今年も昨年実行できなかった事を達成するため、中国地方の旅を計画しました。去年は境港−出雲−餘部−武生−永平寺を回ってくる旅を計画しました。ところが初日に延べ128kmにも及ぶ大々々渋滞に巻き込まれ、22時間もかかって出雲に着き、初日に考えていた境港行きを諦めなければなりませんでした。
境港は戦争中にオヤジ様が居たところです。もっと詳しく聞いておけばよかったのに、ウル覚え、昭和20年の4月だったかに召集令状を受け、配属が小型の物資輸送用の潜水艦に乗り込むことだったと聞いています。そこで境港に配属され、そこで訓練を受けたと言うことです。でも、実際に潜水艦の中に入ったのは訓練で一度切り、後はもっぱら掃海作業をしていたと聞いています。B29が投下していった機雷を掃海するわけですが、「海に漂う機雷は不気味だった」 と聞いています。でも、「爆破処理すると魚が気絶して沢山浮き上がってくるので、これを集めて、沢山魚を食べたもんだ」 と、話しているのを聞いていました。
今は境港というと水木しげるさんのゲゲゲの鬼太郎で盛り上がっていますね・・・。
去年の様な大渋滞には巻き込まれたく有りませんから、慎重に計画を練りました。そして、出発を8月14日夕方と決定しました。
今回はまず広島県 呉を目指します。『大和ミュージアム』と『鉄のくじら館』の見学をします。この1年で、日本海軍の潜水艦艦長であった板倉 光馬氏の戦記を中心に潜水艦・海上艦の戦記をかなりの量読みましした。そこで、どうしても『呉』を訪ねてみたいと思いました。
呉の後は『広島風お好み焼き』を食べ、『平和記念公園』をまわるのが1日目の予定です。
2日目は宮島に渡り、厳島神社・紅葉谷、弥山登山をして日本海側に出ます。
3日目は仁摩の『サンドミュージアム』・『石見銀山』を見学して、出雲大社へ、そして日御碕に泊まります。
4日目は『古代出雲歴史博物館』を見学して、境港へまわり、そこから鳥取砂丘を通って、余部にでます。
5日目は余部から一路東京に戻るコースです。
本当なら、奥出雲の『たたら』や鉄の文化圏の博物館群を見学したかったのですが、『菅谷たたら山内』の高殿が現在補修工事中で見学できないということで、今回は奥出雲には廻らず、余部に出て、余部鉄橋の橋梁部材をゲットすることにしました。
去年は次男が同行してくれて、現地で分かれてはそれぞれに行動して宿泊は共にする楽しい旅行でした。長男は大学時代の指導教授の里、長崎県壱岐へ研究室の仲間と遊びに行くのとばっちりがっちあってアウト。次男は「今年は無理だな!!」 と言っていました。一人で行動するのか・・・と、思っていたら、「広島に行くならわたしも行く!!」 と、何とワイフが同行することになりました。去年まではブラスバンドの顧問で労働基準局がその勤務実態を見たら絶対にOUTになる位練習に出なければなりませんでした。今年から別の部の顧問に廻ったので、余裕が出来たのですね。嬉しくなりました。( ^3^)/
出発一週間くらい前に次男にもう一度確認したところ、一日早く帰らなければならないけど一緒に行くと、何と何と更に嬉しい答えが!! (^〇^)
ということで、旅行の記録を・・・ 4.5.泊5日の旅、走行距離2060kmあまりの旅でしたが、アッと言う間に終わってしまいました。今回も楽しかったな〜〜〜!!
