熊公の独り言 V

バックの曲「ニーバーの祈り」の版権は菊谷 卓也さんに帰属します。



◆ 中国地方の旅 A ◆
第4日目 8月18日(日) 235.5km 通算:1345.5km

 宿を出たすぐの所が『日御碕神社』です。『日沈宮』と言われるように、「日の本の夜を守る」神社です。


日御碕神社

 
天照大神を祀る社殿                       素戔嗚尊を祀る社殿

 天照大神と素戔嗚尊をお祀りしている神社ですが、前回も思いましたが、天照大神の社殿は東南東に向き、素戔嗚尊の社殿は西南西の海の方を向いているのです。一つの神社に別方向に鳥居が存在するのには何か意味があるのでしょうね。鳥居自体は向かい合う感じになっています。



 図のように海側の鳥居の延長には丁度『祖霊社』が有りますね。素戔嗚尊の社殿の延長は青の点線、天照大神の社殿の延長は赤線ですが、子午線に対して同じ開き具合で60度強、緯線(東西)に対しては30度切る位の角度です。これは何か意味があるのでしょうかね・・・。

 社殿としては天照大神の社殿がメインになっていますが、素戔嗚尊の社殿は1段高くなっています。
 社伝によると、天照大神を少し沖合の『経島』に祀り、後に現在の位置に社殿を建設したと言うことです。また、素戔嗚尊を祀る社殿は、素戔嗚尊が柏葉を放し、それが止まったところに神魂が住まうと言ったそうで、それがこの場所と言うことです。当初はもう少しべつの場所だったようですが、神話の世界には何らかのメッセージが込められているものと考えます。

日御碕−出雲大社−奈良−伊勢神宮の位置関係


 日御碕神社−出雲大社−奈良−伊勢神宮はほぼ直線上に並び、太陽の動きに関連があるようですね。
 現在の日御碕神社の社殿も、出雲大社と経島を結ぶ夏至日没線上にあるそうです。ということは、伊勢神宮の方向は冬至日出線になりますね・・・。ですから、偶然に現在の場所が決められたのではないでしょうね。古代は色々と思いをはせることができ、ロマンを感じますね。

 日御碕神社の見学後は『古代出雲歴史博物館』に行きます。開館前に駐車場に着いたら、暑いですからとクーラーの効いたロビーに入れてもらえ、開館少し前にチケットを販売してもらえました。一番で入場、しばらくは静かな見学ができました。
 お目当ては荒神谷遺跡から発掘された銅剣・銅矛群と加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸群です。また、安来の横穴墓から出土した、錆び付いていなかった鉄刀見学です。何度見ても感動します。

 
荒神谷の銅剣群                          加茂岩倉の銅鐸群

     
      荒神谷の16本の銅矛                     加茂岩倉遺跡35号銅鐸

 
1500年前の輝きを見せる太刀                    『蕨手刀』は大好きな刀です

 一本展示されている『蕨手刀』もロマンを感じます。日本海沿いに東北地方との繋がりがあったのでしょうね。
 去年は悩んだ末購入しなかった、加茂岩倉遺跡出土の35号銅鐸(国宝)の35%サイズのレプリカです。舌を付ければ実際にカウベルのような音を立ててくれるものですが、今回は意を決して購入しました。高かった・・・!!

 古代出雲歴史博物館の見学後はいよいよ境港に向かいます。『斐川IC』から山陰道に入りますが、このICの近くに荒神谷遺跡があります。そこで、ここに寄って、現場をこの目で確かめることにしました。
 博物館もありますが、歴博と重複しますから、遺跡のみを見学しました。のどかな田園風景、養魚池と蓮池、古代米の田んぼが広がっていました。
 荒神谷遺跡は広域農道建設の際、須恵器が発見され、この近くに集落跡が有るものと考えられ調査された際に偶然発見されたものです。加茂岩倉遺跡の銅鐸も農道建設中に発見されていますから、きっとまだまだあるんでしょうね・・・。


