Q&A 401-450

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[450] 脱会者の後遺症はこれが原因か? 投稿者:F 投稿日:2000/07/08(Sat) 05:54

脱会者の後遺症について、[396]にこういうことを書きました。

>「ある言葉を見たり聞いたりすると、条件反射的に、心身が反応を起こす」ということのようです。

条件反射がある以上、そのもととなる条件付けがあるはずです。
それが「幸福の科学に傷ついたあなたへ」のrikuさんの投稿にはっきりと示されています。

>そして、「仏法僧への中傷は極悪非道の所業なり」
> 「もはや 人間として生まれるはこれが最後と悟るべし」
> 「地上の悪魔は撃退せん」「地下の悪魔は粉砕せん」
> 「如来の法を妨ぐる悪はこの世に許すまじ」
> 「降魔の剣を振り コろし 最後の悪を打ち砕かん」
>というのも 毎日唱えます。唱えてる時はただの歌のように感じてます。

つまり幸福の科学の信者さんたちは、そうとは知らずに自らを「条件付け」しているのです。
その結果、脱会者はどうなるかというと

>毎日唱えていると・・あとで自分が教祖を信じなくなったとき、
>なぜか、自分で自分の事を悪魔だと自分の意識は 勝手に思い込む ようなんです。
>自分で自分を傷つけたくなったり・・事故に遭うような 変な恐怖・・教祖に見られ
>ていて逃げられないような 恐怖・・何をしてても 怖さから 逃れられない 奇妙な
>恐怖心・・。唱えてる時は そんなことになるとはつゆ知りませんから
>熱心に 一心に 信じて繰り返し 唱えてしまってる。

では熱心な信者さんはどういう条件反射を起こすかというと、ヤフーで見た通りです。
「仏法僧への中傷は極悪非道の所業」なので、「降魔の剣を振り下ろし 最後の悪を打ち砕かん」
とするわけです。

ponさんが「システム」「プログラム」と呼んでいる意味が、
少しはお分かりになったのではないでしょうか ?
長いですけ 黷ヌも、rikuさんの投稿を再度読んでみてください。

http://members.xoom.com/sa_chi_ko/koe1.htm

#「条件付け」という用語に不快感を感じた方がいらっしゃるかもしれません。
 他の用語を知らないので、この言葉を使いました。もっと良い表現があれば教えてください。
 
 


[449] Cubic Uさんへ (横レスですけど。。。) 投稿者:その2 投稿日:2000/07/08(Sat) 00:16

446の書きこみを 読ませていただき、
失礼とは 思いましたが。。書きこみさせて いただきます。

>僕は、[436]で教団を批判しましたが、
>それは、
>「脱会者に無条件に悪いイメージを抱く一部会員さんたちを批判するため」と
>「ネット上に現れた一部の会員さんたちの酷い対応によって、
>傷つけられた人々の感情を和らげるため」です。

ここのところで、Cubic Uさんは 勘違いっていうか 思い違いをされてます。
脱会したひと スちの中で、こころに傷を負っているひとは 「脱会にいたる時点」で
すでに そうなっているのです。 

「ネット上に現われた一部の会員さんたちの酷い対応によって」初めて傷つけられた
のでは ないのです。 もちろん、傷をさらに大きく深くしたひとも ROMしていた
脱会者のなかには いるかもしれませんが。。。
また、脱会したからといって 全員が 深い傷を負っているわけではありません。

でも、ponさんは 脱会当時から 相当にひどいダメージを 心身ともに受けたまま 
この2年間を 過ごされてきた方のようです。

Cubic Uさんが445で書かれていた、

>「総裁の真意はどこにあるのか。
>本当にお金欲しさだけで、やってるだけなのか。(そうだったら、ショック!)」

その ショック気分の 何十倍もの荷重を ponさんは 背負ってきた。。
っていうことを、想像してみてください。
たぶん そんな感じを 彼女は 長い間。。。誰にも話せず、たった一人で耐えて
きたんです。
だから、感情が先走ってしまったり、言葉足らずになってしまうことも あったり
するかもしれませんけど。。どうか これ以上責めないであげてください。
ponさんには あなたに対する 悪意がないことだけは、ハッキリしています!


>それは、「脱会した方々の中にだって、素晴らしい人がいるはずだ。
>そう信じたい。」
>という僕の良心に端を発します。

わたしの知り合いの 脱会した方々の中にも、素晴らしい人が 「現実に」
たくさん います。 その人たちは 何より 自分の良心を信じて脱会し、
その後 それぞれに ステキに生きてます。
幸福の科学の信者であろうが、脱会者であろうが、全く関係ない一般の方で
あろうが。。。素晴らしいひとは、素晴らしいのです!。。。と思います。
武蔵さんや野口志世さん のようにネ。

>真に重要なのは、会員だから、そうじゃないから、という区別ではなく、
>どちらの立場に立とうと、人間的であること、
>即ち(教団から、自分にとって無理な要求をされたなら突っぱねること、
>あるいは教団を離れても教団の関係者を根拠なく罵倒したい気持ちを
>抑えられるような)しっかりとした「個」を持つことなのです。

教団から無理な要求をされたなら突 チぱねること。。。というのは、
数年前までの地方支部の地域では それこそ無理な話でした。
もちろん 支部長や地区長の 人格やキャラにもよるでしょうけど、
何らかの形で貢献できない者は「おまえそれでも会員なのか?!」
「我々の本義は。。。我々の使命は。。。」ってのが、すごい圧力で
もって迫ってきて それに逆らったり 貢献できないひとは いつのまにか
チームの集いや支部にもこなくなって。。「休眠会員」「野狐禅会員」
扱いに されてました。
現在は たぶん 相当潤ってきている(たくさんの祈願やその他諸々の収入増で)ので
そんなに 厳しく支部目標必達が 指示されていないようですね。

あ、貢献→植福・献金、献本、行事参加(お誘い)、伝道などです。
ちなみに 本尊下賜は 植福・献金の活動に属してたと思います。

わたしも もっと人間的で しっかりとした「個」を持っていたら。。
年老いた親に 心配や迷惑をかけながら お金を借りてまで 本尊下賜に
走る馬鹿げたことは しなかったのになぁ。。。と、反省してます。

それから、教団の関係者や信者さんたちを 罵倒する気持 ソは ponさんも 
持ってないと思いますよ。

横レスなのに 長くなって 大変 失礼いたしました。
では。


[448] Cubic Uさんへ、教祖写真100万円への反論3 投稿者:イカルガヤマモト 投稿日:2000/07/07(Fri) 23:22

 「幸福の科学と常識」

 Cubic Uさんへ、常識の話がでたついでに一つお聞きします。ローマ法王でもダライ=ラマでも池田大作でもいいですが、「自らの写真を一枚100万円で売っていた」としたら、なんかおかしいとは思いませんか?少なくとも一般人はおかしいと感じます。そんなあこぎな事はまともな宗教団体ならやらないからです。
 「ローマ法王やダライ=ラマは人間だけど、大川教祖は神だからそれでいいのだ」と反論するかもしれませんが、それは教団の中だけで通用する理屈です。一般人はだれも納得してくれません。確認したければ誰でもいいから信者以外の人に聞いてみてください。「私達幸福の科学は教祖の写真を一枚100万円で売っています。これって正しい事です 謔ヒ」と。
 幸福の科学が”判る人だけにわかれば良い”という教えなら、百歩譲ってそれでもよいかもしれません。でも違うのでしょう。21世紀までに日本人全員を会員にして(と教祖が言ったがとても実現しそうにないですが)、この世に仏国土ユートピアを建設するのが目的なのでしょう。一般人なら誰もが眉をひそめるような行為をして、ユートピアも何もあったものじゃないと思います。
 ”偉大なる常識人”と言う教えは、決して普通の一般人が理解不可能な行為を指すものではないと思います。

P・S
 植福袋の献金が一回5万円というのも、常識はずれです。金額はチェックしないといいますが、献金にこのような(貧乏な人も金持ちも同様に)高額なノルマを課している、というのがそもそも一般人には理解できません。これを読むと「幸福の科学は金のかかる宗教やなあ」と言う感想しかわかないと思います。つまり一般人にはマイナスの要素となる。それをそう思わないと言うことに、はっきりいって”幸福の科学”の常識ってどうなっているのだろう、と言う思いが拭えないのです。


[447] Cubic Uさんへ、 ウ祖写真100万円への反論2 投稿者:イカルガヤマモト 投稿日:2000/07/07(Fri) 22:45

>「何ものにもかえがたい精神」の持ち主である信者であればこそ、(主と霊的につながっている意味で)無限の価値を持つご本尊の下賜が許されるのです。「尊いんだったら、無差別に配付すべき」という批判は、それこそご本尊にとって「とても失礼ではないでしょうか」。]と[430]に書きました。
また、[100万円という(我々多くの一般人にとって)高額を布施できるほど、”おそらく現代人が平均的に最も執着しやすい金銭”への執着を断てる心境にあり、なおかつ結果的に総裁の教えの普及を経済面で支えたこととなり、仏国土ユートピア建設に貢献した、何ものにもかえがたい精神の持ち主である]者に下賜するというのが、教団の方針ではないかと推定しました。
その上で、[例えば「最低、書籍100冊を読んで、論文を提出し合格する」]などの[別の判定基準]を考えてみましたが、それは[知力差別]となりうるし、 [他にもいろいろな判定基が準考えられますが、どんな基準を設けても、欠点はあります。]と考えました。

 ですからなぜ「知力差別」はいけなくて、「金力差別」は良いのですか?普通の一般人の常識で考えてください。「お金がないけど一生懸命教えを奉じている人」と「教えはあんまり守ってないけど100万ぐらいキャッシュでポンとだしてもたいして痛くない人」のどちらが、「ご本尊」をいただく資格があるか?前者に決まっているでしょうが。宗教にお金がいることぐらい、皆さん知っています。問題は「ご本尊」の下賜というもっとも根本的な事が、その人の「心」ではなく「金」で決まると言うことですよ。”何ものにもかえがたい精神」の持ち主である信者”は貧乏な人の中にもいるでしょうが。そういった事情をまったく考慮せず、ただただ金で判断する。それがおかしいといっているのです。


[446] Re:[440] ponさんへ 投稿者:Cubic U(会員) 投稿日:2000/07/07(Fri) 18:30

ponさん、はじめまして。よろしくお願いします。

僕の[428]の投稿を読んでいただけましたか?
ネットにおいては、それはであるので、極力気をつけて書くべきです。

あなたとは、会ったこともなく、全く議論もしたことのないですよね。
初めて「会った」人から、突然、何の根拠も示されず、
「かわいそう」と侮辱としかとれない言い方で、
しかも、名指しで、言われる者の気持ちを考えてみてください。
レッテルを貼って、それでいて平気で
「もう こちらを去ろう」などと言っています。
「幸福の科学」ウンヌン以前の問題です。

僕は、[436]で教団を批判しましたが、
それは、
「脱会者に無条件に悪いイメージを抱く一部会員さんたちを批判するため」と
「ネット上に現れた一部の会員さんたちの酷い対応によって、
傷つけられた人々の感情を和らげるため」です。
それは、「脱会した方々の中にだって、素晴らしい人がいるはずだ。
そう信じたい。」
という僕の良心に端を発します。
あなたは人間としての良心から発言していますか。
自分は被害者だから、何を言ってもいいと思っているのでしょうか。
幸福の科学を認めたくないあまりに、「普通の感覚」を持つ者が
言わないようなことを言ってしまったという感覚はありませんか。
「過去ログを全部読んで」と仰るので、残していた分を全部読んでたら、
あなた、会員のことを根拠無く、口汚く罵倒している発言がありますね。
(もちろん、その後、丁寧にきちんと謝罪をしておられますが)
あろうことかその発言をするあなたを
「ただものではない!」と喜んで、「もっと書いて」と仰る
元会員さんもいらっしゃいました。

今回のあなたの発言には、マジでガックリきました。
僕が弱いせいでしょうか。
上記の、僕の真剣な「良心」を踏みにじられた思いです。

僕は、納得できる批判があれば、きちんと考えると言ってるんです。
「良心」に従うとも、言ってるです。
総裁が、「脅してても、信者を増やしなさい」というような非常識なことを
言ったならば、軽蔑して、会を去ることだって、できるんです。
過去ログを全部読みましたが、まだ「あわい夢」から覚めません。
あなたの「国王と奴隷」論は熱心な会員である僕の実感とかけ離れています。
「上級階級」と「一般市民」に区分けし、「前者が後者から搾取している」と
ことさ 轤ノ叫ぶ、左翼的なイデオロギー批判のように感じてしまいます。

「どうしてまだここまでしかわからないのか不思議な人もいらっしゃいます。」
とは、僕のことでしょうか。
もしそうなら、「どこまでわかればいいのか」を示すべきです。
何の根拠も示さず「かわいそう」というだけで、
(しかも、その直後に「ごめんなさい」などと言っていかにも自分が
差別を持ってないかのような「いい人」を装っている)去っていくということは、
[あなたがた脱会者に「苦しみは自己責任」と言い放って「無慈悲」に
接する会員]と同質のものが、あなたの中にもあるということじゃないですか?

真に重要なのは、会員だから、そうじゃないから、という区別ではなく、
どちらの立場に立とうと、人間的であること、
即ち(教団から、自分にとって無理な要求をされたなら突っぱねること、
あるいは教団を離れても教団の関係者を根拠なく罵倒したい気持ちを
抑えられるような)しっかりとした「個」を持つことなのです。

今回、初めてココの投稿者に、名指しで批判を行いました。
これまでの発言から、どれだけ僕が、
「“ネット” ニいう、相手の人格がハッキリ見えないこの場において、
(感情的に対立することは、マイナスなので)できるだけ避けたい」と
考えているか、おわかりだと思います。
もっと、柔らかい言い方もできましたが、
あえて、今回のように厳しく言ったわけを考えてください。


[445] イカルガヤマモトさんへ [438]への解答 投稿者:Cubic U(会員) 投稿日:2000/07/07(Fri) 11:21

>なぜ(教団は)”財務修行”のみの成果で判断するのか?

[430]のくり返しになりますが、
[経済的にそれ(教団)を支えるという仕事は、
教えそのものを流布する仕事と甲乙つけがたい重要さを持っている。
教えが普及するためには、
それだけの経済的基盤が必要なので、その方面で努力するということは、
何ものにもかえがたい精神である]と総裁が仰っているからです。
別に、活動状況で「判断」しても、良いわけです。
ただ、ここでは前者をとったというだけです。

>金銭への執着を絶てとの教えと、「常勝思考」「世俗的成功」
>「エリート主義」という教えは全く矛盾しませんか?

