第1日目 12月13日(日) 歩数:18965歩 15.17km
今年の夏休み頃、長男が 「父さん、在来線で通過出来るうちに青函トンネルくぐらない?」 と、旅行を提案してくれました。即答で「行こう!!」 と、了承しました。列車・宿・飛行機の手配は息子がしてくれることになりました。
自分が好きでやってきたことを息子が繋いでいてくれることを嬉しく思います。高校受験の際に将来は地理に関係ある仕事をしたいと思うと話してくれて、アドバイスをしました。進路を自分で決定して、人文・自然どちらの地理か分かりませんが、そちらの方面に進むと思っていましたが、高校での生活、人との出会いで現在はまったく畑違いの仕事をしています。しかし、趣味でトラベルコーディネーターの勉強などしています。人は好きなものを持ってワクワクしながら生活する事が何より大切とつねずね思っていますから、長男の生き方は嬉しい姿です。
あの提案から4ヶ月、計画が実現することになりました。
|
|
左のような旅行計画書が作られました。目的
は青函トンネルを在来線で通過することです。
あと3ヶ月で『北海道新幹線』が函館北斗駅ま
で開通しますが、それに伴って在来線は廃止
され、津軽海峡線は貨物列車のみが通過する
ことになります。
まずはどのように新幹線の軌道に入って行
き、そこから出ていくのかを確認する事が楽し
みの一つです。
勿論『青函トンネル』で北海道に行くことも大
きな目的です。また、青森・函館の両方にモニ
ュメントとして置かれている青函連絡船を見学
するのも楽しみの一つです。
『八甲田丸』・『摩周丸』共に学生時代に乗っ
たことがある船です。出港時の銅鑼の音とピ
ーッとなる笛の音が懐かしく思い出されます。
函館の名所は歩いたことがありますが、函
館山からの夜景は見たことがありません。そし
て学生時代は朝市でゆっくり食事なんて言うこ
ともした事がありませんでしたから、それを楽
しみの一つにしていました。
成人した息子と2人旅、これも楽しみです
ね。本当に頼もしくなりました。生まれたときに
は掌にのっちゃうくらいだったのに・・・。
小さい頃良く旅をしたことが記憶に残ってい
てくれるのでしょうね・・・。 |
天気はまずまずです。那須連山・安達太良山・吾妻連邦・蔵王山など眺めながら仙台到着です。仙台は6ヶ月間ですが次男が下宿していましたから、何だか懐かしい感じがします。
岩手に入ると少し雲が低くなった感じで、新花巻過ぎると見えてくる『岩手山』は頭を雲の中に隠していました。少々残念です。盛岡では田舎(雫石)へ続く田沢湖線(秋田新幹線)を左に見送って、更に北上していくことになります。長いトンネルが多くなります。
西に向かって離れていく秋田新幹線 頭を隠した恥ずかしがり屋の『岩手山』
八戸道を眺める頃から次第に西の方に向きを変え、世界最長の陸上鉄道トンネル『八甲田トンネル』を抜けると間もなく『新青森駅』です。ここから在来線で『青森駅』です。定刻11時37分に到着しました。
青森以遠はまだ書かれていません 終着駅青森昔の方が活気があったような感じが
ホームに残る『連絡船』の文字 ホームのどん詰まりのこの跨線橋で連絡船に乗り込みました
ホームにはほとんど消えかかっていましたが『連絡船』の文字が残っていました。この誘導に従って、一番前の階段を上り連絡船の待合室に行ったものです。懐かしいな〜〜〜!!
