Yahoo! 幸福の科学の教えについて 新・5501-5600

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5501 件目  地獄について     投稿者: iroiroarimasu     2000年8月15日 午前11時14分

地獄を見ることも感じることも人間には出来ますよ。
それは貴方に知識がないから実は経験しているのに、そうではない
と思い込んでいるだけです。
私は色々と見てきていますから、教えとしてだけでなく
現実として捉えています。
これは幸福の科学に入会する以前から経験していることです。
往生要集などに紹介されている通りであり、それは幸福の科学で紹介
されているのと同じです。それは真似しているからでなく
その通りだからです。貴方も日々心の動きにより天国的でもあり
地獄的にもなっております。ただ気が付いていないだけです。
けっして脅かしではありません。現実です。
( これは ixtlan さんの メッセージ 5491 に対する返信です )


5502 件目  ですから     投稿者: iroiroarimasu     2000年8月15日 午前11時40分

ですから私は幸福の科学で地獄について教わったときに
「成る程、あそこはそういう地獄なのか!」と理解できました。
これによりそのときの自分の心境に何が問題があったかを
分析そして反省が出来ました。
これは気がつかないで過ごせば、それこそ地獄行きでしたから
非常に有り難かったですね。これは救いですね。
どうしたら誤りを訂正できるかが正確に学べるのですからね。
しかし、それが理解できない方が多くいるようですね。
不思議でなりませんね。何故でしょうね?
( これは iroiroarimasu さんの メッセージ 5501 に対する返信です )


5503 件目  いい加減、逃げずに答えてね、イロイロさん     投稿者: ikarugayamamoto     2000年8月15日 午後 2時07分

>イロイロアリマスさん。あなたは「このトピックには魔がついている」と断言し、「元会員さんを守るため」という人道的理由で、4月にこのトピックを去りましたね。復活するならしなければらない事があるでしょうが。

>>まず「このトピックに魔がついているというのは誤りでした。皆さんを怖がらせてすみません
でした」

>>そして「元会員を守るためというのも嘘でした。そんな良い心がけはまったくもってませんでした。彼がどうなろうとも知ったことではないのです」

>>きちんと謝罪と訂正をまずするのが筋です。それだから幸福の科学信者は世間様に信用されないのです。

>都合の悪い事には沈黙するのが幸福の科学のやり方ですか?十数年間熱心に何を学んできたのですか?幸福の科学の「反省」とはそのような都合の悪い事は無視するいい加減なものなのですか?

いい加減、きちんと答えてもらいますか。
( これは iroiroarimasu さんの メッセージ 5502 に対する返信です )


5504 件目  大川隆法の戯れ言17あなた正気ですか?     投稿者: ikarugayamamoto     2000年8月15日 午後 2時13分

「女性の場合、とにかく前戯ががなければだめだというのが一般的で、その前戯の時間を要求する訳ですね。もちろん、人によって個性差はずいぶんあります。ほとんどなくてもいいというのは、これエキスパートですね。アッという間にいけるというのがあります。私も知っています。それはありますが、ふつうの素人の場合には時間が適当にいります。ないとできません」
(「高橋信次の愛の賛歌」p96)

”私も知ってます”の主語は大川隆法だろう。素人とエキスパートのセックスの違いなど、地球の最高権限者であり、再誕したブッダたるエル・カンターレである大川隆法の言うことか?そんなにソープがいいのか?なおGLAの指導者、高橋信次氏は軍隊時代に先輩から”売春宿”に誘われても拒否した真面目な人だそうです。
( これは ikarugayamamoto さんの メッセージ 5503 に対する返信です )


5505 件目  大川隆法の戯れ言18ニュートンの霊言     投稿者: ikarugayamamoto     2000年8月15日 午後 2時16分

「現在、色情の乱れというようなこと、あるいは快楽産業が流行っているというようなことを、いろいろ言われますが、これも単なる罪の意識としてだけ捉えるのは、問題である、神学上、宗教上の問題だけではないと私は思う...というのも、男性が生理上、あるいは体の形態上、一定の周期で異性
を欲するようにできているのです...常時子孫をつくりたいという衝動のままに突き動かされるということは、男性の生産的行動において、極めてマイナスが大きいと思われます。これは自動調節機能をつくるべきであって....理性の支配下におけるように改造したい、そう思います」
(「ニュートン霊示集」p119〜121)

”(性欲の)自動調節機能”って、人間をロボットにしたいのか?
( これは ikarugayamamoto さんの メッセージ 5504 に対する返信です )


5506 件目  大川隆法の戯れ言19女性蔑視     投稿者: ikarugayamamoto     2000年8月15日 午後 2時19分

「女性が、職業婦人が増えてますけれども、職業婦人の地獄へ行く率が増えているんです。なぜ増えるか、まあ、正常な家庭ができないということに対する、不満、或いは、その不満を他の人にぶっつけ、そして、心真暗にして、昔なかったような地獄に堕ちて行くんです」
(「高橋信次霊言集」p65)

中ピ連(古い)や女性団体は、なぜこの暴言に抗議しないのか?この理屈だと大阪の太田知事は無間地獄行きとなりますけど?大川隆法、サラリーマン時代に余程、キャリアウーマンにいじめられたと見える。
( これは ikarugayamamoto さんの メッセージ 5505 に対する返信です )


5507 件目  幸福の科学には期待しているけど、     投稿者: FAMILY_STONE_00 (30歳/jp)     2000年8月15日 午後 5時04分

自分の言葉で話の出来る人が出たほうがいいんじゃないのかな。最近ではiroiroarimasu氏、iroirourimasu氏、papayohkoh氏かな?前のほうにいた信者諸氏たちは自分の考えで自分の言葉で話していた。shihann氏やmasshi氏など、自分の考えを述べていて読んでいて面白かった。押し付けがましく教義をズラッと並べられるよりは、自分の言葉で話したほうがいいんじゃないのかな。確信が伝わってこない。幸福の科学は厳しいところだと聞いていますが大企業病に犯されてないかな?ピラニアがいないとダメかな。
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5500 に対する返信です )


5508 件目  安物地獄     投稿者: A22362     2000年8月15日 午後 5時08分

死臭漂う黒い屍や、適度に発酵した糞尿こそ、
高貴なる、わたくし蛆虫様のご馳走さ。
( これは iroiroarimasu さんの メッセージ 5502 に対する返信です )


5509 件目  おご馳走     投稿者: rifutokun     2000年8月15日 午後 5時57分

大川隆法さんお得意の地獄論では、
要するに、屍が信者で、糞尿が職員で、
高貴な大川隆法さんはご馳走(布施=金)を
食らうウジ虫ということですか?
「2ちゃんねる」にも「幸福の科学は糞だ」という
名のトビがあったように思います。 

      
( これは A22362 さんの メッセージ 5508 に対する返信です )


5510 件目  大川隆法地獄大好き君     投稿者: rifutokun     2000年8月15日 午後 6時03分

大川隆法さんは、ほんとうに地獄話が大好きのようです。
大川隆法さんに反逆した者の行く恐怖の地獄話を聞き、
信者さんは恐怖し、「大川隆法さんに絶対反逆してはいけない。」
と思いこまされている。
地獄の話しを、8月15日に書込むとは、タイミングがよいですね。
( これは iroiroarimasu さんの メッセージ 5501 に対する返信です )


5511 件目  唯我独尊独裁者の大川隆法     投稿者: rifutokun     2000年8月15日 午後 6時10分

先日、毛沢東と江青のテレビ番組を見て思いました。

大川隆法(中川隆) = 独裁者   毛沢東
大川きょうこ    = 独裁者夫人 江青
文化大革命     = フライデー事件
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5493 に対する返信です )


5512 件目  それを言わせたいのですか?     投稿者: iroiroarimasu     2000年8月15日 午後 6時12分

相変わらずなイカルガさんですね。私が間違っていなかった
こてとは、あなた達がそれを証明しています。
しかし、それは貴方に認識できないでしょうから
これ以上何かをいっても無駄ですね。


                    以上です。
( これは ikarugayamamoto さんの メッセージ 5503 に対する返信です )


5513 件目  また     投稿者: iroiroarimasu     2000年8月15日 午後 6時18分

また、ご忠告しましたが、それを聞き入れる、入れないは
選択の自由ですね。
それを強制することは出来ません。
ですから地獄へいくも行かないも自分の選択であるのです。
これは幸福の科学のことに限らず日常全般にいえることですね。

幸福の科学は自動車教習所と同じです。
安全運転について、また無謀な運転をすればどうなるか
その事実を教えているだけです。

また誤った情報を流している方がいた場合、私の言えることで
訂正させていただくことは今後も行います。
( これは iroiroarimasu さんの メッセージ 5512 に対する返信です )


5514 件目  本当ですか?!     投稿者: thankyoujesus (男性/横浜)     2000年8月15日 午後 6時25分

>「女性が、職業婦人が増えてますけれども、職業婦人の地獄へ行く率が増えているんです。なぜ増えるか、まあ、正常な家庭ができないということに対する、不満、或いは、その不満を他の人にぶっつけ、そして、心真暗にして、昔なかったような地獄に堕ちて行くんです」(「高橋信次霊言集」p65)

 なぜこのようなことを霊言集だといって、掲載するのでしょうか。3割も当たらない奴が言うことなど、どうして取り上げて本にするのでしょうか。これを語った高橋信次霊は大川さんによれば、いろいろと虚言癖があったようですね。それを知っていて、大川さんは霊言集を出したのですよね。こういうことの積み重ねが、幸福の科学に対して要らぬ誤解を生むのでしょう。幸福の科学の方は、この誤解をちゃんと説明して誤解を解くことをお勧めします。
( これは ikarugayamamoto さんの メッセージ 5506 に対する返信です )


5515 件目  激励のお言葉ありがとうございます。     投稿者: right_cross2000     2000年8月15日 午後 6時55分

何分皆さんのように機根に合わせた待機説法能力がまだ身についておりませんものですから、仏の言霊をそのまま伝えたほうがよろしいかと考えました。ピラニア退治にも。このトピの惨上にみかねての正義感ゆえとお許しください。また出直して参ります。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5516 件目  ぎゃくぎゃく     投稿者: mercifulfate666     2000年8月15日 午後 7時23分

そんなありきたりなつまらないこと言わないですよ。
( これは rifutokun さんの メッセージ 5509 に対する返信です )


5517 件目  あのね、     投稿者: A22362     2000年8月15日 午後 7時41分

幸福本には幸福本の正義があるように、ピラニアにはピラニアの正義があるんですよ。アートマンが、ブルブル揺さぶられて、金魚鉢からピラニアが飛び出るくらいブルブル揺さぶられて、そのダイナミクスと波動は、噛み付きたいというエロスの衝動に突き動かされた、肉という肉に噛み付くピラニアなんです。それは、ピラニアが夢想する、沈黙のみ許された釈迦のルサンチマン。
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5515 に対する返信です )


5518 件目  都合の良いことを言わないように     投稿者: ixtlan     2000年8月15日 午後 9時05分

唯物論や共産主義を信じている者たちは地獄で苦しむ、という場合の「地獄」とは、これから先にこういうところへ行く、ということなんであって、それは貴方の言われる「経験しているが知識がないのでわからない」という場合の「地獄」とは違う。さて、前者はとりあえず『』に入れておいて、後者の「経験しているがそれがわかってない」という地 魔ニはたとえばなんですか?具体例でもあげてもらわないと全く見当もつきません。
( これは iroiroarimasu さんの メッセージ 5501 に対する返信です )


