Yahoo! 幸福の科学の教えについて<2> 3251-3300

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3251件目   ぷりんさんへ   投稿者:fushounodeshi   2001年3月16日 午後 2時35分

ぷりんさん今日は、お久しぶりです。お忙しそうですね。オフ会できると楽しいかもしれませんが、大きな問題って掴み合いのこと?ぷりんさんは大丈夫だけど私は誰かと掴み合いするかも。(冗)

ところで
<人間にとって宗教は偉大であり、必要であると思っています。
<宗教は根が深いので

この点は私も実に同感です。なぜ必要で根が深いと感じられるのか、ずっと考えて続けてきましたが、今日、「生かされていると感じること」という題でそれについて投稿しました。もしお時間があればお読み下さい。この中で幼児期について触れましたが、私は発達心理学の、意識と記憶に関する最近の成果を全く勉強していないので(怠慢です)心理学を勉強しているぷりんさんから見るともしかしたら、おかしな部分があるかもしれません。お忙しいのに申し訳ありません。本当にお暇な時で結構です。
(これは pucchinpudding さんのメッセージ3228に対する返信です)


3252件目    しかし、、、   投稿者:Dakaranannda(不明歳/メリーの下)   2001年3月16日 午後 4時24分

彼はいつでも「プレイヤー」ですな。
ゴルフでもピアノでも、、、

「練習」は大事です。でもそれだけ?
誰かが作ったコースを一生懸命回るだけ、、、で、スコアだけが大事なのでしょうか?

コースは誰が作っているのでしょう?クラブは誰が作っているのしょう?そこには「神」や「仏」と練習をする彼しかいないのでしょうか?彼のゴルフを支える全てのものは「神」や「仏」が与えたものでしょうか?彼を支える人や、先人たちの努力は意味の無い物なのでしょうか?

何も考えず「プレイヤー」でいるのは楽しくて楽でしょうね。

そうは思いませんか?

おいらは相変わらずの「間抜けな例え話」にしか聞こえませんが、、、
(これは UM_GAIA さんのメッセージ3237に対する返信です)


3253件目   刹那、刹那の選択(welcomeyamaさんへ)   投稿者:Dove_ZZZ(29歳/男性/東北地方)   2001年3月16日 午後 6時58分

>
> 「ニセモノの自分」から、「ほんとうの自分」になるのに、難しいですね.頭で
> は、分かっていても、本当に実践できるかといえば、なかなかできないですね.
>

welcomeyamaさん、お久しぶりです。
今月の月刊誌5ページでは、「迷いの心」と「本質的な心」という表現を使っておられますよね。
(今晩は これから 楽しい楽しい月刊誌講習会なんです〜)


それにしても、、、わたしは最近思うのですが、

「ニセモノの自分(迷いの自分)」というと、なんとなく
自分の中にそういう別の生物がいて、それを追い出そうとして躍起になっているような
そんなイメージをこれまでもっていたのですが、
実は、わたしたち個人の実生活レベルでよくよく考えてみると、
要は「場面、場面における選択」のことなんだなぁーって思うようになりました。

人間には心の自由が与えられている。
現在ただいま、わたしがどういう考え方をするかについては、
自分以外の何者にも制約されることがない。
さあ、そのなかで、三千世界に通ずる心の針をどこに向けるか、
どういう心の持ち方を採用するか。

よくいう「心の傾向性」とは、無限にある選択肢のなかから、
自分がついつい選択してしまう、その傾向性のことを表現しているのであって、

そして「悟りたる人」とは、場面、場面における選択が、ごく自然に、
より仏神に近い「愛多き」「智慧深き」選択をできる人のことを表現するんだろうなーって思うのです。

でも、「ニセモノの自分」という選択肢は、悟ったあとも決して無くなってしまうわけではなくて、
心の自由というのが保証されている限り、
最初から最後まで、その「選択肢」自体は存在しているものなんだろうなーって。

その証拠に、悟後であっても、転落の魔境はどこまでもついてまわるわけですよね。

そういう意味で、「悟った人」というのは、「ニセモノの自分が無い人」ではなくて、
「ニセモノの自分(という選択肢)を選択しなくなった人」ってことなんでしょうねぇ。。。


わたしなんか、そこのところがよくわかっていなかった頃は、
「ニセモノの自分はよくない」「無くそう」な〜んてよく考えていたものですが、

実は、そう考えているうちは、「ニセモノの自分を認める」という出発点にすら
到達できていなかったんだってことがわかったんです。

いまある「ニセモノの自分」を現実として認めること。
そしてそれを認めた上で、足元を確認しながら、山の頂を目指して一歩一歩進んでゆくこと。
その一歩、一歩、瞬間、瞬間における心の針の統御、コントロールこそが大事なんだなって
精舎に行くようになってから、ようやく理解できるようになってきました。


>
> できるだけ、心をコントロールしていくことが大切な事ですね
>

心のコントロール、、、本当に大事ですよねぇ。。。うんうん。

welcomeyamaさんの投稿に便乗して、
最近考えていることを、ちょっと独り言してみました。。。
(これは welcomeyama さんのメッセージ3212に対する返信です)


3254件目   奇跡のメカニズム〜っ!(ITさんへ)   投稿者:Dove_ZZZ(29歳/男性/東北地方)   2001年3月16日 午後 6時58分

>
> 先日、ここでの仕事が評価されたのか(笑)精舎担当に抜擢され奇跡のメカ
> ニズムを拝聴させていただく機会を得ました。
> すごい法なので是非、機会を創って拝聴してください。奇跡の法 第六章と
> のことです。
>

うっきゃー! すごーい!

うちの青年部の仲間にも、その担当者向けのに出席した者がいて、
すごい「気づき」を得て帰ってきたらしいのですが、
時間がとれなくて まだ直接は話を聞いてないんですよねぇ。。。

すごいなぁ。。。 ぜひ、話を聞きたい 聞きたい 聞きたぁーいっ!


・・・ねぇ、、、ITさんは メールはダメぇ?

もし許されるなら、(こんなところではなくて) じっくり感想を聞きたいなぁ。。。
(無理にとは言いません。いろいろな事情も考えられますので)
(これは IT167123123145145167 さんのメッセージ3236に対する返信です)


3255件目   失礼しました(ikasareteiruさんへ)   投稿者:Dove_ZZZ(29歳/男性/東北地方)   2001年3月16日 午後 6時58分

>
> ご指摘、ありがとうございます。
> 今後、気をつけたいと思います。
> また、何が非常識なところがありましたら
> ご指摘下さい。お願い致します。
>

いえいえ、はじめましてで いきなり あんな指摘をしてしまったもので、
もしお気を悪くされちゃったらどうしようかと思ってましたが、、、よかったです。。。

あ、でも、決して「非常識だぞ」って言ってるつもりではないんですよ。

GAIAさんのあの文章は、当時、一般常識の代表者みたいな顔で
当会を批判しておられる方がいたのですが、
その人に対して、「こんな常識も知らないのに?」ということで
GAIAさんが指摘した内容だったのです。
だから、必然的にあのような表現になってしまっただけなんですよ。
あまりお気になさらないでくださいね。

そういうわたしも、過去ログをチェックしてみたら、
以前は何度もやってたという証拠が、おもいきり残ってましたから(笑)
他人のことをとやかく言える立場じゃありませんから、ご安心ください(笑)


最近のikasareteiruさんの投稿、とても興味深く読ませてもらっています。
これからも楽しいお話、たくさん聞かせてくださーい。

ではでは。。。
(これは ikasareteiru さんのメッセージ3232に対する返信です)


3256件目   ぷりんさん大好きなので(GAIAさんへ)   投稿者:Dove_ZZZ(29歳/男性/東北地方)   2001年3月16日 午後 6時58分

レスいただき、ありがとうございました。
GAIAさんの文章は、とても参考になる内容が多いので、
プリントアウトさせてもらって、じっくり味わってみることがよくあります。
話の進め方がとてもすっきりしていて、
でも決してお堅いイメージじゃなくて、
何より読みやすいっ!(笑)

