大隅半島に上陸して根占に向かいます。50km位の距離です。桜島口を通過したのは1時半頃、フェリーは17時の予約をしてあうりますから、急ぐ必要はまったく無しです。
途中、平浜と言うところの『道の駅』によって昼ご飯にしました。息子は『カンパチとブリの食べ比べ丼』、熊公は『カンパチ天丼』を頼みました。牡蠣をセットに出来るというので頼みました。息子が 「父さんビール飲んでも良いよ・・・」 と、嬉しい言葉。さっそく頼みました。
しかしです。ビールを飲んでいるところを写真に撮って、それをラインでワイフのところに送っていました。メッセージは『父さんの飲み過ぎ見張っています』です。罠にはまってしまいました・・・。
海の幸が美味い!! 根占のフェリー乗り場到着
天気は悪くなっている感じ、桜島も山頂はしっかり雲の中に・・・。根占の辺りからは対岸に開聞岳が見えるはずですが、まったく分からない状態でした。
たのかんさー 頭を雲に隠した開聞岳
フェリー乗り場に着く少し前、道ばたの田んぼに『たのかんさー』がありました。車は行き過ぎちゃったので写真を撮れませんでした。フェリー乗り場に紹介の写真があったのでそれをここに拝借しました。ほのぼのとした暖か味のある石像です。
コーストライを追いかける人間として『佐多岬』に行きたいところです。しかし、根占からは36kmくらい、往復で2時間半弱です。今回は諦めて次に回すことにしました。
一番に乗船、船は45分位乗ります。出港して間もなく頭を雲に隠した開聞岳が眺められました。港では手前の丘に見えている部分隠されていたのでした。
錦江湾(鹿児島湾)の東シナ海の出口近くを渡るフェリーです。真ん中辺りは東シナ海からのウネリが入り込んできて結構揺れがありました。
山川港に上陸、ここから指宿のホテルまで走ります。途中、指宿枕崎線と並んで走りますが、ここに『山川駅』が有りました。ここに『JR日本最南端の有人駅』の看板が有りました。明日ここを通りますから、その時に寄ろうということにして宿に急ぎました。
今日の宿は『こころの宿』と言うホテルです。夕食は7時半と言うことにして、まずは温泉につかりに行きました。
温泉は沢山の種類のものが有りました。男湯には泥パック湯はありませんでしたが10種類のお風呂がありました。露天石壺風呂は自分の家にも欲しい感じ、ジェット風呂はマッサージ効果抜群、スチームサウナは昔の人達が入ったやり方だと思いますが、これも気持ちが良かったです。
温泉から出て食堂へ行ってみると、「熊公さん達は個室になっております・・・」と、静かな和室に通され、そこでお食事を、息子とゆっくり語らい、3種類の焼酎 『利八』・『利右衛門』・『薩摩の香り』を楽しみながら素敵な時間でした。
第3日目 6月2日(日) 歩数 14833歩 歩行距離 およそ11.9km
朝目を覚まして窓を開けると本降りの雨。いよいよ傘の出番です。開聞岳を眺めるのは絶望的です。しかし、これだけの音を立てての雨です、あきらめもつくというもの・・・。
朝食を摂ったあと、最初にすることは『指宿名物の砂蒸し風呂』に入ることです。宿から送迎バスがありますが、砂蒸しを体験したらそのまま出発することにして、チェックアウトして車で行きました。
泊まった『こころの宿』 JR指宿駅 ・
砂風呂に行く途中、指宿駅に行ってみることにしました。指宿枕崎線、本数はもの凄く少ないものでした。息子が西大山駅の記念入場券を購入して来てくれました。駅前のメインストリートを抜けて砂蒸し温泉のある『砂樂』へ向かいました。
指宿名物 『砂蒸し風呂』 JR最南端有人駅 『山川駅』
