熊公の独り言 V




◆ 山陰・北陸 親子旅 ◆
 この夏は一人で旅行へ行くつもりでいました。目的地は島根県 安来の『和鋼博物館』と福井県 武生の『越前打刃物会館』です。途中、出雲大社や島根県立出雲歴史博物館、余部鉄橋、天橋立、永平寺に立ち寄る予定で計画していました。ダメ元で一緒に行く人を家人に募ったら、次男が手を挙げてくれました。そこで、親子2人旅となりました。
 旅程は8月10日の夜出発して14日の深夜or15日早朝に帰宅という計画です。お盆の帰省ラッシュのど真ん中の行動になりますから、渋滞は覚悟です。ただし、今年は渋滞が分散するという少し明るい情報もあり、渋滞予測では大阪 吹田辺りで15kmくらいの渋滞にであう程度でした。9日まで夏期学校引率でしたので、10日はその渋滞の変化を追いかけながら、準備をしていました。
 下の地図は今回のルート図です。赤い線が車で走ったコース。オレンジ色は次男が鉄道で移動したコースです。往復のコースと宿を共にして、あとは別行動というちょっと面白い旅です。学生時代、須賀川の伯父と行き当たりばったりの旅を楽しんだこと思い出す旅行になりそうです。




◆第一日目◆ 8月10・11日(金・土)  840.9km

 10日は夜10時30分頃に出発しました。新東名を走りたいので、中央道コースは取りません。出発前にコンビニで飲み物、食べ物を購入し首都高に乗りました。少なくとも東名までは順調にいけるかと思ったのが大間違いでした。首都高中央環状線に入ってすぐに渋滞に巻き込まれてしまいました。そこから厚木まで断続的ですが渋滞が続きました。30kmくらいでしょうか・・・。
 厚木から先は上手く流れてくれて、新東名に入る事が出来ました。雨でしたが走りやすい道路でした。ところが三ヶ日JCT手前、『浜松いなさ』辺りから20kmの渋滞に巻き込まれ、次は音羽蒲郡までおよそ40kmの渋滞。その後は上手く流れて、豊田JCTから伊勢湾岸道に入りました。木曽川までは調子良かったですが、四日市JCTまで18kmが最悪の渋滞、止まって動かないことがしばしば・・・。18kmを3時間かかりました。東名阪道 亀川JCTで新名神高速に入り、この辺は上手く流れました。
 次男が同乗していてくれて良かったです。ネットで情報を取り、このまま名神高速を使うと吹田まで20km、その先中国道が西宮山口まで20kmの渋滞ですから、更に40kmの渋滞となります。そこでルートを色々検索して、東名高速 瀬田東JCTから京滋バイパスで久御山−第2京阪道で門真−近畿道で吹田に出て、20kmの渋滞を回避することにしました。これは大正解でした。大体、20kmの自然渋滞の場合2時間程度です。事故があると???
 吹田に出た時には11日の午後3時過ぎでした。中国道で順調に走り出すことが出来るようになったのが4時半頃です。東京−兵庫間で18時間掛かりました。渋滞は延べで『128km』この渋滞区間通過に14時間を要しました。当初の予定では東京−出雲間を12時間と考えていましたが、考えが甘すぎました・・・。

 最悪、一日目の宿泊地『日御碕』に深夜到着も覚悟しました。1日目の予定は移動のみに使う事になり残念でしたが、次男が懸命に情報をゲットしてくれた御陰で2時間は短縮出来ました。また、渋滞の中で色々語り合えましたし、普通ならあっと言う間に通り過ぎてしまう場所もゆっくりと見て歩けました。そういう意味では楽しくもありました。しかし、何より120kmの渋滞を経験すると4〜5kmの渋滞は大したものでなく思えるようになるのは収穫であり、不思議です。

         ◇◇渋滞時の心得◇◇
 一、ガソリンは半分になったらすいている場所で給油すべし。
 一、飲み物・食べ物・眠気留めを忘れるべからず。
 一、トイレもすいているPAが有ったらすますべし。
 一、道路公団の情報はネットよりも不正確、情報は自分で探れ。

