熊公の旅行のテーマは日本の沿岸を旅するものです。一昨年までに本州・四国の旅を終え、いよいよ九州に上陸です。昨年の夏の旅行、門司−福岡−佐賀−長崎を廻る旅行を考えて居ましたがワイフが出発直前に目眩を発症して全てキャンセル、断念しました。今年は去年のコースをたどっても良かったのですが、ワイフの仕事の関係で今までのように一週間の休みを取りづらい状態になってきました。ワイフも来年度いっぱいで退職になりますから、日本沿岸の旅はワイフ退職後に再スタートすることにして、今年はワイフの行ったことにない場所を旅することにしました。
熊公にも興味のある、岐阜県関市からスタートして、郡上八幡−白川郷−五箇山 相倉−宇奈月温泉−黒部峡谷鉄道−戸隠を3泊4日で旅することにしました。走行距離は1090km位、九州に行く時の往路の距離より短い位です。運転はグンと楽です。
1: 関市 鍛冶伝承館・刃物会館見学
2: 郡上八幡見学
3: 白川郷見学
4: 五箇山 相倉集落見学
5: 黒部峡谷鉄道乗車 欅平散策
6: 戸隠で休養
というコースです。丁度、富士山を含めて日本アルプスの外周をグルッと回るようなコース。本州の一番太くなっている部分を廻ってくることになります。
問題は超大型で超ゆっくり北上してくる台風10号の進路です。15日夕方頃から16日午前中、かなり影響を受けそうです。
台風10号の36時間の移動の様子と予想進路
出発の4日位前から台風の進路を追いかけて旅行を実施するか否かを考えて居ました。出発は15日の午前3時を考えて居ます。最初の見学地の関鍛冶伝承館には9時に到着することを考えて居ますから、暴風域の東側、進路によっては暴風域の端っこに居ることになります・・・。
14日午前9時の予想
台風は発生当初からの予想進路の中央を忠実にたどってきています。そして、その遅さには呆れてしまいます。第一見学地に到着する24時間前の予想では、暴風域には入らないもののやはり強風域の東の端に入ることが予想されます。出発12時間前の14日午後3時に出発することを決めました。
第1日目 8月15日(木) 歩数 9129歩 歩行距離 およそ7.3km
自宅を出発したのは3時9分でした。近くのコンビニで前日に梱包した依頼品の発送と、飲み物や食べ物を購入、首都高5号線 中台ランプから高速に入りました。道は空いていて渋滞も無く気持ち良く走れました。東名高速 東京料金所は3時50分に通過しました。ここからはオートクルージングをONにしました。
アクセルを踏まず車線のセンターを維持してくれて、前車との距離を一定に保ってくれるこのシステムは運転の疲労を半分にしてくれると言っても過言無いです。
御殿場辺りで白々として来て周りの景色を眺められるようになってきました。いつも新東名に入るとき真っ暗な中で、分岐後空に向かってグーンと上がっていくような感じを受けていましたが、今回は様子が良く見え、なるほどそう感じるはずだと納得しました。左には箱根の山塊、右手は富士の裾野があって、そこを徐々に高まる立体交差で緩やかに右カーブして行くのです。新東名道に入ると旅が始まるぞ〜〜〜!! と、毎回ワクワクしてきます。
新東名は本当に走りやすいです。その中で今年3月から新静岡IC〜森掛川IC間が時速120kmの区間になったのも楽しみです。
223km程一気に走り5時50分過ぎに掛川PAで休憩を取りました。ここでの楽しみの一つはおでんを食べることです。
静岡おでん 制限速度 120km
普通食べる『おでん』に味噌を付け、青のりをふって食べる感じものです。夜遅く通過するときは閉まっていて食べられませんが、この時間帯だと食べることが出来ます。40分ほど休憩しました。
制限速度120kmの区間、オートクルージングは115kmまでですからアクセルを踏まなければならず、カットブ感じは味わいましたが、115km/hで走る方が楽でした・・・。
豊田東JCTで東海環状道に入り、掛川PAから90km程走ったところで少々眠気が来ました。そこで時間調整をかねて鞍ヶ池PAで仮眠を取りました。30分位ですが気分爽快になりました。富加関ICで東海環状道を降りて関鍛冶伝承館に向かいました。
