ノストラダムスの予言の中の幸福の科学<3>

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ノストラダムスの予言の中の幸福の科学21 投稿者:比丘 投稿日:2001/10/06(Sat) 14:32

さて,皆様,これからの話は,だんだんと現在に近づいてきて,更に,最後には未来を含んできます.その意味で私も慎重に成らざるを得ないのです.特に1999年の最重要な詩の真相を知ることは,その道の方々にとりましては,ある意味で悲願であったと言っても過言ではありません.私の投稿を連続して読んでくださっています読者の皆様に取りましても,大変興味深い事実,驚きの事実を明らかにしていくことに成ると思います.しかし,そこに行き着くまでに,まだ多くの詩を見ていかなくてはなりません.
 神はどの様な形で世がユートピアに近づくことを望まれているのか考えてみると,やはり一つの宗派による指導原理を望んでいるわけではないように思えてきます.今となってはもちろん宗教法人「幸福の科学」に,これを望むことは,ほとんど不可能に近いことのように思えます.すべての宗教を統一するというのは,一宗一派による支配と言うことではなく(ましてや,一人の人間による支配でもあり得ません),すべての宗派が,それを根本指導原理として採用できるような普遍的なもの(世間の一致した見解)を作り上げることが大事のように思えるのです.そして,それでは何がそのような根本指導原理になりうるかを考えてみますと,やはりどの様な宗教的「行」を行うにも,先行して必要となる原理,すなわち反省の原理だと思うのです.これについて,高橋信次先生が完全な形で説かれ,その後他の宗派でも採用されたり,説かれたりしていますが,これが,良心の基盤であることが常識であるような世界が,少なくとも各宗派や道徳的思想(もちろん初等中等教育においても)において,展開していくことが,ユートピアへの道と思うのです.これについては前にも触れましたが,難しく考えることはなく,常に自分を客観視できるように,各宗派でその教えの中で指導されることが最も良いと思います.今後,反省の法を実践する方が一人でも多く出てくることが望まれます.(考えても見てください.偉大な悟りもこの反省の法によってなされているという事実があります.このように反省の法を実践していますと物事の真実を見抜く目ができてきます.またこれなしで真実の実践知性などは,出来ようはずがありません.反省の法こそ,己を知り,自らを深く掘り下げる法であります.)


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学22 投稿者:比丘 投稿日:2001/10/06(Sat) 15:31

前回の内容に付け加えますと,反省と言っても,必ず「自己保存(保身)」に焦点をおいたものでないと意味は無いと思います.単なる反省会の反省ではないからです.またもちろん,反省の前提はあの世の存在と永遠の生命の自覚に向けることが大事でありましょう.これなしでは,保身(自己保存)という「悪」を正そうという正当な理由が無くなるからです.

