Yahoo! 幸福の科学の教えについて 2801-2900

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2801 件目   『永遠の仏陀』 16   fredy99    (45歳/女性/梢) 2000年1月19日 10時52分

かつて地球によく似た美しい星、
金星にも、姿形は違えども人類が住んでいた。
その人類をも、我はかつて指導していた。

しかし、究極において彼らは
我が教えの本なる仏国土建設という理想を実現することなく、
怠惰に明け暮れ、進歩を止め、
停滞の永きにどっぷりと浸かり、それより抜け出す意欲なく、
生存を重ねていた。

我はまた、この金星の人類を滅ぼした者でもある。

我が教えは、ある時は愛となり、
ある時には厳しい剣ともなるであろう。
親は子に対して、その真実の成長を願うからこそ、
厳しくその教えを説き、
その教えの実現を迫るということもあるということ知っておくがよ 「。
(これは fredy99 さんのMsg 2768 に対する返信です )


2802 件目  お早うございますaiko3000さん。 3   iroiroarimasu 2000年1月19日 10時55分

そんな不公平な世界が私達の住んでいる世界なのでしょうか?私は違うと
思います。
またaikoさんが言われることは良く理解できます。
しかしFredyさんの言われることは、同じ幸福の科学を学んでいる
人間からしてみると、あまりにも「誇張されすぎた」意見になるのです。
私はここでご承知のとおり何回かそのことに触れています。
また地獄にいく理由も幸福の科学ではしっかり教えていただいて
います。ということは地獄いかない方法も教えて頂いているのですね。
これは車の運転と同じです。交差点で信号があるから事故も防げる
のですね。信号を無視すれば事故にもなります。
これと同じことです。心の運転者派その心の持ち主その人ですね。
にも関わらずその点には一切触れず、恐怖心をあおる発言は私から
しますと「異常な発言」であり「アフェア」な発言となりますね。
また疑問も出てきます。「本当に学んだことがある人なのか?」と
言うことですね。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2800 に対する返信です )


2803 件目   『永遠の仏陀』 17   fredy99    (45歳/女性/梢) 2000年1月19日 11時0分

もう一度繰り返して言っておく。
すべてはおまえたちの選択であるのだ。

この地球を創り、地球に人類を住まわせた頃より、
この法を本に仏国土を創り、幸福な生活を営めというのが、
我が教えであった。

その事実を、もう一度私はおまえたちに告げているのだ。
それを信じて行うか否かは、おまえたちの選択にかかっている。

しかし、仏国土実現の意欲なく、努力なく、希望なく、
停滞と堕落を選び取るならば、
人類を待ち受けているものは滅亡である。

それだけを、私ははっきりと言っておく。
(これは fredy99 さんのMsg 2801 に対する返信です )


2804 件目  お早うございますaiko3000さん3   iroiroarimasu 2000年1月19日 11時8分

>極端な例ですが「これを信じるかどうかは貴方次第です。ただし、信じない>と地獄に落ちるでしょう」と言うことは、一見相手の意志を尊重しているよ>うで実は違う、といったことです。

aikoさんが言われたことは私も同感です。そして、これを幸福の科学
だけに焦点をあててみると、そのようなことを一切教えの中にないのです。
Fredyさんはどこにそのことが書かれているというのでしょうか?
私のほうこそそれを知りたいと思います。「どこにあるんですか?」と
(これは aiko3000 さんのMsg 2796 に対する返信です )


2805 件目   『永遠の仏陀』 18   fredy99    (45歳/女性/梢) 2000年1月19日 11時8分

特に、我が教えを一度ならず学んでいる我が弟子たちよ、
おまえたちはこれ以上、師に対して甘えてはならない。

師はすでに教えを説いた。
この教 ヲ、告げ知らせるは弟子の使命である。
この教え、広がらぬは弟子としての恥であり、
弟子としての不覚である。

何のために今世、生命を享けたかを、
もう一度、もう一度、想い起こしてみよ。

最期の時はもうそこまで迫ってきているのだ。
我が子の言葉を、正しく受け止めるならば、
おまえたちは一刻の猶予もないということを知らねばならない。
(これは fredy99 さんのMsg 2803 に対する返信です )


2806 件目  お早うございます。aiko3000さん4   iroiroarimasu 2000年1月19日 11時10分

また先に私が書いたのは宗教というものに囚われないで考えてみても
私達の住む環境がそのようにある教えを信じなければ「地獄」行きな
無慈悲な環境ではないでしょうとも言いたいのです。
神仏は非常に寛容な存在であると私は思います。なぜなら神仏の意志
に反した人間を消滅させるわけではありませんね。病院で治療して
下さいます。その病院が「地獄」と呼ばれるだけですね。
そして治療が完 。すればまた自由に生きることが可能になるのですからね。
地獄を恐れる気持ちは他者からいわれるから起きるのではなく、自らの
内にある「遠い記憶」がそれを知っているからだと私は思います。
異常に地獄を恐れるのは近い過去に地獄をその方が経験しているから
だと私は思います。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2804 に対する返信です )


2807 件目   『永遠の仏陀』 19   fredy99    (45歳/女性/梢) 2000年1月19日 11時18分

法とは神の光であり、神の光の本質である。
神の光であるからこそ、
その法に背くものたちの存在を許さないのだ。

光はあらゆる闇を砕破し、撃破し、光の使命を実現する。

願わくば、おまえたちが万が一にも
光によって追い散らされる闇とはならぬことを。

よいか、
この教えを広ぐることを怠るということは、
その怠りの事実そのものでもって、
闇の勢力を支えているということなのだ。

あらゆる羞恥心をなげうち、あらゆる無気力と闘い、
あらゆるこの世的なる誘惑を粉砕し、
しかして、勇ましくただ一人立て。
勇者は孤独のうちに立つ時に、聖なる光を帯びるのだ。
(これは fredy99 さんのMsg 2805 に対する返信です )


2808 件目   『永遠の仏陀』 20   fredy99    (45歳/女性/梢) 2000年1月19日 11時29分

仏弟子たちよ、
仏陀サンガーに集いたる誇りを忘れてはならない。

あなたがたは、最高を目指せ。
あなたがたは、最大を目指せ。
あなたがたは、最強を目指せ。

それはとりもなおさず、本来の姿を取り戻せということなのだ。

すべては神の心の下に生かされているという
根本的なる事実を知った時、
おまえたちは最高、最大、最強なるものが、
すなわち神そのものであるということを知るに至るであろう。

その神そのものを、教えという形を通して、
知らしめているのが仏陀であるのだ。
(これは fredy99 さんのMsg 2807 に対する返信です )


2809 件目   『永遠の仏陀』 21   fredy99    (45歳/女性/梢) 2000年1月19日 11時44分

行け、行きて我が言葉を伝えよ。
永遠の仏陀の言葉を伝えよ。
永遠の神理を伝えよ。
永遠の法を宣べ伝えよ

永遠の仏陀、東の国にて甦り、その声発するを、
この日本に隈無く伝えよ。
全世界の人びとに伝えよ。
億万の民に伝えよ。

来世の人びとに向かっても伝えよ。
地下にある者たちにも伝えよ。
おまえたちは魂の牢獄から、魂の煉獄から
今、解き放たれたる時がきたのだと、告げ知らせるのだ。
永遠の仏陀の光がここに、今ここに臨んでいるのだ。

信ぜよ、見よ、聴け、
そして知るのだ、この言葉の力を。この言葉の意味を。この希望の福音を。
すべてはここに始まり、すべてはここに終わる。

永遠の仏陀を信じ切る時に、
あなたがたもまた、
永遠の生命として生き続けることとなるのだ。  (以上)
(これは fredy99 さんのMsg 2808 に対する返信です )


2810 件目   giwakunomanazashi様へ   fredy99    (45歳/女性/梢) 2000年1月19日 12時19分

ご意見、ありがとうございます。

>幸福の科学のお経(?)はどこが怖いのでしょうか?
信仰するものが当然もつべき姿勢を教祖自身が言っているだけに過ぎないと思いますが。

大川氏は、自分がこの大宇宙を創り、人類の魂を創ったと断言されています。 そして、自分の教えこそが究極の法であり、これを受け入れ従わなかったら、滅亡させると言い切られています。

いったん会員となり、様々な活動の根拠がこの『発言』に帰するとされた場合、人間としての個人的な思考・判断・選択は、無意味となります。
教祖や組織上部からの指示は、絶対的なものとなり、逆らったり、抵抗することは「悪魔の活動を助ける、支えるもの」としてはじかれ、切り捨てられてることになります。すでに、過去にそのような事があったのは書きましたが。

つまり、思考・判断の根本的なところで『停止』せざるをえない心的状況に至る可能性が常にある...といことが、今は「怖い」と思っています。
(これは giwakunomanazashi さんのMsg 2790 に対する返信です )


2811 件目  信仰心   fredy99    (45歳/女性/梢) 2000年1月19日 13時19分

>信仰の対象無くして、自分のみを善しとして批判は許せるのでしょうか。

今の私にとっての「信仰」とは、特定の教祖や宗教団体に帰依することではありません。
それとも、そうしなければ「信仰」しているとはいえないのでしょうか。

私はありとあらゆるもの(人、出来事、書物、環境、大自然)に、
「大いなる意志」の臨在を感じています。 そして「素晴らしい、温かい、美しい、高邁、神聖...」と感じ、心の深いところまで響いてくることを大切にしたいと思っています。また、醜い、愚劣、許せない..と感じることもまた、自分の中にあるものとして受け止め、愛に置き換えていけたらと自戒を込めて思っています。

そして「良心」こそ「大いなる意志―神ー」と繋がっていると実感するものです。 良心に恥じることなく、嘘をつかず、ごまかさず、正直に生きたいと願うこと、努力するこ ニが今の私の信仰です。 その良心に従って書いてきましたが、それが必ず正しいとか善であるとも決めつけてはいません。

aiko3000さんも言ってましたが、「人は自分が見たいようにしか、世界や人を見ていない」(もちろん私も)のかもしれませんね。
(これは giwakunomanazashi さんのMsg 2782 に対する返信です )


2812 件目  教えて下さい。   fredy99    (45歳/女性/梢) 2000年1月19日 13時32分

>彼女は「気づき」を与えるといってますが...