全ての人がそうとは言いませんが、愛知から岐阜に入る頃の高速での車線変更、ウィンカーを出さない、もしくは2回くらいで(一回点滅させるだけの車も相当ありました)車線変更する車が多くなりました。愛知・岐阜のナンバーを付けている車が殆どでした。運転マナーにはご当地性があると聞きますが、これがそうなのかと思いました。平場での運転も気を付けるように言い聞かせました。
関鍛冶伝承館には8時58分に到着、入り口に立って9時の開館を待ちました。ここは関に伝わる鍛冶の技を映像・資料・展示により紹介する施設です。
関鍛冶伝承館 入り口を入ると向かえてくれる刀鍛冶のジオラマ
関市に刀鍛冶が誕生したのは鎌倉時代。刀祖『元重』がこの関の地に移り住み、刀鍛冶を始めたといわれています。良質の焼刃土と炉に使う松炭、そして長良川と津保川の良質な水など、刀鍛冶にとって理想的な風土条件を備えたこの土地に刀匠が集まるようになったと言われています。
実際インターを降りてから刃物関係の会社が沢山有りました。
展示されている刀剣 日本刀は本当に美しいものです
熊公も美濃(関)伝の『兼宗』の脇差しを所持していますが、見る度にその時の光の関係や心の状態によって刃紋が色々に見えます。山や雲、海の波・・・その奥深さは本当に神秘的な美を感じます。
美濃国鍛冶の系図が掲示されていましたが、そのお仕舞いの方に『兼宗』の名がありました。
美濃国鍛冶の系図
勿論、熊公の所持している『兼宗』がこの系図の人物のものとは言えませんが、何だか嬉しくなるものです。もしも同一人物の作だとすると、宝徳2年は1550年ですから470年前以前の刀と言うことになりますね・・・。
伝承館隣の春日神社 刃物会館 ・
伝承館隣の『春日神社』は正月2日の日本刀の打ち初めで有名な神社です。そこを見学したら次に刃物会館に行きました。ここでは販売されている刃物を見るだけ、トイレをお借りして郡上八幡に向かいました。
天気は風は少し強めですが雨は降る感じはありませんでした。さて、東海北陸道の関ICに向けて走っているとき、右折レーに入りました。すると左折レーンに停車して居たおばさん運転の軽自動車が突然ウインカー無しで右折レーンに入り込んできました。急ブレーキを踏みクラクションを鳴らしました。車は30cm有るか無いかでやっと停車、入ってきた車も斜めになった状態で停車です。『御免なさい!!』のそぶりさえ見せず、助手席の人と話している状態、出ていって文句を言ってやりたい位。さすがに運転マナー最低という印象を強く持った出来事でした。ワイフも相当腹が立ったようです。運転している熊公以上に腹を立てていました。ハザードランプを付けるなり、手を挙げて『ゴメン』の意思表示してくれれば良いのに急ブレーキを踏ませたことにも、クラクションを鳴らされたこにも、まったく気付かぬふりを決め込む根性は、本当に腹立たしく、旅行から帰ってからも未だに癪に障ります。あのおばさんは何処かできっと事故を起こすことでしょうね。
関ICからおよそ36kmで郡上八幡ICです。インターチェンジ手前のトンネルを抜けると右前方の山の上に郡上八幡城の復元天守閣が綺麗に眺められます。郡上八幡の盆踊りは一ヶ月以上つづき、中でもお盆の13日から16日の4日間は『徹夜踊り』といわれる、午後8時から翌朝4時まで踊り続ける期間です。観光客も多いので駐車場が心配でした。
インターを降りて尾崎の交差点を曲がるとしばらくの間は車同士のすれ違いが大変な道です。郡上の町は清流で有名、家々の前には綺麗な水が流れています。蓋がない部分も多く、熊公の車の2台前の車が急に止まったと思ったら、すれ違いの際左に寄りすぎて左前輪を側溝に脱輪していました。軽自動車だからそんなに左に寄らなくても良かったのに・・・。乗っていたのはかなりガッチリした男2人、上手くすれば2人で持ち上げられなくもないし、車を止めて救助に廻ったら渋滞が酷いことになりそうなので、申し訳ないですが横を通ってお城に向かいました。