説かれる法の中に,たとえ,そのほとんどは真実で飾られていても,残りの1%にサタンの毒が混ざれば,これが人々の心に与える影響は,計り知れないことになるでありましょう.1%で方向を180度転換して,善を悪にすることさえ起こりえます.また後世に,この幸福の科学の書き換えられた書物が法であるとして遺されたとき,人々はそれを神の意志と信じて学ぶことになります.これは大変恐ろしいことです.現在に生きる私たちの時代責任として,このような間違いはなんとしても正すべきでありましょう.(霊言集をわざわざ書き換える必要など,どう考えたってどこにもないではないですか.)初期の霊言集を信じて,当会に関係したみなさんがそれをやっていかないと,やる人は他には誰もいません.みなさんが中道を旨として,間違いを正す意見を述べていくことが肝要ではないかと思います.現に当会に在籍していない方々の意見が正しくて,思慮深いとなれば,やがてサタンの居場所はなくなっていくでしょう.毒の混ざっていない純粋な法を,後世に遺せるように最大限の努力を,いま私たちはしなくてはならないと感じます.一宗一派など,もうどうでもいいと思います.正しい法が,世の常識として残っていけばそれこそが,神の望まれることではないでしょうか.幸福の科学がだめだったら,私たちが,(たとえ力は小さくとも)一人一人の努力によって,法を残していこうと思う,そのくらいの気概でやってもよいのではないでしょうか.小さな流れも,集まれば,やがて大きな奔流となって,世を変革していくことだってあり得ます.この20世紀末に,神の法が,確かに現れたということが,世のコンセンサスに成っていくよう,私たちが努力しなくては成りません.この神理の火を消してはならないとおもいます.それが,神理を学んだ者の義務であり時代に生を受けた者の責務だと思うのです.今こそ,多くの方々が神のボランティアとして,また正法実践者として動くことが望まれます.キリストは,漁をしていた弟子に言っています「魚でなく,人をすなど(漁)る仕事に就かないか」と.「人をすなど(漁)る」とは,神理の網に人をつなぎ止めていくことを表しているといえます.真の意味で,やる気のある人が一人でも増えれば,それだけ世は「黄金の世紀」に近づいたといえます.
 これについて当ホームページ「幸福の科学QandA」の「アンケートで寄せられた声」の中の「比丘尼」さんの意見が大変参考になります.私がこのシリーズを投稿しているのも,この文章を読み心から納得できたためでした.是非ともこれを,天上界の意志としてすべての方々に読んでほしいと思います.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学23 投稿者:比丘 投稿日:2001/10/07(Sun) 09:54

安らぎの境地,すなわち幸福になりたいという願望を捨てないこと,これが逆に苦悩から解脱したときには大きな(悟りという)成功となっていくと思うのです.
 苦悩の解決を,外に求めると,人は進歩しません.しかしそれを(心の)内に求めるならば,それはその解決と同時に心の進歩となって結実するはずです.ここのところが肝心です.ここをしっかり理解していないと人は簡単に退転していきます.
 苦悩とは何か.誰にも分かる簡単なことであるのに,これを理を持って認識する人は少ないようです.人は苦悩を感じている状態は容易に認識できますが,そこから先がすすみません.心は自分でコントロールできるはずなのに容易に外に解決を求めてしまいます.
 心のエネルギー(光)は神から供給されているということはよく言われています.そのエネルギーをため込む器が人の器量になります.実は,苦悩とはこの神の光の供給が少なくなる(絶たれたら大変ですが)ことによる現象と考えられます.ではなにが神の光を減らすのかと言えば,これが自己保存(保身)という想念(想念の曇りといった方がよいのかもしれません)であります.すなわち人が苦悩しているのは,保身の想念をしているからなのです.他に原因はあり得ません.
 そうであるならば,この保身の想念をやめれば心は晴れて,安らぎと愛に満ちてくるはずです.(ここのところが肝心です.ここで原因を外に求めれば苦悩の真の解決にはなりません)この道理に気がつくかどうかが,本当の意味で神理を理解したかどうかの分かれ目になってきます.みなさん,ですから今現在自分が安らいでいて心には何の引っかかりもない状態であるかどうかは,自分の心に問えば分かるはずです.もし今現在心が晴れ渡って安らぎの状態にないというのであれば,かならず何らかの保身の想念があるはずです.これを見つけだして,その想念が保身であることを認識することによってそれから離れる.これが正しい悟りの方法論であります.
 この様な態度で人生に臨んでいけば,神理というのがまさにこの心の道理そのものであることが理解できてくるはずです.このとき,人は退転しようがありません.(ただ,反省は習慣的に必ずし続けるというのが大事です.もし守護霊がせっかちで本人の霊道を開いてしまうと,ちょっとの退転が大変な惨事を招くことになります.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学24 投稿者:比丘 投稿日:2001/10/08(Mon) 10:21

高橋信次先生の説いた法の話を復習してきましたが,実はこれを理解してすぐ自分のものとして実践できる人はまれと思います.ここに多くの信仰のつまずきがあるのではないでしょうか.

私たちはこの地上に生まれますと,多かれ少なかれ地上的なものに染まり,神の子としての自覚はなくなってきてしまいます.現在誤った宗教にいる方も,やはりこの部分で解決がついていないと思われます.