僕は、矛盾してないと思います。
『金銭への執着を絶てとの教え』と
『「常勝思考」「世俗的成功」「エリート主義」という教え』は、
ともに魂の向上のために説かれているからです。
前者が向上につながることは明白ですね。
後者は例を挙げて説明します。
僕は中学時代に「生徒会」の役員になったことがありますが、
(なりたくてなったんじゃないですが)、役員でない人より
いろいろなことに時間を割かれていたと思っています。
それでいて、成績を落とさないよう一生懸命に勉強しました。
役員として年中、仕事があります。部活もしていたので、大変でした。
こうした中で、時間を大切に使うために段取りを立てることを学びました。
また、僕自身が全教員・全校生徒の前で、
プレゼンすることも数回ありました。
このときの数々の体験は、今になっても活きています。
これは、僕の例ですが、会社においても同じではないでしょうか。
出世するほど(責任が重くなるほど)仕事も増えていきます。
高度な判断が必要とされるでしょうし、多くの部下を持つ場合、
人の心理を深く理解する必要があるでしょう。
もちろん、出世するほどに傲慢になるようでは逆効果でしょうが。
要するに、「一度高いところに昇る経験をしておくことは、魂修行に
有益なことである」(どっかに書いてあったんですが、探せませんでした)
ということです。

>がんばって出世してエリートになってどんどんお金儲けしなさい。
>ただし稼いだお金にとらわれてはいけないから、教団に差し出しなさい。
>これはとても教団に都合の良い考えだと思いますが。
 
「出世=金儲け」とする図式は、そうでない方もいらっしゃると思います。
結果的にお金が入るのであって、金儲けが至上目的ではないでしょう。
(ただし、僕は「金儲け」が悪いとは全然思ってません。
将来は経営者になりたいと考えています^^ なれるかな・・・)
「稼いだお金」を「教団に差し出しなさい」なんて教団は言ってません。
したくなければ、しなくていいのです。したい人がすればいい。
「私は、したくありません。私はしたい時にお布施します。
私への勧進はお断りです。」といえば、OKです。
ご本尊に関しても、頂く必要がないなら、「いりません」と言えます。

flowersforさんの以下の発言は、[430]を書く前から既に読んでいて、
意識して書いたつもりだったんですが・・・

>「100万円を出してご本尊を手に入れること」が「お金への執着を去る修行・布施の修行」になるためには、ご本尊の価値と100万円とがイコールだと認めててはダメなわけです。それはただの経済行為にすぎず、100万円に「布施」の部分が存在する余地がないわけです。ご本尊の価値が100万円よりも遥かに低いと思えてはじめて、そこに「布施」の部分が存在する価値が出てきて、それが「お金への執着を去る修行」になるわけです。

僕は「(主と霊的につながっている意味で)無限の価値を持つご本尊」と
書きました。即ち、「ご本尊の価値と100万円とがイコール」では
ないということです。
これ以下に続く文は全て「ご本尊の価値と100万円とがイコールだ」
ということを前提にした論理展開ですよね。

>ゆえに「100万円を出してご本尊を手に入れること」を「お金への執着を去る修行・布施の修行」と主張するってことは、「10 O万円は高くない」と言いながらも結局、「100万円は高い。本当は妥当ではない」と言ってるのと同じなわけです。一方で、信者さんは大抵「100万円の価値がある。納得して買ってるんだからいいじゃないか」と主張します。

「100万円の価値がある。」とは教団の公式発表ではなく、
「信者の誤解」であったようだとかきました。

>こう考えた時点でそれは「お金への執着を去る修行」にならなくなり、「布施」の部分も存在しなくなります。要するに「布施なんだ、お金への執着を去る修行なんだ」という説明と、「ご本尊には100万円の価値がある」という説明は、絶対に同居できないんです。とりあえず、「100万円の価値を認めて買ってるんだからいいじゃないか」について考えます。

[「布施なんだ、お金への執着を去る修行なんだ」という説明と、
「ご本尊には100万円の価値がある」という説明は、
絶対に同居できない]
という考えに納得したので、そうではない理論を[430]に書いています。
あくまで、僕個人の考えですが。

>あのね、Aさんは100万円で買いました、Bさんは1000円で買いました、っていうなら誰も文句言いませんよ。 違うでしょ? 値段は100万円に固定されてるんです。誰が固定してるのか。売る側が固定してるんです。信者さんは総じて勘違いするけど批判者たちは「買う側」を批判してるんじゃない。「売る側」を批判してるんです。いいですか。なんで売る側は100万円という値段を設定するんだ??それほどまでに価値があるものだったらなんでもっと廉価で配布しないんだ??ってことです。あなたたちがいくら「金持ちはが救われ、貧乏人は救われない、というのは真理じゃない」などと偉そうに主張したところで、ご本尊という「ものすごい価値があるもの」の恩恵を受けるに関して金持ちと貧乏人のあいだで差別が生まれるんだから、
そんな主張は空しいだけ。(ほかにもいろいろあるそうですね。特別灌頂やらなんちゃら祈願やら。全部一緒。)

[「何ものにもかえがたい精神」の持ち主である信者であればこそ、
(主と霊的につながっている意味で)無限の価値を持つご本尊の下賜が
許されるのです。「尊いんだったら、無差別に配付すべき」という批判は、
それこそご本尊にとって「とても失礼ではないでしょうか」。]
と[430]に書きました。
また、
[100万円という(我々多くの一般人にとって)高額を布施できるほど、
“おそらく現代人が平均的に最も執着しやすい金銭”への執着を断てる
心境にあり、なおかつ結果的に総裁の教えの普及を経済面で
支えたこととなり、仏国土ユートピア建設に貢献した、
何ものにもかえがたい精神の持ち主である]者に下賜する
というのが、教団の方針ではないかと推定しました。
その上で、
[例えば「最低、書籍100冊を読んで、論文を提出し合格する」]
などの[別の判定基準]を考えてみましたが、それは[知力差別]となりうるし、
[他にもいろいろな判定基が準考えられますが、
どんな基準を設けても、欠点はあります。]と考えました。
『特別灌頂やらなんちゃら祈願やら』は、[435]に書いたとおり
100%自由意思での奉納が可能です。

>教団はお金が必要なんです。
これは事実でしょう。伝道活動のためにはある程度の資金が必要です。 

>結局、ご本尊販売の本来の意味とは「価値あるものの配布」じゃなく、やっぱり「布施」なんだと理解するしかないわけだ。でもそもそも布施ってなんなのか。布施っていうの ヘ、布施する側がその金額(まあお金だけじゃないけど)を決めるもんですよ。自分の可能な範囲でね。だから「富者の万灯よりも貧者の一灯」って言葉があるわけです。「気持ちが重要なんだよ」ってことでね。

これに関しては、引用すると長くなるので、[435]を見てください。
幸福の科学では信者の布施の『気持ちが重要』とされています。

>ところが驚くべきことに幸福の科学では、「布施の額を、布施_してもらう_側が決める」(!!!!!)というトンデモナイことが横行してるわけです。そのうえ、布施_してもらう_側なのに(そう!「お願いする」側なのに!!)、 布施してくれる側に対して「これは布施の修行なんですよ、お金への執着を去る修行なんですよ」などと図々しくも説得し、あまつさえ、ご本尊購入という_布施をしてもらった_側のくせに「おめでとう」と喝采する!!「ありがとう」だろうが!!! 買ってもらったあとに「おめでとう」と言うなら、「これは布施なんですよ」などと説得するな!

前半部分に関しては
[例外的に目安が固定されているものもあります。
生前供養・永代供養・ご本尊授与等です。(他にもいくつ ゥあるかな?)
上記のように主の直接の指導が臨む場合は、
僕が[430]に書いたような理由で、
それ(指導)を受けられるだけの器があるのかを、
“財施修行”面からの成果を観て、教団が判断]
する必要があるのではという推定を[435]に書きました。
後半に関しては、一つお話があります。
以前、街なかを独りの仏教僧があるいていました。
托鉢のお椀と錫杖を持って、コンクリートの上を裸足で歩いてた。
お布施をしたら、「おめでとう」とは言いませんでしたが、
「ありがとう」とも言いませんでしたヨ。
他の仏教国でも、言わないと聞いたことがあります。(本当かな?)
お布施する側とお布施される側、どっちが偉いとは言えませんが、
少なくともお布施する側は、「尊いものに布施する」という行為でもって、
「徳」を積めるんです。
そのことを、幸福の科学は重視して、「おめでとう!」と祝福してるんです。
その場に居合わせた他の会員もおっしゃいまス。
結果的にお布施は教団の経済力となり、教団側は感謝すべきものですが、
あくまで、「結果」的にそうなるのであり、
熱心な信者はお布施するその瞬間においては、
「これで私も徳を積める。ありがたい」
という、教団への感謝の気持ちで満たされています。
(仏教国タイでもそうなっています。以前ドキュメントで見ました。
国民の一部でなく、ほぼ全員がそうであることにビックリ!)
信者側の感謝と教団側の感謝は別問題です。

>「これは布施なんです」と説得するなら、買ってもらったあとには「ありがとう」と言え! そう言いたいですね。これができないのは、信者をご本尊購入に向けて納得させるために、「布施なんだ」と「ご本尊は100万円の価値がある」という互いに相反する論理を巧みに使いたいからです。

「ご本尊は100万円の価値がある」は信者の誤解であったようだ
とくり返しておきます。

>もはや「オカシイ」とか「オカシクナイ」というレベルを越え、真理を説く集団として_最低_最悪_なわけです。なんでこんなことするのか、いいかげん気付きなさいよ。お金が「喉から手が出るほどに」欲しいからじゃないですか。

仏陀の教えを弘めるために、[お金が「喉から手が出るほどに」]欲しいのは
事実でしょう。ただ、総裁が仏陀(悟りをひらいた者)であるということは
僕の信仰ですので、一般には通用しないことも自覚しています。

最後に申し上げておきます。
会員はご本尊を「買って」いるのでは、ありません。
次の話を聞いてください。
〜〜会員U ご本尊を“買いに”行く、の巻き〜〜
会員Uは、100万円の札束を眺めていた。宇多田ヒカルのCDの購入を
あきらめたり、チョコレートに伸びる手を必死で抑えて、貯金した
お金である。(フッフッフ、これでやっと念願のご本尊が“買える”)
速攻で支部に行きました。
支部の職員のデスクの横には、「ご本尊」が積まれています。
(この中の一つが俺のモノになるんだ)キレイ好きな会員Uは、
ほこりで汚れていないであろう上から3番目のご本尊を引き抜き、
100万円と一緒に「コレ、くださ〜い!」と職員に出しました。
「オっ!U君、ご本尊を“買って”くれるのか〜!ありがとう!!
・・・・うん!確かに100万円頂きました!マイドアリ〜〜!」
U君は、ご本尊を買い物袋に入れて、嬉しそうに帰っていきました[完]

“買う”というのは以上のような場合を言うのです。
でも、実際は既に100万円は、早々と布施し、
(場合によっては10年前の「貸付金」の振り替えでもよい)
それから数日間、会員はしばらくの間、心境を整え、心の垢を落とします。
「いよいよ、我が家に主をお迎えするんだ」
(*「ご本尊」授与は主を我が家にお迎えすることと
同じという説明が為されています。)
という誇らしさと嬉しさと感謝に涙が流れます。
そうして、支部での授与式に臨みます。
授与式では多くの会員が見守る中、真っ白なシルクの手袋をつけた
授与される会員が、祭壇前の導師(=職員)の横に並び立ちます。
根本教典『真理の言葉・正心法語』と祈願文『主への祈り』等を
その場、全員で唱和(読経)し、授与されることへの感謝する時間を
とります。
こうした儀式を経た後、やっと導師より、
祭壇前にその人の為に、置かれてあったご本尊が授与されるのです。
その時、会員にはご本尊をやっと“買えた”というような気持ちは、
全くないのです。感謝あるのみなのです。それが信仰者としての態度です。
世間の感覚でいう“経済行動”とは性質の異なるものなのです。

「そういう儀式のことを一般では単なる“建前”というんだよ」
という批判もあるかと思いますが、それを言っては、
「目に見えない価値を、儀式という目に見えるかたちで大切にする宗教」
の存在そのものが成立たなくなります。
「では、儀式を経れば、既に犯罪を犯している統一教会の1000万円の壷の
ようなものも妥当であると考えるのか」とも言えますが、
幸福の科学のご本尊は「監禁して」「脅して」「強制的に」“買わされる”
ことはないのです。頂きたいときに、頂けばいい。
勧められても「絶対に、私に必要ありません」とキッパリ言えば、
それで済みます。100%の自由です。

以上です。
僕は、教団側の人間なので、当然、教団に好意的解釈をします。
「100万円」のことに関しては、
以前書いたとおり、[僕の超足りない頭からどうにかこうにかひねり出した、
もしかしたら「悪見」的「大妄語」で「破門」ばりのご本尊解釈かも]
しれません。
改めて自分の文を読んでみて部分的に「きつい」解釈があることは否めません。
総裁の真意はどこにあるのか。
本当にお金欲しさだけで、やってるだけなのか。(そうだったら、ショック!)

イカルガヤマモトさんやflowersforさんのような方は、
実際に会ったことはありませんが、僕は好きになれる人です。
自分と直接関係のないであろう「幸福の科学」のことについて
純粋に「義侠心」から、多忙の合間をぬって、発言されるような方だからです。
そうした方々と、ココでは「対立」する関係になっています。
それを思うと、少しつらいです。
他の会員さんたちは何をしてるんだろう。
誰か、僕を助けんかいっっっっ!(笑)


[444] Re[440]: PONさんへ 投稿者:その2 投稿日:2000/07/07(Fri) 10:08

こんにちは! お久しぶりです。

> 感じるところは 多々あって こちらに 何を 書いてよいのか
> よく わかりません。脱会者の方々にも 別に 書かせて頂いた通り
> です。新しいページに カルトとは なにか の 項目を つけたしを
> 希望しております。編集など お手伝いさせていただけること
> 感謝します。(__)

新しいページに「カルトとは なにか」の項目を 入れること。。
わたしも希望 オます。 編集のお仕事 色々大変でしょうけど、がんばってください。
あのページをひらいて 不安や恐れや自信喪失など。。こころに痛みを持っているひと
たちが、少しでも 癒されたり 楽になってくだされば いいですネ。


> お話が はずんでいるようですので 私は もう こちらを去ろうかな
> とも 思いました。見ているだけで つらいものも あります。
> どうして まだ ここまでしか わからないのか 不思議な人も
> いらっしゃいます。でも 書き込んで その方の あわい 夢を
> さまさせてよいのか 考えてしまったりもします。

ponさん、つらい気持ちをムリして 書きこむ必要はないですけど、
言いたいと思ったら。。書いてください。
ponさんは、ものすごく苦しんだ分 教祖や教団の問題の本質を
鋭く見抜いてられるように感じます。(今までの書きこみを読ませて
いただいて。。)
もし、すぐに理解してもらえなくても それで「あわい 夢からさめる」
ひとが ひとりでも ふたりでも いるかもしれません。。。
夢からさめて 現実をちゃんと見すえる心眼と 自律的に生きてく力を
取り戻せるなら それに越したことはないと。。思います。
なかには、夢をみているほうが 心地よいし、元気でいられる。。っていう
ひとも いるかもしれませんが、それを望んでいるひとは たぶんなにを
言われても 「さめない」ように がんばっていくでしょう。