下の駐車場に止めてお城まで標高差130mを歩いて登るか、車でお城の駐車場まで登るか・・・。暑いので後者を選択しました。中腹の城山公園の駐車場の係の人に、「現在上の駐車場は満車で、満車の連絡が入ってあなたの車は5台目に当たります。駐車場にすぐに入れず待たされるかも知れませんし、登っていく間に空きが出るかも知れません。どうしますか?」 と、言われました。「車で行ってみます。」 と答えて登っていきました。道は狭いですが、登り専用になっているので助かります。ゆっくりと頂上の駐車場にたどり着くと、待つことなく誘導され駐車できました。
郡上八幡城 城下町 ・
郡上城の天守閣は昭和8年に大垣城をモデルに復元されたもので、木造です。歩くと床がギシギシと軋みました。自然な風が吹き込み涼しくて良かったです。
足元に広がる郡上の街並みは模型のように見えました。橋からの飛び込みで有名な吉田川や高速道路の下の長良川が眺められました。
高速道路と吉田川・長良川 鍛兵衛が製作する万力鎖の実物
天守内には甲冑等の展示がありましたが、鎖鎌と万力鎖もありました。制作依頼を受ける物ですから、ジックリと見てきました。
お城の見学を終えて、下り専用の道で下の町に降りました。次の見学地は『郡上八幡博覧館』です。ここには伝統工芸品や郡上踊りの展示や実演が行われる場所です。駐車場を探しながら走り博覧館すぐ側の公民館駐車場に車を止めることが出来ました。
郡上八幡博覧館 熊公と牛鬼のツーショット
2階には地場産業の『郡上紬』や釣り具の『ビク』、『サンプル』のこと、豊かな水のこと、町の歴史などの展示がされていました。昔話の所では『牛鬼』の人形が・・・、何だか親近感が沸きました。
1階では郡上踊りの実演が行われます。郡上踊りは戦争中でも続けられたということです。一ヶ月以上続く盆踊りはビックリですし、徹夜で踊リ続けるというのも凄いです。休みなく踊るそうで、踊り手は疲れたら休めますが、奏者はズッと演奏し続けるので、10種類有る踊りは奏者が交代交代に休めるよう工夫されているという話を聴きました。また、踊りにはく下駄は、二週間踊ると歯がすり減って無くなってしまうそうです。筋金入りの盆踊りですね・・・。
郡上踊りの実演
博覧館見学のあとは街並みの見学に行きました。まずはサンプル工房へ行ってみました。面白いサンプルが沢山有ります。本物と並べても少し離れてみていたら区別が付かないです。工房では職人さんが寿司用と思われる海老と柿ピーのサンプルを作っているところでした。枝豆のマグネットを購入したかったのですが、売り切れていて残念でした。
サンプルのももハムを食らう熊公(牛鬼?) サンプルを制作中の職人さん達 ・
サンプルいろいろ 見学した『さんぷる工房』(本店)
郡上城下の街並み お昼 『飛騨牛自然薯ランチ』
町の人達は徹夜踊りで疲れて休んでいるのか、観光客ばかりという感じでした。ここでも中○人が多く、ちょっとマナーに???を感じました。
見学をほぼ終えて駐車場に向かっているとき、あと100m位の所で雨が降り出しました。折りたたみ傘を持って歩いていましたから問題なしでしたが、いよいよ台風10号の影響が出てきているようでした。この日の徹夜踊りは中止になるかも知れないという話しが実演開場でも、お店の店員さんの口からも聞かれました。普通の雨や風、雷でも実施されるそうですが、警報が出た場合は中止になると言うことでした。強風が予想される為、提灯は取り外されていました。
台風10号の進路 11時頃から強風域に入っています
13時50分頃郡上八幡を後にしました。この段階ではまだ警報は出ていませんでした。筋金入りの盆踊り実施できたのでしょうか・・・。
郡上八幡ICにはあの狭い道を使うのかと覚悟していましたが、カーナビが別ルートを案内してくれて、山をグルッと回り込むようにしてインターに出ました。東海北陸道に乗り荘川ICまで走ります。長良川に沿って走り、ひるがの高原で日本の分水嶺を越えます。ここは『分水嶺』という感じがしないダラーッとした場所です。ここを越えると荘川に沿って走ることになります。
今日の宿泊地は白川郷の手前の平瀬温泉。その為荘川ICから庄川沿いに20lm位下場を走ります。途中、『御母衣湖』というダム湖の左岸を走りました。ここのダムはロックフィルダム、最後はこのダムの下に出る感じに走ります。ダムの下に出れば2km位で宿泊地 『平瀬温泉』です。