見た目が読みにくい不肖の弟子さん(う、怒られるか?(笑))と併せて、
一緒に理解しようとすると、これまた、深い味がでてきますよねぇ。。。

ほんとに、読んでて楽しいです。 わくわく〜って。


あ、ところでぷりんさんの件ですが、、、

なんか、最近 多忙のよう ナ、
もしかしたら 近いうちにお別れの日がくるのかもしれないなぁ〜 なんて考えてたら、
「今のうちに言いたいこと言っとかなきゃ!」って つい焦りが出てきちゃって、
あんな口調で、しかも粘着質な投稿になってしまいました。。。
「焦り」はよくないですね。うん。。。


でもね、、、でもね、、、聞いてくださいよぉ! 彼女ったら、、、

・・・ あ、この後は、「ぷりんさんへ」のレスの方で話します。。。

ぷりんさんへのレスと、
あと、hyougo31さんへの「裁き」についての信者からの意見、
CIAKGBDEAさんへのお詫びと意見、
ついでにダカラさんへのレスなどは、後日(来週?)とさせていただきます。

なんでも連続投稿は4つまでらしいですものね。
(一昨日はじめて知った。あははは)
(これは UM_GAIA さんのメッセージ3241に対する返信です)


3257件目   本当に人を愛すとは   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2001年3月16日 午後 8時15分

如何なることなのでしょうか?
Hyougoさんにとっての愛し方なのでしょうか?

それとも神の心にたっての愛し方なのでしょうか?

イエスほど主を愛されている方はおりません。

主に対する気持ちがこれほどなのものかと教えて下さっています。

イエスを愛することは主を愛することになるのですね。

貴方は幸福の科学の教えをもっと時間をかけ学ぶことですね。

仏は法よりも上にある存在です。
法を修正できるのは仏だけなのですね。
だから仏・法・僧という順番があるのです。

法・仏・僧ではありません。

この意味が分かればあなたがこれまで幸福の科学の教えで躓いていたことが解消されます。

三宝の順位というものは厳格に存在するのです。これは普遍です。

しかし、仏が説かれる法は仏により変えられます。それは法を学ぶ対象である修行者のレベルに応じて変えられるのですね。
(これは hyougo31 さんのメッセージ3222に対する返信です)


3258件目   働きました。   投稿者:IT167123123145145167   2001年3月16日 午後11時09分

なんだか最近の皆さんの情熱?はすごいものを感じます。
今週は出張をはさんで結構な仕事量でございました。久しぶりにくつろぎましたのでさっそく御返事を。

>ですから大川さんがキリストや今まで地球上に降りて来た歴史上の人物達を指導してきたわけですよね。全知全能って言われている神様がやりたいと思っている事があるのにこんなに時間がかかる物なのかな〜って思うわけですよ。神様の勝手なプランで人間が苦しみ、憎し合う。なんのため?なんのために人間を作ったの?神様の道楽? 自由意思から始めるのを見たい?なんのため?別にそんな事しなくても最初から平和な愛がある世界を作ればよかったのに。

仏教的に申しますと人生は苦なのです。

生まれる苦しみ。
老いる苦しみ。
病の苦しみ。
死への苦しみ。
愛するものと別れる苦しみ。
憎い人と出会う苦しみ。
求めても得られない苦しみ。
五体の欲望が燃え盛る苦しみ。

四苦八苦のことです。
人間の立場からすると、このように観ずるのも悟りであるという事です。
仏教がすごいのは悟りの力でこの苦しみを乗り越えていこうとする事です。
宗教はおすがりするどころか、無限の可能性にチャレンジする勇気が必要です。
なぜそのような世界が創られたのかを知る為に修行が必要なのです。まぁそれは究極の悟りとほぼイコールだと思います。
ところがそれを悟った方がいらっしゃるのです。その悟りこそ太陽の法に書かれている内容です。急に仏教的アプローチですみません。

>そんなお金に余裕があるのならば本当に苦しんでいる人々に直接手を差し伸べたらいかがでしょうかね〜。

キリスト教や仏教、儒教が人類に対して与えた素晴らしき影響は計り知れないものがあると思います。
仏教を憲法に組み込み「和をもって尊しとなす」精神を日本に根付かせた聖徳太子。
聖書を学び「すべての人は平等につくられた。そして、生命の権利、自由の権利、幸福を求める権利、その他、なんぴとも奪うことのできない権利を、創造主から与えられている。政府というものは、この権利を守るために人類のあいだに作られたものであって、政府の正当な権力は、人民の同意から生まれるものである。」と、独立宣言を述べ民主主義の土台を創ったリンカーン。
私達がある程度平和に暮らしているのも、こうした先人達の教えと実践があったからなのです。
正しい宗教を広める事によって始めて現在、未来を輝かせる事ができるのです。
そうしなければ人類の未来はもっと悲惨になるでしょう。
普遍的なる価値観を神の名のもとに根付かせる事が、人類を幸福に導くのでしょう。

幸福の科学の四正道、愛・知・反省・発展の原理、
すなわち、愛を深め実践する事、よく学ぶ事、神の心にかなう様に自らを改める事、神の栄光を地上に展開する事、
という精神を押し広げていってなんの悪い事がありましょう。
施設とはその土台を各所にいただいたいているという事です。

>私は自分で会社を経営しています。社員は25人。

25人の方の人生に責任をもたれるのは大変ですね。敬服いたします。

>私は儲けの一部を毎年ある施設に寄附をしています。ボランティア−もしています。

これが最大の驚きでした。なぜされるのですか。結構大変な人生だったようですね。
(これは CIAKGBDEA さんのメッセージ3191に対する返信です)


3259件目   切り捨てる事は、容易いが・・・。   投稿者:ark4_99(30歳/男性/東京都北区赤羽)   2001年3月16日 午後11時17分

>神様なしでも平和な時代へ少しずつ突入しているんではないでしょうか?
>宗教なしでも家族を愛し、人を愛し、困った国があれば手を伸ばし。
>これって神様が考えてた世界なんじゃないかな〜?
>子が親離れをして巣から旅立つ。それが今おきている現状ではないのかな〜?


 親離れ子離れって、真の信頼関係が前提だと思うのです。
信頼の無い親離れ子離れは、情を捨てるのと変わりません。
 全ての人が相手を思い遣り、成長する世界なら神様はいらない??
今この愛の僅かな世界で、自分を戒め成長させて行く事こそが、
いつの時代も、神様の望んでいる事だとは言えないでしょうか?
 人間は自から望んで、苦しみを乗り越え成長して行きます。
価値有る自分は、宇宙の何処を捜しても居ませんよね?
自ら乗り越えて、努力して築き上げた事こそが誇れるのでしょう。
 そういう意味では、神様が居ても居なくても人間がすべき事は、
全然何も変わらないのです。神様が居ても努力は必要ですし、
仮に神様が居なくても、サボったりする理由に成るでしょうか?
勿論成りませんよね?怠けていたら、きっと後悔する事でしょう。
人間誰しもが、例外無く自分のできる何かを頑張るしかない!!
ぼくは、そう思います。

 一度犯した罪は、生まれ変わっても、消える事は無いはずです。
例え過去に干渉できても、犯した事実に変わりはありません。
背負った罪を、神様の前で隠す事無く、全て曝け出した上で、
ぼくは、自分の信じる道を歩き続けます。
(これは CIAKGBDEA さんのメッセージ3249に対する返信です)


3260件目   ikasareteiruさん、こんばんは。   投稿者:IT167123123145145167   2001年3月16日 午後11時42分

始めまして、ITです。
最初はきわめて霊的な事を表現されていましたが、最近のお話を読むときわめてしっかりされている事がにじみでており、神秘性と合理性をバランスよく持っておられる事がよくわかりました。
霊的体験すごいですね。私のは霊的能力というよりは感受性の延長にあるようなもので、しかし客観的証明を伴うことがあります。もしかしたら、 ・ォ化した心の中枢によって能力の表れ方が違うのかも知れません。

それはさておき、奇跡の意味について先生から直接御法話をいただいています。もう御存知だと思うので詳しく書きませんが、ikasareteiruさんにも是非聞いていただきたくてここに書かせていただきました。奇跡の時代を地道な努力で創っていきましょう。

21世紀を開くキーワードは奇跡です。(先生のお言葉より)
(これは ikasareteiru さんのメッセージ3196に対する返信です)


3261件目   また   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2001年3月16日 午後11時54分

私はイエスより教えていただいた主を愛する姿を通して、さらにイエスから教えて頂いたことは如何に主はイエスを愛されているかということです。

そして、それは我々全てを愛されているということです。

イエスはそれを一番ご存知の方ですから、主の愛に対して最高の感謝を捧げておられると思います。

主の愛は理屈を超えて存在しているのですね。

感じるということを大切にすることです。

理 _をつめて理解出来ることもあります。

しかし、先ずは主である方の愛を感じることですね。

それには主を信じるということが大前提になります。
自分は主に愛されていると信じることです。
(これは gamandesune さんのメッセージ3257に対する返信です)


3262件目   RE:予言について   投稿者:SOLNA_99   2001年3月17日 午前 5時23分

WW_R2さん、こんにちは!