中国地方の旅 コース図
第1日目 8月14・15日(水・木) 887.6km
自宅を出発したのは18時過ぎでした。車は愛車のトヨタ 『ノア』。出発前に延べ走行距離17万kmを超えた、乗りに乗っている車です。車検の年でしたので、徹底的に点検してもらい、バッテリーの交換などもして、万全のコンディションでスタートです。
この日の道路の渋滞予測は音羽蒲郡辺りの渋滞が23時台に解消し、行きのコース上には渋滞は無くなる予定です。首都高速は大橋JCTで渋滞していましたので、環八を使い用賀に向かいました。45分で用賀に到着、19時10分には東名に乗ることが出来ました。
全く渋滞は無く、去年3時間以上かかった厚木がものの1時間ちょっとでした。新東名高速を使い、21時に『新静岡SA』に到着、ここで夕ご飯を食べました。
夕ご飯 シラスのかき揚げ丼 深夜の琵琶湖 大津SAで
去年大渋滞でトロトロとも動かない状態であった、浜松いなさ−三ヶ日−音羽蒲郡もグングンと通過して、最悪の渋滞だった四日市JCTもこんなに短い時間で通れるの?! と思うくらいに通過できました。
新名神道『土山SA』に15日 0時25分到着、45分ほど休憩し、給油しました。次に30分ほどしか走っていませんが、琵琶湖が見える『大津SA』に立ち寄って、夜の琵琶湖を眺めました。
大津まで来れば次の渋滞のメッカの区間 茨木−吹田−西宮山口が待って居ますが、3時頃には通過できますから全く渋滞の心配はありません。去年の運転とのギャップにただただ驚きでした。
山陽道に入ると鍛冶屋の町『三木』を通ります。この辺が日本の標準時子午線の東経135度の通っている場所、GPS機能の付いている双眼鏡で135度線を通過するのを見ていました。次男に135度30秒になったらカウントダウンしてもらい、135度になったとき、訳も無く車内で盛り上がりました。
135度過ぎた先が『三木SA』です。ひょっとして鍛冶の町らしい何かがあるかもと立ち寄ってみましたが全くなし、すぐに出発しました。『龍野西SA』が近くなった頃、眠気が襲ってきました。4時です。ここまで来れば渋滞の心配はありませんから、仮眠を取ることにしました。1時間半ほど眠り、夜が明けた5時30分に出発、6時50分、『福山SA』で朝食を取りました。『尾道ラーメン』を食べてみましたが、不味くはありませんが、特徴の評価がしがたいラーメンでした。
朝食 尾道ラーメン
ラーメンを食べた後、2回目の給油、広島東JCTで山陽道と別れ、呉に向かいました。第一見学地『大和ミュージアム』には9時丁度に到着しました。終戦記念日に『大和ミュージアム』見学、戦争の愚かさ、しかし、その中で懸命に国のために働いた将兵のことを考えながら、そして、昨年来読んできた潜水艦の戦記、重巡『最上』・『熊野』・『那智』、駆逐艦『磯風』の戦記、そして、随分前に読んだ『戦艦大和の最後』を思い出しながら見学しました。
第一艦橋の実物大模型 海底の大和から引き上げられた品々
零式艦上戦闘機 六二式
艦砲の砲弾 大和の1/20模型
第一艦橋の実物大模型は意外に狭く感じました。展示されている零戦は1945年8月6日にエンジントラブルで琵琶湖に不時着水した機体で、1978年に引き上げられたものだそうです。
艦砲砲弾で『三式弾』というものが戦記に出てきました。上の砲弾の写真の赤い色のものがそれですが、空中で炸裂して米軍の戦闘機を打ち落としたものです。一式陸攻も敵編隊の上空からこれを落とし(勿論艦砲そのものではなく爆弾として作られたもの)編隊ごと落としたという記録を読んだことがあります。こんな形の砲弾だったことを知ることが出来よかったです。
大和ミュージアムの見学後は道を隔てた所にある海上自衛隊の広報施設『鉄のくじら館』へ行きました。
鉄のくじら館のシンボル『あきしお』 大戦中に投下された機雷の数 境港に143発落とされています
展示用潜水艦『あきしお』のお腹をくぐって入館します。最初の展示は掃海作業についてです。旅行に出る前に境港の機雷封鎖のことなどネットで調べましたが、沢山の情報は得られませんでした。ところが、掃海作業の展示室に入るやいなや、戦時中の米軍の機雷投下数が書かれている展示がありました。境港に143発も落とされています。オヤジ様はこの機雷のいくつかを掃海したわけですね・・・。