雨はそれ程強くないですが風がかなり強くなってきていました。山のかなり太い木が風で幹ごと揺すられていました。
宿には15時15分位に到着、一番乗りだったようです。『旅籠 白山館』という宿、本当に旅籠の感じで、玄関正面にかなり急な階段が有りました。お風呂は温泉、部屋にある『PRIVATE』の表札を付ければ貸し切りに出来るというお風呂です。5部屋しかなくて一部屋4人まで、最大20人宿泊という宿だから出来るわけで、一番乗りの特権、これを使って温泉につかりました。おそらく28年ぶり位のワイフと一緒のお風呂でした。
食事はさすがに山の中、朴葉味噌・イワナ・飛騨牛の陶板焼き・豚しゃぶ・川フグの唐揚げ・・・。デザートはブルベリーのアイスでした。美味しい料理でした。旅は楽しいな〜〜〜!!
美味しい夕食 16日5時の雨雲レーダー
寝る頃は雨・風の音が強くなり出している感じでした。真夜中です、サイレンの音で目が覚めました。雨音が凄く風ももの凄い状態、これはいよいよか・・・と、身構えました。風雨の音で上手く聞き取れませんでしたが、「ダムの放水をするから庄川に寄るな」 ということを伝えているようでした。
危険があった場合は宿の方からの指示があるはずだと、ふとんの中に居ましたが、スマホで状況を確認すると、平瀬温泉の周辺は災害レベル3位になっているようでした。宿の位置は2で、道を隔てた車を置いてあるところは3になっているようでした。
上の雨雲レーダーの図は16日朝5時、白川郷見学の頃雨がどんな状態になるかをチェックしたときのものです。青丸の位置が自分の居る地点、雨雲は左下から右上に移動する感じでした。面白いと思ったのは15km位離れた白川郷は雲が薄いのです。これは夜中にチェックした時もそうでした。どうも、白山の陰になっているからのようです。局地的な気象の違いは面白いですね・・・。
走行距離:498.0km
第2日目 8月16日(金) 歩数 12617歩 歩行距離 およそ10.1km
朝は5時頃に目を覚ましました。風雨は夜中と変わらない位、白川郷・五箇山 相倉の見学がどんな風になるか、雨雲レーダーや天気図、台風の進路をスマホで確認しました。
16日朝の台風10号の進路予測
夜中にサイレンで目が覚め、朝までに何度か起きる状態がありました。途中で台風の位置や進路予測を確認しましたが、台風は日本海に有り、これからドンドン強風域からは抜けていく状態です。しばらくは風雨は強そうですが、午後は雨は上がってくるのではないかと考えました。そのため宿の出発を30分遅らせて9時に出発することにしました。
早く目を覚ましましたから風雨の音を聞きながら温泉につかり、なかなか良くならない左の五十肩を温泉につけてゆっくりとしました。やっぱり温泉は良いですね!! 一人で温泉を独占して浸かっている感覚は良いものです。
朝食も美味しく食べました。堅豆腐の湯豆腐が付いていて、この出汁が美味いので、充分食べたあとにご飯をこれに入れてオジヤ状にして出汁を全部頂きました。またまた牛鬼になる〜〜〜m(_ _)m
美味しい朝ご飯 白山館と朝の雨の様子
朝9時の雨の様子は深夜の雨の1/4位、それでもチョット傘を閉じ車に乗り込むだけでかなり濡れる状況でした。庄川に沿って白川郷に向かいますが、途中で見える庄川は濁ってもの凄い勢いで流れている感じでした。
白川郷に近付くにつれて雨は弱くなりました。駐車場に車を止めたのは9時20分過ぎでした。平瀬温泉から20分位でした。白川郷はおよそ3時間見学しました。今回自分には一つのテーマがありました。それは25年位前にヒョッコリ入った画廊で気に入って購入した油絵を描いた地点を探すことです。絵の裏の端に『飛騨路』と書かれてあります。
以前、白川郷に来たとき、この辺かと思いましたがやっぱり違い、現在はパソコンの『Google Earth』等を使いその地点からの眺望など確認出来るようになりましたから、大体目安を付けておきました。勿論、白川郷だけが『飛騨』では無いわけですが、白山と思われる山とその手前の山は白川郷ではと思っています。
絵の描かれた場所は何処?