 道路公団の情報で何で?と思うことが度々ありました。既に渋滞に巻き込まれ、この先10kmは渋滞があるのに、「この先1kmの渋滞です・・・」 という情報を流しているのはかえってイライラ感を増すものでした。そこで次男に情報を収集して貰ったわけです。
 コース的には流れ出した辺りが2/3の地点、あとはぶっ飛ばして走りました。少々スピードオーバーですが110km/hで出雲に向かいました。蒜山高原SAで最後の休憩を取り、米子に一目散です。米子で中海に沈む夕日を見ました午後7時です。山陰道が断続的でも繋がってくれていましたので時間が稼げました。日御碕に到着したのは8時半でした。22時間の連続運転でした・・・。840.9km 平均時速 38.22km/h 自転車より若干良い程度のスピードで出雲までやってきました。


一日目の夕食

 すぐに夕食にして貰いました。マツバガニの他に海鮮が一杯、美味いビールとお酒でした。夕食摂ったら、そのままバタンキューでした。それこそ、不眠不休運転でしたからね・・・。


◆第二日目◆ 8月12日(日)  217.9km (1058.8km)

 二日目はまず日御碕神社へ行きました。宿は鳥居のすぐ前、朝の神社は気持ちが良いものです。
 次に日御碕灯台へ、綺麗な灯台でした。でもあまりゆっくりは出来ません・・・。

   
    日御碕神社                           日御碕灯台

 神社灯台を見学後は出雲大社へ、まずは県立歴史博物館へ行きました。ここは写真撮影可、嬉しいです。荒神谷遺跡から出土した358本の銅剣、16本の銅矛、6個の銅鐸群、加茂岩倉遺跡から出土した39個の銅鐸群。一度東京で見ましたが、現地で見るのはやはり違いますね・・・。また、前日夜に『荒神谷トンネル』を抜けましたが、その周辺は真っ暗闇、古代の人々はこの暗さを毎日経験していたのだと思います。そこに何か畏敬するものや、隠しておくべき何かを感じていたのだと思いました。

 
  荒神谷遺跡の銅剣群                      加茂岩倉遺跡からの銅鐸群


大正時代に安来の横穴墓から発掘された金銅装双龍環頭大刀

 大学時代に聞いていた金銅装双龍環頭大刀を見る事が出来ました。発掘当時鞘から刀身が抜ける状態で、錆の中に金属の輝きが見られたというもの。現在は研ぎが掛かっていますが、伝世品のような感じでした。上の写真は折れたように見えますが、撮影の仕方によるものです。

 
輝きを取り戻している刀身 昔の工人の鍛えが見て取れました・・・ 

 
                                   ちょっと気になっている蕨手刀 他

 
         直弧紋の入った柄の付いた刀子(復元)    古代の人が使っていた刀子 日常の生活に使っていたのでしょうね

 周りの人があまり気にしないような錆だらけの刀子や刀、鉄斧、釘を見てワクワクして時間を過ごしました。出雲はやはり鉄の文化を持った地域です。そこで蕨手刀を見てちょっと気になっています。蕨手刀は蝦夷の刀、俘囚となり、移住した地域には出てきますから、出雲にも蝦夷が移住させられたのでしょうか・・・。
 もっと時間を掛けて見学したかったです。また行こうと思っています。

 次に出雲大社へ、いの一番に行ったのは宝物館、刀を眺めてきました。それから神社へ

 
   出雲大社 拝殿                      歴博で古代の社を復元した模型

 出雲大社は現在改修工事中でした。博物館で見た千木の大きさにはビックリしました。古代にこの社が50m近く高い位置にあったとすると、見る人を驚かせたことでしょう・・・。現代のスカイツリーを見るような感じだったのでしょうか?
 県立出雲歴史博物館の駐車場では『神話博』と言うイベントをしていました。石見神楽など見る事が可能でしたが、ゆっくりしている暇はありません、ちょっと残念でした。
 次男とは博物館の途中で別れました。ここからは別々の行動、次男は一畑電車で松江に出て松江を見学し、鳥取で合流予定です。熊公は安来に出て、和鋼博物館を見学します。
 安来に行く途中でオフクロ様に頼まれている『しじみの佃煮』を購入、指定されていた会社のものをすぐに見付けられて良かったです。