人は神理を聞いたから,あるいは神理を説くと思われる団体に属したから,天使になる,あるいは天使であるなどと言うことはまずないと考えた方が無難です.

 信次先生や幸福の科学で,あの世の魂の発展段階,すなわち次元構造を説いていますが,これは,人に対して差別知を適用するために説かれたものではないと思うのです.そうではなく,これに照らして自分の現在の心の段階,状態を知る,それによって魂の修業の当面の目標を知るためではないでしょうか.

たとえ天使であろうとも,この世に生まれれば,幽界の下段や地獄的想念だって持ち合わせると思うのです.純粋に菩薩界の想念だけなどと言うことはまず考えられません.そのとき,その方が自分の心を反省すれば,ああ自分は地獄の住人であったと深く納得することもあると思います.ここからが問題です.ここで,自分はまずこの地獄の想念をなおして少なくともあの世霊界(いわゆる5次元)の精神を取り戻そう.あるいは,人間として自律が大切である.自分はまだ他人に対して何かを期待する依存心,依頼心がある.これでは神理からはほど遠いのではないか.人間として自律出来る心(すなわち6次元神界の心)を取り戻そう.と,この様に考えればそれは正しいといえます.この段階をクリアするのは大変な精神的努力が必要でしょう.こうして,もしその方が,菩薩なら菩薩界からでてきた方であるとしましょう.そのとき,自分にはまだ可能性があるかもしれない.自分はほんとにどうしようもない人間であったけれども,昔からたまには人に対する愛というものを積極的に実践したのではないか.それならば,次はこの愛を常に実践できる人間になるように努力していこう.と,この様に考えるための,発展段階説であるべきだと思うのです.足下をみて修業するとはこのことを言います.自分を知るとはまさにこのことの持続によってなされると思います.

ですから,まずいきなり菩薩あるいは神界の住人などということはなく,万人にとって,まずは,4次元的自己保存,すなわち自分がよければよいとする想念の反省が必要でしょう.次に,依存心,依頼心の反省をしていくこと,これがすじと思います.これをスキップしていきなり菩薩などということはあり得ないということを,私たちは厳しく自覚すべきではないでしょうか.少なくとも,自律した人間になれば,立派な人格となって人から信頼される人となることは間違いないでしょうから.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学25 投稿者:比丘 投稿日:2001/10/10(Wed) 11:32

大切なことは,心の反省には,良心という神の心のみが頼りであって(それはすべての人が神の心を宿しているためです.この意味において人間は平等といえます)決して,絶対他のいかなるものをも,そこにおいてはいけないと言うことです.よく耳にしますが,例えば○○様が心にいてこの視点こそが悟りと気づいたなどという言い方をお見かけしますが,これは大変な間違いと思います.悟りのはき違えであります.なぜなら,自分の中の良心こそが,反省の視点であって,他人は自分とは違う他者でありますから,自分の反省に参考にはなっても,それが自分の 基準 になるなどということはあり得ないことです.高橋信次先生だってそのような,ことはおっしゃっていません.あくまでも内なる神との対峙こそ,正しい反省の要であります.これをなにか外部にいる具体的な人を,たとえその方がどのように偉大と思われましょうと,心にでんと座らせてしまうことは,間違えば,己の心を,他の者に明け渡すことになります.自分の心の王国は自分自身が支配者であることを自覚すべきと思います.決して他者に心を明け渡してはならないのです.


  ***真のメシアの見分け方についての意見***
インターネットで元会員と現会員との議論などを見ますと,元会員が総裁の指導の怪しさを指摘すると,現会員は総裁をまもるというパターンが典型的です.現会員の論旨は最後には「総裁が最高の方(神?)であるから正しい」という一点のように見受けられます.これでは,三つ子の議論です.総裁が最高の方と言うことをみんなに分かるように証明するには,少なくとも次のような手順を踏むのがわかりやすいですし,必要と思います.もし,どう考えてもこの証明は出来ないというのであれば,その方は地球最高神ではないことは確かです.

