Yahoo! 幸福の科学の教えについて 新・5601-5700

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5601 件目  安藤昌益/『老子』(福永光司)より     投稿者: ixtlan     2000年8月18日 午前12時56分

「かつて我が江戸中期の”忘れられた思想家”安藤昌益は、当時の為政者たちの偽善と堕落を痛烈に批判し、「互性活真」の救世の哲学を説いていっさいの政法と教法を否定するとともに、孔子を罵り釈迦をしかり、幕藩体制の創始者、家康をまで徹底的に断崖したが、彼のいわゆる「互性活真」の主張も、要するに万物相対観にもとづく自然の妙道への復帰を提唱するものであった。「互性」すなわち万物相対の根本原理に目覚めて、「活真」すなわち生々溌剌たる自然の妙道にしたがうことが彼の哲学の根本だったのである。」
( これは ixtlan さんの メッセージ 5600 に対する返信です )


5602 件目  某Iさんて、     投稿者: FAMILY_STONE_00 (30歳/jp)     2000年8月18日 午前12時57分

ixtlan氏のことですね。
( これは shinpa777 さんの メッセージ 5586 に対する返信です )


5603 件目  老子の相対観     投稿者: ixtlan     2000年8月18日 午前 1時03分

「昌益はその哲学を無学な己れの、師なくして悟った独創の見であると自負しているが、それが老子の相対観と自然の哲学にヒントを得たものであること、彼の著作などを検討して一目瞭然であろう。そしてまた、昌益が口をきわめて罵倒する孔子や釈迦の教法にしても、それらはともに世俗的な価値の相対化・逆転化によって、道徳的な「善」もしくは宗教的な「真」の絶対性を確立しようとしたものであり、近くはマルキシズムの唯物弁証法といえども、この相対化という点では共通するものを多くもつ。我々はその日本的例証を ヘ上肇の唯物弁証法の理解(第二貧乏物語)のなかにもっともよく指摘することができるであろう。」(『老子』福永光司、朝日文庫、52)
( これは ixtlan さんの メッセージ 5601 に対する返信です )


5604 件目  宗教的価値相対主義     投稿者: ixtlan     2000年8月18日 午前 1時34分

以上長く引用しましたが、ここからうかがえることは、「争いを避ける」なんてことは安藤昌益はしなかったわけです、たとえ老子の自然道を唱道してはいても。なぜなら、彼には争うべきものがあった。それは当時の支配階層やそれにへばりついている支配的想念であり、これを「相対化」しなくてはならない。ですから、私たちは、昨今言われる「価値相対主義」(あなたはあなた、私は私、それでいいじゃん)とは別種の「相対主義」をここに見るわけです。大川氏は「争いがないように」と言うわけですが、ただ例外があって、自分に対して争うものに対してはそれを撲滅しなくてはならない。そこで彼の形而上学が必要になるのでしょ 、。
( これは ixtlan さんの メッセージ 5603 に対する返信です )


5605 件目  そんなこと言っちゃ悪いよ。     投稿者: catastrophe123     2000年8月18日 午前 1時36分

勝手な決めつけは良くないね。ほかにもいるんじゃないの?
でもあなたはそう思ったんだ。
( これは FAMILY_STONE_00 さんの メッセージ 5602 に対する返信です )


5606 件目  つまり形而上学の     投稿者: ixtlan     2000年8月18日 午前 1時47分

全部のとは言わないが、一つの顔として、「自分だけは絶対正しい」が「争うことはしない」という都合の良い二兎を得るための言説の場である、ということが言えると思います。調子づいてもっと言えば、この種の「都合の良い形而上学を撲滅する運動」がポストモダン哲学であり、またポストモダン哲学者がしばしば口に出すところの「道元」なのでしょう。
( これは ixtlan さんの メッセージ 5604 に対する返信です )


5607 件目  ふーん     投稿者: ixtlan     2000年8月18日 午前 1時52分

仮に私だとしたらさ、シャットしたのはJoseM氏かね?私はとんずらしたと見てるんだが、どうだろう。しかし元気にがんばってほしいね、あの向思想性ディズニーランド症候群の人には。
( これは FAMILY_STONE_00 さんの メッセージ 5602 に対する返信です )


5608 件目  ixtlanさんへ     投稿者: thankyoujesus (男性/横浜)     2000年8月18日 午前 2時00分

 なかなか読み応えがあります。
 なるほどなあと思って読んでいます。
 
( これは ixtlan さんの メッセージ 5607 に対する返信です )


5609 件目  このトピのみなさんへ、もう一度     投稿者: thankyoujesus (男性/横浜)     2000年8月18日 午前 2時06分

よんで感想をください。
この前、書きこんだけど反応がなかったので、お願いします。中傷やちゃちゃはお断りします。絶対に止めてください。
 誤解しないように、幸福の科学のことではないよ。
でも、ね。

 異端の宗教の多くは、表面的に教理は信頼が置ける宗教である仏教やキリスト教に似せていいことを語るが、彼らの中心は本来はそこにない。彼ら独特の教えこそが彼らの中心となっていることが多い。かりに中心となっていなくともその部分が問題点であることが多い。この手のタイプは体裁をつくろう「愛」「希望」などの話題では結構得意げに語る。しかし、その宗教独特の考えや教えこそが、その宗教を宗教ならしてめている中心であって、それはこちらから暴かねば、おそらく表面化されない。

 私は新興宗教を見るとき、その独特の教えに関して焦点を当てて行きたい。
 幸福の科学に関しては応援しています。レプタリアン星人でしょ!金星人でしょ!ガンバレ!地球を救え!!!!!
( これは thankyoujesus さんの メッセージ 5608 に対する返信です )


5610 件目  それで?     投稿者: catastrophe123     2000年8月18日 午前 2時22分

thankyoさんが暴きたいのは何?
( これは thankyoujesus さんの メッセージ 5609 に対する返信です )


5611 件目  Iさんといえば     投稿者: FAMILY_STONE_00 (30歳/jp)     2000年8月18日 午前 2時25分

ほかには、ikaruga氏とiroiro氏あたりしか思い浮かびませんでしたが?ほかにもおりますか?
( これは catastrophe123 さんの メッセージ 5605 に対する返信です )


5612 件目  気に障ったらごめんね。     投稿者: catastrophe123     2000年8月18日 午前 2時28分

あんまし深く考えてなかったもんで。失礼しました。
( これは FAMILY_STONE_00 さんの メッセージ 5611 に対する返信です )


5613 件目  別に暴きたいのではない     投稿者: thankyoujesus (男性/横浜)     2000年8月18日 午前 2時50分

 意見が聞けたらと思っただけです。

 それにしても今日はいい日でした。
 疲れたああー、でも楽しかった。
 さて、問題です。@誰といっしょだったでしょう。

 どこへ行ったか教えましょう。
 今日は、なんと横浜駅でお買い物です。
 ジョナサンに入りました。
 食べたのは、メキシカンピラフです。
 口が臭くなるので、ガムを何枚も口にいれました。
 映画を見ました。
 さて、問題です。A何を見たでしょう。

 以上、なんでもないので気にしないでください。
( これは catastrophe123 さんの メッセージ 5610 に対する返信です )


5614 件目  ixtlanさんとthankyoさんて     投稿者: catastrophe123     2000年8月18日 午前 2時59分

師弟関係っぽいよね。ixtlanさんは何か頭良すぎて何者〜?って感じ。カスタネダとか神秘主義に傾倒されてるみたいだけど、(意味解ってないで言ってる私)そっちの方面へ信者さんをお誘いしたいのかな−ってちょっと思った。
ところでthankyoさん、返事まだー?
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5615 件目  ふたたび失礼しました。     投稿者: catastrophe123     2000年8月18日 午前 3時04分

メッセージ5614打ってる間に返事くれたんだ。ごめんね。
( これは thankyoujesus さんの メッセージ 5613 に対する返信です )


5616 件目  感想デス     投稿者: FAMILY_STONE_00 (30歳/jp)     2000年8月18日 午前 3時23分

thankyoujesusさんによると異端宗教とは
「独特の教えが中心になってるか問題点であることが多く、独特の考えや教えこそが中心である。」ってことですか?

質問@の答え
彼女

Aの答え
MI2 (もう古いか)

どうですか?
( これは thankyoujesus さんの メッセージ 5613 に対する返信です )


5617 件目  皇室トピの過去ログで     投稿者: FAMILY_STONE_00 (30歳/jp)     2000年8月18日 午前 6時08分

それらしい事をみました。追求するつもりないですが。
( これは catastrophe123 さんの メッセージ 5612 に対する返信です )


5618 件目  地獄の歴史     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月18日 午前11時21分

 地球での人類の歴史からいけば、当初地獄はなかったのです。地獄ができたのは、いまか
ら1億2千万年前、このころからできたのです。
 最初は高級霊界から、地球霊団の創造というのがなされました。地球のまわりに、何重に
も霊層、霊次元ができているのですが、まず高級霊界の九次元あたりから創造が始まって、
順番に8次元、7次元、6次元、5次元というふうに創ってきたのです。
 最初は、地球のまわりにふわふわとした4次元空間がありました。ところが、ここのとこ
ろに、地上に何回も転生輪廻してゆく過程で、不調和、つまり、3次元こそほんとうの世界
だと思って物質的なものをつけた人がいっぱいでてきたのです。そして、その人たちがあの
世に還ったときに行く場所がなくなったのです。もともとは高いところにいたのですが、行
く場所がなくなって4次元の一角に巣を作り始めたわけなのです。
 ようするにこうした人たちは、自分の孝えが、まわりの人たちの意見と合わなくなったわ
けです。幸福の科学でいえば脱会したわけ ナす。脱会したけれど、幸福の科学のなかへ行く
と光か強いものだからどうも困る。核戦争てもシェルターを造りますから、やはりなにかで
遮らなければいけないというので、一生懸命地獄を造ってきたわけです、地獄も手間がかか
っているのです。1億年以上かかっています。
 最初はちょっとした暗いところだったのが、だんだん近代化しまして、現在では地獄には
病院もあります。昔だと鞭打ちの刑とか鋸引きなんかの刑があったのでしょうけれど、現代
の地獄は病院です。病院で、外科医が出て来て、自由自在に体を切ってくれます。ここまで
進んでいるのです。
 あるいは、昔だと弓矢で殺していた阿修羅地獄なんていうのも、現代ではもっとすごいで
す。もう機関銃です。あるいは、戦争なんかやってミサイルが飛んでいます。そういう世界
があるのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5619 件目  地獄の存在理由     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8 ・8日 午前11時21分

 なぜこういうものが出来たかということですが、基本的には、神のお心がひとつあるので
す。それはなにかというと、人間は神に似せて創られたといいますが、神に似せて創られた
第一点、根本は何かというと、創造の自由を与えられたことです。
 ですから、高級霊がいま地獄へ堕ちていきそうな人を説得しても、納得しない人がいるの
です。聞かない人がいる。では、この聞かない人をむりやり拉致してでも悟らせるかどうか
という問題があるわけです。
 地獄など照射して、光をパッと入れて、全部消滅させてしまえばいいのかどうかというこ
とです。どちらがいいか考えたけれど、神様は、彼らがほんとうに悟るのを待つ、という選
択をされたわけです。
 そういうことで、地獄というものは、ある意味で罰は罰なのですが、別の意味においては
病院なのです。これは病院なのです。地獄霊はまさしく病人といっしょです。
 ですから、地獄をなくせばいいという考えは、たとえば病人をなくせばいいというのとい
っしょです。地獄は病院ですから、病院に爆弾を落として粉砕すれば病人がなくなるかどう
かです。病人というのは特別な生き物だから、こんなものは地上においていたらいけないと
考えるかどうかです。
 病人というのは、もともといないのです。もともと健康な人間しかいないけれど、どこか
で不養生したり、なにか事故に遭って病気になっている。しかし、病人であってもやがて治
れば健康人に戻る、本来の実相は健康人である、とこう考えているわけです。
 私だって病気をするかもわからない。そのときすぐ抹殺されたら困るのです。本来は健康
であるのに、病人になったから、「おまえ、病院行きになったから、病院に入った人はもう役に
立たないから、もう殺してしまえ。」と言われたら困りますね。
 ですから、地獄もある意味では罰でもありますが病院でもあるのです。そういう寛容の目
で見てあげる必要があります。あなただって、私だって、地獄へ行く可能性はあるのです。
そのとき、消されたいかどうかをよく考えてみたら、やはり五百年かかっても反省して生き
延びたいでしょう。
 ですから、病人といっしょだと考えてみてください。本来の姿ではないけれど、運動不足
とか、過食とか、仕事のしすぎで病気になる アとはある。そのときに、その人は神の子では
なくなったから、もう消してしまっていいといえるかどうか。存在が許されないかどうか。
それをどう見るかです。それを見れば、神様というのはそうとう待たれていて、長いこと時
間を待たれていて、慈悲も深い方だということがわかるのです。