5519 件目  世の中には     投稿者: ixtlan     2000年8月15日 午後 9時11分

とんでもな体験をしている人たちが少なからずいるでしょう。たとえば「誰かが私のことを悪意をもって話している」と幻聴が聞こえる人たち。こういう人たちがたまたま、大川氏の霊界物語を聞いて、「なるほどほかの人は聞いてないが、私は確かに霊の声を聞いたのだ、そうだそうに違いない」とか自分の体験と「引き合わせて」しまうことはありえると思います。そこで、それだけならまだしも、その先、大川氏の戯れ言に今度は「引きずられていく」のではないでしょうか?「理解できない方が多くいる」というのもたいていはそのような行動はとらないからでしょう。精神障害専用の集団と見れば合理的ではありますが、私はたとえ精神障害であっても容赦するべきではないと思います、こ ニ倫理政治的問題に口をはさむ以上は。
( これは iroiroarimasu さんの メッセージ 5502 に対する返信です )


5520 件目  欲の奥にあるもの(1)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月15日 午後10時30分

 まず、男女の「恋しい」と思う気持ち、これはいったい何なのでしょうか。
これは、昔から仏教でいわれているような「煩悩」――人間の心の迷いにす
ぎないのでしょうか。それとも、もっと違った意味合いがあるのでしょうか。
こうしたことを検討してみましょう。
 異性に対して、それをよきもの、恋しいものと思う気持ち、あるいは異性
から想われたいという気持ち、これはかなり根源的な欲求であるように思い
ます。
 人間としての基本的な欲として、「食欲・性欲・睡眠欲」という3つがあ
るといわれています。人間として生まれた以上、これは当然のものであるよ
うにも感じられます。
 それらがいかなる役割を果たしているかを考えるには、そうしたものがま
ったくない世界を想定してみればいいと思います。この世に男女がありなが
ら、男性は女性に対して、女性は男性に対して、何の愛着も感じない世界と
いうのは、いったいいかなる世界でしょうか。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5521 件目  欲の奥にあるもの(2)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月15日 午後10時31分

 そうした世界では、なぜ男女があるのかが、よく分からなくなってくると
思います。男女を特に分ける必要はなく、人間という1種類の生き物がいれ
ばいいという気がします。
 したがって、男性が女性を見て、「美しい」「かわいい」と思う気持ちや、
女性が男性を見て、「すばらしい」「たくましい」と憧れる気持ち自体は、単
に善悪の悪、あるいは執着として、捨て去られるだけのものではありませ
ん。そうした本能のなかに、実は大きなメッセージが入っているのです。
 男女という2種類の生き物が創られたの ヘ、「男女がともに協調しながら、
ともに手を携えながら、すばらしいものをつくっていきなさい」という、仏
のはからいなのです。
 社会的に進出が目覚ましい女性の側からは、最近、男性による嫌がらせ、
セクシュアル・ハラスメントの問題がよく出ています。これには確かに嫌な
面があります。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5522 件目  欲の奥にあるもの(3)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月15日 午後10時31分

 ただ、その反面、もし男性が女性に対してまったく関心がなかったならば、
どのような世の中になるかというと、非常に悲惨な世の中になってしまうで
しょう。
 男女がお互いに、ある程度ひかれ合いながら、どこかで一定のルールのも
とに抑制をかけているというのが、社会の健全な営みになっているのではな
いでしょうか。
 もし異性を想う気持ちがすべて悪だとするならば、人類は死滅してしまう
はずです。子孫を残そうとする人が、だれもいなくなってしまうのですから、
当然そうした結果になります。
 それがほんとうに仏神の心に適ったことかといえば、そうではありません。
背景には、やはり、子々孫々の繁栄を願っている心があるのです。
 こうしてみると、仏教的には、単なる欲望として、否定、排斥したくなる
もののなかに、実は根本的に否定すべきものではなく、その調整、あるいは
適度な規制や自制が要求されているのだ、と解釈したほうがいいものが多い
ように思うのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5523 件目  欲の奥にあるもの(4)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月15日 午後10時31分

 食欲をとってみても、もし食欲がなかったならば、幸福感というものは、
ずいぶん減ってくるでしょう。
 毎日、朝起きると食欲がない人もいます。仕事が積み重なってくると、疲
労感がかなりあって、朝食がおいしくなくなるとい 、ことが一般的な現象と
してあります。
 朝食がおいしい人と、そうでない人とを比べてみると、前者のほうが幸福
感は高いのではないでしょうか。両者の表情を想像してみても、朝食がおい
しい人のほうが、おそらくはニコニコしているでしょうし、おいしくないと
いう人は眉間にたてじわが寄っているかもしれません。
 そうしてみると、古くから欲望という言葉でいわれていたものが、一定の
範囲で、ある意味での幸福感につながっていることも事実です。
 それを欲望という言葉で呼ぶと、非常に響きが悪いのですが、生命への欲
求、あるいは、生きていこうとする意欲ととらえた場合には、非常に大事な
面があるように思います。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5524 件目  欲の奥にあるもの(5)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月15日 午後10時31分

 睡眠欲についても同じことがいえます。確かに、睡眠などとらなくてもい
い身体であるならば、どれほどよく働けるか、どれほどよく勉強できるかと
思います。しかし、人間も動物も、一定の周期で睡眠を欲するようになって
います。
 「睡眠は、身体と魂を休め、生きる活力を生み出そうとしている営みだ」
と考えると、一見、無駄なように見える睡眠が、実は、活力ある人生を毎日
生きていくために、どうしても必要な営みであることが分かるのです。
 弦楽器の弦は、いつもピンと張っていると切れやすいのですが、ときどき、
その弦を緩めてやることで、切れにくくなり、さらに弾きやすくなるのです。
同様に、適度に緩める機能があるということ自体が、人間の幸福を増進させ
ているように思います。
 犬や猫などの動物が、冬の暖かい日に、日ざしを浴びながら、のんびりと
昼寝をしているのを見ると、何ともいえず天国的なものを感じます。そうし
た素朴な営みのなかにも幸福がある、ということを感じるのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5525 件目  煩悩即菩提(1)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月15日 午後10時42分

 以上、人間の基本的な欲である、食欲・性欲・睡眠欲の3つについて、そ
れ自体は必ずしも悪ではないということを述べました。
これは決して新しい話ではありません。大乗経典のなかに『理趣経』と
いうお経があって、そのなかには「煩悩即菩提」に関する教えがずいぶん入
っています。
 そのお経では、「人間は、この世に生きているあいだ、さまざまな欲望に
とらわれるが、その欲望を単に排斥するのではなく、そこにあるものをほん
とうに抱きしめたとき、光を放つのだ」ということが説かれているのです。
 これは理解の仕方によっては、比丘、比丘尼たちの従来の生活を破壊する
教えであるがために、非常に難しいお経であるともいわれていましたが、そ
れをいま現代語で考えてみると、よく分かる気がします。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5526 件 レ  煩悩即菩提(2)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月15日 午後10時42分

 もし異性を恋しいと思う心がなかったならば、人類はとっくの昔に滅びて
いたでしょう。あるいは、子孫を残すことは重税を納めるのと同じように苦
しい義務であって、女性の顔を見るのも苦しいというのが男性の本能である
ならば、ユートピアにはほど遠い世の中でもあるでしょう。
 適度に恋をし、バレンタインデーのチョコレートが欲しくなるような気持
ちが適度にあるということが、人間の幸福につながっている面もあると思う
のです。
 こうしてみると、現代においていちばん失われているものは、幸福の科学
が説いている中道の姿勢だと思います。
 欲望というものが人間に根源的に付随するものならば、欲望自体を否定す
る生活は、人類全体に要請されているものではないでしょう。欲望は人間が
生きていくために必要な機能として与えられているものだと思います。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5527 件目  煩悩即菩提(3)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月15日 午後10時42分

 それを、いかにして人間生活にとってプラスの方向に生かしていくか、と
いうことが大切なのです。
 男女の性的な営みも、健全な夫婦生活のなかでなされたならば、それは家
庭の幸福を意味するものですし、生まれてくる子供たちを育てるという聖な
る義務が伴っているときは、いかがわしさ、嫌らしさといったものが完全に
消えていきます。
 そうした大きな義務や責任を伴っていれば、もっと高次なる幸福をもたら
すことになって、それは聖なる光を放つものだと思います。
 ところが、男女のそうした結びつきが無軌道に走ったときには、教えられ
て知るわけではないのに、地獄的なるものを感じるようになってきます。
現在、共産主義という、平等を中心とした社会が崩れつつあります。一方
では、自由主義体制も行き詰まっているように思います。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5528 件目  煩悩即菩提(4)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月15日 午後10時42分

 自由を突き詰めた先進国に、エイズという病気が蔓延して、百万、二百万
という数の人が苦しんでいます。今という時代に、この病気がなぜ流行って
いるのかを考えてみると、そこに私は天意を感じざるをえないのです。
 男性が女性を想い、女性が男性を想う、そうした心は、決して悪いもので
はありません。ただ、それは人びとを幸福にすると同時に、その統制を忘れ
たときには不幸を呼ぶものであって、その自由が、家庭をないがしろにする
方向で発揮されたときには、天からの警告がくるということを示しているよ
うに思うのです。
 そうした病気が現に流行っているということは、そこに人類への警告を見
なければならないのではないでしょうか。家庭の幸福というものを抜きにし
た男女の欲望は、無前提に許容されるものではないということが、天意とし
て、はっきり表わされているのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5529 件目  煩悩即菩提(5)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月15日 午後10時42分

 結婚していない若い男女の率が、日本でも非常に上がってきています。こ
れなども、実は性の解放と関係があるのです。結婚しなくても一定の欲望を
果たせるということが、結婚しない男女を、かなりの割合でつくっているの
だと思います。また、家庭を営み、子供を育てるという面倒くさいことに、
若い人がとらわれたくなくなってきているのだと思うのです。
 ただ、これに対して、自然は必ず一定のかたちで反作用をもたらすものな
のです。社会が乱れてくるか、あるいは、人口が減少していき、社会の活力
が衰えて停滞を招くか、このどちらかになると思います。
 おそらく日本も、子供をつくらない男女がこのまま多くなっていった場合
は、社会的な衰退を招くだろうと私は考えています。
 結局、何千年、何万年、何十万年ものあいだ、連綿として アいてきたもの
には、それなりの意味があるということを考えていただきたいのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5530 件目  煩悩即菩提(6)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月15日 午後10時53分

 自由を自分流に解釈してはなりません。真なる自由は、全体の幸福に奉仕
するかたちで、自分を律していくことができる自由のなかにこそ、求められ
るべきなのです。
 自我我欲の自由ではなくて、「多くの人の幸福、全体の幸福のためになる
ように、自分の位置づけをよくよく認識し、その枠のなかで自分を完全にコ
ントロールできる自由こそが、ほんとうの意味で幸福な自由である」という
ことを知らなくてはならないのです。

「幸福への方法」より
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5531 件目  異端宗教について     投稿者: thankyoujesus (男性/横浜)     2000年8月15日 午後10時58分

 関係ないけど。
 幸福の科学のことではないよ。でも、ね。

 異端の宗教の多くは、表面的に教理は信頼が置ける宗教である仏教やキリスト教に似せていいことを語るが、彼らの中心は本来はそこにない。彼ら独特の教えこそが彼らの中心となっていることが多い。この手のタイプは体裁をつくろう「愛」「希望」などの問題には結構得意げに答える。しかし、その宗教独特の考えや教えこそが、その宗教を宗教ならしてめている中心であって、それはこちらから暴かねば、おそらく表面化されない。

