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901 件目 re.難しいですね...2 ahokusai 1999年11月30日 23時57分 幸福の科学の人って、「感じる」ことを重要視しますよね。でも、「感じる」ことって、そんなに大切かなぁ。なんかその時って、思考停止をしているように思うんだけど。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 867 に対する返信です ) |
902 件目 re.難しいですね。4 ahokusai 1999年12月1日 0時0分 >どこかのホームページに書かれている人も原典の誤りなどに気をとられすぎ、いつの間にか原理主義的発想になっているようです。まさに木を見て森を見ずがごとし 釈迦の思想を純粋に研究することが原理主義なの?自分たちの教えがまずあって、その色眼鏡を通して見ていくことが正しいやり方なの?(「誤り」って、決め付けているし) (これは iroiroarimasu さんのMsg 871 に対する返信です ) |
903 件目 re.難しいですね。 ahokusai 1999年12月1日 0時5分 >「原理主義的に解釈する宗教人です。これも「この教え以外に正しいのもはない!」「かくあるべし!!」などとやりすぎますと、これも人々が宗教から離れていきます。 幸福の科学の人もこれをやっていない? 自分たちの教えに反する仏典や聖書の個所を「誤りだ」と決めつけているんじゃないの? 「誤り」とする根拠はどこにあるの?「この教え以外に正しいのもはない!」「かくあるべし!!」と思うから「誤り」とするんじゃないの? (これは iroiroarimasu さんのMsg 873 に対する返信です ) |
904 件目 re.それでは ahokusai 1999年12月1日 0時8分 変な言いまわしになるけど、確証を証明できないから、確 リが無いんじゃないの? 霊との通信のあやしさを挙げると 第一に、本当に霊と通信しているのか?…霊の声と区別の出来ない幻聴じゃないの? 第二に、仮に霊と通信できたとしても、それが目的の霊の声だろうか?…違う霊が偽っているかもしれませんよ。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 874 に対する返信です ) |
905 件目 re.そうでしょうか4 ahokusai 1999年12月1日 0時22分 内村鑑三さんって、クリスチャンですよね。普通、クリスチャンが大川さんが言うような解釈しますか?大川さんの言っていることって、素朴な日本人の発想ですよね。iroiroarimasuさんはいろいろと取り繕っていますが…。 大川さんもいらんことを言わなければ良かったのに。信者が後で苦労するって言うの。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 891 に対する返信です ) |
906 件目 re.筈がありません?2 ahokusai 1999年12月1日 0時35分 クリスマスに雪が降ったか、降らなかったか、ってそんなに重要なことなの?それこそ、「木を見て、森を見ず」じゃないの?それをどうしても雪が降ったことにしたいのは、「大川さんは絶対に正しい」て思っているからじゃないの? (これは iroiroarimasu さんのMsg 898 に対する返信です ) |
907 件目 re.佐倉哲氏HPでの「真理の番人」さんの投稿 ahokusai 1999年12月1日 0時54分 なんで、funaba_tufsさんがここを引っ張って来たのか、謎ですが、「神理の番人」さんと佐倉さんのやり取りは下の「神理の番人」さんの手紙を見てください。 http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/neo/index.html 99年7月1日の佐倉さんの返事で、「ホームぺージの開設のお知らせを待っています。」 って言っていますよ。 (これは funaba_tufs さんのMsg 895 に対する返信です ) |
908 件目 クリスマス Rikimaru7 1999年12月1日 1時12分 イエスの誕生日はクリスマスではありません。 これは世界の定説です。 神父も牧師も一般信者も認めていることです。 いまさら、議論の余地はありません。 (これは ahokusai さんのMsg 906 に対する返信です ) |
909 件目 ですから nigyagya (33歳/男性/jp) 1999年12月1日 1時27分 表に現れる結果をみないといけないのです。宗教は諸刃の刃それはそのとおり。しかし、信仰や教義の部分をいくら比較しても、どれが良い、どれが悪いとは分からないのです。じゃあ、入ってみて確かめるかとなると、一人で全部を確かめる事は不可能です。オウムもああした問題を起こさなければ、結構評判のいい宗教だったのですから。危険かどうかの判断は、その宗教が教義に従って活動することによって、実際社会の害になるかどうか。この部分を比較するのが一番手っ取り早く確実です。ある特定団体の「神理」を社会の「真理」とするのは宗教であれば当たり前です。だから、諸刃の刃なのです。 「神理」が幸福の科学の用語かどうかは、分かりません。ありそうな言葉ではありますが。 (これは ahokusai さんのMsg 899 に対する返信です ) |
910 件目 re2.筈がありません?2 ahokusai 1999年12月1日 8時28分 ツッコミ忘れていましたが、雪が降るのが珍しいところなら、当然雪が降ったのならば降った、って書くんじゃないの。それが書いていないんだったら、やっぱり、降っていないんじゃない? Rikimaru7さん、佐倉さんのところ見ているから知っていますよ。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 898 に対する返信です ) |
911 件目 > Tomomi_Ohshimaさん FlameTongue (36歳/男性) 1999年12月1日 8時47分 >これって、誰が決めたんでしょうか...? >あるいは、基準があるのでしょうか...? 日本には「暖簾分け」何てのがありますが,クリスチャンの“称号”も,私は似たような性質を伴っていると思います. 初代教会から今に至る迄,クリスチャン達は数々の迫害に耐え,それでも信仰の炎を燃やして殉教の歴史を綴りながら,イエス様の教えを存続させて来ました._クリスチャンという称号_には,彼らの命と真実の重みが掛けられています. もしもクリスチャンという称号が得たいのならば,彼らの血と想いを受け継ぐ決意をすべきではありませんか?即ち,神様,イエス様への従順と,教会(建物の事じゃないですよ)への献身と伝統の相続.これらを備えて初めて,クリスチャンと呼べる基準となるのではありませんか? 勿論,彼らについて想いを馳せる必要などないとお考えならば,それらの基準が無くてもクリスチャンと名乗れば良いでしょう.私は反対しませんよ.(^^#) それでは. (これは Tomomi_Ohshima さんのMsg 893 に対する返信です ) |
912 件目 > JuanGotohさん FlameTongue (36歳/男性) 1999年12月1日 8時49分 >普通ま チとうにキリスト教会と括られる所でも、相当原理主義的で >排他的なところがいくつもありますよ。他のトピで書いて反応 >なかったけど。 例えば? >異教異端に押し付けてると、Tomomiさんの知り合いが入られた所 >がふつーの教会で、ただちょっと原理主義的な福音派だった、なんて >ときには「やっぱりクリスチャンは」ってことにならないかなあ。 その時は,その時.で,その時には一緒に大声で言おうじゃありませんか. 「やっぱりクリスチャンはっ!」(※)ってね.(^−^) ※「クリスチャン, はっ!」とは読まないで下さい. ところで,イエスの方舟についての補足,どうもありがとうございました.いやー,知らない方もいらしゃるんですねぇ・・・私も歳をとったもんです. それでは. (これは JuanGotoh さんのMsg 894 に対する返信です ) |
913 件目 怒らないでね>FlameTongueさん Tomomi_Ohshima 1999年12 ・日 8時59分 >初代教会から今に至る迄,クリスチャン達は数々の迫害に耐え,それでも信仰の炎を燃やして殉教の歴史を綴りながら,イエス様の教えを存続させて来ました._クリスチャンという称号_には,彼らの命と真実の重みが掛けられています. >もしもクリスチャンという称号が得たいのならば,彼らの血と想いを受け継ぐ決意をすべきではありませんか?即ち,神様,イエス様への従順と,教会(建物の事じゃないですよ)への献身と伝統の相続.これらを備えて初めて,クリスチャンと呼べる基準となるのではありませんか? 「マルチン・ルター」という人がいましたけど、 FlameTongueさんの言われる基準には合わない様な気がします。 「神様,イエス様への従順」はあったと思いますが、 「教会への献身と伝統の相続」には当てはまらないと思うのです... ちょっと、生意気なこと言っているかも知れませんが、怒らないでね... (これは FlameTongue さんのMsg 911 に対する返信です ) |
914 件目 ですからね。 iroiroarimasu 1999年12月1日 12時24分 まさに原典が何処まで正確なのかが議論される問題ですね。 聖書を信じる人と、そうでないかもしれないと考える人により 差がでるのですね。 サクラさんは「だからふっていなかった。」と解釈する、でもクリスチャンではないですね。私はクリスチャンであにですからかなり自由に判断します。 クリスチャンの人からしかられかもしれませんが。 しかし、聖書に書かれる人が「雪が降っても当たり前」と思っていれば 別に雪が降ろうが降るまいがイエス誕生に比較すれば大したことでは ないと思い書かなかったかもしれない。そして事実は聖書には「雪が降った」 とも「降らなかった」とも書いていない。読み手により変わるのですね。 (これは ahokusai さんのMsg 910 に対する返信です ) |