> SOLNA_99 さん (3142) のようなご意見もありますが,私は,
> 認識力の高い人物の予言の方が成就しやすいという考えには賛成ですが,
> 予言と関係がない話の信頼性に関して,
> 予言の的中率を基準にした判断をしようとは思いません。

との事ですが、私がまったく信憑性が低いと言ったのは、
高次元の話や、過去世の情報についてです。

未来の情報は、高次元に存在する、と言われていますので、
その情報がまったく読めないなら、高次元についても、
また、正確な過去の情報についても、まったく知らない、
と考えざるおえないから ナす。
(これは WW_R2 さんのメッセージ3234に対する返信です)


3263件目   ikasareteiruさんへ   投稿者:IT167123123145145167   2001年3月17日 午前 7時42分

もう一言追記させていただきますが、奇跡のメカニズムではユングの無意識界からの説明も入っています。昨日、書店でユングの肖像画がこちらを見ていたので、やっぱり書いてしまいます。
ikasareteiruさんには是非とも聞いていただきたいです。なぜ精舎で奇跡が起こるのか、霊示の受け取り方、地上人のあり方等々非常に学びが多いです。
(これは ikasareteiru さんのメッセージ3231に対する返信です)


3264件目   ガイアさん、はじめまして   投稿者:IT167123123145145167   2001年3月17日 午前 9時10分

ガイアさんの御投稿、いつも感心・感動しながら読ませていただいています。
私の言いたいことはこれだ、と思うことがよくあります。
客観的立場からの御意見ですので、ある意味では私ども以上に仏をお守りいただいているような気がします。
三帰誓願して霊的に御縁が出来れば、なお素晴らしい人生が待っているとは思います。

>自分の中ではかなり尊崇していた神霊であったのは事実なのです。
これについては未だ揺れているのが実情です。

私も高橋信次氏(本音では先生といいたいところもあるのですが)については、相当感化されています。
大川先生に御縁をつないでいただいたのも事実だと思っています。
黄金の法の、愛の押し寄せる時(後世に語りつたえていくべき方々の章)では10節に名前が残っています。
今後弟子たちの悟りが全体的に上がったときに高次元霊の説明が更に奥行きが深くなると考えています。
そのときにこの事象に対して新たなる観点が生まれるのではないかと期待しています。
現状では、信仰的イノベーションと、弟子達の意識を鑑みて法は説かれていると考えています。

カンターレが釈尊の本名である事を在世中、世に提示したのもこの方が始めてだと思います。
最初にこの方が地上に降りたときの地名をエル・カンタラと呼んでいました。
つまり自分たちが降り立つ前に、主が地球を治めていたことを感じさせる内容が講演テープにも残っています。
5年後に関西から出る若者が法を説く、という預言もありました。
1976年に亡くなる年に話した内容ですから1981年という事です。
この年は総裁先生の大悟の年です。預言者としての功績は大きかったのだと思います。
しかし宗教としての果実が悪かったのは御存知の通りです。
心眼を開くという本を読んで瞑想した後、強度の霊障状態になった私は、この神霊の教えを信じた場合の吉凶はかり知れずという総裁先生の教えはよくわかります。心境が悪かったのを人のせいにするつもりはありませんが(笑)
幸福の科学のように精舎で安全に魂の向上に役立つインスピレーションをいただける宗教が出来て、本当によかったと思います。
(これは UM_GAIA さんのメッセージ3240に対する返信です)


3265件目   ありがとうございます。   投稿者:ikasareteiru   2001年3月17日 午前 9時34分

さっそく、購入したいと思います。
私も積ん読状態の書籍が山のようにあります。最近、読んだ本は「管理会 v」でした。今、挑戦しているのか「簿記の基本」です。なれない本は眠くなります。
(これは fushounodeshi さんのメッセージ3245に対する返信です)


3266件目   お答えしたいが(だれかみたい)   投稿者:IT167123123145145167   2001年3月17日 午前 9時38分

やはり、ここでは無理でしょうね。
あえて先生が、法が届く方向けの話と言われていますので。
メールを差し上げてもいいのですが、私は意訳が多いので御参考になるか、不安です。
ユングの無意識説の説明なんかもあり、ここで書かせていただきたいのは本当に山々なのですが。

PS:最近思うのですが、3次元的にもここの情報は総裁先生に届いているように思われるのです。
だって今回の御説法の内容でここの批判の答えが出ているんですもの。偶然かも知れませんが。
(これは Dove_ZZZ さんのメッセージ3254に対する返信です)


3267件目   ITさん、はじめまして。   投稿者:ikasareteiru   2001年3月17日 午前 9時57分

「奇跡のメカニズム」には、私より愛も信仰心も一段上のカミサンが来月、参加予定です。私も精進を重ねて参加できるようになりたいと思います。
(これは IT167123123145145167 さんのメッセージ3263に対する返信です)


3268件目   GAIAさんへ   投稿者:ikasareteiru   2001年3月17日 午前11時10分

>UM_GAIAというのは、本当にこれ好きなドラマだったんです。幼児向けの部分もあるのですが、通してみるとかなり哲学的で宗教的でさえあるシビアな命題を正面から追っているんですね。ご覧頂くのが一番なのですが

実は、私も好きなので、子供が見るという口実でビデオを借りて4本ほど見ています。
DVDも1枚、スペシャルバージョンを持っています。

>あと印象に残っているシーンでは海の意思の顕現=ウルトラマンAGURUの再臨にあたって、まさにモーゼの出エジプトを彷彿
とさせる荘厳な描写もありました。

私の好きなのがアグルなんです。
はじめは、ハンドルネームをアグルにしようと思ったくらいです(苦笑)

>(三月下旬にビデオで続編が出ます って関係ないですね)

一応、レンタルで子供に見せようと思っています。うちの子は、二人とも男性霊なので、やっぱり、ウルトラマンとかクウガとかアギトを見るんですね。それで、父親がはまってしまうパターンがあります(爆笑)

>職場での経験のお話、またまた感銘を受けてしまいました。なにか透明な風というか、(教義にある)無我なる愛の風が吹いていく様子を感じました。またまた貴重な体験を披露して頂き、ありがとうございます。

幸福の科学に入信して10年になりますが、なんかもう100年以上の人生を歩んできたような感じがします。
心境の上がり下がりが激しい10年でしたが、確実に魂は向上していると実感しています。
一般的に宗教って、目の前に倒れている人がいれば、かけよって抱きかかえますよね。
でも、幸福の科学は、違うんです。目の前に倒れている人がいると、その人の前に行って、自分で立ち上がるためのアドバイスをするんです。
だから、立ち上がるまで、本人の負担はかなりあるんですよ。
でも、自分の力で立ち上がることができれは、もう杖はいらないんです。もう、介護者は必要ないんです。
ところが、優しい介護者が、いつも側にいると、それに甘えて自分では何もできなくなってしまうんです。
そこが既存の宗教と幸福の科学との違いであると私は思います。ある意味で厳しい反面、本当の意味では、それこそが慈悲であると思います。これは、転生輪廻の思想を本当の意味で理解できていないと分らないと思います。

>ユング自身が、グノーシスへかなり傾倒していた方なので、ユングを読むことが自体がグノーシス的なるもののハイレベルの勉強になると思います。彼の著作に『ヨブへの答え』という大胆にもなんと「ヤハウェ神の心理分析!」なるものをしたものがあり、私は今度はそれを読もうと思っています。邦訳出てます。