> 私は 最初 王さまと 奴隷だと教団を感じました。
> でも それが すきなら どうしようも ありません。

そう。。すきなら どうしようもない です。
むりやり 止めることは できません。
わたしの 友人信者もそうですし。。。


> 私は 怒りで 書き込むものではありません。
> もう かなり わかってきて おそらく もともと ロムされていて
> も知っていた方は 全て 知っておられて、そのような方は おそ
> らく大勢おられたと思われます。 でも 沈黙しておられた・・
>
> 沈黙しておられることは どう・・なのか・・
> も よく わかりません。 書いたほうが よいとはやはり 思います。
> そのうち かけたら と 思います。

ponさんが、怒りで書きこんでいるんじゃない。。っていうことは、
みんな わかっていると、思います。わたしは 最初のころは 怒りも悔しさも
不安も ごった煮状態。。っていう気持ちでしたけどネ。
でも、そういう気持ちが しだいに整理されてきて トリガーやアンカーの仕組み
も教えてもらったりして 自分なりに組替え作業をやってきて その過程で、
いろんなことが 見えてきました。
それを ことばで伝えることは すごく難しくて うまく表現できないんですけど、
ただ。。怒りは消えて その「仕組み」について知ってほしい。。と思うように
なってきました。(教団の問題の本質にも関わってくることですけど)

今は 沈黙しているひとたちも わかってくるひとたちが多くなってくれば、
いつか 書いてくださるのでは。。って、思います。
でもponさん、お互いに ムリだけは しないで いきましょうよネ!!
では。。


[443] アンケートの回答が寄せられました 投稿者:管理人 投稿日:2000/07/07(Fri) 04:46

信者の ke-nn さんからアンケートの回答が寄 ケられましたのでお知らせします。
ke-nn さんへのご意見は、この掲示板に書き込んでください。

../~sachiko/6_koe.htm


[442] シーン442 ダゴバ 投稿者:RYU 投稿日:2000/07/07(Fri) 01:58

 最初に断っておきますが、今回の発言は私が思いついた寓話です。あまり真剣にならずに読んでください。(別に読まなくても構いません。)
========================================
(R:リュー・スカイウォーカー)(D:ダー(大)・ベイダー)

 ・・・ここは惑星ダゴバ。うっそうとした森の中で、リュー・スカイウォーカーは、自 らの力に備わったフォースの力を完全なものとするべく、改めて本格的な修行の道に入っていた。・・・そこに一人の人影が現れた。

”ジャンジャンジャン、ジャジャジャン、ジャジャジャン。ジャンジャンジャン、ジャジャジャン、ジャジャジャあ〜ン♪”

R:「ダ、ダー・ベイダーだな。」
D:「よく来たな。待っていたぞ。」
R:「お前、知らない間に巻紙の内容が変わってるじゃないか。どうみても悪想念が入っている。どういうつもりだ?」
D:「フー、フー、フー。最初の頃から、巻紙の中に悪想念は入れておいた。ただ、あんまり多く入れておくと気づかれると思い、少なくしておいたのだ。」
R:「な、何ー! 俺があんなに感激して読んだ、赤パジャ、じゃない、赤巻紙、青巻紙、黄巻紙の中にも含まれていたのいうのか?」
D:「当然だ。」
R:「うー、何て事だ。お、お前を信じてついてきたのに・・・。騙したな!」
D:「騙したなどと、何を言う。俺は、お前の為を思って、わざと毒を少量いれておいたのだ。」
R:「俺の為だと?ふざけたことをいうな。毒が誰の為になると言うんだ?」
D:「毒も薬のうち、というだろう? あまり本当の事ばかり書いてしまうと、巻紙に頼りすぎ、何より俺に頼りきってしまう。俺の言うことは何でも聞いてしまう。それを防ぐために、薬として間違いをちょっとずつ入れてやったのだ。本来、善も悪も、お前の心の中にしかない。ウォーリーの間違い探しと思って、間違いを指摘すればいいものを、俺の意図と反して、俺を盲信しやがった。悲しいことだな。」
R:「な、何ー! では、あの予言は何だ? 全く当たっていないじゃないか?」
D:「ふっ。分かってないな。予言なんていうのは、いうなれば奇跡だ。奇跡を見なければ信じられんか? お前は俺を試そうとした。法のみを勉強すればいいものを、予言という奇跡を見なければ勉強しようとしなかった。だから、わざと外してやったんだ。また、そこで予言なんかいらない、法さえあればいい、と悟ればいいのに、この逆恨みだ。」
R:「な、何ー!」
D:「そうそう、あとその態度。すぐに怒る態度。怒りは相手よりも、まず自分を滅ぼす。それを教えてやろう、直してやろうと思って、わざとふてぶてしい態度をとっていたのに・・・。”方便”は終わった、と行った後、ただ単に俺を無視すれば良かっただけの話だ。”方便”とは俺様、ダー・ベイダーのことだったのさ。俺の時代が終わったと、わざわざ教えてやったのに。わざと悪役を買ってでたのに。全く気づかないとは。残念なことだ。親の心を知れ!」
R:「な、何ー! 都合のいい時だけ親面しやがって。しかし、言うことが理屈の通っているような気がするな? い、いや、そんなことはない。お前は師を語る偽者だ。えっ、えーい!」
 リューはライトセーバーを抜き、一刀両断の元に、ダー・ベイダーの首を跳ね上げた。 「ゴロン・・・。」
 切り取られた首が転がり、暗黒色のマスクが剥がれ落ちた。しかし、そこに現れたのは、なんとリュー・スカイウォーカー自身の首だったのである。
R:「ぎゃーぁぁぁぁ!」
首:「俺はお前、お前は俺。俺はお前、お前は俺・・・・・・」
転がった首は、いつまでも叫び続けていた・・・。
ヨーダ:「・・・ふー。まだまだ修行が足りんようだな・・・。また鏡を見てバカなことをやっておる・・・。」
========================================
 実際、これが今の私の気持ちです。大川氏が意図してやったことではないかも知れないけど、こういう風に考えてみるのも一つの方法なんじゃないかな、と思って、思い切って投稿してみました。
 だけど、「こんな馬鹿げた話」、「冗談じゃない!」、と思う人も多々いると思います。(もしかして読者全員かもしれません。)もし気を悪くしたとしたら、本当に御免なさい!
(参考資料:スターウォーズ 帝国の逆襲)
(参考資料:イエスキリスト霊示集 P152〜153)

PS.気に入った所があったので、もう少し上記資料から引用させていただきます。

「・・・神は、善人だから穀物を数多く取れるようにし、悪人だから少なく取れなくしたり、善人だけに雨を降らして、悪人には雨を降らさなかったり、そうしたことは、決してされていないはずです。
 さすれば、あなた方は、よくよく物事を考えねばならん。あなた方は、決して、神は悪人だから生かしておられないんだとか、善人だけを えこひいき されるのだとか、そうした考え方をもってはいけないと思う。神もまた、多くの悪しき行為をする人たち、悪しき思いを発する人たち、悪しき言葉を発する人たちを養っておられるということを知らねばならない。
 そういう認識のもとに考えるときに、神が彼らの存在を許しておられるのに、なぜ、あなた方だけが彼らを裁こうとするのか。裁いてはいけない。人を裁いてはいけない。汝が裁かれぬことを願うなら、人を裁いてはいけない。他人に悪人というレッテルを貼ってはいけない。他人に間違っているというレッテルを貼ってはいけない。そうした人びとであっても、神はまた、養っておられるということ。これを信じなければならない。
 彼らもまた、完全な悪人ではないのです。完全な罪人や、完全な悪人というのは、この世にはいないのです。お互いに、他人から自分が害されるのではないかと思って、その害というものを予想して、身構えているだけなのです。そして、身構えておるだけでは足らずに、まず相手に対して、批判をしてみる。悪口を言ってみる。こういうことをしておるのです。しかし、それは決して、神のお心にかなっていることではないのです。
 憎しみに対して、愛をもって応えよ。怒りに対しては、笑顔でもって応えよ。激しい言葉に対しては、沈黙でもって応えよ。そうした行為の中に、神の愛の実践がある。・・・」
(P13〜14)
※1 注意:上記の文は、あくまで上記の本からの引用であり、RYUはここまで人間できていません。従って、他人を攻撃しようと、非難しようと、何も言えません。(だって自分も攻撃するかも知れない。)しかし、上記の文は、なんとなく真実をついているようなきがするのです・・・。
 欠点ではなく、自分の気に入った点を指摘できるようにしたいですね。(かなり難しいと思うけど。)
※2 またまた長文記録更新してしまいました。重ねてお詫び申し上げます。


[441] 河上さん こんにちは (_ _) 投稿者:pon @ponta改め 投稿日:2000/07/07(Fri) 01:15

アップしてから 見つけました。
失礼いたしました。(_ _)
>7月7日ですねヽ(´ー`)ノ

何があるのでしょう・・ヽ(´〜`)ノ
(すみません 知らないので・・)
信者さんは 知っていらっしゃるかもしれません。


[440] こんにちは 投稿者:pon @ponta改め 投稿日:2000/07/07(Fri) 00:56

幸子さん「幸福の科学に傷ついたあなたへ」の ページ 拝見いたし
ました。本当にご苦労様です。幸子さん 別に書かせていただいた
ことと 重複致しますが 本当に 尊敬いたします。

感じるところは 多々あって こちらに 何を 書いてよいのか
よく わかりません。脱会者の方々にも 別に 書かせて頂いた通り
です。新しいページに カルトとは なにか の 項目を つけたしを
希望しております。編集など お手伝いさせていただけること
感謝します。(__)

Cubic Uさん RYUさん CharuCharu_Moncharu さん こんにちは

お話が はずんでいるようですので 私は もう こちらを去ろうかな
とも 思いました。見ているだけで つらいものも あります。
どうして まだ ここまでしか わからないのか 不思議な人も
いらっしゃいます。でも 書き込んで その方の あわい 夢を
さまさせてよいのか 考えてしまったりもします。

私は 最初 王さまと 奴隷だと教団を感じました。
でも それが すきなら どうしようも ありません。
私は 怒りで 書き込むものではありません。
もう かなり わかってきて おそらく もともと ロムされていて
も知っていた方は 全て 知っておられて、そのような方は おそ
らく大勢おられたと思われます。 でも 沈黙しておられた・・

沈黙しておられることは どう・・なのか・・
も よく わかりません。 書いたほうが よいとはやはり 思います。
そのうち かけたら と 思います。RYUさんは 少し わかります。
Cubicさんは 本当は 無理しないで 全部読んでから 書いたほうが
いいと 私は 思います。 かわいそうな ほどです・・。
ごめんなさい。Cubicさん。


[439] 7月7日ですねヽ(´ー`)ノ 投稿者:河上イチロー 投稿日:2000/07/07(Fri) 00:49

今年は何があるんでしょうか?


[438] Cubic Uさんへ(教祖写真100万円への反論) 投稿者:イカルガヤマモト 投稿日:2000/07/06(Thu) 23:15

 Cubic Uさん、丁寧なお返事ありがとうございました。ですがやはり信者でない一般人の私には、あなたの説明ではどうしても納得できない所があります。

>この場合、「100万円という(我々多くの一般人にとって)高額を布施できるほど、“おそらく現代人 ェ平均的に最も執着しやすい金銭”への執着を断てる心境にあり、なおかつ結果的に総裁の教えの普及を経済面で支えたこととなり、国土ユートピア建設に貢献した、何ものにもかえがたい精神の持ち主であること」という基準です。極めて客観的(100万円という数字が)だと言えるでしょう。
 つまり、教団は、ご本尊下賜の条件に関しては、「“財施修行”面における成果のみを対象として考える」という方針をだしていることが推測できます。

 なぜ”財務修行”のみの成果で判断するのか?そもそも金銭への執着を絶てとの教えと、「常勝思考」「世俗的成功」「エリート主義」という教えは全く矛盾しませんか?がんばって出世してエリートになってどんどんお金儲けしなさい。ただし稼いだお金にとらわれてはいけないから、教団に差し出しなさい。これはとても教団に都合の良い考えだと思いますが。

その他、いろいろあるけどフラワーさんがこの件については上手に
まとめているので、少し長くなりますが引用します。

>たとえば、一億円を出して家を買うときなんかは、自分が出す一億円というお金そのものは高いが、それと引き換えに一億円の価値があると自分が認められる家を手に入れるわけだから、修行にはならないわけです。そこにあるのは、「高いよなあ」「でも家欲しいなあ」という、「お金への執着」と「モノへの執着」との対決でしかなく、家を買えば「モノへの執着の勝利」、家を買わなければ「お金への執着の勝利」というだけです。そんな修行は意味がありません。ご本尊で同じことを考えてみましょう。
「100万円を出してご本尊を手に入れること」が「お金への執着を去る修行・布施の修行」になるためには、ご本尊の価値と100万円とがイコールだと認めててはダメなわけです。それはただの経済行為にすぎず、100万円に「布施」の部分が存在する余地がないわけです。ご本尊の価値が100万円よりも遥かに低いと思えてはじめて、そこに「布施」の部分が存在する価値が出てきて、それが「お金への執着を去る修行」になるわけです。
ゆえに「100万円を出してご本尊を手に入れること」を「お金への執着を去る修行・布施の修行」と主張するってことは、「100万円は高くない」と言いながらも結局、「100万円は高い。本当は妥当ではない」と言ってるのと同じなわけです。一方で、信者さんは大 ・u100万円の価値がある。納得して買ってるんだからいいじゃないか」と主張します。
こう考えた時点でそれは「お金への執着を去る修行」にならなくなり、「布施」の部分も存在しなくなります。要するに「布施なんだ、お金への執着を去る修行なんだ」という説明と、「ご本尊には100万円の価値がある」という説明は、絶対に同居できないんです。とりあえず、「100万円の価値を認めて買ってるんだからいいじゃないか」について考えます。あのね、Aさんは100万円で買いました、Bさんは1000円で買いました、っていうなら誰も文句言いませんよ。
違うでしょ? 値段は100万円に固定されてるんです。誰が固定してるのか。売る側が固定してるんです。信者さんは総じて勘違いするけど批判者たちは「買う側」を批判してるんじゃない。「売る側」を批判してるんです。いいですか。なんで売る側は100万円という値段を設定するんだ??
それほどまでに価値があるものだったらなんでもっと廉価で配布しないんだ??ってことです。あなたたちがいくら「金持ちはが救われ、貧乏人は救われない、というのは真理じゃない」などと偉そうに主張したとこ ・ナ、ご本尊という「ものすごい価値があるもの」の恩恵を受けるに関して金持ちと貧乏人のあいだで差別が生まれるんだから、そんな主張は空しいだけ。(ほかにもいろいろあるそうですね。特別灌頂やらなんちゃら祈願やら。全部一緒。)
結局、100万円という高額は信者がどんなに「100万円の価値があるんだ、高くないんだ」と主張したところで、「布施」(つまり100万円の価値はないということ)という意味を絶対免れないんですよ。教団はお金が必要なんです。
  結局、ご本尊販売の本来の意味とは「価値あるものの配布」じゃなく、やっぱり「布施」なんだと理解するしかないわけだ。でもそもそも布施ってなんなのか。布施っていうのは、布施する側がその金額(まあお金だけじゃないけど)を決めるもんですよ。自分の可能な範囲でね。だから「富者の万灯よりも貧者の一灯」って言葉があるわけです。「気持ちが重要なんだよ」ってことでね。
ところが驚くべきことに幸福の科学では、「布施の額を、布施_してもらう_側が決める」(!!!!!)というトンデモナイことが横行してるわけです。そのうえ、布施_してもらう_側なのに(そう!「お願いす 驕v側なのに!!)、 布施してくれる側に対して「これは布施の修行なんですよ、お金への執着を去る修行なんですよ」などと図々しくも説得し、あまつさえ、ご本尊購入という_布施をしてもらった_側のくせに「おめでとう」と喝采する!!「ありがとう」だろうが!!! 買ってもらったあとに「おめでとう」と言うなら、「これは布施なんですよ」などと説得するな!
「これは布施なんです」と説得するなら、買ってもらったあとには「ありがとう」と言え! そう言いたいですね。これができないのは、信者をご本尊購入に向けて納得させるために、「布施なんだ」と「ご本尊は100万円の価値がある」という互いに相反する論理を巧みに使いたいからです。
もはや「オカシイ」とか「オカシクナイ」というレベルを越え、真理を説く集団として_最低_最悪_なわけです。なんでこんなことするのか、いいかげん気付きなさいよ。お金が「喉から手が出るほどに」欲しいからじゃないですか。