「気づきを与える」と表現したつもりはないと思うのですが...、そのメッセージをご指摘願えたらありがたいです。反省を込めて訂正させて頂きます。


拙い体験と感想、意見ですが、これから入会を考えていられる方、誘われている方に、何らかの参考や検討材料にして頂ければ...というのが、
私の一貫したここでの姿勢です。
(これは giwakunomanazashi さんのMsg 2782 に対する返信です )


2813 件目  aiko3000様へ   fredy99    (45歳/女性/梢) 2000年1月19日 14時15分

たいへんご丁寧なメッセージをいただき、ありがとうございました。

>絶対的価値観を持つことは、他人の権利を侵害することに対して鈍感になりかねない危険性を持っている、と思ったからです。

そうですね。特に、一人の教祖を神格化している新宗教の団体については、
その「危険性」が存在するということを、心のどこかに留めておかれることが
必要かもしれません。

それが、教祖の言葉をうのみにせずに、何か素朴な疑問や理解できない、納得できないことがでてきた時に立ち止まって、自分の頭と心で「考えてみる・検証」してみる勇気とゆとりをもたらしてくれると思います。

やはり、色々な面で「バランス」を保つことが大切ではないでしょうか。
常に意識的であれば、教祖や組織のいうがままに他者へのむやみな攻撃や侵害に鈍感になったり、自分を見失って流されることは避けられるように思います。
aiko3000さんの信仰が、自他ともに豊かな恵みをもたらすものとなりますようお祈りいたします。
(これは aiko3000 さんのMsg 2797 に対する返信です )


2814 件目  maxmaxmax2000さまへ   fredy99    (45歳/女性/梢) 2000年1月19日 14時39分

まだ、ここを見ていられますか?

あなたの真っ直ぐで率直な励ましのメッセージを頂きまして、本当に
嬉しく思っています。
ありがとうございました。
とても優しくて、潔いお心を感じました。

でも、それぞれの立場においてそれぞれの意見や主張が存在し、一見対立しているようにみえても、きっとお互いにそのなかから自分にとって必要なエッセンスを学んだり、与え合っているのだと思います。

またいつか、貴方なりのご意見や思うところがあったらぜひ書いて下さい。
(これは maxmaxmax2000 さんのMsg 2784 に対する返信です )


2815 件目  非常に愚なる見解ですね。   iroiroarimasu    2000年1月19日 15時9分

Fredyさんの法にたいする考えかたが良く解りました。
非常に愚かなる見解に少々がっかりしました。
また貴女は短い時間の過去の中でのことを現在只今もあるような
発言をされていますが、それは現在は「ありませんよ。」と
何回もお話していますが、それは理解していただいているのでしょうか?
また、貴女のお住まいの地域が特別なのかもしれないので
そのような地域があるなら改善しましょうと提案も何回もしました。
しかし、それに対する答えはありません。
また現実にはやはり貴女の過去の投稿から見ても
貴女が言われることは無いのではと思える貴女のご友人の「心ある」
お誘いが貴女自身で投稿されていますね。
(これは fredy99 さんのMsg 2810 に対する返信です )


2816 件目  さらに   iroiroarimasu    2000年1月19日 15時20分

仏とは「法」そのもであると幸福の科学では説かれています。
貴女は偶像崇拝とそれをとらえているようですが、それは大いなる
誤解ですね。仏とは法そのもなんですね。
そして、学んでいる人の スくはこの「法」であり「教え」に
納得するところがあるから、そこに参加しているんですよ。
私は貴女に「思考停止」しているとは言われたくありませんね。
とんでもない「侮辱」です。それが解りますか?
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2815 に対する返信です )


2817 件目  幸福の科学の教えについて   iroiroarimasu    2000年1月19日 15時37分

さて永遠の仏陀が紹介されましたが、幸福の科学の教えは多岐にわたり
、その全てを学ぶのは大変な努力がいりますが、バランスを取るには
出来るだけ多く学ぶことが大事でしょうね。幸福の科学では
「ユートピア創造論」という書籍がでており、これは人類の新たなる
希望と副題がついています。
ここには幸福の科学の目指すユートピア論の原点があります。
そして1990年から数えると20年はユートピアの基礎作りには
必要であると説かれています。
そして、幸福の科学が目指す幸福はどのようなのものであるかと
いえば「私的幸福」つまり個人としての K福と「公的幸福」つまり社会全体の
幸福の2つの幸福が調和実現することを意味しています。
(これは fredy99 さんのMsg 2810 に対する返信です )


2818 件目  ユートピア論の原点   iroiroarimasu    2000年1月19日 15時46分

さて、それではユートピア論の原点について少し、ユートピア創造論から
抜粋してみましょう。

幸福には「満足」の面を強調した静的な幸福、つまり「足ることを知る」
という意味での消極的な幸福もあれば、「進歩・向上」の面を強調した
動的な幸福、つまり「発展・成長を喜ぶ」という意味での積極的な
幸福もあります。
そして、この2つは、いわばブレーキとアクセルの用に、人生という名の
自動車の運転に影響を与えているのではないでyそうか。

つまり、加熱気味な人、無我夢中の人生を生きている人に対しては
、ブレーキとしての消極的幸福が勧められるべきであろうし、堂々巡りの
人生を歩んでいる人、目標もなくその日暮らしをしている人に対しては、
アクセル ニしての積極的な幸福が重要であろうと思うのです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2817 に対する返信です )


2819 件目  ユートピア論の原点 2    iroiroarimasu    2000年1月19日 16時2分

個人としての幸福には二面性がありますが、集団の一員として人生行路を
渡っていく人間にとって、ブレーキとアクセルは両方とも必要です。
すなわち、集団としての人類のまとまりのためには、この両方が不可欠です。
足の速すぎる人派、少し速度を落とす必要がありますし、休んでばかり
いる人は、少しせきたてられる必要があります。個々人が自分の幸福を求めながら、同時に全体の調和というものを保っていかねばならないのです。
個人個人は、それぞれにアクセルを踏んだりブレーキを踏んだりして、私的幸福を味わっているのですが、社会全体としても、一つの大きなまとまり、
大調和を形成しながら、進歩していうことが大切なのです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2818 に対する返信です )


2820 件目  ユートピア論の原点 3    iroiroarimasu    2000年1月19日 16時15分

結局のところ、私的幸福は、やがて社会全体、人類全体を大調和させ、
進化させていく方向へと奉仕し、公的幸福の実現のための力となって
いかねばならないのです。
かくして、各人の私的幸福を適えながら、公的幸福をも形成していく
方法論が必要となってきます。いろいろな時代に説かれた仏法真理、
あるいはユートピア論は、つまるところ、私的幸福と公的幸福の大調和
の実現に目的があったのです。
つまり私的幸福と公的幸福とを、どちらも損なわず両立させる考え方
が必要なのです。
これがユートピア論の原点です。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2819 に対する返信です )


2821 件目  ユートピア創造の原動力   iroiroarimasu    2000年1月19日 16時28分

づぎにユートピア世界を創造していく原動力について書きましょうね。
そこには幸福の科学における「人間観」があります。

個人が幸福になりたいと思う理由の一つとして、「魂のうずき」があります。
つまり、魂自身のなかに、あるときは安らぎを求め、あるときは進化を
求める要素があるのです。それは、魂自体が、その出自に対して郷愁を
感じているからです。人間の魂は、遙か昔の記憶を、かすかに持っているのです。かつて、根本仏の生命体から、個性を持つものとしてわかれてきたときの
記憶を。
それは、何億年前、何十億年前という、遙かなる昔の記憶です。銀河のある
場所で根本仏の意識の一部が、人類の魂を創るために、個性ある光として
散乱したことがあるのです。これが、「人間の本質は仏の子、光の子である」と言われている理由です。
その本質において、仏と同じものを人間は持っているのです。「その本質において、仏と同じであり、その形態においても、仏から別れてきた仏の子で
ある」というのが人間の魂に関する真実なのです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2820 に対する返信です )


2822 件目  ユートピア創造の原動力   iroiroarimasu    2000年1月19日 17時6分

したがって、仏が目的としているのと同じことを、人間の魂も目的として
います。「進歩」と「調和」という、根本仏が宇宙を創造したときの
二大目的を、人間の魂は内部理想として持っているわけです。
それゆえ、人間には「進歩」、すなわち向上・発展を求める心と、「調和」
、すなわち安らぎと美を求める心とが、内なるうずきとしてあります。
つまり、幸福という名を冠され多、「安らぎ向上」「調和と発展」を
人間が求めるのは、人間が仏の子であるという事実に根拠を持つのです。
人間が個人としての幸福を求めるのは、人間が仏の子であることの証明
にほかなりません。言葉を換えるならば、人間とは単なる物体ではなく、
聖なる使命を帯びた生命体だということです。その生命の根源には、偉大な
目的意識が潜んでいます。仏の光が宿っているのです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2821 に対する返信です )


2823 件目  ユー gピア創造の原動力   iroiroarimasu    2000年1月19日 17時16分

それでは、そうした私的幸福を求めることを、その本質としている人間が
、何故に、全体の調和、公的幸福を目指す必要があるのでしょうか。
それは「一(いつ)」なる仏から分かれてきた無数の生命が、ふたたび
「一」なる仏に戻らんとする理想ゆえにです。仏という名の親元を
いったん離れた子供達が、私的幸福という名のお土産を両手にたくさん
持って親元にに帰り、共に喜びを分かち合うことが、公的幸福の
実現にほかならないからです。
この里帰り運動が、実は、地上天国、仏国土・ユートピア建設の
運動であり、私たちが最終的に目指しているものなのです。

幸福の科学が目指している目標はこういうことなんですね。
そして、人間の使命とは何かを次に書いてみましょう。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2822 に対する返信です )


2824 件目  人間の使命   iroiroarimasu    2000年1月19日 17時25分

人間は何のために個性を 揩ソ、何のために地上に生まれ、何のために心の
修行をし、何のためにまた実在界、すなわちあの世の世界に還るのか?
ということについてユートピア創造論では以下のように説かれています。

結局、大宇宙を創造した仏は、限りない進化と、乱れることのない大調和
という、一見背反する2つの目的を整合させるために、宇宙の理法であるところの「法」を考え出したのです。そして、宇宙の理法の体現者、実践者と
しての役割を、人間に期待したのです。
こうして、宇宙の理法を人間社会にあてはめて説く必要が出てきました。
これが、光の大指導霊たちが長年にわたって築き上げ、また、説き来たり
、説き去ったところの仏法真理だったわけです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2823 に対する返信です )


