熊公の独り言 V




◆ 四国東半分周遊の旅 A ◆
 第4日目 8月19日(水)  走行距離:219.3km  延べ走行距離:1331.1km  歩数:8832歩

 高知のホテルには車を10時まで止めておくことが可能なので、チェックアウトして荷物を車に詰め込んでおき、高知城を見学して戻ってくる事を考えていました。駐車場に行くと係の方は出車の準備をしていました。参ったな・・・。仕方なく出発して高知城下の駐車場に行くことにしました。
 小雨模様で車で行って正解だったかもしれません・・・。

 朝一番の高知城ほとんど人が居ない静かな見学が出来ました。これでなくちゃ・・・。数人居た見学の方も皆静かに見学されていました。小学生の子ですら本当に静かでした。

 
落ち着いた高知城

 
高知城天守からの眺め
天守に欄干を付けるため山内一豊は家康に許可をもらったそうです

 高知城は姫路城よりもずっと規模は小さいですが、石垣の勾配など素敵でした。天守は姫路城の小天守よりも小さいかもしれませんが、落ち着いたたたずまいでした。

 お城下の駐車場に戻ったのは9時50分頃でした。もしもホテルに車を止めておいたら、タイムアウト、別料金が発生しているところでした。小雨に当たらずに済んだ事も含めて結果良しです。
 お城下の通りに面して土佐打ち刃物のお店が並んでいました。ただ、朝早かったのでまだ開いていないところが多くちょっと残念でした。熊公も徳島の『しか』さんに教わり、ヤスキ鋼を高知から2回仕入れましたが、前回購入したときは、1回目の時よりも鋼材やさん元気が無く感じました。土佐打ち刃物の職人さん方も、大量消費の波に苦労されているのでしょう。
 空いていた一軒を覗いてみましたが、自由鍛造であったとしても、利器材を使ったものがほとんどのようでした。そうなると鋼材やさん鋼だけを仕入れ販売するのは大変ですね・・・。どうか鍛冶技術が継承されますように!!


土佐打ち刃物のお店街

 高知城を後に高知道の高知ICに向かいました。路面電車と一緒に走るのは本当に珍しいですから、良い感じです。
 次の目的地は祖谷渓の『かずら橋』です。大豊ICで降りて一般道を35km位走ります。大歩危の入口から一つ山越えして行きますが、その途中に『平家屋敷』が有りました。見てみることにして入りましたが、置かれているものはほとんどが江戸時代のものでした。興味を引いたのは、太刀と向こう鎚のようなハンマーです。赤旗は復元されたもので、平家の証になるものははっきりしませんでした。説明によれば平家と共のこの地に来て、医者のような仕事をし、江戸に入って名主を務めたと言うことでした。

 
平家屋敷  住まっている場所は何でこんな所にというところ隠れ住んだのでしょうね・・・

 飛び入りの見学を終えて、峠を越え『かずら橋』に向かいました。確かに山奥です。

 
かずら橋全景                             渡り口の様子

 
板の間が広くゆらゆら揺れますからスリルが有ります

 敵が来たらこのカズラを刀で切り落とす。天然の素材を上手く使って橋を作ったものです。現在ではこの橋の奥にもう一本掛かっているだけと言うことですが、昔はおそらく何本もあったのだと思います。
 現在では安全と橋の架け替えを考えてのことでしょう、要所にワイヤーが見受けられました。それでもゆらゆらと揺れて、スリルがありました。

 
   名物 『でぐまわし』                        石豆腐と呼ばれる『祖谷豆腐』

 橋を渡って駐車場に戻る途中のお店で食べようと思っていた『でぐまわし』を食べました。右側から蕎麦団子・ごうしゅう芋(ほどいも・源平いも)・豆腐・こんにゃくです。ごうしゅう芋はジャガ芋と言って良いかと思います。
 豆腐は硬くて熊公の大好物の豆腐。お店の方に話したらこれですよと見せて下さいました。祖谷豆腐は石豆腐といわれるほど硬いんです・・・。と話して下さいました。平家の落人達は硬い豆腐が好きだったのか・・・。祖谷・五箇山・舘岩の豆腐はみんな硬いです。この大きな豆腐をお土産にしたい位味わいのある豆腐でした。