 その他に一般人に与える影響、教祖をまず絶対正しいと言う考えから種々の結論を導き出す考え方の問題など、いろいろありますが、とりあえず上記の件についてお返事お待ちし トおります。


[437] 念のため 投稿者:Cubic U(会員) 投稿日:2000/07/06(Thu) 21:03

1、[436]で発言した
『「ラーメン屋のおやじ」とは「役割」が違うのです。』
で、文字どおりの「ラーメン屋のおやじ」を差別しているのではありません。
あくまで、理論上で比較するために、ステレオタイプ化したものです。

実際に「ラーメン屋のおやじ」と呼ばれるような風格の人で、
人から慕われるタイプの方は大好きです!
ラーメンも大好き!!
やっぱ、「とんこつ」が一番たいっっっ!!(^^)

2、最後の
『各自が、伝道する相手にとって「付加価値」の高いものを生み出すため
しっかり「考え」、裾野を広げ(=法を弘める)ていきましょう!』
はもちろん、自分も含めた会員さん達に宛てたメッセージです。

以上、誤解は極力避けたいCubic Uでした。


[436] 「幸福の科学」に告ぐ 投稿者:Cubic U(会員) 投稿日:2000/07/06(Thu) 20:40

「幸福の科学」の関係者は、真剣に考えなければならない。
このサイトを一般の普通の方々が観たとき、
一体、「幸福の科学」という団体を、どのようにとらえるのだろうか。

僕自身、賛同しかねる批判も多いですが、
「これだけの方々が、脱会を決意し、その後、“恐怖”と戦いながら、
自分とって、何とかより良い方向を目指して、生きていこうとしている」
その事実に、目を向けなければならない。
何より、その方達の「心」こそを大事にしなければならない。
「主の教えに従っているんだから、私達は大丈夫。苦しみは自己責任よ。」
という無慈悲な会員は、「幸福の科学」を語る資格は無い。

もちろん、人の「心」をベースに考え、
人の喜びを自分の喜びとし、人の悲しみに自らの心を傷める
真摯な会員も少なくない数いる。
問題なのは、上記した「無慈悲」な一部、関係者(会員、職員)に限って、
その自覚が無いということなのだ。

僕が、掲示板で矢継ぎ早に発言をしているのは「必死」だからです。
ここに書かれている「声」を看過して、未来はこない。そう考えてる。
しかし同時に、僕はこの教団に大きな希望をもっている者でもあるのです。

一部会員のみなさん。
自分の「良心」に従ってください。
目の前に、「あなたの所属する団体のせいで、今でも恐怖に怯えています」
という方がいらっしゃるんです。
人間として、どうされますか。

教団は「総裁は仏陀であり、その法は尊いものです。それに従ってください。」
としかいいません。当然です。
「法は尊いが、各人の良心に従ってください。相手の気持ちを考えて
柔軟な行動をとってください。“仏陀”を批判しても、心が清明であれば、
地獄にあることはありませんよ。」と公式発表するような教団が、
どうして、組織として維持できるでしょうか。
ましてや幸福の科学はまだ発足から
たった14年しか経ってない歴史の浅い教団です。
そのような初期段階から上記のようなリベラルな意見を言っているようでは、
空中分解してしまいます。宗教として自殺行為です。
歴史の浅い我々の教団はあくまで「現生の仏陀の法は尊い」ということを、
積極的に訴える機関です。
仏陀の真意を汲み取り、わかりやすくして、人間として、自分の近しい人たちに、
幸福を願って、愛を持って、伝えていくのが、我々幸福の科学会員の仕事です。

総裁は仏陀として、限り無く高い法を説かれます。
ちょうど、あの「富士山」の頂上のようなものです。
山は高ければ高いほど、その裾野も広くなります。
裾野を広げるのが、我々会員の仕事です。
それが「法を説くは、師にあり。法を弘めるは弟子にあり。」の意味でしょう。
総裁は仏陀として、あくまでも「法を説く」ことが仕事です。
yahooの過去ログのどっかにあった
「ラーメン屋のおやじ」とは「役割」が違うのです。
白金の大悟館も、良質の環境の中で安定的に法を説いていただくためです。
その方が、質・量ともに高度な法を説くことができ、人類にとって有益なのです。

教団の現状は、総裁の法の高みがあっても、
一部に上記のような「無慈悲」な関係者が存在し、
「富士山」ではなく「バベルの塔」のようになっている可能性があります。
高いばかりで「裾野」が貧弱なのです。「人間的安らかさ」に欠ける。
修復しないから、瓦礫がたくさん落ちて、
その コにいる人々に迷惑もかかっています。
一般の方々の鉄槌により、倒される危険性もあるでしょう。
悲観すぎる見解ですが、あえて、厳しい批判モデルを提示しました。
一会員である僕自身への戒めでもあります。

「考える力は非常に大きな付加価値を生む」(繁栄の法)のです。
各自が、伝道する相手にとって「付加価値」の高いものを生み出すため
しっかり「考え」、裾野を広げ(=法を弘める)ていきましょう!
毎回、長くて申し訳ありません。
最後まで、読んでいただき、ありがとうございます。


[435] お金に関する批判が多いので。 投稿者:Cubic U(会員) 投稿日:2000/07/06(Thu) 12:19

僕が、97年7月に総本山・宇都宮正心館に初めて行ったときの話しです。
それまで買っていた『Liberty』を実家にほとんど置いて来たので、
「手元に置いておきたいなぁ」と思ってたんです。
正心館にバックナンバーがずらりと揃っていたので、
そこで、十数冊くらい(欲張り^^)をとって、
カウンター(?)に持っていって、代金を支払おうとしたんです。
そうすると、カウンターの人は計算機と「植福」封筒を出して、
「どうぞ、ご自分で計算されて、あちらの植福箱にお入れください」
と言われました。
僕は、そのとおりにして納めたんですが、
その行為を誰もチェックする人がいないんです!
植福箱はただの木箱です。
「大丈夫なんだろうか、こんなカンジで」と思いました。

さらに、こんなこともありました。
99年の9月か10月に滋賀県の琵琶湖正心館に行きました。
研修後、中をうろうろ見回っていると、
いろいろなお守りなどの法具(?)が置かれてあるフロアに来ました。
奉納目安の札が各法具の前に置かれていました。
細かくは覚えていませんが、僕は、
「一般常識に照らし合わせて、納得がいく価格である、相場である」と
感じました。(ちょっぴり手がでないなぁというものもあったような・・)
会員になったばかりのRさんも一緒に連れてきてたんですが、
その人が「これを頂きたいんだが、どうすればいいのか?」と
聞いてきたんです。
僕は、「あ、それね〜。えーと・・・」と、回りにカウンターの
ようなものがなかったので、誰かに聞こうとキョロキョロ。
歩いていた職員さんをつかまえて伺うと、
「あ、それでしたら、(歩く)こちらの“植福袋”(封筒)を使って、
あちらの祭壇前の植福箱にご自分でご奉納ください。」
とニコニコ言ってスタスタ行ってしまいました。
よく観察すると法具と並んで、「植福袋」があって職員さんが仰った
ようなことが説明書きされていました。
宇都宮正心館とおなじく、チェック機能はまるでありません。
Rさん驚いた顔で「・・・・・・・・・・・いいの?こんなんで??
だって、奉納せんで、持っていく人もいるかもよ?」と。

奉納をすませた後、
「会員の良心に任せとるんかな。だとしたらスゴイな。」
と言ってました。

東京道場で、植福5万円目安の研修に行ったときも全くの自由奉納でした。
植福袋の中に、5万円より多くいれようが、少なくいれようが
誰もチェックしません。(袋に氏名欄がないのは言うまでもありません)

具体例はまだまだあります。挙げればきりがナイ。
これは、全国の精舎・支部で共通のシステムです。
未来館の法具に関しても、宇都宮正心館の祈願もそうでした。
僕が普段行く支部の研修・祈願も同様です。

全国の精舎・支部は、開いている時間は、完全に出入り自由で、
もちろん一般の人もOKです。
ナント!自由に入って「一般の人々にも公開」されている法具等の
奉納目安をしっかり観て、目安が書いて無ければ、
気軽にその場にいる職員や会員に尋ね、
「高い!」なら自分で奉納額を設定して、自分の手で、
誰にもチェックされることなく(場合によっては「空」のままで)、
植福袋を植福箱に入れ、(たとえ袋の中身が空だったとしても)
そのまま悠々と立ち去っちゃうこともできちゃう・(注:しないように)
恐ろしい程「キレイで健全な集金システム」だと思われます。 
(というか、金銭管理は大丈夫なのか)

ただし、例外的に目安が固定されているものもあります。
生前供養・永代供養・ご本尊授与等です。
(他にもいくつかあるかな?)
上記のように主の直接の指導が臨む場合は、
僕が[430]に書いたような理由で、
それ(指導)を受けられるだけの器があるのかを、
“財施修行”面からの成果を観て、教団が判断します。

ニいうわけなのです。
きっと、「ここが変だよ、Cubic U!」というご指摘が
わんさか出てくるでしょう。つらい〜(>_<)
お金のこと、ぜひ、一緒に考えていきましょう(^^)/




[434] 『幸福の科学に傷ついたあなたへ』を拝見すると 投稿者:Cubic U(会員) 投稿日:2000/07/06(Thu) 08:23

この、「幸福の科学」Q&Aは、
「脱会者が推薦するサイト」
となってました・・・

「脱会者が推薦する」ようなサイトの掲示板に、
「会員である自分の考えを整理したい!」
というわけのわからん理由でもって、しゃしゃり出てきて、
「ご本尊がウンヌンと力説したり、総裁の詩を書いたりしてる、にも関わらず
元会員さんの“優しい心使い”によって、相手してもらっている会員の僕」って、
じつは、誰よりも、ここで気持ちを整理したい「脱会者」にとっては、
「あんた一体なんなの?!」的存在なんじゃ・・・

「おまえのせいで、神経を逆なでされたわいっ!」と仰る方、
ごめんなさい。

yahooや2chと違って、ここは真剣な議論ができると思ったし、
その2つの掲示版に登場した一部の会員さんたちの、
「あまりにも酷い対応」([421]イカルガヤマモトさん)を見て、
これは、「同じ会員として、看過できない」と考えたのです。

僕の発言の中に「それは、おかしいだろ?!」という箇所があれば、
総攻撃していただいて、構いません。
ので、どうかこれからも末永くよろしくお願いします。


[433] Re[422][416]: 元会員その2さんへ 投稿者:Cubic U(会員) 投稿日:2000/07/06(Thu) 07:43

> 時間がかかっても、気付けたことは ホントに素晴らしい!って思います。

ありがとうございます。
「気付けた」当時は、ショックで、つらかったことを思い出します。

> 「この真理や教えは絶対に正しいのだから、
>そのうちみんな必ずわかってくれる日が来るはずだ。。
>だから、今のちょっとした(?)不幸や迷惑とみえることも 
>大善(地上ユートピア)実現のためのやむを得ないこと。。。」

いわゆる
「本来、人の心を優しく、包むべき“愛”の教えを説いているつもりで、
実は“愛”という名の“剣”で、相手の心を切っている」
ことに気付いていない、一部の会員さんたちの、「総裁の説く“中道”」とは、
ほど遠いところにある考え方ですね。
こういう考え方をもつ会員さんは、「一部」と書きましたが、
会員に、少なからず存在しますよね。確かに。
ごくごく少数ですが、職員の中にもいらっしゃいます。
心理学的「カウンセリング」は決してできないくせに、
総裁の教えを暗記し、話せるというだけで、
堂々と「心の医者」を自負する人たちです(もちろん総裁の意図とは違うと思う)。
でも、そういう会員ばかりではないですよ(^^)
得に僕の年代には、「話せる」会員がたくさんいます。
「希望」は十分あります。

> すてき! ですネ。
> リバティの推薦書だけではなく、ぜひ いろいろなジャンルの本を読んで
> 豊かで広い こころの視野を 育んでいってください!!