「人生の発見」より
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5620 件目  うーん     投稿者: A22362     2000年8月18日 午後 4時11分

>全部のとは言わないが、一つの顔として、「自分だけは絶対正しい」が「争うことはしない」という都合の良い二兎を得るための言説の場である、ということが言えると思います。

<この文脈でいうと、麻原率いるオウムは、世間と教団を相対化した、御都合主義でない教団だったってことですね。
で、形而上哲学の共存は許さん。御都合主義でない教団たりうるためには、戦え!と?
( これは ixtlan さんの メッセージ 5606 に対する返信です )


5621 件目  RE:5619     投稿者: ixtlan     2000年8月19日 午前12時04分

つまり共産主義や唯物論を信じる者を病人にするわけですか。で矯正しようと。神がそう望んでいるからというわけだな。ふむふむ。
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5619 に対する返信です )


5622 件目  RE:5620     投稿者: ixtlan     2000年8月19日 午前12時28分

そういう面はあると思いますね。そもそも宗教団体を名指しで教義闘争を挑むというのは、普通だったらしない。普通だったら自分たちの機関誌とかで、批判して下位に位置づけたり分類したりするわけですから。
( これは A22362 さんの メッセージ 5620 に対する返信です )


5623 件目  RE:5614     投稿者: ixtlan     2000年8月19日 午前12時36分

thankyuさんと私はなんの実体的つながりもありません。それからカスタネダも行くべくして現前の形而上学に陥ったと思っているので、別にお誘いなんてしません。ここに書いているのは、幸福の科学がほかのところと違って「釈尊が」とか「イエスが」とか固有名詞でくるということ、さらに本読みから始まっているらしいということ、そこらへんでしょう、きっかけは。
( これは catastrophe123 さんの メッセージ 5614 に対する返信です )


5624 件目  幸福の科学には     投稿者: ixtlan     2000年8月19日 午前12時45分

絶対の死とかいうものは存在するのですか?
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5619 に対する返信です )


5625 件目  大川隆法の戯れ言22エリートの自分が     投稿者: ikarugayamamoto     2000年8月19日 午前 7時13分

「職場に短大かなんか出ちゃって一年か二年先に入った年下の先輩がいて、『...大学で何も勉強してないのかしら。こんな手の遅い人って初めてだわ。』なんて言われて、それから商業学校を出た簿記かなんかやった女性から『...これで本当に高等数学できたのかしら...一流大学出の人なんて信じられないわ。』こんなこと色々言われるわけです。そうすると、大学時代に...女の子にもてなかっただけでなくて、会社に入ってからも全然何もできないというレッテルも貼られ」
(「高橋信次霊言集」p152)

 はっはっはっはっは!プライドだけは異常に強い大川ブッダの事だから、エリートであるはずの自分に、低学歴で自分より下(と大川隆法が思いこんでいる)短大や商業学校出の女性にこんな事言われるのは耐えられなかったんだろうなあ。その屈折したプライドの集大成が「幸福の科学」か。現役信者もそう言えば根拠のないプライドだけは異常に強いもんなあ。
( これは ikarugayamamoto さんの メッセージ 5585 に対する返信です )


5626 件目  ixtlanさん     投稿者: papayohkoh (57歳/男性)     2000年8月19日 午前 9時06分

ちょっとひとこと、忙しくて時間がないので、釈尊は言わなかったのではありません、この時代の通念に合わせたレベルで生まれ変わりをといとぃますし、無記とは、説かなかったのではなく、質問者に必要のない答えは与えなかったのであって、引用を中村先生のものにのみ準拠すると、かたうおります。釈尊は形而上学上もりっぱに残しておられます。ではまた。
( これは ixtlan さんの メッセージ 5598 に対する返信です )


5627 件目  ああ、     投稿者: A22362     2000年8月19日 午前11時29分

そういう意味でね。その昔、朝まで生テレビで、「オウムVS幸福の科学」やったそ 、ですが、幸福の科学は完敗だったという話を良く聞きます。僕自身は観てないのでどういう内容だったのかは知りませんが。
( これは ixtlan さんの メッセージ 5622 に対する返信です )


5628 件目  まず自分の過去をふり返ってみる     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月19日 午後 2時02分

 霊道を開くときの感覚というのは、たいていの場合は開いた瞬間は、ショックを受ける方
が多いようです。ひじょうに異常な体験をしたということで、自分はいったいどうなるんだ
ろうか。まったく不思議な世界に入って、この世では生きていけないのではないか。そうい
うショックのほうが大きいし、それが本物かどうかの限定ができないというのが常人のつね
です。
 この前も、ある人から手紙が来まして、声が聞こえて来るらしいのです。そして、自分の
息子が9次元の霊で、娘が最高の女神であって、といろいろ書いてあるのですね。最後まで
読まなくても、違うだろうということはわかりますが、それでも信じる人はいるわけです。
こうしたときに、ひとつの段階としてはまず、それまでの自分の人生航路というものをふり
返ってみる必要があります。そういう惑わしにあうような境遇にあったか、それとも、そう
ではなくて、高級霊の声が聞こえてくるような、そういう線が見えるかどうかです。もうち
ょっと自分の過去を客観的に考えてみていただきたい。そうしたときに、自分が人びとから
どのように見られていたか、扱われていたか、評価されていたか、ということを、まず考え
てみていただきたいのです。
 私自身も、いまから7年以上も前になりますが、霊道を開きましたが、やはりショックは
ショックでありました。これでもう、もとには戻れないということで、開いたものの、もと
には閉じないので、どうしたものかと考えてみて、よほどいままで悪いことをしてきたかと、
いろいろと反省をしてみました。たしかに悪いこともしたことがあるし、悪い思いも持った
ことがあるし、いろいろ反省すべき点が山のように出てきたのですが、しかし、つくづく考
えてみたら、そんなに徹底的に悪くもないのではないか、他の人のニ十何年間の評価を、い
わゆる客観軸でふり返って見てみたのです。
 この世の人びとが地上を去ったら、だいたいそのままあの世ができると思えばいいわけだ
から、この世でずいぶん嫌われたりすれば、あの世でもそういう世界に行くであろうし、平
均的な生き方ができれば、平均的な世界に行くであろう、ということでじっくり考えてみた
りしました。自分自身悪いところもたくさんあり、それは反省したけれども、悪霊のとりこ
になって苦しまなければいけないほど、悪いことをしたような気もあまりしなかったのです。
ということで、しばらくは私も判断がつきませんでした。それで、判定の基準として2つ、
自分なりに立てたわけです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5629 件目  言っている内容のレベルはどうか     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月19日 午後 2時03分

 第1は、その声なるもの、霊なるものの言うことが、はたして筋が通っている ゥどうか。
高級霊といっても、地上に肉体を待ったことが必ずあるわけですから、あの世に還って高級
霊になるような方であるならば、地上で肉体を持ったときも、それだけの人格があり、それ
だけのことを言うような方であったはずです。そういう人が地上を去っただけであります。
 したがって、高級霊であるならば、彼らが言うことは、この地上の人間が聞いても、高度
な認識力、判断力があって心に響くようなことを言うはずである。また、筋立ったことを言
うはずである。だから、言うことが、つじつまがあっているかどうか。また、言う内容が、
この世の人間が言ったとしてみても、そうとうの程度の人が言う内容の水準までいっている
かどうか。これは、私たちでも判断できることです。私は、このことを探究してみたわけで
す。
 たとえば、日蓮という名で語っても、じっさいの日蓮という人かどうかわかりません。し
かし、日蓮というあれだけの名が残った人が、現在、あるいは現代に肉を持って生きている
として言うとするならば、このレベルのことを言うだろうか、どうだろうかということを考
えたときに、ある程度の推定はつく 档bです。その内容が町内会の会長さんが話している程
度の内容なら違うはずですが、やはり、現代の人と比べてみて、日蓮さんの霊言を持ってき
て、現代の識者といわれる方、そうとうの哲学者であるとか、政治家でも、宗教家でもいい
ですが、こうした人を連れてきて、見劣りするかしないかを考えてみたときに、これは現代
に生きていても、そうとう傑出した人でないと、これだけのことは言えないだろうという判
断がひとつあるわけです。こういう確認をしていくわけです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5630 件目  言うことに矛盾、混乱がないか     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月19日 午後 2時03分

 そして、次は彼らの言うことに、矛盾、混乱かないかどうかを確認していくことです。 悪
霊の特徴はコロコロ、コロコロ変わっていくのです。話をしていても、論理的矛盾が出てく
るのです。彼らは、なぜ悪霊をやっているかというと、感情に翻弄された生活をしていると
いうことが原因なのです。感情に翻弄されて、統制がきかないという状態が、じつは悪霊の
正体なのです。みなさんのなかにも、自分自身の感情に翻弄されて、統制できない人はいら
っしゃると思います。そういう方は悪霊になりますよ。これは、言っておきます。それが悪
霊の発生原因ですよ。もうなにかあると、感情が押さえられず、自分を失ってしまう。たと
えば、自分より美しい女性が通っただけで、ギラギラギラギラと、「ああ悔しい。」という気
持ちが出てきて、悶々とした気持ちが出てき始めたら、悪霊になると思って間違いありませ
ん。
 それから、いつも気がついてみると、「妬ましいな。」と思っているとか、いつもなにか、
「あれさえあれば、あれさえあれば、くやしい、くやしい。」なんて思っているとか。これ
は、だいたい悪霊になる方です。そういうふうに自分の感情の統制ができないのが、悪霊の
特徴であります。よく、自分で考えてみてください、統制がきくかどうか。自分の心の統制
ができる人で、地獄に行く人は一人もいないのです。だからこそ、心のコントロールが大事
だと教えてい 驍フです。かんたんなのです。車の運転といっしょで、運転技術さえあれば地
獄など行かないのです。これができないのが悪霊なんです。そういうふうに感情のコントロ
ールができないわけです。
 そうしてみると、感情のコントロールがきかないのが悪霊であるならば、感情のコントロ
ールがきかない人というのは急に変わるということです。上がったり下がったり急に違うこ
とを言い始めたりします。その日によって気分が変わったりします。だから悪霊であるなら
ば、毎日声が聞こえてきたとしても、どこかで急に変なことを言い始めたりします。
このへんの、チェック基準は大事です。内容がこの世の人と比べてみて、人格的に一定レ
ベル以上、そうとうのものがあるかどうか。言っていることが、論理的につじつまが合って
いるかどうか。これを探究することです。
 私たちも霊言を発表するまでに4、5年かかりましたか、日蓮さんという人の個性を検証
するのに3年ないし4年かけました。ずっと霊言を録り続けまして、1冊の本になっていま
すが、あの背後にはテープ50本も百本もの、そうとうの資料があります。たとえば、3年
後 ノ言ったことが、矛盾しないかどうか、同一個性かどうか、思想の高みがいっしょかどう
かじそういったことをずいぶん検証してきたのです。そして、4、5年たっても、ほぼこれ
は間違いないということで、発表にふみきったわけです。こういう検証作業を行ないました。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5631 件目  悪霊に粒しては相手にしないこと     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月19日 午後 2時03分

 ですから、霊道が開けて、そういう声が聞こえたときには、検証、確認作業というのをや
ってみてください。そして、おかしいと思ったら、いったんはなれるべきです。声が聞こえ
てきたとしても、相手にしない。1年間ぐらい遮断してみてください。相手にすると来るん
です。聞いてくれると思うと来るのです。彼らも発表の機会を求めているのです。発表の機
会をずいぶん求めていて、地Lの人と話したいと思っていてもできないので、出口をさがし
てい ト、窓が開いていたら、喜んで出て来るわけです。
 そして、何か言いたい、そして、操ってみたいという気持ちがあるのです。これは、人間
のなかには、だれしも必ずあるものです。自分の自由になる人かいたら、便利ですからね。
そうした支配欲が彼らにもあるということです。ですから、そういうときには、バシッと、
切ることです。なにを言っても動かないで、自分は善良なる市民として、一市民として生き
るという姿勢に徹することが必要です。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5632 件目  自分自身の人格が向上しているか     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月19日 午後 2時23分