 
   宍道湖                             安来 和鋼博物館

 
江戸中期のヒ                           1981年のヒ

 和鋼博物館の庭にヒが置かれていましたが、江戸中期のものと1981年のものを比べてみると、江戸期の方が岩のようにしまった感じがしました。どうしてでしょうか・・・。
 見学者はただ一人、ゆっくりと見学しました。撮影禁止が残念です。
 今回、予定では境港に行く予定でしたが、初日の渋滞22時間運転の影響で、今回は見学出来ませんでした。和鋼博物館の展望フロアーから境港方向を眺め、オヤジ様の戦争中の足跡を思い、鳥取に向かいました。

 
        和鋼博物館から境港方向 前は中海        白兎海岸 因幡の白ウサギはあの島から渡ってきたのかな?

 白兎海岸の所でみんな見学するからでしょうか渋滞がありました。おかげさまで写真を撮れましたが、向こうの島からウサギはこちら側に渡ったんでしょうかね。伝説のある土地を通過するのは楽しいですね。
 この渋滞と鳥取市内の交通量などを考えると次男を駅に迎えに行くのは無理と考えました。そこで、鳥取砂丘までタクシーを使うように連絡をして、砂丘で合流しました。ピッタリの時刻にお互い予定地点に到着でした。

 
  鳥取砂丘                            お目当ての風紋

 
たくましく子孫を増やす植物たち

 砂丘の所々には植物が生えていますが、おそらく地面の中に地下茎を伸ばして居るであろう植物や一斉に広がろうとする植物の姿を見ました。その中に相当離れた所に有る松の木から松ぼっくりが飛んで来ていました。こうやって松の木のような大きな植物も定着していくのでしょうね・・・。大自然の営みを感じました。

 鳥取砂丘で次男と合流して、そこからは一緒に余部の二日目の宿舎に向かいました。余部鉄橋の真下の宿です。高校時代に山陰を旅した時、この鉄橋にさしかかり、景色の良さとスリルを味わったことを思い出します。昭和61年12月の回送列車転落事故の現場まで30mくらいの場所でした。風速33m/sの強い北風で転落してしまったわけですが、南風だったら被害を受けている場所です。
 余部鉄橋はこの事故により安全性の高い箸へ架け替えられました。平成22年度からコンクリート橋梁になりました。
 宿に入りお風呂に入ってサッパリして、楽しみは夕食です。

 
二日目の夕食   焼きガニが付いてきました

 山陰はカニが必ず出てきます。美味いですね〜〜〜!! 更に地酒の『香住鶴』と言う清酒が美味いこと・・・。昔の2級酒の方が美味しいですよ!! と言われ、自分と義父のお土産としました。


◆第三日目◆ 8月13日(月)  218.7km (1277.5km)

 気持ちよい目覚め、天気も良くて、余部鉄橋から朝日が昇るのを眺めました。目の前は海、開放感に浸りました。朝食に食事を取る部屋に行ってビックリ、障子に余部鉄橋のシルエットが・・・。はじめは訳が分からず、どうして? なぜ? と思いましたが、窓と障子の間にジオラマがありました。
 余部の人たちの鉄橋に対する愛着を感じました。宿の方が、「安全になったんだから今の橋梁で良いのだろうけれど、何だか違うんですよね・・・」 と、話されている様子や、資料館の伯父さんの話など聞いていて、少し位安全じゃなくても、昔の方が良かった!! と思われているのが分かりました。

 
朝食を摂ったお部屋の障子に余部鉄橋のシルエットが・・・

 今日は朝食後から次男とは別行動です。次男は8時24分 余部発の山陰本線で天橋立に向かいます。熊公は車で向かいます。次男を見送って、道の駅がオープンする9時を待ち、余部鉄橋の部材で造った文鎮を長男・次男のお土産にしました。隣の資料館には部材の他に犬釘やボルトなどもあって、熊公はこれでナイフを造るため、ボルト3本と兄貴にお土産として犬釘をゲットしました。

