Yahoo! 幸福の科学の教えについて<2> 3301-3350

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3301件目   生かされているさんへ   投稿者:SSROV   2001年3月18日 午後10時17分

生かされているさんからも、「大川さん、原ヘルスバブルスターマルチ商法褒め称え」について我慢さんへ質問してください。私からの質問に対しては返答がありませんので。
(これは ikasareteiru さんのメッセージ3292に対する返信です)


3302件目   hyougo31さん、お体ご大切に。   投稿者:karasuyamasou(26歳/男性)   2001年3月18日 午後10時54分

hyougo31さん、はじめまして!
よろしくお願いします。
聖書にお詳しいので、クリスチャンの方かと思ってしまいました。すいませんでしたm(._.)m

>わたし、現会員さんに『悪霊つき、悪魔つき』などと言われた事があるのですが、これは人格の否定ではないのでしょうか?教義的には『人間として生まれる事はもう無い』とされていたのではありませんか?

おっしゃる通り、もしそうした言葉を言った方がいたとすれば、それは人格の否定であり、「生かす愛」でも「許す愛」でもないと思います。
もしそうした言葉が本当なのであれば、会員の一人として、恥ずかしいことですし、憤りも感じます。同じ会員である責任として、hyougo31 さんを傷つけたことをお詫びします。
一般に、脱会時には、ただでさえ動揺や不安、うしろめたさ等を持つわけで、そうした気持ちに追い打ちをかけることはすべきでないと思います。
また、それを他人ごととすることなく、私も、そうした言葉で人を裁き、人を傷つけていないか、これを機会に、自戒も込め、もう一度反省させて頂きます。

幸福の科学の書籍にも「入会は難しくて不自由。脱会は自由」と書かれていますし、
『仏陀再誕』にも「もし、そなたがたのなかに、信仰にて迷いがあるならば、静かに群れを離れて、心穏やかになるを待て」と書かれています。
もちろん、脱会したことによって、悪霊につかれる、悪魔につかれる、地獄に堕ちるということは一切ありませんのでご安心を。


>イエスの厳しさは、自らが人を諭すた ゜に受肉されたのではなく、神の御国の福音を告げ知らせるため、真実を示す事により世に悔い改めと、主なる神への愛を選択させるためということが第一義であったからと理解しています。
>『生かす愛』というような人間的なものからではないと、私は考えます。

なるほど、とても勉強になりました。
ただ、自信はないんですが、宗教者はすべからく教育者的側面を持ち合わせており、イエス様も、「厳しき愛」を通して、弟子や周囲の人々に教育的効果を与えようという気持ちがあったのではないかなあと思います。

イエスがエルサレムの神殿で商売している人たちに対して、縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒して怒ったとき、弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」という言葉を思い出したとあります。

弟子たちの感動を見るにつけても、イエスの神聖な怒りが、教育的効果をもたらしたことは事実だと思います。
※私は聖書に詳しくないので、間違っていたら、またご教示ください。
(これは hyougo31 さんのメッセージ3296に対する返信です)


3303件目   バブルスターについて   投稿者:karasuyamasou(26歳/男性)   2001年3月18日 午後11時03分

バブルスターを褒めたことについては、「常勝思考」という公開セミナーで、
プールにドボンと飛びこむ人の姿を見て、酸素を風呂の中に送りこむ機械を考え出したという喩えをひいて、
行き詰まりを乗り越えていく一つの方法として、「常にアンテナを立てることの大切さ」、新たな発想を得るという発想法を教えていただいたものです。
それが、なぜ「原ヘルスバブルスターマルチ商法褒め称え」になるのでしょうか?
いかにも、幸福の科学がマルチ商法を進めているようで、大変、誤解を与える文章だと思いました。

私は、hyougo31さんのように真摯な気持ちで投稿されている方に対しては、レスを書かせていただきますが、
SSROV さんのように、あちこちからの聞きかじりを取り出して、
意図的な揚げ足取りを目的とされる方へのレスは、今後、ご遠慮させて頂きますのでご容赦ください。

もし、それほど聞きたいことがたくさんあるのでしたら、お近くの支部に行かれることをお勧め申し上げます。
(これは SSROV さんのメッセージ3301に対する返信です)


3304件目   高次元と過去世の情報について(1)   投稿者:WW_R2(28歳/男性)   2001年3月18日 午後11時05分

SOLNA_99 さん,こんにちは。返信ありがとうございます。

深層心理,潜在意識の世界では...というような心理学の観点からの説明もあり得るのかもしれませんが,
(fushounodeshi さん,好意的な返信(3246),どうもありがとうございました。)
別の観点からの考えを述べさせていただきたいと思います。

> 未来の情報は、高次元に存在する、と言われていますので、

この部分で,私が思い出すのは,オカルトの世界で言われている「アカシック・レコード」という言葉です。
それは,単純に「虚空」(アーカーシャ)という言葉と似ていて,
虚空とは霊的世界(高次元世界)のことを指している,と思うからですが......

それから,もっと個人について焦点を当てて,その心の仕組み(構造)を
多次元世界との関係で説明する場合があると思い ワす。
各人の思いや行動の記録媒体としての想念帯の存在についての話,
あるいは仏教の中の唯識説などに関連した説明があります。

阿羅漢(アラカン)の状態でもある程度わかると言われる三世(過去世・現世・来世)は,
「転生輪廻」とも関係の深い話だと思います。この「転生輪廻」という言葉は,
ひょっとしたら通常の仏教用語にはないのかもしれませんが,仏教などで言われる輪廻転生とか
六道輪廻とか言う思想を,より洗練したもの,発展させたものという意味が含まれているのかも知れません。
(つづく)
(これは SOLNA_99 さんのメッセージ3262に対する返信です)


3305件目   高次元と過去世の情報について(2)   投稿者:WW_R2(28歳/男性)   2001年3月18日 午後11時09分

> その情報がまったく読めないなら、高次元についても、
> また、正確な過去の情報についても、まったく知らない、
> と考えざるおえないからです。

まず,高次元世界の存在の説明に関することと未来の情報が読めることとは,
直接には関係がないと私は思います。高次元の話は,たとえば,
八次元如来界・七次元菩薩界・六次元光明界のような秩序のある世界観は,
密教(金剛乗)の方の思想と共通する部分だと思いますし,
そのような思想と照らしてみて,その信憑性が低いとは思えません。

次に,過去の情報に関しては,先に述べた「アカシック・レコード」なるものは,
この記録は人類の文明の歴史などに関わる記録であって,
誰もが閲覧する(読める)ことができるようなものではない,ということだったと思います。
その意味で,SOLNA_99 さんの言葉を借りれば,その存在を全く知らない人ならば,
人類の過去の歴史などとうてい知りえないだろう,と言えなくもないと思います。
(その一方で,一部のオカルトの世界では,なんでもありというような感じもしますが...)
その一部がなぜか『太陽の法』(幸福の科学出版刊)や,昨年末の映画などで,
明らかにされたということは,これは「仏の慈悲」の現れの一つだと私は感じます。
(つづく)
(これは WW_R2 さんのメッセージ3304に対する返信です)


3306件目   高次元と過去世の情報について(3)   投稿者:WW_R2(28歳/男性)   2001年3月18日 午後11時12分

さらに,「正確さ」に関してですが,仮に複数の人がその記録の同じ部分を閲覧した場合でも,
その人の理解の仕方に依存するでしょうから,過去のことについてはどのような方法でその情報を得たかに関わらず,
理解する人のパーソナリティ(たとえば,感性・知性・理性・悟性の発達度の違い)や時代環境に応じて,
その内容の説明の仕方や表現の仕方が異なるのはやむを得ないと思います。
また,宗教家であれば,教義上,信仰上の理由で「正確さ」を犠牲にする場合もあり得ると思います。
(たとえば,カトリックにおける聖母マリアの「処女懐胎」についてもそういう面があると思います)

