熊公の独り言 V




◆ 教会の献堂50周年 ◆
 2009年11月29日(日) 待降節第一主日です。教会の暦はこの日が新年となります。クリスマスに向けての準備が始まる日です。クリスマスは、ただパーティーを開き、美味いものを食べ、飲み、プレゼントを交換する日ではありません。この第一主日には終末を考える福音が読まれます。待降節はクリスマスに向けて、キリストが何故 人として来られたかということ、そして、再臨(終末)について考える期間です。

 熊公の通っている教会は『聖アンドレア教会』 聖アンドレアという聖人はキリストの12人の弟子の1人、初代教皇となった『聖ペトロ』の弟で、ガリラヤ湖で漁師をしていた方です。この方の祝日は11月30日で、もっとも待降節に近い日がお祝い日です。と言うか、待降節は11月30日に一番近い日曜からスタートすることになっています。

 この教会は1959年に建てられました。教会自体のスタートは1959年4月5日ですが、聖堂が建てられたのはその年の11月3日でした。終戦後14年経ったときですが、この教会は同じく敗戦で国中がメチャクチャになったドイツ ケルン教区の信者さん達の献金によって建てられました。実は沢山の教会がケルン教区の献金で建てられています。
 ケルンの人たちは、自分たちの国もメチャクチャになっていたわけですが、「日本のカトリック教会はまだ基盤がしっかりしていない、我々の教会の再建は後回しにして、日本の教会を助けよう。」と言うスローガンを立て献金して下さったのです。日本のキリスト教禁教令の廃止は明治6年(1873年)です。当時まだ86年くらいしか経っていないわけでした。

 その献金によって建てられた熊公の教会も50年が経ちました。聖アンドレアの祝日に最も近い日曜日にお祝いをしようと準備してきました。3年前、熊公は献堂記念事業の企画検討委員会に参加しました。そして、熊公のオフクロ様は検討委員から引き続き、企画委員→実行委員となり、実行委員長として頑張ってきました。50年この教会にいる家族は2〜3家族しか有りませんので、白羽の矢が立てられたわけです。オフクロ様としても「最後のおつとめ」と言う気持ちで頑張っていたようです。熊公は裏方でサポートする役割を持ちました。

    
   熊公の教会です                 松谷師作 聖アンドレア像

 熊公はこの教会がスタートしたときからこの教会で生活しています。3歳の時からです。自分の人生とこの教会の歴史はピッタリ重なっていると言っても良いのです。大切な教会です。

 29日は朝9時から準備しました。委員やボランティアは前日も会場準備をして下さっていました。大体準備が出来た時点で聖堂でしばらく黙想していましたが、お世話になった初代主任司祭の事、子供達の洗礼のこと、妻との出会い、オヤジ様の葬儀、幼い頃の教会学校のこと、既に帰天した恩人達のこと、次々に色々と思い出され、その全てに感謝しました。

 ミサの時刻が近づいてくると、転居等で他の教会へ移られた方達がどんどんこられ本当に懐かしい気持ちでいっぱいになりました。30年会っていなかった方もいらっしゃいました。握手して互いに健康を気遣い・・・。涙が出てくるくらい嬉しい事でした。

 記念ミサは午後1時から、東京教区教区長、岡田大司教の司式で、沢山の神父さん達も駆けつけて下さり、盛大に行われました。

 
    聖堂内 静かな空間です                盛大に行われた献堂50周年記念ミサ

 ミサ後は記念撮影、上手く撮れていると良いです。プロのカメラマンが撮りましたから大丈夫でしょう。

 記念撮影後は祝賀会です。久しぶりの方達と語らいました。また、懐かしい神父様方ともお話しできました。初代主任司祭は既に帰天されていますが、この神父様の人形がこの50周年の活動で見つかりました。お人形を作られるのを趣味にされた方が作られたと言うことです。ちょっと目がお人形さんぽいですが、雰囲気は懐かしい神父様そのものでした。
 この神父様は水戸徳川家の血を引かれた方で、厳しい方でしたがユーモアーもあり、お酒が大好きな方でした。一番お世話になった神父様です。「先祖がキリシタンを弾圧したから、こうして俺が神父になって神様にお詫びするんだよ・・・」なんて笑わせてくれたことを思い出します。大好きな神父様でした。

 
   ミサの最後に挨拶をするオフクロ様               パーティーでは子供達が演奏して歌いました


懐かしい徳川神父様

 神父様の人形、髭を生やされています。実はこの後、当時の東京教区教区長の土井枢機卿に「髭を切りなさい!!」と言われ、髭を落とされました。これは貴重な当時の神父様をあらわしています。

 天気が心配されていましたが、ミサが始まる頃まで青空、祝賀会の頃少し雲が出たものの素敵な天気を頂きました。50周年記念事業は去年の11月30日から『記念イヤー』としてこれまでやってきました。これまでの献金は我々がケルンから援助を受けたように、ミャンマーの教会に送金することにしています。
 5月には曾野 綾子先生をお呼びして講演会を開きました。10月にはチャリティーコンサートとしてヴァイオリンのコンサートを開きました。また、ケルン教区にこうして50年が経過したことを感謝し手紙を送りました。そして今日の記念のミサです。
 私自身はオフクロ様の相談役、書類作成を中心に、記念品としたガラスのペーパーウエートの発注などをお手伝いしました。こうやって記念のミサ・祝賀会を終える事が出来たこと、本当に嬉しいです。


片付けを終え現主任司祭から委員・ボランティアにねぎらいの言葉を頂きました

 5時半頃祝賀会の片付けも終わり、それぞれ分担してゴミを持ち帰り処理する手はずを整えて、委員・ボランティアみんなで集まり、現主任司祭からねぎらいの言葉を頂きました。これで50周年の記念事業は記念誌と教会ニュースの特別号の発行を残すのみとなりました。
 今日は教会と共に生活してきた50年をしっかりと見つめ直しました。やっぱり半世紀というのは凄いことです。25周年を運営した方達はオヤジ様を含めてほとんどの方が帰天しています。75周年の時にはオフクロ様のように活動出来るか心配です。
 熊公はこの教会で自分の葬儀を出してもらう事になると思っています。この教会と最後まで共に生活していこうと思っています。

 帰宅後すぐに食卓の上に置くクリスマスリースを準備して、1本目のローソクに火をともし、家族で待降節に向かう心を作り、今日の記念ミサ、祝賀会の成功を感謝しました。そして、シャンパンを開けてオフクロ様にご苦労様をしました。
(2009.11.30.)






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