 
 次男を乗せた列車                        ゲットした犬釘とボルト

 お盆ですから車の数は多く、主要な町に近くなると混で来ます。次男とは天橋立駅 11時05分に待ち合わせ、京丹後市内でちょっと時間を食いました。カーナビには距離優先で設定しましたので狭い道覚悟です。丹後大宮と言うところで、多くのおそらくは天橋立をめざしている車と分かれて山道に入りました。道は次第に狭くなり、対向車が有ったらどちらかが待避所にバックしなければならない道でした。その頂上で『一字観公園』と言うものがありました。ここは道が広くなったのでこの調子で降りれるかと思ったら・・・。すぐに道は狭くなり、登ってくる時よりもカーブがきつくなりました。

 
          狭い山道                     ギョギョ 何じゃこのカーブの連続は!!

 右に左にハンドルを切りながら下っていきましたが、『一字観』と言う言葉が気になっていました。しばらく降りていき、視界が開けたら、なるほどです・・・。


『一字観』ですね・・・

 このコースは天橋立を正面から見る事になります。写真のように天橋立が『一の字』に見えるという事ですね。その後も右に左にハンドルを切り、どうにか広い道に出ましたが、これで時間短縮になったものか・・・。確かに他の車には出会いませんでした・・・。
 次男とは1時05分頃に天橋立駅で合流ということになっていましたが、1時10分過ぎに到着し次男を乗せて駐車場さがしをしました。幸いすぐに見つかり、天の橋立を見学することにしました。
 まずは智恩寺・文殊の知恵の輪からです。知恵の輪は3回輪の中をくぐると知恵を授かると聞きますが、さすがに大人の我々は無理、そこで3回、周りを回ってきました。知恵を授けて下さい!!

 
   智恩寺                              文殊の知恵の輪

 文殊の知恵の輪のすぐ隣はモーターボートの発着所、2名の場合2500円との表示、貸し切りボートになるわけですから乗ってみることにしました。
 内海の『阿蘇海』を一周するコースです。モーターボートに乗るのは初めてのこと、そのスピードにワクワクしてしまいました。特に遊覧船が作った波を乗り越えていったりする時の跳ねる感じは楽しかったです。

 
乗ったボートとコックピット ジェット戦闘機に乗っているような感じ・・・

 
  情緒の有る船屋                        阿蘇海から見た天橋立

 計画していなかったモーターボート、ちょっとしたアトラクションでした。続いて天の橋立を歩く体験、自然の営みの妙を感じますね。今は科学が有るから理屈で分かりますが、昔の人は驚異・畏敬の念を持ったことと思います。

 
 外海に繋がる宮津湾                          天の橋立の松林

 天の橋立は半分位まで歩き戻りました。次はいよいよ『股覗き』です。ビューパーク『飛龍観』には、行きはモノレール、帰りはリフトを使いました。
 『○○観』と言う良い方、京都らしいかな? 説明を読むと、昔は今のように海岸縁を歩くことは出来なかったようで、海岸縁に来る場合は磯の飛び石伝いに来るしかなく、普通はこの『飛龍観』の有る山を越えてきたようです。この場所で初めて天の橋立を見下ろし、一服入れた場所いう事です。その時に飛龍のように見えたと言うわけですね。と言うことで、熊公は二方向の高台から天の橋立を見下ろしたわけです。

 
     『股覗き』                          反転して見える天の橋立

 ここで昼食を摂りました。天の橋立を眺めながらの食事は開放感がありました。宮津湾はアサリが有名という事で、アサリ丼を頼みました。食べてみると深川飯よりもサッパリとして美味しいです。やみつきになりそう・・・。一緒にアサリの串カツも注文しました。こちらはビールが欲しくなります。アサリのむき身を買ってくれば自宅でもできそうです。

