熊公の独り言 V




◆ 四国西半分周遊の旅 @ ◆
 毎年恒例の夏の大イベント日本周遊の旅、今回は去年から予定していた四国西半分を回る旅です。昨年は帰り掛け四日市の次男の所に行き、次男をお土産に東京に連れて帰ってきましたが、今年春に部署が変わり、ある程度責任を持たされて仕事をしているようで、夏休みは取れていない状態、「9月になったら帰る・・・」と言うことでしたので、今回は完全に夫婦旅となりました。今年5月で還暦を迎えましたから、その記念の旅行でもあります。
 四日市は四国を離れて東京に帰ってくる中間点で、ここに泊まると次の日が楽なのですが、今回は奈良に宿を取ることにしました。
 今回は児島・坂出ルートを使って四国に上陸して、反時計回りに高知 桂浜を目指します。去年は時計回りに桂浜まで走りましたので、桂浜まで走れば四国の沿岸を一周することになります。
 と言っても、今年も残念ながら『佐多岬半島』には行く時間が取れませんでした。去年の『蒲生田岬』と共に、四国の東西の端には足跡を残すことが出来ませんでした。佐多岬半島は中央構造線状の半島、地形的に興味がある場所ですので一寸残念です。九州に上陸する際にここからフェリーという手がありますから、必ず行こうと思っています。伊方原発はこの半島の付け値に近い部分にあります。先日運転が再開されましたが、構造線上ですから、原発の再稼働には怖さがあります。



◇◇◇旅行のコース◇◇◇

 1日目:自宅−−−−−−−三木SA−−−−丸亀城−−別子銅山−−西条泊
 2日目:西条−−今治−−高縄半島−−松山−−瞽女ヶ峠トンネル−−宇和島−−宿毛泊
 3日目:宿毛−−ジョン万次郎記念館−−足摺岬−−四万十川−−−桂浜泊
 4日目:桂浜−−いの−−寒風山トンネル−−西条−−今治−−大三島泊
 5日目:大三島−−尾道−−−−−−−奈良泊
 6日目:奈良(東大寺・興福寺)−−−−−−−自宅

 今回のコース図は関東からは示しません。京都の南端、奈良から足摺岬が納まるようにしました。コース全体の走行距離は2300km程です。今回『しまなみ海道』を使い本州に戻りますので、本四架橋全部を走ることになります。


 第1日目 8月16日(火) 走行距離:828.4km 歩数:6713歩

 15日の夜10時20分に出発しました。去年よりおよそ40分早い出発です。大きな渋滞など無く首都高−東名高速と走りました。一番気になっていたのは台風7号の動きでした。2日くらい前の予想進路では四国直撃のコースでした。出発時には関東地方に近付くと言う予報になっていました。どうしてか分かりませんが、静岡県 掛川周辺に猛烈な雨が降って避難勧告が出されている状態でした。静岡−浜松辺りの運転は大変に成りそうでした。
 都夫良野トンネル付近で雨、その後も断続的に降ったりやんだりでしたが、やはり新静岡辺りでかなりの降りになりました。休憩は掛川と考えていましたので、一気に224.4km走りました。幸い掛川ではそれほどひどい雨ではなく助かりました。警報は解除になっていましたが、市の勧告はまだ出た状態でした。

 去年は新東名は『いなさ』までで、東名高速に合流させられましたが、今回は『豊田東』まで一気に走れます。やはりスムーズで、一日も早い新東名の全線開通を願いたいものです。

 予定より40分早く出た分全体的に早め早めに動くことができました。次の休憩と給油は土山SAと考えていました。しかし、駐車場が満杯状態、そこで給油だけしてすぐに出発、次の甲南PAに寄ることにしました。
 甲南PAはお店などは閉まっていましたが、トイレを済ませ、自動販売機の『たこ焼き』をかって食べてみました。美味いとは言えませんが、何もないよりよいですね。

 
たこ焼き以外にホットドッグ・焼きおにぎり・今川焼きなどが・・・

 去年は京滋パイパスを使いました。そして、宇治辺りで夜明けを迎えましたが、今回は京滋パイパスは名神使用より+5分だったので、名神高速を使いました。40分早い分、今夏は六甲山の北側を通過する辺りが夜明けでした。さすがに京都辺りを運転しているときが一番眠さを感じました。

 三木SA直前2kmくらいの地点が東経135度(日本標準子午線)の地点でした。常に東経・北緯を計測表示するアプリをスマホに入れておきましたので、刻々と変わる東経を確認しながら走りました。