2825 件目  人間の使命 2    iroiroarimasu    2000年1月19日 17時34分

つまり幸福の科学が探求している仏法真理とは、大宇宙の理法、すなわち、大宇宙の進化と調和を実現するための「法」を、地球という環境の中 ナ、人類が
学習し経験するための手引きなのです。
仏が宇宙を統べるにあたって、自分自身が考えた「法」の具体的遂行を各惑星にある霊団に委ねました、従って、この地球も、大宇宙に数限りなく存在している他の霊団同様に、宇宙の中の一地域社会として、その運営を任され、集団で自治しているのです。そうすると。おぼろげながら、人間の使命が分かって
くるはずです。地球上の各国がよい国づくりを目指して競っているように、また、日本の中でも、各都道府県や各市町村が、他に負けないようなよき共同体
づくりのために邁進しているように、全宇宙においても、さまざまな星に住む
魂系団たちが、最高の星、最高に光り満ちた惑星を作り上げる為に、日夜
努力しているのです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2824 に対する返信です )


2826 件目  人間の使命 3    iroiroarimasu    2000年1月19日 17時41分

それゆえに、地球という星を最高度に進化・発展させ、大調和させていく
ことが、人間の最高の使命なのです。
この使命、この理想を実現するために、みなさんは、いろいろな個性を持った
魂として、みずからの個性を最高度に発揮しながら、共同作業として、ユートピア創りに励むことになっているのです。これが皆さんに出来る最高の仕事です。

如何でしょうかここまで読まれたらお解り頂ける方も多いと思います。
アクセルとブレーキです。永遠の仏陀にはそれが書いてあるんでね。
ちょっとのんびりしている人にはアクセルを踏む必要があるんですね。
また人間は全て仏の子です。地上環境は魂修行にとってすばらしい環境で
あるんですね。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2825 に対する返信です )


2827 件目  しかし、   iroiroarimasu    2000年1月19日 17時47分

しかし、その地上環境を魂の親である仏が取り上げようとすることが
あるのでしょうか?あるとしたらばそれは人間がその環境の目的を忘れ
魂の後退をしようとするからではないでしょうか?
小さな幼子たちにフォークを与え食べ物の食べ方を教えているときに、
そのフォークを子供同士のケンカの道具にしようとしたら親はどうしますか?
そのフォークを取り上げるのではないでしょうか?
子供が傷つけあうための道具にフォークはあるのでは無いからですね。
そして、子供同士が理解してフォークの正しい使い方を理解すれば
親をまたフォークを与えるでしょう。
人間という存在をどの様な存在かという定義がなければ恐い話なるかもしれません。しかし、人間は仏の子であるとはっきり明言されていいます。
これ以上の安心がどこにあるのでしょうか?
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2826 に対する返信です )


2828 件目  そして   iroiroarimasu    2000年1月19日 17時54分

神仏と人間とはこういう関係に成り立っているんですね。
しかし、この関係を引き離そうとする存在があるのも確かですね。
もとは人間であったのですが、その心が神仏の望まれる方向とは別
方向へ行くことで、悪しき存在となってしまった存在があります。
それを「悪魔」と言う言葉で表現されること ヘ皆さんご存知だと
思います。
そしてその起源なるものは身近にもあるのですね。
それに気が付けば逆に自らを守れることになります。
次はその身近にある悪魔の起源について書いてみましょう。
但し、これから仕事ですので暫く後となります。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2827 に対する返信です )


2829 件目  会員の皆様へ   fredy99    (45歳/女性/梢) 2000年1月19日 20時17分

私の書いてきたものに対してのこのような「反応、反論」は、会員さんとして
本当に当然のことと思います。

私も会員であった以上、主張されたいこと、私へ言いたいことは理解できます。たぶん他の会員の方々も、色々さんと同じような感想を持たれたり、お気持ちになられたかもしれません。
ただ、現在のすべての方が「思考停止」していると言った訳ではありません。
状況によってそのような「可能性」がある、ということです。
しかし、お心を害してしまったことにつきましては、心からお詫びいたします。本当に、すみませ ciした。

さて、これ以上会員の皆様と対話を続けても、どこまで行って(言って)も平行線、見苦しい水掛け論になってしまうように思います。
会の価値観・論理に照らしてどのように批判されても、すでに退会した私にとっては答えようがありません。 また、私の今の価値観や信仰のありかたを肯定・理解頂けるとも思えません。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2816 に対する返信です )


2830 件目  会員の皆様へ 2   fredy99    (45歳/女性/梢) 2000年1月19日 20時33分

今度こそ、本当に引き取らせて頂こうと思います。
色々さんには、最後まで私の言葉を信用して頂けなかったのはとても残念に思いますが、それも仕方のないことかもしれませんね。

でも、最後に「ユートピア創造論」の紹介があって、とても嬉しくまた懐かしい気持ちで一杯になりました。 この「ユートピア創造論」は、赤い小冊誌で
私が入会した翌年の初級セミナーの課題として取り上げられた教えです。
感動しつつ、一生懸命レポートを書いたことが昨日のことのように思い出されました。 とても感慨深い思いです...。
色々さん、本当にありがとうございました。

幸福の科学という「樹」が、今後素晴らしい大樹となり、そこに見事な果実ガ実り、花がひらいていきますよう祈ってやみません。
(これは fredy99 さんのMsg 2829 に対する返信です )


2831 件目  そうでしょうか?   iroiroarimasu    2000年1月19日 20時54分

そうでしょうかFredyさん。人間同士というのは時間をかけて
理解しあうものです。ここで貴女と知り合った時間はほんのわずかです。
また私が貴女に望んでいることは、貴女に真実があるなら、貴女が言われた支部環境がまだ存在し尚かつそこで苦しんでいる人がいるのであるのであれば、
その方達を共に助けてあげて欲しいと言うことです。
そうした事実があるなら私もそこへ行きますよ。なぜなら苦しんでいる人が
いるのに知らぬ振りは出来ません。ましてや同じ信仰を持つ仲間です。
Fredyさんは今は違うでしょう。でもかつては同じ M仰を持った
仲間ですね。また現在は残念ながら違いますが、同じ日本人であり地球人
です。貴女の勇気に期待します。
(これは fredy99 さんのMsg 2829 に対する返信です )


2832 件目  最後に、ごめんなさい。そして、ありがとう!   fredy99    (45歳/女性/梢) 2000年1月19日 20時58分

他の会員の皆様にもいろいろ学ばせて頂き、本当にありがとうございました。

また、ここに新しくROMされている方々にお勧めしたいのは、ぜひ
ELRANTYさんのMsgをお読み頂いて参考にして頂きたいことです。

私と違ってとても論理的でシャープでわかりやすく書かれています。
最後のMSGは、2317です。

最後に、ここで出会ったすべての皆様に心から感謝いたします。
未熟な私の、未熟なワープロ技術と書き込みにお付き合い頂きましてありがとうございました。

お顔も姿もみえず、私には本当に初めてのコミュニケーション体験でしたが、
貴重な経験でした。

『いま目の前にひらけている世界に 限りない神秘と感謝をかんじつつ
常に新しい未来に向けての創作に 等身大にコミットしていこう...』
どうぞ、お元気でお過ごしください。   失礼いたします。
(これは fredy99 さんのMsg 2830 に対する返信です )


2833 件目  幸福の科学における修行   iroiroarimasu    2000年1月19日 21時10分

さて悪魔の起源に行くまえに幸福の科学の修行について少し書いてみましょう。
幸福の科学では、「仏法真理を学習し、その内容を理解し、それによって
自分の心をよく調えることを、日々実践していきさい。」ということです。
方法論は簡単なようですが日々実践し持続することは非常に難しいですね。
極めて常識的で日常的な修行方法ですから、また修行が進んでいるかどうか
ということが、他の人々から監督されているわけではありません。全ては
自己管理に任されており、怠けるの、精進するのも自由です。
そして仏法真理を深く理解するためには幸福の科学で出版されている書籍は
勿論のこと、それ以外の書籍からも学ぶことがすすめられています。
また書籍以外にも人間関係や仕事の中にも学ぶ材料はたくさんあることは
言うまでもありませんね。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2828 に対する返信です )


2834 件目  さて修行のなかで   iroiroarimasu    2000年1月19日 21時20分

さて幸福の科学では全ての会員が菩薩へのみち、つまり天使になれるように
期待されています。また幸福の科学以外にもその様な方たちがおられますの
で、そのような人達を理解することもユートピア建設には当然必要になります。そして、天使の条件を考えるにあたり2つの方面からのアプローチを紹介させていただきます。
まず「地獄的なものを遠ざける」ということから紹介いたしましょう。

皆さんの心の中にある地獄的なるものとはなんでしょうか。幸福の科学の
数々の書物や講演で、読んだり聴いたりしたことを材料として、自分の心の
なかにある地獄的なるものを見いだすことができるでしょうか。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2833 に対する返信です )


2835 件目  地獄的なものを遠ざける   iroiroarimasu    2000年1月19日 21時36分

みなさんは「自分は非常に複雑な人間である」と思っているかもしれません
が、心のなかの地獄的なるものを紙に書き出してみると、意外にシンプル
(簡単)なものになってしまいます。箇条書きにしたとすると、せいぜい10項目か20項目のなかに貼ってしまうでしょう。右か左にしか切れない
自動車のハンドルのように、人間の考え方や行動というものは一定の性質を
持っているものなのです。したがって、間違いの多くはわりと簡単なところ
に原因があるので、そうした原因をあらかじめ自覚していることによって
、間違いを避けることができるようになります。

実際に箇条書きにしてみますと本当に良く解りますよ。(^^;;
私も自己点検にこの方法を使います。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2834 に対する返信です )


2836 件目  地獄的なるものを遠ざける2   iroiroarimasu    2000年1月19日 21時43分

以下では、間違いの原因となる性質た考え方のうち、代表的なものをいくつか
検討してみましょう。

1.人を責める思いと地獄霊
私は過去に何百何千という数の地獄霊を見てきましたが、地獄霊に共通する
特徴がとして、最初に思い浮かぶのは、人を責める思いが極めて強いということです。人を責める思いをさらに分解してみると、先ず、恨みに思う心、
あるいは被害妄想的な感覚がきわめて強いのです。つまり「自分がいま幸福で
ないのは、他人に害されたからだ」という考え方です。そして、その人が
念の強いタイプの場合は、他人に害されたという思いが、積極的に他人を恨んだり攻撃したりする気持ちになり、一方、念の弱いタイプの場合は、自己卑下的な方向に行くことになります。何れにしても他人のせいにする傾向が極めて強いのです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2835 に対する返信です )


2837 件目  地獄的なるものを遠ざける3   iroiroarimasu    2000年1月19日 21時49分

もちろん、他人のせいにする考え方の中にも、一部は合理的で正当性が
ある場合があります。世の中には明確に間違ったことをする人もいるからです。そして悪い結果が現れ、それが自分に影響を与えるだけでなく、まわり
の人にも迷惑をかけることになります。
その場合、その人に注意を与え、改善を求めること自体は、決して
悪ではありません。社会において共同生活をし、一つの目標に向かって
みんなが努力しているときに、それを阻害するようなことをする人に対して
、「是々非々」で臨むこと自体が悪いわけではありません。
ただ、「自分かわいさの観点だけで物事の善悪を見ている場合には、その思い
は悪に転化していく」ということを知らなければなりません。
ここがポイントです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2836 に対する返信です )