 したがって基準が2つあると言いましたが、1つは彼らの言っている内容に対する検証、
2つ目は自分自身に対する検証です。それ以後、自分の人格がどのように変化したか、これ
の検証作業が大事です。霊道を開いたあと1ヶ月後、半年後、1年後を見てみて、向上して
いるかどうかですね。霊的認識を得て、自分が人間として向上しているかどうか。それとも、
まわりからもう、ほんとうにおかしくなったと言われていないかどうか。もっとも、本物で
ある場合でも、「おかしい。」と言われることはありえます。それは、そういうことが、通常
の人は信じられないからであって、相手を選んで言う必要はあります。せいぜい会員の人を
選んで言っておいたほうが無難だと思います。
 それでも、それを取り去ったときに、霊的能力を取った残りの人格の部分がどう変化した
かを見つめてみる必要があるのです。この部分が前よりも向上しているか堕落しているか、
これが勝負です。私もこれをやってきました。こうした世界に入った以上、危険性はあるわ
けです。 高級霊の声を聞いていたとしても、どこかですりかわるという危険性はあるのです。
その危険はいつも伴っています。多くの宗教者たちがそれでやられてきました。
 そうならないためにはどうするかというと、霊的能力の部分を取り去ったときに、それ以
外の部分で、自分はどうなっているかという自分史を点検することです。私はいつも、普通
の人間 ニして生活できる自分であるかどうか、漏尽通力とまた関係してきますが、これを検
証しています。たいていの場合どこへ行っても、こういう霊言集を出しているとか、教祖様
だとか思われることはありません。どこへ行っても普通の人間として一応認めてくれます。
そして、何年つきあっても気がつかない人は気がつきません。
 会社で仕事をしていても、気がつかない人は、気がつかないです。霊能者だということに
気がつかないのです。だから、そういう点検基準ですね。とくに私は、会社に5、6年勤め
ていましたから、その間自分がおかしくなって、精神異常者になっていたら、明らかにでて
きたはずです。そこのところは自分の自己点検として、どうか霊的世界の知識、認識は別と
して、――それは、他の人は認めてくれないかもしれませんが――、それ以外の部分として、
どう評価されているか、評価が上がるか、下がるか、厳密に自分を試験してみるという気持
ちがありました。 これでいいのだと思います。したがって、あの世の霊人のチェックと自分
自身の人格の変化のチェックですね、この両方をすることが大事です。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5633 件目  霊の声の聞こえ方     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月19日 午後 2時23分

 また、声がどのように聞こえるかということですが、 これは通常の外から聞こえてくるよ
うな感じではありません。やはり、テレパシーというものにひじょうに近いと思いますが、
やはり内側から聞こえてくる感じに近いです。声が内側から聞こえてくる。響いてくるとい
う感じが強いです。耳のへんでささやくというのは危ないです。耳元でささやくというのは、
だいたい悪霊です。悪霊というのは、頭にお椀をかぶったみたいにして来ているのが多いで
すから、耳元でいつもささやいて、声が聞こえるというのは、危ないです。そうてはなくて、
内側から響いてくるというのが、普通です。
 それともうひとつは、それをチェックする基準として、おもしろいのですが、あたたかい
気持ちと、寒気というのと両方あります。悪霊が来た場合には、てきめん ナす。やはり、鳥
肌がたつというけれども、鳥肌がたってまわりの空気の温度が下がって、寒いです。
 一度、温度計で計ってみようと思うのですが、多少温度が下がっているような感じを受け
ますが、霊的感覚かもしれません。そういう寒気のするようなものは、まず違うと思って間
違いありません。霊の声が聞こえてきて、寒気がしたり、時々鳥肌がたったりしたら、これ
は、明らかに違います。単純な場合には、一発でわかります。
 複雑な場合には、悟られないように、むこうが努力している場合があります。これは、難
しいです。その場合には、話をしていても、最初の段階では寒気がしないのですね。それで、
いろいろ話をして、だまされているけれども、見抜いた瞬間に、必ず寒気がします。それを
見抜けないで、高級霊だと思っている間は感じないです。これを見抜くということも大切で
すよ。霊の声と思ったら、点検して、悪霊かどうかという、目は持っておくことです。この
ときにうぬぼれの気持ちがあると、「自分には高級霊しか来るはずがない。」と思っていると
必ずやられます。ですから、一応点検する必要があります。
 もうひとつは、積極的なサタンというものがあります。これは巧妙であります。残念なが
ら、あなたぐらいでは、まだこれは見抜けないです。そうとう、いろんな宗教に入ってきて、
攪乱してきたような、ベテランがいるのです。こうなってくると大変です。そこそこの待機
説法はするので、これを見抜くのは大変ですね。サタンぐらいになってくると、高級霊のま
ねまでします。特徴をまねたりするのです。また用語のなかにも、仏教の言葉をちりばめて
みたり、八正道も言って、堂々と1時間ぐらいしゃべるのです。
 ただ、自分の心を澄まして、良心に忠実に聴いていると、だんだんどこかが違うという、
これは霊的直感で、わかるようになります。このときに「自分は特殊な人間なんだ。自分は
光の天使だ。」と思い込んでいると、見抜けないです。サタンのなかには、みなさんより高度
な法を説く者がありますが、心を謙虚に持って聴いていると、そうしたときに違いがわかり
ます。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5634 件目  無執着の境地が大切     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月19日 午後 2時24分

 いちばんつけこまれるのは、悩みごとのある人の場合です。自分で、大きな悩みごとをか
かえている場合、それについての解答がほしいわけですね。 そうすると、そういう弱みを持
っていると、助けるふりをして、だんだん居座ってくるのです。「どれどれ、ご相談にあずか
りますよ。」と言いなから貯金通帳を預かられ、印鑑も取られて、だんだん入ってくるので
す。ですから、高級霊と通じる高級霊体質であるためには、悩みを持っていないということ
が、ひじょうに大切です。大きな塊みたいな、執着みたいな、悩みがある場合には、多少無
理があります。難しいと思って間違いないです。高級霊の声ではないと思って間違いないで
す。
 私も、その無執着の境地といいますが、引っかからない境地というのを、この数年そうと
う修行したというか、発展させてきました。昔は、ひじょうにこだわるタイプでありました
が、こだわらなくなってきまして、残らないのです。申しわけないのですが、みなさんの質
疑応答も、なにを聞かれたなんて明日には全部忘れているのです。まあ、これは半分冗談で
すが、気にならないのてす。ですから、トゲが刺さってきても、抜けるのがひじょうに早い
のです。刺さっても、肉がすぐもりあがってきて、すぐトゲがとれていきます。こういう感
じになってきて、引っかからないと、楽ですね。現実に大きな悩みをかかえていると、この
ように高級霊と日々同通するのは、難しくなります。
 ようするに、回復作業、復元作業を早くしていくことです。トカゲのしっぼのように、切
れても、すぐはえていくのを、早めていく必要があると思います。ひじょうに傷つきやすく
て、それで悶々とするタイプ、いろいろなことで悩んで、悩みがどんどん拡大するタイプの
方は、悪霊体質になる可能性があると思ってください。
 ただ、ひとつの可能性としては、使命があって、そういう大きな挫折感や迷いのなかをく
ぐって道が開ける人もいるということは事実です。宗教家のなかにはそういう人も多いです。
ですから、みなさんがそういう方でないという保証はないのです。 そういう方もいらっしゃ
るかもしれま ケん。その場合には、幸福の科学でよく言っているように実績で勝負というこ
とで、考えてみてください。自分が光の天使ならば、それだけの実績が出るはずだ、という
ことです。それだけの説法ができるはずだ、それだけ人を導けるはずだ、実績か出るはずだ、
という自分自身を検証するということを、大事にしていただきたいと思います。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5635 件目  タイトルを間違えました     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月19日 午後 2時24分

Msg5631>
「悪霊に粒しては相手にしないこと」(誤)
「悪霊に対しては相手にしないこと」(正)

タイトルを間違えました。
kyullyさん、失礼しました。

以上は「人生の発見」からでした。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5636 件目  幸福の科学の8億円賠償請求訴訟     投稿者: yukidarumon20     2000年8月19日 午後 2時40分

幸福の科学が、大川隆法の自宅秘書Fに対して8億円の賠償請求訴訟をしているらしい。
(東京地裁民事15部で、9月8日午前にあるらしい。)
詳しい日時は、東京地裁代表(03−3581−5411)まで。

大川隆法自宅秘書の飼い犬にFにかまれたので、かみ返したの?
大川隆法さん。
( これは ixtlan さんの メッセージ 5624 に対する返信です )


5637 件目  森総理大臣は、     投稿者: FAMILY_STONE_00 (30歳/jp)     2000年8月20日 午前12時00分

言葉狩りにあってしまうので、自分の考えや言葉を話さずに原稿まる読みになってしまいました。同じような構図だなぁ。(^^;あ、良い悪い別にしてね。気にせずどうぞ。独特の教えと中心の教えについて、何かコメントありますか?本にはどう書いてあるか、でも結構です。
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5635 に対する返信です )


5638 件目  独特の教え     投稿者: ixtlan     2000年8月20日 午前12時04分

などではありませんね。このようなものこそ批判者が大川氏の言辞について疑いを抱いている態度そのものであり、まさにこうした疑いを大川氏は自分自身に適用しなくてはなりますまい。ところで、幸福の科学には絶対的な死の教説というのはないのですか?
( これは FAMILY_STONE_00 さんの メッセージ 5637 に対する返信です )


5639 件目  どこで     投稿者: ixtlan     2000年8月20日 午前12時38分

そんなことを言っているのですか?
( これは papayohkoh さんの メッセージ 5626 に対する返信です )


5640 件目  この場での質問はあまり期待できない     投稿者: FAMILY_STONE_00 (30歳/jp)     2000年8月20日 午前12時55分

ようです。絶対的な死の教説というのはカスタネダさんはどう教えているんですか?
( これは ixtlan さんの メッセージ 5638 に対する返信です )


5641 件目  こんばんは。しばらくです。     投稿者: right_cross2000     2000年8月20日 午前 1時23分

科学や哲学を専門的に勉強した事は無いので、舌足らずとは思いますが、自分なりにお話してみたいと思います。ただこれはあくまで私なりの教義の解釈であり、説明にとどめさせていただきます。あくまで議論するつもりはありませんので。

前置きが長くなりましたが、絶対的な死の内容を死んだら無になるのかと理解したのですが、それでしたら死は有り得ません。魂は永遠に生き続け、この世とあの世を転生輪廻しつつ、永遠の向上の道を歩んでいるのです。魂には本体と5体の ェ身があり、それぞれが順番にこの世に生まれ、個性を持って生きています。守護霊というのはこの自分の魂の兄弟の一人がこの世において間違った人生行路をとらぬように、必要な時にインスピレーションを下ろしてくれるのです。各人一人は必ずついております。ただインスピレーションを受けるには自分の心が一言でいうと濁っていない必要があります。濁りとは仏の光を魂が吸収出来ない状態です。魂は光を吸収発散させているのです。この世も霊界の一部と言われています。光の粒子の大小によって、一番粗いこの三次元、死んでまず行く四次元、以降高次元になればなるほど光の粒子は精妙になっていくのです。万象万物すべて光で出来ております。この光とは仏の体でもあります。法でもあります。しばらく前にどこかの研究所が、素粒子よりも小さい物質の存在を確認したというような記事があったと記憶しておりますが、光の実体が科学的に証明される日も近いのではないかと感じています。
( これは ixtlan さんの メッセージ 5638 に対する返信です )


5642 件目  申しわけありませんが、     投稿者: right_cross2000     2000年8月20日 午前 1時31分

このトピは幸福の科学の教えについてということですので。
( これは FAMILY_STONE_00 さんの メッセージ 5640 に対する返信です )


5643 件目  つまり     投稿者: ixtlan     2000年8月20日 午前 1時49分

魂それ自体の死というのもないわけですね?ところで、話変わりますが、その守護霊というのがもし一人一人に一人ずつついているなら、どうして地獄に行くことを守ってやらないのでしょうか。
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5641 に対する返信です )


5644 件目  また、     投稿者: right_cross2000     2000年8月20日 午前 1時58分

地獄というのは生前の念いと行いが仏の方向に向いてい ネかった為に光の粒子が粗雑で粗くなってしまい、沈んで行ってしまった霊達が作っている霊界です。自己反省の場です。ここで反省し光を受けいられるようになった時に、浮上して上位の霊界に移るのです。ですから、阿鼻叫喚大地獄というところは地獄の中でも最も下層に位置し、反省するのに時間がかかることになります。でも期間の差はあれ、本人次第でいずれは浮き上がってこれるものなのです。魂を磨く=心を磨く。最も魂の進化した仏に近づく為の永遠の修行です。
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5641 に対する返信です )


5645 件目  守護霊は、     投稿者: right_cross2000     2000年8月20日 午前 2時06分

一生懸命導こうとしていますが、いかんせんそのインスピレーションは受けて次第なのです。この三次元は波動的に地獄に影響を受けやすい為、なかなか難しいものがあります。
( これは ixtlan さんの メッセージ 5643 に対する返信です )


5646 件目  訂正     投稿者: right_cross2000     2000年8月20日 午前 2時12分

MSG5641で光の粒子が一番粗い三次元と書きましたが、間違いです。地獄の下方に行くほどより粗くなります。失礼致しました。
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5645 に対する返信です )


5647 件目  そうでした。     投稿者: FAMILY_STONE_00 (30歳/jp)     2000年8月20日 午前 2時20分

ここはカスタネダのトピじゃないですね。確かに、結局は「本を読め」ってことになりかねないのですね。だから本からの引用になったのかな?
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5642 に対する返信です )


