来を予測してしまうことが可能だと
考えるかもしれません。逆に,偶然説では予言そのものがありえないということ
になるかもしれません。

特に社会現象に関する予言は基本的に当たらないのが普通であると私は思います。
それは,多数の人が関係する現象であり,あまりに複雑な多体問題だからです。
また,わからないという意味では,未来のことだけでなく,過去のことでさえ,
情報が希少になると,事実の認定が難しくなります。
(「イエスが転生輪廻を説いたか」というような問題もそうかもしれませんが...)

幸福の科学に出てきた予言者の筆頭は,ノストラダムスでしょうか。
前世紀末の日本で「ノストラダムスの予言」が流行りましたが,
もともと五島勉という作家がそのブームのパイオニアだったと思います。
しかし,予言が的中したと言う場合,きわめて抽象的でどのようにでも解釈できる文章を,
実際に起こった出来事に合うように後から意味付けしているに過ぎない,と思います。
さらに,社会現象や天変地異に関する時間と場所を特定した明確な予言というのは,
ほとんど的中していないと思います。

したがって,予言の的中率(成就率)というものは
きわめて曖昧なものである,と言わざるを セません。
(ただし,「ノストラダムス戦慄の啓示」(幸福の科学出版刊)のあとがきには,
 7〜8割以上の的中率と述べられてはいます)

SOLNA_99 さん (3142) のようなご意見もありますが,私は,
認識力の高い人物の予言の方が成就しやすいという考えには賛成ですが,
予言と関係がない話の信頼性に関して,
予言の的中率を基準にした判断をしようとは思いません。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ2に対する返信です)


3236件目   返信:私信(Doveさんへ)   投稿者:IT167123123145145167   2001年3月16日 午前 1時33分

2日もあけると、自分の発言が60個も前になってしまいました。とりあえずDoveさんに感謝だけさせていただきます。
限りない神秘性は言われなくても追求するのですが限りない合理性は私の限りない挑戦です。(言い訳です)
先日、ここでの仕事が評価されたのか(笑)精舎担当に抜擢され奇跡のメカニズムを拝聴させていただく機会を得ました。
すごい法なので是非、機会を創って拝聴してく セさい。奇跡の法 第六章とのことです。

ちなみに私は元気なDoveさんがとても気持ちがいいと思うので、私の意見などかまわずにどんどんやっちゃってください。
(これは Dove_ZZZ さんのメッセージ3220に対する返信です)


3237件目   re:ご無沙汰しています >我慢さん   投稿者:UM_GAIA   2001年3月16日 午前 7時23分

◆re:ご無沙汰しています  3188

こんにちは、レス頂きありがとうございます。

> 如何お過ごしでしょうかGAIAさん。

おかげさまで学びが進んでいるようでもあります。でも
このところの嵐のような断末魔の日経平均にクルクルと翻弄されてもおります。(笑)
しかし笑い事ではなく、日本にとってかなり根深い問題が露呈している証左です。

あまり不幸な話はなんなんですが、
日本も世界もミレニアムに入ってあらゆる面でますます大変な状況にシフトしつつ
あるように感じます。(数年ずれただけか?の)世紀末現象をもちょっと怖れてしまいます。

イスラエルの元首も変りまし ス。ロシアは仮想敵国アメリカでの再軍備増強に入ってます。
アメリカは、、、アメリカは利益のない地域からは撤退し再度部分孤立主義に入るように
見えます。また国益が絡む地域での覇権追求は予断を許さない意識を感じます。
これには北朝鮮が大慌ての様子が見て取れます。中国もNSDを非難し、アメリカへの
警戒感を強めています。台湾問題は緊張しているように思えます。
日本は、、、どこへ行くのか全く見えなくなりつつあります。マスコミの合唱に乗って
ほぼ全国民が一致して森下ろしが行われますが、それで日本の抱える問題が解消
される訳ではないことを誰も言わない。政治的、制度的、経済的、技術的など物理的に
疲弊しきっている上に、治安、道徳的、宗教的、道義的、教育的など心の空洞化も
ピークに達しつつあるかのようです。一部新たな希望的潮流もあらゆる分野で
生まれつつありますが、これがどこまで大きくなれるのか。。。