2838 件目  地獄的なるものを遠ざける4   iroiroarimasu    2000年1月19日 21時57分

幸福の科学の基本的な教えのなかには、「与える愛」と「奪う愛」という考え方がありますが、自分かわいさのために人を非難する場合、これは奪う愛の
方向であり、地獄的な思いになっているのです。
一方、与える愛の気持ちから、他人の間違いを指摘して、その人を善き方向へ
導こうとする行為が、決して地獄的なる行為ではありません。天使たちのなかにも、間違いを厳しく指摘して指導する霊人がいます。それは根底に愛が
あるから許され、是とされるのです。
「世の中の人がすることは全て善いことだから、野放しにしおいてよい。」と
いうわけでは決してありませんが、「善悪を見る目において、与える愛の側
に立っているか。それとも、奪う愛の側にたっているか」ということを、よく
知らなければならないのです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2837 に対する返信です )


2839 件目  地獄的なるものを遠ざける5   iroiroarimasu    2000年1月19日 22時4分

自分の心の中を見たときに、奪う愛の側に立っていて、他 lを責める気持ちが非常に強かったならば、地獄に行く可能性がかなり高いと思わなければなりません。自分が地獄に行くかどうかは、他人から指摘されるまでもなく、自分
自身の心に問うてみれば分かることなのです。
人を責める思いが非常に強く、一日のあいだに去来する思いなかで、そうした
気持ちが占める時間がかなり長いようならば、その心は地獄に通じている可能性が高いのです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2838 に対する返信です )


2840 件目  地獄的なるものを遠ざける6   iroiroarimasu    2000年1月19日 22時12分

2.粘着型を克服する
人を責める思いから逃れるためには、どうすればよいでしょうか。
もちろん、反省という方法が王道です。
ただ、物事をしつこく考える粘着型の性格の人は、こだわりすぎるきらいがあるので、反省に入る前に、もっとあっさりとして性格になる必要があります。
こうしたタイプの人は、死後数百年たっても、あるいは千年2千年たっても、
同じことを言っています。生前の自 ェが他人から受けた悪意や危害、不幸などについて、5百年も千年もしつこく言い続けているのです。
自分の性格を見て粘着型だと思うならば、そうした世界に行きやすいタイプで
あることを覚えておいてください。しつこくて恨みがましいタイプというのは、はっきり言えば”化けて出る”タイプなのです。
したがって、自分はそうした傾向が強いと思う人は、「もっとあっさりしよう。さばけた目で見よう」という努力をしてみてください。1年ぐらい努力すると、わりと簡単に、さばさばとしたものの見方ができるようになります。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2839 に対する返信です )


2841 件目  地獄的なるものを遠ざける7   iroiroarimasu    2000年1月19日 22時23分

いつも同じことにこだわっている自分に気がついた時には、「これについては少し考えすぎた。考える時間が長すぎる。これについて考えるのをいったん
やめて、暇なときにでもまたかんがえよう」と思い、こだわっている事柄を
少し脇に置いて、より積極的なことを考える訓練をしてみてください。そうすると、しだいにあっさりした性格になっていきます。
あぅさりしたものの考え方ができる人は、たとえ失敗などがあっても、立ち直りがわりと早いのです。立ち直れば、また歩き始めることが出来ます。
道で転んだときに、「痛い、痛い」と言って、いつまでも泣いていては、しかたがありません。泥を拭って、また歩きはじめるのがいちばんです。いつまでも痛がっていたり、他人の同情を請うたりしていると、日が暮れてしまします。やはり、いち早く元の姿に戻って、また歩きはじめることが大事なのです。他人を責める傾向が非常に強い人は、まず、「さっぱりした性格になろう。あまりこだわらない性格になろう」と思うことです。これだけでも地獄に
行かずにすむ可能性がかなり高くなります。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2840 に対する返信です )


2842 件目  地獄的なるものを遠ざける8   iroiroarimasu    2000年1月19日 22時32分

そして、ある程度、粘着型の性格を克服できたならば、第3者の目で自分を ゥて、「自分の悪いところは、こことここだな。したがって、ここはこうしよう」というように、反省に入ってみて下さい。こだわる時間を短縮していけば
、暗い人生を生きなくてもよくなると思います。自分が間違ったときには、さばさばとした気持ちで、「すみませんでした。私の間違いでした。以後気をつけます。今後はこのようにします」と言ってしまえば、ほんの数秒で終わることなのです。それが出来ないために、苦しみを1年も2年も引きずり、生きている時だけでなく、あの世に還ってまでも苦しむ人がいます。しかも、自分ひとが苦しんでいるだけでは納得いかず、仲間を増やそうとして、自分の考えに
賛同する人を引き込み、さらにはあの世の人だけでは足りずに、この世の人までも引きずり込みます。こうした人が大勢いるのです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2841 に対する返信です )


2843 件目  : 地獄的なるものを遠ざける9   iroiroarimasu    2000年1月19日 23時42分

皆さんも、自分の心に問うてみれば、こうしたことの痕跡が多少あるはずです。自分が失敗や間違いをしたり、他人から辱められたりして、「このままではプライドが許さない」と思うようなときに、「すみませんでした」と素直に言える人は、たいしたものです。
しかし、たいていは、その一言が言えずに、「自分は悪くない」と開き直り、
次には、「それはOOさんのせいである」と言うことを言い始めるのです。
そして、それだけではまだ心の傷がいえなくて、仲間を引き込みはじめます。
自分の言い分に賛同する人を引っ張ってきて、徒党を組み、「あの人が悪かったのだ」「ああしたやり方が悪かったのだ」と言い始めます。
これが悪魔の起源です。自分ひとりだけが傷つくのは嫌なので仲間を増やし、
自己を合理化しようとする気持ちは、天国と地獄が分かれ、悪魔たちが出現し、彼らが徒党を組んで活動しはじめる原因なのです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2842 に対する返信です )


2844 件目  >fredy99   iishirase    2000年1月20日 4時52分

(^_^)

(これは fredy99 さんのMsg 2832 に対する返信です )


2845 件目  地獄的なるものを遠ざける10   iroiroarimasu    2000年1月20日 5時28分

ある意味では、彼らは非常に弱い人たちではあります。しかし、自分ひとり
の責任として受け止めることができずに、それを仏神の責任にし、それだけでは気がすまないので、仲間を集めて大勢で反抗しようとするのは、人間の心のなかにあるいちばん卑劣な部分です。
したがって、自分にも同じ様な傾向があると思ったならば、そうして習性を
よく注意して見ておくことです。
悪魔になって徒党を組み、地上を混乱に陥れるか、「申し訳なかった」と
誤って、自分のやり方を改めるか、どちらをも選ぶことができます。
しかし、どちらを選んだかによって、結果は大きく異なったものになるのです。
人間として生きている以上、間違いはいつもつきものですが、いつでも自分の
間違いを正せる人は立派な人です。頭を下げることによって、その人の値打ちが下がることはありません。むしろ、鼻高々で上を向いていると、値打ちが
下がることのほうが多いのです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2843 に対する返信です )


2846 件目  転落の原因・悪しきプライド   iroiroarimasu    2000年1月20日 5時35分

地獄的なるものの一番目として、他人を責める傾向について述べましたが、2番目はプライドの部分です。これはどうしても述べておかねばなりません。
といっても、プライド自体は自尊心から出ているものなので、本来は決して
有害なものではありません。自尊心を持つことは大切なことです。
自尊心とは「自分は立派な人間だ」と思いたい気持ちのことであり、そう思いたいからこそ、向上心もわいてくるのです。自尊心の根本にあるものは、「人間は仏の子である」という思想であり、「仏に近づきたい」という気持ちだと
思います。したがって、プライド自体が悪いわけではありません。ただ、プライドが人間の自然な感情から離れて、自分の顔に張りついた仮面のようになってくると、これが一つの独立した存在として仕事をしはじめ、本来の素直な
心から遊離していきます。これが飛翔に恐いことなのです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2845 に対する返信です )


2847 件目  転落の原因・悪しきプライド 2    iroiroarimasu    2000年1月20日 5時44分

すいません。最後の部分は「これが非常にこわいことなのです。」が正しく
「飛翔」は間違いです。訂正させていただきます。m(−−)m

イエスが「幼子のごとくでなければ天国には入れない」(「マタイによる
福音書」18・3)と説いた理由もここにあります。
人間は数十年の人生を生きてくると、地位や収入、評判などによって、自己確認をするようになってきます。ところが、名詞に書いてある会社名や役職が、しだいに自分そのもおになってくる場合があります。
こうなると恐いのです。自分が自分でなくなってくるからです。ある意味では、自分というのもが、値札をつけて棚にならべられたいる商品のようになってきているのです。それではいけないわけですが、本人はなかなか気がつきません。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2846 に対する返信です )


2848 件目  転落の原因・悪しきプライド 3    iroiroarimasu    2000年1月20日 5時50分

この数十年、私はいろいろな人を見てきましたが、途中で転落していく人は
、ほとんどがプライドのところに原因がありました。単純なこの一点で転落しています。柔軟な心があれば、そうはならないのに、柔軟な心を持ち続ける
ことができないのです。
いろいろ事態が起こっても、常に自分を変えていくという、柔軟な心を
持っていればよいのですが、そうした心がないと、顔に塗ったパックが
がちがちに固まって取れなくなったようなものを、「これが自分自身だ」と
思うようになってしまいます。素肌というものは弾力性があって柔らかく、
変化にに富むものですが、これをパックで固めてしまうと、がちがちになって
しまいます。そして、それを「自分だ」と思うようになるのです。
しかし、そうであってはいけません。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2847 に対する返信です )


2849 件目  転落の原因・悪しきプライド 4    iroiroarimasu    2000年1月20日 6時0分

すべてのものは変化し、変転していきます、その変化のなかで、竿を巧みに
使って川下りをするからこそ、人生の喜びはあるのです。変化にともなう、そうした喜びを知らねばなりません。自分で自分を固めて、それ以外には変化できない自分をつくってしまってはいけないのです。
実はプライドが原因で転落していく人のほとんどは、プライドと能力とのあいだに、だんだんギャップ(隔たり)が生じ、それが埋められなくて、そこに魔が入ってくるという傾向が非常に強いのです。
会社でも発展期には、「現状維持は即脱落」となりやすいものです。
組織の拡大に応じて役職者の実力も向上していかなくては、必ずギャップ
ができてくるものなのです。現在の自分の実力と要求されているものとの
あいだに、差が開いてきたことが見えず、自分の地位や役職にこだわって
いると、完全に転落への道になります。過去、そうした姿をいくつか見てきた
人もいるでしょうが、「それは自分の将来の姿かもしれない」ということを
よくよく知っておいてください。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2848 に対する返信です )