ありがとうございます!ぜひぜひ、いろいろな本を紹介してやってください!
よろしくお願いします。

> ご参考までに。。こんな本も ありますよ。
> 『読書通』 『本を読む人はなぜ人間的に成長するのか』 ハイブロー武蔵 著 >(総合法令)

何と!「ハイブロー武蔵」さんのHPは、僕のブックマークに入ってるんです!!
しかも、有線で彼のコーナーがあるので聞いたりしてました(^^)
彼の言葉には、涙したことがあります。

僕達って、絶対に気が合うと思いません?
(「あんたと一緒にされちゃ迷惑ヨン」って、言わないで〜)
その2さんが書いていること、僕すごく理解できます。
「あぁ〜、こういうことなんだろうなぁ」って。
あるいは、「あ!コレ同じ気持ちになったことある!」って。

僕も、「まだ」が100万回つくほど、半人前&未熟です。
友達が悩みの中にある時、「何かやってあげられそう」で、
「何もやってあげられない」。
僕の描く「理想像」は、これまた「まだ」が1000万回つくほど、
遠い存在です・・・・

↑うわっっ!暗っっ!
「ポジティブ」にいく約束でした!
これからも、本当によろしくお願いします。
お互いのそれぞれの「道」を、頑張って歩いて参りましょう・

最後に、僕が日頃、励みとしている総裁の詩(すでにご存じでしょうが)で結びます。
なんか、このまま終わると自分自身に消極的な気がして。


★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.★

『青春の方法』

未来への自信は、まだないであろう。

過去と決別するには、

春はまだ浅すぎる。

しかし、

無明の薄暗がりの中で、

手探りをしているのは、あなた独りではない。

恥ずかしくて消えてしまいたい日も、

悔しくて、涙が止まらない日もあるであろう。

挫折の中、

砂の如き時間を、噛み締め、

耐え続けることもあるであろう。

しかし、

それが青春。

それも青春。

未来の大鷲にも、

飛べない雛の時代はあるのだ。

★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.★


どうか、僕が「雛」のままで終わることがありませんように!!
「今日も一日、グイっと行こう!」


[432] ’ワタシ’=’アナタ’ 投稿者:RYU 投稿日:2000/07/06(Thu) 06:05

[’ワタシ’=’アナタ’]
 過去ログを読んでいて、面白いことを発見しました。
 過去ログの中で、文章中の「私」と、[あなた」を入れ換えて読んでみてください。

※”私”とは投稿者のことです。            (1人称,I)
 ”あなた”とは、メッセージの送り先のことです。   (2人称,YOU)
 (とりあえず、彼(3人称、HE,SHE,IT、(第3者))は入れ換えない。)

・・・・ どうですか?
 @意味がそのまま通じる文章
                        と、
 A意味が通じなく(変わってしまう)文章
                        とがあると思うんですが・・・。

@、Aの違いは、何でしょう?(何か、文章の雰囲気が違うと思いますが・・・)


[431] 幸福の科学に傷ついたあなたへ 投稿者:管理人 投稿日:2000/07/06(Thu) 05:08

「幸福の科学に傷ついたあなたへ」 を作りました。「幸福の科学」Q&Aでは扱えないので別のサイトにしました。ご意見、ご感想をお待ちしています。

http://members.xoom.com/sa_chi_ko/


[430] Re[421]: イカルガヤマモトさんへ こんなに長いのはルール違反?! 投稿者:Cubic U(会員) 投稿日:2000/07/06(Thu) 00:16

>あなたの投稿を読んでいると信者さんにもここまで誠実に物事をとらえようとしている
>人がいるのだなあと、ちょっとうれしくなりました。

ありがとうございます!評価していただいて、僕も「うれしく」思ってます。
ついでに申し上げたいことがあります。
ヤマモトさんは、高校の先生ですよね(過去ログのどっかで見たような、違う??)。
僕は、数年前に卒業した地元の公立高校で
「実は非常に良い教育を受けてたなぁ」 ニ大学入学してから、気づいたんです。
「良い先生に恵まれたなぁ」と、今振り返って、とても感謝しています(マジで)
在学時は「呼び捨て」して、
友達と文句ばっか言ってましたが・・「あんちくしょう!」って(笑)
めちゃくちゃ厳しかったんです。でも、今、それが良かったと思ってる。
生徒にとって、どんな先生にあたるかって重要なんですよね(^^)
ガンバってくださいね!!

>ヤフー過去ログにも書いたように信者さん達のあまりにも酷い対応が、私をここまで反
>幸福の科学にのめり込ませてしまったとも言えるからです。「私達にも誤りがあります、
>その点は正していきたいと思います」と一人でも書いてくれたら、はたしてここまで                          
>私は深入りしたでしょうか?

お気持ち察します。
過去ログで拝見しましたが
多忙の合間に、初めは論理的に発言していたのに、
ネットに登場した一部の会員さんたちの「詭弁」
(一部の会員さんたちへ、あえて厳しく批判します)が
あなたの発言を変質させています。
イカルガヤマモトさんと、もう一人flowersforさんは、
まじめなだけにネット上において一部の会員さんたちによる
「ウンザリ被害」を最も受けた人であると同時に、
僕がお話をしてみたいと思えた人たちでもあります
(過去ログを全部読んで無いので、現時点で)。
よろしくお願いします。
 
>「なぜ大川教祖の写真を一枚100万円で売っているのか?」
>他の信者さん達の言い訳はただの“写真”ではなく尊い“ご本尊”だからそれでいい
>のだと言ってますが、ご本尊に100万円の値段をつけるという行為はとても失礼では
>ないでしょうか。値段をつけられない尊いものだからこそ、ご本尊なのではないでしょ
>うか。貧乏人はご本尊を持つなと言うのが、幸福の科学の考え方なのでしょうか?
>1000円でも100万円でもだせる金額でお譲りしますよ、本当にお金がなければ
>ただでも結構ですよ、と言うのが正しい“ご本尊”のあり方だと思います。
(勝手に省略させていただきましたが、要点は以上でよろしいですよね??)

このことを仲の良い会員さんに話したら、
「・・・なるほどなぁ・・。確かにそうだよな。」と セってました。
僕もそう思いました。
というのも他ならぬ僕自身も
「ただの“写真”ではなく尊い“ご本尊”だからそれでいい」と思ってました。
いや、誤解してました。確かにご指摘のとおりです。
しかし、コレ↑は教団側から公式に発表されたものではありません。
コレは、我々会員が勝手に考えたものだといえます。
(ということに、よく考えてみた末に気づきました)
そうしたことを踏まえて総裁の真意はどこにあるのかを
熟考したところ、一つの意見としてまとまりました。
以下は、一会員である僕の「ご本尊の下賜条件」論です。

僕は、100万円はご本尊の「代価」ではないと考えます。
A:「100万円が会員Uから教団に移ること」と、
B:「教団がその会員Uにご本尊を下賜すること」は
分けて考える必要があると思います。
A=会員が執着を取るためのお布施(喜捨)です(つまり財施=修行)。
B=財施を実践し、仏国土ユートピア建設に貢献した会員に
 さらなる導きがあるよう願う教団側の行為です。

「経済的にそれ(教団)を支えるという仕事は、教えそのものを流布する仕事と
甲乙つけがたい重要さを持っている。教えが普及するためには、
それだけの経済的基盤が必要なので、その方面で努力するということは、
何ものにもかえがたい精神である」と
いった主旨が『伝道論』で述べられています。
2,500年前のインドにおいて、
ご存じ「竹林精舎」「祇園精舎」では多くの説法がなされ、
また修行の場ともなり、僧団(サンガ)の拡大の一助となりました。
それぞれマガダ国のビンビサーラ王・コ−サラ国のスダッタ長者の
寄進によるものです。
建物の面影はありませんが、現在でも名前とともにその話が語り継がれていますね。
「財施」が、それだけ重要な仕事であったことを示しています。

「何ものにもかえがたい精神」の持ち主である信者であればこそ、
(主と霊的につながっている意味で)無限の価値を持つご本尊の下賜が
許されるのです。
「尊いんだったら、無差別に配付すべき」という批判は、それこそご本尊にとって
「とても失礼ではないでしょうか」。

ご本尊下賜の条件が「なにものにもかえがたい精神の持ち主であること」であれば、
その判定基準が「100万円の布施」でなくとも、
もっと別の判定基準、
例えば「最低、書籍100冊を読んで、論文を提出し合格する」でも良いではないか。
それだったら、努力の範囲内で解決できるではないか。
前者の基準では、「貧乏人はご本尊を持つなと言うのが、幸福の科学の考え方なの」か
と批判されてもおかしくないではないか。という声があるかもしれません。

しかし、後者にしたところで、今度は「知力差別」になるではないか、
という批判が出てくる可能性だってあります。
「何ものにもかえがたい精神」の持ち主であることを文章で表現することは
考えようによっては、前者の基準より厳しくなるかもしれません。
しかも、判定者は次々と出される論文に、一人では追い付かないので複数となり、
合格基準が客観的ともなりません。
他にもいろいろな判定基が準考えられますが、
どんな基準を設けても、欠点はあります。
そもそも、基準は教団側が決めることであって、
我々が口出しすべき問題ではありません。
この場合、「100万円という(我々多くの一般人にとって)高額を布施できるほど、
“おそらく現代人が平均的に最も執着しやすい金銭”への執着を断てる心境にあり、
なおかつ結果的に総裁の教えの普及を経済面で支えたこととなり、
仏国土ユートピア建設に貢献した、何ものにもかえがたい精神の持ち主であること」
という基準です。
極めて客観的(100万円という数字が)だと言えるでしょう。
つまり、教団は、ご本尊下賜の条件に関しては、
「“財施修行”面における成果のみを対象として考える」
という方針をだしていることが推測できます。

「ということは、100万円を軽く出せるほどの大富豪であれば、
楽勝でクリア可能な基準ですね」という皮肉も言えますが、
現実には、『エル・カンターレ』の価値を知ることなく、
信仰無き者にとっては単なる「教祖の写真」でしかなく、
「手に入れたい」という気さえ起こらないでしょう。
故に、「大富豪である」というだけで、
「何ものにもかえがたい精神」無き者の手にご本尊が渡る心配はご無用です。
(ちょっと、「詭弁」くさいかな??)

以上は、「大川隆法総裁が仏陀である」ことを前提にした論理ですので、
信じられない方々にとっては「何言ってんだこいつ」状態でしょう(グスン;)。
ご本尊を扱うのはムズカシイ・・・

はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
50年分の体力を使い果たした〜〜〜〜。
最後に申し上げておきますが、これは、僕の超足りない頭から
どうにかこうにかひねり出した、
もしかしたら「悪見」的「大妄語」で「破門」ばりのご本尊解釈かも。こわい〜
イカルガヤマモトさん、他の皆さん、おかしいところ、ドンドン指摘してください。
さらに、考えを煮詰め、真実に近づきたい!

ではでは。
 


[429] ヤフーの掲示板に書きこんだものを 転載します 投稿者:その2 投稿日:2000/07/05(Wed) 10:06

〔幸福の科学の教えについて 〕  4934 件中 4934 件目

 *「幸福の科学」を科学する   motokaiinn_sono2 2000年7月5日 8時30分

幸子さんのHPでもリンクされているところですが、最近興味深い
内容が書きこまれています。
わたしも疑問に感じていたことや、不思議に思っていたことが整理されて
いたので、ご紹介させていただきます。

http://www.dab.hi-ho.ne.jp/h-ok/or/alacarto.html


*********
このページの作成には、元職員さんも関わっているようですね。
内容的にもかなり信憑性が高いのでは。。。と思います。





[428] Re[417]: trick starさんへ 投稿者:Cubic U(会員) 投稿日:2000/07/05(Wed) 09:39

> お前は若くない。俺の半分なら小学校にもはいってねえってか?

そうだったのか〜〜〜!!そんなに若かったとは!
ホントに失礼しましたデス。ハイ。
・・・ん?ということは、厳密に考えるとあなたは、14歳???
若さ完敗・・・君から見ると僕は「近所のお兄さん」くらいの存在なってしまう。
でもでも、大きな心で“同年代”として、僕と仲良くしてやってください!

> 顔文字については一般論をいったまでで、おれも相当使う
> でも(^o^)バーカ  とかむかつくじゃん?

え?え?「相当使う」ってことは、僕もこれから使って良い??
ワ−イ(^^) くぅっっ!あんた優しいね〜(/_;)/〜

ある雑誌で読んだ話です。
顔文字ってもともとは「相手の誤解を排除し、親近感を与えるために」できたらしい。
こういう掲示版って、一種の“密室効果”が働きますよね。
まるで、書き手数人で膝をつき合わせて話してるような感覚がある。
“閉ざされた狭い空間で(ほとんど)限られた数人といる”という状況下では、
“相手に対して過剰に攻撃的な険悪状態”になっちゃうこともある。
実際に見事にそうなってる掲示板があります。
コミュニケーションを円滑にするために開発されたはずの「インターネット」が
『憎悪』をバンバン生み育てているんですから、変な話しですよね。

読む人にとっては、相手が書いた文章が「その人の全て」ですから
trista(親近感が持てるように。ダメ?怒る?)さんが仰るように
『(^o^)バーカ』なんて、トンデモナイことです。
「顔も人柄も知ってて、どつきあえる仲間同士」以外の関係では。

★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜ ★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★ 。.☆ 。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜  。.☆  。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜ 。.:*:・'゜☆。.:*:・'★。. ★。.:☆.:*:゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.  ★。.:*:・'゜☆。.:*:★。.:*:'゜★。.:*:・'゜.

顔文字じゃないけど、↑こういうのってけっこうキレイですよねー(天の川みたいで)
どんなものも使い方次第!

ではでは(^^)/〜


[427] 宗教法人 投稿者:F 投稿日:2000/07/05(Wed) 06:01

宗教法人の話題が出たので紹介しておきます。

大川氏
「宗教というのは本当は心の教えであって、形じゃないと思うんですね。
だからウチも、別に宗教法人になる必要はなかったんですよ。ただ規模
が大きくなりましたから、いつまでも任意団体でいるわけにもいかない。
だいいち任意団体では対外的な契約ができない。
財団法人だとか社団法人だとか、学校法人だとかいろいろ研究したんだ
けど、どれもピッタリとはまらない。財団法人なんかだと、クリアしな
ければならない基準が百も二百もあって、(教えなどを)かなり変えなけ
ればいけない。宗教法人が一番少ない手直しで済むということだったの
で、宗教法人を取ったんです」(『週刊文春』91年7月25日号)