 
           祖谷蕎麦                        山の斜面にへばりつくように家が建っています

 蕎麦大好き人間ですから、祖谷蕎麦は逃すこと出来ません。昼食は祖谷蕎麦と決めて居ました。蕎麦は美味しいですね!! 食べることが出来て大満足です。

 南淡路の宿に目的地を設定したところ、ルートは大歩危に戻るようにと出ました。祖谷の小便小僧も見たかったのですが、大歩危・小歩危も眺めたいと思っていました。そこでカーナビに従うことにしました。小歩危の近くに鍛冶のネット上の師と思っている『しか』さんのご自宅があります。今回は渦潮を見る時間があるので、お寄りしないで通り過ぎてしまいました。申し訳ございません!! いつも感謝の気持ちを持って作業させて頂いています。

 大歩危・小歩危を通り過ぎ、徳島道の井川池田ICに向かいました。高速に乗ればそのまま四国とさようならになります。吉野川が東に大きくカーブする地点で徳島道の下をくぐります。この辺りでそれまで山が迫っていたのドカンと広くなる感じ、ここが中央構造線です。阿蘇山から関崎・佐多岬・吉野川・紀の川・渥美半島・諏訪湖を超えて関東平野まで繋がる大断層です。吉野川に沿って徳島道は走ります。左右の山はドンドンと開けていき、二日前板野ICから徳島に向かって走った道を横切る辺りで、今回登ることが出来なかった徳島の眉山が眺められました。

 
大歩危・小歩危の谷間                  この辺が『しか』さんのお宅がある辺り

 
吉野川が東に向きを変えて谷間が広がる                 右前方に徳島の町が見え始めます  

 徳島に最接近したところで高速道は北に進路を変え、神戸淡路鳴門道に合流して、『撫養橋』を渡って四国から離れ『大毛島』という島に、そこを越えると鳴門大橋です。いよいよ四国ともお別れ、兵庫県に入りました。
 この日の引き潮の時刻は14時50分です。鳴門大橋を渡ったのは15時です。この日は渦潮の出やすい日と言うことですから、本当は渦潮クルーズに出たかったのですが、平家屋敷見学分遅くなってしまい、船には乗れませんでした。

 そこで、『道の駅 うずしお』に行って渦潮を眺めることにしました。鳴門大橋からは見えませんでしたが、『道の駅 うずしお』に向かう馬の背のような所を通る『うずしおライン』からは所々で海が白く波立っている様子が見て取れました。道の駅の後側から渦潮を眺めることにしました。駐車場は大混雑、それでも上手い具合に空きが出てすぐに駐車することが出来ました。
 引き潮ですから紀伊水道側に渦が出来ます。鳴門大橋の下を川、それも濁流のように海が流れている様子は迫力がありました。瀬戸内側の水面が明らかに高くなっていることが見て取れました。

 
鳴門大橋 橋の右と左で水面の高さが違います        これが渦潮 自然の作り出す面白い現象です

 
    乗れなかった観潮船『咸臨丸』              鳴門大橋に使われているワイヤー直径80cm

 渦潮というのは出来るとしばらく回って消えて、また出来るというものなのですね。そして、貨物船が瀬戸内側から紀伊水道側に抜けていきましたが、その早いこと・・・。逆に逆らって瀬戸内側に向かう船は止まっている感じでした。自然の作り出す面白い現象です。

 淡路島は玉葱の産地、道の駅に入ってみると玉葱、玉葱、玉葱・・・。なんたって玉葱ソフト・玉葱クッキー・玉葱パイ・玉葱ジャムまでありました。淡路島の玉葱は確かに甘くて美味しいです。東京でも淡路島産の玉葱を食べています。

 
道の駅は玉葱だらけでした

 今日泊まる宿は休暇村 南淡路です。温泉ですからこれまでの疲れを取ってくれることでしょう。お部屋は福良湾側でしたが、廊下からは鳴門大橋を眺めることが出来ました。夕食・朝食ともバイキングです。テーブルが確保されていて、後は自由に食べたいものを持ってくる。鯛の刺身・鯛の煮付け・アラ汁、スズキの焼き物・・・食べたいものを食べたいだけ取れるのは嬉しいですね。勿論、玉葱のサラダたっぷり食べました。

 温泉にも鳴門大橋を眺めながらゆっくりと浸かりました。明日は次男の居る四日市泊まり、見学は次男のマンションが最後です。この旅行もあと一日になってしまいました。21日はひたすら東京に向けて走ります。