 
アサリ丼 ミニ蕎麦付き                  アサリの串カツ ビールが欲しい

 飛龍観からの帰りはリフトで天の橋立を眺めながら降りてきました。ここでまた次男とは別行動になります。次男は京都駅に買い物をしに出て、サンダーバードで敦賀に戻ってくるコース。熊公は本来ならば下道で舞鶴に出て、若狭湾に沿って敦賀に出るのがベストですが、時間の節約も有るので、綾部宮津道路−舞鶴若狭道を使い小浜に出ることにしました。
 高速に入る前にコンビニによって、『カップうどん』を6個ほど購入、東京は『E』マークですが、関西は『W』マーク、味が違って、熊公は関西のうどんの味に軍配を上げています。蕎麦・ラーメンはそれ程変化無し・・・。

 高速に乗って『大江山トンネル』を抜けました。

     大江(おほえ)山 いく野の道の 遠(とほ)ければ
          まだふみもみず 天の橋立

                      小式部内侍

 天橋立は遠い場所だったのでしょうね。山また山を越えて、最後に寄った飛龍観に出る・・・。昔の旅は大変でしたね。今は車でどんどん行けますからね・・・。

 小浜に出て若狭路を走ります。途中『国分寺』が有ったり、古墳が並んでいたり・・・。この地域の歴史を感じてのドライブです。直線的な国道に遺跡群の直列、これは昔の官道では?と思いつつ運転していました。
 小浜は塗り箸が有名です。長男次男の箸は子供っぽく、オフクロ様・ワイフの箸はちょっと黄昏れてきているので、四人分をプレゼントに購入しました。安っぽいものはダメ、安物買いの銭失いになりますから、ちょっと良いものを購入しました。

 現在、日本で唯一稼働している大飯原発の有る半島を小浜湾越しに眺め、安全な稼働を祈り、三方五湖の海と湖とが接近している光景を見て走りました。最後は美浜湾の夕景を眺めつつ、美浜原発の近くまで走り、敦賀半島の山越えをして敦賀湾側に出て、今日の宿舎に着きました。5時でした。
 この敦賀半島には、美浜原発・敦賀原発・もんじゅ発電所の3つの原子力施設が集中しているところです。山越え時に高い送電線を眺めて実感しました。日本の原子力は今後どのようになっていくのでしょうか・・・。

 次男は敦賀到着が6時半頃、タクシーを使って来るので7時頃到着予定、夕食を7時にして貰い、ゆっくりと入浴して、テレビを見ていました。
 敦賀湾はフグの養殖が盛んなところという事で、宿舎の前でも養殖している様子が見えました。そこで、今日の食事はフグのコースでお願いしてあります。ワクワクです。

 
フグのコース美味かった・・・

 山陰・北陸はやはりカニが付きますね、3日間カニを食べました。美味しかった!!


◆第四日目◆ 8月14日(火)  655.2km (1932.7km)

 いよいよ最終日、楽しいことはあっと言う間に過ぎていきますね・・・。
 今日は気比神宮まで次男と一緒、そこで分かれて、最終目的地の『永平寺』で合流という予定です。熊公は永平寺に行く前に武生に寄ることになっています。

 
朝の敦賀湾                                気比神宮

 今日は天気が悪そうです。長距離運転をしますから、土砂降りだけはやめて欲しいです。気比神宮に寄ると、朝の清々しさが感じられました。ここの神社の関係者の親戚を知っているので、大きな神社ですが何だか親近感を持っています。
 神宮で分かれ、熊公は北陸道を使って『武生』に向かいました。

 雨がザーッと降ったかと思うとピタッとやむ、とにかく不安定な天候でした。まずは『越前打刃物館』をめざしました。ここは越前鍛冶の職人たちが集まっている工業団地のような場所です。スプリングハンマーを導入する時に浅井師に相談しましたから、出来ればその時のお礼をしたいと思っていました。でも、お盆ですから皆さんお休みでしょう・・・。