 
日本標準子午線通過・・・ ピンぼけが残念 

 東経135度丁度を通過する事が凄いことでは無いのですが、熊公にとってみるとワクワクすることなんです。住んでいる場所の東経は139度39分です。たった4度39分を移動するのに(道のりで)およそ555km走る。日本の広さ地球の大きさを実感出来る気持ちになるのです。

 次は三木SAで休みました。1年楽しみにしていた『ぼっかけうどん』を食べました。やっぱり美味いです。何とか自分でも作ってみたいものです。うどんの上にモツの煮込みがのせられているうどんです。


一年楽しみに待った 『ぼっかけうどん』

 
ここで本州とお別れ                        モヤに霞む瀬戸大橋

 三木の次は与島SAです。今年は湿度が多くモヤがかかっている感じで展望はあまり良くありませんでした。
 与島の後はどんどん坂出のコンビナートが近づき、四国に上陸です。
 上陸してすぐの坂出・丸亀ICで高速を降りて丸亀城に行きました。平地にポコンと高まっている『亀山』に築城した城、天守・大手門などそのまま残っているお城です。しかし、標高60mの山の上ですから登るのに大汗をかきました。『見返り坂』は本当に見返ってしまうくらいの坂でした。天守からは坂出の港や瀬戸大橋が眺められ、いい感じのお城でした。
 丸亀城は現存している天守閣のある城 12城の1つです。
 石垣は日本一高いとか、20mもあるそうです。また、二の丸には深さ65mの井戸がありました。この井戸も日本一深い井戸とのことです。

◆◆◆ 現存天守を持つお城 ◆◆◆

 1 弘前城  2 松本城  3 丸岡城  4 犬山城  5 彦根城  6 姫路城  7 松江城
 8 備中松山城  9 丸亀城  10 松山城  11 宇和島城  12 高知城

 
日本一の高さを誇る石垣 20m                     可愛らしい天守閣   


大手門から天守を眺める

 お城の見学も予定より4〜50分早く行動できました。いよいよ今日のメインの見学地別子銅山です。基地になるマイントピア別子に入る直前から雨になりました。
 まずは腹ごしらえ、熊公はでっかいかき揚げののった『どんでん丼』、ワイフは寄せ豆腐を暖めて食べるような定食を食べました。丸亀で『讃岐うどん』を朝食にしようと思っていましたが、食べそびれてしまいました。熊公は『ぼっかけうどん』を食べましたから良いのですが・・・。ワイフは・・・。「朝ご飯抜いたから定食全部食べられた・・・」 と、喜んでいました。

 
   どんでん丼                           ワイフの頼んだ定食

 雨は次第に強くなってきて、1時からのツアーバスに乗るときには本降りで雷も鳴りました。ツアーバスの運転士さんと話していても、「上はもっとひどいでしょう・・・」 と言うことでした。でも、スマホの雲のレーダーを見ていると晴れそうな感じに、実際『東平(とうなる)』につく頃雨脚が弱まり、見学中に上がってくれました。ラッキーでした。

 
土砂降りのマイントピア別子                       東平への細い山道   

 
  『東平(とうなる)』 人が作り出した平らな土地            貯鉱場のあと 天空の城ラピュタのよう  
正面の山の頂上に100mトラックのグラウンドが・・・                                  

 東平(とうなる)は東側の斜面に開いた平らな所という意味があるそうです。石を積み上げ、土砂で埋めて作っていったわけですね。上の写真左側の山の上には100mトラックを持つグラウンドがあったそうです。左側の鞍部に小中学校があって、そこにも広場はあったそうですが、せいぜいドッチボールや三角ベースをやる程度だったと言うことで、本格的な運動会の出来るグラウンドを整備したと言うことです。

 
     選鉱場跡                         このスロープから鉱石が出てきます

 写真の赤の楕円部分が選鉱場、ここにはベルトコンベアーがあって鉱石をグルグル回していたそうです。ここは女性の働く場所だったそうです。赤の矢印部分は貯鉱所、ここから右の写真の穴を通して選鉱所に送り出したそうです。
 黄色矢印は『東平索道停車場跡』ここからバケットでマイントピア別子(端出場)に鉱石を降ろし、帰りのバケットには生活必需品をのせて『東平』に送ったわけです。