915 件目 でうからね2 iroiroarimasu 1999年12月1日 12時31分 ようはそこが重要なのです。読み手の解釈で変化がでる。 教祖自ら記していないのですから余計に精度の問題がでるのです。 サクラ氏のような原典を比較して、その違いを云々したところで 問題の根本解決にはならないのです。もし真実を自分で獲得したいのなら、どの宗居でもいいから自ら飛び込んで自分の「からだ」も動かして探求することでその人なりの真実の獲得できるのです。彼の比較仕方はレストランに入る前にメニューの見本を見て「ああでもない、こうでもない。」と言って結局、食事が出来ない人に似ています。 さらにその様な人の意見を全て自らとして事実の検証を自ら行わない 方が「さらにああでもない」「こうでもない。」と言われているのは まさに「あほくさい」と私は感じてしまいます。 宗教に興味を持たれりなら、もう少し勇気を持って飛び込んでみてはいかがでしょうか? (これは iroiroarimasu さんのMsg 914 に対する返信です ) |
916 件目 でうからね3 iroiroarimasu 1999年12月1日 12時39分 先のタイトルで「す」が抜けましたが、読み手によりまた解釈が 違うと思います。「す」を抜かしたな。と判断されるかた。 いや何か新しいことを考えてかいたな。さらに流れの中から判断ですれば ですからの続きだ、特に気にしない方などおられると思います。 これを古い言葉で表現するれば「一見四見」ともいえるでしょう。 感じる方の資質で変わるのですね。 ですからサクラ氏の言われるあり方で「うそ」という断定の仕方は 私からみれば一見確かな根拠の流用に見えますが、良くみれば 浅いと思いますね。さらに彼は最初から否定的に判断していますね。 何故なら彼の解釈が「絶対」という条件があるのですからね。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 915 に対する返信です ) |
917 件目 re:re.そうでしょうか? masshi_26 1999年12月1日 12時42分 >神仏やあの世について、否定はしてませんよ。ただ、 >人間がわかることは「神仏がいるかもしれない」 >「あの世はあるかもしれない」ぐらいで、どうして、 >あの世は九次元構造だとか、エル・カンターレや他の >霊人が10人(?)いるとか言いきれるの?どこからそんな >詳しいことが分かるの? 仏典にも聖書にもコーランにも、 類似的な説(あの世や神々などの話)はあるの ですから、そんなこと言ったら少なくとも宗教は成り立た ないでしょう。 結局、その人の説く教えの内容によって、信じるか否かが 決まると思います。 「霊言集」については、内容のなかに間違いに思える ようなことがあっても、あくまで「霊人の語る言葉を そのままの状態で紹介する」というスタンスをとったもの ですから、些末な事柄については、あまり気にしていない というのが、 ほとんどの会員さんの考えだと思っています。 その霊人の語る「思想」を学ぶというか、「教え」を参考にしよう というスタンスだと思います。 (これは ahokusai さんのMsg 900 に対する返信です ) |
918 件目 「救われる」・・よくわからないです>iroiroarimasuさん Tomomi_Ohshima 1999年12月1日 12時48分 >要するに心が安定する状態がより継続するということが救いの基本ではない ナしょうか?そしてより自分の人格が向上すること、これに物事を認識する力がまし、それまで以前ですと悩んでいたことが悩まなくなる。また人生においても難問とみえしことがおきても、それに対して逃げるのではなく、果敢に挑戦していける状態になっていけることだと思います。 「心が安定する状態がより継続する」、 「悩んでいたことが悩まなくなる」、 「難問とみえしことがおきても、果敢に挑戦していける状態」 これが「救い」なんでしょうか?・・・ よくわからないです... (これは iroiroarimasu さんのMsg 879 に対する返信です ) |
919 件目 ですからね4 iroiroarimasu 1999年12月1日 12時51分 どうでしょう。今回は「す」が抜けたことについて書いていますので 先の3においても「す」が抜けていますが、読み手としてのイメージが 異なるのではと思います。 さてもっと大きな視点で考えてみましょう。大川隆法なる人物が 「詐欺」的思考の持ち主であればサクラ氏の指摘でその行為が \かれた ように考える人もいるでしょう。しかし、もし本当に長い時間に渡り その様な行為をするのであればわざわざ書籍にあらわして、ご丁寧に 証拠まで残るような愚を犯すでしょうか?これだけ大がかりに色々と 幸福の科学は活動をしています。 わざわざ活動の妨げになる行為を放置しておくことはないでしょう。 初版はともかく次版より改訂することは幾らでも可能です。 わるいのですがサクラ氏のような考え方は一見正当性を持つように 見えますが信仰をというもを頭だけで理解出来ると考えている方の 浅い判断であると私は考えています。 「もし、そうだったら」という考え方が出来ないのですね。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 916 に対する返信です ) |
920 件目 「救われる」・・よくわからないです iroiroarimasu 1999年12月1日 12時54分 Tomoniさんご質問ありがとうございます。 さて今から出かけますので、逆に救いと言うことに対する ご自身のイメージが有れば教えて下さい。 後ほどそれについてお答えしましょう。 (これは Tomomi_Ohshima さんのMsg 918 に対する返信です ) |
921 件目 わたしの「救い」のイメージですか?>iroiroarimasuさん Tomomi_Ohshima 1999年12月1日 13時6分 >逆に救いと言うことに対するご自身のイメージが有れば教えて下さい。 >後ほどそれについてお答えしましょう。 わたしの「救い」のイメージですか? そうですね...「しあわせ!」って感じるられることかな!? その「しあわせ!」って感じがずーっと続くというか... もしも、あの世があるのなら、地獄のような怖いところに行かずに、 あの世でも「しあわせ!」って感じがずーっと続くようなところへ 行ける確信が持てる... そんなイメージですね...変ですか? (これは iroiroarimasu さんのMsg 920 に対する返信です ) |
922 件目 一度佐倉哲HPを徹底的に批判すべき ニ考えますが・・・ funaba_tufs (27歳/jp) 1999年12月1日 20時14分 他の会員の方々、如何おかんがえでしょうか? あんなのも見て、幸福の科学が「分かった」などと思われてはたまったものではありません。彼のHPには何故か掲示板が無いので、投稿の掲載は彼の一存にかかってしまいます。これはフェアではありませんので、変わりにここで彼が、究極的な真理を信じるのを恐れる懐疑主義者がほんしつであることを解明し、彼のHP見て曲解する青年達を糺す一助になるのではないでしょうか? それともああ言う輩は無視しておけば良いのでしょうか? (これは kyully さんのMsg 1 に対する返信です ) |
923 件目 彼のHPから抜粋 funaba_tufs (27歳/jp) 1999年12月1日 20時28分 結論 以上のような理由で、「真理の究極的根拠」からわたしたちの知識の体系を造り上げよう、という努力は、単に不必要なだけでなく、まったく無駄な努力である、とわたしには思われます。知識とは、それが知識であるがゆえに、必ずそれは限定的( ヌ部的、条件的)なものです。それゆえ、知識は、条件的に信頼することができ、また、新しい観察や前提の批判や再吟味によって、否定や修正や発展を可能とします。プトレマイオスの天文学とコペルニクスの天文学の関係、ニュートン力学とアインシュタインの相対性原理の関係などは、知識のこれらの性質をよく表していると思います。知識と比べて対照的なのが「究極的真理」に対する信仰です。「究極的真理」は根拠を提示しないので、まったく信頼することはできません。根拠がないので、批判や吟味の対象にもならず、したがって、修正や発展の可能はもちろんありません。「究極的真理」がわたしたちに求めるものは、信仰という名の賭にすぎません。 佐倉 哲 http://www.j-world.com/usr/sakura/think/truth_logic.html (これは funaba_tufs さんのMsg 922 に対する返信です ) |
924 件目 このように funaba_tufs (27歳/jp) 1999年12月1日 20時38分 信じることを恐れそれから「逃げてる」方ですから、信仰とは何か 信が土台にある「宗教」の存在意義などわかる術はないのです 彼はそれで哲学的と考えてるかもしれませんが、哲学の役割は「真理」を論理的に解き明かすことではないのでしょうか? 少なくともギリシャ一の知者であったソクラテスはそのように考えてました 故に絶対的な真理を信じないで論理的に相手を論駁することに執念を燃やした「ソフィスト」達に、「無知の知」を教えたのですよね 故に彼は真の意味において「哲学」してるのではなく、真理を信じることを恐れ「論理」で自己満足な「遊び」をしているだけのように写ります (これは funaba_tufs さんのMsg 923 に対する返信です ) |
925 件目 無知の知 Rikimaru7 1999年12月1日 20時55分 >故に絶対的な真理を信じないで論理的に相手を論駁することに執念を >燃やした「ソフィスト」達に、「無知の知」を教えたのですよね ??? 意味がよくわかりませんが・・・ 「無知の知」の意味するところは? (これは funaba_tufs さんのMsg 924 に対する返信です ) |
926 件目 RE無知の知 funaba_tufs (27歳/jp) 1999年12月1日 22時21分 無知の知とはソクラテスの悟りであって、ソフィスト達の認識段階は「無知の無知」と言えます それではソフィスト達は何を知らないことを知らないのでしょうか? ソクラテスは「汝自らを知れ!」と言った。なにゆえにか? それは当時の知者と言われる人々が「自分自身」を知らなかったからです なぜなら彼らは自分が産まれる前にどこから来て、自分は死後どこに行くか、知らないのに自己を知者だと騙っていたからですね 即ち『「魂」の真実を知らないこと』を知りなさい!ってソクラテスはソフィストに言ったのですね そして絶対的なる真理とは人間の「魂」についての事柄と思います なぜなら、それ(魂)は普遍だからです 地球は丸い、これは絶対的真理でしょうか?否です なぜなら100億年後に地球は存在しえません。太陽の膨張でのみこまれるから ナす。このようにこの世(3次元)には絶対普遍の真理は無いのです。ではどこにあるのか?それが我々の魂・心と言われるものの中にあるのです 故に目に見えない心や魂を「信じる」行為なくして真理の探求はできないものと考えます (これは Rikimaru7 さんのMsg 925 に対する返信です ) |