 
        越前打刃物会館                     打刃物の職人さん達が集まっています

 今回、自宅のグローバルナイフのペティーナイフ、研ぎ減ってきて居ますので新しく購入しようかと思っていました。どうせ購入するので有れば浅井師のペティーナイフをと思っていましたが、残念、会館には置かれていませんでした。ここの職員の方に話すと、ナイフビレッジの方に有るかもという事でそちらに回ることにしました。名刺を置いて、浅井師に東京からこんな男が来たことをお話し頂き、お渡し頂くようにお願いしました。その後、作業をされていないで有ろう職人さん方の工房を見て歩きました。
 すると、浅井師の工房で作業されている音が聞こえます。これは?と覗いてみると、弟さんが包丁の刃付け作業をされていました。お邪魔してお話を聞くことが出来ました。

 

 

 水研機を作ると良いことをお話しして頂き、その要領をお聞きすることが出来ました。また、クーラントを使う事で防錆出来ることは聞いていましたが、実際にそのように作業をされているのを拝見して、熊公もやってみようと思う様に成りました。鍛接を行っている話をしたら、「良くやるね、わしらはもうやらんね・・・。沸かし付けが出来るなら大したもんだよ。」と、嬉しいお言葉を貰いました。その他にも地金を黒くする方法とかお聞きして、ものすごく参考になる一時を過ごしました。
 まだ鍛冶作業を始めていない頃、東急ハンズで見た佐治武士さんの剣鉈、こんな剣鉈作ってみたいと心を熱くし、作業をする様になった今でも、創作のヒントを貰っている作品を作りだされている佐治さんの工房も外から見て来ました。
 熊公はナイフのことなんか全く知らずに鍛冶作業を始めましたので、また、ナイフマガジンの様なものも、必要な時にしか購入しませんので、薄っぺらの知識しか持ち合わせません。ですから、どうしても大御所の方々とは平常心でお話し出来ません・・・。本当ならアポ取って、面会するんでしょうが・・・。

 さて、予定していなかったナイフビレッジに向かいました。ここには浅井師のペティーナイフ有るには有りましたが、牛刀とのセット販売でした。そこに居合わせた加茂師が浅井師にわざわざ電話を掛けて下さり、セットを外しても良いか確認して下さいましたが、それはならず残念でした。
 工房ではお一人が動力ハンマー使って作業されていました。

 
憧れのナイフを作っている佐治刃物                    武生ナイフビレッジ     

 
ナイフビレッジ  鍛造の場所は見慣れていますが炉や道具の配置は参考になります

 武生を後にする前に武生駅に行ってみました。刃物を使った龍が有ると言うことでしたのでそれを見たくて行きましたが、ホームに有ると言うことで残念・・・。最後の目的地『永平寺』に向かいました。
 永平寺では次男と1時15分に待ち合わせをしてあります。熊公は1時頃付きましたので、帰宅するためのカーナビの設定をしていました。永平寺からの帰路は何も条件を入れないと北陸道を米原まで走り、東名高速で帰るように指示が出ます。そっちの方が30km位近いようです。しかし、運転を続けてきていますから、更に帰省Uターンが始まりますから、戸隠に不時着することを想定して、北陸道を新潟方面に走り、上信越道−関越道と走るコースを取ります。まずは設定を戸隠にしました。距離は350km程です。

 1時15分予定通り次男と合流、まずは昼食を摂ることにしました。熊公は永平寺御前という、法事の際に食べられるという膳を頼みました。越前蕎麦は太く切ってあり、素朴さがありました。蕎麦は出雲でも食べたし、丹後でも食べました。蕎麦の地域性も感じられました。

    
永平寺御前 蕎麦は太めで素朴です                  最終見学地の永平寺

 道元禅師の教えには共感するものが有ります。その中でも『両辺を汚さじ』と言う言葉が好きです。トイレをきれいに使えと言うことですが、熊公は自宅2階のトイレ掃除をする担当を持っていますが、その時いつもこの言葉を心に持ちます。修行僧は毎日掃除をしているのでしょうね。拝観の折、一番最初にトイレに行ってみました。人の排泄物を綺麗にする。自分はきれいにトイレを使う、そういった心は、他者を思い遣る心を作るものと思っています。

