ノストラダムスの予言の中の幸福の科学<5>

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ノストラダムスの予言の中の幸福の科学41 投稿者:比丘 投稿日:2001/11/17(Sat) 09:03

反キリストで表現される人物に関する運命を述べた詩をいくつか紹介してきましたが, 次の詩により反キリストに最後がくることが預言されています.

反キリストの運命---その3---

10.99(反キリストの最後)
ついに,オオカミ,ライオン,牛やロバ(の最後)
臆病な雌鹿が反キリストから離れない(と共に倒れ)
甘いマナはもはや彼らには落ちず
反キリストをもはや守る必要もない

なおマスチフ犬を反キリストと訳すのは上杉:「神からの警告-ノストラダムス最終預言」(中央アート出版)より引用.
 オオカミ,ライオンは凶暴な弟子,牛やロバは愚かな弟子を表す.
これらは,反キリストとともに倒れる.このとき臆病な補佐(雌鹿)は,反キリストから離れない,または一緒に倒れる.
甘いマナが降らないとは,信者から布施などによる甘い汁を吸うことは出来なくなることを意味するようである.教団縮小と金銭的な破産および教義破綻を預言しているのであろう.こうして,もう反キリストを守るなどということをする必要もなくなる日が来ることを預言している.

10.73
過去も現在も一緒に
偉大なジュピタ(日本人)に裁かれる
世界はついに彼に飽き
そして宣誓した宗教家は危機を迎える

これも,上と同様反キリストの最後を預言した詩である.なおこの詩の訳はあるノストラダムス解釈者の訳を引用したのであるが,本を紛失,著者名を失念のため,ここにお詫びします.

次の詩は1993年前後の状態を述べたものと考えられる.実に状況をよく表しているので掲載した.

4.57
偉大な王を支えているのは,無知なる嫉妬心
書を禁ずることを述べ
彼の妻は妻でない,なぜなら他の者に誘惑されるから
もはや二人とも叫んで説くしかないのだ

総裁を支えているのは,(ランティ等に対する)嫉妬心であると書かれている.また(ランティ,ミカエルなどの)書を封印することを2行目で述べている.3行目では,妻である補佐が,ランティに一時惹かれ,褒めちぎることが預言されている.4行目は,ここまでくると,もう法も曲がってしまっているので,叫んで説いていくしかないことを言っている.これらはすべて実際に起きたことである.

1.88
聖なる病が偉大な王子を驚かせ
結婚して少したってから
彼の支持者や信頼していた人たちが直ちに貧しくなるだろう
忠告者は頭を剃って死ぬだろう

1行目は,総裁が病になること,それは警告であることが示されている.2行目は結婚することを預言し,3行目は,そのすぐ後側近の人たちが高額の布施などによって貧しくなることを預言している.4行目は頭をそることにより,出家した人をさし,その人は総裁の意志に反することを行うが,亡くなることが起こることを預言している.

次回からは1999年の詩に入っていきます.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学42 投稿者:比丘 投稿日:2001/11/22(Thu) 08:21

ノストラダムス預言は,一つの悲劇を書いた小説であるかのようです.その悲劇の中に,これから述べる1999年の詩のような,エポックが埋め込まれている,そして,その事態の推移により,二通りの運命がある.悲劇が悲劇であるのは,運命の転換は失敗に終わるところでしょう.しかし,それは神の目から見れば,新時代を開くところのエポックであり時代の転換を告げる表象である,ここに運命の深い綾をみるのは私だけではないでしょう.
 しかし,悲劇というのは決して,神によってひき起こされるものではありません.運命は,いくつかの繰り返しの運動から成るカルマの合成体であり,その振幅が下方にある敷居値をこえて,振れたときが悲劇といえるしょう.悲劇を避けるためには,この様な悪しきカルマの一つ一つの振幅を押さえるコントロールが必要となってきます.このための一つの方法論が,心を内に向ける「反省の法」とその実践にあるわけです.
 私は,この投稿で反省の法について,繰り返し述べてきております.それは,保身という自己保存想念に向けられるべきものでありますが,この保身というのは広範囲に存在する想念の運動であり,つかみ所がないように見える場合もあります.
 なかでもとりわけ難しい反省は,自己実現の過程で起こる葛藤であり,他との比較により生ずるものです.宗教団体や人の心に関わる方の反省であるといえましょう.ここでは,これについてつぎのタイトルでお話をしたいと思います.