927 件目 re.ですからね。 ahokusai 1999年12月1日 22時44分 >まさに原典が何処まで正確なのかが議論される問題ですね。 どこまで正しいとするのか、どのように解釈するのか、その時に基準になるものがあると思う。それが幸福の科学の人にとっては、大川さんの教えじゃないかなぁ。聖書や仏典を解釈する時、まず、大川さんの教えを通して考える。その教えに合わない所は間違いと決め付け、その他は教えに合うように解釈する。つまり、iroiroarimasuさんご自身でも言っているけど「他宗教を幸福の科学なり」に解釈しているだけじゃないの?それじゃあ、全然原典を読んでいるとはいえないよ。最初から「こうあるべきだ」と読んでちゃ、分かる筈はないよ。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 914 に対する返信です ) |
928 件目 re.でうからね2 ahokusai 1999年12月1日 22時46分 「飛び込む」って、書いてあるけど、iroiroarimasuさんが飛び込んでいるのは幸福の科学でしょ。そこからは幸福の科学なりの解釈しか生まれないよ。原典を本当に解釈するには、聖書ならクリスチャンに、仏典なら仏教徒にならなければ分からないと思う。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 915 に対する返信です ) |
929 件目 re.ですからね4 ahokusai 1999年12月1日 22時52分 「言葉」は読む人によって解釈が違うって、言ってるけど、「言葉」ってそんな頼りのないものなの?「言葉」から真意を理解するつもりが全然無いみたいだね。どうも幸福の科学の人たちは「言葉」を否定するみたい。だから、やたら「感じる」ことを強調するんだな。 なんか、ライフスペースの人たちと話している気がしてきた。ほんと「あほくさくい」感じ。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 919 に対する返信です ) |
930 件目 佐倉哲批判開始 funaba_tufs (27歳/jp) 1999年12月1日 23時7分 哲:わたしは、現在、幸福に関して考えることはほとんどありません。というのは、かなり昔のことになりますが、わたしは、幸福の追求は無意味であり不毛な努力であると気づいてしまったからなのです。 http://www.j-world.com/usr/sakura/think/index.html おかわいそうに・・・無神論を信じると「幸福の追求」は不毛な努力としか捉えられないようになるのね。「幸福の追求」はアメリカ独立宣言の基幹なのに・・ なんのためにアメリカにおられるのかしら? (これは ahokusai さんのMsg 927 に対する返信です ) |
931 件目 RE:わたしの「救い」のイメージですか? iroiroarimasu 1999年12月1日 23時46分 Tomoniさんお答え有り難うございます。実に根本的なお答えを頂いたと 思います。 幸せとは何か?これは人類にとって永遠の課題かもしれませんね。 私にしても幸福の科学に出会う前までは人生のはかなさに苦しんで いました。 また地獄といわれることろにたいする恐怖も誰もが持っていると 思います。その程度こそあれ。 それでは私が経験してきた救いというものを少し書いてみましょう。 人間にとってさけられないものに「死」があります。私は 死についての疑問を5才の時から持ちました。 これは父方の祖母の死がきっかけです。 (これは Tomomi_Ohshima さんのMsg 921 に対する返信です ) |
932 件目 救いについて iroiroarimasu 1999年12月1日 23時55分 何故人は死ぬのか?それは、その時より考え始めました。 人間は生まれて成長し、そして老いて最後は死ぬ。 なんと不思議な世界であろうと思いました。いろいろな努力をしてみても 人はこの世をさります。受験をして中学や高校、大学と進学しても 最後は死ぬんですね。まあ何とも寂しい世界であるのだろうかと考えて いました。また病気などにもなるし、事故にもあうこともある。 なんとも平安の少ない世界であろうかとも思いました。 我々が生活している世界とはこの様にはかない世界なのかと考えると 心が乱れますね。それを忘れるために勉強したり、異性と遊んだり 等しているように私は考えていました。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 931 に対する返信です ) |
933 件目 救いについて2 iroiroarimasu 1999年12月2日 0時14分 さて、中学生のときですね。かれこれ28年まえでしょうか。 この時に風邪をひきましたが、それが悪化して脱水状態になり かなり命の危険を感じた時があります。 「自分はこれで死ぬんだなあ。」と感じました。しかし、その時は 死の恐怖よりも早くこの苦痛から逃れられのなら死んで何も感じなく なった方がいいなあとも思いました。 病もそろそろ最高潮を迎えた晩です。寝ている筈の自分が何故か 空中から自宅付近を眺めているのです。 「あそこに犬小屋がある。あの隣の家の屋根はこうなっているんだ。 道が狭いなあ。成る程。」なんて感心していました。 しかし「まてよ何でこんなところにいるんだ、変だぞこれは。」 と思い周囲を見ますと素晴らしい天気なんですね。これが、そして次に 上を見ますと突然、雲のパイプの中を急上昇して行き始めました。 「わーーなんだこれは、凄いスピードだ!」と感じながらも、あまりの 早さに気を失ってしまいました。そしてトンと着地した感じがして気がつくと 雲で出来た壁があり、その壁の中心に巨大な門がありました。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 932 に対する返信です ) |
934 件目 そして iroiroarimasu 1999年12月2日 0時16分 雲の中に入ってそこまでは白黒です。自宅上空からの眺めはカラーでした。 「どこだここは?」と思うと次にの瞬間にその門が左右に開きました。 部屋の奥に向かって門は開きました。すると中には部屋の中心に金の縁が ついた深紅のカーペットが敷かれておりそれは建物の奧に伸びさらに その先には祭壇がありました。そして部屋の中の左右には天使たちが 沢山いるのです。それが不思議なことに床にたっているだけでなく 空間に沢山浮いてもいるのです。整然と。「わあ!!なんだここは。」 と思った瞬間、私は祭壇の手前に立っていました。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 933 に対する返信です ) |
935 件目 そして2 iroiroarimasu 1999年12月2日 0時17分 そして、その祭壇の前には茶色の髭を蓄えた年は70代前後の 長老がおりました。着ている服はギリシャ風の衣装でした。 そして「お前は治った。」と言われました。「なおった?誰だろうこの人 ?でも偉そうな人だなあ。」と思いお礼を言いました。するとどうでしょう 次にはオペラ座のようなところで丁度、緞帳がしまり、会場に柔らかい 拍手の音が響く場所にいました。そして、その心地よい拍手の音で 目が覚めました。 そうしますと昨晩まであれほど酷かった症状は消え、病気は治っていたのです。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 934 に対する返信です ) |
936 件目 さて iroiroarimasu 1999年12月2日 0時23分 さて、その時に私は思いました。「いったい、何を経験したんだろう?」 それまでに経験したこともないことですし、あれだけ苦しんでいたので そんなことを考えることなど出来ない状態でしたし、また自分が眺めて いた景色はこれまで経験したこもない景色でした。 また、何故自分の家を上から見えたのか?なぜ雲の中を急上昇したのか? あそこにいた長老は誰なんだ?と考えても理解の出来ないことばかりでした。 自分は何を経験したのか中学生のころは宗教には興味がありませんでした。 また仏教は葬式しかしないものかと思っていたので嫌いでした。 まあ、これも自分が苦しかったので幻想でも見たんだろうと考えることに しました。しかし、疑問は湧くばかり。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 935 に対する返信です ) |
937 件目 何故か? iroiroarimasu 1999年12月2日 0時29分 何故、あのような見知らぬ風景、人々、さらには会話までしたんだろう? 自分がそれまでに経験した風景やら景色やらが登場するなら理解も 出来る。しかし、あれは初めてみた景色や風景。病で苦しんでいるのに 、そんな面倒なこと考えるのか? 文字にしてみても大変なのに、病で苦しんでいるときに何故そんなこと 考えるのか?不思議でしたね。それから自己催眠術何かの本を買ったり 夢関係の本を読んだりしましたが、満足する解答は得られませんでした。 これは一つの例なんですが、こんなことを説明してくれる人は私の周囲には いません。そいれから15年後に遂に幸福の科学に出会いました。 そこには私の経験したことについて納得できる説明がありました。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 936 に対する返信です ) |
938 件目 そして、また。 iroiroarimasu 1999年12月2日 0時35分 そして、また「死」について、輪廻転生について等々の教えがありました。 そうしますと頭ではそうなのかもしれないし、そうでないかもしれないと 考えるのでが、心は「成る程なあ。」と納得している私がいました。 当時は大川総裁は人前に出ることはあまりしていませんし、87年当時は まるで無名の方でしたから半信半疑でした。 しかし、心は晴れ晴れとして行くのですね。そして学んびが進むと 「死」に対する理解ができ、そうしましと不安がなくなり、心が穏やかに なりました。 これが私の幸福の科学から与えられた「救い」と言えるでしょう。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 937 に対する返信です ) |