[426] Re[420]:"ダブり”& ”お金=影” 投稿者:RYU 投稿日:2000/07/05(Wed) 02:27

Fさん、こんにちは。
 「虚業教団」(K本)は、図書館にあったので、読みました。確か、過去ログにも概要が載っていたような記憶があります。
 「もとなる心へ」は、まだ読んでいません。何か非常に強力な本のようですね。会員だったときには何故読めなかったんでしょう?(怖かったから?)
 同じ例えがあった、と言うことで、嬉しいような、またダブってしまったような・・・。できるだけ早く読んでみたいと思います。(リングとどっちが怖いんだろう?)
[ダブり]
 ダブってしまう原因をいくつか考えてみました。
@ RYUが既に本を読んでいて、パクっている。(意識的)
A RYUが前に本を読んでいるのを忘れているが、本の内容だけは記憶に残っていた(無意識的)
B 思考をする ニ、誰でも自然とそういう結論に達してしまう。(自力)
C 誰かからのインスピレーションが、一人の大先生にではなく、複数の一般人にも届いている。(他力)
 まあ、@でも、ちゃんとどこから引用したのかを記述すれば問題はないと思います。(でも、本当にまだ読んでないんだもん・・・)
 実際、Aも前にありました。自分で考えついた、と思ったことが、実は前に本で読んだことだった、なんてことが。
 B、Cは、自力、他力に関係してしまいますね。自分としては、自力80%、他力20%くらいがいいのではないかと思います。(たぶん、”HAPPY SCIENCE”の本に書いてあったと思う。)
[車VS足]
 また例えになってしまいますが、他力を車、自力を足に例えることが出来ると思います。東京から箱根に行くと仮定して、確かに車で行っても、自分の足で歩いていっても、結果的、物質的には、箱根に移動することは同じです。しかし、その過程で得られるものは、雲泥の差があると思います。しかし、それは車を全く否定するものではありません。人によっては全行程を徒歩で歩くことができなかったり、たまたま怪我をしている時もあるでしょう。そのような時にはやはり車も必要だと思います。(しかし車に乗ってばかりいると足が弱ります。)(西遊記も同じ事を言っているのでしょう。)
[お金=影]
 またお金の話が出ていましたね。過去ログで、”善悪は人間にしか存在しない”、というのがありましたが、"お金も人間界にしか存在しない”ですね。
 お金は、例えれば”影”のようなものである、と思います。人間が成長すると、影も大きくなります。しかし、風船をふくらませても、同じように影ができてしまいます。これは影だけを見ていても区別がつきません。前者、後者のどちらであるかは、やはり実態を見るしかありません。
 まあ、人間でなくても、家、”石で出来た家”、でもいいと思います。ポンペイの遺跡がありますが、2000年経った今でも、堂々とした姿を私たちに見せてくれます。(かなり崩れてるけど) しかし風船がどの程度そのサイズを保っていられるでしょうか? そのような、風船のような実態であるならば、結論は騒ぐまでもなく見えてしまいます
 また、影は朝、昼、夕で、向かっている方向が違ってしまいます。朝と昼とでは、長さも違ってきます。また、天候によって、影が濃くなったり、あるいは全く影が分からなくなってしまいます。
 自分たちの進路を、そのような不安定な”影”を目指して決定してしまったらどうなるのでしょう? やはり進路は、富士山のようなしっかりとした目標にしなければなりません。また、影を大きくするにしても、風船をふくらませるのではなく、自分の健全な体を成長させる、ということを考えないと。
[一般常識と相場]
 ところで、幸福の科学では、そのような([421] :イカルガヤマモトさんでのPICTUREのような)、ありがたいものの"PRICE LIST"のようなものを、一般の人々にも公開しているのでしょうか? もししていないのであれば、早急にするべきだと思います。ゴリヤクを一部の人々で独占してしまうのであれば、とてもみんなの幸せを考えているとは思えません。(たぶん手に入れたい、と思っている人が沢山いると思いますよ。)
 ただし条件があります。それが”一般常識に照らし合わせて、納得がいく価格である、相場である”ということです。
 例えば、ある宗教団体は、都市でホテルを経営しています。そこは特にその信者でなくても泊めてもらえ、またリーズナブルな価格で るようです。また、ある宗教団体はビスケットを売っています。堂々と宗教団体名を書いて売っています。そこでは、特に大きなトラブルは起こしていないはずです。
[偉大なる常識人]
 確か、”偉大なる常識人”と言う言葉も、某団体の方(本)から教わりました。そのような、太陽のような団体であるならば、一般常識と全く乖離している、ということはあり得ないはずですよね。(疑ってすいません。)
[体力なし]
  ゼェー、ゼェー・・・。書き出すと、どうしても長くなってしまい、息が切れてしまいます。例えも乱用しすぎたかも知れません。(もし、”例えがうっとしい”、いたら、言って下さい。言われても使いつづけるかもしれません。)体力が続かないので、今後は書き込み頻度を減らそうと思っています。また長すぎて、どうもすいません!!


[425] Re[415]: いい雰囲気 投稿者:CharuCharu_Moncharu 投稿日:2000/07/05(Wed) 00:19

Fさん、

こんばんは。

>> 今現在の私の考えは、「本物になれなか チた」「ある程度は悟っていた
>> が大悟と呼べるものではなかった」というところです。ここではその
>> 検証もしてみたいですね。

大川氏が偽物であるとする場合、霊的な現象そのものが存在せず、
すべて氏の創作であるとする立場と、霊的な能力はあったが氏に働きかけて
いる存在の正体が問題であるとする立場があると思います。

私が大川氏の著作物(特に霊言集)を読んだときに持ったのは、後者の印象
です。よく指摘されるように、霊が本物なら犯すはずのない誤りを述べている
という点ももちろんなのですが、一見真理らしきことを述べていても、言葉の
端々にエゴのようなものがちりばめられているような気がしたのです。

もちろん、そうは思わなかった方々も大勢おられるわけですから、あくまで
私の印象です。

ただ大川氏は否定されても、元会員や会員の皆さんが体験されたことがすべて
否定されるわけではないと思います。いかなる状況であれ、縁あって一つの
場所に集って出会った人々が同じ時間を過ごしたことは、本来ただそれだけで
かけがえのないことだと思います。傷つかれた多くの 々が一日も早く癒され
ることを願うばかりです。


[424] [423]の訂正 投稿者:Cubic U(会員) 投稿日:2000/07/04(Tue) 12:10

(自身ナシ)→(自信ナシ)
すんません。


[423] 元会員その2さん〜『資料の宝庫』を読んで〜 長くなりすぎたー!! 投稿者:Cubic U(会員) 投稿日:2000/07/04(Tue) 11:54

その前にtrick starさん、イカルガヤマモトさん、
コメントをありがとうございます!
取急ぎ、お礼を申し上げます。
早くレスしたいのですが、早い者順です(笑)

その2さん、感想No.1を書きます。しょっぱなは
やっぱり、会員にとって最も衝撃的なものから参りましょう(笑)
それは、
ズバリNo.0008「借金は紀尾井町ビル・・大川氏の発言を収録した問題テープから」
だと思います。

最初に申し上げておきますが、
僕は総裁を批判できる立場にありま ケん。
それができるほど、悟りは高くないし、何より僕の師であるからです。
2度目ですが、僕は教団を応援してます。
ただし、事実は事実として認めていきたいです。
まわりくどいですが、僕の立場を鮮明にするため、
ココを見ている会員さんたちの誤解を避けるために書きました。ご了承あれ〜

さてさて、本題へ。
まず、書かれていることは事実だとおもいます。
即ち、そのような発言が当時為されたことは本当だと思います。
僕は、このことは知りませんでした。
資料No.0006の
>会費は2000円でしたから(記憶では)、どんなに多くても会費収入は毎
>月2000万円以下。その時に、家賃だけでも2千数百万円かかるビルに入居し
>ようとするのですから無理があります。その上、月刊誌は豪華でしたし、職員の
>給与は出さなければいけなかった
というFさんの考察からすると、
教団は少なくとも90年・91年はフライデー事件でのイメージダウンも相まって
財政的に苦しかったと推定できます。

ただし教団資金として、上記の「会費収入」にプラスして、
印税収入を考慮する必要が有ると思います。
「もう2700万部売れました(1991年7月当時)」(フランクリースピーキングp.273)
と総裁(当時、主宰)が発言しています。
高額家賃の紀尾井町ビルへの移転が1989年6月に決定しています。
最初の発刊が『日蓮の霊言』で、1985年6月ですので、
85年〜89年までの4年間に少なくとも2,700万部の半分1,350万部は売れたでしょう。
『日蓮の霊言』からすでに一部、熱狂的なファンがついたそうですし、
「1988年には、2000人収容の日比谷公会堂であふれ出し、
1989年には、8500人の両国国技館が満杯となり、
1990年には、1万数千人の千葉・幕張メッセ展示会場が毎回、満員」(太陽の法)
状態になるにはそれ以前からこの数の何倍もの人たちが既に読んでいたはずです。
しかも、91年7月までの書籍発刊総数の
3分の2以上は89年6月までに発刊されています(これは関係ないか??)。

皆さんご存じ『ゾマホンの本』(¥1,000)(なぜココで・・)は24万部突破し、
印税収入が約2,400万円、それにかかる税金が約300万円となったそうです。
出版に全然詳しくないので間違ってるかもしれないけど、上記のことから考えると
「印税 刀Evは売れた書籍代金の10分の1、
そこから取られる税金は8分の1。(自身ナシ)
とすると、当時の幸福の科学の本は1,000円前後のものが多いから
同じように計算すると、
上記の1,350万部の書籍から、最終的に手元に残るお金は、
11億8,125万、めんどくさいから11億としよう。
あ、でも累進課税だったらもっと税金かかりますね・・・せっかくの努力が・・・
えーい!それでも10億か9億か8億か7億くらいになるだろう!(そうであってくれ〜)
とにかくそれだけ残ります。残るハズ!

さらにさらに、89年6月までに74回の研修・セミナー・講演会が開催されています。
この収入もけっこうスゴイと思います。
ちゃんと計算したら億単位になるんじゃなかろうか。
幕張で言えば一人5,000円×1万人=5千万円、会場費用も高そうだけど・・・
泊まり込みの「講師登用研修」等に至っては一人ん万円というカンジ(カナ??)。

あれ、いつの間にかNo.0006にいっぱい割いてる。(シマッタ!笑)
とりあえず、言いたいのは、89年6月の紀尾井町ビルへの本部移転は、
確かに「分相応」ではなかったと思われますが、
資金面ではかなりのストックもあったと考えられます。
この時点までは精舎などの大きな出費は無かったし。

また、この時点で「借金は紀尾井町ビルから始まっ」て
それが2000年現在までずーっと続いている、
という見解には「絶対にありえない」とは言えないにしても、
疑問を感じます。
僕自身は、「現在は健全な経営をしているのではないか」と考えます。
そのことについてはまた後ほど。
もう、これを読んだ皆さんはデタラメな計算を見せられるワ、長いワで
ウンザリしてるでしょう。ごめんなさい〜。

では、失礼します。


[422] Re[416]: Cubic U さんへ 投稿者:その2 投稿日:2000/07/04(Tue) 11:39

こんにちは!

> >こころから信じたり、愛していたり、尊敬しているひとや対象を批判・否定
> >されたら、アタマにくるし、なんとか 擁護したい。。って気持ち
> が
> >信頼する対象(教祖や教団)を守りたい。。と同時に、それらを信じた
> >自分の気持ちや立場 窿Aイデンティティを守りたい。。
> >っていうことと
> 時にすり代わっていやしないか?という思考プロセスをもちろん僕も体験しました。
> このことに気づくのには時間がかかりました。
> いろいろな人に迷惑をかけ、その反動が還ってきたときにハッとしました。
> 反省しました。
> やっぱり最初は誰でも仕方ないですよね。人間だもの(by相田みつを、悪用?!)

時間がかかっても、気付けたことは ホントに素晴らしい!って思います。

宗教に入って 真剣に勉強したり 活動したり 信仰したりすることで。。。もし、まわりの
誰かを少しでも傷つけたり 迷惑をかける状況が生じてしまうことは、すごく残念で悲しいことです。

そんな時に、申し訳ないことをしたなぁ。。これでいいのかなぁ。。ホントに大丈夫なのかなぁ。。と、
振り返って反省して 相手に謝ったり、どうしてこんな結果になったのだろう。。って、
客観的に真摯に検証できるかが、気付けるかどうかの 重要な分かれ道になるって気がします。

でも、
「この真理や教えは絶対に正しいのだから そのうちみんな 必ずわか チてくれる日が来るはずだ。。
だから、今のちょっとした(?)不幸や迷惑とみえることも 大善(地上ユートピア)実現の
ためのやむを得ないこと。。。」

という考え方や行動を もし優先していると、いつまでたっても反省も謝罪もできないし。。
なにより自分の
良心が大きな傷を負うことになってしまいます。
もちろん、こんなことを 積みかさねていけばいくほど。。本来めざしていたはずの「ユートピア」
から 遠ざかるばかりだと思うのです。
だって。。万象万物 どんなちっちゃなことにも 大宇宙の法則(縁起の法、因果の法・・・)が 
働いているんですものネ。

> でも、そのことに気づいたとき、僕は羽がはえたように自由になりました。
> 今はとても心が軽くなっています。
> 読書が好きで、そのことが「気づき」につながりました。
> 今後も一般書をたくさん読んで、
> 人としてもっと広い視野を持ちたい!!

すてき! ですネ。
リバティの推薦書だけではなく、ぜひ いろいろなジャンルの本を読んで
豊かで広い こころの視野を 育んでいってください!!

ご参考までに。。こんな本も ありますよ。
『読書通』 『本を読む人はなぜ人間的に成長するのか』 ハイブロー武蔵 著 (総合法令)


> 『資料の宝庫』の感想は、必ず書きます。
> ちょっと待っててくださいね。
> いいかげんなことを書きたくないので、熟考してますデス。

急がなくていいですから。。ネ
イカルガさんからも 質問がきているようですので。。。
長くなって すみません。 レスはムリにつけなくてもいいですよ。
ゆっくり いろいろ考えたり、整理するプロセスに。。すごく 意味があると思います。
では。


[421] Cubic Uさんへ 投稿者:イカルガヤマモト 投稿日:2000/07/04(Tue) 07:03

 あなたの投稿を読んでいると信者さんにもここまで誠実に物事をとらえようとしている人がいるのだなあと、ちょっとうれしくなりました。ヤフー過去ログにも書いたように信者さん達のあまりにも酷い対応が、私をここまで反幸福の科学にのめり込ませてしまったとも言えるからです。「 ・Bにも誤りがあります、その点は正していきたいと思います」と一人でも書いてくれたら、はたしてここまで私は深入りしたでしょうか。

 さてCubic Uさんが誠実な方だと思うからこそ一つ質問させてください。
「なぜ大川教祖の写真を一枚100万円で売っているのか?」

他の信者さん達の言い訳はただの”写真”ではなく尊い”ご本尊”だからそれでいいのだと言ってますが、ご本尊に100万円の値段をつけるという行為はとても失礼ではないでしょうか。キリスト教徒が十字架に値段をつけますか?値段をつけられない尊いものだからこそ、ご本尊なのではないでしょうか。貧乏人はご本尊を持つなと言うのが、幸福の科学の考え方なのでしょうか?とても一般人には納得できないのです。献金とも違います。献金は出せる人が出せる分だけ心をこめてだすのであって、だからこそ「富者の万灯より貧者の一灯」と言われます。1000円でも100万円でもだせる金額でお譲りしますよ、本当にお金がなければただでも結構ですよ、と言うのが正しい”ご本尊”のあり方だと思います。
以上です。回答を心よりお待ちしております。


[420] Re[399]: ”テレビ”から"天皇”へ 投稿者:F 投稿日:2000/07/04(Tue) 06:01

> @大川隆法はテレビだった。(になることを要求されていた。)
> Aテレビが”天皇”になってしまった。

RYUさん、こんにちは。
驚きました。これと同じようなことが「もとなる心へ」(関谷編、日新報道)に書いてありました。
関谷さんとは「虚業教団」(K本)を書いた関谷さんです。会員だった時には読めませんでした。
20ページほど読み進んで、そこで読むのを止めました。恐くなったんです。どこにも間違い
がなかったからです。「”テレビ”から"天皇”へ」に興味を持った人には推薦します。
信者さんが読んだら心が揺れ動くと思います。休眠会員が読むと永眠会員になります。
心に傷がある元会員の人は読んではいけません。混乱するはずです。


[419] Re[415]: いい雰囲気 投稿者:F 投稿日:2000/07/04(Tue) 05:44

> 最初は真実を持っていたが途中から変節したと考えるよりも、
> 最初から本物ではなかったと考える方が自然だと最近思うのです。

CharuCharu_Moncharu さん、こんにちは。
「最初から本物ではなかった」という考えは、会員だった者としては、心情的には認めたくな
いことです。でも客観的な事実を積み上げていくと、偽物だったのかなという気もします。
今現在の私の考えは、「本物になれなかった」「ある程度は悟っていたが大悟と呼べるもので
はなかった」というところです。ここではその検証もしてみたいですね。


[418] Re[411]: RYU さんへ 投稿者:RYU 投稿日:2000/07/04(Tue) 04:07

> はじめまして!
> RYUさんが 399で書きこんでくださったご意見、すごく興味深く読ませていただきました。
> これからも、いろいろ思われたことなど ぜひ、書いてください。
[みんな書いてあるのね。]
その2さん、ご意見ありがとうございました。好意的な意見をもらえるって、本当に嬉しいものですね。でも、これが逆の意見だったら・・・。うーん、ネットの強力な力を感じます。
いやー、こんなにディープなHPだったとは思いませんでした。(過去ログの何%読むことできたんだろ。過去ログの概略が欲しい・・・)
僕が共感できたのは、RIKIMARU7さん、元会員さん、PONTAさん、といったところです。心情的には、RIKIMARU7さんに一番近いと思います。風の子さん、Fさんも、なんか純粋な心を感じます。
 自分が思っていたことを、かなりの確率で既に書いてありました。ダブってもあれなので、もう少しROMして精進しないと。
[顔文字]
 なんか、顔文字が話題になっているみたいですね。顔文字に善悪があるのでしょうか?顔文字の発明者は? そもそも顔文字の定義とは? ウダタヒカルのHPを見るとよく多用してるね。その時は特に気にならなかったけど・・・。人間気にしだすと気になるもんですね。
[運転]
 また例えで何ですが、自動車の運転について例えてみましょう。自動車も、正しいルールを守って、安全速度で走っていれば、楽しいドライブとなり、気分転換にもなります。しかし、その時、急に他の車が割り込んで来たらどうでしょう? クラクションを鳴らしまくり、ピッタリ後ろを着いて走りますか?(俺、してるかも・・・)
 これと、同じで、顔文字にしても、みんなで正しいルールを考えたらいかがですか?