随分昔、学生の頃に仲間との海水浴で砂に埋まってみたことありましたが、似た感触です。しかし、温泉が下から暖めているのは不思議でした。10〜15分入ると良いということ、出るのは自由です。熱いと感じたときは手や足を砂から出すと良いそうです。熊公は13〜4分入っていました。砂の重みとジンワリ下から暖められることで効果がある感じを実感しました。オフクロ様を連れてきたいです。「身体が軽くなった感じがする」と息子も話していました。雨は小雨状態になっていました。駐車場から温泉まで傘は必要なかったです。
『砂樂』をあとに、JR最南端有人駅『山川駅』に行きました。しかし日曜日は無人になる駅でした・・・。その後一旦息子のスタンプ集めのためフェリー乗り場に。今日は山川港ではお祭りがあるということでした。スタンプをとってから、JR最南端駅『西大山駅』に向かいました。ここは開聞岳のビューポイントして有名なところです。しかし、この天気残念です。
エエエッ!? 開聞岳が見えてきた!! 開聞岳の優美な姿 美しい!! ・
運転している息子が「父さん、あれ開聞岳じゃない?」 と言います。確かに山頂が見えています。諦めていたこころが、ワクワク感に変わりました。そして『西大山駅』に到着。
JR日本最南端の駅の標柱と開聞岳の写る写真は何度となく見てきましたが、自分で撮影する事が出来たこと、完全に諦めていたのに実現した喜びは言葉に表せないです。スカーフをオシャレに巻いた美しい女性のようでした。青空をバックにした写真はみんな同じに見えますが、今日のこの雲は今日だけのもの、これは素敵な写真だと思います。
『西大山駅』の次は『釜蓋神社』に向かいます。鳥居から社殿までお釜の蓋を頭に乗せて、手を使わずに歩き通すことが出来ると願いが叶うとか・・・。射楯兵主神社(いたてつわものぬしじんじゃ)というのが正式な名前のようです。
海からそそり立つ開聞岳 釜蓋載せて鳥居から社殿まであと4m
途中、東シナ海からそそり立つ開聞岳のビューポイントがありました。この時は山頂は雲の中でした。神社では息子は釜蓋乗せ歩き成功しました。何の願いをしたのでしょうか・・・。
『釜蓋神社』のあとは『知覧』に向かいます。本来は『枕崎』に行きたいところ、これも『佐多岬』と同じに次回に回すことにしました。
知覧では『特攻平和会館』・『武家屋敷庭園群』を見学して空港に戻ります。知覧までは30km位です。
東南アジアの森のよう 知覧はお茶の産地です
知覧までは薩摩半島の中央を走る感じになります。所々に『フェニックス』が群生しているところがありました。この景色は関東では見かけないもの、インドネシアで見たような景色です・・・。知覧はお茶の名産地、狭山の茶畑はよく見ていますが似た感じでも有り、違う感じも・・・。どうしてか考えましたが一つは茶畑とサツマイモの畑が同時に見られることかと考えます。狭山・所沢・入間・川越では茶畑が視界に入ったときその90%位は茶畑のように思います。知覧の場合70%位という感じ、その比率に違いを感じたのかと思います。また、静岡では起伏があるように思います。茶処の景色の違いは面白いです。
知覧の市街地に入ると道の両側にずらりと石灯籠が並んでいました。その灯籠には仏様のようなレリーフが・・・。よく見ると航空兵の姿でした。知覧は陸軍航空隊の特攻基地となった場所です。この基地が沖縄に近い立地であることから439名の方が特攻されています。陸軍航空隊の特攻された人数は1036名です。その方達の為に献げられた灯籠です。
知覧市街地の灯籠の列 映画のために復元された『隼』
知覧特攻平和会館 特攻隊員の像 開聞岳の方向を見ている
会館の中に入ると丁度語り部が話し始められたところでした。隊員達が残した遺書や写真を使い特攻の様子や隊員達の思いを語って下さいました。