2850 件目  弾力に富む心を、持つ   iroiroarimasu    2000年1月20日 6時8分

その意味では、発展には罪なところもあります。しかし、発展を選ぶ以上は、
覚悟しなくてはなりません。

さてどうしたら転落することをふせげるのでしょうか?
以下からは弾力に富む心を持つという教えをご紹介します。

転落しないためには、柔らかい心をいつも持っていることが大切です。
柔らかい心を持っていれば失敗はありません。ただ、弱くてはだめです。
柔らかくても弾力に富んだ心が必要なのです。
以前、子供のおもちゃに、「スーパーぼーる」というゴムボールがありました。そのボールは柔らかいけれども弾力に富み、力いっぱい投げると衝撃力も
あります。そして壁や床にぶつかっても、壊れずに跳ね返ってきます。
このように、弾力に富み柔らかくけれども強い心を持たねばなりません。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2849 に対する返信です )


2851 件目  : 弾力に富む心を持つ2   iroiroarimasu    2000年1月20日 6時15分

したがって、プライドのところに引っかかって苦しみはじめたならば、
「自分の心は少し固くなっているのではないか」と考えてみてください。
瀬戸物のような固い心になってはいないでしょうか。瀬戸物は壁に投げつけられると、粉々に割れてしまいます。しかし、柔らかくて弾力のあるゴムボール
のようなものであれば、壁に思いっきり投げても跳ね返ってきます。いったんはひずみますが、跳ね返って必ずもとどおりになります。こうした心を持っていれば転落はしません。

考えてみれば、人間の一生は修行の連続なのですから、たとえどのような場面
が現れてこようとも、「新しい修行課題が与えられたのだ。自分にとって新しい修行の局面が訪れたのだ」と思っていれば、人生は楽しいことばかりなのです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2850 に対する返信です )


2852 件目  弾力に富む心を持つ3   iroiroarimasu    2000年1月20日 6時25分

たとえ、勤めていた会社が急発展して、あとから中途入社した人たちが、先に
出世していくうようなことがあったとしても、人生修行の観点からは、なんら
落胆には及びません。辛抱強く、「一兵卒として、”ボール拾い”をしたい」というような気持ち持っていれば、また出番が回ってくることもあるのです。
したがって、どうか固い心を持たずに、柔らかく弾力に富む心を持ってください。簡単なことですが、これは地獄霊にならないための条件なのです。
瀬戸物のような心を持っていれば、やがてはパリンと割れて地獄行きです。
一方、柔らかい心を持っていれば、地獄に行かずにすみます。それだけの
ことです。しかし、自分が窮地に追い込まれると、心がどんどん固くなり
、狭くなっていく人が多いのです。そうしたときには、どうか柔らい心を持っていただきたいのです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2851 に対する返信です )


2853 件目  弾力に富む心を持つ4   iroiroarimasu    2000年1月20日 6時29分

プライド自体は大切なものですが、そのプライドを瀬戸物のような固いものに
するのではなく、弾力性のあるものに変えてください。どのような壁があっても避けたりせず、壁にぶつかっても必ず跳ね返って、本来の自分を取り戻す
ことが大切です。
そうしたゴムボールのようなプライドを持っていれば、どこまでも
向上していくことが可能なのです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2852 に対する返信です )


2854 件目  優れたものに学ぶ   iroiroarimasu    2000年1月20日 6時39分

さて幸福の科学内においてもこのようなことは多々ありますね。
色々な人が集まりますからね。
最後は優れたものを学ぶを一部ご紹介します。

幸福の科学においては、自分より優れた人が自分のあとから入ってくること
もたくさんあります。ところが、固い心を持っていると、優れた人があとから
入ってきても、その人から学ぶことができません。「自分のほうが修行は
進んでいるのだ」と思っていると、相手から絶対に学べないのです。
その結果、心のなかで目に見えない一つの闘いが起こります。あとから来た優れた人を認めないか、それとも自分が意気消沈してしまうか.....この
どちらかになり、結局、両方とも不幸になってしまいます。
そうではなくて、「先輩からも後輩からも、優れたものを学んでいこう」という気持ちが大事なのです。
また年齢に関係なく、それぞれの魂の霊格は異なるので、「どのようなところに、どの様な優れた人がいるのか分からない。優れた人が出てきたならば、その人から学ぼう」という気持ちを忘れないでいただきたいのです。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2853 に対する返信です )


2855 件目  ながながとすいません。   iroiroarimasu    2000年1月20日 6時47分

以上、ながながと幸福の科学の教えのいったんをご紹介させて
いただきました。

地獄ということについてご理解いただけたでしょうか?
地獄とは自らの心の傾向により発生するものでもあるのですね。
ですから日々、心の点検をしていくことを行えば、地獄なんかは
関係ないのですね。恐怖により人を縛ろうとする行為そのもが
既に地獄行きです。
地獄にいく原因が理解されれば恐れることは何もないのです。
心が全てであり、その管理は全て自己に委ねられているのですね。
何人もその人の心を侵せることは出来ないのです。
それをご理解いただければと思います。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2854 に対する返信です )


2856 件目  ”自助努力”   masshi_26    2000年1月20日 12時18分

>アクセルとブレーキです。永遠の仏陀にはそれが書いてあるんでね。

「永遠の仏陀」は深いので、さらっと読んだだけでは、到底解りませんね。
釈尊の言葉に「法を見るものは我を見る、我を見るものは法を見る」というのが
あります。仏とは法であり、法とは仏のことである。
この法とは、悠久の フから流れ続けている仏法真理であり、
また、仏教では「法とは縁起であり、縁起とは空である」とも言われます。

すべては変転し移り行くものであり、すべては自分一人で存在できるもの
ではなく、多くの人間や動植物、社会環境と密接に関わって存在しています。
諸行無常であり、諸法無我です。
縁起の理法、宇宙の法則に目を背け、それに則って行かなければ、
滅亡するというのは、たしかに怖い話かもしれませんが、
この根本の法が、すべてを支配し、すべてを存在たらしめ、
最終の権限を握っています。

では、ここに存在している自分はどうすれば良いのか、
その法に従って生きること、縁起の理法に則って生きることですね。
幸福の科学では、縁起の法とは”自助努力”のことであると
教えられていますね。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2826 に対する返信です )


2857 件目  お好きです   masshi_26    2000年1月20日 13時4分

マルクス・アウレリウスの自省録ですが、日々心に浮かんだことや
深い思索の過程をぽつぽつと書き記しているのを思い浮かばさせる
ところがいいですね。
ストア哲学は自分の内面をしっかりとさせる、自己確立の方法を示して
くれていると思います。まさに不動心ですね^^。

>この方って修辞的な表現の戒めをしてますが、本人とてもいい表現して
>ますよね(^^)なんでだろ?

そうですね、ハートに来ますよね。
哲学的に留まらず、芸術的センスもかなりあるように思います。
そこがルソーとの共通点かもしれません。

>マッシさんのお勧めの本のいい句ってあります?

幸福の科学以外では、最近は、あまり心に
染み入らないものを読んでますので、詩句はまたの機会にでも。
哲学とか経済とか・・・ですからね、ハートに潤いがないかも;;。
(これは shihann23 さんのMsg 2745 に対する返信です )


2858 件目  面白いかもしれません。   iroiroarimasu    2000年1月21日 0時25分

Masshiサン、面白い本がありますよ。
角川から出 トいるのですが
「イエスは仏教徒だった?」と言う本です。

イエスの教え、または聖書に流れる仏の教えを取り上げています。
そして、当時の文化交流や通商などのあり方からインドの宗教が
イエスも学んでいたということを論じています。
またイエスの中道の感覚も述べられております。

またキリスト教では異端とされている「マニ」についても
触れられています。グノーシス派についても少しあります。
ここまでいうと幸福の科学の会員でしたら読みたくありませんか?(^^)

また原イエスと創られたイエス像ということも書かれています。
結構、クリスチャンの方には刺激的な本です。(^^;;
でも一理あるところもあり面白いです。お奨めします。
(これは masshi_26 さんのMsg 2857 に対する返信です )


2859 件目  RE:”自助努力”   iroiroarimasu    2000年1月21日 0時36分

永遠の仏陀は本当に深い本ですね。厳しいこともありますが
仏が如何に我々を見守られているかも書かれて ィります。
その思いの暖かさにには感動します。

幸福の科学の基本は
「仏」とその教えである「法」とそれらを学ぶ「僧団」たち
からなりますね。そして僧団のもとに在家修行者が集まるのですね。

そして、大前提は仏とその子たちなのですね。本来、天にいる仏が
地上に生まれてその子たちとユートピア建設に励むのですね。

親子で頑張るわけです。この親子という関係は絶対でありこの関係が
破られことはないんです。ですから親に叱られることは悲しいときも
ありますが、その愛情が理解できれば逆に励みにもなるのですね。

たまに親の心を知らない、または解らない子もいますけどね。
親の愛情は深いのでいつか必ず理解出来る日が来るはずです。

それまで自助努力ですね。
(これは masshi_26 さんのMsg 2856 に対する返信です )


2860 件目  会員でしたら   masshi_26    2000年1月21日 13時18分

>ここまでいうと幸福の科学の会員でしたら読みたくありませんか?(^^)

読んでみようと思います^^。

そういえば、「仏法真理学検定試験」が間近ですね^^。
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2858 に対する返信です )


2861 件目  今もある現状   masshi_26    2000年1月21日 13時20分

Fredyさんが言っている「今もある現状」というのは、
特に問題のないレベルの事柄だと思いますよ。
彼女の話を読んでいましたが、今もある問題点は、ご本尊貸付及び植福係の人、
祈願のあり方の事くらいです。
それをおかしく感じるか、感じないかの問題でしょう。
たしかに、方便にも限度があるし、そのやり方に異論が出てくることはあると
思うのですが、当事者の方たちは喜んでいることが書かれていますからね。
(これは masshi_26 さんのMsg 2860 に対する返信です )