939 件目 次に iroiroarimasu 1999年12月2日 0時40分 また、その当時私は肺に異常があり医者は私には秘密にしていましたが 「肺ガン」だったのです。また肝臓もおかしかったようです。 29才のときですから1年ももたない状況だったようです。 しかし、幸福の科学の本を8冊、他宗教の本も8冊を1日で読み比べました。 そして私には明らかに他宗教に比べ幸福の科学の教えに感動しました。 そしていい加減な表現が少ないことに気がつきました。 そして、これまでの自分に生き方にたいして「反省」しました。 朝の9時から読み始めて読み終わったのが20:30ごろでした。 成る程自分の生き方は神仏の心からするとかなりかけ離れていたと 気がつきました。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 938 に対する返信です ) |
940 件目 そうしますと。 iroiroarimasu 1999年12月2日 0時45分 そうしますと、突然、熱が出始めました。39.5度から40度です。 これが1日半続きました。汗は出ませんでした。体の中に火の玉が 入ったのではと思うほど熱くなりました。 「こりゃ全然うごけない!!」「どうしたんだ!!!!」と思いました。 しかし、1日半すると熱は下がり、普通に動けるようになりました。 また体が軽くなったようにも感じました。楽なんですね。 そしてそれから11ヶ月後、医者のもとへ行きました。 その時の医者の顔は忘れませんね。「なんでお前生きているの!?」 なんですね。私は肺のレントゲンを再度とりました。「肺が綺麗に なっている!!」が医者の最初の発言でした。(^^;; (これは iroiroarimasu さんのMsg 939 に対する返信です ) |
941 件目 そこで iroiroarimasu 1999年12月2日 0時49分 そこで私は医者に質問しました。「先生、私は肺癌だったんでしょ?」と 。そうしますと先生は「そうでした。でも今はありません。」と 言われました。さらに「貴方はいったい何をしたんですか?」と 逆に質問をされました。そこで「これまでの生き方の反省をしました。」 「反省?」「そうです。ある書籍を読んで学び反省しました。」 「.....?」と言う会話でした。また本も差し上げましたが どうされたでしょうね? まあこれが私にとって「救い」の第2ですね。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 940 に対する返信です ) |
942 件目 >funaba_tufsさんや Seger_cone (108歳/炉の中) 1999年12月2日 0時53分 >佐倉哲批判開始 おお、勇ましいのぉ... じゃが... http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.ab.02.835217&topicid=335m01&msgid=7uje5a$2c8$5@m00.yahoo.co.jp という意見もあるぞよ... (これは funaba_tufs さんのMsg 930 に対する返信です ) |
943 件目 どうでしょうか? iroiroarimasu 1999年12月2日 0時55分 Tomoniさんどうでしょうか?初歩的な救いについて私の経験を ご理解して頂けますでしょうか? また学ぶことによりおろかな生き方をしていた自分に気がつかされた とこも救いでありますね。 幸福状態が継続することは心が常に安定していることと言えるのですね。 幸福の科学で学ぶ以前の私は生きている間、不安だらけでしたから これでは幸福な状態とはいえませんね。 生き地獄と言う言葉があります。まさに生き地獄でしたね。 あのまま死んだら本当に地獄行きでしたでしょうね。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 941 に対する返信です ) |
944 件目 そうではないでしょ。 iroiroarimasu 1999年12月2日 1時4分 どうもすり替えて考えられるようですね。私は幸福の科学流に考えて 説明をした覚えはありませんよ。 雪が降った、降らないとはサクラ氏の引用されている聖書の記述に は書いていませんといっているだけです。 それが幸福の科学的なんでしょうか?私はサクラ氏の「筈がない。」 と言う解釈についても別に幸福の科学流を持ち込んでいませんよ。 その辺はすり替えないで下さいね。寒がりやさんんは雪が降れば 嫌かもしれませんが、私でしたら大切な羊を番するのであれば たき火を焚くし、それでも寒ければ厚着をして凌ぎます。 こんなの幸福の科学でなくても少し智恵があれば誰でも出来ることでしょ。 (これは ahokusai さんのMsg 927 に対する返信です ) |
945 件目 そう思うのは貴方の自由です。 iroiroarimasu 1999年12月2日 1時8分 そう思うのは貴方の自由です。また貴方がそう思われるのは私のことを 知らないからです。そこでそう言う判断が成り立つのでしょうね。 だから逆言えばそう判断をする傾向がサクラ氏ともにているので サクラ氏に親和性をもつのでしょう。 (これは ahokusai さんのMsg 928 に対する返信です ) |
946 件目 またまたすり替えですね。 iroiroarimasu 1999年12月2日 1時15分 私は頼りないとは一言も言っていませんよ。出来るだけ公平に 判断する意味で人それぞれの感性や知性、理性、そして悟性 などから考えてみると読む人に解釈の違いがでても自然では ないでしょうか?と言うことを言っているのですね。 真意を理解出来ないいや否定が先に貴方の頭には張り付いて いるようですから、そのような発言を為されるのでしょうね。 言葉も理解する努力をすると同時に、それを感じるかこれは とても大切なことだと思いますよ。 (これは ahokusai さんのMsg 929 に対する返信です ) |
947 件目 雪が降ったか ahokusai 1999年12月2日 3時36分 クリスチャンの内村鑑三が、大川さんが言うようなことを言うのか?まず有り得ないでしょう。大川さんが言っていることは普通の日本人的だと思う。これは内村鑑三の著作と比べてみれば分かることと思います。誰か、詳しい人いませんか? 雪が降るのが珍しい地域で雪が降れば当然珍しいと思うはず。もし、思わなかったならば、よっぽど鈍感な人ですよ。iroiroarimasuさんが言っているのは、万が一の可能性にすぎません。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 914 に対する返信です ) |
948 件目 「臨死体験」?>iroiroarimasuさん Tomomi_Ohshima 1999年12月2日 8時57分 iroiroさんの体験されたことは、臨死体験と言うものなのでしょうか? 臨死体験については、「死んで私が経験したこと」という本を読んだことがありますが... 学ぶことによって「死」に対する理解ができて、死への不安がなくなったことはわかりました。 肺癌を克服?されたんでしょうか?「反省」で???・・・ともかく、おめでとうございます。 >学ぶことによりおろかな生き方をしていた自分に気がつかされた >とこも救いでありますね これと、「しあわせ!」というのは、近いとは思いますが、どう結びつくのでしょうか? 「心が常に安定している」ことは、確かに不幸とは言えませんが、「しあわせ!」というのとは、また違うと思うんですけど... わたしの思う「しあわせ!」っていうのは...うまく言えないですけど、 わたしの目の前の現 タが、わたしが心に描く理想的な姿になっている、 というような感じなんですけど... (これは iroiroarimasu さんのMsg 943 に対する返信です ) |
949 件目 ごめんなさい>FlameTongueさん Tomomi_Ohshima 1999年12月2日 8時59分 やっぱり、怒っちゃったんですね...すいません... (これは FlameTongue さんのMsg 911 に対する返信です ) |
950 件目 RE:佐倉哲批判開始 CarrotJuicer 1999年12月2日 9時0分 どうせやるならもう少し徹底的に批判して下さいよ。 >おかわいそうに・・・無神論を信じると「幸福の追求」は >不毛な努力としか捉えられないようになるのね。 >「幸福の追求」はアメリカ独立宣言の基幹なのに・・ >なんのためにアメリカにおられるのかしら? 彼は結果として今、幸福であるようなので、以上の事を言われても痛くも 痒くもないと思います。 また、個人の主観に基づかない絶対的な幸福を定義しないと彼を論破出来 ませんよ。しかも有神論を出したらまた話しは堂々巡り。 第二弾期待しています。 あと、私は佐倉派ではありません。あしからず。 (これは funaba_tufs さんのMsg 930 に対する返信です ) |
951 件目 あのさ〜 rustico 1999年12月2日 9時7分 >教えに矛盾があるとか。 矛盾がなければ正しいって訳じゃないよ 考えるのやめなって! 悩むのやめなって 人生享楽が全てだよ 隣人となかよくできたらいいじゃない 隣人と傷つけ合うのもいいじゃない 哀しくなったら歌でもよめば? それが人生 あきらめなよ 期待すればするほどに 裏切られれば 辛いでしょ (これは kyully さんのMsg 1 に対する返信です ) |
952 件目 優しい人は正直とは限らないよね rustico 1999年12月2日 9時11分 あんたを殴ってくれる人のほうが やさしいのかもしれないし (これは rustico さんのMsg 951 に対する返信です ) |
953 件目 ちと苦言 Anaximandros 1999年12月2日 9時39分 ahokusaiさん、教義について頭から否定してかかるのはどうかと思う。 言ってしまえば、宗教の教義なんておかしいところだらけであたりまえなのだ。聖書を見よ。モーゼは海を割ったではないか。 「イワシの頭も信心から」 信じるのは彼らの勝手。 教義について論争するのはいいが、相手を尊重した態度、物言いをお願いしたい。本気で相手を論破したいのならその方が有効でもあるだろう。 最近の事件と関係して他所の掲示板でも顕著な傾向だが、宗教の存在意義を根本から否定するのは問題だ。 憲法上「信教の自由」は確かに他の基本的人権と比べて下位に位置づけられるべき性格のものだ。信教の自由のかこつけて他人の身体、財産に手を出す輩は決して容認されるべきでない。 だが、逆に言えば他人の生活を脅かさない限りどのような宗教を信じていようとそれは本人の自由だ。 宗教者を端から馬鹿にする態度はよくない。 これは憲法がどうのという話ではなく社会生活上の礼儀のはずだ。 (これは ahokusai さんのMsg 947 に対する返信です ) |