雲が低く垂れ込めていて遠望が出来ず『此処だ』と特定は出来ませんでした。家の角度が違うのはパソコンで調べているときから感じていました。白山ではないかと思う山の方角と手前の山の感じはこの写真の位置だと思うのですが・・・。今回も特定は出来ませんでした。
この油絵、合掌造りが好きで衝動買いしたもの、今も好きで飾っていますから、この絵を見る度、白川郷 飛騨路を思い出すことでしょう。特にワイフは初めての白川郷ですから、これからこの絵の見方が変わるのではないかと思っています。
白川郷 合掌作り
熊公は過去に来たこともあり、見学できる合掌作りには入りませんでしたが、ワイフは喜んで見学していました。この大きな屋根がただ置かれているだけというのはビックリですよね・・・。一階部分は飛騨の匠が堅牢に作り、そこに屋根を載せているわけです。
バスを使うか悩みましたが、白川郷全体を眺められる城跡に歩いて登りました。この頃には雨は上がり始め、傘は必要ない位になっていました。
合掌作り内部 飛騨路はトチの実の世界 美味しいトチ餅
トチ餅を頂きながらそのお店の方とお話ししました。「冬は凄い雪なんでしょうね・・・」と聞くと、「雪は確かに多いですが、家の周りに流水が巡らされているので皆さんが想像するほど雪は積もっていないですよ、一階が埋まっちゃうような雪は積もらないです。ただ、傾斜60度にして雪が自然落下するように作られては居ますが、温暖化の為に雪が解けて固まるので落下する際に茅を一緒に落としてしまうので、今では雪落をします。雪が降る頃には屋根にはハシゴを掛けておいて、雪が多く降ったときは雪落としをします。」と話して下さいました。
深夜の雨の凄かったことを話すと、「この辺はそれ程でもなかったです。平瀬の方は大変だったでしょう・・・。庄川が濁流になったときは石が転がる音が響くんですよ・・・」と、話して下さいました。
やはり風を白山が受け止めて白川郷には強い雨雲が出来なかったみたいです。深夜スマホで雨雲の様子を確認して思った通りでした。
地元の方と直接話す事は大切ですね。ただ、見学しているだけでは分からないことが沢山有ります。
また、トチのみの処理には二週間は必要で、上手い具合にアクを抜けるのは流水があるからです。とも話して下さいました。トチ餅は本当に美味しいものです。一升の米に300g位のトチの実を入れてお餅にすると話されていました。頂いたトチ餅は素朴な味で本当に美味しかったです。
途中のお土産屋さんで兄貴の為のお酒を購入したり、五平餅を食べたり、オフクロ様の為にトチの実煎餅を購入したりしました。見学を終える頃には雨は完全に上がり、太陽が顔を出すまでになっていました。
12時半過ぎ白川郷を出発、次の見学地五箇山 相倉に向かいました。カーナビは下道を選択しましたが、東海北陸道を白川ICから一区間走り、五箇山ICまで行きました。時間的にはそれ程違いは無いものりと思います。
五箇山ICを降り少し走ると『五箇山合掌の里』が眺められる展望所があります。此処で五箇山の一つの集落をながめました。高速道路がそばを走っているコントラストのある景色です。
五箇山は『五箇谷間』が転じたものと言うことです。一つの集落ではなく、谷間に点在する集落の総称です。また、昔は庄川沿いの集落は『白川』と呼ばれたとも聞いています。現在岐阜県側の白川村を『白川郷』と呼び、富山県側は『五箇山』と呼んでいるようです。相倉集落はインターから12km位離れています。13時10分頃に到着しました。