不肖の弟子さんから推薦図書「ユングとキリスト教」(湯浅泰雄著)を教えていただいたので、さっそく購読したいと思います。
(これは UM_GAIA さんのメッセージ3238に対する返信です)


3269件目   ITさん、こんにちは。   投稿者:ikasareteiru   2001年3月17日 午後12時43分

> ナ初はきわめて霊的な事を表現されていましたが、最近のお話を読むときわめてしっかりされている事がにじみでており、神秘性と合理性をバランスよく持っておられる事がよくわかりました。

ありがとうございます。

>霊的体験すごいですね。私のは霊的能力というよりは感受性の延長にあるようなもので、しかし客観的証明を伴うことがあります。もしかしたら、活性化した心の中枢によって能力の表れ方が違うのかも知れません。

各人の魂の役割の違いが霊的能力の違いとして現れていると思います。
私の場合、唯物論者だったので、あえて、守護霊が許可したのだと思います。
実は、仏の法に出会う2週間前頃と記憶していますが90年12月初旬に、私は原因不明の腹痛で救急車で自宅から運ばれたのです。
(はじめての体験でした。恥ずかしかったです)
そして、診察台の上で霊的覚醒を促す体験をしたのです。
私自身、これを擬似臨死体験と名づけております。
それは、ベットに触れているはずの背中の感触がなくなり、体が上のほうに昇っていく感覚だったのです。
それに従い、激痛も治まっていきました。そして、目は閉じているのですが、私の周りに光の粒子が無数に集まってきたのが見えたのです。そして、とても気持ちが良くなったのです。
その時、「なんだ、この光は。もしかしてこれが神様なのか?ああ、俺はこれで死ぬのか。でも、こんなに気持ちがいいんなら死んでもいいや。でも、もし、自分に何らかの使命があるのなら、神様、私を生かしてください」と思ったのです。
その瞬間、スーと体が下降していく感じがして、背中がベットの感触を感じ、また、痛みはじめたのです。
この体験をして、神様は存在すると思うようになったのです。そのあと、新聞の一面に載った仏の広告に出会うのです。
(これは IT167123123145145167 さんのメッセージ3260に対する返信です)


3270件目   遅ればせながらご挨拶を   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2001年3月17日 午後 1時19分

ikasareteiruさんこんにちは、我慢さん、Doueさん、ITさんや他の有志の方につづいてまたあたらしい光りが加わっていただいてうれしいです。ここが建設的な意見交換のよき場となるといいですね、よろしくおねがいいたします。
(これは ikasareteiru さんのメッセージ3233に対する返信です)


3271件目   もったいないですね。   投稿者:IT167123123145145167   2001年3月17日 午後 1時37分

>これは熱心な会員であるガマン氏、ITさんの発言にも見られる傾向です。

あまり表立って書きませんがやはりここは戦場としての一面を持っているでしょう。信仰を崩す内容に対しては強く出るのは当然です。元会員の人は影響力が強いので覚悟が必要です。特に力のある人ほど強く言われてしまうのだと思います。

>あの人たち(幸福の科学を知らないひとたち)は、何も知らなくても愛を知っている。人の悲しみを自分の悲しみとし、人の喜ぶ姿を見て自分も喜んでいる。私は一体何を知っているのだろう?・・・・・そう思い、会を離れました。

その疑問はわかりますよ。私もそう考えた時期があります。
一人称になっていますがまわりの人に対してもそのように考えられたのでしょう。
あまりいい例えではありませんが、最初の10年を土木工事にたとえる方がいらっしゃいます。土木工事は命がけです。シビアな仕事が要求されます。甘さを許さない愛もありますよ。ピサの斜塔にするわけにはいきません。(但し、設計図を万人が理解できているとは限りませんが。)それ以外に会を妨害する思念があったのも事実だと思います。

>しかし、ただ一時でも他人を裁く気持ちを持ってしまうことに、『大川氏への信仰、その教義を学ぶ事』に疑問を感じました。

活動=無我になれることではないと思います。真剣にしていれば勿論導いていただけると思います。本来は心を掘り下げる事と伝道活動は同時に行われるべきですが、今までは心に対しては自己責任でするべきでした。なぜなら悟りの世界は個々に依存するため共通の方法論を探り出すのは不可能に近かったからです。現在は精舎研修を通して共通の心の修行が出来ています。エル・カンターレ信仰の真髄はこれからなのです。主の本当の愛を実感できる人が増えてくれば、愛を与える幸福が自然と身についてきます。
主の本当の愛は条件などありません。御指導いただく愛もありますが、存在自体を愛しむ愛も受け取らせていただきたいものです。仏の愛を知らないものだけが愛を奪うという教えがありますが、 ネ単に入れる境地ではないでしょう。しかし実感したときには他の事は本当に虚しくなっていきます。そこにはエデンの園があるのです。

もったいないなと思うのは、これから建築に入って外枠を作り始めるのに土木工事だけで判断してしまった事です。弟子達の実践が美しい建物を作っていくのだと思います。
(これは hyougo31 さんのメッセージ3221に対する返信です)


3272件目   続き:もったいない   投稿者:IT167123123145145167   2001年3月17日 午後 2時11分

>キリストの愛は人を裁きません。すべての裁きは神が行われるからです。兄弟を裁くものは罪に定められます。
神は愛であり、愛は神そのものです。愛はすべての掟の上に立ちます。信仰、希望、愛、その中でもっとも偉大なのは『愛』です。(隣人愛)

難しいところです。
与える愛と生かす愛の違いはご存知だと思います。
イエス様が愛の光線の代表者である事はご存知でしょう。
しかし法としてルールを作っている光線も御存知でしょう。
判断基準が無ければ法は法とは言えません。ヒョウゴさんが言われているのはその表現に憎しみがこもっていた事を言いたいのでしょ。でも、お子さんを育てるときはどうしているのですか。そんな事やってはいけない!と愛ある裁きはされないのでしょうか。厳しい面はなくせないと思いますよ。

>許しと裁きは神にお任せして自分は愛に生きればいいのではないか・・・・・

こんな公衆の面前で批判されて黙っているわけにはいかないのです。会員だってリスクは承知の上なのですよ。人の事よりもしかしたら自分の方が危ない可能性だってあるのですから。

>その根本経典において仏法を理解しない人間を悪魔のように言っています。

違いますよ。
仏法の流布を妨げる人をさしているのです。聖書を知らなければ地獄に落ちるような事は書いてありません。ヒョウゴさんにはどうも裁きの神が染み込んでおられるように思います。赤子に鞭打つような神様はいません。但し積極的に人を批判するにはそれなりの動機があるでしょう。その動機は問われます。結果もそうだと思いますが。

>教義の理解と、自分の心との整理がまだうまくついていないので曖昧になり申し訳ありませんが、正直な気持ちなのです。

貴方が復帰するときに、主の偉大さが理解されると思います。でも先生は言われると思いますよ。
「よく帰ってきたね、私も苦しかったよ」
(これは hyougo31 さんのメッセージ3222に対する返信です)


3273件目   papayohkohさん、はじめまして。   投稿者:ikasareteiru   2001年3月17日 午後 3時06分

>ikasareteiruさんこんにちは、我慢さん、Doueさん、ITさんや他の有志の方につづいてまたあたらしい光りが加わっていただいてうれしいです。ここが建設的な意見交換のよき場となるといいですね、よろしくおねがいいたします。

こちらこそ、よろしくお願い致します。
この掲示板は、とても勉強になります。
さまざまな考え方が提示されるので。
信者さんも、批判する人も、中立の人も、
みんな、魂修行しているんだな〜と思うと、みんな仏の子なんだなって、嬉しくなります。
(これは papayohkoh さんのメッセージ3270に対する返信です)


3274件目   「許す愛」と「生かす愛」   投稿者:karasuyamasou(26歳/男性)   2001年3月17日 午後 3時13分

初めまして、烏山と申します!
幸福の科学の会員です。つたない文章ながら、勇気を持って投稿してみます!