2862 件目  今もある現状 2    masshi_26    2000年1月21日 13時22分

彼女の「状況によってそのような(思考停止する)可能性がある」と言うのは、
よく解らない言葉ですが、「何らかの危険性がある」ということでしょうね。
危険性と言えば、世間に対する危険性、政治に対する危険性
などが考えられますが、逆に状況によっては、世間の危険性や
政治の危険性もありますね。
宗教の理想というのは、ただ単に世論に迎合することで、信奉者を増やすこと
を理想とするのでもなく、ただ単に政治に利用されて堕落するのを理想とするもの
でもありませんね。
そのなかにある善きものを推し進めることもあれば、
悪しきものを推し止めることもあるのが、菩薩や偉人たち、宗教の仕事ですね。
(これは masshi_26 さんのMsg 2861 に対する返信です )


2863 件目  中道の教え   masshi_26    2000年1月21日 13時24分

「この世にとらわれる人は、あの世を見失い、
あの世にとらわれる人は、この世を見失う。
肉にとらわれる者は、霊を見失い、
霊にとらわれる者は、この世の足場をなくす。
形にとらわれる人間は、本質を ゥ失い、
本質に熱中する人間は、この世の現実に蹉跌する。」

幸福の科学の教えは、合理主義思想もふんだんに含まれているので、
神秘的なもののみに安住するような道が説かれているわけではありませんね。
中道論が出ていましたが、「中道」という言葉を用いずに、
中道の教えが説かれているのがミソですね
(これは masshi_26 さんのMsg 2862 に対する返信です )


2864 件目  学んでいて思うこと   iroiroarimasu    2000年1月22日 0時51分

学んでいて思うことは、やはりスケールが違うということですね。
その場での幸福も大切ですが、もっと味わいのある深い喜びを
教えてくださっているように思います。
(これは masshi_26 さんのMsg 2863 に対する返信です )


2865 件目  仏教の理念「智慧と慈悲」が学べますね   masshi_26    2000年1月22日 18時26分

>学んでいて思うことは、やはりスケールが違うということですね。
>その場での幸福も大切ですが、もっと味わいのある深い喜びを
>教えてくださっているように思います。

魂が輝く喜びがありますね((((^^))))。
自分が本来持っている素晴らしいものを発見する喜び。
自分や人間、世界の事がだんだんと解ってくる喜びがありますね。
認識力が高まること、智慧が深まる喜び、向上する喜びがありますね。

さらに、他人や世界のなかにある素晴らしいものを発見する喜びがありますね。
人間が単なる物質の塊ではなく、御互いが素晴らしいもの、
価値あるものであるからこそ、そこに愛や慈悲の思いも生まれてきますね。

「法語はこれ真理にして
人の生命(いのち)を輝かす
仏の慈悲の結晶なり」(正心法語)
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2864 に対する返信です )


2866 件目  RE:仏教の理念「智慧と慈悲」が学べますね   iroiroarimasu 2000年1月22日 19時59分

そうですね。またここで少し慎重になりたいのは伝統仏教のおおもと
になるのは釈尊の教えであると思います。
そのご本人から再度学ぶことが出来るのは有り難いことです。
また本人論争などがおきるのは仕方ないですが、これは教えをしっかり
学ぶことだと思います。

さらに教学ということだけでなく、つまり知識の詰め込みだけでなく
、それを実践の場で生かすことが大切ですね。
また、この世のみならず、あの世にも通じる学びが出来ますね。
睡眠中の学習ですね。この世では睡眠状態ですが、本当はあちらに還ること
でエネルギーの供給と学びがあります。
あの世とこの世は全く別の世界ではありませんからね。そのことを
学ぶことで人生の広がりがでますね。
(これは masshi_26 さんのMsg 2865 に対する返信です )


2867 件目  それを裏付けるかのように   shihann23    (若すぎ歳/男性/沖縄) 2000年1月22日 22時59分

今晩は、お久しぶりですね。
その話に関連していると思いますので。

>この世では睡眠状態ですが、本当はあちらに還ること

そうですね。それを裏付けるかのように心理状態に応じた夢などを
見ますよね。これはあの世に戻っていて「波長同通の法則」にしたがっているのでしょうね。
それによって今の心の状態が再認識できますね。
すべての夢がそうでないと思いますが、その場合もあるでしょうね。
睡眠を摂らないとどんなに養分を補ってみても疲れは取れませんね。
また、不思議と精神的にも傾いてきますね。疑い深くなったり、
心が荒れ果ててしまいますね。
そのような意味でもやはり睡眠によって「光のエネルギー」補給してい
るとも考えられますね。

私が少し疑問に思うことがあるのですが何故「体だけの疲れ」や「心だけの疲れ」では睡眠に就けないのでしょうね?
ハマトンも「Interectual Life」で同じようなことを言ってますね。
「両方疲れる」ということがやはり「中道」になるのでしょうかね?
どうでもいいかもしれませんが・・・・
(これは iroiroarimasu さんのMsg 2866 に対する返信です )


2868 件目  どうしでしょうね?   iroiroarimasu    2000年1月23日 0時17分

さて、どうしてでしょうね?
shihanさんが疑問に思われる設定がいまいち掴めません。(^^;;

体の疲れでも昼間に疲労して、例えば運動して、疲れた後に直ぐ寝てしまうの
も困りますが...。(^^;;
まあそう言う意味では無いとと思いますけどね。(^^;;

あちらに還るという感じが掴めるまでには多少意識する必要が
有るかも知れませんね。

私は以前、あちらに還ったら「飛ぶぞ!!」と決意して寝ました。
さてあちらに戻り、都会の中に広い緑いっぱいの公園があり
、ここならいけるぞという感じでしたので「勇気」をだして
飛んでみました。すると、最初はぎこちないのですが、慣れると
飛べるんですね。気持ち良いのですが、まだ意識は3次元を
引きずるんでしょうか体重を考えてしまうと次第に高度が下がるんです
ね。(^^;;
まあ人間とは何と面白い存在なのかとつくづく思う次第です。
(これは shihann23 さんのMsg 2867 に対する返信です )


2869 件目  こんにちは   tt_11    (20歳/男性/jp) 2000年1月23日 0時47分

こんにちは
2CHの「宗教掲示板」から来たのですがそこでいろいろ
幸福の科学の教義の矛盾点について聞いたんです。
それについてお聞きしたいんですが
以前は大川氏は自分は14次元存在とおっしゃってたそうですが、
9次元ではないのですか?
また信長、秀吉、家康が転生していると主宰の著書で
読みましたが信長だといわれた小林興起氏は落選し
家康である住博司氏は亡くなられたそうですが
それについてどのようにお考えでしょうか?
また、角川春樹氏は 毘沙門天で過去世は関羽雲長→
逮捕されると「魔界の出身」
などいろいろ矛盾があるようなんですが。

自分は一年前に入会した者でして、2度程行ったきり
事情で集まりに参加してません。
(これは shihann23 さんのMsg 2867 に対する返信です )


2870 件目   こんにちは。   iroiroarimasu   2000年1月23日 11時25分

tt_11さん、初めまして。
私も会員ですが、色々なところで色々な解釈をする方が
いるのも確かですが、よくお話を伺うと、学んでいないところも
多い方いるようです。
そこでせっかく会員になられたのですから、まずは自助努力
で書籍を色々と読んでみて下さい。

あと神格があるかたでも菩薩界ぐらいですと、この世の中で
生まれる前に立てた計画を完全に遂行するのは難しいところが
あるようですね。それだけ修行のしがいあるのが、この3次元
世界のようですよ。過去世は過去世です。過去に優秀だから
同じように人生を歩けるとは限らないのがこの世界です。
時代が進めば、それだけ課題も増えていくようで、過去世以上の
努力・精進が求められるようですね。
( これは tt_11 さんのMsg 2869に対する返信です)


2871 件目  今度、飛んでみます^^;   masshi_26    2000年1月23日 20時4分

>私は以前、あちらに還ったら「飛ぶぞ!!」と決意して寝ました。

そうか、今度飛んでみよう^^;。
これも自助努力なのだろうか・・・^^。

睡眠中以外でも、瞑想や禅定によって、実在界と交流することができますね。
心の調和が必要になりますが、エネルギーの供給がありますね。

喫茶店で読書することが好きなのですが、ふと見渡すと、結構瞑想してる人が
おります。
(と言っても、はたから見ると目を瞑っているだけなんですが^^;)
それは精神的な疲労を和らげるために自然に行っているんでしょうけど、
エネルギーを供給をしているとも言えますね。

誰でも多少は瞑想の心得があると言えますが、きちんと自覚して行うと
また違った深い瞑想に入ることが出来ますね。
iroiroarimasuさんは、クラシックをやっているので、
クワイエティズム、静寂なる幸福、平静心から来るなんとも言えない幸福感
というものは、よくご存知なのではないでしょうか。
これを一度経験するだけでも、人生の広がりが出てくると思います。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 2868 に対する返信です )


2872 件目  そうですね。   masshi_26    2000年1月23日 20時45分

>そうですね。またここで少し慎重になりたいのは伝統仏教のおおもと
>になるのは釈尊の教えであると思います。

そうですね。まあ個人的には、経験上からですが、伝統宗教が
形式化してしまっていることなどに少し不満を感じたりします。
なので、「宗教の新しいかたち」を表すことが望まれると思います。
でも、慎重さと謙虚さを忘れず、努力して行かねばなりませんね。

>さらに教学ということだけでなく、つまり知識の詰め込みだけでなく
>、それを実践の場で生かすことが大切ですね。

そうですね。さらに実践の場で生かすためには、教えを深く学び、
理解して、腑に落とすことが必要ですね。
また、実践を通して解ることもありますね。

また、信仰心の確立も大切ですね。
ただ仏神を信じ、ただ仏神を愛するというだけでも、ただそれだけであっても、
それが本物であれば、自然に自己変革の意欲が沸いてくるもの
だという気がします。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 2866 に対する返信です )


2873 件目  私も飛びたいな   shihann23    (若すぎ歳/男性/沖縄) 2000年1月23日 20時46分

色々さんに変な疑問をふっかけてしまって申し訳ないです。
過去私がそうだったり今私の友人がそういう方多かったので一
般的な方へのアドバイスを聞きたかったのですがわかりにくい質問をしてしまったようですね(^^;反省
さて、実は私も行き付けの喫茶店がありましてよくそこで読書をしています。
そういう方が多くいらっしゃる空間というのはある種の神聖なものを感じますね。
また、私もよく思索のためにその喫茶店で瞑想のようなものをします。
その時の幸福感がたまらないですね。
心に執着というものを感じないことによる静寂はいいものですね。
ちょっと今忙しいので本を読んだりすることができないのでちょっと不満
かな?これも執着だったりして(^^)
話は変わりますが武道でも違った方向で静寂を求めますね。
相手の懐に入っていく時、余程の心の波を静めないと周りが見えなくなります。その時平静心で 「ればあらゆる物が見えてきて勝機が見出せますね。
やはり心が静寂でいることは認識の広さや、行動の自由さを大きく左右する要因になるのかもしれませんね。
 (これは masshi_26 さんのMsg 2871 に対する返信です )