 ******************* 嫉妬と優越感******************

全なる神には,保身という自己保存はありません,しかし人には存在します.人は「全」ではないが故に人であり,それは「個」を形成するものです.「個」であれば,他者との比較が生じます.「相対」が生じます.嫉妬と優越感はこの「相対」から生ずるものであり,そこには人が「全」には至っていない,という性質からくる本然的な要素が含まれるといえましょう.それ故に,この「相対」からくる想念から自己を解放することは最も難しく,過去幾多の失敗や悲劇を作り出してきた張本人ともいえるものです.しかし,それから離れることは決して不可能なことでもありません.他と比較すること自体愚かしいことであると悟ればよいのです.どのようにあがいてみても自分は自分,人になることは出来ません.その自己の内に神を見いだすことをこそ,目的とすべきです.
 ノストラダムス預言の主題である,幸福の科学とその教祖に関することも,詩4.57でも見てきましたように,この嫉妬と優越感に深く関係しているといえます.そうしてみますと,これは例えどこまで進化しても,人間として生まれる限りはつきまとう問題であると認識した方が無難と言うことになります.そうであるからこそ,私たちには,反省という謙虚な態度が必要となるわけです.
 この嫉妬や優越感が悲劇を作り出す原因は,それが悪しき世界の住人,その支配者の根幹に関わる性質であり,それはまたその配下のものの性質でもあるからです.波長導通の法則により,まさにこれらの実体を呼び寄せる根本原因が嫉妬と優越感であります.私は今,教祖に限ったお話をしているのではありません.およそ,人の心に関わる仕事をする方々にとって,大事な話をしております.
 宗教やカウンセリングなど,人の心に関わる仕事,これは聖職といえましょうが,それ故に,心構えを誤れば大変な事態を,本人と関係の人々に引き起こすことになります.
 大変厳しいことを言わなくては成りませんが,この様な職に就く方々は,「自分が」救ってあげるなどという思いを決して持っては成らないということです.これを優越感といいます.嫉妬の裏返しであります.真に神に預かるものであれば,決して「自分が」という思いはでてきません.神様の歯車として動くという思いが重要であります.聖なる仕事に自分という思いを介入させては成りません.およそ,この世に生まれる人間は,あの世からの指導がなければ,何事にも誤りを犯さないなどということは不可能です.そうであるならば,常に心を澄ませて,重要な時点では守護霊に判断を仰ぐという態度が必要といえます.この慎重な態度こそが,真に人を幸福に導くものであるといえましょう.守護霊の指導を得たかどうかは自分で分からなければおかしいといえます.私たちは,自分の主体で動いているようであって,実はあの世から操られているのである,また操られることにより,幸福な人生を自他共に歩むことが出来るという感覚をわすれてはなりません.この感覚を忘れ去ったときに道を外れることが起こるといえます.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学43 投稿者:比丘 投稿日:2001/11/27(Tue) 08:20

----------1999----------その1---

反キリストと呼ばれる人物は,現代日本において宗教を興し,それは次の詩にも集約されるように恐ろしい姿に変質し,地獄を展開していくのを見てきました.
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2.92
金色の光が天から地に届き    (---- メシア的人物の生誕)
高貴の生まれのもの (---反キリスト---) に打たれ,驚愕の出来事 
人類の殺りく,偉大なるものの子孫が奪われる (--- 死を含んだ不幸な出来事)
あるものは死に,知恵あるものは逃れる 
        (----信者で死ぬ人がでてくるが知恵ある人は,教団から離れる)
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近年では,アメリカの有名な女性予言者,ジーンディクソンが,日本での宗教について次のようなことを言っていることは注目されます:1983年頃日本に起こる変化が世界を救う.(すなわち霊言の収録)しかしその後日本から輸出される(汚れた)宗教を信じては成らない.
 この出典については,だいぶ昔に読んだ本にあったのですが,どの本であったか明確に思い出せません.しかし内容としてはこの様なことを言っていたと記憶しています.これは,やはりノストラダムスと同じことを言っているようです.