5648 件目  俗にいう、     投稿者: right_cross2000     2000年8月20日 午前 2時33分

虫の知らせ等も守護霊のインスピレーションと私は思います。
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5645 に対する返信です )


5649 件目  あ、     投稿者: FAMILY_STONE_00 (30歳/jp)     2000年8月20日 午前 2時34分

能書き野郎になってるな。(^^;邪魔してしまいましたね。
( これは FAMILY_STONE_00 さんの メッセージ 5647 に対する返信です )


5650 件目  いいえ、こちらこそ     投稿者: right_cross2000     2000年8月20日 午前 2時37分

失礼致しました。
( これは FAMILY_STONE_00 さんの メッセージ 5649 に対する返信です )


5651 件目  大川隆法の戯れ言23大川先生のエッチ     投稿者: ikarugayamamoto     2000年8月20日 午前 6時37分

「僕は(もうちょっと正当なエロ本は)あってもいいじゃないかと思うんだね。性的なもの全部しめ出せばどうかっていうと、性的未熟による問題もやっぱりあると思う。だから、結婚式なんか挙げる場合はね、結婚式場手配でかまわないと思いますが、たとえば文部省推薦、NHK編集のね、夜のひめごとビデオなんかねえ、あげるべきだと思うよ。だって勉強しなきゃわかるはずないもん、そうだろう」
(「高橋信次の愛の賛歌」p87)

 ぷぷぷ、もう大川隆法先生のエッチ。でも「勉強しなきゃわかるはずないもん、そうだろう」なんて、自分の乏しい性体験で判断するのはよくないぞ。それにその理屈だと”ヘアヌード撲滅”なんていえないと思うけど。
( これは ikarugayamamoto さんの メッセージ 5625 に対する返信です )


5652 件目  幸福の科学の信者の皆さんに聞きたい     投稿者: barutiyusu (23歳/男性/福井県)     2000年8月20日 午前 6時55分

>>聞くところによると、教祖を中傷したらずいぶん恐ろしい地獄に行かされるとやら。
>>大川教祖が本物の神様かどうかは〈死んでみないと〉わからんが、もし本物だったらその覚悟はあるのかね?元会員さんは覚悟の上とみたが。

こんなカキコがあったのになぜ誰一人として否定しないのですか?今時のまともな宗教(幸福の科学流に言えば高等宗教か)ならば、絶対にそんな事いいませんよ。教祖や教団を批判するものは地獄行きだなんて、カルト宗教そのものではないですか。何を悠長にかまえていられるのか理解できません。教団の悪いイメージがどんどん広がっているののに、何も言わないなんて。それとも、教えはごく一部の人にだけ判ればよいというのでしょうか。別にそれならかまいませんけど、そのかわり20世紀中に日本人総てを幸福の科学会員にするなんて言わないでください。まあ教祖のこの発言はどうせ実現不可能だけど。
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5645 に対する返信です )


5653 件目  自分の言葉で語れないのはロボット人間です     投稿者: barutiyusu (23歳/男性/福井県)     2000年8月20日 午前 7時15分

あなたの投稿はただひたすら教祖様の本を引用するだけではないですか。自分の言葉で語ってください。例えばMSG5652への返信をするなど。あなたは幸福の科学のCDブックですか?
 そもそもあなたの投稿の意図が判りません。信者向けならそんな本すでに読んでいるでしょうから無意味です。
 一般人向けなら自分の意見も言わずに、ひたすら教団の本を引用するなど失礼です。それで相手が納得するなどと言うのは人間をなめてます。かえって逆効果です。幸福の科学は、教祖の言葉でしか物事を語れないロボットなのだと判断されても仕方ありません。
 次のあなたの投稿に期待します。
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5635 に対する返信です )


5654 件目  エルカン ^ーレさん、教祖の霊言はおかしい     投稿者: barutiyusu (23歳/男性/福井県)     2000年8月20日 午前 7時55分

>私たちも霊言を発表するまでに4、5年かかりましたか、日蓮さんという人の個性を検証するのに3年ないし4年かけました。ずっと霊言を録り続けまして、1冊の本になっていますが、あの背後にはテープ50本も百本もの、そうとうの資料があります。たとえば、3年後に言ったことが、矛盾しないかどうか、同一個性かどうか、思想の高みがいっしょかどうかじそういった
ことをずいぶん検証してきたのです。そして、4、5年たっても、ほぼこれは間違いないということで、発表にふみきったわけです。こういう検証作業を行ないました。
だと言うのならばなぜ、

>「僕は(もうちょっと正当なエロ本は)あってもいいじゃないかと思うんだね。性的なもの全部しめ出せばどうかっていうと、性的未熟による問題もやっぱりあると思う。だから、結婚式なんか挙げる場合はね、結婚式場手配でかまわないと思いますが、たとえば文部省推薦、NHK編集のね、夜のひめごとビデオなんかねえ、あげるべきだと思うよ。だって勉強しなきゃわかるはずないもん、そうだろう」 (「高橋信次の愛の賛歌」p87)

などと言うアホな霊言集を教祖は出したのですか?矛盾しています。理解できません。他の信者の方々でも結構ですから一般人にも判るように教えてください。
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5630 に対する返信です )


5655 件目  病気は心がつくるもの     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月20日 午前10時56分

 神の光を受けていれば、もちろん病気治しもできます。病気でも悪霊が憑いているのが原
因の病気があるのですが、こういう病気は、すぐ治るかどうかは別としても、悪霊を取れば、
よくなるのは事実です。憑依霊が原因で起こっているリューマチというような病気がありま
すが、こういう場合はたいてい足のほうに、蛇などの動物霊が憑依しています。冷え性の方も
そうです。それから肩凝り。 仕事のしすぎで肩が凝る人もいますが、こういう場合は別とし
ても、そうてない場合は動物霊が多いです。それから頭痛持ちなども同じです。
 内臓の病気でも、癌系統の病気みたいなものは悪霊による場合もあります。しかし、一見
悪霊によって病気が起きているように見えても、そのほんとうの原因はどこにあるかという
と、悪霊を呼び寄せている本人の心にあるのです。ですから霊的なパワーによって、その悪
霊を取っても、すぐ代わりが来ます。はっきりしています。たとえば講演会場に悪霊をつけ
ている人がいるとして、私がそれを取ったとしても、その方が講演会場の出口を出れば、ま
たほかのがポッと入るのです。
 なぜかというと、自分の心のなかにそういう磁石を持っているから吸い寄せてしまうわけ
です。類は友を呼ぶ、同類は相通ずるという法則があります、ですから、悪霊を外からのパ
ワーによって取っても、根本的には治らないということです。心の芯、これを治して、悪霊
を呼び寄せる磁石のほうを取らないかぎり、根本的には治らないのです。私が悪霊憑きを治
したとしても、1ヶ月ぐらいしたら、また具合が悪くなってくるでしょう。それはほかの悪
霊が来るからです。それでまた取っても、またつく。結局きりかないのです。
 ですから、それでは道をそれていく危険性がひじょうに高いので、幸福の科学ではなるべ
く心のほうから治療に入っていきなさいと教えています。時間がかかっても、このほうがま
ちがいが少ないからです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5656 件目  からだの病気と心の関係について     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月20日 午前10時56分

 病気と心とはどういう関係があるか、これについては『道元禅師霊示集』のなかの、白隠
禅師という方の霊言にくわしく出ています。白隠さんは、「軟蘇の法」という、一種の精神統
一によって自分の病気を治した人です。永年の不治の病を治したのです。
 その白隠禅師の章に、からだの病気と心の関係について、一応全部書いてあります。頭、
鼻、服、耳、口、それから内臓諸器官のすべてと足。なぜそういう病気になるか、心のどこ
に問題があるのかということを全部書いてありますから、心のほうから治療したいと思う人
は、この「白隠禅師の霊訓」を読んでほしいと思います。
 白隠禅師は日本には禅僧として出たけれども、じっさいは薬師如来という、如来界の光を
受けた医療系霊団の1人なのです。この医療系団のなかには、アメリカに出たエドガー・ケ
イシーという方がいらっしゃいましたが、こういう光の天使たちもおります。エドガー・ケ
イシーも東洋的にいうと薬師如来の系統で、おもに病気治しを専門に研究しています。この
方が心と病気の関係について書いているので、幸福の科学の会員はそれで各自探究してほし
いと考えます。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5657 件目  視点をこの世のみに置いてはいけない     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月20日 午前10時56分

 さて、せっばつまった病人への対処のしかたですが、まず、基本的な立場を明らかにして
おきたいと思います。視点、あるいは立場が、この世に重点がある フか、あの世に重点があ
るのか、これをはっきりさせておかないといけないと思うのです。
 この世に重点があると、いま、日本中に広まっているご利益宗教の多くがそうですが、も
うみんな生命が惜しいという人ばかりが、なんとかして事故死から逃れたいとか、病死から
逃れたいとか、こういう気持ちで、あっちの団体こっちの団体と回っています。この世で幸
せになる方法ばかりを一生懸命求めているのです。こういうところは、教祖にけっこう、悪
霊が入っている場合が多いのです。あの世があるということを忘れて、この世での肉体の死
についてとか、病気とか、そんなことばかり言っています。ようするに死ぬのがこわいとい
う意識を増幅させるような方向に指導している宗教家には、たいていの場合悪霊が憑いてい
ます。だから危険があるのです。
 そこでひとつ考えていただきたいのは、人間のこの世の生命は有限であるということです。
『太陽の法』のなかにも書いてありますが、もともとは、地上生命は有限ではなかったので
す。どうしても死なないような生命体が、最初は考えられていたのです。ところが、どうし
ても死なない肉体だと、五百年も、千年も、一万年も生きるけれども、まったく魂が進化し
ないことがはっきりしたのです。どうやら地上にずっといるだけでは、どんどんどんどん地
上的な、物質的なものに染まっていって、魂としては向上しない。こういうことがはっきり
して、転生輪廻の法則というのをひとつの方法として確立したのです。この世とあの世を循
環することによって、人間が永遠の魂の進化を享受できるような方法を確立したわけです。
 ですから、私もあなたも必ず地上を去るわけですが、現代では老衰で亡くなる方はひじょ
うに少なくなっています。かわりに病気で亡くなる方がひじょうに多くなっています。病気
で亡くなった人が必ずしも不幸であるわけではありませんが、病気で亡くなって不幸な方と
いうのは、ようするに霊の世界、あの世の世界というのを知らず、またこの世で正しい生き
方の基準を知らないで生きてきて、病気のままで死んだ人です。こういう方は大変です。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5658 件目  真実の自分の姿を知らない人の悲劇     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月20日 午前10時56分

 私も、過去六年間にそういう悪霊をずいぶん体験してきました。説得し、話もしました。
大変です。死んだときのままなのです。胃ガンで死んだ人をからだに入れたら胃が痛くなり
ます。喘息でゴホゴホと咳きながら死んだ人を入れると、ひどい咳が出ます。そのまま医者
に行けば、完全に病気だと診断されるでしょう。胃病で死んだ人が入れば胃の病気、心臓で
亡くなった方が入ると、心臓病と診断されます。しかし、憑依霊を出してしまったら、あと
はもうケロッとして元気になってしまいます。結局、こういう霊は死んだときのままの状態
でいて、自分が死んだことがわからず、五十年も百年も同じ病気をしているのです。
 たとえば呼吸困難であれば、あの世には酸素もないのにどうして呼吸困難に陥るのか、ほ
んとうはおかしいのですが、そうなっているのです。それから心臓もないのに心臓が痛い痛
いと言っているのです。ですからそうした病気で亡くなった霊は、肉体がまだあ 驍ニ思って
あの世でも病気をしているということです。
 こういう霊を最初に諭すときに、「あなた、自分が霊か肉体か知っていますか。」と言って
もわかりません。それで「あなた、手があるでしょう。その手を自分の胸に突き刺してごら
んなさい。」と言うと、手は胸をブスッと通ってしまいます。「ほら、通ったでしょう。」と言
うと、「なぜ通るんでしょうね、不思議です。そういえば透きとおっていますね、おかしいで
すね。」と、言います。あるいは、「あなた死んでから何年もたっているけど、食べ物を食べ
ましたか。」ときくと、「言われてみれば、なにも食べていないのに生きている。おかしいな、
胃腸が悪いような気がするんだけどなあー。」などと言います。「では、水を飲んだことあり
ますか。」と言えば、それもない。それなのに、なぜ死ななかったのだろうということに気づ
いて、だんだんわかってくるのです。自分がそういう肉体を持った存在でないということが、
そこまで言われないとわからない人がいっぱいいるのです。
 ですから、いちばん悲劇的なのは、ほんとうの自分が何者かを知らない人です。こういう
人 ェ病気で死んだら最悪です。交通事故などで、頭を打ち、血を出して亡くなったとすると、
あの世でも、いつまでも倒れたままで、「痛い、痛い。」と言っているのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5659 件目  病人に対する家族の接し方      投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月20日 午前11時38分