> 幸福の科学の活動に限らず宗教の活動というものは全て個人の心に帰結しますから、
> 体験も様々ですね。また学び方においても出る結論が違います。
> それでも幸福 フ科学である程度学べば一定のレベルでの価値を共有出来るようになります。

これは仰るとおりだと思います。
世界的に新たなる価値観の止揚が早急に計られなくば、地球そのものが限界のような気が。

> 私の投稿スタイルはそのレベルを持っている方なら分かるスタイルを採っています。

そうですね。大変よくわかります。(私は到底真似出来ないレベルです)

◆ゴルフの例え

私はゴルフはやらないのですが、とても分かりやすい的確な例えだと思いました。
こういうのがポンポン出せるのは、私などとは認識力の根本段階が違います。
ゴルフはやりませんが、ゴルフゲームは一本制覇!したことがあります。
バーチャルですが昨今のゲームは良く出来ていて、単純なルールなのに奥が深い
ゴルフ攻略を見事に再現していました。

同じコースであっても日によって、季節によって、また天候によって、風によって
コンディションが変ります。生きている自然そのものを相手にし洞察し理解した上での、
戦術が必要になります。ゲームでは練習場もありましたが、ここで人知れず地道な練習を
繰り返すことで実戦での応用と自信がまた涵養されます。これをうっちゃると全然上達しない。

スポーツも(裏っぽいかもしれませんが)、一つの「道」、道の一つだと思われます。
ゴルフはとてもメンタルなスポーツだと言われますね。敵は自分自身の心であると
言える競技でしょう。ゴルフを通じた哲学さえもまた、生まれるようです。
(余談ですが『ライジングインパクト』=少年ジャンプの漫画がかなり良くファンです)

金儲けの一手段として選択し、ゴルフを始める人はほとんどいないでしょう。
ゴルフそのものの持つ、己と自然とが向き合う対峙感、緊張感が根本的魅力なのだと思います。
大変な克己心が必要な競技ですので、プロを志す人はその魅力を堪能し、この追求の道に
かなうならば全人生を投入したい、とまで思えた人達が大半であろう、と思います。
(これは gamandesune さんのメッセージ3188に対する返信です)


3238件目   どうもです。 >ikasareteiruさん   投稿者:UM_GAIA   2001年3月16日 午前 7時25分

◆re:GAIAさん、はじめまして。   3196

チェックして頂いていたとは恐縮です。ありがとうございます。

> はじめは、GAIAさんのニックネームが好きで読み始めたのですが

そうでしたか。UM_GAIAというのは、本当にこれ好きなドラマだったんです。
幼児向けの部分もあるのですが、通してみるとかなり哲学的で宗教的でさえある
シビアな命題を正面から追っているんですね。 ご覧頂くのが一番なのですが
「地球はたしかに生きている、光とともにその意思を示している」
「どのような災いがふりかかっても、未来は地球に生きる全ての人の選択次第で変っていく」
これを人間関係のミクロからマクロまで、不和から愛による相互理解まで、描いているのです。
このウルトラマンはけっして宇宙人ではなく、地球意識と人の意思が止揚して顕現した
奇跡のような存在です。心の問題がテーマなのですね。あと印象に残っているシーンでは
海の意思の顕現=ウルトラマンAGURUの再臨にあたって、まさにモーゼの出エジプトを彷彿
とさせる荘厳な描写もありました。(三月下旬にビデオで続編が出ます って関係ないですね)

