もう1ヶ月以上前になりますが、中山道 板橋宿を散歩してきました。この夏あたりから地図をもって近所を散歩して、昔の道などを探して楽しんでいます。
地図上にお寺や神社、お堂などを見つけ出し、そこを結ぶような道を見つけます。その道を歩いてみるのですが、途中で庚申塔やお地蔵さん、道祖神、道標などがあれば古い道です。こんな事を楽しみながら歩いていると、感じの良い喫茶店や手作りパン屋さんなど知らなかったお店を発見したりします。
11月21日(土)ははっきりとしている中山道を歩くことにしました。東武東上線の下板橋まで電車で行き、そこから歩き出します。まずはJR埼京線 板橋駅までいきます。昔の小川が歩けるよになっいます。これを使ってくと駅の下をくくり抜けるトンネルがあります。
下板橋駅−板橋駅−板橋宿入口
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JR板橋駅
駅前の近藤勇墓所
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墓所内 新撰組慰霊塔・埋葬地 新撰組ファンの寄せ書きノート
1の地点、板橋駅の真ん前が近藤勇の墓所です。流山で新政府軍に捉えられ、新政府軍の総督府が置かれていた板橋宿で取り調べを受け、近藤は幕臣 大久保と名乗っていましたが、近藤のことを知る人物に見破られ板橋の地で処刑されました。処刑された地点は数十m離れた地点だったと言うことです。
板橋宿は中山道の最初の宿、逆に京都方面から来ると最後の宿、旅で力尽きた馬などを処分した地があったと言うことで、近藤はそこで斬首されました。近くに『馬頭観音』が祀られた場所(A)がありましたから、おそらくはその辺だったのでしょう。
馬頭観音のお堂
近藤の遺骸は親族によって日野に改葬されたと言うことで、この場所は最初に埋葬された場所と言うことです。首は京都の三条河原にさらされ、行方不明になっているということです。
いよいよ中山道をたどります。埼京線の踏切の手前(2の地点)に大学芋のお店があります。現在は仮店舗で、線路を渡った側にそのうち移転するそうですが、ここの大学芋は美味いので評判です。その名も『合格屋』、この芋を食べて試験を受けたら合格間違いなしかな?
板橋宿入口−ライフ
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板橋宿入口の看板
板橋宿脇本陣跡
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Bの所が板橋宿の看板です。まずは3の脇本陣跡です。マンションの玄関前にポツンと立っていました。ここは近藤勇が処刑されるまでの間監禁された場所です。何と、ペルシャからのラクダもここに泊まったということです。ちょっと脇に入りますが、『花の湯』という銭湯が目印です。
続いてまたまた食べものです。『日本一分厚い鯛焼き』とうたっているお店、『げんぞう』(4の地点)です。
食べでのある鯛焼きです 一度は食べておきたいですね
確かに分厚い鯛焼き、味も良かったです。オフクロ様にお土産としました。今度またいったら食べようと思います。
次は本陣跡です。大名などが宿泊した場所です。ライフの手前、民家の門前にありました。
板橋宿 本陣跡
この本陣の向かい、石神医院という病院の脇には『旧水村玄桐宅』の説明板がありました。高野長英が脱獄後に立ち寄った門弟の家のあとです。
旧水村玄桐宅の案内板
ライフ−環七通り
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中山道の賑わい
和菓子店 『新月堂』
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本陣跡から少し歩くと和菓子屋さん(6の地点)がありました。団子があったのでこれを購入。他にも板橋をテーマにしたお菓子がありました。店内には昔の『板橋』の写真がありましたので、撮影させて貰いました。
明治の初めの頃の板橋 現在の板橋 板風なコンクリート橋
板橋(7の地点)は石神井川に掛かる橋です。上の写真右側の写真を撮っている位置がおそらく昔の板橋のあった場所、流路の改修で奥側の現板橋が掛けられたものと思われます。和菓子屋さんの所から緩い下り坂になりこの地点にたどり着きます。
『縁切り榎』 絵馬が恐ろしいものばかりでした
8の地点が『縁切り榎』です。榎自体は代替わりしていますが、掛けられた絵馬は怖かったです。
「○△と完全に縁を絶つことが出来ますように」
「夫と離婚できますように −△○子−」
「息子と□△子と別れますように −母−」
・・・・・・
など、特に−母−と書かれたもの、何だか背中がゾクゾクッとする感じでした。徳川家茂に嫁ぐため皇女和宮は中山道を使って江戸に来ましたが、この榎の前を通るのを嫌い、別ルートで中宿に出ています。
環七通り-本蓮沼駅
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9の地点新道と合流
にぎやかで元気な板橋宿の町並み(商店街)
は環七通りまで、左手に首都高速5号線と中山
道の新道が合流します。
左の地図を見ていると曲がりながらもずっと繋
がっている道が何本か見られますが、こんな道
を歩いてみると、面白いものにであったりしま
す。地図とにらめっこは面白いですね。
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新道合流地点−志村消防署
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10の地点 南蔵院
南蔵院は真言宗のお寺で、関東三十六不動
尊霊場の札所(12番)・豊島八十八ヶ所霊場の
札所(34番)ということです。
八代将軍の徳川吉宗が鷹狩の際に休憩の際
に立ち寄ったと伝えられています。
板橋は鷹狩りの場所だったようで、家からそれ
程遠くないお寺には将軍用の食器などがあるお
寺があります。
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志村消防署−三徳
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志村一里塚