 こうして,20世紀も終わりに近くなっても,状況が変化しないことは次の詩で述べられています.

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3.92
世界は終末に近づいても,
サタンは,なかなか後戻りせず
支配権は黒い人々に移り
ナルボンヌは,彼の目をもぎ取るだろう
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この詩では,20世紀末になっても,教団に巣くったサタンは,後戻りせず,教団の支配権はサタンに影響を受けた人々にとられることを言っています.また最後の行は解釈が難しいのですが,ナルボンは,南フランスの都市の名前と解釈すると,意味が分かりません.一方,預言詩では,ナルボンは9.34の有名なアントワネットの脱出の詩にでてくる大臣(伯爵)の名前で,これから類推すると「王に反逆し,王を欺いていた人物」を指していると思われます.従って,この最後の行は,王に反逆したもの,すなわちサタンが,王を盲目にすることを表していると解釈できます.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学44 投稿者:比丘 投稿日:2001/11/27(Tue) 08:23

----------1999----------その2---

こうした中,預言詩は,教祖に突然ある変化がでてくることを預言しています.
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3.91
長い間枯れたままのしおれた木が
ある夜再び緑になり
かの王は病気になり,足を縛られ
敵たちを恐れて,彼は船を元に戻すだろう
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3行目に「彼の王」とあることから,この詩も教祖のことを述べたものであることが分かります.終末が近づいても,まだサタンに支配されたままの教祖が,ある日突然よみがえると言っています.これについてはこのすぐ後検証していきたいと思います.まずは詩の解釈を続けましょう.そのころ,教祖は病になって,外を出歩くことが出来にくくなることが起きることも預言されています.また,教団に敵対する勢力を恐れて,やり方を元に戻そうとすることが預言されています.もちろんこれらは本質的なことではなく形だけのことであることが,詩の雰囲気から見て取れます.
 さて,以上の準備の下に,最も有名な詩10.72に入っていきたいと思います.この最も有名な詩は,従来,大災害のことを言っていると言われてきましたが,そのようなことは全く根も葉もないことであることが分かってくるでしょう.また以前に解説しましたように,ノストラダムスは,この詩を秘すように神(バルカン神)から命じられています.実際霊言でも,この詩の解釈はごまかして言っているようです.ほとんどその当時,ノストラダムス本で言われていた災害の予言としての解釈を踏襲しており,読む人に「なーんだ」という印象を与えたと思います.(実際それらの解釈が,はずれたのは今となっては明白ですが.)
 さて,この詩がでてくるのは10章(巻)ですが,面白いことに10.72を挟んで10.71から10.75までの詩はすべて幸福の科学を言ったものであり,10.72以外はすべて,ここで解説してきたものです.それらは,メシア出現,霊言集の発刊から,エルカンタレ際,教祖の変質までを述べたものが入っています.ノストラダムスは,予言詩をバラバラに配置してわかりにくくしたと,序文でも述べているように必ずしも,連番で幸福の科学の詩が並んでいるわけではないのですが,この様に配置されていることは,この詩10.72がいかに重要かを表しているといえます.実際,10.72が教祖のことを言っていることが,この事実からも,一つの証拠づけに成っているといえます.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学45 投稿者:比丘 投稿日:2001/11/27(Tue) 08:30