そのほかでは。。。GAIAはもともとギリシャの n母神でした。
あとは日産の車にもありました。そういう名の新農法プロジェクトもあるようです。

◆経営者の器

職場での経験のお話、またまた感銘を受けてしまいました。
なにか透明な風というか、(教義にある)無我なる愛の風が吹いていく様子を感じました。
またまた貴重な体験を披露して頂き、ありがとうございます。

◆ユング  グノーシス

ユング自身が、グノーシスへかなり傾倒していた方なので、ユングを読むことが自体が
グノーシス的なるもののハイレベルの勉強になると思います。
彼の著作に『ヨブへの答え』という大胆にもなんと「ヤハウェ神の心理分析!」なるものを
したものがあり、私は今度はそれを読もうと思っています。邦訳出てます。
(不肖の弟子さんはもう読まれているのでしょうね。)

今は忙しくてなかなか読書数が進まないのですが、なんとか週1冊は読むようにしています。
現在は実学=政治経済絡みのものの方が多いのです。(宗教・哲学系は若い頃から随分
読んでしまっており一服していますので)

グノーシス関連を勉強すると、キリスト教の成立・発展に絡んで聖書から ォ怩ウれた
外典などの関係性についても理解が深まり、よりKK教義との連関性が分かると思います。

では今日はこのへんで。
(これは ikasareteiru さんのメッセージ3196に対する返信です)


3239件目   hyougoさん レスどうもでした。   投稿者:UM_GAIA   2001年3月16日 午前 7時27分

おはようございます。

すぐに丁寧なレスを頂戴しまして、ありがとうございました。

何だか私の言いたいことを、ほぼご理解いただけたようで恐縮でした。
(こりゃ大反論をされるかも〜、とちょっぴり思っていましたので 笑)
私の方もちょっと表現がきつかったところがあり、いろいろな意味でお詫びいたします。

「メールで」というお話を頂きましたが、ここでの自分の発言に多少なりとも裏表が出来る
のも何かな、と思いますので、今のところはご容赦下さい。

◆1 ものさし

> ゆえに、幸福の科学がキリスト教を内包し、凌駕するという彼らの主張を
> 私はいまいち納得できないのですね。
> まあ、違うのは当 スり前なのかな?なぜか得心できないんですよね。

それはそうだと思います。 簡単に納得は出来ないことのはずです。
これを心底から納得するのは、やはり己自身の信仰による選択しかないように感じます。
hyougoさんのご指摘の通り、ドグマ的には、両者は全然違うものさしで構築されています。
その意味で、違うのは当たり前なのでしょう。

ここで、次に出てくる理性的なテーゼとしては、思想の止揚を試みるときにおいて
違うものさしを持ち出すこと自体の是非でしょうか。これに対する私の結論は
「違うものさしを出すことが、止揚段階においては必然である」ということですが。

ところで、イスラム教の啓典は一般には「コーラン」と思われていますが、これだけではなく、
これに次ぐ重大な啓典として「福音書=新約聖書」が立てられているのは、ご存知ですか?
もちろんイスラムでは旧約も経典の一つです。

それでもキリスト教が、(同じものさしもはっきりと持つ)イスラムと相容れない、認めないの
ですから、逆説的ですが、「同じものさし」では統合・止揚は難しいことを歴史的に証明して
いるとも考えています。

◆2 日本ではマイナーなイスラム理解

イスラム教は日本では一般的にジハードや宗教戦争のイメージが強くて、過激な信仰と
思われていますが、現在世界で最もイスラム教を教義的、理想的に体現しているのは
インドネシアです。(味の素事件が記憶に新しいですね)。これは実は人間に対して
非常に寛容な教えになっています、意外なのですが。
これが原理主義的にもなり戦争のネタになっているのは、キリスト教と同じく、為政者と
結びついて覇権の道具にされたからの面が強いようです。中東の現状の紛争の元凶は
大戦後アメリカがイスラエルを無理やり建国させたから以外には理由がありません。