[感動(喜び)、怒り]
 ちょっとこの幸福の科学関連HPで気になったのは、感動、及び怒り(特に怒り)の感情がビシバシ飛び交っていることです。
 よく考えてみていただきたいのですが、幸福の科学に入ったのは、やはり”感動”したからではないでしょうか? 
 また、ある個所で飛び交っている討論は、怒りの感情に満ちています。何かスター・ウォーズみたいですね。(USE THE FORCE!)
 私は、ある意味、両極端にあるものは一緒である、と考えます。(過去ログにも書いてあったけど)
[怒りの特徴]
 怒りの利点は、外敵から身を守る、という点です。
 怒りの欠点は、当然、他人、及び自を傷つけてしまう点です。
[感動(喜び)の特徴]
 感動の利点は、正しいこと、頑張って何かを達成したとき、早鐘のように鳴り響いて、そのことを祝福してくれる点です。(まだ他にもあると思うけど)
 感動の欠点は、例えれば、”勉強をして、100点をもらって、「あーら、頑張ったわね。」とお母さんからご褒美として、プレステ2を買ってもらった。”という感じがします。勿論感動そのものはとても重要で、大切なものだと思います。しかし、この子供が、ご褒美に囚われてしまい、どんなことをしてでも、プレステ2のソフトを100本そろえるぞ、と思ったとしたら・・・。
 言いたいのは、”感動”そのものが大事なのではなく、ここでは勉強にあたるもの、(それを”真理”、と呼ぶのか、”法”と呼ぶのは自由ですが)の方が重要である、という点です。
[手綱]]
 勿論、感情を無くす、ということはなかなかできないと思います。実際私も感情に流されやすいかも知れない。しかし、コントロールする、ということはいくらか可能なのではないでしょうか? ちょうど、馬車の手綱のように、右側(感情)を引きすぎたら、左側(理性)の手綱を引く・・・、というように・・・。
[SWEAT&TEARS]
 また、感情は、汗や涙に例えることが出来るかもしれません。感動すると涙が出ます。しかし、その目の状態で、仕事ができるでしょうか? テニスが出来るでしょうか? 道を歩くことができ 驍ナしょうか? 目に涙がたまって、視界がぼやけてしまうでしょう。
やはりハンカチで涙を拭かないと・・・。
 怒って、物をぶっ壊したり、恐怖におののいたりすると、汗(冷や汗も含む)をかきます。これも、そのままの状態で家に帰ろうとしたりすると、風邪を引いてしまいます。
やはり、汗をかいたらタオルで拭かないと・・・。
 ここで言いたいのは、感情も大事ですが、どこかでそれを洗い流す必要がある、また理性で考えられる状態にする必要がある、ということです。
[ダブってたらゴメンネ!]
 またいろいろ長々と書いてしまいました。過去ログを全部読んでいないし、読んでも全て頭に入りきらないので、かなり話がダブってしまったかも知れません。(自分ではなるべくダブらないようにしたつもりですが・・・)
[ディープ・インパクト]
 最後に、今正直言って、こんな凄いHPに出会って嬉しい、という感情と、同時に恐ろしいという感情が襲ってきています。(えらい時間を取られるし)
このHPが、仮面ライダーとなるのか、サソリ男となるのか、デビルマンとなるのか、はたまた鉄人28号(良いも悪いもリモコン次第♪ リモコ 唐チて誰が持ってるの?)となるのか、こわごわ見守らせて頂きます。(おーコワッ)



[417] 無題 投稿者:trick star 投稿日:2000/07/03(Mon) 23:44

>>顔文字ってず〜〜〜〜〜〜と見つめてるとむかついてこない?
>のだったら、やめます!ゴメンナサイ!
>顔文字を多用するのは、僕が若いせいでもあります(断言)。
>(若いも若い!あなたの歳の半分くらいかも^^・・

顔文字については一般論をいったまでで、おれも相当使う
でも(^o^)バーカ  とかむかつくじゃん?


お前は若くない。俺の半分なら小学校にもはいってねえってか?

俺は若いんだ。みとめてけれ!!ヽ(*`Д´)ノグォラァ ヽ(*`Д´)ノグォラァ

(ノ;´Д`)ノ~~    (ノ;´Д`)ノ~~    (ノ;´Д`)ノ~~ 

ヽ(○`ε´○)ノ   ヽ(○`ε´○)ノ    ヽ(○`ε´○)ノ ヽ(○`ε´○)ノ



[416] 元会員その2さんへ 投稿者:Cubic U(会員) 投稿日:2000/07/03(Mon) 23:24

レスをありがとうございます!

僕も「対話可能な信者」になるまで、
>批判者の言葉やアドバイスをちゃんと素直に「聞く耳」を持っていなかった
です。実は。

>こころから信じたり、愛していたり、尊敬しているひとや対象を批判・否定
>されたら、アタマにくるし、なんとか 擁護したい。。って気持ち

>信頼する対象(教祖や教団)を守りたい。。と同時に、それらを信じた
>自分の気持ちや立場やアイデンティティを守りたい。。
>っていうことと
時にすり代わっていやしないか?という思考プロセスをもちろん僕も体験しました。
このことに気づくのには時間がかかりました。
いろいろな人に迷惑をかけ、その反動が還ってきたときにハッとしました。<献r>反省しました。
やっぱり最初は誰でも仕方ないですよね。人間だもの(by相田みつを、悪用?!)

でも、そのことに気づいたとき、僕は羽がはえたように自由になりました。
今はとても心が軽くなっています。
読書が好きで、そのことが「気づき」につながりました。
今後も一般書をたくさん読んで、
人としてもっと広い視野を持ちたい!!
ホント「ポジティブにいきましょう」ね!

『資料の宝庫』の感想は、必ず書きます。
ちょっと待っててくださいね。
いいかげんなことを書きたくないので、熟考してますデス。


[415] いい雰囲気 投稿者:CharuCharu_Moncharu 投稿日:2000/07/03(Mon) 23:11

黎明期の幸福の科学の雰囲気は良かったという声をよく耳にします。
確かにそうだったのかもしれません。だから少なくない数の人々が
大川氏のもとへ集ったのでしょう。

ただ、現在の破綻を導く「因」はそのときすでにあったと考えられます。
間違いだらけの霊言集、あちこちの書物を読んでうまくまとめただけ
のまるで優等生のレポートのような書物...

最初は真実を持っていたが途中から変節したと考えるよりも、
最初から本物ではなかったと考える方が自然だと最近思うのです。

「いい雰囲気」とい 、のも「方便」だったのでしょうか。




[414] 結果論になっちゃうけど。 投稿者:風の子 投稿日:2000/07/03(Mon) 22:36

こんにちは。

皆さんも、同じ事を考えている人が多いのですね。
私も、今、考えると、「宗教法人」にしない方が良かったと思ってます。
「宗教法人」になってから、本来の目的から、だいぶ、ズレてきちゃっている
ような気がします。
紀尾井町ビルに移って・・・ちょっと、無理をしたのかもしれません。
もっと、地道にやっていたら、今頃、逆に、もっと社会を幸福化への方向へ
と導く事ができたと思います。
本当に残念です。世の中を幸福化への道を開くのに、「宗教」に限定する
必要はないと思ってます。昔の大川さんが、「他力信仰」について、
色々と批判をしていたのに、なぜ、「他力信仰」になってしまったのでしょう?
私は、やっぱり、基本は、自力だと思います。やはり、ちゃんと勉強をして、
努力をしていく中で、他力があるわけで、単なる祈りや、祈願 セけでは、
人は、本当の意味で救われないと思ってます。
また、以前の大川さんは、「幸福の科学の本だけではなく、もっと、他の本も
読む事」を勧めてました。もっと、色々な視野から、様々な角度から見て行く
事が大切だという事を教えられたのは、他ならぬ「大川さん」です。
「幸福の科学」の本だけ読んでいて、他の本をまったく読まないのは、
視野を縮めていると思います。

私も、ここの掲示板で、あの時の、「幸福の科学」の雰囲気を作るの、
大賛成ですぅぅ。


[413] Re[412]: Cubic U さんへ 投稿者:その2 投稿日:2000/07/03(Mon) 21:44

こんにちは。レス、ありがとうございました!

> 僕はどちらかといえば熱心な会員ですが、
> 決して、反対してる人たちや、元会員さんのことを嫌ってはいません。
> っていうかネット上なんかで嫌いになれない。
> 実際に会ったわけじゃないし。
> 僕はきちんとした批判には「ナルホド!」と納得しますし、
> 実際に納得できる批判はありました。
> 何を言いたいのかというと、
> きちんと「対話」をしたいということです。
> 皆、自分の頭で考えて各自で判断するんで、
> その材料を出し合いましょう。
> 人格攻撃はしないようにしましょう。
> (過去ログの先輩会員さんたちの中には、
> 会員である僕から見て「それはヘン!」
> と眉をひそめてしまうような書き込みがありました。
> 同じ団体に属する者として残念です。
> そういう態度が反対者や元会員の方々を
> ウンザリさせたんだと思います。
> 代わり、になるかわからないけど、ゴメンナサイ!)


あなたからは、正直さ とともに 誠実さ。。が、伝わってきます。
ヤフーでお会い(?)した信者さんたちからは、残念ですが そのような
オープンハート的な お返事は頂けず。。。過去ログを見ても あまりにも
悲惨な応答が多くて、失礼とは思いましたが。。わたしの方から 対話拒否を
させていただきました。
だから、ここで Cubic Uさんのように 対話可能な信者さんと お会いできて
ホントに嬉しく、よかった。。と、思って ワす。

わたしも、会員だった時には きっと あなたに負けないくらい 熱心な会員の
ひとり。。だったと、思います。 でも、あなたと違うのは 脱会者や批判者の
言葉や アドバイスを ちゃんと素直に「聞く耳」を持っていなかった。。持てなかった。。
ことです。(家族、友人を含めて)
だから、それだけでも あなたは ピュアだし 自分に正直で すごい。。って 思います。

だから今は、ヤフーの信者さんたちの言い方も 無碍に否定できないのかナ。。って 思います。
誰だって、自分がこころから信じたり、愛していたり、尊敬しているひとや対象を 批判・否定
されたら、アタマにくるし、なんとか 擁護したい。。って気持ちになります。
それはきっと、その信頼する対象(教祖や教団)を守りたい。。と同時に、それらを信じた
自分の気持ちや 立場や アイデンティティを守りたい。。っていうことと 同列なんだなぁ・・って、わかったからです。

わたしも、幸福の科学のすべてを 否定するものではありません。
初期の頃の本には、Fさんや 風の子さんがおっしゃているように、素晴らしい教えも
たくさん ったと思います。
でも、宗教団体になってからは その教えや活動や、そもそも 大川さんの色々な発言
自体に 大きな矛盾や亀裂が 生じてきたことは、否定できません。

そこのところを 今一度冷静に 検討・確認することは、すごく 大事なことに思います。
ここでの 対話が Cubic U さんにとって 実りあるものになりますように。。。お互い
ポジティブに いきましょうネ!

早速ですが、Fさんが 幸子さんのH・Pの「資料の宝庫」に書きこんで下さった投稿に
ついての感想は、いかがでしょうか。。?

../~sachiko/bbs/wwwbbs.cgi

全部に対してではなく、何かひとつの項目でもいいですから 率直な感想を書いて下さったら。。と、思います。


[412] 元会員その2さんへ 投稿者: 投稿日:2000/07/03(Mon) 11:40

コメントをありがとうございます!

>すごく正直な方だと 思います。
とのお言葉に「ホッ」としました。
ココに出てくる時、既に
>ホンネで語って
いこうと決意していたので、
こういう風に言ってもらえると
嬉しいです。
実は反対の方々にどやされやしないかと
ビクビクしながら出てきました・・・

よろしくお願いします。

と、もう一つこの場を借りてココを見ている皆さんに
申し上げておきます。
僕はどちらかといえば熱心な会員ですが、
決して、反対してる人たちや、元会員さんのことを嫌ってはいません。
っていうかネット上なんかで嫌いになれない。
実際に会ったわけじゃないし。

僕はきちんとした批判には「ナルホド!」と納得しますし、
実際に納得できる批判はありました。
何を言いたいのかというと、
きちんと「対話」をしたいということです。
皆、自分の頭で考えて各自で判断するんで、
その材料を出し合いましょう。
人格攻撃はしないようにしましょう。
(過去ログの先輩会員さんたちの中には、
会員であ 髢lから見て「それはヘン!」
と眉をひそめてしまうような書き込みがありました。
同じ団体に属する者として残念です。
そういう態度が反対者や元会員の方々を
ウンザリさせたんだと思います。
代わり、になるかわからないけど、ゴメンナサイ!)