歴博の荒神谷遺跡の埋納時の推定ジオラマ

 
  荒神谷遺跡遠景                       荒神谷遺跡 銅剣出土地

 
             出土状況の再現           
赤丸部分の拡大                          緑丸部分の拡大

 それまで発見されていた日本全国の銅剣の本数は300本余り、その数を上回る358本の銅剣が出てきたんですから、考古学者は腰を抜かしたことでしょうね・・・。1年後に6個の銅鐸と16本の銅矛が出土しています。埋納されている地面のレベルは銅剣も銅矛も同じです。古代出雲の人々にとってこの場所にどんな意味があったのでしょうか・・・。埋納された数は古代の出雲地方の力を示すもので有り、どうしてこんな山奥に整然と埋納したのか、これまたロマンを感じますね。『国譲り』神話と関連があるのでしょうか?

 古代のロマンを味わいながら一路『境港』に向かいました。松江JCTから『松江だんだん道路』を通って、中海の真ん中の大根島を中継して掛けられている橋を渡って境港市内に入りました。
 次男は境港駅14時20分の列車で帰路につくことになっていますから、まずは境港港を眺められる『境水道大橋』を渡って美穂関側に渡ってみました。中海から日本海につながる水道です。ある軍艦の艦長が「まるで川と言った方が良い場所である・・・」と言う表現をしていましたが、そのものでした。この狭い場所に143個も機雷を投下されたら、封鎖は容易いですね。この海でオヤジ様は機雷の掃海をしたのだと、しっかり眺めてきました。焼き玉エンジンというものがどんなものか承知しませんが、大きな掃海艦はいらなかったと感じました。

 
美保関側から眺めた境港

 
『境水道大橋』上から見た日本海への出口                 同じく 境港の市街地      

 そして、もう一度『境水道大橋』を渡り返して、駅前の駐車場に車を止めました。
 時刻は13時少し前、行動時間は1時間です。まずは『ゲゲゲの鬼太郎』で盛り上がっている、『水木しげるロード』を歩き、昼食を取る場所を探しました。海鮮丼を食べさせてくれるお店に入り、特選海鮮丼を食べました。
 食後は『水木しげる記念館』まで歩き、駅方向へ反対側の道を歩きました。オヤジ様もここを歩いたのだろうと想像しながら歩きましたが、途中で『砂かけ婆』に会ったりと、境港の主目的ではない面でも結構楽しんでしまいました。

 
    特選海鮮丼                        ゲゲゲの鬼太郎と記念撮影

 
     妖怪神社前                         水木しげる と 鬼太郎親子

     
      『砂かけ婆』と遭遇             美保関の山並 オヤジ様は朝晩眺めていたでしょう・・・

 駅前の広場では『鬼太郎の下駄飛ばし大会』が開かれていて、時間があれば参加したかったです。一等は賞金5万円です。残念!!


境港駅で次男とお別れです

 14時10分次男を境港駅に降ろして、別れました。次男は米子に出て『やくも』で岡山、青春18切符を使い京都に。新横浜まで一気に行きたいところですが、新幹線は帰省Uターンのピークと言うことで、京都駅前のビジネスホテルに泊まって、朝一番に戻る予定です。

 
米子市街から眺めた大山                         白兎海岸近くで    ・

 次男と別れて一路『鳥取砂丘』を目指しました。弓ヶ浜の長い長い砂州を米子に、米子に入ったところで大山が眺められました。この形は岩手山を盛岡から眺めた雰囲気に似ていました。
 日本海沿いに林立している風力発電の風車を眺め、白兎海岸で因幡の白ウサギのお話を思い出しながら、砂丘センターに到着したのは16時25分でした。
 早速リフトを使って砂丘に出て、第二砂丘列(馬の背)を目指しました。リフトの最終が17時30分ですので、少々急ぎ足で向かいました。大慌てでリフトに戻り、砂丘センターに、お土産を買おうと思っていましたが早くも店終い、そこで下のドライブインに行く事にしました。梨ソフトがお目当てです。

 
鳥取砂丘 第2砂丘列(馬の背)