ユダヤ・イスラムとキリスト教の違いは、イエスの位置付けの差異が第一です。
キリスト教の言う 「イエス=完全なる人間であり完全なる神」 という見解は、当初から
あったものではなく400年代に公会議で決定されたものですが、相当無理がある、こじつけの
面があったのは否めません。この会議以降、これに異を唱えた信仰者は異端として破門され
追放されました。プロテスタントでもこれは変りません。
一神教であることに矛盾しているのですが。

もう一つの違いは、「因果律」を多少なりとも認めるか、全き「予定説」のみとするかです。
これらは、、、決定的な違いです。キリスト教の予定説では、神の救済において
人間の意思は一切介在しないのです。全員が罪の子であるがゆえに人間の一切の努力は
ただ無駄に帰しその余地もありません。人間に出来ることは唯一なる主と契約すること、
その際悔い改めることだけです。隣人愛を最高の律法としながらも、隣人愛に勤めたから
といって、主による救済とは実は全く関係がないのです。

カトリックは中世にたしかに堕落して、カルバン、ルターらの宗教改革を引き起こしましたが
カトリックがすべておかしいのか、というとそうでもない。このパウロの説いた予定説ドグマをとると
著しく人間の道徳心に訴える力が減退してしまうので、日々の信仰に耐えなくなる危惧があり
当時の僧侶=秀才天才らが集まって「愛」を抽出した膨大な神学解釈を構築したのです。
時とともに比叡山のように堕落はしましたが、カトリックの歴史なくばキリスト教はあっさり
根絶されていた可能性が高く、カトリックあってこそプロテスタンティズムが起きてくるのです。
聖書とともにも神は歴史を段階的に導いている、というのは真実のように私には思えます。

◆3 「愛と裁き」

これついては、いろいろコメントしたいことがありますが、今日は時間が足りないので、
また機会をあらめまして。
(これは hyougo31 さんのメッセージ3199に対する返信です)


3240件目   hyougo NO2   投稿者:UM_GAIA   2001年3月16日 午前 7時29分

◆私の理由

私の入信してない理由は、かなり率直に以前に投稿しています。(ixtlan氏あて)
ixtlan氏からはその距離をあきらめるな、と忠言をいただきました。
hyougoさんは、そんなんなら入っちゃえ、とアドバイス下さるのですね。(笑)

あらためて補足するならば、ちょっと前のhyougoさんの批判投稿の内容にもありました
「方便の時代は終わった」絡みの教義修正が完全に消化し切れない事があります。
すなわちエルランティー事業部?の扱いの変更理由、過程などです。これについては
「出来る限りの無理な情報収集努力」をしました。それまで大量の霊言集などを読んで、
自分の中ではかなり尊崇していた神霊であったのは事実なのです。
これについては未だ揺れているのが実情です。

時が経ち、太陽の法の映画なども見て、なんとか消化できそうな感じもしますし、その方向で
努力もしてきたのですが、やはり完全に納得しきれないところも残っています。
それらは当初この掲示板でも提示したのですが、きちんとした説明はいただけませんでした。
(最近のITさんの説明にはかなり私的には納得できるところがありましたが。)

しかしこういった霊界のヒエラルキー論などに関わる教義部分は、心の修行においては
ほとんど無関係であるとも言えるので、決定的なる疑義とはなっていません。
三次元において言葉(ロゴス)で説かれる主の教えは、全てが方便である、
というか、三次元そのものが方便の自己展開である、とも私はとらえているからです。
私がここに参加しだした動機も、賢いロム人さんが言っていた退会・複会の判断の場、
のみならず、入会の判断の場にもなりうるだろう、ということからでした。

私が調べた範囲では、確固たる霊的体験を個人的に持っているにもかかわらず脱会を
された方は、KKからの分派的新宗教の活動に入られているようです。その辺の実体も
ここへの参加によって生につかめるかな、という期待も少しはあったのですが、
この掲示板ではほとんどそういう方は登場されません。(笑)