青森での行動時間は70分です。駅を出て『八甲田丸』の見学です。ちょっと残念なのは座席部分・桟敷部分が取り払われてホールのようになっていたところ、一つ上の階のものは残っていましたが、自分が使っていた普通クラスの座席などは残して貰いたかったな〜〜〜。しかし、操舵室・無線室などを見学できましたし、更に階下の貨物列車の入る場所の見学と、エンジンルームにも入れたのは楽しかったです。
駅側から連絡線に繋がるレール いつもタラップから見ていましたから、見上げる連絡線は初めて
操舵室 貨車の固定
展示されている郵便車
さて、駅に戻って『スーパー白鳥11号』を待ちました。売店で『青函トンネル』通過の際に飲もうと青森の地酒とおつまみを購入しました。
スーパー白鳥11号 青函トンネル通過時に飲むお酒
スーパー白鳥の座席のテーブル部分には青函トンネルに入る時刻、最深部通過の時刻、抜け出る時刻が掲示されています。青森駅13時00分発車で、トンネルに突入するのが13時45分頃、最深部通過が58分、抜け出るのが14時12分の予定でした。まずは陸奥湾を眺めての旅です。
陸奥湾 下の国道は過去に走ったことがあります 蟹田駅、ここから車掌さんはJR北海道に変わります
蟹田駅で車掌さんが交代、ここでJR北海道の管轄になるようです。右手陸奥湾とその向こうに下北半島を眺め、すぐ下を国道が走っていますが、この国道は龍飛崎を巡ったときに走ったことがあります。あの旅行では、竜飛海底駅に降りました。今度はそこを通過する事になります。
蟹田駅は本州最後の停車駅、ここで一旦津軽半島の内陸側に入り、蟹田小国谷田というところで津軽線と別れます。白鳥号はその少し先で新幹線の軌道に入る事になります。
新幹線の軌道が近付いて来ます 一旦新幹線軌道をくぐって合流する事になります
在来線上りが離れていきます 新幹線の軌道に乗る寸前
合流直前 合流すると三線軌条になります
三線軌条は秋田新幹線の大曲−秋田間もそうですが、あちらは新幹線が在来線に入っていく感じ、それに対してこちらは在来線が新幹線の中に入っていく感じがします。実際3ヶ月後は在来線は通らなくなるわけですから・・・。トンネルの入口付近が合流地点でした。
次はいよいよ青函トンネル通過です。白鳥にはドアの上に電光掲示板がトンネル名を表示してくれるので、入ったぞ!! というタイミングは掴めました。ただ、通過の記念に飲もうと思っていたお酒、新幹線合流の時に飲みきってしまいました・・・。
竜飛海峡駅・最深部・吉岡海底駅(竜飛・吉岡とも駅としての機能は終了)を瞬間的に通過して、いよいよ北海道の大地に突入です。北海道側で新幹線の軌道から離れるのは『木古内駅』直前でした。木古内駅はおそらく在来線(貨物を除く)の終着駅になるのでしょうね・・・。
木古内駅手前で新幹線の軌道から離れていきます
木古内駅 線路は見慣れた幅のものに戻りました
北海道、久しぶりです。学生時代は毎年行っていたのですが、就職してからはパタリと行かなくなり、あれから37年です。時間の流れの速さ、ビックリですね・・・。来年は還暦です。仕事もあと1年と3ヶ月になりました。
函館湾と函館山
木古内駅からは海に沿って走ります。函館湾越しに函館山が眺められるようになりました。連絡線の頃は函館山が見えてくるとワクワクしましたが、列車でも何だか同じような気分になりました。新幹線は内陸側を通っていくだろうし、防音壁などもあるから、この旅情は味わえないでしょうね・・・。やはり今回在来線で函館に行く計画は良かったです。長男に感謝です。長男の発案がなければ、この旅はなかったでしょう・・・。
函館もまた終着駅 レールはここで止まっていますが
本来は連絡船に繋がっていたわけです
新幹線開通まであと104日
14時58分、定刻に函館に到着です。駅には北海道新幹線開通まで『104日』の掲示がありました。
さすがに北に来ました。15時は東京の16時頃の感じです。天気は抜群です。まずは箱館戦争の土方歳三の最期の地を見に行きます。駅からすぐの所です。
すっかり綺麗になった函館駅 土方歳三最期の地 『一本木関門』
土方歳三最期の地 『一本木関門』 箱館戦争の時は激戦地だったわけですね。先日、板橋宿の散歩をした際には近藤勇の墓とおそらくはこの辺が処刑地だろうという場所を歩いてきました。これで新撰組のトップ2人の最期の地を歩いたことになります。『一本木関門』を見たあとはまた駅に戻り、連絡線『摩周丸』の見学です。
この場所が貨物のレールがあった場所 懐かしい摩周丸 ・
摩周丸はスキーの板を納めた階段を上って上の階や操舵室・通信室、甲板などの見学が出来ました。こちらは下の方には行けませんでしたが、やはり懐かしかったです。しかし、こちらも座席・桟敷の席は取り払われていました。
駅近くのホテルを取ってありましたので、まずはチェックイン、そして函館山に夜景を見に行きました。学生時代は夏でしたがそんなに人が居た記憶がありません。しかし、今回は・・・。中○人の団体の多い事、回りの9割は中○人でした。その五月蠅いこと!! あれなんとか成らないものでしょうか・・・。ロープウェーの待ち時間はおよそ30分でした。
世界三大夜景 函館山からの絶景
聖ハリストス教会・カトリック元町教会 赤煉瓦倉庫街のクリスマスイルミネーション
少しお高かったですが長男と記念撮影をして貰いました。4日後に届きましたが、良い記念となりました。クリスマスの時季ですから、市内はきれいに光で飾られていました。特に赤レンガ倉庫の所ではカナダから送られたもみの木が海の上に浮かべられ、30000個のイルミネーションに飾られていました。しばらく経つと白や赤などに色が変化し、もみの木を載せた台船の上では、色々なイベントが行われていました。
仙台スズメ踊り 北海道ですビールとジンギスカンは欠かせません
ジンギスカンを食べた 『羊羊亭』
夕食はジンギスカン、『羊羊亭』というところでビールと一緒に楽しみました。ジンギスカンは好物です。食べ放題コース、大満足でした。
ホテルに戻って今日の行動は全て終了です。明日は朝市と五稜郭、その後は未定です。
(2015.12.20.)
|