 
右の写真赤い線の所を左の蒸気機関車が走っていました

 上の写真右の赤い線は『別子鉱山鉄道上部線』が走っていた位置です。こんな山の中を左の写真の様に走っていました。

 
 東平の生活物資を搬送した『インクライン跡』

 選鉱場に策動で送られてきた生活物資は上の写真インクラインで居住スペースに運ばれました。

 
東洋のマチュピチュ

 
赤丸の向こう側が『東平』                        日本で最古級のトラス鉄橋

 上の写真赤丸の奥の山の上東斜面に『東平』があります。確かにすごいところに集落を作ったものです。『東洋のマチュピチュ』 確かにそうですね!!
 ガイドの方にいろいろ話を聞いていたら、最後に資料をもらうことができました。東平(とうなる)には大正時代5000人の人が住み、この山の上には小中学校、保育園、2000人収容の娯楽施設、病院までもが完備していたそうです。ここに住む住民は下界に降りてこなくても充分に生活できたと言うことでした。

 面白いのは、生活物資の搬送方法。選別した銅鉱石はバケットに入れられて『マイントピア別子』のある所『端出場』まで降ろされ、新居浜の港から運び出されましたが、当然東平に戻るバケットは空です。そのバケットに鮮魚・生鮮野菜・文具・燃料・・・ありとあらゆる物資を載せて持ち上げたそうです。持ち上がったところが選鉱場のところ、そこからインクラインで居住スペースまで持ち上げられたと言うことでした。

 
  観光坑道へ向けて走る機関車(電動)                こんな風に鉱石搬出したんでしょうね

 
第四通洞入口 洞内から冷たい風が・・・              通洞前の鉄橋 チョッピリ鉄が欲しいです

 策道の運転には動力は使われなかったということでした。銅鉱石の重さで下に下がっていく原理だったそうです。行く前に調べてはいましたが、やはり現地に足を運び解説して貰うのは良いですね!!
 ツアーバスを予約して置いて良かったです。800km夜通し運転して狭い山道を登るのは危険と考え、ツアーバスを申し込みました。大正解でした。
 廃墟となっている銅山の施設、鉄橋・・・。この鉄欲しいな〜〜〜!! なんて、銅以外のことにも興味を持ちました。

 江戸時代は東平のはるか上の山頂付近から掘り始めたと言うことでした。その頃にはその山頂付近に1万人以上の人が住んでいたと言うことを聞いてびっくりです。1930年東平は閉鎖され、その後はマイントピア別子のある場所が本部になり、住んでいた人は皆山を下りたそうです。昭和の採掘では海抜−1000mの地点まで掘り進んでいたと言うこと。日本人が地下に行った最下部になるそうです。地熱で気温は40度にもなったそうで、過酷な環境だったみたいです。
 別子銅山は昭和48年に閉山しましたが、銅を掘り尽くしてしまったわけではないということでした。

 また、足尾銅山のような森林破壊・鉱毒事件が起きなかったのかを聞いてみたところ、森林が亜硫酸ガスで枯れるということはあったそうですが、精錬所を瀬戸内海の島(四阪島)に移動することで食い止められ、植林がすぐに行われたと言うことです。また、足谷川の流域の土地を買い上げて鉱毒に対応したという話を聞きました。住友の先を見る経営陣が足尾のような事件を防いだようです。足尾のように内陸の山の中とは違い、海が近かったことが良かったわけですね。江戸時代から280年間に70万トンの銅を産出した鉱山です。住友を財閥にした銅山です。

 続いて見学坑道に、別子鉱山鉄道下部線の300m位を走って、観光坑道まで行きます。ここは火薬庫だった場所を改造した作り物の坑道ですが涼しくてよかったです。いよかんアイスも美味かった!! 別子銅山跡には行ってみたかったので、それが実現できて何よりです。

 今日の宿舎湯ノ谷温泉はマイントピア別子から20kmくらいの場所です。湯之谷温泉には予定より少し早く到着、離れのお部屋です。自然豊かでオニヤンマを捕まえました。ここの温泉は噴出時18度と言うことで、薪で沸かしています。
 西条という町は石鎚山からの地下水が豊富にあって『うちぬき』と言う井戸が沢山あるそうです。宿に来る途中にもお遍路さんのための休憩施設とコンコンと湧き出る『うちぬき』が有りました。

 
   西条 湯之谷温泉                      長い渡り廊下を使って離れへ

 
    オニヤンマ捕まえました               楽しみな夕食 地酒「うちぬき」を友に


いよかんアイス最中

 お風呂には地元の人たちもきているようでかなり込んでいましたが、食事の時にはそんなに人数はいませんでした。食事は上品に美味しく食べることができました。写真を撮りましたが、その後にレンコンのお団子・天ぷら、そして鯛飯が出ました。
 地酒の『うちぬき』という酒は先にも書いた石鎚山を水源にする地下水を使って作られているとか、さっぱりとしたお酒でした。