 ですから家族としては、生命を延ばすことは、もちろん延ばしたいと思うでしょうけれど
も、いちばん大事なことは、その人が調和した姿で旅立てるように心を整えてあげることで
す。寿命の長い短いは、ある程度、予定はあるわけです。たいていの人は百歳までいかない
で死んでしまいます。33で死ぬかも、48で死ぬかもしれません。イエス様は33
で死にました。高橋信次さんは48で死にました。ある教団の人に言わせれば、こういう
のは横変死になるのでしょう。変な死に方をしたわけです。では、死んでから苦しんでいる
かといえば、そんなことは りません。あの世でピンピンしています。結局、死に方とか、
死ぬ年齢とか、それだけでは決まらないということです。大切なのは、どういう心を持って
死んだかです。
 ほんとうのことを知っている人は、死は怖くないはずです。死ぬ時期はそれぞれの人にあ
るけれども、一瞬一瞬、一日一日が一生だと思って生きていくことです。どこかで終着駅が
来るわけですが、大事なのは一日一日完結した生き方をすることです。そしてまわりの人は、
その方が調和できるように、思い残すことがないかよく考えて、ひっかかりがあるようなら、
そのひっかかりをなくしてあげるようにすることです。
 亡くなっていく人にとっていちばん気がかりなことは、残された者たちのことです。残さ
れた者たちが、たとえば生活はちゃんとしていけるか、仲よくしていけるかどうか。また、
家がちゃんと続いていくかどうか。こうしたことが気にかかります。これが気にかかると、
やはり執着になって、この世に引き止める原因になります。ですから、そうした執着がない
ように、まわりの者たちは絶対大丈夫だ、心配ない、というかたちを作ってあげることです。
 そして亡くなるまでに、できるだけ本人の心が調和するように、あたたかい言葉と笑顔で
もって、そういう波動でもって接してあげること。病人のまわりの人が神理を知って、悟っ
ていくと、光が出てきますから、それで生命を延ばせることもあるし、ないこともあるけれ
ども、すくなくとも亡くなっていく方は心が調和されていきます。それがいちばん大事なの
です。

「運命の発見」より
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5660 件目  やはりロボット信者に何を言っても無駄か     投稿者: barutiyusu (23歳/男性/福井県)     2000年8月20日 午後12時52分

 この人、自分の言葉では何一つ語れないのですねえ。ただただ教祖様の言葉をなんと言われようとひたすら書き写すのみ。盲信とか狂信とか言われる人々はこのような人なのではないでしょうか?
 でもこの人何のためにカキコしているのでしょうか?もしも布教のためなら、随分人間をなめていますね。自分の考えや言葉を持たない人は宣教師として失格です。ま、どうせ聞く耳持たないでしょうけど。
 他の信者の皆さんに聞きますが、幸福の科学に入会するとこのような人格が形成されるものなのでしょうか?
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5659 に対する返信です )


5661 件目  はじめから、     投稿者: right_cross2000     2000年8月20日 午後 1時16分

どう言葉で説明しても聞く耳をもたず、揚げ足取りに専念されるとわかっているから、あえて書籍の紹介をされているのでは?真理の書籍は光の塊ですので。barutiyusuさんも頭から否定的にならずに、もう少し理解の姿勢を示して頂けたらと思います。そして当会を悪しきものと思うその主観を、さも世間一般の声と決めつける言い方はどうかと思います。
( これは barutiyusu さんの メッセージ 5660 に対する返信です )


5662 件目  地獄については、     投稿者: right_cross2000     2000年8月20日 午後 1時48分

昨日のログで説明致しました。引用されている発言については、前後のやりとりから判断して、会員の方では無いように思われます。光(真理、大宇宙の法則)に反する言動、行為をしたひとは、程度の差はあれ地獄といわれる下層霊界に赴くことになります。その中でも正しい真理を流布しようとしている団体、その代表者を誹謗することは、重い罪になるということです。これは脅しというものではなく、罪を犯してほしくないという心からの発言ではないでしょうか?ご本人もそうカキコされていたと思いますが。あと、会員になったからといって、救われる、地獄に行かない、というものではありません。どの霊界に行くのかは本人次第です。
( これは barutiyusu さんの メッセージ 5652 に対する返信です )


5663 件目  ライトクロスさんこんにちは。     投稿者: Chikurer     2000年8月20日 午後 2時25分

>あと、会員になったからといって、救われる、地獄に行かない、というものではありません。どの霊界に行くのかは本人次第です。

5372件目のThankyou_El_Cantareさん>
ご注意頂きたい点は、入信したからといって「救われる」という保証がない点です。
「この世」での思いと行いが「あの世」でも続くのだと教えられております。
これは、この世での思いが地獄に通じていれば、その人は地獄に行くのだ、ということでもあります。
幸福の科学では、こうした「法則」や「正しき心の原点」を教えているに過ぎません。
また、「仏法真理はあらゆる時代にあらゆる場所で説かれている」とも言われております。
これは、幸福の科学で説く法則に沿ったものであれば、それが「伝統宗教」や一般的な「格言」であっても、ちゃんと実践して「この世」での思いと行いを統御していれば「救われる」とも言うことでもあります。
どちらにせよ、あくまでも自主的に思いと行いを統御していなければ「救い」はないという教えなのです。

これは、Thankyou_El_Cantareさんの「自分の言葉」だと思われます。

>この人、自分の言葉 ナは何一つ語れないのですねえ。ただただ教祖様の言葉をなんと言われようとひたすら書き写すのみ。盲信とか狂信とか言われる人々はこのような人なのではないでしょうか?
 
という意見の投稿がありますが、これは「中傷」に当たると思います。

確かに、はじめからどう言葉で説明しても聞く耳をもたず、揚げ足取りに専念されるとわかっているので、あえて書籍の紹介をしているのかも知れませんね。

Thankyou_El_Cantareさん現在69件の投稿をされていますが、全てはトピ主さん宛の投稿となっています。
全てが「トピ主さん宛の投稿」となっているにも関わらず、22件のレスが付いております。
件数は69件ですが、「続き物」もありますので、実質投稿回数は14回と考えて良いと思われます。
その実質14回の投稿に対し、22件の「横レス」が来たと言うことです。
これはなんと、横レス率157%ということです!!
これはでは、「ピラニアの水槽」としか思えませんね。
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5662 に対する返信です )


5664 件目  chikurerさんはじめまして。     投稿者: right_cross2000     2000年8月20日 午後 3時06分

chikurerさんのトピいつも拝見しています。ご迷惑をお掛けして申しわけありません。
( これは Chikurer さんの メッセージ 5663 に対する返信です )


5665 件目  いえいえ、大丈夫ですよ。     投稿者: Chikurer     2000年8月20日 午後 3時32分

>chikurerさんのトピいつも拝見しています。

ありがとうございます。
私の立ち上げたトピの中で、こちらのトピを紹介された方がおりまして、それがきっかけで、こちらの惨状を知りました。
こうして参加している以上は、多少の飛び火は仕方のないことなのかも知れませんね。
いずれは「信者扱い」されるのでしょうね。(爆)

私は、批判者側の主張を信じておりません。
信じない理由は、かつての批判者が、ご自身のプロフィールに、自己保身のために嘘を混ぜた投稿が更に大きな嘘を呼び寄せてしまったいう内容の「懺悔の告白」をしているからです。
http://profiles.yahoo.co.jp/fredy99

批判者側から、「これは作為的なものである」との指摘があって調べてみたのですが、情報源は無法地帯の「2チャンネル」に投稿された「匿名の投稿」でありました。
要するに、どこの誰が書いたかわからないものを根拠にして「作為的なものである」と主張しているのです。
それに引き替え、fredy99さんの過去レスを読みますと、実に誠実そうな感じを受けますので、「懺悔の告白」も誠実な訴えだと思っています。

もちろんこれは、私の主観ですから、事実だと言っているのではありませんよ。
私は、どこの誰が書いたかわからないものを根拠にした主張よりは、本人による「懺悔の告白」を信じるということです。

それと、「教祖批判すると地獄行き」というのは、教祖を批判するその心自体が地獄に通じるから、結果として地獄に行くと受け取りましたが、よろしいですか?
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5664 に対する返信です )


5666 件目  さて聞く耳もたないのはどちらでしょうか?     投稿者: barutiyusu (23歳/男性/福井県)     2000年8月20日 午後 5時04分

>どう言葉で説明しても聞く耳をもたず、揚げ足取りに専念されるとわかっているから、あえて書籍の紹介をされているのでは?真理の書籍は光の塊ですので。

何のためにですか?あなた達にとって真理の書籍であろうとも、一般人にとってはなんの意味も持ちません。理解してもらいたいのなら、それ相応の対応をすべきでしょう。「真理の書籍は光の塊」などと、今時キリスト教宣教師でもそんな傲慢な言い方をしません(それを傲慢と感じない神経も凄いと思いますが)。ようするにカキコする信者の人は自分達が絶対の真理を体得しているというものすごい思い上がりが感じられるのです。嫌らしいエリート意識というのか。だから脱会者に対して「魔がついている」とか「惨めな敗残者」などと平気で言い放てるのです。他のまともな宗教ならこんな事言わないと思いますけどね。だからあなた達はどんな過ちでも決して認めようとはしないでしょう。
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5661 に対する返信です )


5667 件目  幸福の科学は世間から支持されているの?     投稿者: barutiyusu (23歳/男性/福井県)     2000年8月20日 午後 5時24分

>そして当会を悪しきものと思うその主観を、さも世間一般の声と決めつける言い方はどうかと思います。

逆に聞きたいのですけど、幸福の科学って世間一般から支持されているのですか?どのようなマスコミ・識者・財界人・政治家なんでも良いですけど、幸福の科学を支持している人いますか?

フライデー事件の時、あなた達は「私達は正義だ」と言ったそうですね。でも総てのマスコミ・識者の総反発をくらっただけではなく、さらに最高裁判決で120万円の賠償命令が下ったんでしょう。つまりマスコミ・識者・司法は幸福の科学に非があると認めたのです。

また三塚博を総理大臣にしようというキャンペーンを教団 ェ大々的に行ったときも、本人は自分は信者ではないと迷惑そうに言ってましたけど、これだって教団を光の救世主と世間が認知するならば、政治家はそんな事言いませんよ。むしろ積極的に肯定します。

幸福の科学が悪しきものと思われるのには客観的根拠がありますよ。むしろ「真理の書籍は光の塊」などとの言い分の方が、幸福の科学だけに通用する主観にすぎないと思います。
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5661 に対する返信です )


5668 件目  幸福の科学は自民党からも相手にされてない     投稿者: barutiyusu (23歳/男性/福井県)     2000年8月20日 午後 5時37分

数年前、新進党(当時)が創価学会に支配されていると言って、自民党単独政権の樹立を随分やかましく主張していましたね。

なのに自民党は幸福の科学ではなく、創価学会をパートナーに選んだのです。創価学会はあなた達の主張する所によれば、信者数、数十万の小さな、なおかつ破防法を適用しなければならない危険な団体なのでしょう。

なのに歴史と伝統、政治的叡慮を持つ自民党が選んだのは、信者数1000万人(この数字は絶対嘘)の幸福の科学ではなく、創価学会と組んだ。つまり幸福の科学は創価学会よりも、問題ありと判断されたのです。

幸福の科学は悪しきものとして、自民党から評価されているのですよ。それらについて「反省」しないのですか?言い分があれば聞かせてください。
( これは barutiyusu さんの メッセージ 5667 に対する返信です )


5669 件目  お返事おそくなりました。     投稿者: right_cross2000     2000年8月20日 午後 6時35分

〉その心自体が地獄に通じるから、結果として地獄に行くと受け取りましたが。

そのとうりだと思います。

fredy99さんの懴悔の告白ですが、もはや批判者にとっては眼中に無いとみえて、批判の為の批判に終始しているように思えます。
( これは Chikurer さんの メッセージ 5665 に対する返信です )


5670 件目  お言葉ですが、     投稿者: right_cross2000     2000年8月20日 午後 6時49分

〉自分たちが絶対の真理を体得しているというものすごい思い上がりが感じられるのです。

絶対の真理とは確信していますが、体得=悟りとするならば、私などまだまだです。体得するために勉強しています。
勉強を続けながら、何の意味を持たないと感じられる方にも、いつか解っていただけるよう努力しているつもりです。エリート意識どころか劣等感の故、真理を学んで自ら向上したいと思っています。

〉脱会者に対して、(魔がついている)とか(惨めな敗残者)などと、平気で言い放てるのです。

とは、どなたの発言でしょうか?カンターレさんのログをchikurerさんが引用されていましたが、別に入信していなくても、正しき心で生きている方は、無事天国に還れると教わっていますが。
( これは barutiyusu さんの メッセージ 5666 に対する返信です )


5671 件目  私なりの調査結果     投稿者: Chikurer     2000年8月20日 午後 6時52分

最近、信者さんが脱会者に対して「魔がついている」とか「惨めな敗残者」などと言った、という投稿を目にしました。

私なりの調査結果ですが、

4659件目のiroiroarimasuさん>私に感じるのは元会員さんを筆頭に色々動いている方もいますが、それは人間としての個性がありますから別に良いのですが、しかし、それらを統合して働かせている意識があります。私はそれについて言っているのですね。それについては元会員さん、イカルガさんが特に支配されているようです。特に元会員さんは阿羅漢についての考え方にそれが出ていました。私は、これ以上は危険と判断します。それは「魔」と呼ばれているものたちですね。

具体的には言っていない様です。
具体的に「魔がついている」という言葉を最初に使ったのは退会者側です。

4660件目のmotokaiinさん>あなたがどんなに弁護をしようとも、私達「事実に基づく批判者」を、「悪魔が憑いている」などと言う事は、まさしくこれこそ『中傷』に他なりません。
4768件目のikarugayamamotoさん>そして最後はこのトピックに「魔がついている」と言って皆去っていきました(爆笑)。

一方、「惨めな敗残者」ですが、

4101件目のmichael_the_3rdさん>やっている事と言えば、「過去に所属していた宗教団体に対して、批判めいた投稿をすること」なんですよ。これが「天命」を見つけ、自己を最大限に発揮している「成功者の姿」なのでしょうか?どちらかと言えば、「惨めな敗北者の姿」ではないのでしょうか?