ではでは。


[411] RYU さんへ 投稿者:その2 投稿日:2000/07/03(Mon) 10:02

はじめまして!
RYUさんが 399で書きこんでくださったご意見、すごく興味深く読ませていただきました。
これからも、いろいろ思われたことなど ぜひ、書いてください。

>本に、「ここで会合やってます。」というようなビラがついていて、興味をそそられましたが、結局行きませんでした。それは、自分が集団嫌いであり、また、もっと様子を見て、その集団がどのようになっていくのか見定めてから、門を叩いても遅くはない、と思ったからです。

すごく賢明な判断でしたね。幸福の科学が 現在のような団体になってしまうとは、入会当時のわたしには まるで予想できま ケんでした。 宗教団体でもなかったし。。。

>元信者さんのいう、”トラウマ”というのは、最近話題になっている、"過労死”、”過労自殺”と似た側面を持っているのでしょうか? つまり、一般者としては何か他の物に例えてもらわないと、トラウマの実感が分からないんです。

過労死や過労自殺とは。。たぶん根本的に違っていると思うのですが、その違いを明確に説明
できる言葉が見つかりません。
でも、RYU さんも 仕事上のことで 自殺を考えるくらいに苦しんだそうで。。どっちが大きな苦しみか なんて比較できないように。。きっと、本人にしかわからないのかも しれませんね。

>あと、私はネットでこういう所に投稿(?)したことがないので、暗黙のルールのようなものが分かりません。なんか間違っていたら注意してください。(文が長すぎるのかな?)(書き込みは10年早い)(ROMで経験を積みなさい)とか。

暗黙のルールは とくにないと思っていますが。。。Fさんが406で書いてくださったように「正見」「正語」を大切に。。

相手の気持ちを思いやりながら。。嘘を言わないで 真実を語ること。。 ミとのこころを
傷つけるような言葉(恐ろしい言葉、荒っぽい言葉、悪口・・)などを 書きこまないように
みんなで 守っていきたいと 思っています。
よろしく、お願いします。


[410] Cubic U さんへ 投稿者:その2 投稿日:2000/07/03(Mon) 09:20

はじめまして! わたしは「元会員その2」です。
ヤフーでも書きこんでいた者ですが。。。あそこに登場していた信者さんたちに
比べると、Cubic U さんは、すごく正直な方だと 思います。

407での 以下の言葉は、あなたの素直っていうか正直な気持ち そのままですよね。

>つまり、少し保身を考えました。
>だって、恐いです。
>「エ〜?!マジで?」と思うこともありました。
>自分の信仰は一体どうなるのかと不安になります。
>「これを言っちゃったら教団にマイナスだろうな」
>ということを書かなければならない時は、
>どうすればいいだろうかという思考が働きます。
>教団を応援している立場だからです。
>「その御質問には、心情的にお答えできません」(政治家のよう・・)

ヤフーやここの過去ログを見たとき。。。
信者さんは たぶん ほとんどの人たちが、一瞬はこのような気持ちを持ったり
恐れや不安みたいなものを 感じてしまうと思います。それが、人間としての
当たり前の感情なのに。。。それを、すぐに間違ったこととか 悪いこととかいうふうに
自分の本音――ホントの気持ち――に フタをして、教団の流れに身を任せてしまいます。

それは、自分の気持ちや考えよりも 教団や信者としての立場を 優先してしまう
思考回路が 自分でも気づかないうちに 仕込まれてしまっているからです。(もちろん、
色々な条件や性格によって その程度に差はあるけれど。。)

これは、とっても 恐ろしいことです。
献金してしまったお金は、また働けば取り戻すことはできるけれど、いったん ひとつの
教条や価値観に染まったこころや思考、生き方は、元に戻したり まったく別の枠組みに変えていく
ことは すごく困難です。 大きな苦痛を伴います。

Cubic U さんは、まだすごくお若い方のようですネ。
教団を擁護したり、信者としての立場を守るため じゃなくて。。。ひとりの人間として
自分の人生を 大切に主体的に生きてくために。。。客観的事実を知った上で、これからも
ホンネで語ってほしいと思います。
よろしく お願いします。




[409] 追加 投稿者:Cubic U 投稿日:2000/07/03(Mon) 08:43

Fさんも優しいコメント、ありがとうございます。
よろしくお願いします。


[408] あ、それから 投稿者:Cubic U 投稿日:2000/07/03(Mon) 07:58

僕からもいろいろ質問させてください。

高橋信次さんのこと・千乃正法(だったっけ)のこと・
会の発足当時のこと・フライデー事件のことetc

自分の考えを整理したいし、
ココを見ている人たちにも喜ばれるだろうし。

では、失礼します。


[407] trick starさんへ 投稿者:Cubic U 投稿日:2000/07/03(Mon) 07:51

拝見しました。

>「僕っておばかさんだから難しい批判しないでね〜〜」
>って言うのが一番たちが悪い。
んだろうなぁ、と思いながら投稿しました。
つまり、少し保身を考えました。

だって、恐いです。
yahooや2chで先輩会員たちが次々と論破されています。
(先輩会員の発言の中で、賛成しかねる部分もモチありましたが)
それに、ここには僕が知らなかった教団の情報がたくさんあります。
「エ〜?!マジで?」と思うこともありました。
自分の信仰は一体どうなるのかと不安になります。

>顔文字ってず〜〜〜〜〜〜と見つめてるとむかついてこない?
のだったら、やめます!ゴメンナサイ!
顔文字を多用するのは、僕が若いせいでもあります(断言)。
(若いも若い!あなたの歳の半分くらいかも^^・・あ、また)
僕が所属するほとんどの同年代同士のMLでは
どんなにまじめな話題を論ずるときも
顔文字が多用されます。もちろん、使わない人もいますが。

>宣伝はする。批判されたら逃げる。これが幸福の科学会員のネット上の
>特徴でねえか?そしてさらにたちのわるいやつは相手への中傷
>のみを掲載。反論は載せない。メールしても無視。
>しかもものすごくわかりやすいウソをつく。
ことにならないように、努力します。
でも、「これを言っちゃったら教団にマイナスだろうな」
ということを書かなければならない時は、
どうすればいいだろうかという思考が働きます。
教団を応援している立場だからです。
「その御質問には、心情的にお答えできません」(政治家のよう・・)
と書いたら「批判」から「逃げる」ことになってしまうのか。
そもそも会員からの批判を許さない教団が問題なのか、
ただ僕が「正直」でないということになるのか。
判断に迷ってます。

コメント、ありがとうございました。


[406] ヤフーや2ちゃんねるにはしたくない ! 投稿者:F 投稿日:2000/07/03(Mon) 06:27

皆さん、こんにちは。時間がないので一人ひとりにレスつけられないのが残念です。

管理人の幸子さんに無理を言って、資料の宝庫・掲示板を作ってもらいました。私はそちらの掲示板が中心になると思いますが、よろしくお願いします。

「宗教法人にしなかったら、今ごろはすごいことになっていただろうなぁ」と
先日、古い会員の方がおっしゃっていました。私も同感です。
あの時の雰囲気がこの掲示板で再現できたらいいですね。

皆さん同じ気持ちだと思いますが、ここをヤフーや2ちゃんねるにはしたくありません。
もう十分です。それと trick star さんもおっしゃっているけど、「”せめて”正直に
生きよう」。ヤフーに登場した信者さんのほとんどが、不誠実だったように私には見え
ました。だから荒れたし、逃げざるを得なかった。ここでは「正見」「正語」ぐらい
は守って、みんな仲良くやりましょう。


[405] 名前がルール違反? 投稿者:RYU 投稿日:2000/07/03(Mon) 01:32

[名前変えようかな・・・]
 すいません。先程”大○隆○”で意見した者ですが、なんかまずかったみたいですね・・・(過去ログを読むと)。ただ、自分の名前がこれに似ていたもので・・・。何かしゃれにならないようなので、RYUに変えときます(これでもしゃれにならない?)。
[信者にはならなかった]
過去ログですか? それを見ると(めちゃくちゃ多いやん・・・)、信者と、元信者、そして一般者と、3つに分けられるようですね。
 ここは元信者の意見が多いようですが、元信者の後遺症はひどいようですね。
 私は、いわゆる一般者ですが、1988年頃から出版されていた、「・・・の霊言」「・・・の法」といった本を結構買って読ませてもらいました。そして結構感動したりもしました。
 本に、「ここで会合やってます。」というようなビラがついていて、興味をそそられましたが、結局行きませんでした。それは、自分が集団嫌いであり、また、もっと様子を見て、その集団がどのようになっていくのか見定めてから、門を叩いても遅くはない、と思ったからです。
[トラウマ]
 しかし、元信者さんのトラウマですか、その気持ちは少し分かります。実は私も同じような経験(と自分では思っている)を、あるソフト会社を辞める時にしたからです。その経験とは、
@まず残業200時間以上していて、頭がオーバーヒートしていた。
Aここで辞めたら、残っている仲間を裏切ることになるのではないか。
Bどこまでも追ってくるのではないか。
Cどのくらいの負債が発生するのか。(仕事が失敗した場合)
と、考え、カプセルホテルで1週間ぐらい隠れていて、その後は実家に帰っていて、やっと会社を辞めることができました。実際、自分の住んでいるアパートにも会社の人が来ていたようです。
 しかしその後も、ABCの考えが頭にこびりつき、2年ぐらいは消えませんでした。実際、自殺、という考えも頭をよぎりました.(ここで思うのは、”自殺”という言葉は幸福の科学関連では殆ど出てきませんね。”自殺とは、与えられた権利を放棄し、地獄の最下層に送られる”ということで、信者、元信者とも考えが一致しているのでしょうか?)
結局、時間が経ってなんとか落ち着いて来た、という感じです。
[そうすると、過労死、過労自殺と同じ?]
そうすると、元信者さんのいう、”トラウマ”というのは、最近話題になっている、"過労死”、”過労自殺”と似た側面を持っているのでしょうか? つまり、一般者としては何か他の物に例えてもらわないと、トラウマの実感が分からないんです。
[ルール違反?]
あと、私はネットでこういう所に投稿(?)したことがないので、暗黙のルールのようなものが分かりません。なんか間違っていたら注意してください。(文が長すぎるのかな?)(書き込みは10年早い)(ROMで経験を積みなさい)とか。


[404] うぬ 投稿者:trick star 投稿日:2000/07/03(Mon) 01:17

「僕っておばかさんだから難しい批判しないでね〜〜」
って言うのが一番たちが悪い。
簡単な質問には答える。
難しいと「すいませ〜ん。ぼくちんばかだから答えられないで〜す。えへっ」
ってね。顔文字多用してさ。(^^ゞ
)^o^(  (^O^)

顔文字ってず〜〜〜〜〜〜と見つめてるとむかついてこない?
^^^^^^^^^^^^^^^^
宣伝はする。批判されたら逃げる。これが幸福の科学会員のネット上の
特徴でねえか?そしてさらにたちのわるいやつは相手への中傷
のみを掲載。反論は載せない。メールしても無視。
しかもものすごくわかりやすいウソをつく。

改心せよ!!!!!!!!

この教団は変わった。
悲しいことだ。

kumikoさんから来た奇天烈メールは私のHPアプろうかと思うが
どうか?

”せめて”正直に生きよう!!!!(マジで)


[403] 幸福の科学で感動した事 投稿者:風の子 投稿日:2000/07/03(Mon) 00:48

>大川氏「そういうのを野狐禅といいます。師が亡くなったら『人につかず、組織につかず、
>    法につけ』です。師がいるときには師につくべきです。」
私も、この言葉は、テープでの質疑応答で聞きました。

 ところで、大川さんも、最初は、高橋信次さんをすっごく、誉めていたのに、
 途中から、見解が違ってきてしまったようですね。
 なんか、不思議なもので、私にとっては、「高橋信次」 ウんや、「ミカエル」が
 すっごく、好きでした。最初、霊言集「ミカエル」を読んだ時は、「感動」の「感動」
 でした。高橋信次さんの霊言では、「高橋信次の心の革命」・・第7章だったと
 思います。土屋書店ので、まだ、本の絵柄まで、覚えてます!(笑)
 たしか、「光の天使」を語っていた所ですが。私は、もう、ぼろ泣きでした。
 あと私は、イエス様が好きだったので、1989年の11月の舞浜の
 「東京ベイNKホール」で行われた、イエス様霊指導の、講演会も、もう、最初から
 終わりまで、ぼろ泣き状態でした。たしかに、体験談として語りたいけど、
 あの時は、本当にイエス様の霊指導のものだったと思ってます。
 でも、数年立って、仏教主体に以降していって、私には、耐えられなくなって
 きてしまったのを覚えてます。
 やっぱり、誰が何といっても、「高橋信次」さん「ミカエル」、「イエス様」が
 今でも、大好きな霊人です。


[402] 皆さん、初めまして。 私にも言わせて その1 投稿者:心身亭八宝斎 投稿日:2000/07/02(Sun) 23:42

この様な掲示板があったことを初めて知りました。
過去ログを拾い読みして見ますと、元会員さんの意見や現会員さんの意見など様々なものが
あって、非常に興味深く、又こんな活発な場があったなんて驚きでした。
私は、はっきり言って出戻り会員です。一旦退会してから、また入り直しました。
最初の入会は87年6月で、講演会の「愛の原理」を聞いて感激し、即入会しました。
今でも、感涙にむせびながら入会願書を書いたのを鮮明に覚えています。
その後、講演会や各種セミナーに参加しながら徐々に会の活動に参加して行きました。
各支部の立ち上げも黎明期で、地区別にみんなで話し合って、又活動費もカンパし合って、
本当に和気あいあいとやっていたのを良く覚えています。まだ手作りの時代でした。
その頃は「人生の大学院」構想の時代で、神理の探求・学習・伝道の中の神理知識の習得に
重きを置いた時代でした。初級・中級・上級セミナーが会員の目指す一大関門でした。
その後、伝道に向けての動きが徐々に起こり、最初は書籍伝道という割とゆるやかなものから
始まりました。SPM活動というのがその現れです。私も参加しました。献本もやりました。
その頃は強制されて活動するということは全く無く、みんな自主的に喜んでやっておりました。地区長もみんなの互選で、人望のある方が勤めていました。総ては手作りでした。
(以下、次回。)





[401] 現役デッス 投稿者:Cubic U 投稿日:2000/07/02(Sun) 23:34

はじめまして!
現役会員デス(^^)/

先月(先々月だったかな?)からROMってました。
最初に見つけた時は、「たいしたこと書いてないだろう」と
決めつけてたんですが、
過去ログを読むうちに「・・・これは、きちんと考えなければならないな」と
思うに至りました(まだ全部は読んでません。多すぎ〜)。
それに、僕自身の考えもきちんと整理したい。

ハッキリ言って、僕なんかがココで幸福の科学の代表ができるか、
自信がありません。っていうか、できない!(笑)

だけど、「“人”ときちんと向き合う」こと、「対話」すること、
とても大事だと思います。
この二つが、現在の幸福の科学の組織的体質として、
少し欠けているような気がする。
そう思って、出てきました。

正直に自分が考えていることを書きますが、
「僕が書いた内容が、教団にとってマイナスにならないか」
と不安です。
やはり、僕は幸福の科学のことが好きですから。

これから、よろしくお願いします。

p.s
ただし、ここの掲示板が今後、「2ch」のようになるんだったら沈黙します。
気が弱いんで、カンベンしてください。

p.s.2
最初から言っておきますが、あんまり難しいことは、書けません。
(yahooで大脳生理学とかなんとかが出てきて???でした)
僕がアウトプットできるのは、一会員である自分の感じ方・
周囲の会員さんの言動・支部の雰囲気などです。
(ちょっとだけ総合本部の方ともお話しをしたことがあります。)
「霊言集のココとココとココが間違っている!!!」
と迫られて来ても、
「え?エ?・・そうなんだ。でも僕はココとココとココに感動しましたよ!」
くらいしか言い返せません。
けっこう、感性でモノを言います。悪しからず(ーー)
 


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