◆蛇足

これは横レスにもなり蛇足ですが、上記と絡むので最後に少し。
KKでは聖書中の「エロヒム」という神がエルカンターレのことであり、
エホバ神とは別の神である、と言われていたと思います。

またイエス霊言中で「天の父なる主はアール・エルランティーである」旨イエスが語った部分は、
会内部でも当時質疑応答かなにかで質問が出され、「霊言収録中にも実は、自らの権威に
関わる部分、高橋氏の霊言と矛盾してしまう部分には、エンリル系が一瞬割り込んできて喋って
いた」という説明を聞いたことがあります。霊力が強いのが自慢の系統ならば、そのくらい
(イエス様の強烈なるオーバーシャドーに割込むことくらい)出来たのかな?とか、これは
善川さん富山さんとの間で語っているので、そういう事情もあったのかな?とか、思いましたが。

あと、エルカンターレという名は大悟当初から理解していた、と考えていますが、その位置付け
が当初は九次元の中で割とフラットであった、というのが初期の六年の修行中の大川氏の悟り
であられたのかな、とも思っています。
氏が「当初から知っていた」と書かれているのは、「高橋霊が実は九次元霊ではないこと」
でしたので、我慢氏が説明されたように「エルカンターレ神の真の位置付け」のことではなかった
と納得することも一応は可能です。

この節はまとまりがつかなくなりました。ごめんなさい。では今日はこの辺で。
(これは UM_GAIA さんのメッセージ3239に対する返信です)


3241件目   DOVEさんへ re:私信   投稿者:UM_GAIA   2001年3月16日 午前 7時43分

どうもです。ご無沙汰してま〜す。

拙論を引用していただきましてどうも恐縮です。
私の文章などは著作権を主張するほどの大したな論考でもないので(笑)、
どうぞ気になさらずに。

さて、引用内容とは関係がないのですが、
ぷりんさんには、それほど「構えて」話されなくても、
仰りたいことはけっこう伝わるのではないか、などと思ったりもしてます。
文章では互いに誤解しやすく伝わりにくいのかもしれませんが、
彼女なりの個性や意識というものがあると思いますし。
(これは Dove_ZZZ さんのメッセージ3220に対する返信です)


3242件目   おまちしてましたGAIAさん   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2001年3月16日 午前 9時17分

すばらしい書籍がいまかいまかと楽しみにして待つ気持ちににて、GAIAさんをこころまちにしておりました、おひさしぶりです。
年度末の超多忙もひと段落ではいけんしておりますが、GAIAさんも何かと大変な情勢のなかでのすばらしい洞察と見識をどうぞ続々披瀝ください。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3243件目   プロゴルファーは   投稿者:CIAKGBDEA(39歳/マル秘)   2001年3月16日 午前 9時28分

賞金稼ぎです。
(これは UM_GAIA さんのメッセージ3237に対する返信です)


3244件目   蛇足ですが   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2001年3月16日 午前10時20分

>エルランティー事業部?の扱いの変更理由

ですがあるてんでGAIAさんが提示されたものとほぼ同じものを考えておりましたのです。
とうしょ、招聘された3体のアモール、セラビム、モーリアの個性とエルカンターレの大霊が地球で目指した人霊計画を想像したとき、母星を飛び出した経緯いからみたエンリルの個性、その霊系団の性格などを考察すると今回のエルランティ事業部の扱いもむべなるかなと考えてみたりしておりますが、GAIAさんのさらなるご洞察もうかがいたいのですが、ここではちょっと無理であろうとおもいます。

>三次元において言葉(ロゴス)で説かれる主の教えは、全てが方便である、
というか、三次元そのものが方便の自己展開である

そのようにわたしもとらえております、
その認識を持った方が外部にいらっしゃってその目で持って洞察判断されることは教団にとってとても 蜷リなご意見であろうとおもいます。
ともすれば狭くなりがちな仏弟子を鍛えた維摩居士のような方はありがたい存在
でありましょう。
(これは papayohkoh さんのメッセージ3242に対する返信です)