 1.実証による証明:総裁の典型的な言行を何点か取り出して,考察を加える.このとき神のあるべき性質を説明し,これが人間として顕現したときはどのような性質のものとなるかを考察する.総裁の言行の数々がこれに一致もしくは非常に近いものであれば一つの証拠となる.神の性質としては,特に愛,慈悲の実践に焦点をあてる.
 2.上の1.と同時に過去のメシアと言われている方々の言行を吟味し,総裁と同じ性質のものであるか,あるいは総裁のほうが,同じ性質をさらに発展させたものであることをだれにも分かるように説明する.特に地球最高の主と主張するのであるならば,例えばイエスを越える愛の実践が出来ているはずである.
 3.もし総裁が地球の主(地球最高神)というのであれば,その法には文証,理証,現証が,どれも最高のものとして,そろっているでしょう.これを実地検証し,たしかにそろっていることをだれにも分かるように説明する.例えば現証(観自在力を日常使って人々を導いているか,霊現象はいつでも出せ,周囲の人や一般の人に講演会などで指導している.)は能力はあるけれども行わないという論理は通用しない.三つが同時にそろうのが地球最高指導者の必要条件である.
 4.弟子の言行を吟味する:メシアとして悟っているならば,正法を最もよく実践しているはずである.その場合多くの弟子たちも指導者を見習って正しくなるのが,過去の例(キリストや釈迦)を見ても分かる.弟子(信者)が,謙虚であるか,正しく議論しているか,中道を旨として高尚な人格者となっているかなど.これらを例証する必要がある.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学26 投稿者:比丘 投稿日:2001/10/10(Wed) 11:33

次にサタンの見分け方について意見を述べます.
  ***サタンの見分け方についての意見***
ところで地獄の王といわれるサタンにもいくつかの典型的特徴があります.以下のその例を挙げますので,自分の団体の指導者に当てはめてみるとよいと思います.
 1.もともとが天使であったため,品はよく装っても,結果において人を威圧する.
 2.自己顕示欲が強いため,自分で宇宙(地球)最高のものであると吹聴する.本物であれば自らこれを吹聴することはない.これも99%の真実のなかに混ぜて品よく語るので注意しないと見抜けないことがある.
 3.人を試す.例えば「信仰の試し」というような言葉を使ったりする.神は人を試さない.
 4.私の語っていることは○○○ですという言い回しで,本来人が自然に理解するはずのことをわざわざ自分で宣伝しようとする.○○○の部分にはいろいろ当てはまる.例えば「真理」「真実」など.
 5.真に人類の救済を願っているわけではないため,周りのものに,「○○様は,ほんとに人類の幸せを願っています」というようなことを言わせたりする.この様なことは本来自然に理解されていくものであり,自分の口から語るべきものではない.
 6.謙虚さがない.たとえ神近い人でも,地上にでれば謙虚である.もちろん真に地球の最高神である方が最高の悟りを開いたとき,自信の言葉として,語られることはあるかもしれないが,それにはそれまでの実績が,万人が認めるところである場合に限られる.そのような場合には,皆が納得するものである.
 7.自己顕示欲が強いため,自分に対する尊敬や崇拝,あるいは信仰を強く求める.
 8.なによりも指導者自らが,偶像を作らせ拝ませる.これはサタンの最も大きな特徴である.客観的に考えてみてください.地球最高神が顕現して偶像を作らせるなどということは笑い話にもなりません.これほど,法を否定する行為はないと思います.
 9.宗教経営から得たお金をもって,必要以上に贅沢な暮らしをする.人を導く人はふつうは質素な暮らしをするものであり,贅沢な暮らしなどに執着はないはずである.
10.宗教グッズを高額で売りつける.この場合.信者は宗教グッズという認識がない可能性がある.
11.世の中で天使として認められている人をおとしめて非難したりする.