幸福の科学の「生かす愛」(の内の厳しき愛)の部分と「許す愛」の矛盾点に関するクリスチャンと思われる方からのご指摘ですが、
「許す愛」というのは、相手の人格、魂そのものに対する愛です。仏神が善人の上にも、悪人の上にも等しく雨を降らせているように、すべての人の魂を平等に受容する愛です。相手の善悪、能力、個性等に一切関係なく、相手の魂の存在そのものへの根源的愛です。

「生かす愛」(の内の厳しき愛)というのは、相手の行為、言葉に対する愛です。間違った行為、行いに対して叱ることです。

この「厳しき愛」は、あなたが言っている「裁き」ではありません。「裁き」は人格の否定です。相手の人格を肯定し、より伸ばしていくことが目的です。

これは親子の関係でも言えるでしょう。「あなたは駄目な子ね」と言うのは裁きです。子供の心に傷を残す叱り方です。「そういうことをしたら、相手を 揩ツけるからいけません」というのが厳しき愛です。子供の行為や努力の不足を叱ることは、子供の人格を傷つけることはありません。

イエスも許しを説きながら、悪に対しては毅然として戦いました。その姿に「生かす愛」の理想を見ます。
その実践は難しいものがありますが、しかし、「許す愛」と「生かす愛」は決して矛盾するものではないと思います。
(これは hyougo31 さんのメッセージ3222に対する返信です)


3275件目   「真我」と「偽我」   投稿者:karasuyamasou(26歳/男性)   2001年3月17日 午後 3時17分

>「悟った人」というのは、「ニセモノの自分が無い人」ではなくて、
>「ニセモノの自分(という選択肢)を選択しなくなった人」ってことなんでしょうねぇ。。。
>わたしなんか、そこのところがよくわかっていなかった頃は、
>「ニセモノの自分はよくない」「無くそう」な〜んてよく考えていたものですが、

この投稿を読んで、私も目が覚めました!
真我と偽我を分離して考える思考パターンは私もあったんです!

やはり、真我と偽我を違った別個の存在と見るところから間違いが起こるのだと思います。
真我と偽我については、天台本覚思想や生長の家、スピノザ的な真我一元論、
GLA的な真我・偽我二元論がありますが、
幸福の科学では、真我・偽我相対的二元論が取られている気がします(私説)。

釈尊も、ウパニシャッドから、ヴェーダーンタ哲学、バラモン教、ヒンドゥー教へと続くアートマン(真我、最高我、大我)思想を否定しました。
梵我一如(真我と神仏が一体という思想)が、修行を怠る方向、堕落する方向へと結びついているのを釈尊が目の前に見たからです。
偽我を取り払って、一皮めくれば真我が出てきて、神仏の境地になれるという有我説に対して、「バラモン教は現状肯定に堕し、僧侶は修行をおろそかにして腐敗しきっている」と批判して「無我説」を説いたのが仏教だったのです。

「真我・偽我の存在はあるけれども、全く別個のものではない。修行によって両者が一体化していく」というのが、「相対的二元論」とでも言えるかと感じます。

「悟後の修行」という言葉もある通り、常に、真我を選択していく姿勢を怠らないことが、縁起の理法に立つ幸福の科学的姿勢なのかなと思いました。
(これは Dove_ZZZ さんのメッセージ3253に対する返信です)


3276件目   会員さんが増えてきましたね。   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2001年3月17日 午後 3時33分

とても嬉しく思います。
物事には時期があるのですね。
過去に於いてはいけないとされていたことも現在は良しとされたりします。
幸福の科学の教えもそうでした。
あまりにも裏系統に傾倒する傾向があれば
修正がかかります。しかし,会員のレベルが上がればまた開かれることもあります。

地球霊系団には七色の光の要素があるのです。全てが必要なのですね。

しかしながら偏りすぎれば中道に戻されるのです。
この単純なことが見えない人が多くいたことも事実ですね。

しかし、それも修行なのですね。認識力を上げる修行なのです。
仏からみて親からみた子育ての視点を持てたら何ら問題はありません。
子の立場だけで判断をするから「?」になります。
これは過去の宗教経験のカルマでもありますね。神人隔絶型の宗教歴が長いと混乱されるかもしれません。

今は主が降りられているのです。魂の親が
その子らを指導するのです。
当然、それまでにない成長を望まれているのです。
主は9次元霊をも指導する方です。
その意味が分かれば,過去にあった教義の修正は当然のことです。
霊天上界においてもイノベーションが起きているのです。
それを理解していただきたいですね。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3277件目   ikasareteiruさんへ   投稿者:IT167123123145145167   2001年3月17日 午後 8時11分

>私の周りに光の粒子が無数に集まってきたのが見えたのです。そして、とても気持ちが良くなったのです。

私もガマンさんのお勧めで東京道場の礼拝室で祈願を受けさせていただきましたが、
光の粒が魂に向かって集まっている感じが実感できました。多分、こんな普通な人間が体験できるのは今世だけなのでしょうね。奇跡の時代です。
(これは ikasareteiru さんのメッセージ3269に対する返信です)


3278件目   お答えでなく野次(無意識、真我)   投稿者:Okotae_123abcxyz   2001年3月17日 午後 8時27分

っておこうかと。


 不肖の弟子どの、無意識の話、わかりやすく説明する努力が必要かと。

 中学・高校で心理のお話は、保健や現代社会・倫理で学習するかと。
 欲求や気質について習うことはあるかと。
 狼少女姉妹やアヴェロンの野生児も習うかと。

 狼少女や野生児に人類の無意識があるかどうか説明すべきかと。
 無意識は後天的に獲得すると説明しても、成り立つかと。

 後天的に、人との関わり合い、社会との関わり合いで、自我も無意識も
獲得するとしても、成り立つかと。

 不肖の弟子どのは、無意識は先天的に存在すると思われているだけかと。
 月刊誌講習会にでも行って、大川きょうこどのの、わかりやすい文章表現を
学ばれるのがよろしいかと。

 烏山どののような理解と表現なら、退会者や他宗の方にも伝わるかと。

 ガイアどのも似たようなことを言えると思われ ワするが、腰を引いてカキコして
いる分、理解しずらいかと。不肖の弟子どのは、さらに輪をかけて、戯言っぽくな
っているかと。

 烏山どの、注目の信者登場かと。幸福の科学の切り札?かと。


レス不要の単なる意地悪な野次であるかと。
(これは fushounodeshi さんのメッセージ3248に対する返信です)


3279件目   お答え(鍛える愛)   投稿者:Okotae_123abcxyz   2001年3月17日 午後10時39分

しておくでごんす。

 「裁く」という意味を、烏山どのは勘違いしているでごんす。

 わたくしめが、受け入れている法であるならば、信者どのに裁かれても
かまわないでごんす。

 一方、退会者・批判者が受け入れていない、幸福の科学の法で、退会者・
批判者の行為や言葉を判断しても、意味がないということでごわす。

 幸福の科学の法を、完全無欠の仏陀の法だと思うのは、信者どののご自由で
ごわすが、それは信者どのらの自我の主観の範囲でいえることでごんす。

 幸福の科学の法が、客観的に正しい法であると主張したいのでごわしょうが、
それは無理な注文でごんす。

 幸福の科学の法を受け入れている信者どのどうしで、注意しあうという
意味で裁くのであれば、構わないでごんすが。

 退会者・批判者は、烏山どのには、鍛える愛で接するでごんす。
(これは karasuyamasou さんのメッセージ3274に対する返信です)


3280件目   素朴な質問。   投稿者:ark4_99(30歳/男性/東京都北区赤羽)   2001年3月17日 午後10時54分

>一般的に宗教って、目の前に倒れている人がいれば、かけよって抱きかかえますよね。
でも、幸福の科学は、違うんです。目の前に倒れている人がいると、その人の前に行って、自分で立ち上がるためのアドバイスをするんです。


 アドバイスでは、どうにもならない人もいるんですよ。
お定まりですが、脳性麻痺や、筋無力症などの身体障害者です。
人として、彼らを助け起こす事は、間違いなのでしょうか?
優しい介護者の存在が、きっと必要だと思うのです。
勿論ぼくの事は、例外にしてですが・・・。
(これは ikasareteiru さんのメッセージ3268に対する返信です)