また,高次元世界の住人といっても,さまざまな霊系団があると言われています。
さらに,同じ霊系団に属する人同士でも,全く同じ見方,考え方をするという保証はないと思います。
「過去世の認定」の違いなどは,立場が違えば見え方が違うという意味でのわかりやすい具体例なのかもしれません。
(方便の時代以前における霊言集の刊行の意味は,単に霊界の存在だけでなくて,高級霊であっても個性の違いや
 考え方の違いがあり多様性がある,ということの提示だったと私は理解しています。)
何が言いたいかと言うと,過去に起きた既に確定した出来事であっても,
どのような系統に属しているかによってその捉え方は違うならば,
「正確な過去の情報」という意味は多少,曖昧にならざるを得ないだろうということです。

もっとも,そのような仏神の世界に限らず,この世を見ても,
国が違えばその世界史の教え方も違っていますから,
正確な過去の情報とはいったい何であるか,それを一人の人のみならず,
多くの人(最終的には全ての人)に納得できる説明をするのは難易度が高いと思います。
(つづく)
(これは WW_R2 さんのメッセージ3305に対する返信です)


3307件目   高次元と過去世の情報について(4)   投稿者:WW_R2(28歳/男性)   2001年3月18日 午後11時13分

ついてながら,これは,SOLNA_99 さんとは関係のない話だと思いますが,
誰でもいいのですが,教祖のような宗教的指導者の言動に対して,
何かと「このようであってほしい」とか「こうであるべき(あってはならない)」とかの理想像を設定して,
それを自らの判断の基準や行動の動機とするというのは,ちょっと言葉が辛辣かもしれませんが,
その宗教的指導者を自らの奴隷のごとく扱っているようなものでもあり,悲劇を生む原因だと思います。
過去にはそういうことはあって,例えば,ナザレのイエスの場合,当時の弟子たちからも,一部の民衆からも,
ユダヤの国のメシアとなることを期待されていたのだろうと思います。
パウロ(サウロ)は違う観点から,後のキリスト教に深い影響を及ぼす活動をしたと思います。
(これが正確な情報であるかどうかは知りませんが(笑))

長くなって,すみません。

別に SOLNA_99 さんに,そういう考え方をせよ,と言っているわけではなくて,
この場を借りて,KK の教えから影響された考え方の一つとして,
このような考え方があり得ます,ということを述べさせていただきました。
(これは WW_R2 さんのメッセージ3306に対する返信です)


3308件目   1996年時点では   投稿者:tomtompippo   2001年3月19日 午前 1時06分

 その当時私は熱心な会員でした。1996年はじめ頃に、支部での公式発表では「秘書が幸福の科学を避けようとした」と説明していました。
 また当時、同じ疑問を某職員にぶつけたら、「三塚氏には、傘下の地方議員などへ配慮しなければならない事情がある」と言っていました。
 三塚総理構想に関しては、支部の会員が「自民党の理解を得られなかった」と地区通信に書いていました。
 1995年夏当時、非会員の知人から、「テレビのインタビューで、三塚さんは幸福の科学の支援を迷惑がっていた。」と聞かされました。
 読売新聞のインタビューで(何年か忘れた)三塚氏は、「私は大川氏とは一度も会っていない。」と答え、「一方的な支援でそのうち(幸福の科学が)静かになった」旨答えていたように記憶しています。
 本当の真相は、教団内部での情報操作があるのか、またマスコミもほとんど取り上げないので全くよくわかりません。
 ま、そんな昔の話はもうどうでもいいではないですか。
 世の中を良くする責任は政治家だけでなく、国民みんなにあるのですから・・・(退会者であろうと、現役信者であろうと、それ以外の人であろうと)
(これは SSROV さんのメッセージ3295に対する返信です)


3309件目   う〜ん、かなり長文ですね。>WW_R2さん   投稿者:SOLNA_99   2001年3月19日 午前 6時00分

> 阿羅漢(アラカン)の状態でもある程度わかると言われる三世(過去世・現世・来世)

これは、未来の事がある程度判らなければ、阿羅漢果を得ていない、
という事でしょうか?

Msg 3262 SOLNA_99
> > その情報がまったく読めないなら、高次元についても、
> > また、正確な過去の情報についても、まったく知らない、
> > と考えざるおえないからです

Msg 3305 WW_R2さん
> まず,高次元世界の存在の説明に関することと未来の情報が読めることとは,
> 直接には関係がないと私は思います。

これは、『高次元世界の存在の説明』ではなくて、
『高次元世界の具体的な情報』と、未来の情報が読める事とが、
お互いに関係していると考えている、という事です。

> 何が言いたいかと言うと,過去に起きた既に確定した出来事であっても,
> どのような系統に属しているかによってその捉え方は違うならば,
> 「正確な過去の情報」という意味は多少,曖昧にならざるを得ないだろうということです。

これは、高次元の様子ではない、と考えられます。
と言うのは、低次元ほど、情報が曖昧であると、考えられているからです。
特に創造主が存在するような高次元には、誰もが否定しえないような
『完全なる過去』が、存在すると言われています。

またそこには、『完全なる未来』も存在すると言われていますので、
予言成就の確立は、十分、過去世の正解率の目安になると考えられます。
またそして、予言が当たれば当たるほど、高次元へアクセスしていると
考えられます。


> 過去にはそういうことはあって,例えば,ナザレのイエスの場合,
> 当時の弟子たちからも,一部の民衆からも,
> ユダヤの国のメシアとなることを期待されていたのだろうと思います。

基本的に、イエスはユダヤのメシアです。
救世主というよりは、ユダヤの人々の、巨大な悪しきカルマ解消のための、
生贄の仔羊、すなわち、『贖罪の神の仔羊』と言われています。
もちろん、それだけではないですが・・・。
(これは WW_R2 さんのメッセージ3304に対する返信です)


3310件目   ITさんレスどうも   投稿者:CIAKGBDEA(39歳/マル秘)   2001年3月19日 午前10時59分

そうなんですか〜。仏教って人間苦しむ事が前提になっているんですか。では、いつになったら苦しまなくてもいい世の中になるんでしょうね。 永遠にないのかもね。だって人間は生まれて死んで行く。これも苦しみと言うならば絶対に無理があるような気がするな。

>宗教はおすがりするどころか、無限の可能性にチャレンジする勇気が必要です。

う〜ん。こう言った苦しみから逃れたり、まぎらわしたりするのが宗教じゃないかな〜?(生まれる苦しみ、死への苦しみ)私はこう言った事で人間の心の支えになる宗教は”あり”だと考えています。

>施設とはその土台を各所に 「ただいたいているという事です。

私には財力と権力のあらわしにしか見えないのですが。神様に祈るなんて事は四畳半の家にいてもできる事ではないでしょうか。何年たっても人間は自分の力や権力を建造物などを残すと言う形をとりますね。不思議ですね。人を救い、助けて何も物的な物を残さず教えや心だけを残すと言った人って結構少ないですよね。

>これが最大の驚きでした。なぜされるのですか。結構大変な人生だったようですね。

どうして驚かれるんですか? 私の会社の本社はアメリカにあるんですよ。寄附は100%税金からマイナスできます。ま〜、そのためだけじゃないですけどね。いわゆる孤児が大学などに行けるように助けているだけの事です。たいした事じゃないですよ。

ボランティア−は浜辺などの掃除です。寄附もしていますよ。食事や飲み物などを持ち込んでいます。日本の海はゴミだらけなのでちょっと掃除してみようかなと思っただけ。そうだな〜、かれころ始めてから10年はたちますね。

私が大変な人生?そんな事はないですよ。今まで何一つ苦労をした事はありません。だから生まれながら苦労をしている子供達を 浮ッてあげてるだけの事。お金の有効利用ってやつですよ。私みたいな人って結構いるんですよ。

私は本を読んだり、研究をしたりするのが苦手なので実行に移しているまでの事です。人を助けは神に祈りを捧げていても前には進みません。行動あるのみだと思っています。両方できれば申し分ないと思いますが、なんせ何千年もの間人々は神様を信じて祈っているにも関わらず、苦しみや悩みで苦労をしている人が減っていませんね。で、私の答えは神に頼らず自分で一人の子供を不幸から救えればと考えて行動しています。

ま〜、世界を救おうとしているKKの人達に比べたらレベルが低いでしょうが、私は確実に3人の子供を中学から大学そして社会人。。。これからもつづけて行きますよ。
(これは IT167123123145145167 さんのメッセージ3258に対する返信です)


3311件目   arkさんレスどうも   投稿者:CIAKGBDEA(39歳/マル秘)   2001年3月19日 午前11時09分

> 親離れ子離れって、真の信頼関係が前提だと思うのです。

神である大川さんが地上にいると言 、事はまだまだ信頼されていないのでか? なぜ、信用できない人間を全知全能である神は作ったのか?