 第5日目 8月20日(木)  走行距離:274.0km  延べ走行距離:1605.1km  歩数:9863歩

 
宿から眺める鳴門大橋                  今朝も渦潮が出来ているようです

 8時半過ぎに宿を出発しました。昨日降りた淡路島南ICから神戸淡路鳴門道に入り、北淡ICに向かいます。淡路島は地図で大きな嶋である事は承知していましたが、実際に訪れてみて、以外に山がちである事、そして、想像していたよりも広く感じました。これが自動車で走る楽しさです。日本の広さを実感出来ます。
 北淡ICから2km位の所に『北淡町震災記念公園』が有ります。毎年1・17にはここで追悼の集いが開かれますね。一番の目的は露出した『野島断層』をこの目で見ることです。

 
    追悼モニュメント                       道が右に120cmずれています

 
     右上にずれているのがはっきり分かります         地割れの痕 揺れている最中にパクリと口を開けるわけです

 
断層の断面です こんなにスッパリと切れちゃっているわけですそして過去にもあったことが・・・

 
地震の放送でよく見たお家モニュメントハウスとなっています

 モニュメントハウスは家の海側1mの所を断層が通過していました。普通なら粉々に崩れてしまうところでしょうが、鉄筋コンクリート造りでセメントを通常の2倍も使って作ったと言うこと、断層が真下を通っていなかったことでで崩壊を免れました。
塀がずれていますが赤の矢印が断層によってズレ上がった部分、黄色の線が塀のズレですがこれが120cmです。
 この後、阪神淡路大震災と東日本大震災の揺れを体験するコーナーで両方体験してきました。もし同じものが起きたとしたら、我が家は倒壊すること間違いなしです。耐震補強考えた方が良いかもしれません・・・。

 入場の際に物産館での10%引き券をもらいました。地元にお金を落とすことは大切な事ですから、玉葱スープなどを買いました。その際、売店の小母さんの話を聞きましたが、北淡町で火災は一軒だけで済んだそうです。作り物でない震災当時のそのままの状況を切り取ってあるこの記念館は一度見ておくべきです。

 
    間もなく淡路島最北端                    明石大橋向かいは神戸垂水区です

 震災記念公園を後に淡路ICに向けて平場を走りました。12km位ですが、高速道ではなく淡路島を走ることが出来良かったです。ICに入るとすぐに明石大橋、そして本州上陸です。垂水ICで降りて、五色塚古墳に向かいました。神戸垂水区を東京との町の違いを感じながら走りました。

 
後円部より前方部・淡路島を眺める                前方部より後円部を眺める   

 
         後円部を見上げる                    葺き石の色の違い(前方部側がオリジナル)

 五色塚古墳は葺き石の説明などに使われる代表的な古墳です。写真の様に前方部の葺き石は黒っぽく、後円部は白っぽいですが、後円部は復元の際に新たに入れた物で、前方部側の黒っぽい石が築造当時の葺き石だそうです。雲母などを含んでいて、太陽の光で色々輝くと言うことでした。熊公の一番見たかったのは、この古墳の立地状況です。地図などでは見て知っていますが、その場に立ってみることは重要です。明石海峡を俯瞰するように作られている古墳、この地の豪族の力を示すものですね。前方後円墳ですから、大和政権の傘下に入った豪族、明石海峡を通過する船やこの下を通っている山陽道を通過する人は、この地の権力者を敬わずには居られなかったことでしょう・・・。

 
     海の要 明石海峡                      現在の動脈 山陽電鉄本線とJR神戸線

 五色塚古墳の見学をした後は須磨浦公園に向かいます。須磨浦は源平合戦一ノ谷の戦いの場所です。須磨の関が置かれた場所でもあります。

百人一首の

   淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に
         いく夜寝覚めぬ 須磨の関守    源兼昌


は有名ですが、なるほど淡路島から千鳥が飛んできてもおかしくないし、須磨は
関を置くのにもってこいの、山と海が迫った場所です。平家軍がここに陣を張るこ
とは理にかなっていました。

 右の写真は山陽電鉄本線と淡路島をロープウエーのゴンドラから写したもので
す。線路が右カーブした先が摂津国と播磨国との境になる場所です。

 平家軍は右の山から敵が来るとはまず思わなかったのでしょう。義経はその油
断を突いたわけで、やはり策に富んだ武将だったのでしょうね。屋島の戦いも、
徳島側から侵入して少人数で平家を圧倒したわけでした。
 徳島から室戸岬に向かう途中『源氏橋』『義経橋』という橋を渡りましたが、あの
辺に上陸したのでしょう・・・。

 須磨浦公園は摂津国側の展望台と播磨国側の展望台が有り、この両方をリフトが結んでいます。これに乗ろうかと考えましたが、チケット売り場の人が、今日は播磨側に行っても展望が期待できないという事で、リフトは動かせはするが休止中と言うことでした。そこで摂津側の展望台だけにする事にしました。

 
  一ノ谷の古戦場 鵯越はこの辺でしょうか            ロープウエーの後はカーゴレーターという乗り物に
                                          荷物(籠?)エスカレーター?