3281件目   「許す愛」と「癒し」   投稿者:karasuyamasou(26歳/男性)   2001年3月17日 午後11時41分

>「裁く」という意味を、烏山どのは勘違いしているでごんす。

本当でごわす!
すいません!私のつたない文章のせいで、「裁き」の定義について誤解を受けたかもしれません。
もう一度、読み直すと、確かに違った意味にも読めそうです。

(以前書いた文章)
>この「厳しき愛」は、あなたが言っている「裁き」ではありません。「裁き」は人格の否定です。(※)相手の人格を肯定し、より伸ばしていくことが目的です。


※のところの主語は「厳しき愛は」という意味で書いたのですが、「裁きは」が主語であるとしてとらえられたら、まったく逆の意味になってしまいます。

前後の文脈からお分かりのとおり、「裁き」を肯定してるわけではありません。否定する意味で書いたものです。
もし誤解があったとしたら、つたない文章のお詫びと共に、訂正させて頂きます。


私は、基本的には、「裁き」という言葉が好きになれません。

確かに、「裁きの神」なる神を信ずる宗教もあります。
昔の砂漠地帯のような無法地帯では、警察・裁判所に変わって、「裁きの神」が君臨したことも意味があると思います。
「人・時・所」によっては、そうした「裁き」も宗教的正当性を持つ場合もあるでしょう。

しかし、根本仏は人を裁くことはしないと思います。

人間が心に負っている「傷」って、小さい頃からの様々な「裁き」の蓄積ですよね。
私も数多く経験しましたが、親や学校、友達から、「あいつは勉強できない」「性格が悪い」「運動音痴」「もてなさそう」「暗そう」「学歴がない」「仕事ができない」などいろいろな「裁き」を受け、心に大きな傷を作ってきました。
特に、親からの「あなたなんて必要ない」「あなたが欲しくて生んだわけじゃない」「おまえは駄目な子だ」というような言葉は、自分の存在否定に匹敵する傷(トラウマ)を受けました(もう少し間接的な言い方ではありましたが……)

「裁き」って、自分の存在否定、人格否定そのものだと思います。
ですから嫌いなんです。

そうした「裁き」を受けた傷を癒すことができるのは、根本仏の「許す愛」(別名、「慈悲」)しかないと思います。

自分がどのような悪しき存在であろうとも、能力が低くても、親から見捨てられていようとも、世の中から必要とされない存在であろうとも、
自分という存在をかけがえのない、ただ一人の存在として、愛し、必要とし、受け止めてくださっているのが仏の慈悲です。
親が、できの良い子でも、悪い子でも、いとおしく愛するように、仏は、すべての魂を平等に、あまねく愛しているのです。

私は、幸福の科学の書籍や精舎や支部等で、仏の慈悲を実感するとき、私の弱くもろい心が、限りなく癒されていくのを感じます。

そして、その微々たる報恩として、そうした「許す愛」、相手の存在そのものを受けとめる愛によって、
身の回りの方の傷を少しでも癒すことができるような、
少しでも私と同じような悲しみを取り除いてあげられるような人間になりたいなあって思っています。
(これは Okotae_123abcxyz さんのメッセージ3279に対する返信です)


3282件目   ark4_99さんへ、はじめまして。   投稿者:ikasareteiru   2001年3月18日 午前 0時27分

>アドバイスでは、どうにもならない人もいるんですよ。お定まりですが、脳性麻痺や、筋無力症などの身体障害者です。人として、彼らを助け起こす事は、間違いなのでしょうか?優しい介護者の存在が、きっと必要だと思うのです。

脳性麻痺や筋無力症などの身体障害者の方の場合は、本人の魂修行や介護する立場の方の魂修行など、各人の霊的向上のために必要とされる試練でもあると思うので、彼らを助け起こすのは間違いではないと思いますし、優しい介護者の存在が必要であると思います。

たとえば、私の父は、全盲に近かったのですが刻苦勉励して筑波大学を卒業し、盲学校の教師をしていました。その後、全盲になり、教師を辞めて、針灸マッサージの治療院を開業しました。その父を手助けしていたのが母でした。これも、一つの魂修行の形であると思いますので、私の発言がすべてではありません。私が理解している基本的な部分での幸福の科学のスタンスを述べたつもりです。

余談ですが、父は、病気を治す技を持っ トいました。母から聞いた話によると、患者さんの病気を取ることができるそうですが、それを多用すると父が疲れるので、滅多にしないそうでした。そういえば、私が中学校1年の頃、自転車に乗って遊んでいたら、急に背中が痛くなって息ができなくなり、泣いて家に帰ったことがありました。父は私を布団に寝かせて背中をさすったら、ケロっと直ってしまったので、とても尊敬した思い出があります。
(これは ark4_99 さんのメッセージ3280に対する返信です)


3283件目   ITさんへ   投稿者:ikasareteiru   2001年3月18日 午前 0時38分

>私もガマンさんのお勧めで東京道場の礼拝室で祈願を受けさせていただきましたが、光の粒が魂に向かって集まっている感じが実感できました。多分、こんな普通な人間が体験できるのは今世だけなのでしょうね。奇跡の時代です。

私は東京道場には、まだ足を運んだことがないのです。
昨年の五月に、総合本部の研修には参加することができましたが。
できれば、今年中に東京道場で祈願や研修を受けたいと思っています。
( アれは IT167123123145145167 さんのメッセージ3277に対する返信です)


3284件目   「身体障害」と「感謝」   投稿者:karasuyamasou(26歳/男性)   2001年3月18日 午前 1時07分

>身体障害者の方の場合は、本人の魂修行や介護する立場の方の魂修行など、各人の霊的向上のために必要とされる試練でもあると思うので、彼らを助け起こすのは間違いではないと思いますし、優しい介護者の存在が必要であると思います。

生かされているさん、初めまして!
投稿を読ませていただき、私の好きなイエス様の言葉を想い出しました。

イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
弟子たちがイエスに尋ねた。
「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業(わざ)がこの人に現れるためである。」
(ヨハネによる福音書)

「神の業が現れている」とは、目が見えなかったり、さまざまな障害を持って生まれてくる方は、特別な使命を与えられているという意味だと思います。
健康な方は、普段、意識されることが少ないかもしれませんが、少なくない人々が、障害や病気、その他、様々なハンディキャップを背負って生きています。

私も、心臓が弱くて、激しい運動は規制されているんですが、自分が体が弱くて良かったなと思う最大のことは、生かされているさんのペンネームではありませんが、心から「生かされているんだ」っていう実感と感謝の心を持てたことです。

健康のありがたさを実感している健康な人は少ないですが、健康や生命があることに感謝している体の弱い人はたくさんいます。

平凡な一日であっても、仏からいただいた限りなくありがたい日々なんだなって、元気な朝は喜びでいっぱいになります。

そうした逆境の中にある方がたにこそ、「神の業」が現れてるんだ、仏神への深い縁が与えられているんだという喜びを伝えていきたいなあって思います。
(これは ikasareteiru さんのメッセージ3282に対する返信です)


3285件目   お答えでなく(雑感)   投稿者:Okotae_123abcxyz   2001年3月18日 午前 2時19分

 会の状況は良くなっているかもしれないかと。

 yukijirusinomilkどのらのように、教えは信じている退会者の方は、
本当に変わっているかどうか、支部に行くのもよろしいかと。

 そこで、植福の目安・献本・伝道目標など、相変わらずのこと言われたら
五反田支部のgamandesuneどののところに不服申立てをすればよいかと。

 gamandesuneどのは、この場で、そんな職員はぶん殴ってやると言われたかと。

 何かあった時の、不服申立ての場がなかったのが、会の問題点であったかと。

 幸福の科学取締役監査役 五反田支部gamandesuneどの で、yukijirusinomilkどの
らも、安心して復会できるかと。

 大川隆法どのにさほど魅力を感じなくなった、わたくしめやhyougoどのらは、
復会することはないかと。しかし、わたくしめは、大川きょうこどのには、
頑張ってもらいたいと思っているかと。

 fushounodesiどのを野次って、fushounodesiどのがアフロディーテ本部で活躍できる
よう、鍛え トあげるのが、批判的退会者の役割かと。
 GAIAどのを野次って、GAIAどのが文殊本部で活躍できるよう、鍛えてあげるのが、
批判的退会者の役割かと。