>全ての人が相手を思い遣り、成長する世界なら神様はいらない??

そう言う事になりますね。いらないと言うより人間がそれだけ進歩すれば自然と神様の存在を信じるのでは?

>自ら乗り越えて、努力して築き上げた事こそが誇れるのでしょう。

そうですね。100%同意します。

>背負った罪を、神様の前で隠す事無く、全て曝け出した上で、ぼくは、自分の信じる道を歩き続けます。

私の場合は神様の前ではなく自分に嘘や隠し事がないように自分が信じる道を歩いています。
(これは ark4_99 さんのメッセージ3259に対する返信です)


3312件目   研修について   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2001年3月19日 午後12時05分

IKASARETEIRUさん研修参加についての心構えは人それぞれにあると思います。幸福の科学の経済繁栄の考え方は主が創られる新しい文明建設のお手伝いをさせていただくことであると思います。

よって私もこのお手伝いをさせていただきたいと真剣に考えているか常々考えております。そこで研修に望む際は私はまず自分の情熱が本物であるかを確認させていただています。


そして研修が終るたびに確認させていただくことは信仰が全てであるということです。
全ては信仰からということです。

信仰を持てるということは限りなく心強いことでありますね。
(これは ikasareteiru さんのメッセージ3292に対する返信です)


3313件目   ご面倒ですが・・・。   投稿者:ark4_99(30歳/男性/東京都北区赤羽)   2001年3月19日 午後12時22分

CIAKGBDEA様へ
 では、霊力で癒す事は、余計なお世話なのでしょうか? 
例え霊力での癒しがぼくの悪しきカルマでも、結果的に余計なお世話でも
辞める事はできないのです。
(これは CIAKGBDEA さんのメッセージ3311に対する返信です)


3314件目    さて、   投稿者:Dakaranannda(不明歳/メリー フ下)   2001年3月19日 午後12時51分

パンツ事件はどうなったのでしょうか。
現在の状況を知りたいのですが、知っている方はいらっしゃいませんか?
情報を入手する方法をご存知の方はいらっしゃいませんか?

どなたかご存知の方御教授下さい。

よろしくお願いします。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3315件目   なんですか?!パンツ???   投稿者:tinn12saidokusinn(12歳/男性/jp)   2001年3月19日 午後 1時16分

 パンツと幸福の科学が何か関係あるのですか?
 
 どう考えても分かりません。
 幸福の科学の誰かが、女性のパンツ(パンティー)でも盗んだのですか?
 まさか、そんなはずはありませんよね。
        
(これは Dakaranannda さんのメッセージ3314に対する返信です)


3316件目    それがですね、   投稿者:Dakaranannda(不明歳/メリーの下)   2001年3 ・9日 午後 1時50分

盗んだというより強奪したのですよ、それも「職員」さんが、女性のパンティーを。

以前ここでも話題になっていたのですがある信者さんによると「黙秘」していて捜査が進展していないとの事です。さらに他の宗教団体の陰謀説や警察批判なども出てきましてね、そりゃもうごっちゃごっちゃでんがな。「幸福の科学」の幹部からは「信者」への謝罪があり、その職員は処分されたそうです(この時点で元職員になりました)。

その後どうなったのか知りたいんですが何か知りませんか?
(これは tinn12saidokusinn さんのメッセージ3315に対する返信です)


3317件目    ちなみに、   投稿者:Dakaranannda(不明歳/メリーの下)   2001年3月19日 午後 2時08分

おいらは「職員」個人の犯罪自体にどうこう言うつもりはありません。
人の生き方や徳の様なものを説く「幸福の科学」とその信者さんたちのこの件に対するリアクションが問題だと思ってます。
「主エル・カンターレ」は「何でも知ってる仏」でありこの件についても十分 イ存知だそうですし(一部には知らなかったんだからしょうがない説もあり)、この場でも信者さん達のご意見もいろいろ伺いました。で、多少時間も経ちましたので現在どうなっているか知りたいなと思いましてね。


皆様どうか御協力お願いいたします。
(これは Dakaranannda さんのメッセージ3316に対する返信です)


3318件目   障害者の方の愛について感じたこと   投稿者:karasuyamasou(26歳/男性)   2001年3月19日 午後 2時34分

生かされてるさん、こんにちわ!
生かされてるさんのペンネームに込められた深い思いの一端をかいま見させていただきました。

>私は、父が全盲だったからか、目が見えるということが、どんなに幸福なことかを本当に感じております。
>そう思えるようになるために、私は父を選んで生まれてきたのでしょう。
>天上界にいた時に、父が刻苦勉励していた姿を見て尊敬していたと思います。

ご両親を素直に尊敬できるというのは、人間にとして本当に素晴らしい姿だなあって思います。
お父様の後ろ姿から学ばれた努力の大切さ、「克己心」というものは、一生の宝物ですね!

障害者の方や病弱な方が持っておられる最高の資質の一つが、
「克己心」と言われるものだと思います。
私も、小さい頃から、心臓病の持病を持っており、苦しい念い、つらい念いもしましたし、
死んだ方が楽だと思ったことも数多くありました。
それでも生きていかないといけないという念いが出たのは、魂の声だったかもしれません。
その中で得られた宝物の一つが克己心です。
でも、障害者の方の「克己心」に比べれば、まだまだ甘いものだと思います。

『克己心というものが、愛に転化していく』、
『努力して、平凡の澱みから上がってきた人は、他の人の苦しみに対して無関心ではありえない』という教えがありますが、
ヘレン・ケラーや生かされてるさんのお父様の優しさの根源には克己心があるのではないかと思います。
健常者では持ち得ない「慈しみ深さ」というものをとても感じます。
うちの支部に、ヘレンの会の方(障害者の方)がいらっしゃいますが、
その方の苦労と、静かな湖面のような心から出てくる慈しみ深さを知り、
私が使っていた「愛」という言葉が、とても薄っぺらく恥ずかしく感じました。

仏の「慈悲」という言葉に「悲しみ」という文字があるように、
「悲しみ」を知ることが慈しみ深さを増していくのかもしれませんね。

克己心の出発点は、未熟な自分の自覚と大いなる理想を持つことだとあるように、
常に自分の未熟さを忘れることなく、精進し、自分の愛に深みをを増していければなあと願っています。
(これは ikasareteiru さんのメッセージ3293に対する返信です)


3319件目   arkさんへ   投稿者:CIAKGBDEA(39歳/マル秘)   2001年3月19日 午後 6時06分

全然面倒じゃ〜ないですよ。

>では、霊力で癒す事は、余計なお世話なのでしょうか?