「過去に所属していた宗教団体に対して、批判めいた投稿をすること」その姿が「惨めな敗北者の姿」だと言っている様に思います。
「惨めな敗残者」という言葉を最初に使ったのは退会者側です。

4134件目のmotokaiinn_sono2さん>要するにフレディさんを「惨めな敗残者」にしたいのですね。

「魔がついている」、「惨めな敗残者」どちらも批判者側が信者の発言を受けて発せられた言葉でした。
指摘の「脱会者に対して・・・と平気で言い放てる」と言うのは「中傷」であることが判明しました。
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5664 に対する返信です )


5672 件目  私が聞いてる範囲では、     投稿者: right_cross2000     2000年8月20日 午後 6時55分

財界人、政治家でも当会の書籍を読んでいる方が、大勢いると聞いています。某有名ホテルチェーンのオーナーもそうと聞きました。講談社の訴訟に関しては、勝訴した裁判もあるはずです。信者、シンパであってもそれを公にする時期とタイミングがあるのではないでしょうか?
( これは barutiyusu さんの メッセージ 5667 に対する返信です )


5673 件目  政治については、     投稿者: right_cross2000     2000年8月20日 午後 7時00分

一信者の私としては、お答えに困ります。政治の駆け引きというのもありましょうし、やはり時期とタイミングがあるのではないでしょうか?
( これは barutiyusu さんの メッセージ 5668 に対する返信です )


5674 件目  回答ありがとうございます     投稿者: Chikurer     2000年8月20日 午後 7時14分

>>その心自体が地獄に通じるから、結果として地獄に行くと受け取りましたが。
>そのとうりだと思います。

理解は正しいのですね。ありがとうございました。

>fredy99さんの懴悔の告白ですが、もはや批判者にとっては眼中に無いとみえて、批判の為の批判に終始しているように思えます。

そうですか、しかし何ですね、批判者達はfredy99さんの懴悔の告白を無にしたいのでしょうかね?
どなたかが「自己保身のために批判投稿している」と言っておられましたが、「批判の為の批判」をすることばかりに目がくらんで、fredy99さんの美しい心が理解出来ないのでしょうね。
私の立ち上げたトピで
>悪いと思いつつ第三者的ROMの私にとってには笑いの対象でしかない。
とのアドバイスを頂いたことがあります。
もはや「批判の為の批判」や「中傷」がメインになっているのが見えていますから、挑発には乗らないのが良いと思いますよ。
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5669 に対する返信です )


5675 件目  ありがとうございます。     投稿者: right_cross2000     2000年8月20日 午後 7時19分

ご忠告ありがたく受け止めさせて頂きます。chikurerさんも火の粉を浴びて、恐縮に存じますが、御身お大事に。
( これは Chikurer さんの メッセージ 5674 に対する返信です )


5676 件目  yokoresudaga     投稿者: aaokasii     2000年8月20日 午後 8時27分

なんか、「fredy99」さんが謝ったからどうの、という議論がお好きなようで、かなり前からそればかりですね。

「批判者の人達が団結して、示し合わせて、fredyなる人をそのleaderとして批判していた」なら君たちの主張も筋が通る。しかし、そうではなく、批判者個々がそれぞれ思う所あって互いにindependentlyに批判していたのだったら、その中の一人が考えを変えたからといって全員がそれに習う必要は全然無いのではないか?

批判者が個人個人の意志でやってったってことでしょ。違う?
( これは Chikurer さんの メッセージ 5674 に対する返信です )


5677 件目  訂正     投稿者: aaokasii     2000年8月20日 午後 8時28分

「leaderとして批判していた」を
「leaderとして行動していた」に訂正します。
( これは aaokasii さんの メッセージ 5676 に対する返信です )


5678 件目  そうですよ。     投稿者: thankyoujesus (男性/横浜)     2000年8月20日 午後 8時35分

aaokasiiさんの言う通りですよ。

 ついでに、どうして大川さんは、「安息日」を日曜日と勘違いしたのかなあ。いまでも、勘違いし続けているのかなあ。律法学者が聖書で、「日曜日には仕事をしてはいけない」と主張しているそうだけど、そんなこという律法学者がいるかなあ。この頃また、悩みが増えました。幸福の科学の方、ぜひ、答えてください。
( これは aaokasii さんの メッセージ 5676 に対する返信です )


5679 件目  「幸福の科学の教え」は参考になりますね     投稿者: Chikurer     2000年8月20日 午後10時16分

>御身お大事に

ありがとうございます。

Thankyou_El_Cantareさんの「悪霊に対しては相手にしないこと」(5631件目)が参考になりました。(^^)

>声が聞こえてきたとしても、相手にしない。
>相手にすると来るんです。
>聞いてくれると思うと来るのです。
>彼らも発表の機会を求めているのです。
>発表の機会をずいぶん求めていて、窓が開いていたら、喜んで出て来るわけです。
>そして、何か言いたい、そして、操ってみたいという気持ちがあるのです。
>これは、人間のなかには、だれしも必ずあるものです。
>自分の自由になる人かいたら、便利ですからね。
>そうした支配欲が彼らにもあるということです。

行動パターンがそっくりと言うことは、そうなのでしょうね。

>ですから、そういうときには、バシッと、切ることです。

お陰様で、バシッと、切る勇気を持てましたよ。

>なにを言っても動かないで、自分は善良なる市民として、一市民として生きるという姿勢に徹することが必要です。

Thankyou_El_Cantareさんは徹していらっしゃるのでしょうかね?
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5675 に対する返信です )


5680 件目  RE:5645     投稿者: ixtlan     2000年8月20日 午後11時16分

前のレスで加えるのを忘れましたが、要するに守護霊がいるのに、どうして霊障というものが存在するのか、ということです。今一生懸命引用してくれてますが、その中に霊がつ 「ている、それで除霊したら病気が直ったとかになってますね。その霊がよってくるとき、守護霊は何してるんでしょうね。
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5645 に対する返信です )


5681 件目  大川教祖のイメージ1     投稿者: ixtlan     2000年8月20日 午後11時26分

思うに、完全に宗教妄想というものではないでしょうか。各霊言については資料がないので引用できませんが、ほかの方の引用されているものを読んでの感想としては、とてもブッダがとか言えたもんではないでしょう。自分が「聖母マリア」だとか、「イエスの花嫁」だったとか、そういう頭のいかれた人間はごちゃまんといます。大川氏の場合、実際に何かを見たのだろうけど、その実体が話す内容が自分の読んだ本の安易な受け売りだということがばれるようになっているので、精神障害というふうに判定しやすい。笑ってしまうのは9次元の霊体と接触したという人に対して、「それはインチキかもしれない」と諭すところです。精神障害 ッ士が自分たちの苦境をどうやって解釈するのか、という見本なのかな。
( これは ixtlan さんの メッセージ 5680 に対する返信です )


5682 件目  大川教祖のイメージ2     投稿者: ixtlan     2000年8月20日 午後11時30分

それからこの教祖は宗教団体に会社組織を持ち込んでますね。ノルマとかいっているらしいので。会社組織はずっと前からあったものではないでしょう。昔の労働の形態とそこから派生するイメージは現代のとはまったく異なっていて、そういうことはアーレントの本に書いてある。この人アーレントのいったい何を勉強してたんだろう。もしかすると会社での挫折が、宗教団体という新しい会社を作ってそこの社長におさまっていたいという欲望を作り出したのかもしれませんねぇ。
( これは ixtlan さんの メッセージ 5681 に対する返信です )


5683 件目  大川教祖のイメージ3     投稿者: ixtlan     2000年8月20日 午後11時33分

それからまたこの人は宗教団体に学校のイメージを投影している。教学試験とかないですか?前の別の人のmsgを読んでみると、「勉強しなくてはセックスができない」などとなっています。それでNHKがそれ用のビデオを作るように、とか。完全に学校化社会の産物でしょう。もしかすると大学での挫折経験によって、宗教団体を作ってそこの学長とかの気分を味わいたいという欲望を作り出したのかもしれません。
( これは ixtlan さんの メッセージ 5682 に対する返信です )


5684 件目  こうしてみると     投稿者: ixtlan     2000年8月20日 午後11時37分

信者のみなさん。挫折した亜インテリのしかも精神病質につきあって、わけのわからない団体に入っているという風なのが私のイメージですが、宗教ってこんなもんでいいんでしょうか?これではまるで現在の社会の病巣をそのまま投影しているような思想にしかならない気がします。「一生懸命信者を獲得しろよ」「一生懸命勉強しろよ」そんなこと釈尊やイエスが思ったと思います?
( これは ixtlan さんの メッセージ 5683 に対する返信です )


5685 件目  幸福の科学の教えになさそうなもの     投稿者: ixtlan     2000年8月20日 午後11時48分

来世を望む、不死を望む、永遠を望む、こういう現象はばかばかしいと切って捨てることはできないと思う。ところがこの不死を望む際の人間の情念についての、なんらか思想らしいものはおそらくない。大川教祖はいともやすやすと永遠を望む気持ちを切って捨てるように、ごく気安く説教してしまう。言われた方は教祖に感情を吸い取られて、己の思想の中に情念というものの入り込む余地を残していない。情念は何か悪いもの、ともすると悪霊の作用によるものとなっているに違いない。
( これは ixtlan さんの メッセージ 5684 に対する返信です )


5686 件目  宗教家は高度な情報の発信源となれ     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月21日 午前12時22分

 こうした作業をしたうえで、さらに、宗教がニ十一世紀のトップ・ラン
ナーになるためには、やはり高みがなければいけません。人を動かすのは
いったい何でしょうか。結局、情報をより多く持っている人が、持ってい
ない人に対して、方向性を示すのです。あるいは仕事であれば、命令を下
せるのです。
 ですから、宗教が二十一世紀のトップ・ランナーになるためには、宗教
界、あるいは宗教家が、他のジャンル(分野)のなかで生きている人たち
よりも、はるかに高度で、豊富で、良質な知識・情報等の発信源でなけれ
ばなりません。
 その意味では、宗教家にとっては、いままでの伝統的宗教や新宗教の修
行以上に厳しい努力を要求される時代が、これから来ると思います。
 そこで、私がまず言いたいのは、二十一世紀以降の宗教家として、トッ
プ・ランナーとなっていくためには、「普通の世界で勤まらないような人
は宗教家にはなれない」ということが前提だということです。
 ところが現在、宗教界には甘えがあって、普通の世界では勤まらないか
ら宗教をやっている人が、たくさんいます。たとえば、「タクシーの運転
手をしていたが、勤めていたタクシー会社が倒産した。しかたがないので、
比叡山にのぼって僧になった。そして、山中を千日間、歩いたという理由
により、大僧正になった」――このような人がいるのです。また、「私は
大病をして、どうにもならなくなった時に、神の声(実は悪霊の声)を聞
いて、悟りが開けた」というようなことで、宗教をやっている人もたくさ
んいるのです。
 このように、この世では通用しない人たちであっても、宗教界ではりー
ダーになったりしていることがあります。現在は、この世では失敗しても、
宗教界だけでは通用していけるのです。
 しかし、この世で普通の職業が勤まらないような人が、他の人の上に立
って指導するなどというのは、おかしいのです。リーダーは、普通の職業
が勤まり、それにプラス・アルファとして、より仏神に近い人でなければ
なりません。来世紀以降は、道徳的にも、精神修養においても、より高み
を持って多くの人たちを指導できるような人が、リーダーにならなければ
いけないのです。
 麻原は、ドロップアウト(脱落)したアウトロー(ならず者)であって、
はっきりいえば、どこであろうと通用しません。自分で薬局をやれば、偽
薬を造って売るような人物が、一万人もの人を指導してはいけないのです。
偽薬を造って売れば、警察に捕まるのはあたり前です。麻原は、ミカンの
皮を漬けて、それを「万病に効く」などと言って金儲けをしたり、あるい
は、資格を持っていないのに処方箋を書いて、お金を請求したりしていた
ような人です。このように、個人として経営できないような人が、大勢の
人を指導するなど、間違っているのです。
 来世紀以降においては、宗教家になる人は、この世の世界で、ある程度
まともに通用するということを前提としたうえで、さらにプラス・アルフ
ァとして、この世の世界の学問では求めがたいものを立派に修行して修め
た方が、選ばれていかなければいけません。このような方が宗教家になっ
ていくシステムが必要です。
 そして、もちろん宗教家は、この世にいる人たちに ホして指導できる力
を、実際に持っていなければいけません。