 第2日目 8月17日(水)  走行距離:256.0km  延べ走行距離:1084.4km  歩数:5659歩

 今朝の食事も手作りふりかけとかアットホームな食事でした。8時出発の予定でしたがNHKの『とと姉ちゃん』を見たりしていて30分遅れになりました。
 一般道を使ってまずは今治へ、『道の駅 湯の津』でタオルをゲットしました。

 
しまなみ海道の橋 二日後渡ります                  高縄半島の先端も間近です

 高縄半島の先端近くまで行き、松山に向かいました。途中二日後に渡る『しまなみ海道』の橋を眺めることができました。
 一路松山に向けて張ります。松山ではワイフと別行動を取ります。ワイフは道後温泉に、熊公は松山城を見学します。松山城の下でワイフにはタクシーで温泉に行って貰い、私はお城を見学したら子規会館の所まで迎えに行くことにしています。
 コインパーキング、最初の場所は満車でしたので、ここでワイフを降ろし、ゆっくりと探したところ二つめに空きを見つけ駐車、ローフウェーで天守に向かいました。

 
天守は小天守と回廊で繋がっていて中庭を囲むように出来ていました


自撮り棒で

 
ワイフ撮影の写真 : 道後温泉本館    坊ちゃん列車

 お城は現存の木造天守12城の一つです。丸亀城より3〜4倍大きくて、ロープウエーの山頂駅から5分くらい歩きます。天守直前の本丸が広々していました。
 天守閣は小天守と回廊で繋がり、天守に向かって入ってきた敵を囲んで攻撃できる作りに、中庭に入った右手に立派な入口が、もう一つある石垣下の通用門みたいな所から見学に入ります。小天守・回廊をそこを回るように見学できました。
 1時間で見学できると思っていましたが無理でした。ワイフとは子規会館前12時半待ち合わせでしたが無理そうなので45分に変更の連絡を入れました。
 降りる時はリフトで居りました。ローフウェーの方が速いですが、松山の町を見下ろしながらのんびり降りました。

 パーキングに戻って精算するとなんとストッパーの板が降りません、そこでそこの会社に電話をすると8分くらいしてきてくれました。マフラーの部分が引っかかっていたようです。下ろしてもらってやっとワイフと合流1時でした。遅刻です・・・。

 その後は佐多岬半島の付け根に向けて走りました。本来なら佐田岬まで行くべきですが、時間的に無理ですから瞽女ヶ峠トンネルから八幡浜へ。今年の梅雨は九州・四国に大雨を降らせました。関東は都心は雨が降りましたが水瓶の方には雨が降らないという異常な気象でした。八幡浜からは本来『大崎鼻』を回って行くべきですが、この梅雨の雨の影響でしょうか、地図には通行止めのマークがありました。無理に海岸線沿いに走ることはせずに宇和島に、昼食を食べる暇もなくそのまま宿毛に向かいました。

 
佐多岬半島の付け根 瞽女ヶ峠トンネルの手前               宇和海 向こうは豊後水道です       

 宿は宇和島にするか宿毛にするかさんざん悩んだのですが、翌日の行動を考えて宿毛にしました。宇和島に宿泊していれば宇和島城の見学が可能でしたが、今回は遠目に眺めて宿毛に向かいました。

 道の駅『みしゅうMIC』によって土佐珊瑚の根付けをお袋様と義妹に買いました。また、マグロ・カツオ・アジのソーセージを兄貴と熊公用に買いました。


2日目の夕食 お魚が美味しい!!

 宿毛の宿はビジネスホテル的ですが、夕食は海の幸がたくさんで美味しかったです。心配していた台風7号は今朝早く関東地方をかすめて北上し、17時頃北海道に上陸したようです。
 雲は多かったものの今日は雨に当たることなく何よりでした。


 第3日目 8月18日(木)  走行距離:222.3km  延べ走行距離:1306.7km  歩数:7363歩

 今日も『とと姉ちゃん』を見て8時半から行動開始。まずは足摺岬に。途中の道の駅に寄ったりしながら走りました。足摺港のジョン万次郎資料館によって万次郎のことを少し勉強して、海岸線沿いに足摺岬へ。途中万次郎の生家跡には寄らずに岬に向かいました。

 
宿毛湾 左の写真奥は豊後水道の入口になります


歩き遍路の方

 四国はお遍路さんが沢山いらっしゃいます。バイクで回っている方・自転車の方・車で回っている方・・・。しかし、やはり歩き遍路の方を見ると尊敬してしまいます。1100〜1400kmの道を歩かれるわけです。写真に撮れたのは1枚だけですが、何人もの方を見かけました。