954 件目 re:一度佐倉哲HPを徹底的に批判すべきと考えますが・・・ masshi_26 1999年12月2日 10時21分 funabaさん、どうもこんにちは。 「真理を信じない」というのは、哲学者としても失格と 言っていいと思います。「哲学する」ということは真理を探求 することであり、真理から目を離してはいけないんです。 真理を正しく、どこまでも深く追求し、そこで認識して得たものを 他の人に教えることができた人を哲学者というのでしょう。 そうでないのであれば、無責任且つ誠実さのかけらもない 言い草でしかないと私は思います。 ただ私たち会員は、その軽薄な性格までを真似るべきでは ないし、自分から毒を食らうのも考え物ではありますね。 (これは funaba_tufs さんのMsg 922 に対する返信です ) |
955 件目 う〜ん・・・ funaba_tufs (27歳/jp) 1999年12月2日 10時49分 >どうせやるならもう少し徹底的に批判して下さいよ。 やるのならそのつもりだったのですが、現在大先輩からのアドバイスも頂いて、彼を「ここ」で批判することが仏の願いに適うのかを、再度考えています 批判はいい加減な形ではしてはならないし、その行動の根底に「ユートピア建設への願い」が流れてなければ、正当な批判にはならないかと思います 諸先輩型の気持ちは、ああいうのは良識のあるものがちゃんと読めば彼の批判が「批判のための批判」「否定のための否定」であって、精神の根底に流れてるものが「疑」であって、真摯に真理をもとめての意見ではない、ことが分かるからほうっておけ、、、って感じなのかな? >しかも有神論を出したらまた話しは堂々巡り。 彼が神を信じたら、彼の全ての意見の「否定」になると思いますが・・・ (これは CarrotJuicer さんのMsg 950 に対する返信です ) |
956 件目 masshi様へ funaba_tufs (27歳/jp) 1999年12月2日 10時53分 >ただ私たち会員は、その軽薄な性格までを真似るべきでは >ないし、自分から毒を食らうのも考え物ではありますね。 ご意見、ありがとうございます 流石、会員だあったこと無いもののでも、完全に見抜かれてます なんで文章だけで、会員さんは人の精神状態が見抜けるのだろうか・・・ 現在、正当な批判、仏の観点に立って許される批判、って何かを考えてます えー、それを今までしないで意見してたのかー?って驚かれそうですが・・・ (これは masshi_26 さんのMsg 954 に対する返信です ) |
957 件目 俺、あのページ読んだときすっごーい感動したよ funaba_tufs (27歳/jp) 1999年12月2日 10時58分 >大川さんが言っていることは普通の日本人的だと思う 内村鑑三は普通の日本人ではないのかな?それに当時が末法の世で今みたいな異常気象だったらどうするのさ? (これは ahokusai さんのMsg 947 に対する返信です ) |
958 件目 「私憤」と「公憤」>funaba_tufsさん michael_the_3rd (∞歳/男性/8次元如来界) 1999年12月2日 11時37分 お久しぶりです。 まずは、御本尊下賜おめでとうございます。 >>その軽薄な性格までを真似るべきではないし、 >>自分から毒を食らうのも考え物ではありますね。 全く、仰る通りですね。 「ミイラ取りがミイラになる」 これは愚かなことだと思います。 >現在、正当な批判、仏の観点に立って許される批判、 >って何かを考えてます 怒りには、「私憤」と「公憤」があって、「私憤」は悪魔の作用です。 私たちは「公憤」でもって戦わなくてはなりません。(「幸福の革命」参照) 感情がむき出しの批判では、「私憤」に流されていると考えて良いでしょう。 もっと「平静心」、「不動心」でもって理性的に判断されてはいかがでしょうか。 更に視点を変えれば、この公の掲示板で、法敵に対する幸福の科学の反撃方法を公開する必要があるのか?という疑問があります。 nishida77さんの懸念もここにあるので、あえて法戦はしなかったのだと考えます。 (これは funaba_tufs さんのMsg 956 に対する返信です ) |
959 件目 ほほう... Similar_Coat (978歳/中国) 1999年12月2日 11時53分 その考え方は普通ではないのう... 普通はこのような場所で批判すれば、 佐倉哲も読んで考えを改めるかもしれないというのが常識的な判断じゃ 相手が考えを変えないと決めつけた悪質な見方。 邪見じゃのう... だいたい批判が的を得ないから反論などされるのであって 的を得ていたら反論の準備など不可能じゃろうて... ♯それにしてもおぬしはいったいいつからそんなに歳よりくさくなったのじゃ? http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.ab.02.835217&topicid=488m00&msgid=7usn2d$l4j$1@m00.yahoo.co.jp (これは Seger_cone さんのMsg 942 に対する返信です ) |
960 件目 Similar_Coatさんや Seger_cone (108歳/炉の中) 1999年12月2日 11時59分 >それにしてもおぬしはいったいいつからそんなに歳よりくさくなったのじゃ? ここで「おじいちゃん」と呼ばれて以来かのう... http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.ab.02.835217&topicid=500m00&msgid=7vmplo$kqt$3@m00.yahoo.co.jp (これは Similar_Coat さんのMsg 959 に対する返信です ) |
961 件目 RE:「臨死体験」?>iroiroarimasuさん iroiroarimasu 1999年12月2日 12時1分 お早うございます。私が経験したのは臨死体験というよりは 幽体離脱と思います。仮死状態になったわけではありませんのでね。 幸福の科学で教えを学ぶことで今回Tomoniさんにお話したこと についても私も良く理解できました。学ぶ以前は「何だったのか?」と 考えはしますが理解はできませんでした。 また、この地上で価値あると考えていたことが、単なる物欲や名誉欲で あり、そのようなものに執着し、さらにそれが実現しないで苦しい 状態が私はありました。そしてその様に苦しむことで生産される エネルギーは結局自分に返ってくるのですね。 そして、それが病気として現れてくるのですね。 その事を教えて頂いたこと、また何が自分に足りないか?など教えて 頂き、「神仏の心」から離れていた自分を反省したのですね。 すると、心が突然、明るくなりました。不安、不信、絶望などが 何処へやらです。そしてこれからどの様に生きて行くのが自分にとっても 幸福なのだろうと考えられるようになりました。 (これは Tomomi_Ohshima さんのMsg 948 に対する返信です ) |
962 件目 そして iroiroarimasu 1999年12月2日 12時9分 またTomoniさんの言われる幸福とはいわば自己実現の幸福感と も言えるでしょうね。 これは何方もお持ちで別に極普通に考えられることだと思います。 さて問題はその自己実現を達成することが個人的な幸福であるか? また、それによって周囲にたいしても幸福な影響を与えるかどうか? と言う問題が必ず考えなければいけない条件と考えられます。 例えば飛行機の操縦が大好きな方がいたとします。ただその方は正式な ライセンスをもたずテレビゲームで操縦方法を学んだだけです。 遂に我慢出来なくなり飛行機を乗っ取り、操縦することが出来ました。 しかし、その飛行機には乗客が200人も搭乗していて彼の操縦では 「恐怖」を感じることは出来ても「安心」は出来ない状態です。 (これは Tomomi_Ohshima さんのMsg 948 に対する返信です ) |
963 件目 さて iroiroarimasu 1999年12月2日 12時16分 さてこの様な話はどこかで聞いたような話ですが、この飛行機を操縦したい という方の自己実現は適いました、しかし、それに伴い他の多くの方は 恐怖を味わうことになりました。 これは結構極端な例かもしれませんが、ヒントにはなると思います。 飛行機を操縦するという願いは適いましたが、それにより彼は犯罪を犯すこと で大きな失敗も獲得してしまったのですね。 自分の願いの質が如何なるものか?この判断をする基準は各人それぞれだと 思います。ただ現在の私の例を挙げますと「自分の願う自己実現が神仏の 心に適い、自らの願いの実現が人々の役に立つのか?」というポイントは どうしても外せないようになりました。それが過去の自分とは異なるところですね。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 962 に対する返信です ) |
964 件目 RE:雪が降ったか iroiroarimasu 1999年12月2日 12時25分 いろいろとアホクサイさんも反 _してくださるのでこちらも勉強に なりますね。有り難うございます。 さてデンマーク領グリーンランドというのが確か存在したと思います。 現在はどの様な状態にあるかご存知の方は多いと思います。 さてイエスが地上に誕生されたということは、どれほどの奇跡であるのか 、お考えになられたことがありますか?現時点で考えても、また イエスが教えをとかれた後の時間にどれだけの多くの方がイエスに従われ たのでしょう?これは凄いことです。この様な方が地上に生まれられた ということは万が一の可能性にすぎないかしれません。 当時の方の風習からすれば雪が降ろうが降るまいが別に気にしないで 生きておられれば特に記載すべきことでなく、それよりイエスが生まれた ことを記述するのが本質でしょう。 (これは ahokusai さんのMsg 947 に対する返信です ) |