3245件目   お勧めの本です   投稿者:fushounodeshi   2001年3月16日 午前10時49分

お勧めの本
湯浅泰雄 『ユングとキリスト教』(講談社学術文庫) が持たれている御関心に一致するのではないかと思います。これには、GAIAさんお勧めの『ヨブへの答え』に関する部分も含まれています。『ヨブへの答え』はユングのキリスト教への切なる再生の願いが感じられてとても感動しました。読みたい本はいくらでもあるのですが、なかなか時間がとれず積ん読状態です。     
簡単ですが取りあえず用件のみお伝えしました。
(これは ikasareteiru さんのメッセージ3231に対する返信です)


3246件目   賛成です   投稿者:fushounodeshi   2001年3月16日 午前10時51 ェ

今日は。初めまして。予言の的中率を判断の基準にしないというお考え大賛成です。

予言が当たる当たらないを以てそれがインチキであるとかないとかを論じるのは、多くの人が予言と科学的予知を混同している結果ではないかと思います。科学的予知は未来に起こる事実を問題にするのに対し、予言はむしろ現在の状況に比重が置かれています。つまり、的中率を問われる、統計的な因果関係からの(科学的)予測ではなく、起こりうる状況に対して、自分が、または人々がどのような態度をとるべきかを教えているように思います。科学的予知にはそうした生き方に対する価値は含まれていません。ですから、『自分の関心のある分野についての予言をすることが可能』『多数の人が関与する現象』という御指摘はとても納得です。

簡単ですが賛成意見を書かせて頂きました。
(これは WW_R2 さんのメッセージ3235に対する返信です)


3247件目   生かされていると感じること   投稿者:fushounodeshi   2001年3月16日 午前10時54分

なぜ人は信仰への抑えがたい衝 ョを持っているのか。なぜ信仰はこんなに人々をとらえるのか。なぜ信仰を巡って争いが絶えないのか、神の存在が証明されなければ信仰は単に価値観の問題に終わるのだろうか。

また、宗教をとやかくは言わないが自分には必要無い、とか、弱いものが頼るものだ、とか、とか、教義は頭でひねり出したものに過ぎない、とか、宗教に善し悪しはあるのか、とか、社会から宗教へ投げ掛けられる疑問は様々です。以下は無意識の心理学を参考にした視点から、私の心にある生かされていると感じる気持ちについての試論です。試論なので非常に粗く抽象的で、反論もあると思います。またいつもの無意識か、と思う方はどうぞ読み飛ばして下さい。(この中で、使った無意識という言葉は、魂あるいは霊性と読み替えて頂いても構いません。)

無意識の存在
意識が低下した睡眠中にみる夢、また虫の知らせ、第六感などという体験から分かるように、無意識の存在は否定できません。幼児期の意識が十分育たないうちの記憶が曖昧なのは、多くの行動を無意識的に行っているからと考えられます。しかし、幼児の行動はその子が人間の子であることを十分に示しています。つまり無意識は Sの本能として、周囲の様子を感知し、人が人として生存し学習し成長することを助けています。また、死に関しても同様の働き、人が人として死ぬことを教えていると思われます。実際に死んでしまった人に何が起こったかは分かりませんが、臨死体験をした人の証言が示すように意識は失われても無意識は働いています。

意識(自我意識)は二次的に成長の過程で生まれるものですが、無意識は大脳皮質の発達前から生得的に備わっている『心の本能』ともいえるもので、意識に先立って存在します。無意識が知覚される時は意識に頼らざるを得ないため、無意識そのものを知ることはできないというパラドックスはありますが、確かに経験的に存在します。さらに重要なことは、無意識の深層には、個人的に得られたとは考えられない人類に共通する集合的無意識の領域があり、これも経験的に知られています。その大きな無意識の領域に包まれて人の意識は生まれてきます。