もしあなたに何らかの力があって、その力で体も心も癒されるのでしたらどんどんやった方がいいんじゃないかな〜。そのためにその人本人や周りの人も喜ぶのでしたら賛成ですね。

>例え霊力での癒しがぼくの悪しきカルマでも、結果的に余計なお世話でも辞める事はできないのです。

人を助けをしているのに、どうして悪しきカルマなんですか?私は良いカルマに思えるんですがね〜。


一つ危険な事と言えば。あなたがもし有名になって何万人と言う人があなたに助けを求めても皆を平等に癒してあげれるかが心配ですね。それと、妙な団体を立ち上げないで下さいね。(笑)
(これは ark4_99 さんのメッセージ3313に対する返信です)


3320件目   CIAKGBDEAさん立派です。   投稿者:IT167123123145145167   2001年3月19日 午後 6時28分

CIAKGBDEAさん、こんにちは。
私のあとの投稿を読む前に、ご返答したもので前出の内容となりました。
問題は、身近な方に情熱的な信者がいて見ていられないということですね。
基本的に幸福の科学の教えでは、家庭調和にかける比率はかなり高いのです。
仏陀再誕にそのように記述されていますので、よかったらお読みください。

>何年たっても人間は自分の力や権力を建造物などを残すと言う形をとりますね。不思議ですね。人を救い、助けて何も物的な物を残さず教えや心だけを残 キと言った人って結構少ないですよね。

教会があったので、キリスト教は残ったのだと思いますよ。教会や十字架を見て改心した人はたくさんいたと思います。
幸福の科学に関して言えば、施設の内部には目に見えない慈悲の光に満ち溢れているのを感じます。感じるのは私だけではないです。魂向上のための特別な施設なのです。とてもありがたいことです。

>どうして驚かれるんですか? 

私は信仰に目覚めるまで、いつも何か構えて生きてきました。だから人に愛を与えることなど想いもよらなかったのです。立派な人はいるもんですねぇ。

>私の会社の本社はアメリカにあるんですよ。

よかったら基本理念を教えていただけませんか。まさか増収、増益ということでもないでしょう。

>なんせ何千年もの間人々は神様を信じて祈っているにも関わらず、苦しみや悩みで苦労をしている人が減っていませんね。

ええ、人生は一冊の問題集と教えられています。人生はその人に会った問題集が用意されています。それは魂向上の糧であるということです。人それぞれが、問題集を持って生まれてきます。但し、苦しんでいる人を見て、この人 フ問題だ、とは考えてはいけないと思います。これは、自分が実践の場を与えられていると考えるように努力しています。そういった意味ではCIAKGBDEAさんは偉大な実践者ですね。その部分は見習うようにします。

幸福の科学の会員は常識的なことがわからない人間の集まりではありません。ですので貴方の疑問をぶつけられてみてはいかがですか。
但し、その会員さんの言うこともまっすぐに聞いて欲しいのです。
よろしくおねがいします。
(これは CIAKGBDEA さんのメッセージ3310に対する返信です)


3321件目   我慢さん、ありがとうございます。   投稿者:ikasareteiru   2001年3月20日 午後 5時21分

新文明建設のために、私には何ができるのか、主は何を期待されておられるのかを改めて真剣に考えてみたいと思います。
(これは gamandesune さんのメッセージ3312に対する返信です)


3322件目   Msg.3309(SOLNA_99さん)への返信   投稿者:WW_R2(28歳/男性)   2001年3月20日 午後 7時34分

単に未来の事件を予知するだけならば,阿羅漢に限らずだれもが可能でしょう。
(『太陽の法』(幸福の科学出版刊)p.204)
阿羅漢果とは,阿羅漢向の状態が2,3年持続して得られる境地という説明はどこかにあったかと思います。

低次元ほど情報が曖昧になるという面もあるでしょうが,
高次元であっても,さまざまな霊系統での考え方の違いがあると思います。
これは高低という横割り的なものだけでなく縦割り的な世界観があるという意味です。

予言が成就したという場合,その時点で既に過去のこととなっています。
したがって,過去の出来事をどう見るかということと関係すると思います。
予言が成就したかどうかを判断する場合,
その予言の内容が曖昧であればあるほどいろんな解釈が成り立ちます。
その意味では,曖昧な予言ほど成就率が高い,とも言えると思います。
(これは合理的な考え方だとは思いませんか?)

また,「色即是空・空即是色」のような言葉もありますが,
この三次元世界と高次元世界は決して切り離されたものではなくて,
連動しているのだという観点 cLることが重要だと思います。
(『奇跡の法』(幸福の科学出版刊)第2章「繁栄への道」p.107)

神と人間を切り離そうとする考え方からは認めがたいことかもしれませんが,
生かされている存在としての地上の人々の心には,高次元にいる創造主と同じ性質(仏性)があり,
創造の自由や選択の自由(予言を成就させようとするか外そうとするか)があるという考え方です。

どちらかというと,予言が成就したかどうかというよりも,その予言の内容そのものを見て,
どのような次元からのものであるのか,どのような系統の考え方であるのか,
を判断すればよいのだろうと思います。

ちなみに,『完全なる過去』や『完全なる未来』があるとすれば,それは同一のものなのかもしれません。
(「完全」の意味がはっきりしませんが,「はじめ」であり「終わり」でもある,という意味で〜。)
霊的な観点を含めた時間論については,例えば,
『繁栄の法』(幸福の科学出版刊)の第2章がご参考になるかと思います。
(これは SOLNA_99 さんのメッセージ3309に対する返信です)


3323件目   ひょうごさん、頑張れ〜〜〜。   投稿者:mononohu009   2001年3月20日 午後 7時45分

最近、会員の文章を読むきにならなくて、時々開けておりますが、この辺になると、いつも饒舌な会員さんが、沈黙の仏弟子になりますね〜〜。
一度、税務署にたれこんでみようかと考えております。
まあ、何を言っても、自分で自分を洗脳している人たちは、私たちの言ってることはわからんのでしょうね。
実際、社会で頑張ってみると、言葉から一般社会で通用する言葉に変っていった自分の体験から、会員さんは、実社会でもいい加減なんではと思ったりします。
わかるでしょ?この変化。
これは体験してみないとわかりませんよね。会員さんのようなことばかり言っていても、とても社会では通用しません。(反論が帰ってきそうですが)
ということで、時々投稿しますが、会員さんとの会話は時間が無駄なので、会員さんからのレスは結構です。来ても返事しませ〜〜〜〜ん。
ひょうごさんも、大変でしょうが、頑張ってね。地獄の沙汰も金次第とはこのことですよね。
がんばれ、がんばれ、ひょうご!!!
(これは hyougo31 さんのメッセージ3300に対する返信です)


3324件目   信仰の問題ですからね。   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2001年3月20日 午後 8時48分

先祖供養については先祖供養経を知れば
、その有り難さが理解出来るはずです。
しかし、その価値も信仰心によります。

布施の金額が明瞭に示されていることは
健全ですね。

その価値が理解できない人に説明しても理解できないでしょう。

ですからこの辺りは信仰を持つ人とそうでない人の違いが明瞭に出てきます。

これは信仰によらず他の分野でも同じです。

それに、その価値を感じられるか否かは
その人の経験にもよりますね。

命がけで信仰を貫いた人もいるのです。

知っているこということは「一般社会」の中で盲目になっている人とは一線を画すこともあります。

自分の知識の中で理解出来ないからおかしいと考えことこと「おかしい」ですね。
(これは mononohu009 さんのメッセージ3323に対する返信です)


3325件目   小学生並の文章   投稿者:sonomama8de(40歳/男性/jp)   2001年3月20日 午後11時57分

それ以上、言うことはありません。
(これは mononohu009 さんのメッセージ3323に対する返信です)


3326件目   続・先祖供養について   投稿者:hyougo31(31歳/男性/jp)   2001年3月21日 午前 7時24分

例えば、200万円奉納した人が一年供養を望んだりすれば仏の光はどうなるのでしょうか?