機雷
昭和20年当時の掃海艦
オヤジ様は「機雷は浮遊・音響・磁気機雷があってな、磁気機雷のために船は木造だった」 と話していました。写真のような掃海艦に乗っていたのでしょうか・・・。聞いていた頃の記憶では、もっと小さな船だっように感じています。焼き玉エンジンの船だったと聞いています。
機雷を見つけると水面すれすれのものは銃で撃って爆破したと聞きました。また、ロープ(ワイヤー?)で繋留索を引っかけて切り、爆破したとも聞きました。今回の海自の掃海の展示は主にペルシャ湾での活動のことが書かれていましたが、命がけの作業であることは昔も今も変わらず、現在のようにロボットのような探査機で発見破壊するものとは違う戦中の作業、ドキドキしっぱなしだっただろうと思います。
機雷探査機 現代の機雷
続いてお目当ての潜水艦です。
潜水艦をテーマにした映画随分ありますね。『Uポート』(Das Boot)は考えさせられることが多く好きな映画です。また、元Uボート艦長のヘルベルト・A・ヴェルナー著の『鉄の棺』や、昨年来読んできた日本の潜水艦戦記等から、潜水艦内に入ってみたいと思っていましたので、現代の潜水艦ですが中に入り、潜望鏡を覗くことが今回の旅の大きなテーマの一つです。
脱法ハウスもビックリ兵員の三段ベット 司令所の中 潜望鏡は屈んでみるのでしょうか?
潜望鏡の景色 機械だらけで狭い!!
制御装置 天井に頭が着いてしまいす
潜水艦はやはり狭いです。高さが無いですね。展示されている潜水艦の胴の太さからバラストタンクなどの部分を取り除いた中心の部分の直径は6〜7mというところですかね。75名が乗艦するそうです。
出来れば潜水艦に実際に乗艦して、潜行体験をしてみたいですね・・・。
呉を後に平和記念公園に向かいましたが、ここでトラブル・・・。駐車場の低いポールにバックしていてリアバンパーをぶつけてしまいました。気付かなかったな・・・。バンパーが凹み、後ろのハッチバックドアの下のところが傷付いてしまいました。寝不足による注意散漫か・・・、でも、人で無かったことが幸いです。始まったばかりの旅行ですから、注意喚起の警報と肝に銘じ、安全運転を心掛けることにしました。
平和公園の周りには駐車場が結構沢山有りました。お昼を食べる場所と公園見学に都合のよい場所に車を止めて、まずはお昼です。広島風お好み焼きがお目当てです。残念ながら、目を付けていたお店はお休み、第2候補にしていたお店は売り切れ・・・、そこで、隣のお店に入りました。
もうすぐ焼ける・・・ 一つでお腹いっぱいになりました ビールが欲しい!!
数年前、授業で『一枚新聞作り』をしたことがあります。テーマを決めてみんなに紹介するものですが、私も子供達と作業して、『広島風お好み焼き』をテーマに作り方や歴史を紹介したことがあります。そして実際に家で作ってみました。家にある鉄板はA3判の紙より少し広い程度のホットプレートしか有りません。要領が悪いと言うこともあるかもしれませんが、一枚作るのに15分かかりました。五人分作りましたから最後の自分の分を焼き上げて食べ始めたときには1時間15分経過していますから、他の家人はてんでに別々の事をしていて、語らいの時を持つことが出来ませんでした。それ以来自宅では作っていませんから、今回の本場での食事は楽しみでした。やはり美味かったです。ビールが飲みたかったな・・・。
昼食の後は平和記念公園です。終戦の日にここを訪れる事が出来たのは良かったです。原爆で亡くなった方、今も苦しんでいる方、戦災で亡くなった方達のために祈りました。半旗が掲げられているのでよりいっそう平和のために祈らなければという気持ちになりました。
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一発の原爆で町が消えてしまう・・・
へし曲げられた橋梁鉄骨 熔け固まった瓦
熔け固まった瓶の王冠 熱線で表面が溶けている瓦
原爆資料館には沢山の外国人が来ていました。核廃絶の原動の力になってもらえると嬉しいですね。68年前の8月6日、自分の立っている上空に閃光が走り、一瞬にしてすべてが消えていったこと、原爆症により今も苦しんでいる人が居る事実、世界のリーダーに見せたいですね。特に核保有国のリーダーはこの地に立って考えてもらいたいものです。