 鍛える愛もわからず、勝手にきれてた、お2方は、ちょっと見苦しかったかと。
 遠慮せず批判していた、hokuwaどのhyougoどのも、ちょっといじわるだったかと。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3286件目   ちょこっと(訂正)   投稿者:Okotae_123abcxyz   2001年3月18日 午前 2時34分

眠さにかまけて投稿したら、取締役監査役など、お馬鹿なミスをしてしまったかと。

 幸福の科学監査役 五反田支部gamandesuneどの でよろしいかと。

 これで、全国の支部長、びびった?かと。

 しばらくROM休するかと。
(これは Okotae_123abcxyz さんのメッセージ3285に対する返信です)


3287件目   ikasareteiruさんへ   投稿者:IT167123123145145167   2001年3月18日 午前 8時46分

お返事ありがとうございます。
総合本部だけはまだ機会がいただけていません。あの素晴らしい研修ですね。是非精進して受けさせていただきます。
(これは ikasareteiru さんのメッセージ3283に対する返信です)


3288件目   karasuyamasouさん こんにちは   投稿者:IT167123123145145167   2001年3月18日 午前 9時28分

はじめまして、会員のITです。
私の大胆な発言が誤解を生じさせたのでしょうか。だとしたらお詫びします。

勿論御存知だと思いますが生かす愛は理知性の愛ですよね。厳しさが必要な時とは原因と結果に基づいて、仏性を傷つけ不幸な方向に進みそうな場合、軌道修正を促すということだと思います。
簡単に言うと奪う愛が他に迷惑をかけそうな場合、強く意見を言うという事ではないかと思います。

>子供の行為や努力の不足を叱ることは、子供の人格を傷つけることはありません。

本当にその通りです。親というのはある年齢までは神様に等しく、その言葉によって人間が作られるといっても過言ではないと思います。親から受けた愛情がその人間の存在根拠に対する自信になるのは本当だと思います。

純粋な信仰心ですね。
素晴らしいと思います。

私も運命改善研修でそれを学びました。

とは言っても子育は無限の精進の場とも言えますね。
(これは karasuyamasou さんのメッセージ3274に対する返信です)


3289件目   karasuyamasouさん ごめんなさい   投稿者:IT167123123145145167   2001年3月18日 午前 9時35分

私も運命改善研修でそれを学びました。

とは言っても子育は無限の精進の場とも言えますね。

純粋な信仰心ですね。
素晴らしいと思います。

という順番で読んでください。
重ね重ねすみません。
後から追記したのですがうっかり途中に
記述してしまいました。
(これは IT167123123145145167 さんのメッセージ3288に対する返信です)


3290件目   初めまして生かされてさん。   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2001年3月18日 午前 9時57分

東京道場は東京正心館が完成するまでの
間だけの限定ですが、このような機会は
奇蹟と思います。是非、足を運んでみてください。
また、ここを見ていおられる全ての会員さんにお奨めします。
主の光が如何なるものかが、それぞれに応じて感じられると思います。
(これは ikasareteiru さんのメッセージ3283に対する返信です)


3291件目   「家庭」と「許す愛」   投稿者:karasuyamasou(26歳/男性)   2001年3月18日 午前10時46分

ITさん、はじめまして!
ITさんの書き込み、いつも勉強させていただいてます!いつもありがとうございます!

>私の大胆な発言が誤解を生じさせたのでしょうか。だとしたらお詫びします。
ITさんはまったく関係ないので、心配なさらないでください(^。^)
私のつたない文章が誤解の原因ですので!


>親というのはある年齢までは神様に等しく、その言葉によって人間が作られるといっても過言ではないと思います。親から受けた愛情がその人間の存在根拠に対する自信になるのは本当だと思います。

そう!まさに、「人間の存在根拠に対する自信」に関わってくるんですよ!
子育てにおいて、「許す愛」はとても重要で、自分が育てられた経験からも、親の「許す愛」が不十分な場合、子供の人格に大きな障害と苦しみを与えることになると思います。

少年Aの事件以降、「良い子」症候群っていうようなこともよく言われていますが、これなんかも親の「許す愛」が不十分な場合、そうなりがちです。

勉強もできて、お行儀も良くて、いたずらもしなくて、おとなしい子、一見、無難に成長しているように見え、実は、本人は大きな苦悩を抱えている。そういう子が突如キレて、家庭内暴力や非行に走る。過食症や拒食症になる……よくあるパターンですよね。

親の愛が、「良い子」だから愛する、勉強の成績が良いから愛するという「条件つきの愛」であった場合、子供は親の愛が欲しいために、「良い子」にならざるを得ない。そして、自分の感情を抑圧していき、いつの日か爆発してしまう!

たとえ、その子が勉強ができても、できなくても、良い子であっても、そうでなくても、親の愛は変わらないんだという「無条件の愛」、すなわち「許す愛」に包まれているという安心感があって、初めて子供は自立、積極的に外に向かうことが可能になるんですね。

自分に向けられる愛の量が、常に増えたり減ったりしていては、精神的なバランスがとれなくなってしまいます。

本来、家庭って、「許す愛」の場であるべきだと思います。
世の中に出たら、競争社会、勉強や仕事ができる人が優遇されるという「条件つきの愛」の世界に出るわけですから、せめて家庭の中では相対的な評価に関係ない、家族の愛情、「絶対的な愛」である「許す愛」のバックアップが必要です。

勉強や仕事の出来・不出来にかかわらず、家庭で多くの愛が与えられるということは、人間にとって精神のバランスをとるうえで、欠かせないものだと、つくづく感じます。

>子育は無限の精進の場とも言えますね。

そういう意味で、幸福の科学の「家庭ユートピア」の教えって、本当に大切で、奥が深いなあと思いながら、勉強させていただいております。
(これは IT167123123145145167 さんのメッセージ3288に対する返信です)


3292件目   我慢さん、はじめまして。   投稿者:ikasareteiru   2001年3月18日 午後 4時42分

アドバイスありがとうございます。
できるだけ、早く実現したいと思います。
たぶん、総合本部の続編研修に参加する時になると思います。
ところで、我慢さんは、経営者研修に参加されていると思いますが、私の夢の一つが経営者研修に参加することなのです。
経営者研修に参加するための心がまえやビジョンの持ち方について、アドバイスしていただければ幸いです。
(これは gamandesune さんのメッセージ3290に対する返信です)


3293件目   烏山さん、はじめまして。   投稿者:ikasareteiru   2001年3月18日 午後 5時38分

>「神の業が現れている」とは、目が見えなかったり、さまざまな障害を持って生まれてくる方は、特別な使命を与えられているという意味だと思います。健康な方は、普段、意識されることが少ないかもしれませんが、少なくない人々が、障害や病気、その他、様々なハンディキャップを背負って生きています。

私は、父が全盲だったからか、目が見えるということが、どんなに幸福なことかを本当に感じております。
そう思えるようになるために、私は父を選んで生まれてきたのでしょう。
天上界にいた時に、父が刻苦勉励していた姿を見て尊敬していたと思います。
父は学生の頃、来日したヘレンケラー女史に握手していただき励ましていただいたそうです。
父にも高級霊との出会いがあったことを父の帰天後、母から聞き知りました。
仏は、魂修行しているすべての子供たちの親であり、涙を流されながら、子供たちの成長を願い、慈悲のまなざしを注いで常に手を差し伸べてくれているのですね。本当にありがたいと思います。

>私も、心臓が弱くて、激しい運動は規制されているんですが、自分が体が弱くて良かったなと思う最大のことは、生かされているさんのペンネームではありませんが、心から「生かされているんだ」っていう実感と感謝の心を持てたことです。

本当に「生かされている」ことを実感し、仏に感謝することができることは尊いことです。
私のペンネームは、どちらかというと自戒の意味で使っています。
「生かされている」ことを忘れたときに、人は傲慢になり、感謝が無くなり、転落が始まるからです。