2874 件目  信仰の証明   shihann23    (若すぎ歳/男性/沖縄) 2000年1月23日 21時10分

>そうですね。さらに実践の場で生かすためには、教えを深く学び、
>理解して、腑に落とすことが必要ですね。
>また、実践を通して解ることもありますね。

そうでしょうね。やはり本当に深く学ぶためにはあらゆる方面から信仰の証明を行うことが重要ですね。
つまり実践でしょうね。
実践することなくして信仰は成り立たないかもしれませんね。
「知る」事と「行う」事はまさに不即不離の関係なのかもしれませんね。
本当の意味で仏神を愛するのなら行動でまず示してみたいですね。
その手段は本当に個人個人の自由でしょうし、その為に創意工夫をしていく中に喜びを見出せるでしょうね。
多くの方がそれぞれの手段によって法を体現なさろうとしている姿は
勇気付けられるものがあります。
私も私なりの方法で多くの方を幸福にできるように頑張りたいですね。
 (これは masshi_26 さんのMsg 2872 に対する返信です )


2875 件目  掲示板   ahokusai    2000年1月24日 1時3分

ここにも幸福の科学についての掲示板がありますので、遊びに来てくださいね。特に会員の人。

2ちゃんねる 宗教 「幸福の科学って最近聞かないけど」
http://2ch.net/2ch.html
 (これは kyully さんのMsg 1 に対する返信です )


2876 件目  これは   iroiroarimasu    2000年1月24日 1時53分

飛んでみようというのは遊びですね。(^^)
色々やってみるのも良いのではと思い行ってみました。(^^;;

クワイエティズム、静寂なる幸福というのは音楽の種類にもよりますが
経験出来ますね。マーラーには特に私はそれがあるように思います。
激しいところもあるのですがかなり深く心を調律できます。
また水沢さんはさすがに凄いですね。

また仕事柄、音楽再生に携わりますが、あるレベルを超える再生が
出来ますと音は体に染み込み爽やかに抜けていきます。
ここまで来るとかなり体の疲れも癒え、エネルギーの充電が出来ます。
東京南部支部はそこそこのレベルのあると思います。
そう言う意味では宇都宮、正心館ははっきり言って「未だ」ですね。
PA的で静寂なる空間にふさわしい再生が出来ていないように思います。
あの霊的なる空間に凄さに負けていますね。(^^;;
東京正心館は霊的には当然ですが、素晴らしい音響空間に仕上げて
頂きたいですね。
 (これは masshi_26 さんのMsg 2871 に対する返信です )


2877 件目  もっと詳しくお知らせ   mainitikou77    2000年1月24日 7時31分

しますので、ぜひ遊びに来てください。
お待ちしてま〜す!

http://www.2ch.net/test/readall.cgi?bbs=psy&key=946239020


「無視」は「愛」の不在でしょ?
 (これは ahokusai さんのMsg 2875 に対する返信です )


2878 件目  人間の品格というものがないね。   iroiroarimasu    2000年1月24日 10時19分

お気の毒です。

 (これは mainitikou77 さんのMsg 2877 に対する返信です )


2879 件目  余程お好きなんですね。   iroiroarimasu    2000年1月24日 10時23分

余程、幸福の科学が好きなんですね。(^^)
熱心に書き込みしたりして。その情熱には頭が下がります。
 (これは ahokusai さんのMsg 2875 に対する返信です )


2880 件目  人間の余裕というものがないね。   mainitikou77    2000年1月24日 15時44分

しかし、高慢さだけはたっぷりとある。

お気の毒です。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 2878 に対する返信です )


2881 件目  武士道精神   masshi_26    2000年1月24日 17時50分

>話は変わりますが武道でも違った方向で静寂を求めますね。
>相手の懐に入っていく時、余程の心の波を静めないと周りが
>見えなくなります。その時平静心でいればあらゆる物が見えてきて
>勝機が見出せますね。

なるほど。読書でも難しいものに関しては、同じところありますね。
心の波が大きいと、深く読みこむことが出来ないですからね。

また、仕事上でもそれはありますね。
心が波立ち、曇りがあったりすると、ミスに繋がりやすいですね^^。
また、あらゆる人間関係においても同様ですね。
@教修行における重要な目的のひとつと言えますね。

話は変わりますが、日本人の武士道精神が廃れてしまったことに
ついてはどう思いますか?
国民の精神面が軟弱になってしまったという意見が識者の方々から
出ていますね。
 (これは shihann23 さんのMsg 2873 に対する返信です )


2882 件目  知的個人主義の精神   masshi_26    2000年1月24日 17時52分

>その手段は本当に個人個人の自由でしょうし、その為に創意工夫を
>していく中に喜びを見出せるでしょうね。
>多くの方がそれぞれの手段によって法を体現なさろうとしている姿は
>勇気付けられるものがあります。
>私も私なりの方法で多くの方を幸福にできるように頑張りたいですね。

そうですね。
まず自分が幸福になって、ある程度成功することを目指したいですね。
そして、周囲の人に影響を与えることが出来るようになりたいですね^^。
知的個人主義の精神で行きます。
 (これは shihann23 さんのMsg 2874 に対する返信です )


2883 件目  現在の武士道精神   shihann23    (若すぎ歳/男性/沖縄) 2000年1月25日 3時18分

「武士道とは死ぬことと見つけたり」
そう仰った方がいらっしゃいましたね。山本常朝さんでしたっけ?
「葉隠」のなかでそう書いていましたね。
旧日本軍の一部の方々に誤用されて響きの悪い言葉になってしまいましたが
私はこれこそが武士道精神だと思いますよ。
つまり「自分の行動、言動には死の覚悟を持って挑む」
その精神じゃないかって思いますよ。
今の日本に足りないものじゃないでしょうか?「覚悟」が足りないのでしょうね。執着しすぎているというようにもおきかえられると思います。

>話は変わりますが、日本人の武士道精神が廃れてしまったことに
>ついてはどう思いますか?
>国民の精神面が軟弱になってしまったという意見が識者の方々から
>出ていますね

私もそう思います。GHQの政策成功でもあるでしょうね。
国民の精神性が軟弱になってしまってきているのはそのような精神の教育がなされてこなかった結果でしょう。
 (これは masshi_26 さんのMsg 2881 に対する返信です )


2884 件目  総裁先生のメッセージで・・・   shihann23    (若すぎ歳/男性/沖縄) 2000年1月25日 3時30分

>まず自分が幸福になって、ある程度成功することを目指したいですね。
>そして、周囲の人に影響を与えることが出来るようになりたいですね^^。
>知的個人主義の精神で行きます。

昔、リバティで総裁先生が言ってましたが「影響力」を身につけ
る為には「ある分野での成功」が必要だと仰ってましたね。
これは「知的個人主義の確立」でもいいでしょうし、「武道」を通じ
ても可能だとも言ってましたね。ちょっと勇気付けられました(^^)
頑張らないとね。
やはり個人の成功を公の発展に繋げる心構えあってこその
「影響力」になるのかもしれませんね。
その結果の影響力は多くの方をより良い方向に導くことができるでしょうね。
私の弟子達をもっと素晴らしくしてあげたいな。
もっと研鑽と反省と精進をしなければいけないね。
私の弟子達よ、ゴメンネ。先生頑張るから(^^;
 (これは masshi_26 さんのMsg 2882 に対する返信です )


2885 件目  本尊100万円   mainitikou77    2000年1月25日 7時38分

というのは本当ですか?

それも教祖の写真だとか。

会員諸氏に尋ねたい。 その根拠はどこに?

釈迦は、自分を拝ませることはもとより偶像を造らせることを
禁じていた。

見下さずに答えたまえ。 人類救済を標榜するなら。

http://www.2ch.net/test/readall.cgi?bbs=psy&key=946239020
 (これは shihann23 さんのMsg 2884 に対する返信です )


2886 件目  なぜあちらの掲示板に行って戦おうとしない フですか?   Toto_Hermes    (永遠歳/プレーローマ) 2000年1月25日 10時34分

みなさんは自分のためにも身を落として彼らと向き合い、戦う必要があると思います。
彼らは人を侮蔑することだけを喜びとする下賎の民、その心は劣等感と卑屈な精神にまみれ、人間の誇りを失っています。
ですが逆にいろいろさんをはじめ会員の皆さんの精神は高尚すぎるのです。

>肉にとらわれる者は、霊を見失い、
>霊にとらわれる者は、この世の足場をなくす。

私はこの言葉に感銘を受けました。
みなさんは高度な精神をただ漫然と保っていてはいけないのです。
時として下層の人々の下卑た考えにまみれ、そして精神の最下層からまた再び思考の高みに上ってみずからに問いかける。
この魂の螺旋運動によって精神はより鍛えられ、更なる高みに上れるのです。
 (これは mainitikou77 さんのMsg 2885 に対する返信です )


2887 件目  なぜあちらの掲示板に行って戦おうとしないのですか?2   Toto_Hermes    (永遠歳/プレーローマ) 2000年1月25日 10時34分

いろいろさんのMsg2878
>人間の品格というものがないね。
にはがっかりしました。
下賎なものをただ下賎なものとして切り捨て、御自分のの魂を鍛練するチャンスをみすみす見逃していると思います。
会員のみなさんの一考をお願いいたします。
 (これは mainitikou77 さんのMsg 2885 に対する返信です )


2888 件目  なぜあちらの掲示板に行って戦おうとしないのですか?3   Toto_Hermes    (永遠歳/プレーローマ) 2000年1月25日 12時45分

あちらには私の偽者もいるようですね。
本当に救いがたい下卑た連中だと思います。
ですが、本当の敵は彼らを低俗な動物的状態に縛り付けているもの、この物質世界、偽の時空間です。
いろいろさんは以前

>銀河のある場所で根本仏の意識の一部が、人類の魂を創るために、個性ある光として散乱したことがあるのです。これが、「人間の本質は仏の子、光の子である」と言われている理由です。

とお書きになりました。
 (これは Toto_Hermes さんのMsg 2887 に対する返信です )


2889 件目  なぜあちらの掲示板に行って戦おうとしないのですか?4   Toto_Hermes    (永遠歳/プレーローマ) 2000年1月25日 12時46分