高校生の時に訪れたことがありますが、展示物はその時の方が生々しかったように思いました。
2013年8月15日は原爆投下から24846日目 最後の核実験から184日だそうです
最後に原爆ドームを見学して、平和記念公園を後にしました。今日の宿泊地は宮島の対岸、廿日市市大野へ向かいました。
第2日目 8月16日(金) 125.3km 通算:1012.9km
2日目は宮島の見学がメインです。乗り鉄の次男はここから別行動、下関に宿を取り、九州をちょこっと踏んで来る、17日夕刻、出雲大社で合流する事になっています。
車を宮島口の駐車場に入れ、すぐにJRのフェリーに乗船しました。次男は宮島口の駅から下関に向かいました。
見送ってくれる次男 敬礼! 厳島神社の大鳥居が近づいてきます
JRのフェリーは大鳥居の前を横切ってくれますから良いですね。まずは海上から鳥居越しに厳島神社をお参りしました。
今日の潮は中潮、9時が干潮、3時が満潮です。ですから、宮島に到着したらすぐに大鳥居の下に行くことにしました。
大鳥居 世界文化遺産 厳島神社
厳島神社を見学した後は宝物館へ行きました。厳島神社には日本の大鎧の中で最も好きな国宝『浅葱綾縅大鎧』が有ります。高校生の時、みんなはすぐに紅葉谷・弥山へ行ってしまいましたが、自分はこの鎧の前で半日居たことを思い出します。
現在は国宝級のものは展示しないと言うことでした。40年前は平家納経やそのほかの国宝もガラス一枚隔ててみることが出来たのですが、人が沢山来るようになるとやはりだめなんでしょうね・・・。
宝物館を後に、途中で焼きたての『紅葉まんじゅう』を食べ、紅葉谷を歩いて弥山ロープウエーに乗り込みました。乗り継いで山頂駅に。
紅葉谷の紅葉と鹿
ロープウエー山頂駅から弥山山頂を望む 左:案内掲示板
山頂駅から弥山山頂までは40分くらいでしょうか、一度下って、下った分の3倍登る感じです。途中に『霊火堂』が有ります。弘法大師の時の火が今まで守り通されているそうです。広島の平和記念公園の炎はここの火から取られているとか・・・。
くぐり岩 弥山山頂の展望
暑い中の登山、汗を沢山かきました。それでも山頂に立つと気分が良いですね。湿気が多いためか、はたまた中国から飛来しているPM2.5のためか、あまり視界は良くありませんでしたが、登って良かったです。山頂には『くぐり岩』や『干満岩』など不思議なものがあり、花崗岩の風化地形のため、不思議な自然の造形が見られます。山頂なのに海の満ち干で水位が変わり、その水には塩気があるという『干満岩』の水は干上がってありませんでした。天候異変のせいでしょうか?
弥山を下りて、昼食にしようと思いましたが、どこも長蛇の列で宮島内での食事は諦めることにしました。桟橋に向かう前に『紅葉揚げ』というものがありましたのでそれを食べていると、すぐ後ろに鹿がヌッと現れ、それを欲しがります。「馬鹿め、お前なんかに誰がやるか!!」と移動するとどこまでも付いてきます。そのしつこさにあきれてしまいました。あんまりしつこいので最後の一欠けだけ食べさせてやりました。『願えよさらば与えられん』ですね。
13時30分頃 海水が神社の方に入り込んできています
2日目のメインの見学はこれで終了、宮島口に戻ってここで昼食です。宮島周辺は牡蛎と穴子が有名です。そこで宮島丼を注文しました。勿論、焼き牡蛎は外せません・・・。
牡蛎はプリッとしていて、穴子は柔らかくて美味でした。
穴子と牡蛎の宮島丼 焼き牡蛎は外すこと出来ません
車に戻り、一路日本海を目指します。石見銀山に出来るだけ近い場所に泊まりたかったのですが、宿の決定が10日くらい前のこと、当然取れずに、40kmほど西の都野津というところで宿を取りました。
日本海に沈む夕日
夕食前に夕日を眺めに行ってきました。海までは直線で100m位です。でも、海岸に出る道が無くて、かなり歩きました。夕日ですが水平線に雲があり、海面に沈むところは眺めることが出来ませんでした。
第3日目 8月17日(土) 97.1km 通算:1110.0km
今日の見学はまずは仁摩の『サンドミュウジアム』です。ここには世界で一番大きい『1年砂時計』が有ります。また、近くの琴ヶ浜の『鳴き砂』等砂に関するアートや砂時計の科学が勉強できます。