----------1999----------その3---
 さて,それではその詩を見てみましょう.
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10.72
1999年7の月
天から驚くほど強い恐ろしい王がやってきて
アンゴルモアの大王をよみがえらせ
その前後マルスが,嬉々としてして支配するだろう
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なお2行目の恐ろしい王は「恐怖の大王」と世間では呼ばれることが多いようですが,天の「主計大王」と訳される場合もあります.この方が意味が通るのですが,慣例に従って,恐怖の大王をとりました.
 さて,いつものように,まず隠語を解釈してみましょう.すでにこの詩が幸福の科学に関連していることは,連詩になっていることから明らかですが,それを別にしても,隠語アンゴルモアにより,教祖を表していることは明白です.なぜならノストラダムスの当時この言葉は有名なものであり,誰もが理解したものであるからです.
 アンゴルモアとは,英仏間で繰り広げられた100年戦争(1339-)で,飢えに苦しむ多くのフランス農民を救うためフランス東北部のアンゴルモアでおきた正義の反乱決起がありますが,その地名です.問題は,この反乱が最初は正義の名の下に始まったものの,グランドサタンの異名をもつ人物が首領となったとたん,正義の反乱軍が逆に守るべき民衆を襲う盗賊集団になってしまうところにあります.すなわち平和を大義名分に乗り出したアンゴルモアの乱がグランドサタンをアンゴルモアの大王に据えた瞬間から農民の敵に大変貌してしまったことになります.(飛鳥)
 これは,この予言詩のテーマでもある幸福の科学が,最初神理を普及する人々を救うための団体としてスタートし,その後大変質がおこり,人々を救うはずの団体が逆に神理をまげ,教団の人々を苦しめる団体に変貌したことと重なります.こうして,アンゴルモアとはサタンに支配され,教団を変質させた教祖の姿にぴたりと重なるため教祖を指しているといえます.
 もう一つの解釈は,アナグラムです.すなわち,アンゴルモアはモンゴロイドを表しているという解釈もあります.そうするとアンゴルモアの大王はアジアの大王,すなわち釈迦を表していると考えられます.どちらの解釈をとるにしても,結果は同じです.
 そうすると,この詩の解釈はもう明白です.それは上で述べた,3.91の「長い間枯れたままのしおれた木が,ある夜再び緑になり....」により説明されている事件の内容を言っています.解釈は以下のようになります.

(10.72の解釈)1999年の7月に,天から最強の主(バルカン神:高橋信次)が降りてきて,教祖である釈迦意識をサタンより解放しよみがえらせる.そのため前後してミカエル(マルス)が力をふるってサタンを封じ込め地を支配する.

 こうなります.しかし本当にそのようなことが起きたのでしょうか.これを以下で検証していきたいと思います.その前に,例によって,この詩を補完する他の詩を探してみましょう.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学46 投稿者:比丘 投稿日:2001/11/27(Tue) 08:36

----------1999----------その4---
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1.56(池田Iより)
遅かれ早かれ,諸君は見るであろう,大異変が起こるのを
最後の,そして恨みがましい多くの恐怖を
もし月が彼の天使に導かれるならば
天は大きな愛をもって近づいてくるだろう
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月は,前にでてきたとおり「間違ったもの」を意味するので教祖を指す.彼の天使とは,ミッシェルノストラダムスのミッシェルは大天使ミカエルを表すから,ノストラダムスの諸世紀と考えることも出来るが(池田I ),もっと素直に「恐怖の大王」と考えてもよいであろう.
 この詩は,人によって早い遅いの違いはあるにせよ,幸福の科学の大変質を人々は見ることになることを予言しています.そしてそれは,信者に与える最後の恨みがましい恐怖となる.しかし,もし(1999年7月に)教祖がこの諸世紀の予言を理解するならば,....あるいはもし教祖が高橋信次霊に導かれるならば,天は寛容の心をもって再び教祖をバックアップするであろう.ということも予言しています.
 さて,それでは実際に1999年7月に起きた出来事を見てみたいと思います.実際私もこの詩の解読はすでに,ずっと以前にすんでおり1999年を待っていたのですが,情報がありません.何度も家族に尋ねたのですが,休眠会員ではなかなか情報は手に入りません.それで2000年をすぎるまで,なにが起きたか知ることは出来なかったのです.
 ある日,家族がかけたテープを耳にするまでは...その日,休みでくつろいでいると,家族がテープを回しています.聞いてみると,何年ぶりか,長い間ずっと聞いたこともない教祖の講演テープのようです.「またか...まぁ.なにを言っているか,聞いてやるか」,と思って聞いていると,...なんと,懐かしい波動が...明らかに教祖の考えとは異なる,そして懐かしい心に入る内容です.聞き終えて,すぐにテープを確認すると,1999年7月職員への講義となっています.これだ!こうしてノストラダムス予言が成就したことを知ることが出来たのです.そして,その講演タイトルは「サクセスマインド」(成功の法)です.これが,運命の隙間を縫うような天の努力によってなされた,地球最高主神・高橋信次による最後の啓示,主宰神の愛のあかしだったのです.なぜこの様なことが多大な努力によって成就されたのかという意味については後で考察することにして,講演内容の要点を刊行本「奇跡の法」から要約してみます.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学47 投稿者:比丘 投稿日:2001/11/30(Fri) 09:38