「人生成功の秘策」より
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5687 件目  底が浅いと思います     投稿者: ixtlan     2000年8月21日 午前12時41分

情報と思想とは違う。情報は一個二個三個と数えられるような物体としての言語であって、それが人の体験する思想だというわけではない。人が体験する思想は物語であり、筋であり、流れであり、たくさんのものが詰め込まれていても筋を成していなければ単なる堆積にすぎない。しかし大川教祖の言うことを聞いていると、つくづく何にも勉強しなかったんだということがわかる。ハイデッガーは実存の可能性を同時に事実性に求め、もっとも古いものは古いがゆえに古くならないと言った。別にハイデッガーにこだわる必要などないが、彼がアーレントだハイデッガーだ言うなら、きちっとそれについてなんか言うべきでしょうね。これでは新しいものを求めてきょろきょろうろつく ヌこぞの哲学科の学生とまったく変わらない。「好奇心、おしゃべり、曖昧性」という実存頽落に陥った人間のサンプルというべきでしょう。
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5686 に対する返信です )


5688 件目  ハイデッガーについて     投稿者: right_cross2000     2000年8月21日 午前 1時25分

これを最後の投稿とさせて頂きます。ハイデッガーについて黄金の法に記述がありましたので、ご参考までに。

さらに、実存主義の流れでは、マルチンハイデッガーがおります。二十世紀最大の哲学者だとも言われるハイデッガーは、ローマ末期のキリスト教系哲学者アウグスチヌスの再来です。如来界の方でもあります。ハイデッガーがアウグスチヌスであった事実を追求されたい方は、『存在と時間』という主著の時間論を、アウグスチヌスの時間論と対比させて読むと、そのことが、よく分かるはずです。
如来ハイデッガーは、人間の「現存性」を「世界内存在」とし、日常生活の可能性の中に投げ出されながら、(被投性)、未来の可能性に向かって、積極的に自分を投げ企ててゆく(投企する)存在とし、「被投的投企」という考えを示しました。しかし、この程度の思想では、結局は、「運命論と自力」の域を出ておらず、如来の思想としては、もっと積極的に神の国、四次元以上の実相世界について説くべきであったと、天上界で、現在、ヘーゲルに批判をされているようです。
( これは ixtlan さんの メッセージ 5687 に対する返信です )


5689 件目  それから、     投稿者: right_cross2000     2000年8月21日 午前 1時46分

ixtlanさんは当会の書籍を余りお読みになっていないという事なので、太陽の法、黄金の法、永遠の法の基本書三部作をまずお読みになる事をお薦めします。黄金の法は時間論です。他の人の発言から思考されるより情報は正確なほうがよろしかと思います。ではお元気で。
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5688 に対する返信です )


5690 件目  right_cross氏は     投稿者: ixtlan     2000年8月21日 午前 1時56分

唯一まともに話ができそうな人じゃないですか。最後の投稿なんて言わないでください。それにしても、もはや漫画を通り越して妄想狂気の世界ですね。ある程度「運命論と自力の域を出ていない」というのは分かることもあります。それは受動性と能動性ということだから。しかし、まさにそのようなあり方、有限性というのが死を前にした存在のあり方だというのが眼目なんであって、死が存在しない幸福の科学にとっては所詮けむたい言説なのでしょうよ。またハイデッガーを「如来の方」だとすると、一時の気の迷いでナチスに荷担したのも可なのですね。ヘーゲルが叱っているのならそこんとこではないのだろうかな。
( これは right_cross2000 さんの メッセージ 5688 に対する返信です )


5691 件目  偽「懺悔の告白」?     投稿者: lalapis     2000年8月21日 午前 4時30分

>私は、批判者側の主張を信じておりません。信じない理由は、かつての批判者が、
>ご自身のプロフィールに、自己保身のために嘘を混ぜた投稿が更に大きな嘘を呼び寄せて
>しまったいう内容の「懺悔の告白」をしているからです。

http://profiles.yahoo.co.jp/fredy99

>批判者側から、「これは作為的なものである」との指摘があって調べてみたのですが、
>情報源は無法地帯の「2チャンネル」に投稿された「匿名の投稿」でありました。
>要するに、どこの誰が書いたかわからないものを根拠にして
>「作為的なものである」と主張しているのです。


フレディ99さんの最新プロフィール、それから問題の2チャンネル投稿、両方見てきました。
念のため、ここでのフレディさんの過去ログも探しました。
恐ろしく時間がかかりましたが・・・


さて、確かに2チャンネルというのは匿名の掲示板ということもあり、品位のない発言も多く、信 鰍フおけない書き込みが多くあることは否定できません。

ただ、例の2チャンネルの投稿を読まなくとも、冷静に考えれば同じような結論に辿り着くでしょう。

本当にフレディさん御本人が、プロフィールにあんな凄い懺悔の言葉を載せるのであれば、ここのトピに投稿なさるはずですよ。
それが御本人にとってどんな不都合があるというのでしょう?

ヤフー掲示板に投稿しないつもりなのに、プロフィールにだけ謝罪文を載せることが如何に不自然なことか・・・誰にでもわかることです。
ましてや、あのフレディさんの夥しい過去ログの内容を読めば、尚更そう思います。

一度登録を消してしまったHNを第三者がもう一回登録して新たなプロフィールを作った・・・こう主張した
ことに対し、信者の方々は「捨てHNで書き逃げをしているようでは、そもそも発言に信頼がおけなくなるはず。かえってフレディさんを貶めている」というような意味のことを言っていますが、それは的外れです。

もし、ただ一度の書き込みで登録を削除した場合、内容によっては「書き逃げ」と呼ばれます。
しかし、フレディさんの場合はあれだけの量の書き込 ンをされているのですから、それには相当しません。
それまでの書き込みの内容の信憑性が低くなるということもありませんよ。

長いことヤフー掲示板に書き込みをされ、いよいよその場を離れようとした方が、
登録を消すことは別に不自然ではありまん。

でも今回のようなことがあると、迂闊に登録は消せなくなりますね。

ここでは何の証明のしようもありませんから、疑問を持ったROMの方々にはそれぞれ確かめて
いただくしかありません。

当のフレディさんらしき方が2チャンネルで抗議をなさっています。
アドレスを載せておきますので、過去ログのフレディさんと同一人物かどうかお確かめ下さい。

2チャンネル
  ↓
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( これは Chikurer さんの メッセージ 5665 に対する返信です )


5692 件目  大川隆法の戯れ言24自分の気持ちに素直に     投稿者: ikarugayamamoto     2000年8月21日 午前 6時49分

「結婚して生活し始めて、まあ落ち着くのに半年ぐらいはかかるでしょうね。この半年間はね、私は言っとくけども、どんなことがあってもまあがんばり抜きなさい...なぜかと言うと、関門が二つあるからですね。それは、男女の性的結合の問題がひとつありますね。これはねえ、自分にピッタリ会う人がいると思っている人もいるかもしれないけど、そんなもんでもないんですね。慣れというのがやっぱりあるんです。...鍵と鍵穴みたいに一つしか合うものがないなんて思ったら、とんでもないまちがいですね。慣れてきて、だんだんよくなってくるもんなんですね」
(「高橋信次の愛の賛歌」p38)

 大川ブッダのぎこちない新婚性生活がうかがえる、大変リアルな文章でよろしい。◎をあげましょう。でも人の名を騙って、自分の恥ずかしい本当の気 揩ソを隠すのは、人間としていけません。減点します。
( これは ikarugayamamoto さんの メッセージ 5651 に対する返信です )


5693 件目  幸福の科学の教育論とは、     投稿者: FAMILY_STONE_00 (30歳/jp)     2000年8月21日 午前 7時48分

どういったものになるでしょうか。最近、教育問題を扱う議論がどこでも盛んに行われています。対する回答を請う!というこうとで。まー個人的に興味あるってだけですが、参考書籍はありますか?今まで宗教に関心のなかったヒトも宗教に関心をよせたりしてます。
( これは Thankyou_El_Cantare さんの メッセージ 5686 に対する返信です )


5694 件目  地獄的なるものを遠ざける     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月21日 午前 9時35分

 まず、「地獄的なるものを遠ざける」とはどういうことかについて、考えてみ
ましょう。
 みなさんの心のなかにある地獄的なるものとは何でしょうか。幸福の科学の
数々の書物や講演で、読んだり聴いたりしたことを材料として、自分の心のなか
にある地獄的なるものを見いだすことができるでしょうか。
 みなさんは「自分は非常に複雑な人間である」と思っているかもしれませんが、
心のなかの地獄的なるものを紙に書き出してみると、意外にシンプル(簡単)な
ものになってしまいます。箇条書きにしたとすると、せいぜい十項目か二十項目
のなかに入ってしまうでしょう。 右か左にしか切れない自動車のハンドルのよう
に、人間の考え方や行動というものは一定の性質を持っているものなのです。
 したがって、間違いの多くはわりと簡単なところに原因があるので、そうした
原因をあらかじめ自覚していることによって、間違いを避けることができるよう
になります。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5695 件目  人を責める思いと地獄霊     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月21日 午前 9時35分

 私は過去に何百何千という数の地獄霊を見てきましたが、地獄霊に共通する特
徴として、最初に思い浮かぶのは、人を責める思いがきわめて強いということで
す。
 人を責める思いをさらに分解してみると、まず、恨みの念が強いということが
あります。恨みに思う心、あるいは被害妄想的な感覚がきわめて強いのです。つ
まり、「自分がいま幸福でないのは、他人に害されたからだ」という考え方です。
 そして、その人が念の強いタイプの場合は、他人に害されたという思いが、積
極的に他人を恨んだり攻撃したりする気持ちになり、一方、念の弱いタイプの場
合は、自己卑下的な方向にいくことになります。 いずれにしても、他人のせいに
する傾向がきわめて強いのです。
 もちろん、他人のせいにする考え方のなかにも、一部には合理的で正当性があ
る場合があります。世の中には明確に間違ったことをする人もいるからです。そ
して悪い結果が現われ、それが自分に影響を与えるだけではなく、まわりの人に
も迷惑をかけることになります。
 その場合、その人に注意を与え、改善を求めること自体は、決して悪ではあり
ません。社会において共同生活をし、一つの目標に向かってみんなが努力してい
るときに、それを阻害するようなことをする人に対して、「是々非々」で臨むこ
と自体が悪いわけではありません。
 ただ、「自分かわいさの観点だけで物事の善悪を見ている場合には、その思い
は悪に転化していく」ということを知らなければなりません。ここがポイントで
す。
 幸福の科学の基本的な教えのなかには、「与える愛」と「奪う愛」という考え
方がありますが、自分かわいさのために人を非難する場合、これは奪う愛の方向
であり、地獄的な思いになっているのです。
 一方、与える愛の気持ちから、他人の間違いを指摘し、その人を善き方向に導
こうとする行為は、決して地獄的なる行為ではありません。天使たちのなかにも、
間違いを厳しく指摘して指導する霊人がいます。それは根底に愛があるから許さ
れ、是とされるのです。
 「世の中の人がすることはすべて善いことだから、野放しにしておいてよい」
というわけでは決してありませんが、「善悪を見る目において、与える愛の側に
立っているか。それとも、奪う愛の側に立っているか」ということを、よく知ら
なければならないのです。
 自分の心のなかを見たとき、奪う愛の側に立っていて、他人を責める気持ちが
非常に強かったならば、地獄に行く可能性がかなり高いと思わなければなりませ
ん。自分が地獄に行くかどうかは、他人から指摘されるまでもなく、自分自身の
心に問うてみれば分かることなのです。
 人を責める思いが非常に強く、1日のあいだに去来する思いのなかで、そうし
た気持ちが占める時間がかなり長いようならば、その心は地獄に通じている可能
性が高いのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5696 件目  粘着型を克服する(1)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月21日 午前 9時38分