>健康のありがたさを実感している健康な人は少ないですが、健康や生命があることに感謝している体の弱い人はたくさんいます。

そうですね。私は、霊的なので肉体を軽視する傾向があるようで、すぐ体調を崩して、そのたびに、健康のおごりを感じています。

>平凡な一日であっても、仏からいただいた限りなくありがたい日々なんだなって、元気な朝は喜びでいっぱいになります。
そうした逆境の中にある方がたにこそ、「神の業」が現れてるんだ、仏神への深い縁が与えられているんだという喜びを伝えていきたいなあって思います。

烏山さんの純粋な仏への感謝と信仰心の深さに、私の心が洗われます。本当にありがとうございます。
お互いに、「正しい仏神の秩序を創ろう」と願い仏国土建設のために、自分のできることを精一杯差し出して、がんばりましょう。
(これは karasuyamasou さんのメッセージ3284に対する返信です)


3294件目   会員1000万人と映画太陽の法について   投稿者:SSROV   2001年3月18日 午後 7時17分

我慢さん無視せずに教えてください。
会員1000万人と興行収入14億円(キネ旬2月号より)の関係について。
一人1200円として120万人が見に行った言ったことになります。
我慢さんを含め熱心な会員さんは複数回(多い人は10回以上)見に行ったり、無料で前売り券を配ったりしています。
1ヶ月忙しくて見に行けなかった人もいるかとは思いますが、どうして120万人なんですか? 私の知っている範囲の会員さんは映画館入り口で客引きのようなことをして、上映毎に自分の分として入場券を使ってました。これなら1日四回見に行ったことになります。 我慢さんは映画の入場者から実質会員を計算するのはおかしいと思うのですか?

それからバブルスターについても教えてください。
(これは gamandesune さんのメッセージ3290に対する返信です)


3295件目   我慢さん、三塚さんはどうなったの   投稿者:SSROV   2001年3月18日 午後 7時25分

3014のカキコは本当のことのようですが、確か、大川さんは「三塚さんを総理大臣にしよう」と言ってませんでしたっけ?
人を見る目がないのか、三塚さんにも悪魔が憑いたのか、我慢さん、生かされさん、ITさん、弟子さんその他KKよりの人誰でもいいですから、KKはどう説明してるのか教えてください。
(これは tomtompippo さんのメッセージ3014に対する返信です)


3296件目   生かされているさんへ   投稿者:hyougo31(31歳/男性/jp)   2001年3月18日 午後 7時31分

どもっ!似非クリスチャンのhyougo31です。

ちなみに私、退会者で、この掲示板では『幸福の科学批判者』の立場で投稿させていただいております。

ちょっと風邪気味で投稿する元気が無かったのですが、少し感想を。

>>「生かす愛」(の内の厳しき愛)というのは、相手の行為、言葉に対する愛です。間違った行為、行いに対して叱ることです。>>この「厳しき愛」は、あなたが言っている「裁き」ではありません。「裁き」は人格の否定です。相手の人格を肯定し、より伸ばしていくこと ェ目的です。

わたし、現会員さんに『悪霊つき、悪魔つき』などと言われた事があるのですが、これは人格の否定ではないのでしょうか?教義的には『人間として生まれる事はもう無い』とされていたのではありませんか?

>>イエスも許しを説きながら、悪に対しては毅然として戦いました。その姿に「生かす愛」の理想を見ます。

私論ですが、イエスが悪に対して毅然としていたのは

『聖なる物を豚にやるな』・・・・・厳しい教えですが、正しきものを示してもそれを受け入れず、むしろ汚す事に懸命になる輩が居る事をイエスは知っていました。ゆえに使徒以外には常に『譬え』でもって話されていたとされています。(知恵のあるものは一を聞いて十を知る事を知っておられた)ということと理解しています。

イエスの厳しさは、自らが人を諭すために受肉されたのではなく、神の御国の福音を告げ知らせるため、真実を示す事により世に悔い改めと、主なる神への愛を選択させるためということが第一義であったからと理解しています。

『剣を投げ込むために来た』というイエスの言葉はこの自らの意思を伝えんがため、と理解しています。

『生かす愛』というような人間的なものからではないと、私は考えます。
(これは karasuyamasou さんのメッセージ3274に対する返信です)


3297件目   不肖の弟子さんへ   投稿者:hyougo31(31歳/男性/jp)   2001年3月18日 午後 7時31分

不肖の弟子さんへ

>>どうしても私にダブハンかどうかお聞きになりたいとすれば、それは何かを気にしている。気にしているものは何かを考える必要はあるでしょう。

今はもう自分の中では一区切りついてますけどね。
私、『嘘つき』と『曲がった事』は大嫌いなんですね。
それとこの掲示板での発言責任、私が『おいら』と何気に使ってしまった事によって同一人物扱いされてしまったダカラさんへの配慮も含めて問題をはっきりしたかったのですね。
気にしているといえばこの点が一番大きいでしょう。

>>、motokaiinさんの意図が正義感に隠された復讐だとしたら、復讐することで救われることがないのはhyougoさんならお分かりになるでしょう。

『退会者がこの掲示板で批判する行為』が正義感に隠された復讐だといわれるのですか?
もっと人間的な目で見てください。
みな、血が通った人間です。愛する家族も居れば、責任ある仕事も持っているのです。

>>そうした状態は心の地獄です。この掲示板から距離を置くことで、復讐から少しでも離れることができればよいのではないでしょうか

その『批判する心そのものが地獄』と断言する姿勢こそ、批判者の『批判の対象』なのですね。
さらに、『悪霊つき発言』が生かす愛であるとか、発言の結果を『復讐(心の地獄)から少しでも離れれば良いのでは?』とその是非を考えずに、一方的に発言者側を善とすることは、全く理解する事ができません。

発言された側の心を理解しようとする愛など全くなかったといっても良いと思います。

>>そうした人を裁く自分があることを認めることが『愛』の出発点です

少し、難しいですね。
人の心の中に悪霊的な部分を見て、『心の修行が進んでないのかな?』なんて考えてしまう事が愛の出発点なのですか?

これも少し私には理解できません。

愛とは神の前においてみな平等であること。
神が我々を愛されていることに気付くがゆえに、我々も愛を施さんと心の中に湧き上がるもの。

などと理解しています。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3298件目   hyougo31さん、間違っていませんか?   投稿者:ikasareteiru   2001年3月18日 午後 8時26分

タイトルを見ると、私へのレスと思って読んでいたら、これは烏山さんへのレスなのですね。

>ちょっと風邪気味で投稿する元気が無かったのですが、

そういうときは、うがいを何回もして、暖かい布団に入って、ぐっすり眠るのが一番です。お大事にして下さい。
(これは hyougo31 さんのメッセージ3296に対する返信です)


3299件目   すいませんでした。   投稿者:hyougo31(31歳/男性/jp)   2001年3月18日 午後 9時40分

大変申し訳ない。

失礼しました。

以後気をつけます。

熱のせいには致しません。


>>そういうときは、うがいを何回もして、暖かい布団 ノ入って、ぐっすり眠るのが一番です。お大事にして下さい。

お心遣い有難うございます。

本当にすみませんでした。
(これは ikasareteiru さんのメッセージ3298に対する返信です)


3300件目   先祖供養について   投稿者:hyougo31(31歳/男性/jp)   2001年3月18日 午後 9時41分

総本山、先祖供養についての疑問。


退会をお伝えしたのですが、相変わらずこういうものは送られてきます。


『幸福の科学の先祖供養は、故人の霊が光の世界へと導かれ、仏との絆を強める尊い機会です。
お世話になったあの方への『最大の恩返し』として、純粋な与える愛の思いを込めて、奥深い供養の心を捧げさせていただきましょう。』


永代供養の奉納目安、100万円以上。
七年供養の奉納目安、70万円以上。
三年供養の奉納目安、30万以上。
一年供養の奉納目安、10万円以上。

奉納目安って何?

お世話になったあの人へって・・・・お歳暮感覚?

目安の金額はどういう基準で出されているの?

仏の光で故人の霊が光の世界に導かれるって書いてあるんですけど、10万円の奉納だと一年しか光が届かないのかな?

ここに書かれている仏って、なんなのでしょうね。

100万円だとず〜っと仏の光が届くのでしょうか?

あの世の沙汰も金次第ですか?

これも全然理解できません。

誰か会員の方、教えてください。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


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