 私は新興宗教を見るとき、その独特の教えに関して焦点を当てて行きたい。
 幸福の科学に関しては応援しています。レプタリアン星人でしょ!金星人でしょ!ガンバレ!地球を救え!!!!!
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5529 に対する返信です )


5532 件目  こち 轤ノも掲載     投稿者: Chikurer     2000年8月15日 午後11時05分

「Nさんに対して石を投げつけてボコボコにした当事者」であることをお認めになるのですね。

あなたの人間性が、良くわかりました。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.ab.02.835217&topicid=816m100&msgid=8nbeg7$3ll$2@m100.yahoo.co.jp
( これは thankyoujesus さんの メッセージ 5531 に対する返信です )


5533 件目  大川氏は     投稿者: ixtlan     2000年8月15日 午後11時54分

本当にアレントを研究したのでしょうか。「全体の幸福」なんてことは出てきそうにないんですけど。「全体の幸福のためになる」というのはぎりぎり最後の望みであって、そこに至るまで様々な軋轢、社会に苦しむ個人の存在というのを無視することはできない。男と女というが、肉体的に男しか愛せない男もいる。女しか愛せない女ももちろんいる。そこで、すいません、申し訳ないけど、本当にだめなんです、と心の底からうめき声を出すとき、それが社会からはずれてしまった人間にとっての宗教なのである。「あなたの苦しみを全部持ってきなさい」と言ったイエスの精神が君らの師匠にはまったくわかってないと思えるが。所詮イベント屋の考えることはこの程度か。
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5530 に対する返信です )


5534 件目  じゃあ私もこちらに掲載     投稿者: thankyoujesus (男性/横浜)     2000年8月16日 午前12時02分

>石を投げつけてボコボコにした当事者

 当事者適格って言葉に勘違いしたんだね。わかるわけないか!
 私も普通の言葉を使えばいいのにね。
 簡単にいうと。
 あのね。「当事者」というのは、幸福の科学の関係のトピに深く関わっていた者という意味だよ。「当事者」には賛成派も反対派も参加していたでしょ。では、あなたともう一人の会話に私が参加できるかという問題については、ここはヤフーの掲示板であるから、だれでも「適格」はあるということ。さらに、私の投稿数からもいえるが、この問題に関しては、私の意見をなくして判断することができないということにおいても「適格」があるといったんです。
 こんどは君が勘違いしたようだね。

 あと、勘違いしたものを再掲しないようにね。
 
( これは Chikurer さんの メッセージ 5532 に対する返信です )


5535 件目  幸福の科学の異常性と危険     投稿者: barutiyusu (23歳/男性/福井県)     2000年8月16日 午前 6時19分

>>聞くところによると、教祖を中傷したらずいぶん恐ろしい地獄に行かされるとやら。
>>大川教祖が本物の神様かどうかは〈死んでみないと〉わからんが、もし本物だったらその覚悟はあるのかね?元会員さんは覚悟の上とみたが。

教祖を批判するものは死後地獄へ堕ちるぞ!って言う典型的なカルト宗教団体の主張に対して、これほど多くの信者がカキコしながら、誰一人としてそれは違うよと言わない宗教団体。
もし幸福の科学が社会の多数派となったら、どんな恐るべき世界となるか。想像するだけでぞっとする。「あいつは教祖様を信じてない。よって地獄行きだ」とみんなから村八分にされる社会になるのですね。おお怖い。
( これは barutiyusu さんの メッセージ 5368 に対する返信です )


5536 件目  幸福の科学のiroiroarimasuさんへ     投稿者: misikitamotu (男性/jp)     2000年8月16日 午前 6時43分

あなたはご自分が「魔がとりついている」と断言され、自ら撤退されたこのトピックで何がしたいのですか?

>また誤った情報を流している方がいた場合、私の言えることで
訂正させていただくことは今後も行います。

そうおっしゃるのならまず「魔がとりついていると言うのは誤りでした」と言うのが先ではないですか。本気で魔の存在を Mじ怖がっている人がいるかもしれません。そういう人達にたいしても責任があるでしょう。男なら男らしく素直に謝りましょう。それは宗教以前の問題です。
( これは iroiroarimasu さんの メッセージ 5513 に対する返信です )


5537 件目  それはいえている。     投稿者: thankyoujesus (男性/横浜)     2000年8月16日 午前 9時26分

 そうですね。
 それは当然ですね。
 私もそう思います。
 私だって間違えたらちゃんと謝ります。というか、謝っています。
 自分の主張を論理一貫したものとして、訴えるためには、やるべきことはやる必要があります。
 確かに、私は幸福の科学擁護派です。いつも応援しています。しかし、やることはやるという意識が欠けているのを強く感じます。
( これは misikitamotu さんの メッセージ 5536 に対する返信です )


5538 件目  それは通らない     投稿者: Chikurer     2000年8月16日 午前 9時31分

ヤフーの掲示板は、だれでも誰かに対して石を投げつけてボコボコにする「適格」があるとでも言うのですか。
それこそ「無法地帯」の論理ではないのですか。

>勘違いしたものを再掲しないようにね。

「勘違い」ならまだ可愛いが、偏見や曲解から端を発しているのではないかと思われる発言が、批判者側に随所に見られる。
あなたもその一人である。
「愛を説く、その同じ口で誹謗・中傷・差別を言う」とは他の批判者同様、偏見や曲解によるものに見える。

「イエスが神殿に相応しくない者達にたいしては鞭をふるって追い出した」と聞いたが、これこそ同一人物の確信犯ではないのですか。
( これは thankyoujesus さんの メッセージ 5534 に対する返信です )


5539 件目  人間は神仏の子であるのです。     投稿者: iroiroarimasu     2000年8月16日 午後12時12分

ワず人間は如何なる存在であるかを認識していなことから起きる
問題に恐怖ということがあります。
人間は神仏の子であるのです。
魔といえども本来は神仏の子であるのです。過てる姿として
「魔」となります。
それに対して恐れを抱くのは「無明」つまり知識がないからです。
貴方の発言は人間を弱きものと断定しています。それは一つの正義感
からの発言かもしれません。しかし、ここは幸福の科学のトピです。
ですから、ここに訪問される人は幸福の科学の教えを学ぶことなるのです。
貴方の発言は幸福の科学意外の場所では、通じるかもしれません。
しかし、貴方の無明な発言は、ここでは通りません。
人間は本来神仏の子であり強い存在です。それを忘れてなりません。
誤っているのは貴方ですよ。解りますか?
( これは misikitamotu さんの メッセージ 5536 に対する返信です )


5540 件目  人間は神仏の子であるのです2     投稿者: iroiroarimasu     2000年8月16日 午後12時21分

もう一度言います。人間は神仏の子であり本来は誰にも犯されない存在です。
間違った姿になるのは自らの選択から起きるのです。
貴方の発言は人間を弱きものとしています。これは正にすり替えなのです。
魔とはこのように「正しいような発言」をしますが、その本質を
誤らせて認識させようとするものなのです。
ですから私の発言には誤りがありません。
魔が如何なるものかご理解していただけましたか?
魔は常につけいる隙を伺っています。しかし、心が仏に向かっている
人には指一本触れることは出来ません。それを許すのは己の弱さです。
( これは iroiroarimasu さんの メッセージ 5539 に対する返信です )


5541 件目  信者として恥ずかしくないですか?     投稿者: misikitamotu (男性/jp)     2000年8月16日 午後 1時18分

>それに対して恐れを抱くのは「無明」つまり知識がないからです。

>>この元会員さんの投稿は一体なんでしょう?漢字の部分だけ カ字化けするとは!!専門家にも聞いてみましたが非常に珍しいケースとのことでした。私からみるとこれはやはり「魔」だなと確信できます。元会員さんの意図とは関係なく、このようなことが2回もおきている以上、危険だと思います。

恐れているのはあなたじゃないですか。他の誰一人として危険などとは言ってませんよ。

>>これ以上、元会員さんを守ることは私には出来ません。そこで現時点で唯一できることは元会員さんを刺激しないことですね。

元会員さんは投稿しているよ。彼の身の危険はどうなるの?あなたが自分で断言したんでしょ。彼を守る為に身を引くって。

>誤っているのは貴方ですよ。解りますか?

いいえ、あなたです。「魔がついている」「元会員を守る為に身を引いた」と言いながら、何もなかったようにしれっとカキコするあなたです。別に投稿するなとは言わないけど、とりあえず謝るのが筋でしょう。あなた男でしょ。潔くないよ。それが幸福の科学信者の姿なの?
( これは iroiroarimasu さんの メッセージ 5539 に対する返信です )


5542 件目  まあ、     投稿者: aaokasii     2000年8月16日 午後 1時42分

言わば、「魔がついている。元会員さんを守るため」というのは、不利な状況から退散する為の『方便』だったのではないでしょうか?

『方便』には抵抗無い人達みたいですから。
( これは misikitamotu さんの メッセージ 5541 に対する返信です )


5543 件目  誤魔化すのはやめよう信者のiroiroさん     投稿者: misikitamotu (男性/jp)     2000年8月16日 午後 1時42分

>ですから私の発言には誤りがありません。
>魔が如何なるものかご理解していただけましたか?

いいえ、ますますわかりません。あなたはただ単に言葉をすり替えているだけです。こちらは「トピックに魔がついている」「元会員を守るため」と言って去り、なんの説明も無しに復活した理由を聞いているのです。
そもそもあなたは、なぜ「このトピックには魔がつい トいる」と断言できるのですか?教祖でもなく、霊的能力の高い教団幹部でもないのに、教団に相談もせずに無断で「魔がついている」などと言うのは僭越ではないでしょうか。教祖や幹部が、困っているとは思いませんか?
あなたは魔の存在が認知できるほど偉いのですか?ならば教えてください。4月に魔の存在の危険性を訴えて撤退されたのに、なぜ今頃のこのこ現れてきたのか。そして魔はいつ頃このトピックを去ったのか。普通の人間にもわかるように答えてくれませんか?
( これは iroiroarimasu さんの メッセージ 5540 に対する返信です )


5544 件目  霊界の階層性と地獄霊(1)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 4時38分

 この世を去った世界には、大きくいって天国と地獄の二つがあります。そ
して、この天国と地獄という世界も、心の段階に心じて、非常に細かな段階
に分かれています。
 地獄界は、あの世の四次元世界のなかにあります。四次元にはそれ以外に
も、地獄より少し上ぐらいの、地上人とあまり変わらない意識を持った人た
ちが住んでいる世界があります。
 この四次元世界の上段階に住んでいる人たちのなかには、自分が霊的存在
であることをまだ充分に理解していない人も数多く見受けられます。この世
の延長で生活しているように感じている人や、はっきりとした霊的な自覚が
ない人が多いのです。
 もちろん、地獄の世界へ行っている人のなかにも、この世の延長をやって
いるつもりでいる人が数多くいます。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5545 件目  霊界の階層性と地獄霊(2)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 4時39分

 このように、四次元世界は地上に非常に近いため、三次元世界にたいへん
よく似た波動を持っています。そして、三次元世界にいたときと似たような
体験をくり返している人が数多くいるのです。
 この四次元の上に、五次元、六次元、七次元……と、高い階層が広がって
いて、それぞれの階層がまた何重にも分かれています。
 そして、各階層には、まるで透明な幕のように、ひとつの光の壁、空間の
壁のようなものがあって、その人の悟りがその段階を超えられないと、上の
世界に上がることが、どうしてもできないのです。
 ちょうど、みなさんが、建物の天井をつき抜けて空に上がることができな
いのと同じように、その段階の悟りを超えることができないと、上の世界に
はどうしても入れなくて、戻されてしまいます。そして、そこが自分にとっ
て生きやすい世界であるということになるのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5546 件目  霊界の階層性と地獄霊(3)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 4時39分