『信仰していないと理解はできない』との説もあるようですが、それにしても解らないのは、永代、七年、三年、一年と明確に区別があること。

上に書いたように、永代供養以上の奉納金をしてそれ以下の供養を受けるのは自由。

しかし、例えば三年供養を受けたくてもお金が20万しか都合出来ないなら受けれない・・・・・つまり不自由。

ここに信仰の問題などではなく、明確にお金の問題も出てきます。

わたしは会員当時は『幸福の科学は他とは違う真実の団体である』と思いつづけ トいました。

しかし、

一、 供養、行事に大きなお金が伴う。

ニ、 その事を理解できない人を『信仰心が無いから』の一言で片付けようとする。

これは有象無象の宗教団体が言ってることと全く同じなのですね。

そもそも幸福の科学の教えでは、地獄に落ちている人たちは自らの心の間違い、傾向性(波長同通)によりその世界に住んでいる。よって、自らの心を正さない限りはその世界から抜け出す事は出来ない。反省を促す手伝いは出来ても、強制力でもって救い出す事は出来ない。・・・・・という風に理解していましたけど。

で、この供養を受けると『光の世界に導かれる』とありますけど、一足飛びに天国に行けるなどというのでしょうか?

この辺も良く解りませんね。
(これは hyougo31 さんのメッセージ3300に対する返信です)


3327件目   モノノフ氏へ   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2001年3月21日 午前 8時23分

答えないでしょうけれどもものもうします。
釈迦のときにも弟子でありながら、釈迦が亡くなられた 栫Aうるさく精進せよというやつが死んでほっとしたといった、愚か者のことがつたわっておりますけれども、あなたの言うことはまさにそれとおなじことでありましょう。佛はそんなものでも弟子としておられることのありがたさがお解りにならないまさに、小学生いかの認識力でしょうか、それが通用するという一般社会がほんとに正しいのでしょうか。
(これは mononohu009 さんのメッセージ3323に対する返信です)


3328件目   布施も修行のうち   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2001年3月21日 午前11時18分

ということです。

それをどのように受け止めるかは個人によります。

布施の喜びが分かるということがあるのですね。
そのような機会を与えられていることに気が付いて欲しいですね。
(これは hyougo31 さんのメッセージ3326に対する返信です)


3329件目    横レスですけども、   投稿者:Dakaranannda(不明歳/メリーの下)   2001年3月21日 午後 1時17分

物申し上げます。

他者にたいして「小学生以下の認識力」などと言っているあなた方の「認識力」自体が問題なんですがね。皆さんそう言っているのがお解りになりませんか?

あなた方の認識力が小学生以下(この言い方は悪意以外のなにものでもないな)でないという事はどのようにしたら理解できるのでしょうか?

また仲間内だけで通用する認識をもって一般社会のあり様を断ずるやり方は正しいものなのでしょうか?
(これは papayohkoh さんのメッセージ3327に対する返信です)


3330件目   布施について   投稿者:karasuyamasou(26歳/男性)   2001年3月21日 午後 6時33分

hyougoさん、こんにちわ!
私の感じたことを書かせていただきますね。

>一、 供養、行事に大きなお金が伴う。

その値段が高いか、どうかというのは、gamandesuneさんがおっしゃる通り、個人の価値観の問題かと思います。
車好きな人であれば、200万円のベンツCクラスを安いと感じるでしょう。車が嫌いな人は高いと感じるでしょう。
永久に毎日、先祖に「先祖供養経」を読経して頂ける「永代供養」の100万円が高いかどうかは、そうした価値観、霊的世界観の有無、親への念い等に左右されるものだと思います。
ちなみに、供養について、仏教寺院と比較するのも何ですが、永代供養になると、寺によってまちまちですが、戒名代は別にして、相場が50万〜100万、250万というお寺もあります。
各人の価値観からすれば、hyougoさんが高いとお感じになるのも、私がそう感じることがないのも、どちらも正しいと言えるかと思います。
私個人としては、霊的意味を考えると、永代供養というものは、本当は100万円などという値段に代えられない、はるかに尊い値打ちを持っているという価値観を持っています。


>ニ、 その事を理解できない人を『信仰心が無いから』の一言で片付けようとする。

上述の「価値観」の問題という意味では、「信仰心」が価値観の源泉であり、そのことを理解できるかどうかに関係してくると思いますが、だからと言って、その事を理解できない人を『信仰心が無いから』と裁くことは間違っていると思います。それはhyougoさんに同意します。
ただ、うちの支部では、『信仰心が無いから』の一言で片付けようとするような話やそうした風潮は聞いたことがありませんし、「片づけようとする」と一般化するのは、慎重にされた方が良いかと思います。


>例えば三年供養を受けたくてもお金が20万しか都合出来ないなら受けれない・・・・・つまり不自由。ここに信仰の問題などではなく、明確にお金の問題も出てきます。

信仰の自由の問題とまで言われると、少し大げさに感じます。智慧でカバーできるところもあると思います。
そうした場合、取りあえず一年供養を受け、その後一年間、貯蓄するか、あるいは、取りあえず貯金しておいて、あと1年で10万円貯めて、翌年三年供養を受けるのが良いと思います。
現代の通常の家庭であれば、一年間倹約すれば、最低10万円の貯金はできるかと思います。(もちろん、2年かけてでも良いですが)
永代供養にしても、毎年、毎年、親が亡くなるわけではありませんし、現代の日本においては、何年か倹約を続ければ、絶対無理な金額、日常生活に支障がでるような金額ではありません。がんばって節約していけ ホ可能な金額だと思います。
布施というのは、倹約の修行、贅沢や金銭への執着を断つ修行、ストイシズムの実践行であり、奉納目安というのも、そうした精進目標としてあるのだと思います。
布施をさせていただくまでの過程において功徳が生まれてくるのだと思います。
(これは hyougo31 さんのメッセージ3326に対する返信です)


3331件目   幸福の科学の「先祖供養」について   投稿者:karasuyamasou(26歳/男性)   2001年3月21日 午後 6時56分

>そもそも幸福の科学の教えでは、地獄に落ちている人たちは自らの心の間違い、傾向性(波長同通)によりその世界に住んでいる。よって、自らの心を正さない限りはその世界から抜け出す事は出来ない。反省を促す手伝いは出来ても、強制力でもって救い出す事は出来ない。・・・・・という風に理解していましたけど。

hyougoさんのご理解は正しいと思います。その通りだと思います。


>で、この供養を受けると『光の世界に導かれる』とありますけど、一足飛びに天国に行けるなどというのでしょうか?
>この辺も良く解りませんね。

「光の世界に導かれる」とは、「光の世界への導き(guide)」が与えられるのであって、「光の世界に連れて行ってくれる」ことではないのです。
では、どうやって導かれるかということですが、様々な書籍からの教えをまとめると、


(1)先祖に仏法真理(霊界での生き方)を伝える
死後、迷っている方は、肉体を去った後、いかに行動すべきか、何が悪かったのか、どうしたらよいのか、何の指針もなく迷っています。
→先祖供養は、申し込まれた方の先祖に対し、導師が毎日、「先祖供養経」を読誦し、正しい心の法則、四正道等の教えを届け、正しい生き方の指針を祈りを通じて伝えていきます。


(2)子孫が修行し、生き方の手本を見せる
地上に生きている人が正しい生活を送ることによって、間違った生き方をして苦しんでいる先祖たちも、その姿を見て、それを手本として反省が進んでいきます。
→『先祖供養経』は、あの世の人を諭していながら、同時にこの世の人への戒めにもなっています。


(3)先祖に感謝の念いを向ける
たとえ、先祖に徳が少なくても、子孫が先祖への感謝の念いと敬慕、愛慕 フ念いを届けることにより、それが先祖の徳を高め、光を増し、天上界へ向かう浮力となります。
→先祖供養によって、先祖に私たちの感謝、尊敬の念いを届けることができます。


(4)仏縁を太くする
地上では、正しい宗教と縁があれば、仏縁、高級諸霊とのご縁が太くなりますが、迷いの世界では、自らの心の曇りに妨げられて、仏との縁、高級諸霊との縁がなかなか得られません。
→日々、先祖に「仏説・先祖供養経」を届け、先祖が仏への信仰心を持つことにより、仏とのご縁、光のパイプが太くなっていきます。


(5)子孫が徳を積んで、光を廻向する(自分が先祖の灯台となる)
仏法真理に基づいて日々修行をし、徳を積み、光を蓄積していくことにより、その光を先祖に廻向すること(自らの徳が先祖の徳になること)ができます。
→先祖供養に伴うお布施も、その感謝の念いが徳の一つになります。ただ、基本は、愛の実践を通し、子孫が徳を積み上げていくことです。