私も良く似た世界解釈を持っています。
われわれはすべて本来は一人の人間、単一の魂なのですが、物質=時間によって切り分けられ同一性、一体性を失っているのです。
「彼ら」もこの偽ものの世界の被害者です。彼らは一生(そして永遠に)土で作られた人形として機械的に生き、そして死んでゆくでしょう。
ですが、かつてイエスが腐乱した犬の死骸の中に美しい歯を見出したように、彼らの中にも本来的自我が埋もれているのです。
彼らはあなたがたに縁を求めてきています。それに背を向けてはいけないと思います。

気高いもの、美しいものだけに目をむけていても悟りは得られません。この世界には下劣で醜悪な環境に囚われている魂もあるからです。目を背けるべきではありません。
彼らと フ対話はあなたがた自身が同一性へと回帰して行く助けとなるはずです。
 (これは Toto_Hermes さんのMsg 2887 に対する返信です )


2890 件目  どうもtotoさん   iroiroarimasu    2000年1月25日 13時2分

お早うございます。トートさん。
世の中には色々な人種がいてバラエティに富んでいますね。(^^)
トートさんをがっかりさせて申し訳なかったんですが、少し下調べを
させて頂きました。
>彼らは人を侮蔑することだけを喜びとする下賎の民、その心は劣等感と卑屈>な精神にまみれ、人間の誇りを失っています。
下賎の民とは厳しいですが、人間の誇りを失っているのは確かでしょう。
気の毒に思います。
また、いろいろな方法があると思いますが、彼らには現在、低次元の悪さを
したがるエネルギーが働いていると思います。
今もトートさんにお返事を書こうとしたら突然パソコンの電源が落ちたりしました。(^^;;ですからこちらの多少準備をしているんです。
また、彼らの行動は「宛名の無い手紙」のようなものですから、縁起の法則からいうと何れ自分自身を苦しめる結果になるのが見えております。
ですから、そこの時点で初めて彼らにとって有意義な学びの機会が訪れる
と思います。
 (これは Toto_Hermes さんのMsg 2886 に対する返信です )


2891 件目   どうもtotoさん 2    iroiroarimasu    2000年1月25日 13時12分

教育効果が一番現れるときにお話出来るときもくるでしょう。
神仏は選択の自由を人間に与えました。
その自由をどのように使うかはその人に任されています。
それにより自らの現時点の姿が他の人にもたとえ名前などが
解らなくても思いにおいてその人が何者かが解ってしまいます。
すでにTOTOさんにもそれがお解りだと思います。
戦う方法は色々ありまして既に行っております。
そしてその次に段階にくればまた何か起こるはずですよ。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 2890 に対する返信です )


2892 件目  どうもtotoさん 3    iroiroarimasu    2000年1月25日 13時18分

時間というものも不思議なもので同一空間で同時期に生きている
我々ではありますが、個人においてはその時間の内容、価値が異なりますね。
彼らの時間の過ごし方はまるで我々と異なります。
トートさんの偽物まで現れているようですが、失礼なことも
平気で行うということをなんとも思わないのが今の彼らであるのですね。
この状態は暫く続くかも知れませんが、悪霊の本質を理解すると
、それも時間の問題だということにもなります。
そして、それが過ぎ去ったあとの彼らの真の学びの時間が訪れる
と思います。それを待つのも「愛」の一つの表現です。
私はそう思います。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 2891 に対する返信です )


2893 件目  どうもtotoさん 4    iroiroarimasu    2000年1月25日 13時32分

また、ほん ニうに滑稽だと思ったのですが、「会員」の振りをして
登場したり、ハンドルネームを変えて登場したりで、勇気のある人
でしたらそのような姑息な手段はとらないと思います。
そのような気弱な人間の自己表現の手段としてこのような場を
使うこともあるのでしょうが、実に虚しいことだなあと思います。
神仏の存在を信じられないから出来ることなのでしょうね。
でも神仏は間違いなくいるのです。
いずれ嫌というほどそれを思い知らされるときがくるでしょう。
それも魂の学習ということでしょう。スパルタ教育が必要な
方もいると言うことですね。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 2892 に対する返信です )


2894 件目  堅い話になりましたが   masshi_26    2000年1月25日 13時33分

>つまり「自分の行動、言動には死の覚悟を持って挑む」
>その精神じゃないかって思いますよ。
>今の日本に足りないものじゃないでしょうか?「覚悟」が足りないのでしょうね。

なるほど。私は武士道 ク神については、まだその深いところまで理解が
及んでないのですが、反面においては、その覚悟が自己犠牲的に
なりやすい傾向も結構あるのではないかと思ったりします。ですが、
かといって、それがすぐファッショに繋がると早計するのも誤りでしょうね。
足りない部分を受けいれていく柔軟さが大事でしょうね。

武士道と必ずしも一緒に考えることは出来ないでしょうけど、
太陽の法・第6章に、人生の時間をダイヤモンドのように輝かすためには、
自分の死の瞬間を想定して、現在までの自分の生き方を反省してみることだ。
そうすることで、密度の濃い、煌きのある人生を生きることができると
書かれていますね。
死を直視するという、ある種の無常観によって、自分の生き方を定めていく
ことは、時間を無駄に費やさないことにもなりますね。

ちょっと堅い話になりましたが^^;、大事な視点ですね。
 (これは shihann23 さんのMsg 2883 に対する返信です )


2895 件目  どうもtotoさん 5    iroiroarimasu    2000年1月25日 13時35分

良い意味で周囲に影響を与える人でも、その影響力が大きいと
ちょっとしたことでも、揚げ足をったりする人が出ますね。
世界で一番悪口を言われている人は、誰でしょうかね?
そうですねアメリカ合衆国大統領なんか一番かもしれませんね。
世界最高の権力者であるから、非難、中傷の嵐かもしれませんね。
「これほど悪口を言われても、この人でいいかどうか」と問われる
のがアメリカの大統領選挙のようですね。
確かに命令ひとつで核兵器を発射できる権力を持っていますね。
よく考えてみれば人類に対して危害を加えることの出来る存在ですね。
ですから徹底的にあら探しされながら悪いところがないか調べられるので
すね。安全のためにも。そして、それは成功している人でもあるわけですね。
幸福の科学もそういうところがあるようですね。色々噂などあるようです
けどね。だからなんなのというのもあるみたいですね
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 2893 に対する返信です )


2896 件目  一応、御答え   masshi_26    2000年1月25日 13時41分

今の法律では、礼拝施設があって拝む対象がなければ、
宗教法人がとれないんですね。
文部省を説得するか、伝道しない限り無理でしょう^^;。
ご本尊は会員になったら必ず頂かなければならないと
いうものではありません。個人の信仰の自由に拠ります。

また、幸福の科学では大乗仏教の救済的な側面も大いに
取り入れておりますから、神社やお寺で堂々と神像崇拝、仏像崇拝
しているのと似たようなものと捉えて頂ければと思います。

金額については、信仰を持っていない方には高いと感じられるのは
ある意味、仕方ないと思います。
悪口ではなくて、豚に真珠、猫に小判みたいなものがありますからね。
不安な人は支部で良く話を聞いたほうがいいでしょうね。
 (これは mainitikou77 さんのMsg 2885 に対する返信です )


2897 件目  RE: 堅い話になりましたが   iroiroarimasu    2000年1月25日 13時43分

今日はMasshiさん。武士道とは一つの責任の取り方でも
あると思うのですね。
國を守ると言う義務を全うする役割が武士にあったのですから、
それに関するする全てにおいて、また、その本人が感ずる全てに
おいて責任ということを絶えず心に留めていたのだと思います。

インターネットなどもお互いに見えない存在どうしが会話するのですが
、そこにも「責任」が出てくると思います。それをどう取れるかで
その人の「人格」が見えてきますね。
色々悪戯をしたり、壁に落書きをするような行為を自ら行い、自らの品性を汚してりて気が付かないでいる人もいるようですね。
 (これは masshi_26 さんのMsg 2894 に対する返信です )


2898 件目  もうよろし   mainitikou77    2000年1月26日 9時52分

結局巷の新興宗教と何ら変わらず。

教祖の極めて人間臭い野望に踊らされている会員諸氏も
哀れであるが、それも業ゆえの当然の因果であろう。
「魚心に水心」か・・・。

しかしながら、2CHの者々もおまえたちの一部分である。
これを悟らずして何の人類救済、大乗の教え。

まあせいぜい気張りなされ。
 (これは masshi_26 さんのMsg 2896 に対する返信です )


2899 件目  たまに見かける場面   masshi_26    2000年1月26日 10時52分

>色々悪戯をしたり、壁に落書きをするような行為を自ら行い、
>自らの品性を汚してりて気が付かないでいる人もいるようですね。

ネット上で、たまに見かける場面で、私は慣れてしまっているところが
あるかもしれません^^;。
まず御互いの立場がある程度、解らないことには難しいものがありますね。
敵視している団体もあるでしょうから、それが見知らぬ場所で
妨害している可能性もあります。

また、批判好きな人、批判中傷することでしか自分を安心させることが
出来ない人というのはいるようですね。
これはヘーゲルがもっとも批判していることのひとつですが、
「人のより高い関心を全く忘れさせることに自慢の種を見出す人々」。
こういう人たちの特徴的な言葉は、たいてい「傲慢だ」とか、
「謙虚さがない」とかいう意味合いを含んだ傾向のある文句です。
我々は仏神の前に謙虚であればいいのであって、彼らに謙虚になる
必要性は謙虚という言葉の意味合いからして誤りですね。
大事なのは、仰るように礼節だとか、品性でしょうね。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 2897 に対する返信です )


2900 件目  この文面を見てもわかるのですが   iroiroarimasu    2000年1月26日 11時17分

まず、自分が何者であるかを忘れていますね。
まず一人一人が神仏の子であるわけです。まずここが大切です。
人に救ってもらわなくても本来は、神仏と同じ属性を持って
いるのが人間です。それを忘れていますね。まずは自らの行いを
正すということが必要でしょう。それが最初です。
その姿勢が無くて「救ってみろ。」といことは問題外です。

また悪魔とか悪霊といわれるもの ノも宗教を昔勉強しているのもいて
多少の知識があります。しかし、彼らは全て同じなんです。
まず人格攻撃をはじめとして、次に救えないではないか!!と叫ぶのですね。
これは面白いぐらいワンパターンです。

まずはご自分の精神性を点検して、そして偽りの仮面を自ら脱ぎ捨てる
ことです。
「自分は何でこんなことをしているのかな?」と自問自答してみることです。
これが貴方への救いの教えの第一歩です。そして、これを読んで「心」に
怒りがこみ上げたら間違いなく「悪霊」を呼び込んでいるご自分があります。
ご自愛下さい。
 (これは mainitikou77 さんのMsg 2898 に対する返信です )


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