 このように見てくると、地上に生きている人に霊的なメッセージを送りや
すい霊人たちは、理論的に考えて、どの辺の人たちかというと、ずばり言っ
て四次元世界の人たちです。この人たちは、この世に非常に近いところにい
るうえに、この世に関心を持っているので、地上の人にメッセージを送りや
すいのです。
 四次元世界にいる住人たちのなかには地獄霊もいます。彼らは地上への執
着を非常に持っています。肉体が失われて、悔しくてしかたがないので、
「何とか地上に戻りたい。そして、もう一度、欲望の人生を送りたい」と考
えている人たちが数多くいるのです。
 そうした霊人たちと、地上の人の心の波長が同通すると、彼らがスーッと
寄ってきて、そのまま居すわることになります。
 地上の人の「心の針」がよく動いているうちは、そうした霊も、いつもい
ることはできません。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5547 件目  霊界の階層性と地獄霊(4)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 4時39分

 しかし、心の針が一点に止まって、地獄霊たちと同じ波長が続くようにな
ったときには、彼らにそのまま五年も十年もニ十年も居すわられることにな
ります。それが、いわゆる憑依されているという状態です。憑依霊が憑いた
わけです。
 憑依霊が憑くと、霊能者でなくても身体が重く感じてきます。首や肩が凝
ったり、背中や腰が重くなったり、何となく重い感じがするのです。
 そして、そうした生活をしていると不機嫌になってくるので、どうしても
人間関係がうまくいかなくなり、悪の循環が始まります。
 憑依霊が1体だけなら、まだましなのですが、このように悪い人格ができ
てくると、2体目、3体目と、次のものがやってくるのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5548 件目  霊界の階層性と地獄霊(5)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 4時39分

 私は、4、5体の悪霊が憑いている状態の人と、近くで少し話をするだけ
で、空気が汚染されてくるのを感じます。そうした人の近くは空間が歪んで
いるのです。1、2体ぐらいであれば、まだ呼吸ができますが、どのような
顔の人なのかが分からなくなるほど、いろいろなものが憑いている人だと、
地獄臭がして、空気まで毒されて感じられるのです。
 ただ、ある変な宗教団体が言っているように、「何百体も何千体も悪霊が
憑く」ということは、ありえません。これまでに最も多いと思ったのは十体
ぐらいです。そのくらいが限度です。
 人間の身体は小さいので、それほど数多くは憑けません。何体も憑くと、
憑依霊どうしがケンカをしてしまい、負けたほうは憑いていられなくなるの
で、それほどたくさんは無理なのです。
 かなり重症の人は、4、5体ぐらいまでは持っていることがありますが、
普通は、”おなじみさん”が1体か2体いることが多いということです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5549 件目  霊界の階層性と地獄霊(6)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 4時50分

 このように、地獄界の悪い波動を受けた生活をしていると、地獄霊が居す
わってきます。その状態が続くと、心が暗くなり、対人関係も非常に悪くな
ってきます。そうすると、また恨みつらみが溜まってきて、その地獄霊その
ものの心になってくるのです。
 心の調子が悪くなると、そのうちに健康生活もできなくなってきます。夜
眠れなくなったり、お酒を浴びるように飲んだりするようになります。そう
した無茶をしはじめ、心と身体のバランスが崩れてきます。
 その結果、病気になることがあります。病気になると、さらに状態が悪く
なります。こうしたことがくり返されるようになるのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5550 件目  悪霊の憑依を見抜く(1)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 4時50分

 悪霊に憑依された場合の典型的な感覚は、自分でもチェックすることが可
能です。それは、他人でも身内でもいいのですが、そうした人たちが自分に
はどう見えるか、ということで判断できます。
 たとえば主婦であれば、毎日毎日、朝から晩まで、自分の夫の悪いところ
ばかりが見えてしかたがなく、振り返ってみれば、「結婚当時からずっと、
あれもこれも悪かった。そもそも、結婚そのものが間違っていたのではない
か」と思えるような場合には、99パーセント、悪霊がいると思って間違い
ありません。
 実際に夫のほうが悪い場合も一部あるので、そうした見方が完全に間違っ
ているとはいえません。そのとおりであることも、たまにはあります。しか
し、何もかもが悪く見えてくるような場合は、たいてい悪霊の支配を受けて
いることが多いのです。
 悪霊が入ってくると、価値観がガラッと変わり、すべてが悲観的、否定的
に見え、悪く見えてくるのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5551 件目  悪霊の憑依を見抜く(2)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 4時50分

 そして、人に対して、きつい言葉、悪い言葉、辛辣な言葉、中傷する言葉
が、次から次へと出てきます。そうすると、相手もそれで毒を食らうので、
相手からも応酬が来ます。
 それがくり返されると、だんだん家庭のなかが荒れてくるのです。
 夫婦ゲンカが絶えないと、当然、子供にも影響が出てきます。子供が、ケ
ガや病気をしたり、非行に走ったり、犯罪行為をしたりするようなことにな
ります。
 家庭のなかに悪霊が入ると、そうした状態になってくるのです。
 もちろん、夫のほうに悪霊が取り憑くこともあります。
 現代は仕事が非常に忙しく、夜遅くまで仕事をして、土日もないというこ
とも多いので、なかなか身体が休まりません。それから、夜のつき合いでお
酒を飲んだりすることが多いと、どうしても精神統一ができません。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5552 件目  悪霊の憑依を見抜く(3)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 4時50分

 こうした状態が続くと、次第しだいに心がむしばまれていって、霊障の状
態になることがあります。
 そうすると、妻のやることなすこと全部が気に食わなくなります。言葉の
使い方、表情から、はしの上げ下ろしまでが気になるようになってきます。
こうなると、霊障になっていることが多いと見て間違いありません。
 したがって、過去を振り返ってみて、それまでいいと思っていたものが、
突如、嫌いになって、悪いことばかりが見えてくるようになったならば、霊
的なものが影響しているのです。
 そのときには、「これは自分自身の考えなのか、それとも自分に憑いてい
るものの考えなのか」を、踏みとどまって考えてみる必要があります。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5553 件目  悪霊の憑依を見抜く(4)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16 ・午後 4時50分

 「これは、自分自身のほんとうの考えではないのではないか。自分に憑い
ている何ものかが、自分を不幸にしようとして、破滅させようとして、こう
したことを言わせているのではないか。その言葉のままに動いていると、自
分が不幸になるしかないのではないか」と思えるのであれば、そこでブレー
キを踏まなくてはいけません。
 そのブレーキとは何かというと、「反省」ということなのです。
 反省については、当会では八正道というものも教えていますが、そうした
難しいことを考えなくても、「これは自分を破滅に到らせようとする考え方、
生き方ではないのか」と思ったならば、そこで踏みとどまってみてください。
 いったんブレーキを踏んで、「これには、自分ではないものの考え方が入
っているのではないか。霊的なものが影響してはいないか。悪霊がささや
いてはいないか」ということを考えるべきです。それだけでも大きな第一歩
なのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5554 件目  地獄の心の始まりとは(1)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 5時01分

 この世を去った世界には、執着のかたまりの人がほんとうに数多くいます。
彼らはこの世で、もっともっと生きたかったのです。肉体を持って自由自在
に生きて、もっと欲望を実現したかったのです。
 しかし、先ほども述べたように、2万数千日もすれば、人間はこの世を必
ず去らなくてはいけないのです。そこまでいかないうちに、交通事故や病気
などで亡くなったりもします。完全な自己実現がなかなかできないまま、こ
の世を去るのです。
 そして、地獄霊たちは、この世に舞い戻ってきたくても、生まれ変わるこ
とができません。その不調和な波長では、母親のお腹に入れないのです。心
が精妙になってこないと、母親のお腹に入れません。
 そのため、地上の人に取り憑くしかないのです。他人の身体を支配するこ
とによって、自分の第二の人生を送ろうとするわけです。
 そして、より破壊的な活動をします。人の人生を破壊して喜ぶのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5555 件目  地獄の心の始まりとは(2)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 5時01分

 こうした心は、みなさんの心のなかにも、多少はあるのではないでしょう
か。自分自身が幸福になるのをあきらめた場合、せめて人が不幸になれば、
その分だけは喜べるという気持ちが、かすかにあるはずです。
 自分が幸福になれないのであれば、自分の知っている人がだれか失敗する
と、「ああ、すっきりした。よかった」と喜ぶような気持ちが、どこかにあ
るでしょう。それが地獄の心の始まりなのです。
 一人ひとりが幸福になっていくのを喜ぶことが、いちばんよいことなので
すが、人の不幸を喜ぶ心、人の人生を破滅させて喜ぶような心を持つように
なると、これが地獄に通じているのです。
 地獄霊はこの世に舞い戻ってきて、そうした悪さをし、一人の人間の人生
を破滅させます。破滅させられた人が死ぬと、 サの人もまた不成仏霊という
ことになります。そして、2人でいっしょに次の人をねらったりします。
 こうしたかたちで、地獄霊はいつも他の人を地獄の世界に引きずり込もう
としているのです。これでは、取り憑かれている人は生きながらの地獄です。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5556 件目  地獄の心の始まりとは(2)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 5時04分

 こうした心は、みなさんの心のなかにも、多少はあるのではないでしょう
か。自分自身が幸福になるのをあきらめた場合、せめて人が不幸になれば、
その分だけは喜べるという気持ちが、かすかにあるはずです。
 自分が幸福になれないのであれば、自分の知っている人がだれか失敗する
と、「ああ、すっきりした。よかった」と喜ぶような気持ちが、どこかにあ
るでしょう。それが地獄の心の始まりなのです。
 一人ひとりが幸福になっていくのを喜ぶ アとが、いちばんよいことなので
すが、人の不幸を喜ぶ心、人の人生を破滅させて喜ぶような心を持つように
なると、これが地獄に通じているのです。
 地獄霊はこの世に舞い戻ってきて、そうした悪さをし、一人の人間の人生
を破滅させます。破滅させられた人が死ぬと、その人もまた不成仏霊という
ことになります。そして、2人でいっしょに次の人をねらったりします。
 こうしたかたちで、地獄霊はいつも他の人を地獄の世界に引きずり込もう
としているのです。これでは、取り憑かれている人は生きながらの地獄です。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5557 件目  だから何を言っても無駄!@     投稿者: lalapis     2000年8月16日 午後 5時17分

世の常識ある皆様!