965 件目 RE 「私憤」と「公憤」 funaba_tufs (27歳/jp) 1999年12月2日 12時41分 >怒りには、「私憤」と「公憤」があって、「私憤」は悪魔 フ作用です。 私たちは「公憤」でもって戦わなくてはなりません。(「幸福の革命」参照) 感情がむき出しの批判では、「私憤」に流されていると考えて良いでしょう。 もっと「平静心」、「不動心」でもって理性的に判断されてはいかがでしょうか。 ミカエル様、「法」を伝えてくださり、感謝します 名前からして外道?かと思っていたのですが、、、違うみたいですね 平静心、不動心、、、現在の私の最も重要なな「課題」かと思われます。 精進、精進、日々の精進ですね ある職員さんに「死ぬまで精進、死んでも精進!」って叱咤激励されてのを覚えてます。 (これは michael_the_3rd さんのMsg 958 に対する返信です ) |
966 件目 全ては神仏の子 iroiroarimasu 1999年12月2日 12時53分 Funabaさん、頑張っておられますね。 インターネットでの会話は難しいところもあります。 また反論される方がいるのでまた勉強にもなります。 私達は幸福の科学で学びながら人生を過ごしています。 またそうで無い方もいますね。しかし、すべて仏の子ですね。 またサクラ氏のことですが、私個人としては彼は頭の良い秀才では ないかと考えています。しかし、残念なことに勇気が無いのだと 思うのですね。慎重な性格のような方ですが、実は恐がりやさんだったり しますね。 (これは funaba_tufs さんのMsg 965 に対する返信です ) |
967 件目 かっかっかっかっ!! Similar_Coat (978歳/中国) 1999年12月2日 13時6分 そうじゃったのか...それはショックだったろうのう... じゃが108歳は立派な「おじいちゃん」じゃよ 自覚せねばのう... しっかしmichel_the_3rdという御方は∞歳じゃとな 若いふりなどしておらんで歳相応の語り口調にしてほしいもんじゃ うむ? 住処が八次元如来界とな....なるほど... (これは michael_the_3rd さんのMsg 958 に対する返信です ) |
968 件目 幽体離脱ですか...>iroiroarimasuさん Tomomi_Ohshima 1999年12月2日 14時22分 >苦しむことで生産されるエネルギーは結局自分に返ってくるのですね。 >そして、それが病気として現れてくるのですね。 たとえば、運動の苦手な子供が、運動会当日の朝に体調を崩すようなことは聞きますが、気の持ちようでもっと大きな病気も引き起こすということなんでしょうか? そして、「気の病」が消えれば、病気も消えるということなんでしょうか? >「自分の願う自己実現が神仏の心に適い、自らの願いの実現が人々の役に立つのか?」というポイントはどうしても外せないようになりました。 このように考えて行動した上で「しあわせ!」と思えるのでしょうか? わたくし事ですみませんが、他トピに投稿していた時は、落ち着かずにギャーギャーやってたと思うのですが、iroiroさんとお話ししていて、何だか少し落ち着いて来たような気がします。 何と言うのでしょうか、投稿している方の思いというか、雰囲気というか、そんな感じのものが伝わって来るようなんです... (これは iroiroarimasu さん フMsg 963 に対する返信です ) |
969 件目 RE:幽体離脱ですか... iroiroarimasu 1999年12月2日 15時11分 >たとえば、運動の苦手な子供が、運動会当日の朝に体調を崩すようなことは>聞きますが、気の持ちようでもっと大きな病気も引き起こすということなん>でしょうか? >そして、「気の病」が消えれば、病気も消えるということなんでしょうか? そうですね。子供は特にデリケートですし純粋なのでその様なことが 起きるようです。また病気を全て不幸と考える人もいますが、考え方によれば 自分の気がつかない精神的な傾向を教えてくれる信号だと思えれば、それに より精神的な問題を直せますよね。そう言う意味で病気から何を学びとるか で人生も変わりますね。(^^) (これは Tomomi_Ohshima さんのMsg 968 に対する返信です ) |
970 件目 また iroiroarimasu 1999年12月2日 15時19分 >このよ 、に考えて行動した上で「しあわせ!」と思えるのでしょうか? そうなんですよ。「喜ぶ」という経験は何方でもされていることですね。 しかし、これも経験されるとお解りだと思うのですが一人で楽しい経験を するのも良いのですが意見の合うものどうしで楽しい経験をすると 喜びの大きさも違うように感じませんでしょうか? その様なとき同じ喜びを体験出来る仲間がいると感じられるとき 「幸福感」というものはより充実してくると思います。 (これは Tomomi_Ohshima さんのMsg 968 に対する返信です ) |
971 件目 また2 iroiroarimasu 1999年12月2日 15時23分 >わたくし事ですみませんが、他トピに投稿していた時は、落ち着かずにギャ>ーギャーやってたと思うのですが、iroiroさんとお話ししていて、何だか>少し落ち着いて来たような気がします。 >何と言うのでしょうか、投稿している方の思いというか、雰囲気というか、>そんな感じのものが伝わって来るようなんです 有り難うございます。またアホクサイ ウんには悪いなあと思っているんですが 、実はね頭で考えても理解出来ないことを理解して頂くにはこの様なやりとりが実は霊的な感覚を理解できるには一番良いと思います。 Tomoniさんが落ち着いてこられた理由に「投稿している方の思いというか、雰囲気というか」と上げられましたがまさに目は見えない相手と会話して いる状態でも感じられるのですね。これは霊的な覚醒の初歩といってもよいでしょう。そして投稿されれる方はある意味では熱心な方が多いと思います。 (これは Tomomi_Ohshima さんのMsg 968 に対する返信です ) |
972 件目 また3 iroiroarimasu 1999年12月2日 15時27分 熱心なんですね。これは良いことだと思います。またそれぞれにご意見が あり、そしてご自分の良心に従って「そうだ!!」「そうでない!!」と 言うのですね。根っから悪い人が投稿しているとは私は思っていません。 意見の相克ですがこれは一人の人間しかいなければ生まれて来ないことですね。その亜互いの違いを認識して理解し う方法が様々ですね。でも ここに参加される方は私には「熱心」に感じるので素敵な人達 だと思っているんですね。 (これは Tomomi_Ohshima さんのMsg 968 に対する返信です ) |
973 件目 「言霊(ことだま)」でしょうか?>iroiroarimasuさん Tomomi_Ohshima 1999年12月2日 17時8分 >病気から何を学びとるかで人生も変わりますね。 病気からでも学べるのですか... >意見の合うものどうしで楽しい経験をすると喜びの大きさも違うように感じませんでしょうか? そうですね、部活動でそんな経験がありますね。 >その様なとき同じ喜びを体験出来る仲間がいると感じられるとき「幸福感」というものはより充実してくると思います。 そんな時は、みんなの嬉しそうな顔を見て、わたしもまた嬉しくなって... 確かにわたし一人よりも「幸福感」はより充実していたと思います。 >目は見えない相手と会話している状態でも感じられるのですね。 >これは霊的な覚醒の初歩といってもよいでしょう。 「霊的」なんですか!他トピで、こんな発言がありましたけど... >言葉には「霊」が宿ると言われています。 >「言霊(ことだま)」と言われるのですが、ご存じですか? >ここに参加される方は私には「熱心」に感じるので素敵な人達だと思っているんですね。 宗教をやる人たちは、自分たちと違っていると、排他的になるものだと思ってましたが... (これは iroiroarimasu さんのMsg 972 に対する返信です ) |
974 件目 iroiroarimasuさんに質問 ELRANTY 1999年12月2日 17時31分 こんにちは、iroiroarimasuさん。 これまでここに来ていた会員さんと違って、ずいぶん自分の言葉で語られていますね。 12年間所属していたというだけあって、その勉強量にはただただ敬服します。 ところで12年間もいらっしゃれば、かなり多くの書物を記憶しておられるでしょうが、 在会当時からひとつ心の片隅で疑問に感じてきたことがありますので、 iroiroarimasuさんが、それをどう 氏Kされるのか少し教えていただきたいのですが、 よろしいですか?(単に日本語の解釈の問題です。追及でもなんでもありません) (これは iroiroarimasu さんのMsg 972 に対する返信です ) |
975 件目 エリ、エリ、レマ、サバクタニについて ELRANTY 1999年12月2日 17時32分 『キリストの霊言』における、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」の件です。 ここで、キリストを名乗る霊は、「そうは言っていない、エリヤとラッファエロに、 迎えにきなさいと呼びかけたのだ」というようなことを言ってますね。 エリヤとラファエルという、幸福の科学の天上界解釈からも不自然な組み合わせや、 エリヤだけを2回呼んでいることの、こじ付け的な不自然さも、 当時から疑念の元とはなっていたのですけれども、問題はそこではありません。 この霊言を講義したセミナーが収録されている『幸福の科学原論@』で、大川さんが、 「エリヤとラッファエロを呼んだのだ、とイエスキリスト本人は言っております。 そうだろうと信じたいと思います」というようなことを語っておられるという点です。 会員は当然大川さんが過去を見通す力を持っていると信じているわけで、 その会員を前にして「そうだろうと信じたいと思います」というような発言をする、 ということはどういうことでしょうか。 (これは ELRANTY さんのMsg 974 に対する返信です ) |
976 件目 エリ、エリ、レマ、サバクタニについて2 ELRANTY 1999年12月2日 17時33分 通常の読解力を持ってすれば、「本当は、“エリ、エリ、レマ、サバクタニ”と言ったのですけどね・・・」 ということを大川さんは暗に示しているのだ、と解釈するのが普通ですね。 実際わたしは、「実は、イエスは“エリ、エリ、レマ、サバクタニ”と言ったのだ」 ということを大川さんは霊能力で確認してしまったのだな、と当時感じていました。 (いまでは、イエスが父と呼んだ存在が大川さんだと教義が変わりましたから、 霊能力というよりは単にご自身の記憶を紐解けばいいだけ、という話になりますね) そん ネわけで、わたしはイエス霊と大川さんの「板ばさみ状態」になったのです。 (これは ELRANTY さんのMsg 975 に対する返信です ) |