無意識の役割
意識に先立って存在し、人の一生に最後まで関与し続ける無意識は、人を初めから終わりまで、人として生かすという合目的性を備えています。従って、人は生まれながらにして無意識の導きに 謔關カかされ、成長し、死を迎えるまでの方向を示されている連続した合目的的な存在であり、決して、物質が集合しただけの偶然の存在ではないし、物理的な閉じた因果性によって単発的に行動しているわけでもありません。無意識の合目的性とは、人が、その死までを含んだ生き方に対して意味を見い出し、どんな場合でも人として適切な態度をとれるように導く働きといえるでしょう。しばしば、道徳や常識と対立する良心も、恐らくこの無意識のどこかに含まれるでしょう。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3248件目   続、生かされていると感じること   投稿者:fushounodeshi   2001年3月16日 午前10時57分

無意識と信仰
人は自我意識だけで存在するものではないので、無意識が人を導く目的を果たすためには、自我の持つ、孤立しようとする働きから離れ、特に集合的無意識によって『生かされている』という感覚を持つ必要があります。このことは、人類史の上で超越的なものとのかかわりを人が持とうとしなかった時代、つまり信仰の無い時 繧ヘ無かったということからも理解できますし、多くの宗教は、超越的なものに対して人のとるべき正しい態度は傲慢さを捨て謙虚に生かされていると感じることだと教えています。

この集合的無意識が意識された時に得られるのは神話の体系のような宗教的象徴であったり、人格神という形をとったりすることが多いため、超越的なものに自我を解放しようするときに、具体的な特定の宗教へ帰依し、超越者とのつながりを持つのは無意識にとっては適切な方法です。このことから、信仰は、具象的な象徴を持たず、二次的に成長した意識の世界である、倫理、道徳、常識などの、いわゆる価値観とは全く異なる本能的なルーツを持っていると思われます。倫理や道徳や常識にカリスマは必要ありません。また、イデオロギーがカリスマを持つと、限りなく宗教に近い形態をとることからも理解できます。

無意識と宗教
従って、真の宗教とは、超越者と人とを結び、かつ、人がその一生を通じての生き方に対して適切な態度をとれるように教えている宗教であると言えます。また、宗教の主唱者は、超越者の言葉を預かる力を有していますが、その場合、主唱者が自分にはそうした特殊な \力が備わっている、と考えていればそれは『ただの人』の域をでないのであり、主唱者が、そうした力は本来の自分を超えた次元に由来すると考えるならば、真の宗教的指導者=カリスマといえるでしょう。宗教が無意識に備わった様式であることは、神の存在を証明することには直接つながりませんが、少なくとも人は大きな何かの中で生かされていて、連続した合目的性を持っていることまでは言えるのではないかと思います。従って、信仰を持つことは人の生き方の様式であり、神を必要としない、と多くの人が言う現代社会は、実は、大変特殊な時代であることを認識する必要があります。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3249件目   Fushounodeshiさん   投稿者:CIAKGBDEA(39歳/マル秘)   2001年3月16日 午後12時06分

こう言う書き方だど私みたいな凡人でもわかりやすいですね。勉強になります。

>従って、信仰を持つことは人の生き方の様式であり、神を必要としない、と多くの人が言う現代社会は、実は、大変特殊な時代であることを F識する必要があります。

特殊ですか〜。雨が降らないと雨乞いをして、漁がないと海の神様にお祈りをして。治安が悪い時代は神の名をつかって法律を作る。ところがどうでしょう、今は食べ物はスーパーに行けばいくらでもあるし、治安を良くするために法律も出来ました。神様に頼る事が少なくなって来ている訳ですね。

神様なしでも平和な時代へ少しずつ突入しているんではないでしょうか?宗教なしでも家族を愛し、人を愛し、困った国があれば手を伸ばし。これって神様が考えてた世界なんじゃないかな〜?子が親離れをして巣から旅立つ。それが今おきている現状ではないのかな〜?