幸福の科学の信者達が、教義に関するごく当然の疑問や矛盾点
を指摘された際、それに対しての返答に窮すると決まって相手
への「人格攻撃」をするのは何故だかお解りですか?
(何も返答に窮している場合だけではありませんが)

彼らは決して話を逸らしたり誤魔化しているつもりは
ないのですよ。
彼らは「心の医者」なのです。(自称ね)
幸福の科学で学ぶことにより認識力が高まってくると、
「心の医者」として他人の問題点、“魂の傾向性”とやら
がわかってくる・・・ということになっているのです。

だから頼まれもしないのに、相手の「魂の傾向性」やら
問題点を“分析”し、「心の医者」としての勤めを
果たしているつもりなのです。
これは往々にして信者同士でも行われます。

幸福の科学の教えを「真理」として認められない人達は
“無明”の中にいることになっているんですよ。
彼らの教えではね!
だから、その無明を晴らすべく、可能な範囲で“導き”を
しなくちゃならないんです。
これも幸福の科学流の「与える愛」なんですよ。
( これは misikitamotu さんの メッセージ 5543 に対する返信です )


5558 件目  だから何を言っても無 ハ!A     投稿者: lalapis     2000年8月16日 午後 5時18分

例え相手を救えなくても「縁」だけでも与えなくては
ならない・・
相手が無明の中にいるのを、あるいは地獄の道へ引き込まれ
そうになっているのを黙っているのは「悪に荷担」している
ことになるのです。

そういう訳であのフライデー事件も起きました。

あの時も彼らは言っていましたよね。
「我々は正義ぶっているのではない。我々は正義だ!」

だからこそ「色々さん」もこんなセリフが言えるんですよ。
>ですから私の発言には誤りがありません。
>魔が如何なるものかご理解していただけましたか?

幸福の科学の教えを「真理」だと理解出来ない人間は
“無明”の中にいることになっています。
一方で信者達は、大救世主の元で絶対的な真理を学んで
いるのです。
だから「私たちは絶対に正しい!それが分からないあなた達が
間違っている」という図式になります。
上記の「色々さん」の御発言そのままですね。
( これは misikitamotu さんの メッセージ 5543 に対する返信です )


5559 件目  だから何を言っても無駄!B     投稿者: lalapis     2000年8月16日 午後 5時18分

例え相手が元会員の方であり、自分達の教義を分かっている
人間であるとしても、文字化けを理由に「魔が憑いている」
だの「ルシフェル」だのと名誉毀損ものの発言が出来てしまう
んですよ。

確かにここは幸福の科学のトピです。
しかし同時に公の場でもあります。
公の場において、一般人の方に対し(元会員というのは
一般人です)上記のような発言をしてしまう“異様さ”
にも気づかなくなっているんです。

だから、いかにまともな反撃やら批判をされてもビクとも
しません。
だって彼らは「正義」だから。
「魔の存在」から名誉毀損だと言われたって、「正義」
は何も感じるはずないじゃありませんか!

世間では精神異常と診断されかねない発言をしておいて
「魔がいかなるものか御理解いただけましたか?」など
とはお笑いぐさですね。
( こ 黷ヘ misikitamotu さんの メッセージ 5543 に対する返信です )


5560 件目  だから何を言っても無駄!C     投稿者: lalapis     2000年8月16日 午後 5時18分

でもね、彼らは大真面目なんですよ。
本気になって「魔」と戦い、相手の目を覚まさせたい・・・
その一心なんです。

だから何を言われようとも「心の医者」として、相手の“魂の
傾向性”を分析し、出来うる限りの善処をしているんです。
それを「人格攻撃」などと言われたって認めるはずないじゃ
ありませんか!

あっ、そうそう!

幸福の科学では「与える愛」と共に「反省」というのも
非常に大切な教えになっています。
勿論皆さんの御指摘とは逆に、ちゃんと彼らは「反省」も
しているはずです。
もっとも幸福の科学流の「反省」ですが・・・

あくまで幸福の科学の教義に則った「反省」をするわけです。
教義の中に、反・幸福の科学的な思想はイコール無明である、
という大前提があるんですね。
だから自 ェ達の問題行動、問題発言を指摘されても、「幸福の
科学的価値観」に外れていない限り、それは反省の対象とは
ならないんですよ。
( これは misikitamotu さんの メッセージ 5543 に対する返信です )


5561 件目  だから何を言っても無駄!D     投稿者: lalapis     2000年8月16日 午後 5時19分

この「幸福の科学」流の“無明”は、彼らの言葉では「邪見」
と言われます。
八正道の「正見」の逆です。

「邪見」を“正す”ことは、彼らにとっては「正義」であり、
また「与える愛」の実践にもなります。

ところで「偉大なる常識人」というのも、幸福の科学にとっては
非常に大事な指針だったはずなのですが、これもどうやら内輪の
中でしか通用しない言葉になりそうですね。
もともとは“一般社会にも通用する人間として生きる”という
意味合いもかなり含んでいたはずなのですが・・・

いずれにしても、彼らの「心の医者」としての視点では、自らを
客 マ視することすら不可能ですから・・・そんな人達に我々の
“魂の傾向性”云々の説法などされるのは御免ですね!
( これは misikitamotu さんの メッセージ 5543 に対する返信です )


5562 件目  解らないのは解ろうとしないからですね。     投稿者: iroiroarimasu     2000年8月16日 午後 5時29分

貴方は私の説明を理解しようとしていませんね。それは貴方の問題す。
魔の「本質」は説明しました。また過去に現象が起きたのも事実です。
しっかり学んでいれば、私たちのレベルでも見抜ける魔の存在は
あります。そうでなければ幸福の科学で学んでいる意味がありません。
貴方の「くどさ」と「人を責める念い」、そして「人間を神仏の子」として
認識しないなどから言えば条件が揃っています。
ラジオと同じで周波数が合えば相手を呼んでしまいます。
それが真理です。そして魔の危険は現在もありますね。
ですからご忠告申し上げていますね。なぜならここは幸福の科学の
トピ セからです。
そして、私の忠告を選択、するしないも貴方の問題です。
全ては自己の責任なんですよ。
( これは misikitamotu さんの メッセージ 5543 に対する返信です )


5563 件目  大川隆法の戯れ言20性的不能はプロの治療     投稿者: ikarugayamamoto     2000年8月16日 午後 5時40分

「性的不能で悩んでいる男性が、よくなんというかね、歓楽街に行くことが多いんです。プロの治療を受けに行くんですね。奥様では立たない、だけどもプロの女性のところへ行くと立つんですね。現実に立つことがある。機能するんですね」
(「高橋信次の愛の賛歌」p101〜102)

 あははははは、これも大川隆法、お前の体験だろう!『戯れ言19』で職業婦人は地獄へ行くといっておきながら、夜の職業婦人は良いわけだな。”ヘアヌード撲滅”などとお前に言う資格があるのか?もう一度修行しなおして来い!
( これは ikarugayamamoto さんの メッセージ 5506 に対する返信です )


5564 件目  大川隆法さんの行く地獄     投稿者: rifutokun     2000年8月16日 午後 5時58分

大川隆法さんの地獄の書込みまだ続くのですか。
研修で地獄についてのお勉強をたくさんしたせいでしょうか。
掲示板には、大川隆法ボンの引用を中心に書き込むようにと、
お偉い大川隆法さんのご指示でしょうかね。

大川隆法さんの講習では、布施、地獄.お化け.悪魔.悪霊.
心霊などの講義が花盛りですか?

夏の研修では、地獄に堕ちないよう今世、いっぱい献金しよう!
冬の時期には、クリスマスにあわせて、与える愛(布施)を実践しよう!
新年にむけては、学業、経済、新年、健康、発展祈願などに、
お金をたくさん布施しよう!

cantareさんには、宗教法人幸福の科学からクレームや、抗議が来てない
ようですね。
きっと大川隆法本部・支部・地区などの偉い人なのでしょうね。
もしかしたら、地獄担当の講師の方だったりして・・・。
大川隆法さんに代わって地獄を説 「て、読者を恐怖に陥れようとしている
なんて、それはすごいことですよ。
もっと、自らの言葉で、自らの意見を書き込んではどうですか。
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5556 に対する返信です )


5565 件目  誤魔化すなよ、人間として問題ありです     投稿者: misikitamotu (男性/jp)     2000年8月16日 午後 6時08分

>魔の「本質」は説明しました。また過去に現象が起きたのも事実です。
>ラジオと同じで周波数が合えば相手を呼んでしまいます。
>それが真理です。そして魔の危険は現在もありますね。

その危険なトピックから撤退したのでしょう。誰から言われたのでもなく自ら判断して、今頃しれっとした顔で出てくる神経が信じられません。なぜ「魔がとりついている危険なトピック」に「元会員を守るため撤退」したのに、今更出てきたのか。その理由を聞いています。なぜ話をそらすのですか。あなたの説明に誰か納得すると思いますか。中学生でも判る理屈です。あなたは卑怯者ですよ。あなた40過ぎでしょう。人の話に正面から向き合わず、誰も納得できない世迷い事を得意げに述べて満足する類なの。幸福の科学ってそんな所なのですか。
( これは iroiroarimasu さんの メッセージ 5562 に対する返信です )


5566 件目  私もあなたに忠告したい。     投稿者: misikitamotu (男性/jp)     2000年8月16日 午後 6時10分

>ですからご忠告申し上げていますね。なぜならここは幸福の科学のトピだからです。

なら私もご忠告申し上げます。あなたがカキコする度に、幸福の科学に反感を持つ人が増えていきます。あなたは卑怯者か、人の話を理解できないのかどちらかです。Cubic Uさんのように良心的で人の話を理解しようと努力する信者の人を見習ってください。
( これは misikitamotu さんの メッセージ 5565 に対する返信です )


5567 件目  理解されないのを相手のせいにするのは卑怯     投稿者: misikitamotu (男性/jp)     2000年8月16日 午後 6時24分

>貴方は私の説明を理解しようとしていませんね。それは貴方の問題す。
>全ては自己の責任なんですよ。

みんなが見る掲示板に意見を書き込む以上、相手が納得できるように話をするのが筋でしょう。対機説法って奴ですか。それができないならカキコなぞしない方がよろしい。なぜならあなたの投稿は幸福の科学のマイナス印象しか残してないからです。判らないのは自分の説明の仕方に問題があると「反省」しないのですか。判らないのは総て相手の問題にして責任逃れして、宗教人として恥ずかしくないですか?

それと>「人を責める念い」、ってなんですか。投稿するときはよく推敲しましょう。仮にも幸福の科学を代表してカキコしているのでしょう。そういうのは「反省」に入らないのですか?
( これは iroiroarimasu さんの メッセージ 5562 に対する返信です )


5568 件目  憑依霊に憑かれた人(1)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 7時24分

 自分の後頭部から後光が出ていることを見るという体験をすることもあれ
ば、職場で働いている他の人びとの後頭部に、何か違ったものが憑いているよ
うに見えることもあります。
 何やら、うすらぼんやりとした小さな雲のように、頭の上や、肩の辺りに、
ぼんやりとしたものが憑いているように見えるのです。うっすらとした靄のよ
うなものです。これが、いわゆる憑依というものなのです。迷っている霊たち
が生きている人間にとり憑いて、彼らと共に生活している姿です。
 そうした憑依霊に憑かれている人の姿は、あるときふっと見ると、その人自
身の顔ではなく、他の姿に見えることがあります。憑依しているものが、その
ままストレートに2重写しになって見えるようなこともありました。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5569 件目  憑依 ・ノ憑かれた人(2)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 7時24分

 しかし、憑依されているかどうかということも、その人自身が鏡を見ればよ
くわかると思います。霊体としての白い靄のようなものはおそらく見えないで
しょうが、自分自身の顔を見て、「さあ、この顔は天使が微笑んでいる顔だろう
か、そうではないのだろうか」と問いかけたときに、はっきりとわかってくる
ものがあります。ですから、常に笑顔を絶やさず、常に優しい言葉を絶やさな
いという心掛けが、非常に大事なのではないかと思います。
 ささやかな霊体験について述べました。この話を聞いただけでも、「現代人の
日常感覚とはずいぶんと違うな」と思われる方もいるでしょう。「信仰というの
は、なかなか難しいことだな」と思われる方も数多いことでしょう。「信ずると
いうことは、こんなに難しいことなのか」と思われるかもしれません。「体験し
なければ、わからないことだな」とも思われることでしょう。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5570 件目  憑依霊に憑かれた人(3)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 7時24分