977 件目 エリ、エリ、レマ、サバクタニについて3 ELRANTY 1999年12月2日 17時34分 いや、それどころではありません。もし大川さんが匂わせていた通り、イエスは、 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言ったのだとすれば、「イエスは霊言で嘘をついた」 ということになってしまい、そんな存在が9次元にいては、教義が根本から崩れてしまいます。 そのような、かなり困った状態にわたしは陥ってしまっておりました。 (退会の理由とはまったくと言っていいくらい、無関係な疑問でしたが) さて、「先生はアカシックレコードなど簡単に読める」と信じる会員を前に言った、 「本人はそう言っています。そうだろうと信じたいと思います」の意味を、 iroiroarimasuさんは、どのように解釈されますか? (これは ELRANTY さんのMsg 976 に対する返信です ) |
978 件目 エリ、エリ、レマ、サバクタニについて4 ELRANTY 1999年12月2日 17時38分 ちなみに、そういう大川さんの霊能力云々の話から離れて言えば、 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」は、詩篇22の神を賛美する詩句の引用であって、 神を呪った言葉でもなんでもない、というのが通説でありますけれども、大川さんの、 「本人はそう言っています。そうだろうと信じたいと思います」という言葉は、 「イエスが神を呪う言葉を最後に言ったとは信じたくない」という気持ちの裏返しであり、 詩篇22の引用であるという、イエスに肯定的な説(イエスの偉大さを示す説)を、 大川さん自信がご存知でないことの顕れでしょう。 おそらくは同様に多くの会員の方が、詩篇22の引用だという解釈を知らないため、 「9次元霊であるイエスが神を呪った言葉をいうわけがない」との観点から、 「エリヤとラファエルを呼んだ」という解釈にさぞ納得していることでしょう。 わたしなどは、「エリヤとラファエルを呼んだ」という解釈よりも、 詩篇22 引用して神を称えたのだ、と考えたほうが素直な解釈だと思っております。 (これは余談です。わたしたちには確かめようもないことですからね・・・) (これは ELRANTY さんのMsg 977 に対する返信です ) |
979 件目 エリ、エリ、レマ、サバクタニ・・・ Rikimaru7 1999年12月2日 21時47分 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」 (エリヤとラファエルを呼んだ) うーん、凄い解釈しますね・・・大川さんも(^^;; ただ・・・ >詩篇22を引用して神を称えたのだ、と考えたほうが素直な解釈 >だと思っております。 たしかに、キリスト教ではこのような解釈をするのが一般的ですが、 これも結構あやしかったりする・・・。 (これは ELRANTY さんのMsg 978 に対する返信です ) |
980 件目 無知の知 Rikimaru7 1999年12月2日 22時0分 >なぜなら彼らは自分が産まれる前にどこから ・ト、自分は死後どこ >に行くか、知らないのに自己を知者だと騙っていたからですね ああ、やっぱり(^^;; 幸福の科学流ソクラテス解釈ですね。一般的な解釈ではなくて。 「無知の知」をそのまんま解釈すれば、「自分は何も知らないとい うことを知っている」ですよね。 佐倉さんの場合は、「自分は神、永遠の魂、死後の世界についてなにも 知らないということを知っている」といっているのでしょう。 無知の自覚。 ただ、それだけのこと。 しかし、人はなかなかこの境地には至れない。 深いですね。 (これは funaba_tufs さんのMsg 926 に対する返信です ) |
981 件目 Rikimaru7さん ELRANTY 1999年12月2日 23時3分 レスありがとうございます。 >たしかに、キリスト教ではこのような解釈をするのが一般的ですが、 >これも結構あやしかったりする・・・。 そうですか・・・。まったく不勉強でしたね。お恥ずかしい。 その解釈しか知りませんでした。 よければ、どのような意味で「あやしい」のか教えていただけますか? 以前に教えていただいた書籍などに書かれているのでしょうか? >うーん、凄い解釈しますね・・・大川さんも(^^;; 正確に書くと(わかっていらっしゃるかもしれませんが)、 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」という言葉をそう解釈したのではなく、 「エリヤ、エリヤ、ラッファエロ、サバイタア!!」と言ったのであり、それは 「エリヤ、ラファエロ、迎えに来なさい」の意だったとされています。 聖書にも「エリヤを呼んだのだ、という人もいた」みたいなことが書かれてありますので、 そこからヒントを得たのかな、なんていうふうにもわたしは考えました。 (これは Rikimaru7 さんのMsg 979 に対する返信です ) |
982 件目 RE無知の知 funaba_tufs (27歳/jp) 1999年12月2日 23時19分 >幸福の科学流ソクラテス解釈ですね。一般的な解釈ではなくて。 如何なる根拠でこの解釈が「幸福の科学流」だと言われてるかは存 カませんが、以下の文章を参照させて頂きます 無知の知 自分が無知であることをしっていること。ソクラテスが問答法を得た結論で、この、無知であることを自覚しているがためにソクラテスは他のものよりも知恵があるといううのが、デルフォイの信託の意味であったとされた。ここでいう無知とは、特に「魂にかかわる諸問題」についての無知とされる。 倫理・政治経済 用語資料集 駿台文庫 駿台文庫 (これは Rikimaru7 さんのMsg 980 に対する返信です ) |
983 件目 RE無知の知2nd funaba_tufs (27歳/jp) 1999年12月3日 0時0分 >佐倉さんの場合は、「自分は神、永遠の魂、死後の世界についてなにも >知らないということを知っている」といっているのでしょう。 その解釈は違います。知らないことを知るためには、その対象である「永遠の真理・仏神の存在」を信じてるから「無知の知」に至るわけであって、彼は「真理や霊魂知らないことを知っている」のではなくて 佐倉氏:「究極的真理」がわたしたちに求めるものは、信仰という名の賭にすぎません。 などと言われてるのですから、真理を未だ知るに至ってないのではなくて、真理なんてあるのかなー??信じるのも怖いし・・・という境地だと見受けられます。だからその対象があるかどうかの心境、まあ言いかえれば現代の無信仰 な一般的なに日本人の悟りと等しいと言えます。別に日本人を馬鹿にしてるわけではありません。あれだけ仏典や聖書を学ばれても至った境地はその程度と言うことです。 (これは Rikimaru7 さんのMsg 980 に対する返信です ) |
984 件目 RE無知の知2nd funaba_tufs (27歳/jp) 1999年12月3日 0時15分 >佐倉さんの場合は、「自分は神、永遠の魂、死後の世界についてなにも >知らないということを知っている」といっているのでしょう。 その解釈は違います。知らないことを知るためには、その対象である「永遠の真理・仏神の存在」を信じてるから「無知の知」に至るわけであって、彼は「真理や霊魂知らないことを知っている」のではなくて 佐倉氏:「究極的真理」がわたしたちに求めるものは、信仰という名の賭にすぎません。 などと言われてるのですから、真理なんてあるのかなー??信じるのも怖いし・・・という「あるかどうか知らない」の境地です。これは先述の無知の知とは全く違うものです。だからその対象があるかどうか分からない、分からないからないんじゃないの?という論理、まあ言いかえれば現代の無信仰・唯物的日本人の悟りと等しいと言えます。唯物的日本人が聖典を「利用」して自己の無神論哲学の正統性のために理論武装した存在が佐倉氏であると解釈しています。彼はキリストが永遠を生命を説いたことを否定しますし、仏陀が天生輪廻や霊魂を教えたことをも否定してます。よくやります・・ 大体彼の唯物的仏教観でもって総裁の教えと比較して仏陀がどうか判断できるだろ?ってーのも無茶苦茶です (これは Rikimaru7 さんのMsg 980 に対する返信です ) |
985 件目 983番は間違いです funaba_tufs (27歳/jp) 1999年12月3日 0時17分 校正しないでだしちゃいました 削除依頼出だしますね (これは funaba_tufs さんのMsg 983 に対する返信です ) |
986 件目 宗教と哲学 ELRANTY 1999年12月3日 0時19分 こんにちは。 >信じることを恐れそれから「逃げてる」方ですから、信仰とは何か >信が土台にある「宗教」の存在意義などわかる術はないのです では、 @信仰とは何でしょうか、 A宗教の存在意義とは何でしょうか、 B究極的真理を名乗る特定の宗教の教義を信じる意義とは何でしょうか、 Cそのような教義を信じないことの問題点とは何でしょうか。 (これは funaba_tufs さんのMsg 984 に対する返信です ) |
987 件目 宗教と哲学2 ELRANTY 1999年12月3日 0時20分 >哲学の役割は「真理」を論理的に解き明かすことではないのでしょうか? >故に彼は真の意味において「哲学」してるのではなく、 >真理を信じることを恐れ「論理」で自己満 ォな「遊び」をしているだけのように写ります なるほど、哲学とは「真理を論理的に解き明かす」ことなのですか。それでは、 真理だとされる特定の教義を、論理を無視して信じてしまったら、哲学になりませんね? 「真理(とされる教義)を信じることを恐れ「論理」で」教義を検証する佐倉さんは、 哲学をしていることになります。どうお考えになりますか? (これは ELRANTY さんのMsg 986 に対する返信です ) |
988 件目 宗教と哲学3 ELRANTY 1999年12月3日 0時21分 >「真理を信じない」というのは、哲学者としても失格と言っていいと思います。 彼が信じないと言っているのは、「真理」ではありません。 「真理」は知るものです。彼が「信じない」と言っているのは、 知ることのできない、「究極的真理(を名乗る宗教的教義)」です。 最初からある特定の教義を究極的真理として信じてしまったら、哲学になりませんね。 >「哲学する」ということは真理を探求することであり、 >真理から目を離しては 「けないんです。 そうでしょうね。では彼は真理から目を離しているでしょうか。違いますね。 何が真理かは自明ではないわけですから、真理だと信じ込まれている宗教的教義には、 疑をもって挑まなければなりません。それによってその教義が究極的真理であるか、 そうではないかを知ることができるでしょう。 (これは ELRANTY さんのMsg 987 に対する返信です ) |