 ジョン万次郎の事は劇団四季の劇で見ました。日本の幕末・明治期に重要な存在となる人ですね。船で漂流して、鳥島でアメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカに渡る。そこでしっかり勉強して捕鯨の仕事をし、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアで金を稼ぎ、アドベンチャー号を購入して上海に、そこから琉球に帰ってくる・・・。凄い人物です。

 
      万次郎が乗っていた漁船                万次郎が日本に帰ってきたアドベンチャー号

 
    もうすこしで足摺岬                   ジョン万次郎の像と三十八番 金剛福寺

 足摺岬は駐車場が少なく空きがありませんでした。ちょっと先まで走ってUターン、戻ると丁度空きが出て駐めることができました。10時40分でした。
 まずは『天狗の鼻』に行き、足摺岬灯台を眺めました。行く道には椿が沢山あって大きな実を沢山つけていました。そして、フナムシがチョロチョロと道案内をしてくれるようでしたが、なんだかゴキブリのようで気持ちが悪いです。

 
天狗の鼻から足摺岬                          展望台から足摺岬灯台

 
 地獄の穴                            大師の爪書き岩

 
    足摺岬灯台 四国最南端                    大師の一夜建立ならずの華表

 
亀呼び場                                ゆるぎ石

  『天狗の鼻』の次は展望台に、すぐそばに灯台を眺めました。次は灯台の下まで行き、グルッと回るように駐車場に戻りました。途中『足摺七不思議』のうち五つを見ることが出来ました。
 『地獄の穴』はお金が落ちていく音がしました。『爪描き岩』にはうっすらと『南無阿弥陀仏』の文字が、『華表(とりい)』は崩れたような、建て損なったような状態、『亀呼び場』は『華表』の前、亀さん出てきませんでした。『ゆるぎ石』は孝心の度合いで動くとか、動かしている本人は分かりませんが、ワイフ曰く「動いた!!」 です。見事ワイフも少し動かすことが出来ました。二人とも孝心有り!! 合格です。

 岬を出発したのは11時50分でした。次は四万十川ですが、その後のコースで、海岸ぞいに走るか、内陸側に自動車道を走るか悩みましたが、高知自動車道を使うことにしました。
 四万十川までは40km位です。河口は突然に目の前に広がる感じでした。船遊びも出来るということでしたが、運行中止になっていて、食事だけにしました。ウナギを食べようかとも思いましたがあんまり高いので僕は『ゴリ丼』、ワイフは『まかない飯』にしました。また、ウナギのチマキを食べました。

 
  ゴリ丼                                  まかない飯


清流四万十川

 この辺のお店はここだけ、値段が高めでした。そこで買いたかった川海苔などは購入せずに出発しました。四万十市内の道の駅『ビオスおおがた』に寄りました。ここで川海苔の佃煮などを買いました。やはりゴリ丼食べた店は高すぎです。二割増しという感じでした。
 後はひたすら走り、今日の宿泊地桂浜には4時20分に着きました。

 部屋は405号室、丘の上にありますから展望は抜群で足下に桂浜、その先は去年走った室戸岬からの海岸線、そして手が届く感じのところに竜王岬灯台があります。ここはその昔小城が有ったところのようです。駐車場入り口のところには浦戸城天守跡という場所がありました。長宗我部氏のお城だったようです。

 
              間もなく桂浜                 部屋からの景色 下の桂浜に降りたら四国一周完了です

 荷物を置いて、桂浜に降りました。去年は雨で暗かったですが、今回は晴れで暑いくらい、まずは龍馬像、そして桂浜に降りました。この浜で四国海岸線一周が完了しました。

   
龍馬像柄                          桂浜から宿舎を眺める  

 
桂浜 ここで四国一周完了です

 お土産屋さんに行き、最初のお店で『べく杯』を見つけ、兄貴の分と2つ購入。最後の2つでした。ほかのお店にはべく杯は置かれていませんでした。
 お土産を買って戻るのが大変です。何しろ山登りになりますから・・・。大汗かいて戻りました。夕食を6時半に頼んでありましたが、戻ったのが6時でしたので、7時に変更してもらって、お風呂に入りました。桂浜を見下ろしての展望風呂、みんな食事に行っていたので、最初のうちは1人では入れました。

 
3日目の夕食                            竜王崎灯台と沖合の船

 今日の食事も大満足。良い宿を取りました。明日は山越えをしてまたまた西条に、『うちぬき』の水をゲットできると良いですが・・・。
 しまなみ海道を使って大三島に。高校時代、鎧兜にワクワクしていたことを思い出します。午後早めに宿に行き、車を止めさせてもらって大山祇神社に行こうと思っています。
(2016.08.24.)






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