熊公の独り言 V




◆ 横山 祐弘さんにお会いしました ◆
 8月23日・24日の1泊2日で職員研修旅行へ行ってきました。研修をかねた職員旅行です。昨年来コースを「袋田の滝にしない?」と、アプローチしてきましたが、今年それが採用されました。
 金砂郷地区の蕎麦、久慈川、袋田の滝を見学し、翌日は梁漁を見学し、水郡線に沿って水戸、那珂湊へ出て、見聞を広めると共に親睦を深めます。熊公にはもう一つ、袋田温泉に泊まれば別行動で熊公の鍛冶作業のバイブル『鍛冶屋の教え』の横山 祐弘さんにお会いできるかも知れない・・・・。これを期待して今回は行きました。
 デジカメ・「鍛冶屋の教え」の本・最新の積層ナイフを持って研修に参加しました。

 
竜神大吊橋 橋長:375m 高さ:100m              お馴染み日本3第名瀑 袋田の滝

 早く宿に着かないかな・・・・。こればっかり考えていました。宿には4時頃に入りました。夕食は6時から、熊公に与えられた時間は1時間半程です。部屋付きの仲居さんに『盛金』までどれくらいかを聞きましたら、車で15分位とのことでした。同じ部屋になった同僚は「ここまで来てるんだから行った方が良い!!」と、後押しをしてくれました。そこで、万が一夕食時に遅れたとしても心配しないように伝えて貰えるように手配して、フロントへ急行しました。タクシーを呼ぶに当たって、場所が分からないことを伝えたところ、ちゃんと手配してくれて、この地域を知り尽くしている運転手さんを呼んでくれました。
 タクシーに乗り込み、住所をお見せして、「盛金の鍛冶屋さんの横山さんお分かりでしょうか・・・・?」と聞くと、ちゃんと知っていて下さいました。道々お話しをしていると、もともと畑仕事・山仕事をされている方で、鍛冶屋さんに鍬のサキガケをして貰ったり、鎌を打って貰ったりされた経験をお持ちの方でした。ですから、横山さんのことを知っておられ、一発で横山さんのお宅に連れて行って下さいました。
 事前にお伺いすることをお伝えもしていませんから、お留守かも知れませんし、お留守でなくとも、大変に失礼なことです。お話ししていただけるか心配もありましたが、お留守で有れば鍛冶小屋の写真を取れれば良いし、横山さんのいらっしゃる場所に立てればいい・・・・。そんな気持ちでお伺いしました。

 熊公のホームページを良く読んでくださっている方には『横山 祐弘さん』、『鍛冶屋の教え』が熊公にどういう存在であるかご承知かと思いますが、今一度ここに紹介します。
 熊公の生まれた岩手県 雫石の母の実家の前は『野鍛冶』、隣は『蹄鉄鍛冶』という環境でした。小さい頃から固い鉄が面白く変形することを興味津々眺めていました。中高生の頃は男の子ならみんなやるであろう、釘をナイフにするようなことをして、鍛冶屋気分を味わっていました。鍛冶屋に興味はありましたが、技術を知る術もなく記憶の隅に置かれほこりをかぶった状態でいました。
 そんなある日、1999年確か5月のことだったかと思います。銀座に行ったおり、フラリと立ち寄った書店で『鍛冶屋』という文字が目に飛び込んで来ました。これが『鍛冶屋の教え』という本です。勿論すぐに購入して、隅から隅まで読みました。そうすることで、今まで心の隅に埃をかぶっていた鍛冶に対する思いが、グングンと膨らみ七輪から鍛冶作業をはじめたのでした。
 この本の編者は『かくま つとむ』氏です。鹿熊氏は久慈川上流の山方町 盛金にお住まいの『横山 祐弘』さんから鍛冶作業のいろはを取材し、編集されたのでした。
 現在、熊公は埼玉県 上尾に鍛冶工房を持ち作業をしていますが、この原点はこの本にあるわけで、横山さんのお話がなければ現在の熊公は居ないわけで、おそらくホームページも作っていなかったと思います・・・・。