 そのような「わからない」「納得がいかない」「信じられない」という気持ち
を、生きているうちにさまざまなかたちで表現するのは自由だと思いますが、
それはまた、常に信仰の道に入ろうとする他の人の妨げになっていることも事
実です。
 信仰の道に入ろうとしている人は、自分自身との闘いよりも、周りの人から
のそうした不信感、疑い、妨害の思いとの闘いにつまずき、苦しむことがずい
ぶん多いように思うのです。

「宗教の挑戦」より
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5571 件目  もうこれは、     投稿者: A22362     2000年8月16日 午後 8時07分

洗脳のデッドロック状態ですな。
「心の医者」とはまいりましたね。とどめに「偉大なる常識人」ですか。
恐れ入ります。
率直に言って、陳腐な自意識を見るのは、とても楽しいです。
幸福本を読んで、アイデンティティを確立できるなんて、安上がりで
幸せな人々じゃないですか。
( これは lalapis さんの メッセージ 5561 に対する返信です )


5572 件目  仏の理想を実践していこうとする心(1)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 8時07分

 結局、この世に生命を持っている一切の衆生――環境問題が盛んな今日であれ
ば植物もそうでしょう――すべての生き物は、それぞれが自分の幸福を求めてい
るとともに、その生命を他の多くのものの幸福のために費やさねばならないとい
う要素を持っているのです。その2つが矛盾するときには、それを一致させるた
めの努力をしなければいけないのです。
 実は、それが「仏の理想」であって、その仏の理想を価値あるものとして、素
晴らしいものとして、それを肯定する心、そ 黷ェ、実は「仏性」というものなの
です。仏の理想に呼応して生きていこうとする心、意欲、これが仏性なのです。
 それを捨てた人、要するに、仏の理想というものを悪しざまに罵り、それを足
蹴にして、逆方向に生きていこうとする人が、「悪魔に魂を売った人間」と言われ
るわけです。これも、もともと仏性がない人間ではなくて、仏性に反するような
ことをしているということは、目に鱗がかかって見えないでいる、惑わしを受け
ている、それだけのことであるわけです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5573 件目  仏の理想を実践していこうとする心(2)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 8時07分

 ですから、仏性は全員に備わっています。その仏性とは何であるかというと、
仏の理想を自ら実践していこうとする心のことをいうのです。そして、その理想
とは何であるかというと、結局は、一人ひとりが自分の生命を最高度に輝かせな
がら、社会の理想と一致させていこう、それを前進させていこうとする心なので
す。
一般的な話とかみ合わせて、かなり大きく、「仏性とは何か」ということについ
て述べてみました。本章が悟りのための手引きになれば幸いです。

「心の挑戦」より
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5574 件目  Thankyou_El_Cantareさん     投稿者: cheddar_won     2000年8月16日 午後 8時16分

あなたの師を尊崇してやまないいちずな心はわからなくもないが、もうこのへんで
よしておいたほうがいいのではないかな。著書の抜書きでもって批判者や
一般のロム者を説得教化しようとするのは非常に傲慢不遜な態度であることに
気付くべきです。
それよりたとえ稚拙であっても、自分の理解を自分の言葉で語るほうが信仰者
求道者として好感と共感を相手に与えるのでは。
それとも教祖の思想と人格に傾倒するあまり、あなた自身の考えや判断・見方
がすでに消失してしまったのかな・・・。
あなたとイロイロさんの書き込みがむしろ大きなマイナスイメージを増大膨張
させている現実にそろそろ目覚めてもよい頃だと思うのだが。
もっと素直に謙虚に人の意見に対して向き合う態度と答えを見たいと期待する
のは無理な注文ですか。
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5570 に対する返信です )


5575 件目  降魔即悟り・悟り即伝道     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 8時31分

真実の世界を知ったならば、世間の常識や浅薄な道徳に打ち負けるようであっ
てはいけないのです。悪魔もそれを使ってくるということを、どうか知ってくだ
さい。
悪魔の言うことは、一理はあるのです。「小さなもので大きなものを取る」とい
うのが彼らの狙いです。彼らは「海老で鯛を釣る」ということを、いつも考えて
います。ですから、部分的には正しいことを言うのです。この世的に幾分かの真
理があるところを衛いて ォます。家族や親戚の問題、金銭的問題など、この世的
な諸問題に対して、部分的には正しいところを衝いてきますが、それと引き換え
に、大きなものを取ろうとして狙ってきているのです。これを見抜くのが智慧で
す。

「仏陀の証明」より
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5576 件目  「仏陀の証明」あとがきより     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月16日 午後 8時31分

 現代には、仏教を称する教団の中にも、間違ったものや、狂ったものも多数存
在する。宗教が人の心を救うためではなく、人生を狂わせたり、踏み外させたり
する迷路となることに、深い悲しみを感じる。
 邪教の擬しのテクニックや虚飾を見破るためには、正確な悟りの知識と、研ぎ
澄まされた人生観が必要である。
 善悪を見極め、正邪を判別することが、智慧の始まりであることを知らなけれ
ばならない。ていねいに日々精進し、学び続けることが大切だ。正気から狂気に
到ることを「解脱」と勘違いしてはならない。悟りには「世間解」という立場の
あることを忘れてはならない。世の中の真実の流れや真相を見誤ってはならない。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5577 件目  まるで「天皇制」トピみたい     投稿者: FAMILY_STONE_00 (30歳/jp)     2000年8月16日 午後11時29分

傲慢不遜な態度とまでは思わないけれど「天皇制」トピ状態ですね。(^^;信者さんもいろいろ考えての事なんでしょうけどね・・・議論にならないものね。
( これは cheddar_won さんの メッセージ 5574 に対する返信です )


5578 件目  Re 悪霊の憑依を見抜く     投稿者: ixtlan     2000年8月16日 午後11時52分

なるほど。自分にとってよくないことは、全部他人のせいにするわけですね。これは タ践的にはいいかもしれない。そうすれば少なくとも気が休まるだろうから。しかしこのやり方だとなんでもかんでも憑依霊のせいにできますよね?そのあたりの区別はどうやってしているのですか?それから四次元なんてことはブッダもキリストも言ってないと思うが、それはどうでもいいわけですか?
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5553 に対する返信です )


5579 件目  それでは     投稿者: iroiroarimasu     2000年8月17日 午前12時08分

幸福の科学のトピですから,幸福の科学の教えにしたがって魔について説明しました。
そして以前の私の発言が誤りだったから
詫びろと貴方は言われる。イカルガさんも
そうでしたかね?
それでは何故私の発言が誤りなのか
あなたに証明していただきたいですね。
魔は物事の本質をすり替える名人です
私の発言の一部を利用してすりかえてきますね。
( これは misikitamotu さんの メッセージ 5565 に対す 髟ヤ信です )


5580 件目  今日、水曜祈祷会にいったら     投稿者: thankyoujesus (男性/横浜)     2000年8月17日 午前 1時59分

 同じ教会のMさんが、私に本を差し出しました。なんだろうと見ると、なぜか『幸福の原理』(大川隆法)でした。ついつい笑ってしまいましたが、早速読みました。Mさん見てますか!ところで、P98で律法学者がイエスにいった記述にこんなのがありました。<「お前は、神が日曜日に働いてはならないといった戒めを破ったではないか。病人を治したのを見たぞ」>という箇所です。ちょっとまってください。私クリスチャンで毎日欠かさず聖書を読んでいますが、神が日曜日に働いてはならないといっている記事を見たことがありません。それに対して、イエスはこう答えています。<「神の子である私が、何ゆえに日曜日に、病に伏せる人を導いてはならんのか。」>と。なんで、日曜日が関係あるんですか。いいじゃないですか、日曜日なら!土曜日だと当時は状況的にマズイかもしれないけど。どうなんでしょう、幸福の科学さん。わかりません。
( これは iroiroarimasu さんの メッセージ 5579 に対する返信です )


5581 件目  お邪魔します(^^)     投稿者: kikikajiri (女性/関東)     2000年8月17日 午前 2時34分

通りすがりの者ですけど、、
なんかこのトピ激しいですねー。とってもこわーい(++)です、、、
批判者の方達はでぃべーとっていうんですか?ああいえば何とかさんみたいだし、、なんか信者の方お一人で頑張ってらっしゃるみたいで大変だなーって思います。でもエルなんとかさんの本の引用はとっても勉強になりますね。わたしはもっと読んでみたいな。。
じゃあ頑張って下さいね!!
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5582 件目  すごい     投稿者: K_CN (34歳/男性/横浜市)     2000年8月17日 午前 2時52分

> ですから、部分的には正しいことを言
> うのです。この世的に幾分かの真理が
> あるところを衛いてきます。

見事に、部分的に正しいことを言っている・・・・
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5575 に対する返信です )


5583 件目  これはすごい!     投稿者: thankyoujesus (男性/横浜)     2000年8月17日 午前 3時07分

 『幸福の原理』P101−102
「イエスには、枕するところもなかった。すなわち、ここもかしこも彼の生命を狙う人びとで満ち満ちていたわけであります。彼は自らをかくまってくれる人の家から家へと、毎日毎日逃げ回っておりました。」

 私はこんな解釈を見たことがありません。聖書によれば、イエスは命を狙われそうになっても堂々として逃げたことがありませんでした。なぜか大川さんはしっているのだろうか。というより、大川さんの聖書理解にはついて行けない。高度なのか、ボロボロなのかどちらかだ。律法学者がP98の箇所で、律法学者は「安息日に仕事をしてはならない」といったのですが、「安息日」を日曜日と解釈した時もこの人はすごいのか、それともボロボロなのかどちらだ?と悩みました。未だに謎です。どちらでしょうか、幸福の科学の方教えてください。
( これは K_CN さんの メッセージ 5582 に対する返信です )


5584 件目  私も良いと思いますよ。     投稿者: shinpa777     2000年8月17日 午前 3時35分

友人から幸福の科学の本を貰って今読んでいるところです。教義も聞いてますが、私はカルトでは無いと思いますよ。進歩と調和、平等と公平、etc。この縦と横のベクトルの融合は理想だと思います。しかも哲学と違って、個人の悟りが実践を伴って現実社会に還元出来るのですからね。この教えは世に拡げるべきですよ。政治思想の部分が左翼を刺激しているんでしょうけど、終戦の後遺症をいつまでも引きずっていてもね。やはり自衛は必要だと思いますよ。ただそういう話になって来ると一般信者の方には荷が重いかな。
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5576 に対する返信です )


5585 件目  大川隆法の戯れ言21女は食ってみろ     投稿者: ikarugayamamoto     2000年8月17日 午前 6時15分

「女性と結婚するというのは、まあメロン買うのといっしょなんだよね...(スイカと同じように)メロンも切って売っているのも多少出ているけれども、普通は一個そのままで売っているよね。だからメロンといっしょでね、わかんないんですよ。買ってはずれたときのショックは大きいよね。そういうことがあります」
(「高橋信次の愛の賛歌」p53)

飲み屋なんかで「女ってのはやっぱり食ってみなきゃわからんよ」などと、ほざいている品のないスケベな親父の発言と同じですな。”メロン”扱いされた大川”アフロディーテ”きょう子はどう考えているのかな?でもまあ頭の中身は同じ様なものか。大川ブッダと結婚するくらいなんだから。
( これは ikarugayamamoto さんの メッセージ 5563 に対する返信です )