 17時半、砂丘を後に余部に向かいました。変化していく地形や景色を楽しみながら、余部に着いたのは18時10分でした。
 宿にご挨拶して、すぐに『一滴亭』さんの所に行きました。ここは余部鉄橋の資料館になっていますが、ここのご主人に鉄橋の部材を分けて頂く事になっています。ご主人にお会いして、分けて頂く部材を見せて頂きました。 分けて頂くものは昭和36年の鉄橋改修時に出たもので、橋梁上部のブロック状の橋桁をつなぎ止める鉄板のようです。これは建設されてからおそらく数度は交換されてきていると思われますから、戦時中の補修がなされなかったことを考えて、おそらくは昭和の初期の鉄と考えられます。明治期の鉄も欲しいですから、そういうものも有ったら頂きたいと話しておきました。


旅行最後の夕食海の幸が美味しいです

 今日の宿は余部橋梁の真下です。宿泊は熊公夫婦のみ、静かな宿です。夕食時に女将さんと沢山お話ししましたが、「1年前と随分変わったでしょ」といわれました。確かに国道沿いに橋梁の一部が設置されていたり、橋の下に公園が作られたり、残されている鉄橋の部分に『天空の駅』と名付けられたホームが作られていました。


第5日目 8月19日(月) 719km 通算:2064.6km

 最終日です。朝食前に散歩がてら『一滴亭』さんの所に行きました。頂く鉄板が梱包されてありました。そして、「橋脚の部材を持ってきたよ、こんなのどう?」と、見せて頂きました。これは間違いなく明治の建設当時そのものです。文鎮などに加工できない部分、熊公にはそれで良いのです。有り難く分けて頂きました。総重量は70kg位でしょうか。安くして頂きました。
 『一滴亭』のご主人、貴重な鉄をありがとうございました!!

 
わけてもらった鉄板と同型のもの                餘部鉄橋の橋脚の部材 明治の鉄です

    
分けて頂いた穴あき鉄板は橋梁の最上部線路を乗せる部分のブロックを繋ぎ合わせるもののようです
上の写真の緑の楕円で囲んだ穴の数と鉄板の穴の数が一致します
このようなジョイントは定期的に交換されたようで昭和36年の改修の時に出たものだそうです

 
  『一滴亭』とご主人                      去年は無かった『天空の駅』
                                   昔の鉄橋の上に設置されています

 朝食を頂き、9時10分いよいよ東京に向けて帰路につきました。昨年もゲットして帰った、燗を付けると美味い『香住鶴』と言う日本酒を購入して、日本海を後にしました。
 豊岡−但馬空港を通って、『天空の城』と言われる朝来の竹田城近くを通って、『八鹿氷の山IC』から自動車専用道路に入りました。
 近畿但馬道路−舞鶴若狭道−中国道で神戸に出て、そこから名神高速に、新名神道は『亀山JCT』付近で渋滞8kmほど出ています。出発前の予想でも、この周辺と大和バス停付近で渋滞が起こる予想が出ていましたので、今日は名神高速をそのまま走ることにしました。
 行きに真夜中の琵琶湖を眺めた『大津SA』に寄って昼食。SAだから給油ができるかと考えたらなんと『大津SA』には給油所がない・・・。そこでつぎの『多賀SA』まで走ることにしました。『多賀SA』に着いたとき、燃料の警告灯が点灯しました。
 高速道での燃料の警告灯点灯はヒヤヒヤしますね・・・。

 
     琵琶湖(近江)                     関ヶ原から濃尾平野に出るところ

 伊吹山を眺めながら、「日本列島が一番くびれた部分の高い山、氷河期が終わって寒さを好む植物は北上して行き、この伊吹山のあるくびれ地帯を通過していった、その時、伊吹山の高さによる低温を逃げ場所にした植物も多いから、高山植物の中に『イブキ○○』という名前の高山植物が多い」話や、「関ヶ原が古代から戦略拠点だった」話をして、車窓に展開する景色を楽しみました。