仁摩サンドミュージアム 世界最大 『1年砂時計』
夏休みの自由研究には良い場所ですね。『1年砂時計』は閏年の時はどうするのだろうと思っていましたが、これだけ大きな砂時計になると、ただ重力に任せて砂を落とすだけでは上下の温度差などで無理なんだそうです。そのため砂の落下をコンピューターで制御するので、1日分の砂の量を366等分して1日分を作り出すそうです。
砂のアートも面白かったです。夫婦で童心に返り砂絵を楽しんだりしました。
サンドミュージアムを後に石見銀山へ、ここも世界文化遺産に指定され、車で地域に入ることが出来ません。世界遺産センターの駐車場に車を止めて、バスで銀山地区へ向かいました。
貸し自転車を借りて『龍源寺間歩』に行きますが、電動アシスト自転車は残念ながら我々の前の前の人でおしまい、仕方有りませんから、普通の自転車を借りて行きました。行きは2.3kmの登りです。暑い日です。大汗かきかき、龍源寺間歩まで行きました。
まだ登るの〜〜〜!! 龍源寺間歩入り口天然のクーラーです
鉱夫が手で掘った鑿痕 坑道内はひんやりとして気持ちが良い〜〜
フラッシュたかないとこんな感じ 幅60cm程の江戸時代の坑道
大汗かいて登ってきた後ですから、坑道内の冷気は気持ちが良いです。それにしてもあちこちに坑道が掘られていてその大変さに脱帽です。龍源寺間歩は銀の採掘ではなく、銅の採掘が行われていたと言うことでした。
600を超す坑道が発見されているそうで、自由に見学できるのがこの『龍源寺間歩』で、ガイド付きのツアーで見学できるのが、銀を産出した『大久保間歩』です。
山中に残る石垣群 これぞ銀山の世界遺産たる遺産です 古い町並み 中山道 妻籠・馬籠宿のような雰囲気 ・
仙の山 要害山
銀山地区の主要ポイント『仙の山』と城跡のある『要害山』そして、この大森地区が銀山地区の大きな3つのエリアです。仙の山のこちら側の斜面には銅の鉱脈が、反対斜面に銀の鉱脈があるそうです。世界遺産に登録されている場所はここだけでは無く、この銀山地区から鉱石や銀を港に運び出した道、世界に輸出した港が登録されているわけです。
途中でボランティア・ガイドの方とお話しするチャンスがありましたが、観光資源とするために世界遺産登録されたわけでは無い、銀山の歴史・文化・遺構がしっかり残っていることを大切にすべきで、ここに来る方々の中には「何にも無い場所、これが世界遺産かよ・・・」と、言っていく人が居るんですよ! と話してくださいました。そして、You Tubeで『シリーズ・世界遺産石見銀山遺跡』を見て欲しいと言われました。帰宅後見てみましたが、13編に分かれているもので、専門家の監修は得ていませんと書かれていましたが、遺跡全体を網羅してあり、これを見てから石見銀山に行くべきだったと思うものでした。
割子蕎麦 五段重ねで注文
自転車を返し、大森の町並みをそぞろ歩きして行きました。まずは昼ご飯、石見地方ですが『割子蕎麦』が有りましたのでそれを食べることにしました。普通は三段ですが、五段まで注文できましたので、五段で頼みました。出雲蕎麦、甘さが前に出てくる蕎麦ですね。この割子蕎麦、岩手県 遠野にも有るんです。学生時代に遠野の研究をされている方とお話ししたことがありますが、遠野地方の方言と出雲地方の方言に共通性があるとお聞きしたことがあります。この蕎麦の出し方が同じだからと短絡的に考えませんが、どこかでつながりが有るのかもしれませんね。去年古代出雲歴史博物館で『蕨手刀』を見ていますし、東北の文化圏とのつながりは充分に考えられます。
今日は7・8月の土日に行われてきた石見神楽のスペシャル公演があるということでした。子供達の神楽ですが1時半から通常1時間の公演を延長して2時間で見せてくれると言うことでした。熊公としては出雲で次男と合流する事になっていますから、2時が限界値、子供達の神楽であっても、石見神楽の実物を見学できることは嬉しいです。
熊公は津和野ので石見神楽の『大蛇』を見たことがあります。その素晴らしさに感動しました。今回、小中学生の公演でもきっと感動があると思い見学しました。最初は『天神』という題目。菅原道真の遺恨晴らしのお話、架空のお話ですが面白く見ることが出来ました。小中学生あっぱれです!!