989 件目 宗教と哲学4 ELRANTY 1999年12月3日 0時23分 >精神の根底に流れてるものが「疑」であって、真摯に真理をもとめての意見ではない、 「真摯に真理を求める」ということと、「疑」とは相容れないものですか? ただひたすら信じるのが、「真摯に真理を求める態度」なのでしょうか? そんなことはありません。真理を「知る」には「疑」は決して欠かせないものです。 >良識のあるものがちゃんと読めば彼の批判が「批判のための批判」 良識のあるものが、彼の全エッセイと、来訪者とのやりとりをきちんと読めば、 このような歪んだ意見 ノはなりえません。完全に正見から逸脱しています。 彼の思想的立場を考えれば、幸福の科学が批判されるのは当然のことです。 それを理解すれば「批判のための批判」などという言葉は出てこないはずです。 (これは ELRANTY さんのMsg 988 に対する返信です ) |
990 件目 宗教と哲学5 ELRANTY 1999年12月3日 0時25分 そもそも、究極的真理を名乗る宗教の教義を信じないこと、それ自体を批判していますが、 知りえない世界のことについて、佐倉哲さんが懸命に何かをさがし求めて、 無理やりに信じこまなければならない理由がどこにあるでしょうか。 知り得ない世界のことを知りたい人だけが、それを懸命に探し求め、信じればいいのです。 そのような教義を信じずとも生きていられる人は、究極的真理とやらを探す必要も、 やみくもに信じる必要もありません。必要な人だけが、信じていればいいでしょう。 信仰を持つ必要のない人にまで、「求めよ」などという必要はないのです。 究極的真理なる、特定の宗教の教義な ヌによらなくとも、人は充分立派に生きられるからです。 (これは ELRANTY さんのMsg 989 に対する返信です ) |
991 件目 RE:「言霊(ことだま)」でしょうか? iroiroarimasu 1999年12月3日 0時28分 まあ全ての存在するものは神仏の造られたものですから、言葉にも 魂があり、それが力を持ちますね。 宗教をやる人は排他的という認識も解らなくもありません。 あの世でもあるレベルまでは派閥があるようです。 しかし、ある次元にはいると派閥は解消してお互いの個性を認めあいながら、 仏の為に働くようになるようです。 これは教育の一環としてあるようです。地上においても出来れば派閥解消して 行きたいですね。私はそう考えて幸福の科学で学ばせていただいています。 (これは Tomomi_Ohshima さんのMsg 973 に対する返信です ) |
992 件目 追加 ELRANTY 1999年12月3日 0時38分 >だからその対象があるかどうか分からない、分からないからないんじゃないの?という論理、 どこを読んでそう考えられたのでしょうか。 http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/neo/n030.html (神が“いない”ことは証明できるか) http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/neo/n023.html (人はなぜ宗教を信じるのか) (これは ELRANTY さんのMsg 990 に対する返信です ) |
993 件目 追加2 ELRANTY 1999年12月3日 0時39分 http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/neo/n043.html (無神論は科学) http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/neo/n040.html (一無神論者のつぶやき) >彼はキリストが永遠を生命を説いたことを否定しますし、 どこにそんなことが書いてあるのでしょうか。 >仏陀が天生輪廻や霊魂を教えたことをも否定してます。 では仏典のどこに、釈迦が転生輪廻や霊魂について教えている箇所がありますか? (これは ELRANTY さんのMsg 992 に対する返信です ) |
994 件目 RE funaba_tufs (27歳/jp) 1999年12月3日 0時43分 >彼はキリストが永遠を生命を説いたことを否定しますし、 どこにそんなことが書いてあるのでしょうか。 >仏陀が天生輪廻や霊魂を教えたことをも否定してます。 では仏典のどこに、釈迦が転生輪廻や霊魂について教えている箇所がありますか? 自分で彼と投稿者の意見交換のところ読んでくだされば分かりますよ 彼の論文読んでるより、総裁の本読んでるほうがよっぽど幸せだなー・・・ (これは ELRANTY さんのMsg 993 に対する返信です ) |
995 件目 どうも iroiroarimasu 1999年12月3日 0時51分 初めまして、エルランティさん。何年幸福の科学で学ばれたのか 興味があるところです。 さて与える側と与えられる側では物事の見方が異なりますね。 与えてもらいたくて仕方ない側にたってみると「こうじゃなきゃいや!!!」 「こうあるべきだー!!」となりますが与える側からみますと「ほんとうは こうなんだけど、彼の立場もあるしなあ、ここはこうしておこう。」と いう心も生まれるのではないでしょうか? (これは ELRANTY さんのMsg 975 に対する返信です ) |
996 件目 どうも2 iroiroarimasu 1999年12月3日 0時52分 映画「ノストラダムス・戦慄の啓示」を御覧になりました? エル・カンターレの意識とイエス様の意識の大きさの違いをみて 私は講演会でお話は聴いていましたがあれほど凄いとは思いませんでし ス。 どうでしょう。クリスチャンの立場でない私ですから語れることですが 確かにイエスは偉大な方ですね。でも最後の祈りの時は如何なるお気持ち であったのでしょう。映画「キングオブキング」においてもその人間 イエスの気持ちが良く表現されていたと思います。 30代の今の時代に生きている人がもしあの様な立場になられたら どのような心境になるでしょう?私は考えただけでも胸が苦しくなります。 また主エル・カンターレの心境からすればイエスも子であるのですね。 (クリスチャンの方ごめんなさいね。)親から見れば子は可愛いのです。 親の気持ちが解れば大川総裁の気持ちも解るのではと思いますよ。 何事も理詰めで考えると壁にぶつかります。苦しいですね。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 995 に対する返信です ) |
997 件目 どうも3 iroiroarimasu 1999年12月3日 1時2分 初期の頃におられたAさんという非常に頭がよくスピノザの生まれ変わり と言われた方がいました。しかし、何故か破門になりました。 私はその理由を間接的にしか聞いていませんが「幸福の科学で学び始めた仲間なのに残念だなあ。」と思っていましが。いくら考えても答えは出ませんでした。そこで「これは時が解決する問題だろう。」と考え方を変えました。一つの問題に拘りすぎると結局は自分の進歩を阻害することにもなりますからね。これも一つの「執着」ですからね。今は私なりに答えがでています。それは師があまりにも優し過ぎたので弟子が「慢心」したと考えています。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 996 に対する返信です ) |
998 件目 どうも4 iroiroarimasu 1999年12月3日 1時10分 エルランティさんを拝見していると信仰を得る手がかりに知識という 杖を使われているように思います。しかし、その杖にも長さがあり 限界もあります。一度その杖を使わないで素直な心で学んでみては 如何でしょうか? 既存の宗教からすれば、なんと乱暴な!!と思われても仕方ない部分も あるかもしれません。しかし、これまでの宗教スタイルの延 キでは救世と 言うことは不可能ではないでしょうか?それは既に歴史がそれを示して いるように私は感じます。 エルランティさんがどのような動機で入会さたのか私は知りませんが 会員番号が古い方ならテストを受けて入会した筈ですね。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 997 に対する返信です ) |
999 件目 どうも5 iroiroarimasu 1999年12月3日 1時17分 私もそうです。入会した当時は組織も未熟でしたし、現在は講師や 役員になれている方もまだまだだったように思います。 しかし、学びを求める努力精進で皆さん素晴らしくなられているのを 拝見すると、やはりこの教えは本物だなと感じることがしばしばあります。 例えば、ある方は顔色も悪く、声も小さくて、こんな人が講師やっているけど 大丈夫かなあ?なんで不謹慎な思いを持ったことがありましたが、 何年かして支部長として私の所属する支部に赴任された時には驚きましたね。 顔の色つやも良いし、声も明るく、そばにいる心の修行を本当にこなして きた方の香りがするのですね。私はそれまで一度も直接お話したことが 無い方でしたが、思わず謝罪してしまいました。「私は以前云々。」と 笑って許して下さいましたが、この時も仏の教えの偉大さを感じましたね。 (これは iroiroarimasu さんのMsg 998 に対する返信です ) |
1000 件目 どうも6 iroiroarimasu 1999年12月3日 1時24分 「そばにいると」といいことで「と」が抜けました。すいません。 大川総裁は弟子のレベルに合わせて色々と教えて下さっていますが、 それが初期の頃は理解出来ない人もいたようですね。 「俺のほうが知っている。」なんて考えていた方も沢山いました。 私もそうかもしれません。でも、どうでしょうそう考えた私にしても これまでに大川総裁がなされた仕事と比較してみるとお粗末なものです。 エルランティさんも優秀な方なのだと感じるのですが結果は如何でしょうか? 大川総裁と比較してみると答えはお解りではないでしょうか? (これは iroiroarimasu さんのMsg 999 に対する返信です ) |
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