 帰路は新東名は使わず、古い東名高速で東京に向かいました。途中で次男からメール、義弟が大垣に単身赴任していて、義妹はこのお盆休みに大垣に来ていて、今日の朝一番の新幹線で東京に帰り、午後から会社に出ると聞いていましたが、次男は義妹(叔母)と連絡を取って、同じ新幹線に乗ったようです。そして、新横浜で別れ下宿先に戻り、そのまま研究室に行って残っている実験をスタートしたようです。新横浜で分かれたときの新幹線車内の義妹の写真が添付され、「研究室到着 実験開始なう」 と、メールが来ました。
 義妹からも、新横浜でホームに立つ次男の写真が送られてきました。無事帰宅できて安心です。

 ワイフは熊公の一眼レフデジカメを使うのを楽しみ始め、揖斐川は撮れませんでしたが、長良・木曽・天竜・大井・富士川の写真や、由比で出くわす太平洋を撮影して、最後に御殿場付近で顔を出した富士山も納めていました。

     
                 浜名湖(遠江)                揚げパンコロネをコーン代わりにしたソフトクリーム

 『浜名湖SA』で少し腹ごしらえなどして、一気に東京を目指すことにしました。ここで揚げパンをコーンの代わりにしたソフトクリームを見つけ、食べてみましたがなかなか美味しかったです。
 帰宅は21時頃には着けそう、そこでご飯だけ多く炊いておいてもらうようにして、浜松餃子などを購入して、出発しました。

ワイフのデジタル一眼レフカメラ写真ギャラリー
 
長良川                                木曽川

 
天竜川                                 大井川

 
由比で出会う太平洋                              富士川    


これも世界文化遺産 『富士山』

 立川志の輔さんの落語の枕に 「良く、東名高速の渋滞で大和バス停を頭に○○kmの渋滞と聞きますが、あの『大和バス停』を無くしちゃえば渋滞無くなるんじゃないですかね・・・」 というものがあります。その通り、まだバス停撤去しないものだから? 最後に『大和バス停』を先頭にした25kmの渋滞に出くわしました。通過に80分を要しました。しかし、この渋滞は計画に織り込み済みです。そして、去年の延べ128kmの渋滞から比べたら、渋滞とは思えない、ほんの少しトロトロと走り止まったときもありますが、大体30km/hのスピードは出せました。バス停を越したらまた順調に流れ、首都高も渋滞がないようですので、首都高を使いました。自宅に着いたのが20時30分でした。

 2064.6kmの旅、愛車『ノア』は良く走ってくれました。駐車場に納めた時、「ご苦労さん、有り難う!!」と、声を掛けている自分がいました。益々可愛い車になりました。また、傘は一度も差すこと無く、暑すぎるくらいの天気の中で旅が出来ました。リアバンパーを凹ませてしまいましたが、無事に旅を終えることが出来て良かったです。
 帰宅してオヤジ様の遺影に「境港見てきたよ!!」 と、報告しました。なんだか、「お前と一緒に居たんだぞ、どうだ良いところだっただろう」 と言われているような気持ちになりました。

 実際に車で移動するのは大変な労力がいりますが、日本列島の広さやそれぞれの町の様子を体で感じることができます。列島の沿岸を走ることを一つのテーマに旅行をしています。本州は宮島−下関−萩−浜田のコースと紀伊半島の周回が残っています。来年は紀伊半島に行くことを考えています。そして、最後に山口県を周回するコース、この時に奥出雲に行ければと考えているところです。
 安芸の宮島、世界文化遺産の厳島神社、同じく石見銀山、最後に富士山・・・、今回は世界遺産を廻る旅でしたが、出雲では古代のロマンに身をゆだね、余部鉄橋では橋梁の部材を入手できました。本当に充実した旅でした。楽しかったな〜〜〜 (^^)d  でも、次男との旅はおそらくしばらくお預けです。来年から社会人、日本に限らず外国にも行かされるはず。そう簡単には一緒に動けなくなりますね寂しいな・・・。

 ワイフは帰路のカメラ撮りまくりの様子や、帰宅してお袋様や実家のお父さんお母さんに話をしている様子から、この旅行が楽しいものであった事を感じることができました。来年も同行してくれるかな?
  (2013.08.22.)






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