石見神楽 『天神』
『天神』の公演が終わったのが2時でした。本来は引き上げなければならない時刻ですが、石見・出雲に来たら『大蛇(おろち)』を見ないわけにはいきません。ギリギリの所まで見ることにしました。
八岐大蛇を素戔嗚尊が退治して、その尻尾から『天叢雲剣=草那芸之大刀』を取り上げるまでのストーリーは出雲神楽の楽しい題目と考えています。
子ども神楽であっても、津和野で見た大人の神楽に引けを取るものではありませんでした。『櫛名田比売』役の女の子は可愛い小学生3・4年生でしょうか・・・。これもとても良かったです。
石見神楽 『大蛇(おろち)』
『草那芸之大刀』ゲットしたぞ〜〜〜!!
2時半まで見ていて、大慌てでバス停まで行きました。出発寸前のバスに乗り込み『世界遺産センター』まで戻りました。ここで銀山の展示を見学して15時15分出雲大社に向かいました。
三瓶山を巻き込む形で出雲に向かいます。本来なら今日中に古代出雲歴史博物館を見学しておき、明日朝、出雲大社をお参りするように考えていましたが、この時刻では出雲大社周辺には16時過ぎになります。予定より1時間おくれ、次男は15時過ぎに出雲市駅に来ているはずです。出雲に向けて走りながら次男と連絡を取りました。携帯のある現在は本当に便利ですね。
神門川を渡って大社駅前を通って、出雲大社に着きました。歴博合流を出雲大社で合流に切り替えて、今日、大社にお参りすることにしました。
次男とは拝殿の前で合流する事が出来ました。
次男を探せ・・・ 式年遷宮を終えた大社本殿
東十九社 出雲大社本殿北東方向
昨年は式年遷宮の真っ最中で拝殿より先には行けませんでしたが、今回は本殿の後方へも行くことが出来ました。神在月(出雲以外は神無月−10月−)に全国の神様が宿る東西の十九社、大国主命にお願い事をする時により良いと言われる位置などを合流した次男とワイフに話しながら見学しました。
出雲大社見学後、あまりにも暑いので門前のお店で『出雲ぜんざい(冷)』を食べました。美味しかったな〜〜!! あわせて、前のお店の『キュウリの浅漬け』1本丸ごと串刺しになっているものを食べましたが、これも美味かったです。銀山では生のキュウリを串刺しにして氷水で冷やしてあるものを食べました。こういう出し方が石見・出雲流なんでしょうかね・・・。
出雲ぜんざい(冷) 上品な味でした
ここからは今日の宿舎地、日御碕へ向かいますが、まずは灯台へ行くことにしました。もう灯台の見学時間は過ぎていますが、しばらく日の入りを眺めることにしました。
日御碕灯台下からの夕日 海鮮コースのご馳走です 美味い!!
この日の日没は松江で18時55分です。少し西側で高い位置ですから57分くらいでしょうか・・・。ところがよくよく見ると昨日と同じに水平線に近い位置に雲が見られます。そこで18時10分頃に引き上げて、宿舎に向かいました。
今日からは昨年泊まった民宿です。日御碕の宿は料理が美味いです。お風呂に入ってからゆっくりとビールに地酒を楽しみながら料理を堪能しました。
(2013.08.22.)
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