 
『永平寺』 静寂の中 修行しているんでしょうね・・・

 曹洞宗は共感するものが沢山有ります。須賀川の伯父は曹洞宗でしたから、伯父の葬儀の時などは和尚さんと色々お話ししました。宗教は違っても、人を大切にする心を持つと言うこと、何より大切な教えですね。世界中の人がこの心を持てば爆弾テロや戦争、報復と言ったものはなくなるのに・・・。

 3時半、永平寺を後にして帰路に着きました。親不知の辺りから、次男に渋滞情報をゲットして貰いました。関越道は鶴ヶ島を先頭に25kmほど渋滞している様でした。


親不知IC付近

 親不知子不知を越えれば自分のテリトリーに入る感じ、ここまで来れば自宅まで残り350km程です。通い慣れた場所というのか、時間的な計算などが体で分かる感じの領域です。
 親不知子不知に突入する前の『有磯海SA』で最後の給油をしました。ここで満タンにしておけば自宅まで余裕で帰れます。親不知の先、上越JCTには渋滞は無し、妙高高原SA付近に渋滞があるようでした。上越JCTを過ぎたところでこの後の行動計画を考えました。戸隠に行くとすると7時過ぎになります。いつも行く喫茶店の閉店は6時半、間に合いません。お願いすれば何とか夕食を食べられるかも知れませんが、ご迷惑をお掛けすることになる。関越道の渋滞は徐々に短くなっている。しかも20km程度、ここからその渋滞に突入するにはまだ3時間位あります。次男と相談の結果、戸隠には行かずに自宅に直行となりました。妙高高原SA付近の渋滞に入った時に、カーナビの設定を自宅にし直しました。自宅まで270km程となりました。

 ここからは80km/hの速度で走る事にして、時間を少し取ることと、燃費の向上を図りました。東部湯の丸SAで夕食を摂り、ゆっくりと休憩、鶴ヶ島付近の渋滞の様子をうかがいました。この時渋滞9kmと言うことでした。往路の120km超の渋滞から考えたら微々たるものです。8時35分頃にいよいよ関東平野に向けて出発しました。
 八風山トンネルで群馬県に入りますが、これを超えたらかなりすごい雨でした。下仁田付近で雨は上がりヤレヤレと思いましたが、藤岡付近でまたまた雨、こりゃ東京も雨か?と思いましたが、上里ではあがっていました。次第に東京に近づき、高坂付近から若干車の量が増えましたが、おそらくは自然渋滞が解消する間際の状態、スピードが遅くなって60km/h程度、ほぼ100km/hで走行出来ました。自宅到着は11時ちょっと過ぎでした。

 この旅の全走行距離は1932.7kmでした。延べ120km超の渋滞を経験しましたが、それも思い出の一つ、実に楽しい旅となりました。息子と旅をする。現地では別々に行動し、宿舎は一緒で夜は語らい酒を飲む・・・。熊公にとっては珠玉の時間を貰いました。
 「○○じゃけん」→「おおきに」→「○○だな/~(尻上がりに)」と方言が変化していき、周りの車のナンバーも松江−鳥取−姫路−京都−福井−石川・・・と刻々と変化していく、日本の地域性を肌で感じる事が出来る旅でもありました。飛行機で一気に目的地に行ったとすると、こういう肌で感じる地域の変化は突然に変わるだけですね。東名の渋滞の中でもナンバーがシャッフルされていく面白さも感じる事が出来ました。
 今回の旅は、神奈川県−静岡県−愛知賢−三重県−滋賀県−京都府−大阪府−兵庫県−岡山県−鳥取県−島根県−福井県−石川県−富山県−新潟県−長野県−群馬県−埼玉県−東京都と、19都府県を通過してきました。岐阜県・山梨県の2県分穴が開いた感じのドーナツ状の旅となりました。愛車は良く走ってくれました。より一層可愛く感じるようになりました。

 島根県立出雲歴史博物館はもっとゆっくりと見たいところ。次男も島根にもう一度行きたいと言っています。来年もまたこのような旅行が有るかも知れませんね!! ワクワクする気持ちはいつも持ち続けたいものです。
(2012.08.16.)






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