5586 件目  信者の皆様へ     投稿者: shinpa777     2000年8月17日 午前 8時03分

他トピも覗いてみましたが、某Iさんは議論をふっかけてもぴしゃっとやられてますね。要するに相手にされていないようです。参考にされてみては?
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5587 件目  最初の霊示(1)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月17日 午前10時18分

 私は、1981年の2月に霊道を開き、高級霊からの通信を受け
始めてから、85年夏にこの本が出版されるまでに、約4年半をか
けました。この間、私たちがいったい何をしていたのかということ
は、この本の行間からある程度読み取ることができると思います。
 最近刊行されている私たちの書物は、一冊一冊はっきりしたテー
マを決め トつくってありますが、あの当時の本というのは、そうと
うな分量の霊言のなかから選んで編集した本なのです。ですからい
ろいろな内容が集まっていると感じられた方もいるでしょう。日蓮
聖人との対話は、4年分ぐらいのストックがあり、そのなかから編
集してこの本ができあがりました。
 ですから、この本に書かれていない対話もそうとうあったわけで
す。それは個人的な問題の相談がほとんどでした。やはり最初に霊
的現象に出会ったときには、衝撃の連続でありました。理解できな
いことばかりでしたし、霊的世界について書かれたテキストもなけ
れば、師もいないという情況で、まったく帰納的方法といいますか、
実際に体験したり、学んだことのなかから理論を構築していくとい
うステップでありました。
 最近の理論書を何冊か読まれたあとで、初めてこういう本を読ま
れる方は、あるいは、「幼稚だな」と思われるかもしれません。しか
し、ここに私たちの人間としての格闘があったわけです。その格闘
は、実に大変なものでありました。それは私にとっては、やはり人
生の針路を大きく変えてしまう内容であったわ ッです。しかしそれ
から8年もの歳月が流れてしまい、今、多くの方々が幸福の科学の
考えに賛同されていますが、この最初のころがいちばん難しかった
わけです。
 何しろ当初は、この私自身が賛同していなかったのです。私にこ
ういう現象が起きなければならない理由はない、と思っていまし
た。私はもともと考え深いほうではありましたが、どう考えてみて
も、そんなはずはないと思われたのです。宗教家になりたいと願っ
たことは過去一度もなく、宗教家としての資質があるとも思えなか
ったし、自己実現の方法としても考えてもいなかったことでした。
最初に日蓮聖人が出て来て話をされ、それだけでなく同じころ、イ
エス・キリストをはじめとするさまざまな霊人が出て来ておりまし
たが、とても信じられないというのが私の正直な気持ちでした。
 霊的世界について書かれた書物をいくつか読んでみましたが、そ
こに共通して書かれていたのは「波長同通の法則」ということでし
た。霊界通信の原理として、同じ波長でなければ通じないという法
則があり、そうすると、こうした高級霊から霊示を受けられるとい
うことは、私もそういう波長を持っていなければならないというこ
とになるのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5588 件目  最初の霊示(2)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月17日 午前10時19分

 そこで、自分自身の過去24年間の人生についてふり返ってみ
たわけですが、「そんなはずはない、そこまで自惚れてはいない」と
いうのが私の結論でありました。悪いこともしたかもしれないし、
考えたこともあるかもしれないけれども、人間を上・中・下に分け
たら、なんとか平均ぐらいはいっているだろう。しかし、そんなに
偉い人と話すほどではないはずだし、それほどの実績もないと思っ
たわけです。
 しかも、それほど心の修行をしたかと問われたら、した覚えもな
いし、それほど心が澄んでいるかと問われても、それほどでもない。
考えれば考えるほど、やはりありえないという結論に達したわけで
す。
 しかし、「現証」は、徹底的でありました。現在では霊的現象に関
して、私は選択的に応じています。自分に必要がない場合、聞く気
がない場合には、霊人たちが何を話そうとしても私はぜんぜん応じ
ません。しかし、このときにはそうではありませんでした。最初の
1年月はほとんど24時間態勢に近かったのです。いつ、なんど
きでも話しかけてこられる状況でありました。
 まことに不思議ですが、たとえば夜中にパッと起きて、私が何か
質間や疑問を抱くと、すぐに答えが返ってくるという状態でした。
日蓮聖人だったのですが、最初は四六時中そばにいる感じでした。
夜中にフッと目が覚めて、何かについて疑問を待っただけで、答え
がすぐに返ってくるのですから、恐ろしいくらいでした。私が行く
ところには、どこにでもついて来られて、私が考えることに次々と
答えを出してくるのです。こんなことがありえていいのだろうか、
家庭教師とはいっても、少し親切すぎるのではないだろうか、とい
う感じでありました。
 また、たとえば女性を見て、「美しいな」と私が心のなかでフッと
思ったとします。すると、「いや外見にだまされてはいけない。彼女
の悟りはこの程度だ。心がよくないところに通じている。」などと、
すぐに言われるのです。電車に乗っていても、前にいる人には憑依
霊が3体憑いている。それは何と、何と、何であるというように、
四六時中教育されていました。もう洗脳に近いかたちですが、教え
られているうちに、自分も観察をするようになり、これはあれとあ
れが憑いているなと思っていると、「そのとおりだ。」などと言われ
るようになってきました。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5589 件目  仕事と霊的現象との間で     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月17日 午前10時19分

 当時、私の専門は外国為替でした。ひじようにかっこいい領域で
す。総合商社では新入社員を採ると、比較的優秀な人を、教育のた
めに外国為替のなかの輸出外国為替課に入れるのです。そして、英
語の勉強と、全体の商売の流れを教えます。商社というのはそうと
う取引が大きいも フですから、専門のところへ入れられると、全体
が見えにくくなるのです。ですから、まず全体を教えるために、外
国為替のほうに入れて勉強させるのです。
 私はそこに勤務しており、やる気満々でしたが、あの霊がどうの、
あの人に悪霊が憑いているだの、悟りがこの程度だとか、そんなこ
とばかり一日中言われているわけで、たまったものではありません
でした。
 しかし、職場では英語が飛び交い、電話が鳴り続ける。ものすご
い仕事量が要求されます。そして処理の速さが不可欠ですので、ま
さしく瞑想生活とは正反対のことを一日中行なっていたわけです。
ところが勤務時間中でも考えごとをすると、日蓮聖人からの答えが
返ってくるという、まことに厳しい状況だったわけです。
 私は、何とかしてこの霊の世界から逃げよう、そう決心いたしま
した。考えないのが一番だと思って、絶対何も考えまい、考えなけ
れば何も答えはこないはずだ。霊にも関心を持つまい、宗教になど
関心を持つまい、と念じ続けていたのですが、やはり人間には心が
あり、考えてしまうのです。そうすると聞こえてきて困りました。
 そういうわけで、どちらかというと、私はネガティブな考え方を
持っていて、結論をいえば逃げたかったということですが、しかし、
逃がしてはくれなかったのです。そして3か月から4か月ほど一人
で格闘していたわけです。現在、幸福の科学の顧問をしております
善川顧問――私の父親ですが――に話をしたのですが、もちろん信
じてくれるはずはありません。
 当時はまだ顧問のほうも仕事をしていたものですから、東京に出
張で出て来たときに現象を見せました。するとイエス様が出て来た
のです。顧問もそんなことがあるのだろうかと唖然としてぃました
が、ひじょうに研究熱心な方なので、それ以後常時テープレコーダ
ーを持って、いつ何どき何が出ようとすべて収録し、資料蓄積を開
始したのです。私よりも顧問のほうが熱心だったということです。
なんとかしてこれを一つのものにしたいと考えて、研究していまし
た。
 私はまだこの世に未練がそうとう残っていたものですから、でき
たら足を洗いたい、逃げたいという気持ちがありました。私は内容
よりも、現象そのものを見ていただけですが、顧問は、テープレコ
ーダーに収録したものを原稿に起こしたりして、研究を続けていま
した。そして、1年前に言われたこと、2年前に言われたこと、3
年前に言われたことというように、テープや起こした原稿で追跡調
査をしてみると、日蓮といわれる方の言っていることは、つじつま
が合っており、終始一貫していて、あらゆる角度から研究してみて
も、同一人物としか思えないということでした。
 そしてその内容は、とてもおまえの頭脳から出たものとは思えな
いと顧問は言うのです。たしかに私は、その方面の研究や勉強をし
ているわけでもなかったので、言われてみればそうかもしれないと
思いました。私の考えでそんな内容のものが出てくるはずはない。
それが最大の証明となって世の人びとは認めるであろうと顧問は言
っておりました。

「幸福の科学原論@」より
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5590 件目  教えについて     投稿者: rifutokun     2000年8月17日 午前11 ・0分

まだ、小学校に秘書の方がお迎えにいkっせているのですか。
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5589 に対する返信です )


5591 件目  どうしてなんでしょうか     投稿者: thankyoujesus (男性/横浜)     2000年8月17日 午後 8時00分

幸福の原理P98で、律法学者がイエスに日曜日に仕事をしたことを責めています。
 なんで日曜日に仕事をしてはいけないのでしょうか。別に日曜日に仕事をすることは禁じられていないはずです。
 だれか、わかりますか?
( これは thankyoujesus さんの メッセージ 5583 に対する返信です )


5592 件目  頭のいい人の問題点     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月17日 午後 9時56分

 心の清らかさと頭のよさと関係かあるか、清さと正しさと関係があるかということでし
ょうか。
 あるかもしれませんね。半分ぐらいあるかもしれないと私も思います。というのは、い
ろいろな人の悩みを手紙などで相談を受けたりして読んでいると、やはり頭のいい人が
多すぎるようです。よくここまで気がつくなと驚くぐらい悩みを見出しているのです。
 ある意味で頭のいい人は不幸です。人が気がつかないようなことも気がついて苦しんで
いて、自縄自縛しているのです。そういう意味では、単純で、素朴で、あまり知恵がまわ
らないのも、これもひじょうにいいことですね。うらやましいというか、そちらのほうへ
いったほうがいいこともあります。
 ですから、悪人が地獄に堕ちるというわけではなくて、頭がよすぎて堕ちる場合もある
のです。たとえば頭のいい人のいちばん典型的な例が、人のアラが目につくということで
す。これはほとんどの人にあてはまると思いますが、胸に手を当てて考えていただきたい
のです。
 人のアラが目につく、人の欠点が目につきやすい人がいますが、これが最初の障害なの
です。これはだれもが通り越さねばならない段階なのですが、よく、僕は人がよく見える、
と ゥ慢している人がいます。その人物がよく見えて、その人がどういう人かというのがよ
くわかる、と自慢している人がいますが、そういう人にかぎって、いわゆるアラ捜しの名
人であることが多いのです。人がよく見えるといっても、どういうふうによく見えるかと
いうと、人の欠点やアラが見えるということなのです。頭のいい人にけっこう多いようで
す。よく気がつくのです。
 そして、自分で勝手に人の悪いところを見つけて、あれも悪人、これも悪人、みんな悪
人というふうに悪人をたくさんつくり出しているわけです。そしてみんなが自分を害そう
としているなどと被害妄想になったりしているのです。「大川隆法先生が俺のほうをにら
んだから、絶対おまえは地獄に堕ちるぞ、という意味でにらんだにちがいない。」と思う人
もいるのです。
 こういう人にくらべたら、単純で、精薄とはいわないまでも、天真爛漫に生きている人
のほうが、はるかに天国に近いかもしれません。そういうことで、心の正しさの探究にも
なりますが、単純になる努力も大事です。頭がいいだけがいいというわけではありません。
迷路をつくるだけの頭のよさであれば、そんな頭のよさは、ないほうがましです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5593 件目  真に教養ある人とは     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月17日 午後 9時56分