あげればまだまだ特徴はあると思います.いわゆるカルトと言われる条件と共通点もあると思います.これらの内半分以上に当てはまれば,サタンあるいはそれに近いものの影響下にあると考えて間違いありません.どの団体におられる方も,自分の団体の指導者に当てはめてチェックすることをおすすめします.全部当てはまった場合は,すぐ非難する方が安全です.この場合指導しているのはルシファーと呼ばれる堕天使に間違いないからです.この場合には,神と紙一重ですので,見分けがつきにくく巧妙に魂を天とは反対の方向にもっていかれていますので注意が必要です.なお上のサタンの特徴をみて,いかなる理由があるにせよ,これを書いた私への怒りがでてきた方は自分自身が悪霊の支配下にある可能性が高いので,自分の心の点検をしてみてください.第三者がみれば,納得する条件ばかりのはずです.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学27 投稿者:比丘 投稿日:2001/10/11(Thu) 22:29

幸福の科学の総裁を表現したと思われる詩は,これまでもいろいろ紹介してきましたが,他にもいっぱいあります.面白いのは総裁のヨーロッパ旅行を表したと思われる詩です.

2.29 
アジア人は自らの本拠地からでてくる
アペニンを越え,ゴールを眺めるために
空といくつもの水辺を雪を飛び越え
長い杖ですべてをうち倒すのだ

「アジア人」としてノストラダムスが注目しているのは一人しかいませんので,幸福の科学総裁を表します.
ゴールはヨーロッパを表しますが,アペニノ山脈(イタリアを縦断する山脈)を越えとありますから,ローマバチカンへの旅行を表しています.
3行目は飛行機による旅行であることを示しています.最後の行「長い杖ですべてをうち倒すのだ」は,総裁によるカトリック(キリスト教)の裁きをうまく表現しています.
総裁の言葉をよく聞いている人は納得できる詩です.
もちろんこの詩は最後の行をみれば分かるように,長の独善性を暴露した詩といえます.
(バチカン見学については,公の場で話をしている事実がある.)

上の旅行が行われときにも,前にも後にも,以前にあったような霊言や天からの指導はないことは次の詩で分かります.

4.49
人の前で血が流れ(会員で立派な方の死をいっているようです)
高き天より遠く離れているので,(指導は)こない
もちろん,長い間(霊言は)聞こえず
人の霊は,それをいつか目撃するようになる
(霊指導がないことはだんだんと明らかになってくるといっています)

もちろん,幸福の科学の実体を暴露するノストラダムスの予言詩集も本能的に目の敵にされているのでしょう.次の詩でその様子が分かります.

2.36
大予言の言葉は妨害され
圧制者(総裁)の手の中に落ちるだろう
彼の企ては王国を欺いている
しかし,(間違った信仰の)強要は,まもまく彼を不安にするだろう

1,2行目では,総裁(圧制者)の間違った?解釈によって予言の真意を分からせないようにしている状況をいっています.その行為が人々を欺いていることが3行目で分かります.しかしこの様な不誠実なことが,結局自分の首を閉めていくことが最後の行でかかれています.

とにかく,このような人々を欺く悪事を働く長を次の詩で表現しています.

10.10
殺りくと並はずれた背信の罪
全人類の敵,
こんなに祖父,おじ,父を悪くするものは見たことない
倹(敵対),熱血と,不人情さで

以下のような意訳になります.

人々を不幸にし,会員を死においやり,神に欺くつみを犯すもの
これが全人類の敵であり
自分の父や,恩になった人々をもおとしめ阻害する
とにかく不人情で,戦いばかりをいどむ男である


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学28 投稿者:比丘 投稿日:2001/10/11(Thu) 22:34

-----運命----その1-----

長の出現が次の詩でも述べられています

1.50
水の宮から,第三の者が現れる
木曜日を 己の聖日と祝う男が
彼の 名声 賞賛 支配 権力 は 増し
海や陸 そして東の国にも嵐をもたらす

1行目の「水の宮は,三方を海で囲まれた場所」を表していると考えれば高知が,太平洋と両側の水道で囲まれていて,当たっています.また第三の者とは第三の反キリスト(第一がネロ,第二がヒトラー)を表します.
2行目は,次の10章71番

大地と空気は多くの水でこおりつき
彼は、木曜日に礼拝にやってくるとき
いまだかつてそのように(着飾って)美しいことはなく
4つの部分(日本のこと)からはじまり、彼に名誉を帰すようになるだろう

で最初に説明したとおり,一回目のエルカンタレ際がちょうど木曜日になっており,これをいっています.
3行目は,90年代最初の頃の状況をいっています
最後の行は,世間に騒ぎを起こしていくことを表しています

------------反キリストの運命-------その1--------
また,幸福の科学で行われる圧政は次のようにかかれていますが,この詩には,将来のことも含んだ多くの情報が含まれています.