----------1999----------その5---
 1999 7月 ご生誕祭(テープより)

サクセスマインド
 いま,日本および世界において必要とされているものは,成功への大きなうねりであり,波動であると思います.
 そこで「サクセスマインド」と題してお話をしたいと思います.
人生には不遇の時もあれば好調の時もあります.
 しかし,いったいどちらが,本当の世界であるかということを,心に深く思ってみる必要があるのです.
 地上に生きている人間は,すべて,霊天上界からこの世に生まれ変わってきた存在です.
 天上界においては,霊界の太陽ともいうべき霊太陽の光を受け,調和とエネルギーに満ちた世界の中で生活していたのです.
 人間は,その天上界からこの世に一人残らず生まれ変わってきたのです.
この世を去った世界の中には,地獄界という暗黒の世界もありますが,この世界は実を言うと,実体化した世界とはいえません.この地獄界からは地上に生まれ変わることはできません.
 それは,光を拒絶した人たちが巣くっている場所でありちょうど,どんなに強い太陽の光線が当たろうとも,洞窟の中,洞穴の中には光が差さないことと似ています.暗い世界を好む人たちがそこに生息しているのです.
 なぜ,彼らは,そうした暗い世界に生息しているのでしょうか.
それは根本において考え方に誤りがあるからです.その誤りとはいったい何であるか.
 それは「自らもまた光の子である」ということを忘れ去った人生を生きたことです.
 この地上で生きた数十年の,その間,自らが光の子であるということ,仏の子であり神の子であるという真実を忘れて生きたために,あの世にかえってその光がまぶしくて,自分の住み場を見つけることが出来ずにいるのです.
 そして,光を遮る「物質の砦」を欲しているのです.
あの世においては悪想念の雲をつくって仏神の光をさえぎって,暗闇の中で生活し,この世に生きている人たちの心の闇の中に巣くって,そしてまた,この世へ還ってこようとしています.
 それが真実の世界認識であります.
さすれば,私が皆様に申し上げたい成功とはいったい何であるかが,お分かりのはずです.
 それは,この世的なる成功理論,この世的なる栄達の理論ではありません.
人間が光の子として,本来の使命に目覚めて,見事,今世の試練にうち勝ち,光の仲間たちから「よくぞ使命を果たした」と言われるような生き方をすることです.
 そうした生き方が求められているのです.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学48 投稿者:比丘 投稿日:2001/11/30(Fri) 09:39

----------1999----------その6---
世界の真相は,私が手短に語ったとおりです.
しかし,物質文明は非常に発展し,繁栄しているように見え,また科学技術が進んだために,あるいは医学の技術も進んだために,神の領域まで,もはや解明されたかに誤解している人たちが増えています.
 彼らは,この世においては頭脳優秀な人々でありましょうが,真実の世界から見るならば,きわめて哀れな知恵しか持っていないと言わなければ成りません.
 智慧とは,人生をよりよく生きていくための力です.
もし人生を破壊し,狂わせるための知識を智慧と呼ぶならば,それは間違ったものであると言わざるを得ません.
 知識は増え,物質的な繁栄はますます盛んになっている様に見えますが,そこに必要とされているところの「真実の智慧」が忘れ去られています.
世界人類の教師といわれた,ソクラテスや釈迦,イエスの時代が,もう二千年以上も昔のことになってしまったので,そして彼らが太古の人間であると思われているために,現代人はうぬぼれ増上慢になっています.
 真実はいつも単純な中にあります.単純なところに真実があるんです.この宇宙はきわめて単純な原理で成り立っているのです.
 人々も,そしてすべての生き物,万物も,根本仏,根本神の思いによってできあがっています.その思いによって具象化した世界なのです.
 その世界の中において自由意志を与えられ,生命として存在しているのです.
 その一時の間,仏や神の目から見れば一瞬とも言うべき,わずか数十年か百年の間,自由意志のままに生きることが出来るけれども,それが根本の成り立ちに反し,根本の意図に反する場合には,真実の幸福からはほど遠いと言わざるを得ないのです.
 みなさんは,常に根本に立ち戻らねばなりません.根本に立ち戻って「信仰なくして,真実の信仰なくして成功もなく繁栄もない」ということを知らねばなりません.
 悪の勢力がこの世において繁栄を謳歌しているように見えても,決してひるんだり,くじけたりしてはなりません.
 真実というものは強いものです.強固なものです.それは二千年の歴史でもつぶすことが出来ないほど強固なものです.
 真実の言葉は強いものです.その強い言葉に基づいて,あなたがたは,自らを律し,生きていかねばなりません.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学49 投稿者:比丘 投稿日:2001/11/30(Fri) 09:39