このように、先祖供養を通じて、先祖が救われるための手助けをすることができるのです。
もちろん、これを機縁として、先祖自身が悔い改め、心を浄化していくこ ニで、初めて救われるわけです。

ただ、先祖供養というのは緊急避難的措置でもあり、本来は、hyougoさんが書かれている通り、自己責任の原則が基本であり、地上に生きている人が、法に触れて正しい生き方に目覚め、信仰心を持って人生を正していくことが第一義だと思います。
(これは hyougo31 さんのメッセージ3326に対する返信です)


3332件目   はて   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2001年3月21日 午後 8時01分

だからさんに申しあげたつもりはありませんが。
そのままさんがおっしゃるのを受てそれ以上ではありませんかと、武士らしくない、モノノフさんにもうしあげたんですが、わたしの認識ではなくてそれがあなた方といういいかたもおかしなものですね。
一般社会のとしょうするあなたの認識でもって正しいということができましょうか。
(これは Dakaranannda さんのメッセージ3329に対する返信です)


3333件目   聖霊!   投稿者:chebicno(47歳/男性/広島市西区)   2001年3月21日 午後 8時15分

3333

私は聖霊に満たされている。
私を馬鹿にすることは聖霊に侮辱を働くことだ
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3334件目   布施・・・・?   投稿者:hyougo31(31歳/男性/jp)   2001年3月21日 午後 8時54分

我慢さん、私の心境が上がったのですか?(笑)

心境が上がらないと私とは喋らないと宣言されていたので。

それはそうと、奉納金のことを『布施』と仰ってますが、これは違うのでは?と感じます。最初から『○○万円以上』と銘打ってあり、その金額が納められることの代価として『先祖供養』が為される。

それも、導師といわれる方によって。

これはある意味、仕事の依頼であり、布施とはいえないのでは?

布施は見返りを求める気持ちがあってはなりませんが、していただく事(供養)に金額が明示されており、それを支払う事によって自らの目的(幸福の科学に先祖供養をしてもらう事)が達せられる。

これは布施ではないでしょう。違うかなぁ?

これを布施だと言うのなら、

@ 幸福の科学は会員さん全員に、『先祖供養をします』と宣言する
A その結果、『ありがたい』と感じた会員さんからお金が集まる。

という手順でないと、『布施』といえないのでは?

逆説的に私が言うならば、この件を幸福の科学が『布施の行為である』と言い切るのであれば、私が言うように『奉納金の目安があること』を(おかしいなぁ)と感じる事も、少しは理解していただけるのではと思います。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3335件目   感想   投稿者:hyougo31(31歳/男性/jp)   2001年3月21日 午後 8時55分

>>ただ、うちの支部では、『信仰心が無いから』の一言で片付けようとするような話やそうした風潮は聞いたことがありませんし、「片づけようとする」と一般化するのは、慎重にされた方が良いかと思います。

確かに仰る通り、以後気をつけます。

>>(1)先祖に仏法真理(霊界での生き方)を伝える
死後、迷っている方は、肉体を去った後、いかに行動すべきか、何が悪かったのか、どうしたらよいのか、何の指針もなく迷っています。
→先祖供養は、申し込まれた方の先祖に対し、導師が毎日、「先祖供養経」を読誦し、正しい心の法則、四正道等の教えを届け、正しい生き方の指針を祈りを通じて伝えていきます。

まあ、この度の『先祖供養』はまさしくこれに当たるのでしょうね。

祈りを受け入れることが出来るかは、霊界に居る先祖霊の心境と、仏の光の強さなどによって違うのでしょうね。

で、説明を受けた私の気持ち(見解?)から言うと、

(1) 『布施』であるという事はまだ少し理解できない。(これが信仰心の違いでしょうか?)
(2) お金を出して先祖供養をしてもらわなくても、日常的努力(幸福の科学的努力)で供養する方法もある。
(3) ならば、やはり『奉納金目安』をだして先祖供養をする人を募るのはおかしい気がする。
(4) ありがたい『幸福の科学の先祖供養』を行うのであれば、ぜひ『○○万以上』などと下限を打った目安などでなく、上限を打った目安(一年供養 奉納目安15万円以下)などでやって欲しい。
(5) 上限を打った目安であるならば、『布施の行為』と言われても理解できる・・・・

といったところでしょうか。

それにしてもkarasuyamasouさんの説明は、今までの会員さんのなかでも本当に丁寧であり、きちんとわかり易くお答えいただいているので、こういう人がまだ在会していることに何がしかの安心感を覚えます。

有難うございます。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3336件目   布施と目安について   投稿者:karasuyamasou(26歳/男性)   2001年3月21日 午後10時25分

hyougoさんの投稿は、非常に宗教的センスが優れていますねえ。(#^o^#)
宗教的に非常に深い観点からの投稿なので、とても勉強になります。
会員として熱心に活動していると、どうしても、会中心の視野が強くなるので、こうした場で、会外の方、脱会者の方からの冷静な視点を知るということは、認識力を広げることにもなりますし、冷静なバランス感覚の維持や、活動における反省にもつながっていきますので、とても有り難いです。


>布施は見返りを求める気持ちがあってはなりませんが、していただく事(供養)に金額が明示されており、それを支払う事によって自らの目的(幸福の科学に先祖供養をしてもらう事)が達せられる>これは布施ではないでしょう。違うかなぁ?

まさしく、おっしゃる通りだと思います!
去年か一昨年の『霊的生活と信仰生活』という御法話でも、「布施というのは、対価がない」「対価がないからこそ、値打ちがあって、そして功徳がある」「対価性があるものは、契約であり、商売である」ということを学びました。
布施というのは、依頼や契約ではなく、見返りを求めない感謝の精神だというhyougoさんの説は、宗教的に理に適っていると思います。

確かに、私たち会員も勘違いしやすいのですが、
先祖供養のお布施は、依頼ではなく、感謝のお布施だということです。
先祖供養大祭で導師の方がおっしゃっていましたが、先祖供養大祭というのは、仏や、先祖供養をお手伝いいただける高級諸神霊への感謝の場なんですね。
布施を契約的に考え、これだけお布施をしたんだから、仏神は先祖を救わないといけないという念いを抱くことは、「奪う愛」であり、間違ったお布施の仕方、間違った先祖供養になります。


>これを布施だと言うのなら、
>@ 幸福の科学は会員さん全員に、『先祖供養をします』と宣言する
>A その結果、『ありがたい』と感じた会員さんからお金が集まる。
>という手順でないと、『布施』といえないのでは?
>逆説的に私が言うならば、この件を幸福の科学が『布施の行為である』と言い切るのであれば、私が言うように『奉納金の目安があること』を(おかしいなぁ)と感じる事も、少しは理解していただけるのではと思います。

おそらく、hyougoさんの書かれている姿が、宗教団体のあり方の理想形、将来形だと思います。
私は、「目安」というのは過渡的な「方便」であると考えています。

永代供養というのをどれくらいの感謝で現せば良いのかの目安が会員の間に浸透していけば、「目安」というのが、だんだん無くなってくると思います。最初から、何の目安もないと、会員も混乱すると思います。
また、前の投稿でも書きましたが、目安というのがあるから、それだけ倹約、ストイシズムの実践の修行課題ができるというのもあります。
あとgamandesuneさんが、「布施の金額が明瞭に示されていることが健全さを表している」と書かれていましたが、それもあるかもしれません。
お寺でも永代供養の目安、十年供養の目安と明確に表示しているところもありますが、全く書かれておらず、親戚にどれくらいお布施したら良いのか、聞いて回るというような光景もよく見られます。あくまでも世俗的に喩えたらですが、値段表の書いていない寿司屋さんに入るのは、少し恐いですよね(冗談ですが……)