9.53
三人の反キリストで,秘密にされた一人が
幼子の書物を投げ込み,焼かせるだろう
その行為で,真の幸福は遠ざかり
血の三人は自らを死に追いやるだろう

1行目は,また三人の反キリストの内の一人として長を表しています.ただここで秘密にされたとあります.これは,ノストラダムス予言詩で秘密にされてきたこと,また聖霊にも,明かすことを禁じられてきたことを意味しています.大変重要な情報を含んだ一文です.
この反キリストすなわち長は,神理の書物を裏に追いやることが二行目にかかれています.まさに総裁のやっていることを表しているといえます.
その結果,人々の幸福が遠ざかり,最後の行で,血の3人,すなわち三人の反キリスト全員がその行為の結果死に至ることが述べられています.
この最後の行は,他の二人の反キリストと同様,総裁が最後まで行為を改めないことを予言しているように聞こえますが,そうだとすると恐ろしいことです.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学29 投稿者:比丘 投稿日:2001/10/12(Fri) 10:20

どうかこの予言9.53がはずれて
総裁が,この世で間違いにお気づきになることを心からお祈りします.また多くの魂が正しい方向に導かれますように.
---------ひとやすみ--------
いま,あるスレッドをのぞいたところ,
          ----精神の次元構造---
について活発な議論がありました.こういうところから神理の議論をするのも興味深いことだと思いました.というのも
------ノストラダムスも,--------
新世紀に向けて精神の次元上昇があることを序文で述べているからです.またそのために,現在の「大変革」があるのだともいっています.
 私たち工学をやる者は次元の議論は大変わかりやすいですが...議論の多くは,基礎知識の欠如からきているものもあるようでした.もちろん物理的な実体の解明については,現在の物理学ではまだ不可能です.また出来たとしても4次元までで(後で説明),その上はやはり永遠のテーマになるような気がします.最近の物理で9次元とかいっている次元は縮退しているので,何かを表しているとは思いますが...従って概念による説明がきちんとできればそれで由としないといけない部分もあるとおもいます.信次先生も工学者ですから次元の概念を持ち出したのでしょう.幸福の科学でも,概念的にちゃんとした説明はされていないようでした.
 数学でも次元は離散的とは限らなく,フラクタル次元のように連続的な次元の定義が出来ます.ですので整数次元にこだわる必要もないですし,座標軸での説明にこだわるとよけいわかりにくくなります.次元というよりか,同じことですが自由度といった方がわかりやすいかもしれません.精神の波動の次元をいっているので,必ずしも空間座標のダイレクトな拡張としての概念ではありません.こじつければこの世的空間,物質,時間にとらわれた精神を3次元で表しています.
 しかし,この3次元もある振動で成り立っていると考えれば,3次元空間も波動という概念を使って表現できます.そうすると波動という概念で次元の説明が付けば,次元も統一的理解が出来ることになります.4次元空間までは,物理的にメスが入れられる空間のようです.
 スレッドを全部見たわけではないので,誰か正しいことをいっているかもしれないですが,そこは勘弁していただき,精神の次元構造を数学的な概念を使って説明してみたいとおもいます.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学30 投稿者:比丘 投稿日:2001/10/12(Fri) 10:20

----精神の次元構造----
この幸福の科学あるいはGLAの精神次元論を現在の数学知識で解釈するとすれば次のようになります.順をおって説明します.
1.感覚的理解
 本なんかで見ますと,おそらく幽体離脱というものを経験したことのあるひとは,次元の話は比較的簡単に受け入れられるのではないでしょうか.幽体離脱してあの世に入っていくと感覚としては上に向かっていくのですが,同時に奥に離れていくというか,実際に次元上昇していくようです.ですから精神的実体験がある人は感覚的に受け入れられる考えだとおもいます.また,瞑想して,体が膨張していくときも,確かに3次元的にふくらんでいくという感覚もありますが,精神は3次元にあって同時に高次元にも拡張していくということでしょうか.以上は,経験的にも精神次元は次元の概念を適用してよいという説明です.