代用教員で特攻隊員になった方の話がありました。近くの小学校の運動会にも出て子供達と交流を持ったそうです。出撃の日校庭で見送る子供達の上空を3回旋回して開聞岳の方に飛んでいったという話しには胸が熱くなりました。
飛行機に乗る為、地面から飛行機に乗り込むとそれがこの日本とのお別れ、どんな気持ちだったでしょう。そして、離陸すれば2時間位で特攻することになるわけです。この知覧を飛び立ち、開聞岳の方向に沖縄があるのだそうです。特攻隊員はあの美しい開聞岳をどんな気持ちで見つめたのでしょうか・・・。
熊公は戦争を知らない年代です。伯父達からは沢山話を聴きましたが、既にみんな鬼籍に入り、現在は戦記物を読みます。これは生き残った人達の記録、重要なことですが、今回の『知覧特攻平和会館』の記録・資料は全て特攻作戦で亡くなった方達のものです。写真や遺書などを見て自然に涙が出てきました。こちらは確実に死が待っている作戦に出られた方々の無言の証言です。日本の軍部は何という馬鹿げた作戦を立てたのでしょうか。人の命をどう考えていたのでしょうか・・・。
オフクロ様の兄(長男)は内モンゴルで心臓のすぐ上に貫通銃創を負い、内地に戻りました。内地では米子で航空学生の生活指導をする仕事をしていたそうです。
40年以上前のことですが、伯父が知覧に行った帰りに我が家に寄りました。その時、「教え子達が七人特攻していたよ、涙が止まらなかった!!」 と話してくれました。この伯父は軍隊物に良く出てくるような連帯責任で殴るようなことはしなかったそうです。「他の分隊では教官が自分の気が済むような感じで殴っていた・・・」 とも話していました。慕われたようで我が家に伯父が来ているときに、わざわざ会いに来た方がいらっしゃいました。
この平和記念館見学、戦争を伯父達の話しと本だけでしか知らない熊公ですら涙が出てきたわけですから、伯父はどんなだったでしょう。まして肉親の方々だったら・・・。
家族・恋人・国を思い、むごい作戦に殉じた青年達の命、絶対に戦争なんかしてはいけないですね。平和がいつまでも続いて貰いたいものです。
復元された三角兵舎 隊員は特攻の前夜ここでどういう思いを持ったのでしょうか
復元された三角兵舎、こんな場所で数日間生活し、遺書を書いて出撃するなんて・・・。教育は恐ろしいものを持っています。だからこそ、しっかりした判断が出来る力を付けさせる教育が必要なわけですね。
『知覧特攻平和会館』を見学して、息子は「重すぎる・・・。楽しい旅行にならないよ・・・」と、言っていました。確かにそうかも知れないですが、直視して自分の考えをしっかり持つべきだと考えて居ます。特攻は航空機に限りません。熊公はこれからも戦記を読んでいくつもりです。
『知覧特攻平和会館』の見学のあとは最後の見学地『武家屋敷庭園群』の見学に行きました。会館から3km位の場所でした。
武家屋敷の道 重臣だった武士の庭園
武家屋敷の入り口にあった『たのかんさー』
武家屋敷の道は両側が高さ1.2m位の高さの石垣がつづき、その上に生け垣が続くものでした。そして、門はお城の枡形のように必ず直角に方向を変えなければならないようになっていました。これはお城の防備の一翼を担う物だったのかと思います。お城に次第に近くなり、位が高くなっていくとお庭も立派になっていきました。お庭は7つ見学できました。
武家屋敷を見学後お昼にしました。お昼は息子が選んだ『知覧茶バーガー』のお店です。バンズに知覧茶を練り込んだものでランチセットはハンバーガーとチャーシューの食べ比べになっていました。
知覧茶バーガー (ランチセット) バーガーを食べたお店 ・
デザートと知覧紅茶 厚地松山製鉄遺跡・・・
セットに着いてくるドリンクは『知覧紅茶』にしました。紅茶について詳しくはありませんが、スッキリとした味わいの紅茶でした。そこでこの『知覧紅茶』をワイフへのお土産にすることにしました。