 山頂は屋島の時と同じ、雲底ギリギリでした。大阪湾を一望に出来ました。また、明石海峡、明石大橋、播磨灘方面もしっかり眺められました。

 
       明石大橋と淡路島・播磨灘               熊谷直実に打たれた平敦盛を供養する敦盛塚

 昼食は敦盛塚の真ん前の『敦盛蕎麦』にしました。『たぬき卵とじ蕎麦』を注文してみました。関東で『たぬき蕎麦』といえば天カスが想像されます。イメージとしては天カスが卵にとじられていることをイメージしていました。ここは関西です。出てきたのはお揚げが卵にとじられたものでした。


敦盛蕎麦のたぬき卵とじ蕎麦

 食文化の違い、嬉しいですね。そばつゆも関東のような黒っぱさは無く上品な感じでした。旅って良いな〜〜〜!!

 蕎麦を楽しんだ後は須磨寺に行きました。敦盛の首塚を見てきました。


須磨寺本堂

 
敦盛の首塚                                弁慶の鐘

 熊谷直実と敦盛の一騎打ちの場面を像にしてあるお庭には行かないで帰って来ました。帰り掛け『明石焼き(だし汁で食べるたこ焼き)』を買って帰りました。これは四日市でも食べないで、自宅で家族みんなで頂きました。美味いです。

 須磨寺の見学を終えていよいよ四日市に向かいます。途中『甲賀忍者屋敷』に寄ります。月見山ICから高速に入りました。阪神高速3号線で吹田に向かいます。西宮ICで名神高速に入りますが、甲子園に一番近くなったところ。丁度高校野球の決勝戦、仙台育英vs東海大相模との試合で仙台育英が同点に追いついた場面でした。関東勢を応援すべきですが、仙台は次男がお世話になったところ、東北に優勝旗を持って帰らせたくも有り、応援をしました。準優勝、今回も東北地方に優勝旗は渡りませんでした。残念です。

 名神高速・新名神と乗り継ぎ、甲南ICには15時50分過ぎでした。16時30分が入場締め切りですから、何とか間に合いました。甲賀忍者屋敷は現存する忍者屋敷としては唯一のもの、面白いのは子孫は忍者屋敷である事を知らないでいたということです。調査によって現存する唯一の忍者屋敷で有ることが確認されたと言うことでした。

 
          甲賀忍者屋敷の前で                 隠し階段二階へ その他色々な仕掛けがありました

 
2階の見張り窓                                  3階の空間

 
落とし穴と隣に繋がる通路                         主の部屋の色々な仕掛け

 3階建てになっていますが、2階は非常に天井が低く刀は使えない状態でした。玄関を見張る所と、いざというときに1階の座敷に逃げることが出来るような構造になっていました。3階は屋根裏、賊が侵入した際、2階に誘い込み、1階と3階から挟み撃ちに出来るようになっていました。
 忍者屋敷は色々な心理を上手く利用した作りになっていました。自宅にこんな仕掛けがあったら面白いでしょうね。作り物でないところが良いです。また行きたい場所になりました。

 一番下の右の写真は主の部屋です。矢印の扉は何と一寸の厚さの一枚板、水色矢印のふすまの部分は二階から降りられるところ、更にその場所には刀掛けが付いていました。黄色矢印はドンデン返し、ふすまを閉めておくと秘密の空間が出来、左右に逃げることが可能、更に矢印ここは落とし穴になっています。下の写真左側のものです。敵が来たときにわざと見えるようにドンデン返しに逃げ込む、このドンデン返しは180度しか動かず、仮に右手で押して赤矢印の空間に入り床の板をスライドさせるそして逃げてしまう。賊は右手でドンデン返しを開けようとしますが180度しか回転しませんから今度は左から押さなければならず、混乱して、やっと中に飛び込んだときは落とし穴に落ちてしまうと言うわけです。
 落とし穴に横穴がありますが、これは隣の家に続くもので、家人にすれば逃げ道ともなります。賊としては明るいところからここに落ちるとすぐには目が利かないわけで、やっと目が慣れたところで上に上がろうとしますが、この落とし穴はオーバーハングしているということで簡単には上れない、そうこうしているうちに横穴に入ってくると隣の家で捕獲されるという筋になっているそうです。