2.波動性
 精神は波動であるという表現は信次先生もしてましたし,他の宗教でも使っています.また波長導通の法則というものも有名です.よくいわれるのは,次元の上昇とともに波動も精妙になっていくとか,粒子性が細かくなるとかいうことです.そこで議論の前提として,精神には何らかの波動性がある,すなわち波動としての形,個性のあるものであるといういことを認めたいと思います.
 また,最初に述べたように,おおざっぱではありますが,宇宙空間も物理的に何らかの振動で出来ているという考えは,物理学とも矛盾はしないと思います.これを3次元波動とでもいっておきます.つまり3次元もいろいろな振動によって作られていると言うことです.素粒子やもっと細かいところの物理学でも振動は本質的事柄であり,エネルギーの本質は振動にあるといえます.いろいろな振動から宇宙が出来ていると考えてもおおざっぱには間違いないと考えましょう.
 
3.神の波動性
 精神に波動性があれば,当然神様にもあるはずです.なぜなら,人間は神に似せて作られていると考えられるからです.そうでなければ進歩も神理も必要なくなってしまいます.

4.波の精妙さ
 波動には,細かさがあると考えます.これは,たとえば音の波では,低音成分しか含まれていない音は波形が比較的なめらかですが,高音成分が入ってくると波の形も複雑になってきます.例えばオーディオなんかで考えるとわかりやすいですが,ダイナミックレンジというのがあって,再生装置が高音域まで出せればよい音,臨場感あふれる音になってきますが,電話のように4khzで切られちゃうと,音が悪くなります.本来の音に近づくには,高い周波数まで再現できる技術開発という努力が必要になります.

5.波の分解と次元
 波は周波数成分に分解されます.あらっぽく言いますが,フーリエ変換といって,波形は離散的あるいは連続的に引き続く周波数の正弦波の重み付き和として分解できることが知られています.このときそれぞれの周波数の正弦波は独立な関数であり,数学的に空間次元と同じく一つの次元を構成します.連続的な周波数分解を考えれば,例えば2.3次元のような少数で表される次元もあり得ます.これは角周波数が基底振動の2.3倍のところまでの周波数成分が存在することを表します.数学を知っている人は関数空間の話に近いことを言おうとしていると思ってください.
 ちょっと話が複雑になりましたが,例えば,4.8次元だと電話の音質しか出せないけど,8.0次元ではオーディオなみになるという風に考えていいです.波動の精妙さは数学的に次元で表現できるという話をしました.なお,最初に述べましたようにこの3次元空間も振動,波動という表現を持つと考えています.これを仮に基底振動を含んだ3次元波動と呼びましょう.

6.神の波動は最も精妙
 例えていえば最高の音質は神の波動です.従って次元が上がるに従って,神様に似てきます.これを,精神的に表現すると,幸福の科学のように,4次元が時間軸の自由性を持つ次元,...8次元が慈悲..などという風に表現してもいいわけです.またGLA ですと,正しさの基準でこれを表現していました.時間軸は理解するのに抵抗があるかもしれませんが,精神性として時間の流れという制約がなくなる次元と考えてください.これは物理的にメスが入れられる次元といえます.

 以上は,科学者に聞かせればもっとちゃんと説明しろ,とか何じゃこれは,とかいわれる説明ですが,神秘哲学的にはすじは通っているのではないでしょうか.この説明を精密化するのは現在の物理学の知識では不可能です.
  以上,精神次元構造の解説をしたのは,(ハンドルネーム) 比丘 でした.


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