 タクシーが横山さんのお宅に着いたのは4時50分頃でした。横山さんは丁度作業を終えられて、手を洗っておられました。奥様は病院に行かれて丁度帰ってきたところで、お二人して玄関の所にいらっしゃいました。まずは、ご不在じゃなかったことにホッとしました。
 突然にお伺いしたご無礼をお詫びし、『鍛冶屋の教え』によって鍛冶作業を始め、工房を持つに至ったことをお話しして、感謝の気持ちをお伝えしたく参上したことをお話しすると、快く受け容れてくださいました。
 自分が『鍛冶屋の教え』によって七輪から鍛冶作業を始めたことをお伝えして、どんな気持ちで鍛冶作業を続けて来たか、そして工房を持つに至ったことをお話し、退職後は鍛冶屋になるつもりであることをお話しして、最新の85層積層材を地金としたナイフを見ていただきました。
 「良く鍛えてありますね、これを作るのは大変だ・・・・、立派に出来ていますね!!
と、熊公にとっては勲章を頂くような感動的な評価を頂戴することが出来ました。このナイフ、やっぱり永久保存です。鍛冶作業の技術革新を行った第1号のナイフですし、何て言ったって横山さんが手にされたナイフです。熊公にとっては国宝級のナイフになりました。
  
横山さんにナイフを見ていただく   このナイフは誰にも渡しません・・・

 続いて、『鍛冶屋の教え』の本にサインをしていただきました。最初の本はボロボロ状態になっていますから、2冊目の本です。この本も宝物にします。

   
鍛冶作業のバイブルに サインをしていただきました

 勿論、ご一緒に写真も撮らせていただきました。そして、色々お話を聞かせていただき、鍛冶小屋も見せて頂きました。『鍛冶屋の教え』の中にもあった、戦争中のお話もお聞きすることが出来ました。「ずっと貧乏鍛冶ですよ。でも、この仕事をしてきて良かったと思う・・・・」と、お話し下さいました。御自分のお仕事に対する誇りをしっかり持っておられることを感じました。
 熊公が鍛冶屋になりたいと思っていることを話すと、「ものを作る事は良いことですよ・・・、おやりなさい。」と、言って下さいました。

 
           記念撮影                    横座に入っていただき撮らせていただきました 

 
鞴と火床の様子                         物を作り出す金敷

 
       金敷回りにおかれたヤットコや鎚          翌日の作業のために準備されているサキガケを待つ鍬

 「横座に立っていただき写真を撮らせて下さい。」と、言うと、「『横座』か、鍛冶屋の言葉だね、最近は使わないね・・・・」と言いながら、笑顔で立って下さいました。そして、色々道具の説明をして下さいました。
 何より嬉しかったのは、写真にあるように、サイガケ(サキガケ)をするために準備してあるものを見られたことです。横山さんが現役の鍛冶屋さんであること、近隣の方にサイガケ(サキガケ)をして道具を使われている方々がおられる事を知れたことです。
 アッと言う間に時間は過ぎていきました。30分くらいお話しできました。奥様が最後に「あなた、あの本作るの何度もお断りしたけれど、やっぱり作って良かったじゃない、こうして、鍛冶作業を志す方が生まれたんだから・・・・」と、話されるのを聞いて何だか嬉しい気持ちになりました。
 「ワシは86才になったし、あと1年か2年位しか仕事は出来ないかも知れません。あんまり時間がたつと顔を忘れてしまうし、また遊びに来て下さいね・・・・。」と、横山さんに言われて心がジ〜〜〜ンとしました。今度お伺いするときは鍛冶作業を見せて頂こうと思っています。

 
       鍛冶小屋前で                     最後までお見送りをして下さいました・・・・

 最後に握手をさせていただきました。職人さんの手、鎚のタコでゴツゴツとした手はとっても暖かくて、優しいものを感じました。お別れをして、タクシーに乗り込み見えなくなるまでお見送りして下さいました。本当に貴重な30分でした。

 タクシーの運転手さんも良い方で、30分待っていて下さる間、メーターを止めていて下さいました。宿に戻るときも鍛冶屋さんが地域に大切な存在であったことを話して下さいました。往復に掛かった運賃は8600円程でした。高い!!とも言えますが、熊公にとっては貴重な貴重な時間のための費用です。
 5時45分頃に宿に戻り、夕食に間に合いました。夜は、横山さんと握手したときの手の感触を思い出しながら、30分の貴重な時間のことを思い出しながら床に着きました。
(2007.08.24.)






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