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11の地点『志村一里塚』です。左右が残されているのは貴重な事です。中山道3番目の一里塚です。板橋平尾宿に2番目の一里塚があったわけですが、現在はなくなっています。おそらく近藤勇の墓の近くに有ったと考えられますから、ここで4km歩いたことになります。中山道拡張工事でも残されたというのは嬉しいですね。
三徳−志村三中
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12の地点 喫茶店
13の地点 志村城趾
この写真は秋に散歩した際のもの
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『志村一里塚』見学のあとは志村城趾下へ、この道が皇女和宮が通った道です。この城跡には秋の散歩で来ましたが、城跡には熊野神社が有り、志村小学校との間に空堀の跡が残っています。神社は古墳の跡に建てられていると言うことです。
この城の荒川側の斜面を降りたところに喫茶店があるのです。三度目の挑戦でコーヒー飲めるかと思ったら、今回も残念、土曜日はコーヒーの販売のみということでした。
14の地点は写真がありませんが、手作りパンのパン屋さんです。フランスパンがなかなか美味しかったので、この日はパンを買って帰り、夜はパンにしました。
志村三中−植村冒険館
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15の地点 植村冒険館
冒険家 植村直己は中宿に住んでいました。そ
の為にこの冒険館が板橋にあります。小さな場
所ですが、植村直己の使った道具などが展示さ
れていて、ビデオも上映されています。
このビデオ、70分のもので1度に見るのは大
変です。といって2回いくというのもこれまた大
変。板橋区には上映の仕方を工夫して貰いたい
です。
小学生の頃はこの辺は田んぼが広がっていた
場所で、ここまで来ると自分の小学校の縄張り
外で、何故か緊張したものでした。
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植村冒険館−西台駅
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冒険館を出てすぐに『蓮根中央商店街』です。
ここを左に曲がって西台の尾根の裾を通る古道
を歩けば自宅まで2km少々です。
今回は右に曲がって商店街を通り、高島通り
に出ます。
高島通り
高島通りはいちょうが色づき始めた頃でした。
昼食を食べるためにこのコースにしました。 |
西台駅−前谷津川
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16の地点 昼食を摂った『インディラ』
最初にジャガ芋とバターがどかんとで出来ます
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昼食は欧風カレーの店『インディラ』です。最初にジャガ芋がバターと共に1つドカンと出てきました。ご飯はメルティングチーズが刻まれてのっていました。それと梅干し(小梅)が1つ。小梅は別として、メルティングチーズを刻んでご飯に載せるというのは自宅でも試してみようと思います。
前谷津川−高島平駅
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高島平一丁目交差点
高島平中央商店街
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17の地点でお買い物です。夜のパン食時のスープの材料などを購入。高島平中央商店街は鮮魚店がなくなって寂しくなりました。以前は串焼きにしたイカやエビ、魚など威勢よく売っていたのですが・・・。
高島平駅−徳丸ヶ丘緑地地区
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徳丸ヶ丘緑地地区
緑地地区周辺は子どもの頃の遊び場です。こ
こまで来るのは大遠征でしたが、蔓につかまっ
てターザンごっこをしたり、田んぼでカエルやザ
リガニを捕ったりして遊んだ場所です。
50年くらい前から田んぼが埋め立てられて、
高島平団地、都営三田線などが整備されまし
た。今となっては昔の雰囲気をとどめているの
はこの緑地地区くらいです。
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徳丸ヶ丘緑地地区−自宅周辺
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18の地点 北野神社
北野神社は『田遊び』など無形文化財が伝わ
っています。勿論、菅原道真が祀られています。
19の地点、以前は展望塔が立っていて景色を
眺めるのには最高の場所、そして、小さなアスレ
チックがあったのですが、現在は両方とも撤去さ
れて寂しいです。この公園から、熊公の家が眺
められます。
ここから先は自宅が特定されちゃいますから
地図の掲載は控えます。
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この歴史散歩、これからも企画して歩こうと思っています。今回は妻が同行しました。義妹夫婦にそのことを話したら、是非に連れて行って欲しいと言うことに、今度またこのコースをたどるつもりです。4度目の挑戦で喫茶店でコーヒーを飲みたいものです。
今回のコースは10.7kmです。鯛焼き・大学芋・コーヒー代くらいの値段で、楽しい散歩が出来ます。おすすめです。最初に書いたコース造りのポイントを試されて、最初は3〜4kmのコースを作って歩かれてみてはいかがでしょうか。お住まいの地域にも必ず歴史散歩が出来るコースがあるはずです。
コースが出来たら、ネットなどを使って神社やお寺のことなど調べて歩くとより楽しくなりますし、歩いて発見したことを調べてみるのも楽しいものです。
(2015.12.24.)
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