 主の部屋にはその他にもはめ込みの窓のように見える窓が開いたり、押し入れの奥から隣の部屋に出られたり、圧巻は青矢印の一枚板の板戸です。一寸の厚さでは打ち破るのは無理ですし、開けるのもそう簡単ではありません。その間に逃げてしまうわけですね。

 去年は伊賀の忍者屋敷を見ました。また、戸隠の忍者屋敷は何度か楽しんでいますが、ここは本物です。駆け出し忍者鍛兵衛には良い勉強になりました。

 
手裏剣類

 
 角手                                    撒き菱

 他にもクナイ・猫手・坪錐などの忍具が展示されていました。良い勉強になりました。最後の見学地にここを選んで正解でした。見学者は熊公夫婦のみ、説明も丁寧にして下さり実に楽しかったです。閉館ギリギリまで見学して来ました。

 亀山−四日市間渋滞中という情報、下を走ってもあまり変わらないかもしれませんが後50kmくらい有りますから、高速に乗ることにしました。

 四日市には18時半頃に到着しました。次男のマンションに転がり込むつもりでしたが、二人は無理といわれ、急遽ホテルを素泊まりでとりました。次男の家から400m位の場所です。
 次男の帰宅に合わせてまずは今回の旅行の最終見学地、次男の部屋見学です。きちんと片付いて居ました。元気に生活している感じで何よりです。

 夕食は近くの串揚げ屋さんに行きました。お任せコース大体30本が出てきます。ちょっと高いですが、良い感じのお店でした。


『神戸亭』 洒落た雰囲気のお店でした

 近鉄四日市の近くのお店に行けば必ず同僚や上司に会うから・・・と、言っていましたが隠れた良いお店を発見。次にまた行くチャンスがあったら、ここに寄ろうと思います。


 第6日目 8月21日(金)  走行距離:382.5km  延べ走行距離:1987.6km  歩数:2673歩

 今日は特別見学地など有りません、8時半頃次男と合流して一路東京を目指します。給油はしなくても東京までギリギリで帰れそうでしたが、給油しておけば安心ですからどこかで給油することにしました。

 伊勢湾岸道の みえ川越ICから高速に乗ります。四日市のコンビナートの第3コンビナート群を右に見ながら走りました。次男は第1コンビナートに居ますが、似たような場所なんだと思います。本当は働いている場所を見に行きたかったのですが・・・。


四日市の第3コンビナート

 遅い朝食を浜松SAで食べました。浜松と言えば餃子です。ウナギと言いたいところですがそこはパスです。餃子定食を頼みました。

 
     餃子定食                    ワイフの頼んだシラス丼

 新東名は走りやすい高速道路です。サービスエリアも色々特徴がありますから、浜松ではガソリンは入れず、静岡SAに寄ることにしました。給油後サービスエリアを少し見学していよいよ東京に。
 渋滞のメッカ秦野中井−横浜町田間、詰まることはありましたがまったく問題なし、首都高は中央環状線の板橋JCTを先頭に断続的な渋滞がありましたが、後はスイスイと流れ、自宅には14時40分頃につきました。

 走行距離1987.6kmでした。今年も愛車ノア『熊幸』は元気によく走ってくれました。エンジンを切るときに感謝の言葉を言いました。事故に遭うことも無く、栗林公園では雨に遭いましたが、後はほとんど傘いらずの見学が出来ました。計画通りに歩けたことも嬉しいです。感謝です!!
 旅行中ワイフと 「義父と熊公のオヤジ様一緒に来ている感じがするね」 と話していましたが、実際一緒に旅をしている感じがしました。要所要所で守られた感じがしています。

 近所の大きな酒屋さんに土佐の酒 『酔鯨』 を買いに行きました。夕食時に備前焼にこの酔鯨を入れてチビリチビリと飲むことにしました。

 オフクロ様はお土産に連れ帰った次男を喜ばすために好物の堅焼きそばを作って待って居てくれました。次男も喜んでいました。夕食後は撮ってきた写真などをテレビに映して楽しかった旅の話しをして過ごしました。お土産も喜んでもらえて良かったです。あっという間に過ぎた6日間でした。楽しかったな〜〜〜!!

 来年は四国の西半分を回るか、山口県です。どっちにするかゆっくり考えようと思います。やっぱり5泊必要になりますね。5泊目は四日市という線で考えようと思います。
(2015.08.23.)






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