 私も、そういう切り換えを意図的にやりました。いまから十年ぐらい前になりましょう
か。私もいろいろな本を読んだりするのが好きだったものですから、よく本を読みあさっ
たのです。そうすると、たしかにいろいろな知識が吸収できます。そして、そういうこと
を知らない人と会って話をすると、ばかに見えることがあるのです。
 たとえばその人と話をしていると、「ああ、この人が先週の日曜日に読んだのはこういう
本だな。」というふうに、話を聞いているうちに読んだ本までわかってしまうのです。俺は
もう2ヵ月前に読んでいる本だなあ、などとわかってしまいます。
 こうなると、最初のいわゆる天狗の段階です。自分が勉強してちょっと向上していると
思うと、やたらに人の欠点が目につく段階があるのです。これは必ずあって、みんな通り
越します。これは必ずあります。
 この段階で、自分が偉いと思ったら、もうその人の進歩はぜったいありません。そうで
はないのです。自分と他と比較して、他の人の見劣りしているところを見て安心したり、
他人がいまごろ読んだ本を、自分は昔読んだことを知って安心したりするような気持ちで
あっては、まだまだぜんぜん悟っていないのです。
 本を読むにしても、人よりちょっとだけ多く読んだという程度ではなくて、大碩学とい
いますが、大学者、あるいはものすごく教養のある人になってくると、もうそんなことを
チラつかせたりしません。「ああ、おまえが読んだ本は、自分は1ヵ月前に読んだよ。」な
どとは言いません。
 ほんとうに教養がある人になってくると、もうまわりからにじみ出てきます。そんなこ
とを言わなくても、もう近づいただけでこれはそうとう知ってるな、と感じてしまいます。
そして、こういう人にこういうことを言ったらまずいかもしれないなどと、近づいたほう
から恐縮したりするようになります。
 そういう教養ある人になってくると、今度は逆に人といても争わなくなります。なぜ争
わないかというと、相手が自分より知的に劣っていることを指摘して、自尊心を満足させ
るような、そんな段階にはもういないからです。まだその段階にいる人というのは、すこ
しだけ抜いているぐらいでそう変わらないからそうなるのであって、はるかに抜き去った
場合には、もう問題にならないので、そういうことを気にしなくなるわけです。自分より
知識がないとか、自分より劣っているとか、そんなことは気にならなくなるのです。
 気にならなくなるとどうなるかというと、「あー、この人にはずいぶんこういういいとこ
ろがあるもんだなあ。」と、逆にいいところを見つけられるようになってくるのです。それ
は心の修行がさらに進んだからです。
 したがって、頭がよくなってもいいですが、生半可な頭のよさだと人の欠点ばかりが見
えて、要するに悪魔の数ばかり数えるようになってきます。もっと進んでくると、そんな
ことは気にならなくなって、地上が善人ばかりで満たされているように見えてくる段階が
あるのです。
 他人との競争が目につくような、その心の段階というのは、まだ悟りが遠いということ
を知らねばなりません。もっともっと悟りが進んでいって、自分に自信がついてくると、
人に優しくせざるをえなくなってきます。優しくなるのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5594 件目  慈悲の境地     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月17日 午後 9時56分

 慈悲の慈というのは恵みということです。それから悲というのは悲しみと書いてありま
す。なんで慈悲という言葉に悲しみという字がついているか。ほんとうに悲しいのだろう
か。そういうことではないのです。それは、もちろん仏教のほうから出ていますけれども、
奈良へ行けば東大寺の大仏、鎌倉に行っても大仏があります。ああいう大仏という姿でも
って、神の姿、あるいは仏の姿を表わしているわけなのです。
 たとえば、地上から20メートルもあるような大仏様からこの地上の人間を見たときに、
その悲しみとか、優劣の気持ち、あいつが偉く ネったとかならないとか、出世したとか、
いい大学を出たとか、言い争っている地上の人間の姿はどう見えるかというと、ひじょう
にかわいそうに見えると思うのです。ひじょうにかわいそうな気持ちになって、ああこう
いうことで苦しんでいるのか、と思うでしょう。
 ちょうど私たちが、蟻があっち行き、こっち行き、行きあたりばったりに動いているの
を見て、かわいそうに思うのとおなじです。ああ、彼らはそういう試行錯誤をしないとま
っすぐ進めないんだな、石にぶつかったら右曲がり、左曲がりして、どっちへ行ったらい
いかわからない。私たちから見たら悲しいですね。
 そのように、慈悲というのは大きな、ずっとはるかに高い境地でもって人間を見たとき
の心なのです。愛の心であって、さらに高い愛の心、すなわち、「存在の愛」と私が呼んで
いる段階に達した境地が慈悲の心であります。そういう境地になってくると、人と争う気
持ちがだんだんなくなってくるのです。同じ土俵ではなくなってくるわけです。ですから、
心が清い清くない、あるいは単純でばかで、白痴みたいだったらいいかというけれども、
いい意味でそうなっていけば立派です。まず、みんなアラや欠点が見える段階は必ず通り
越しますが、勉強したり努力したりするうちに、人の欠点がよく目につく段階を越えてい
ったときに、人間は今度は単純になってくるのです。ひじように単純になってきて、人が
よく見えてくるのです。ものすごく、いい人に見えてくるのですね。それは境地がだいぶ
上がってきているのです。そういう境地までいかなければいけません。
 そうすると、あまりこだわりがなくなってくるのです。たとえば、この人、まだこんな
ことで夫婦げんかしているなあと思うけれども、たしかに自分もそういう経験があるし、
だれそれさんのところもそうだったし、人間というのはそういうことはあるんだな。でも
この原因はこういうところにあるだろう。こういうところに原因があるけれど、まあいま
の段階ではこれは解決できないだろう。1年ぐらいしたらこういうアドバイスをしようか
な――。そういう人は、こんなふうに考えます。
ところが、そういう経験がない人はわからないので、あっちの味方になったり、こっち
の味方になったりして、やいのやいの言って相手を責めるようなこ ニを指導したりするよ
うなことがあるのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5595 件目  ほんとうの意味での単純さ・素朴さ     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月17日 午後 9時56分

 こういうことで、ある程度心の段階が進んでくると、複雑な人間から単純に変わってく
るときがあるということです。単純から複雑をすぎると、また単純になってくるのです。
単純になってきて最高に単純になってくるとどうなるかというと、もうその日一日のこと
を思いわずらえばいいという、あのイエス様のような境地です。
 もう彼は神の世界のことを全部知っているし、自分の使命も知っているし、人間がどう
いうふうに生きているか、生きてゆけばいいかを知っています。そうすると何も思いわず
らうこともないのです。きのうはきのうで過ぎ去っていった、明日は明日でわずらうであ
ろう。人間は今日一日のことを考えればいい、だから過ぎ去ったことで取り越し苦労もし
ないし、持ち越し苦労もしないし、そういうことを考えなくなり、単純になる段階があり
ます。
 そういう意味での、ほんとうの意味での単純さ・素朴さというのは大事にしていただき
たいのです。他人のアラばかりが見えるような、そんな賢さではだめです。それを通り越
したら、すべてを包めるような優しさに変わってきます。ほんとうに自信のある人は、他
人に対して優しくならざるをえないのです。優しくないときは、まだ自分にほんとうの自
信ができていないのです。他人よりちょっと優れたところをもって、相手を批判する気持
ちが心のなかにあるのですね。それでもって相手を裁こうとしているのです。
 ですから、あなたの境地は多少上がっていても、まだ相手との相対観のなかで生きてい
るといえます。もっともっと、あなたの心境を上げなければいけません。もっともっと心
境を上げると、たとえば、あなたの、もうどうしようもないと思われる御主人が、ものす
ごくかわいらしい子供のように見えてくると思います。そこまでいったとき、そういう単
純な気持ちになれたときに、あなたはあなたなりの悟りを開けた、そ フようにいうことが
できると思います。

「真理の発見」より
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5596 件目  何がカルトじゃないんだろか     投稿者: ixtlan     2000年8月17日 午後11時42分

唯物論、共産主義を信じている者は実際に「地獄に行って苦しむ」という教えなのでしょ?しかも比喩ではないんだよね、地獄を霊視しているそうだから。
( これは shinpa777 さんの メッセージ 5584 に対する返信です )


5597 件目  う〜む     投稿者: ixtlan     2000年8月17日 午後11時55分

始末に悪い「優しさ」だ、これは。おそらく幸福の科学を理詰めで説得しようという批判者をこの手で蹴り飛ばしているんだろう、「なまじなインテリになるな」と。しかし批判者はインテリの観点から批判しているのではない。そうではなくて、常識的かつ倫理的な観点から批判しているのである。そこんところ間違えないように。
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5593 に対する返信です )


5598 件目  この世を離れる釈尊     投稿者: ixtlan     2000年8月18日 午前12時18分

「釈尊は定住することなく、つねに遊行の旅にあり、多数の苦しみ悩む人々に接した。それを釈尊の慈悲と解するのも、また布教とみなすのも、実は必ずしも正しくない、と私は思う。それらの受け止め方は、すべて信徒や仏弟子から眺めた釈尊像なのであり、釈尊はただひとり、あるいは晩年の二五年あまりは、いとこにあたる阿難を伴って、路上にまたは樹下に、ときに仮の精舎に、夜を過ごす旅にあり、信徒から朝のみ一日一回の食を受け、一片の貯えももたず、あらゆる欲望から遠ざかって、みずからの途をみずから思うとおりに、争うことなく、競うことなく、衒うことなく、激することなく、いわば無に徹しきったまま、安らかに、清らかに歩み続けた、と見るのが妥当であろう。」(『バウッダ』34、中村元、三枝充悳)
大川氏と同じようなことを言ってる部分もあるが、大川氏のように「私は誰かの生まれ変わり」なんてことは釈尊は言わなかった。30次元がどうのこうのなんてことも言わなかった。形而上学は無記だった。それが大川氏のような人にかかると、さっそく形而上学が始まってしまう。これはなぜだろうか。
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5595 に対する返信です )


5599 件目  実に馬鹿げた発想     投稿者: ixtlan     2000年8月18日 午前12時43分

この人たちの発想では、唯物論は「心」を重視しない、ゆえに間違っており、だから地獄行きだとなっているらしい。しかしながら、共産主義ほど心を大事にする思想はなかった。もっともそれは19世紀の産業革命で徹底的に搾取され、抑圧され虐げられた人たちの心だったのだが。それではなにゆえ唯物論なのか。彼らはこの世の腐敗と悪は当時の宗教的な社会がもたらしていると直感した。宗教的なものが解放であると同時に抑圧装置にもなる、ということは洋の東西を問わず同じだった。だから宗教装置の上にふんぞり返っている「心」を批判するという文脈で唯物論となった。
( これは ixtlan さんの メッセージ 5596 に対する返信です )


5600 件目  日本人はともすると     投稿者: ixtlan     2000年8月18日 午前12時50分

馬鹿げた中身のない歴史教育のせいで、あれもこれもみそもくそも一緒にして考える。たとえばこの人が挙げている東大寺だが、東大寺は当時の絶大なる封建領主だった。なんでも宗教と名がつけば「へへー」とかしこまってしまうのが日本人の共通心性である。しかしそうではない日本人もいたらしい。
( これは ixtlan さんの メッセージ 5599 に対する返信です )


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