いずれにしても、会に「布施の精神」が根付いていけば、「目安」というものは無くなり、hyougoさんのおっしゃるような理想の姿になるのではないかと思います。
私は「過渡的段階」の方便として「目安」があるのだと考えていますし、また、私たち会員が「布施の精神」を身につけることで、いずれ無くしていくべきものだと考えます。
(これは hyougo31 さんのメッセージ3334に対する返信です)


3337件目   同感です。   投稿者:IT167123123145145167   2001年3月21日 午後10時54分

書けば書いたでうんざりだの、暇人だの
仕事にいそしんで書かなければ書かないなりに一言いう。

うちの子供と比肩しようと思いましたが、子供が可哀想なのでやめました。
(これは papayohkoh さんのメッセージ3327に対する返信です)


3338件目   そうですね。   投稿者:IT167123123145145167   2001年3月21日 午後11時38分

今日、この件についてiモードで見た後、信仰論を読みながら考えました。

まずお布施の金額についてですが、100万円という価値についてです。
仏教での求道に対する過去の僧侶達の伝記には、命がけというテーマがあります。
つまり仏を求めるには命を掛けるほどの価値があると後世の人々に伝えて下さっているのだと思います。
私達の人生にとって100万円というのは、人生に左右する金額ですからある意味で命を布施する、
とまでは言わなくてもそれに近い意味があると思うのです。
御本尊や供養でも人生をお布施するという事に意味があるのだと思います。
永代供養が100万円というのもそういう意味ではないかと考えます。

盆供養の始まりは、天眼第一の大目連尊者が母親の死後どこの世界に返ったかを見た時に、火炎に包まれた世界だった事を知って愕然としたところからです。
水を差し上げようとしても、火炎に包まれて渡す事が出来ない。
そこで釈尊に尋ねたところ、布施を惜しんだのが原因である、母の為に決まった時期布施をして廻りなさい、その功徳によって天国に帰る事が出来る、という教えをいただきました。(大意です。)
大目連尊者はその教えを実践し天国に帰るのを確認したということだったと思います。
ですから、供養はさせていただく側の救いと、勿論仏陀の御慈悲による霊の救済の両方の意味を持っていると思います。
盆供養の原理からいうと、仏に対する布施の心こそ縁者を救う最大の鍵である事を教えていただいているように思います。

人生を布施する心を悟ったならば、その方は永遠に仏陀に帰依されるでしょう。
10万円なら1年間の人生を考え、1万円なら1ヶ月をストイックに生きる決意の現われだと思います。そうした帰依の心をお伝えする修行のようにも思います。

但し、これは平均的日本人を鑑みて設定されているように思います。ビルゲイツのように大成功された方では精進になりませんので”目安”という言葉が出てくるのではないかと思うのです。自分でお考え下さいということですね。

キリスト今日でも天の倉(教会)に収入の10分の1を納める教えがあったと思います。

守護霊様と総意で考えさせていただきました。勿論これは単なる私論です。
(これは karasuyamasou さんのメッセージ3336に対する返信です)


3339件目   今回は、読み易いですね。>WW_R2さん   投稿者:SOLNA_99   2001年3月22日 午前 6時07分

> 単に未来の事件を予知するだけならば,阿羅漢に限らずだれもが可能でしょう。

そうであるなら、予言が成就しないなら、もっと下になってしまいますが。

> 高次元であっても,さまざまな霊系統での考え方の違いがあると思います。
> これは高低という横割り的なものだけでなく縦割り的な世界観があるという意味です。

次元が高ければ高いほど、限り無く『1』に近づき、また、
個性も無くなってゆき、大いなる一人称になる、と考えられま キ。
霊系統の違いが大きければ大きいほど、低次元だと考えられますが。

> その予言の内容が曖昧であればあるほどいろんな解釈が成り立ちます。
> その意味では,曖昧な予言ほど成就率が高い,とも言えると思います。
> (これは合理的な考え方だとは思いませんか?)

これは、ある程度、予言が成就してからの話である、と考えられます。

> 神と人間を切り離そうとする考え方からは認めがたいことかもしれませんが,

このような考え方は、していませんが。

> どちらかというと,予言が成就したかどうかというよりも,その予言の内容そのものを見て,
> どのような次元からのものであるのか,どのような系統の考え方であるのか,
> を判断すればよいのだろうと思います。

残念ながら、創造主からかなり離れている、としか言いようがありませんが。

> ちなみに,『完全なる過去』や『完全なる未来』があるとすれば,
> それは同一のものなのかもしれません。

『完全なる過去』とは、完全な情報を有している、という事であり、
『完全なる未来』とは、創造主の御胸に存在する、神の経綸を意味します。

たぶん、同一ではないでしょう。神に離反した存在もいますので。
それですらご存知なのか???
(これは WW_R2 さんのメッセージ3322に対する返信です)


3340件目   KKのお布施で   投稿者:CIAKGBDEA(39歳/マル秘)   2001年3月22日 午前10時09分

友人の家庭はバラバラになりました。

学費や生活費を削ってまでお布施にまわしていました。こう言うケースは珍しいのかな?そいつはいいですよ、洗脳されて自分は素晴らしい生き方をしていると思っていても。捨てられた妻と子供二人。。。奥さんは実家に戻り親との生活。40歳、子供二人。 

そいつは自分の幸福のために妻と子供を犠牲にしました。憎しみや悲しみと言う気持ちの存在を教えてしまいました。そんなやつが幸福になれるでしょうか?
(これは IT167123123145145167 さんのメッセージ3338に対する返信です)


3341件目    ですから、   投稿者:Dakaranannda(不明歳/メリーの下)   2001年3月22日 午前10時51分

横レスですと申し上げとります。

おいらどの信者さんに対してもおんなじことを申し上げとりますよ。それにおいらが一般社会の認識を代表するものだとも申しておりません。
もしおいらがそのような尊大な事言っていたとしても、その上の認識でものを見ると言うあなた方の尊大さに比べればかわいいもんではありませんか。

おいらはもののふさんのご意見がオカシイとか間違っているとは全然思いませんが?やはり「小学生以下」ですか?

--- おまけ ---
あいかわらず「質問」や「批判」を曲げちゃうんですね。これじゃ「根問噺」にもなりゃしない。まっすぐいきましょうよ「若旦那」、、、「御隠居」?「先生」?どれがいいかな?
(これは papayohkoh さんのメッセージ3332に対する返信です)


3342件目   愛について   投稿者:KINDNESS1970   2001年3月22日 午前10時53分

 こんにちは!
 
 幸福の科学では「愛」という事を重要視します。
 
 私たちはあまりにも「与えられる」事に関して当たり前になりすぎていると思うのです。
 
 私たちは様々なものを与えられています。日の光、大地、あるいは、様々な人から施しを受ける事もあるでしょう。皆様がご使用されているパソコン、電気、なども、確かにお金は払いますが、人の手を通じて「与えらている」と思うのです。
 
 幸福の科学では「奪う愛」を戒めます。
 
 残った食べ物を奪う合うような事、あるいは、電車などでイスを取り合うようなまね、数に限りのあるものを奪い合い、争い合うような事は愛とは言えないと思うのです。
 
 そして幸福の科学は「自助努力の精神」も大事にします。
 
 現在不幸であるのは様々な要因があるかもしれませんが、そうした苦難、困難を乗り越えて自分の力で幸福になろう、自分の人生を切り開こう、そういう姿勢を大事にします。
 
 自分を幸福にできるのは自分自身です。現在ただ今の不幸を嘆いてばかりいてはなりません。
 
 成功したら感謝をしましょう。手柄を自慢するような事はあってはなりません。
 
 幸福の科学の教えが複雑でわからないと言う場合は「愛を大事にせよ」とも教えられています。
 
 現在孤独の中におられる方もいるかもしれません。しかし、嘆いてはいけません。そうした孤独の中にこそ、私たちを真実の人生に導く鍵があるのです。
 
 この文章が皆様のお役に立てれば幸いです。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3343件目   そうでしょうから   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2001年3月22日 午後 1時13分