----------1999----------その7---
 真実の成功をこの世において収めること,それは難しいことではありません.みなさんが宇宙の法則と一体になっていききることです.そして,宇宙の法則と一体となって生ききった証明が「最高に自分を多くの人々に与える」ということです.
 「最高の自己を差し出す」ということです.
この世においては,ものは与えれば与えた分だけ自分から減るように見えます.
 しかし,霊界の法則においては,与えれば与えるほど,その人が益々富むようになっているのです.
 「与えれば与えるほどに,与えられる」問いのが霊界の法則なのです.
成功も,また同じです.「常に最善のもの,最高のものを,より多くの人々に差し出そう,提供しよう.そして,より多くの人々の人生に貢献しよう」と願っている人の人生こそ,最高の成功で彩られるのです.
 利己心に出発するのではなく,利他の,愛他の思いで生ききることです.
「より多くの人に最高のものを与えきろう」と思って生きることです.そこに創意も生まれ,工夫も生まれてくるでしょう.
 成功とはそのようなものです.
 まず,信仰心なくして成功はないということ,そして,この大宇宙というのは,実は豊かな創造のエネルギーで満ち満ちているということを知るということ,そしてそれが仏の子であり神の子である,あなた方一人一人の本質でもあるのです.
 それが本質であるからこそ,その豊かな成功を呼び込むには,ごくごく素直な考え方をとり,その本当の仏性のままに生きていくことが大事であるということをしることです.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学50 投稿者:比丘 投稿日:2001/11/30(Fri) 09:40

----------1999----------その8---
----成功の言霊-----
仏神の心にかなった成功を求めてください.
強く願えば,必ず強く現象化し,現れてくるでしょう.
その願いを持ち続けてください.
持続することが大事です.
心の中に強く刻み,イメージし,
仏国土ユートピアが地上に出現することを,
そして,あなた自身がその担い手となり
力強いリーダーの一人となることを
願ってください.
成功のイメージを心に抱き続け
しかも,勤勉に努力すること,創意工夫を忘れないことです.
不遇をかこったり,挫折や困難にひるむことなく
なんどでも,なんどでも立ち上がり,挑戦していく
そのような気概が必要とされています.

仏神はあなた方の不幸を願ってはいません.
みなさん方を苦悩や苦しみのなかにおいておきたいと
願っているわけではありません.
常に,真実と成功と繁栄の中を突き進んでほしいと願っているのです.

目の前に,もし,悪しきものが現れているとしても,
負けてはなりません.
必ず,自らの光によって,その闇を照らし,消していこうと
強く決意しなければなりません.

みなさん
本当の意味において,やる気のある人間になってください.
みなさん自身が生きていることで
周りの人がやる気になるような,
そういう生き方をしてください.
それが,この世を光明化していく第一歩なのです.

失意に沈んだり苦悩に打ちのめされて,そのままで
人生を終わってはなりません
環境のせいにしてもなりません.
運命のせいにしてもなりません.

暗い想念と戦うことです.
明るく建設的な思いでもって,
持続的な思いでもって
そして信仰心でもってみずからを励ましてください.

常に最高の自己を世の中に差し出す
自分の最高の光を放ち続ける,そのことを
願い続けてください.

それがサクセスマインドであり,それが
全世界の人類が,いま持つことを要請されている心構えなのです.
         (以上)


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