いつまで神様と言う存在に助けてもらわなくてはいけないんでしょう。彼だって地球だけを見守っているわけではないでしょうからね〜。どんな組織でも社長は忙しいんですよね。そろそろ独立して神様に頼らないで平和で愛のある地球に。。。いつまでもおんぶにだっこじゃ〜人間進歩しないような気もするんですけどね〜。

私は信仰心を持つ事は悪い事ではないと思っています。弱い人間のする事だとも言いましたが、人間誰しも弱いので、信仰を始めた事によってその ツ人が幸せになる事には賛成です。ただ、その信仰を始めた事によって今まで築きあげてきた友情や家族愛を壊すような信仰に対して怒りを感じます。信仰を始めた事により家庭がより愛に満ちたり、友情が深まったりすれば成功ですね。

私はなぜ批判者側にいるかと言うと友人がKKに入信してから私達と付き合いがなくなりました。妻とも別れ、今は一人で暮らしいるそうです。で、私はここのトピックを見つけました。するとどうでしょう。批判者に対して魔がついているだの。地獄に落ちるだの。本当に驚かされました。そりゃ〜、友人も変になるはずですよね。妻が反対すりゃ〜別れますよ。 
(これは fushounodeshi さんのメッセージ3248に対する返信です)


3250件目   hyougoさんへ   投稿者:fushounodeshi   2001年3月16日 午後 2時28分

うまく説明できなかったようですね。表現能力はGAIAさんにはかなわないようです。
私が言いたかったのは、『心の問題』だということです。

私は2チャンでは教団職員らしいです。御親切にその記事をこちらに転送して下さる方もいらっしゃいます。しかし、ここに、2チャンでいわれているような意図をもって投稿しているわけではないので、職員さんには迷惑かもしれないけれど、そう思われているのならそれでも構わないと思っています。もし、ある意図があれば恐らく逆の反応をするでしょう。hyougoさんが、真理を心から知りたいと昨年書かれていたことに私は共感を覚えました。hyougoさんがそれを貫いていると御自分の心に聞いてみて、ある意図に引きずられることなく貫いていると思うなら、ダブハンの指摘など気にする必要は無いと思います。どうしても私にダブハンかどうかお聞きになりたいとすれば、それは何かを気にしている。気にしているものは何かを考える必要はあるでしょう。

『悪魔付き』といわれることがいやな退会した方の気持ちが本当に理解できるか、と言われると、正直そうした経験がないので分かりません。しかし、motokaiinさんの意図が正義感に隠された復讐だとしたら、復讐することで救われることがないのはhyougoさんならお分かりになるでしょう。そうした状態は心の地獄です。この掲示板から距離を置くことで、復讐から少しでも離れることができればよいのではな 「でしょうか。hyougoさんはトラウマからは吹っ切れていると書かれていましたが、もう一歩進んで、心に響くと書かれているキリスト教に帰依することはできないのですか。ここで結果を出すまではできないとお考えなのですか。

エルカンターレの件ですが、旧約から新約への過程でイエス様によって『愛』が示されたことだけで私には充分なのです。だれが(幸福の科学であれ、ユングであれ)それをどう解釈しようと、その心的事実だけで私にとっては本当にありがたいことなのです。自分が神に愛されているという真実にシンクロした時は、胸が熱くなります。理解の仕方がおかしいとか矛盾があるとか、そうしたことはもうどうでもよくなってしまうのです。

今度は分かって頂けたでしょうか。一時でも人を裁く気持ちを自分が持ったことで疑問を感じた、と書かれていましたが、そうした人を裁く自分があることを認めることが『愛』の出発点です。人の心にはイエス様が命と引き換えにしなければ贖うことができないくらい、様々な悪しき思いが潜んでいます。無ければその人はすでに神です。
(これは hyougo31 さんのメッセージ3217に対する返信です)


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