 人を責める思いから逃れるためには、どうすればよいでしょうか。もちろん、
反省という方法が王道です。
 ただ、物事をしつこく考える粘着型の性格の人は、こだわりすぎるきらいがあ
るので、反省に入る前に、もっとあっさりした性格になる必要があります。
 こうしたタイプの人は、死後数百年たっても、あるいは千年二千年たっても、
同じことを言っています。生前の自分が他人から受けた悪意や危害、不幸などに
ついて、五百年も千年もしつこく言いつづけているのです。
 自分の性格を見て粘着型だと思うならば、そうした世界に行きやすいタイプで
あることを覚えておいてください。しつこくて恨みがましいタイプというのは、
はっきり言えば、”化けて出る” タイプなのです。
 したがって、自分はそうした傾向が強いと思う人は、「もっとあっさりしよう。
さばけた目で見よう」という努力をしてみてください。一年ぐらい努力すると、
わりと簡単に、さばさばとしたものの見方ができるようになります。
 いつも同じことにこだわっている自分に気づいたときには、「これについては
少し考えすぎだ。考える時間が長すぎる。これについて考えるのをいったんやめ
て、暇なときにでもまた考えよう」と思い、こだわっている事柄を少し脇に置い
て、より積極的なことを考える訓練をしてみてください。
 そうすると、しだいにあっさりした性格になっていきます。
 あっさりしたものの考え方ができる人は、たとえ失敗などがあっても、立ち直
りがわりと早いのです。立ち直れば、また歩きはじめることができます。
 道で転んだとき、「痛い痛い」と言って、いつまでも泣いていては、しかたが
ありません。泥を拭って、また歩きはじめるのがいちばんです。いつまでも痛が
っていたり、他人の同情を請うたりしていると、日が暮れてしまいます。やはり、
いち早く元の姿に戻って、また歩きはじめることが大事なのです。
 他人を責める傾向が非常に強い人は、まず、「さっぱりした性格になろう。あ
まりこだわらない性格になろう」と思うことです。これだけでも、地獄に行かず
にすむ可能性がかなり高くなります。
 そして、ある程度、粘着型の性格を克服できたならば、第三者の目で自分を見
て、「自分の悪いところは、こことここだな。したがって、ここはこうしよう」
というように、反省に入ってみてください。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5697 件目  粘着型を克服する(2)     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月21日 午前 9時38分

 こだわっている時間を短縮していけば、暗い人生を生きなくてもよくなると思
います。自分が間違ったときには、さばさばとした気持ちで、「すみませんでし
た。私の間違いでした。以後、気をつけます。今後はこのようにします」と言っ
てしまえば、ほんの数秒で終わることなのです。
 それができないために、苦しみを1年も2年も引きずり、生きているときだけ
ではなく、あの世に還ってまで苦しむ人がいます。しかも、自分ひとりが苦しん
でいるだけでは納得がいかず、仲間を増やそうとして、自分の考えに賛同する人
を引き込み、さらには、あの世の人だけでは足りずに、この世の人まで引きずり
込みます。こうした人が大勢いるのです。
 みなさんも、自分の心に問うてみれば、こうしたことの痕跡が多少はあるはず
です。
 自分が失敗や間違いをしたり、他人から辱められたりして、「このままではプ
ライドが許さない」と思うようなときに、「すみませんでした」と素直に言える
人は、たいしたものです。
 しかし、たいていは、そのひと言が言えずに、「自分は悪くない」と開き直り、
次には、「それは○○さんのせいである」ということを言いはじめるのです。
 そして、それだけではまだ心の傷がいえなくて、仲間を引き込みにかかります。
自分の言い分に賛同する人を引っ張ってきて、徒党を組み、「あの人が悪かった
のだ」「ああしたやり方が悪かったのだ」などと言いはじめます。
 これが悪魔の起源です。自分ひとりだけが傷つくのはいやなので仲間を増やし、
自己を合理化しようとする気持ちは、天国と地獄が分かれ、悪魔たちが出現し、
彼らが徒党を組んで活動しはじめる原因なのです。
 ある意味では、彼らは非常に弱い人たちではあります。しかし、自分ひとりの
責任として受け止めることができずに、それを仏神の責任にし、それだけでは気
がすまないので、仲間を集め大勢で反抗しようとするのは、人間の心のなかにあ
るいちばん卑劣な部分です。
 したがって、自分にも同じよ 、な傾向があると思ったならば、そうした習性を
よく注意して見ておくことです。
 悪魔になって徒党を組み、地上を混乱に陥れるか、「申し訳なかった」と謝っ
て、自分のやり方を改めるか、どちらをも選ぶことができます。しかし、どちら
を選んだかによって、結果は大きく異なったものになるのです。
 人間として生きている以上、間違いはつきものですが、いつでも自分の間違い
を正せる人は立派な人です。頭を下げることによって、その人の値打ちが下がる
ことはありません。むしろ、鼻高々で上を向いていると、値打ちが下がることの
ほうが多いのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5698 件目  転落の原因――悪しきプライド     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月21日 午前 9時48分

 地獄的なるものの一番目として、他人を責める傾向について述べましたが、二
番目はプライドの部分です。これはどうしても述べておかねばなりません。
 といっても、プライド自体は自尊心から出ているものなので、本来は決して有
害なものではありません。自尊心を持つことは大切なことです。
 自尊心とは、「自分は立派な人間だ」と思いたい気持ちのことであり、そう思
いたいからこそ、向上心もわいてくるのです。自尊心の根本にあるものは、「人
間は仏の子である」という思想であり、「仏に近づきたい」という気持ちだと思
います。したがって、プライド自体が悪いわけではありません。
 ただ、プライドが人間の自然な感情から離れて、自分の顔に張りついた仮面の
ようになってくると、これが1つの独立した存在として仕事をしはじめ、本来の
素直な心から遊離していきます。これが非常に怖いことなのです。イエスが「幼
子のごとくでなければ天国には入れない」(「マタイによる福音書」18・3)と
説いた理由もここにあります。
 人間は数十年の人生を生きてくると、地位や収入、評判などによって、自己確
認をするようになってきます。ところが、名刺に書いてある会社名や役職名が、
しだいに自分そのものになってくる場合があります。
 こうなると怖いのです。自分 ェ自分でなくなってくるからです。ある意味では、
自分というものが、値札をつけて棚に並べられている商品のようになってきてい
るのです。それではいけないわけですが、本人はなかなか気づきません。
 この数十年、私はいろいろな人を見てきましたが、途中で転落していく人は、
ほとんどがプライドのところに原因がありました。単純なこの一点で転落してい
ます。柔軟な心があれば、そうはならないのに、柔軟な心を持ちつづけることが
できないのです。
 いろいろな事態が起こっても、常に自分を変えていくという、柔軟な心を持っ
ていればよいのですが、そうした心がないと、顔に塗ったパックががちがちに固
まって取れなくなったようなものを、「これが自分自身だ」と思うようになって
しまいます。
 素肌というものは弾力性があって柔らかく、変化に富むものですが、これをパ
ックで固めてしまうと、がちがちになってしまいます。そして、それを「自分だ」
と思うようになるのです。しかし、そうであってはいけません。
 すべてのものは変化し、変転していきます。その変化のなかで、竿を巧みに使
って川下りをするからこそ、人生の喜びはあるのです。変化にともなう、そうし
た喜びを知らねばなりません。自分で自分を固めて、それ以外には変化できない
自分をつくってしまってはいけないのです。
 実は、プライドが原因で転落していく人のほとんどは、プライドと能力とのあ
いだに、だんだんギャップ(隔たり)が生じ、それが埋められなくて、そこに魔
が入ってくるという傾向が非常に強いのです。
 会社でも発展期には、「現状維持は即脱落」となりやすいものです。組織の拡
大に応じて役職者の実力も向上していかなくては、必ずギャップができてくるも
のなのです。
 現在の自分の実力と要求されているものとのあいだに、差が開いてきたことが
見えず、自分の地位や役職にこだわっていると、完全に転落への道になります。
過去、そうした姿をいくつか見てきた人もいるでしょうが、「それは自分の将来
の姿かもしれない」ということを、よくよく知っておいてください。
 その意味では、発展には罪なところもあります。しかし、発展を選ぶ以上は、
覚悟しなくてはなりません。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5699 件目  弾力に富む心を持つ     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月21日 午前 9時48分

 転落しないためには、柔らかい心をいつも持っていることが大切です。柔らか
い心を持っていれば失敗はありません。ただ、弱くてはだめです。柔らかくても
弾力に富んだ心が必要なのです。
 以前、子供のおもちゃに、「スーパーボール」というゴムボールがありました。
そのボールは柔らかいけれども弾力に富み、力いっぱい投げると衝撃力もありま
す。そして、壁や床にぶつかっても、壊れずに跳ね返ってきます。このように、
弾力に富み、柔らかいけれども強い心を持たなければいけません。
 したがって、プライドのところに引っかかって苦しみはじめたならば、「自分
の心は少し固くなっているのではないか」と考えてみてください。瀬戸物のよう
な固い心になってはいないでしよつか。瀬戸物は壁に投げつけられると、粉々に
割れてしまいます。
 しかし、柔らかくて弾力のあるゴムボールのようなものであれば、壁に思いき
り投げても跳ね返ってきます。いったんはひずみますが、跳ね返って必ずもとど
おりになります。こうした心を持っていれば転落はしません。
 考えてみれば、人間の一生は修行の連続なのですから、たとえどのような場面
が現われてこようとも、「新しい修行課題が与えられたのだ。自分にとって新し
い修行の局面が訪れたのだ」と思っていれば、人生は楽しいことばかりなのです。
 たとえ、勤めていた会社が急発展して、あとから中途入社した人たちが、先に
出世していくようなことがあったとしても、人生修行の観点からは、なんら落胆
には及びません。
 辛抱づよく、「一兵卒として、”ボール拾い” をしたい」というような気持ち
を持っていれば、また出番が回ってくることもあるのです。
 したがって、どうか固い心を持たずに、柔らかく弾力に富む心を持ってくださ
い。簡単なことですが、これは地獄霊にならないための条件なのです。
 瀬戸物のような心を持っていれば、やがてはバリンと割れて地獄行きです。一
、柔らかい心を持っていれば、地獄に行かずにすみます。それだけのことです。
 しかし、自分が窮地に追い込まれると、心がどんどん固くなり、狭くなってい
く人が多いのです。そうしたときには、どうか柔らかい心を持っていただきたい
のです。
 プライド自体は大切なものですが、そのプライドを瀬戸物のような固いものに
するのではなく、弾力性のあるものに変えてください。どのような壁があっても
避けたりせず、壁にぶつかっても必ず跳ね返って、本来の自分を取り戻すことが
大切です。
 そうしたゴムボールのようなプライドを持っていれば、どこまでも向上してい
くことが可能なのです。
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


5700 件目  優れたものを学ぶ     投稿者: Thankyou_El_Cantare     2000年8月21日 午前 9時48分

 幸福の科学においては、自分より優れた人が自分のあとから入ってくることも
たくさんあります。ところが、固い心を持っ トいると、優れた人があとから入っ
てきても、その人から学ぶことができません。「自分のほうが修行は進んでいる
のだ」と思っていると、相手から絶対に学べないのです。
 その結果、心のなかで目に見えない1つの闘いが起こります。あとから来た優
れた人を認めないか、それとも自分が意気消沈してしまうか――このどちらかに
なり、結局、両方とも不幸になってしまいます。
 そうではなくて、「先輩からも後輩からも、優れたものを学んでいこう」とい
う気持ちが大事なのです。
 また、年齢に関係なく、それぞれの魂の霊格は異なるので、「どのようなとこ
ろに、どのような優れた人がいるか分からない。優れた人が出てきたならば、そ
の人から学ぼう」という気持ちを忘れないでいただきたいのです。
 幸福の科学に集っている仏弟子たちのしベルはかなり高く、大勢が僅差で並ん
でいます。二千数百年前の釈尊の時代に一生懸命に修行をした人たちが、その後、
それぞれ何回か生まれ変わって、さらに腕を磨いていたのです。
 ある人は心を浄化し、ある人は知力を鍛え、さまざまなことをしながら魂を鍛
えて、二千数百年ぶり ノ、「さあ、腕くらべだ」「今度こそは」と思い、集ってき
ているのですから、かなり高度な切瑳琢磨が展開されていると考えたほうがいい
のです。
 以上、「地獄的なるものを遠ざける」ということについて述べてきましたが、
そのためには、他人を責める傾向と悪しきプライドの二点に、特に気をつけてい
ただきたいと思います。

「ユートピア創造論」より
( これは kyully さんの メッセージ 1 に対する返信です )


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