いってるんですが、だってあなたがたのおなかま(?)がわたしの認識力はこどもなみとお決めになってるんですから、それからすれば同じようなもんでしょう。まだ小学生にちょっとたりないくらいでいいんじゃありません?
おいらの尊大さは認めるがほかのやつは認めんてことですな、やはり月番の兄いはひとがわるい!
(これは Dakaranannda さんのメッセージ3341に対する返信です)


3344件目   CIAさん   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2001年3月22日 午後 1時59分

そのかたは教えが耳にお入りにならなかったようですね。
実に私たちにとっても、御家族にとっても残念なことです。
仏陀はそのようなとき家庭を執りなさいとも教えられました、まず家庭に慈しみと愛の実践をせよと、私の地区でも初期のころ、教えも現実の社会生活のなかでの仕事も理解も実力もともなわないのに、家族や私ども会員の多くが地に足をつけるように説得しましたが力およばず、当人の意気込みのまま家を捨て出家した若者がありましたが、いまはその消息もわかりません、しばらくは会に所属しておりましたけれども、その教えの理解は表面的で、他人をさばき、自己の解釈をもってのみ是とするためおおくのかたから反発されておりましたよ。
佛はそのようなことのないようにといつも戒めておられるのに、自らの器を良く見極めそこから出発せよということを早とちりする方があったということでしょう。
それゆえに幸福の科学がおかしいとおっしゃるのであれば異義をもうしあげたいとおもいます。
どのように教えがすばらしくとも、受け取るものが歪めてしまうことは残念ながらあったということであります、そのお友達のご家族にはとても無念なこととおもいます。
それがあなたのおっしゃるように悲しみを植え付けてしまったカルマはそのかたがどのように今後を生きるかによって答えが変わって参りましょうが、そのようなお布施をもってお布施とはいいがたいということでもあります。
目安ということをいろいろにおっしゃるかたがありますが、その目安に、今自分がしようとするお布施が時と場をかえりみて佛がよろこんで受けてくださるものであるかどうかを省みよとしてもうけられているのであって、他の人と競うためのものではないのです。
こういうこともまた、会員であろうとなかろうと、一冊の問題集として、それぞれの日々の選択のひとつひとつが人生の上に降り掛かるものとしてあるということであり、その解決の為の指針が教えであるということでありましょう。
(これは CIAKGBDEA さんのメッセージ3340に対する返信です)


3345件目   KINDNESS1970さんへ   投稿者:ikasareteiru   2001年3月22日 午後 7時20分

 KINDNESS1970さん、はじめまして。
 
 あなたの 愛について の投稿を開 「た時にさわやかな光を感じました。
 
 あなたの簡潔な文章の中に、私にとってさまざまな発見がありました。

 ありがとうございます。

 今後、再登場の予定はありますか?
(これは KINDNESS1970 さんのメッセージ3342に対する返信です)


3346件目   インド人の会員さんからの話   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2001年3月22日 午後 7時38分

お正月に日光精舎にお参りされた方は既にご存知と思いますがインド人の方でデカン高原地方でアジャンダ石窟寺院などのガイドを仕事とされている方が三帰誓願され仏弟子になられました。
この方は皇太子殿下のガイドも勤めた方です。
この地域では2500年もの間、人々の間で語りつがれている話があるそうです。

それは仏陀は5000年ごとに生まれ変わり、既に7回も地上に生まれておられ、次に生まれられるのは釈尊入滅後2500年後の極東の地だそうです。
その時生まれ変わられる仏陀は冠をいただいているそうです。

この地域はイスラム教徒の支配化であった時期が長くそこを当時していたイスラム教徒の王は仏教系の僧侶の首を差し出したものには、その首の重さと同じ金を与えるということをしていたそうです。
また民衆に改宗を促したようです。

しかし、出家僧侶が全て殺されても在家信者の間でこの伝説は語りつかがれてきたそうです。

また、その石窟寺院には壁画としてもその伝説が残っているそうです。

そして日本の会員さんが彼にガイドをしていただいたときに仏陀再誕を何気なく告げたそうです。
すると彼は本当かということで熱心にその会員さんに「仏の書かれた教えはあるのか」と質問をされたそうです。

そして英訳の太陽の法を献本されて、確信をされたようです。
そして是非日本を訪問して真実を確かめたいと懇願され、その会員さんのご尽力で来日を果たしました。

そして四国精舎にてご本尊に対面され「本物」と確信され会員になられたそうです。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3347件目   インド人の会員さんからの話2   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2001年3月22日 午後 7時46分

また太陽の法の映画を御覧になり凄く感動されたようです。
これだけの光がある映画を観たのは初めてだそうです。
またインド人として嬉しかったのは釈迦について描かれているシーンが多いことだそうです。

そして日本人だけでなくインドの多くの人がこの映画を観られるようにしてもらいたいと述べられていました。


霊鷲山での釈尊の説法を聞いた人々の感動が2500年もの長きにわたり口伝として伝えられた意味が彼にもはっきりと理解できたようです。

彼にとっても感動の映画だった「太陽法」。インドの人々へも仏陀再誕をお伝えしたいと言う気持ちは本物でした。

我々、会員も是非インドでも上映できるように努力していきたいものですね。

そして
    「仏陀は再誕せり!!!」

        をお伝えしたいですね。
(これは gamandesune さんのメッセージ3346に対する返信です)


3348件目   仏陀再誕より   投稿者:IT167123123145145167   2001年3月22日 午後10時45分

仏陀再誕は 蜷・謳カが仏陀意識で書かれたものです。

それゆえに、諸々の比丘、比丘尼たちよ。
あなたがたも、私の次なる言葉をよくよく聞きとってほしい。
まず、家庭をおろそかにしてはならない。
家庭をおろそかにして
仏国土建設はありえないということを、
肝に銘じなさい。
自らの家庭をおろそかにして、
たとえ外においていかなる慈善事業をしようとも、
たとえ外においていかなる難民救済をしようとも、
たとえ外においていかなる献金をし、
いかなる信仰深い行為をしたとしても、
もし、家庭というものをおろそかにしたならば、
そのような信仰は本物ではない。

という教えをいただいています。
詳しい事情はご本人達に聞いてみないとわかりませんが、ご本人も手放しで幸福というわけにはいかなかったはずです。

ちなみに借金に追われる生活も、正しい生活ではないと教えていただいています。

ただ、仏は努力を見逃す方ではないということは何回も経験させていただいています。

この辺の中道を見つけるのも弟子としての修行だと思っています。

無責任な対応になっていない事だけ、お祈りした 「気持ちです。
(これは CIAKGBDEA さんのメッセージ3340に対する返信です)


3349件目    頑張ってほしいものです。   投稿者:Dakaranannda(不明歳/メリーの下)   2001年3月24日 午後12時27分

他国での上映楽しみですね、頑張って下さい。
特に国内の様に信者さんがいない所での興行がどれほどの成果をあげるのか実に興味がありますね。またその成果をあなた方がどのように語っていくのかも今から楽しみです。

インドネシアでもやられたらいかがですか?フランスもいいですね。

しかし、一般的な映画作品としてなら興行的に成り立てば他国での上映に信者さんの努力が必要ないのでは?それともそういう映画なんですか?じゃあ国内での観客動員数なども「会員の努力」のおかげなんでしょうね。大変だな〜

まあ、頑張って欲しいもんですがあまり日本の恥にならない程度にお願いします。
(これは gamandesune さんのメッセージ3347に対する返信です)


3350件目   急に静かになりましたね   投稿者:IT167123123145145178   2001年3月26日 午前 7時40分

幸福の科学の信者さん達も擁護者の方達も急にいなくなってひっそりとしてしまいましたけど、ひょっとして何かあったのでしょうか?例えば「インターネットは悪霊の巣窟だから、投稿やROMはもとより決して近づいてはなりません」とか言った御達しが教団側からあったとか。因みに、私の知り合いの元会員さんの話だとそういった大川夫人の発言が何年か前に実際にあったそうです。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


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