相倉は街道が通っていて、その人の往来によって生計を立てていたと言うことです。国道が出来ると雪で通行止めになる時季だけ使われる道となり、昭和45年に峠の雪道を往復した『郵便逓送隊』も廃止になって、完全に交通路線から外れることになった集落です。でも、そのことにより昔のものが残ることになり、日本で6件目の世界遺産となっていくわけです。
合掌作りの屋根に使う部材は白川郷とは違う使い方と言うことを聞きました。土地の広さも関係あるのでしょうが、家の大きさは白川郷の物よりもコンパクトです。
五箇山合掌作りの里 相倉集落 全景
右下の合掌作りはお寺の本堂 ワイフの昼食 トチ餅と五箇山豆腐
お昼は熊公は『ざる蕎麦』、ワイフは『トチ餅と五箇山豆腐』を頼みました。ざる蕎麦にも豆腐が少し付いてきました。また、ササラの小さいものを買いました。家で『こきりこ節』に合わせてササラを鳴らしてみましょう・・・。
五箇山の集落は源平合戦の最初、倶利伽羅峠の戦いで敗れた平家の落人が住み着いたということ、徳島の祖谷渓にも『石豆腐』と呼ばれる硬い豆腐がありましたが、此処には縄で結わいて運ぶので有名な『五箇山豆腐』が有ります。兄が二年間勤務していた福島 檜枝岐近くの舘岩も平家の落人伝説がある場所、そこにも硬い豆腐がありました。平家の人達は硬い豆腐が好きだったのでしょうか・・・。熊公は硬い豆腐が大好きです。熊公の先祖はひょっとして平家の公達か・・・?
また、五箇山周辺は『煙硝』を製造したので知られています。煙硝は火薬の原料『硝酸カリウム』五箇山では『培養法』と言う方法で作りました。サクと呼ばれる草や石灰屑、蚕の糞を床下に掘った穴に埋め込んで数年掛けて作ったと言うことです。加賀藩はこれを秘匿していたと言うことで、この『培養法』が伝わったのは飛騨・白川に限られたそうです。ヒッタイトの製鉄技術みたいですね・・・。
14時50分相倉を出発、昔の街道に沿って開かれた国道を使い富山平野に出ます。東海北陸道の福光ICに向かいました。20分程度でインターに到着、北陸道黒部ICまで走り、今日の宿泊地である宇奈月温泉までまっしぐらに走ります。距離は112kmくらいです。高速はオートクルージングで楽に走ることが出来ました。
黒部扇状地の頂点部分 部屋の下を黒部川が流れています
ホテル到着は16時20分でした。黒部川を真下に眺めるお部屋です。黒部川には大きな魚(イワナ?)が大きな岩の陰に泳いでいるのが眺められました。
此処でも予約をすれば温泉の貸し切りが出来るというので、21時半に予約をしました。45分間の貸し切りです。無料の貸し切りもありますが狭いと言うことで一寸リッチに有料(2000円)の方を予約しました。
まずは普通の大浴場で汗を流し、ラウンジでアイスコーヒーを飲み、18時半の夕食に・・・。さすがに海が目の前です。今日は海の幸が沢山です。
宇奈月温泉 ホテル桃源の夕食
21時半からの貸し切りのお風呂、広い半露天のお風呂でした。ワイフと二人で二日連続で温泉に浸かるなんて初めての経験です。寝湯に浸かったり、広い岩風呂に浸かったり、30分が限界でした。
走行距離:157.5km 総走行距離:655.5km
(2019.08.19.)
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