気になる道路標識が・・・。『厚地松山製鉄遺跡』とありました。帰宅して調べたところ江戸時代の製鉄所があった事が分かりました。そういえば鹿児島には反射炉がありましたね・・・。
知覧をあとに鹿児島空港に向かいました。『指宿スカイライン』に誘導され走りましたがあいにくの霧の中、きっとこの辺は景色がいいのだろうなと話しながら走りました。
道路標示 九州の地名がいっぱい・・・ 18時35分発 羽田行き JAL652便
空港には5時頃到着しました。レンタカーに乗って走った距離は286.8kmでした。息子は良く運転してくれました。
空港の売店でオフクロ様に『芋きんつば』、ワイフに『かるかん』 自分用に『あくまき』等を買ってセキュリティーチェックを受けました。羽田と違いチェックは一般と同じでしたが、ここにも会員専用ラウンジがありました。またまたビールを2杯頂きました。
夕方の天気図 定刻に鹿児島空港を飛び立ちました
出発前に天気図を見てみました。梅雨前線が横たわっています。羽田の方は雨は心配ないようですが、今日のフライトは揺れそうです・・・。
知覧で特攻隊員達が乗り込んだ飛行機は兵器として死が待っていました。熊公が搭乗する飛行機は安全に移動する乗り物です。同じ飛行機でもこんなに違いがあるんだと考えながら搭乗しました。
高層雲の上に出るところ 紀伊半島沖で日没を迎えました
離陸してすぐに雲の中、今日も雲海を見ながらの飛行です。巡航高度10000mで少し上に飛行機雲が見えました。フライトレーダーを見て見ると宮崎発の飛行機の作った雲のようでした。
紀伊半島の上空で日没を迎えました。雲の上はいつも晴れなんですね・・・。
鹿児島からの帰りのルートは太平洋上を飛びますが、紀伊半島沖を過ぎた頃、浜松の方に向かって旋回し、浜松にかなり近付いて右旋回、伊豆半島の頭の辺りを飛び越えて房総半島沖に出るコースをたどります。雲がなかったらコースとライン楽しめただろうな・・・。
浜松沖位のところから降下開始、雲の中に入ると揺れがありました。空気を切って飛んでいることを実感する感じでした。
雲の切れ間と言うか、雲の下に出たのは房総半島の上空、鴨川辺りでした。ここで左旋回、そこからJFEスチール千葉工場の上空で左旋回して、東京湾を飛び越え、B滑走路に着陸しました。定刻20時15分到着でした。
千葉の上空中央右側がJFEスチール 羽田空港到着です ・
旋回中の写真 この光の流れ良い感じ
JFEスチール千葉工場近くで左旋回を始めるとき、ローリングした際の光の流れ何だか気に入っています。天体写真のようです。飛行機は素敵な乗り物です。
今日は鹿児島は雨でしたが、見学するところでは霧雨になってくれて結局傘をさすことはありませんでした。車での移動中はしっかり雨は降っていたのですが、見学地では霧雨、今日も守りを感じました。
羽田でも息子の手荷物、アッと言う間に出てきました。荷物受け取り場所に着き、熊公が自分の荷物の入れ替えをしている数分の間に荷物を受け取ってきていました。VIP恐るべしです。
空港で夕食を食べ、9時に9時半発の池袋行きのリムジンバスのチケットをとろうとしたら売り切れになっていました。そこで今日はモノレールを使って帰ることになりました。息子とは東上線の大山駅で別れ、一人になって楽しかった旅を噛みしめながら帰ってきました。
自分に買ってきたお土産
今回の旅行も充実した楽しい旅になりました。是非また息子と旅をしたいものです。その時はまたVIP待遇の相伴に預かりたいです。
(2019.06.06.)
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