熊公の独り言 W




◆ 検査入院 ◆
 65才にもなると色々とガタが出てきます。これは仕方の無いことです。オヤジ様は66才8ヶ月と12日で亡くなりました。数日前から「胃が痛い」と話していて、土曜日に医師会病院に行き、月曜日に胃カメラを飲む予約を取ってきて、日曜日の早朝に亡くなりました。
 ダミーではない生身の人間に『心肺蘇生』するのは恐ろしさがありました。状況などから司法解剖はしなかったのですが『虚血性狭心症』と死因が付けられました。いわゆる『心筋梗塞』だったようです。ですから熊公は66才を一つの目標にして生きているところがあります。


  〓 これまでの経過 〓

 熊公の主治医『Mo先生』は本当に慎重な方です。5年前尿に潜血が出た時に腎臓を調べた方が良いと、造影CTを撮りました。結果、『腎臓には問題なし。ただし、総腸骨動脈に動脈瘤が有る』という診断でした。
 その後、便に潜血が出た時には大腸ファイバーを受けた方が良いと、これまた大腸ファイバーでの検査を受けました。これも良性ポリープ一つを見付けました。

 去年の健康診断で血糖値とHbA1Cが異常に高くなっていて、妹さんで糖尿病を専門にされている『K先生』の病院に行き、そこで膵臓を調べるためやはり造影CTを撮りました。『膵臓には異常なし、やはり総腸骨動脈に動脈瘤がみられる』という診断でした。
 ちなみに、散歩を日課にするようになりHbA1Cは高くても『5.9』を保てています。あの時の異常値はCTを撮らせるべくして有ったもののように思えています。

 兄妹の関係でCT画像を比較して見て下さることに成り、お兄さんである掛かり付け医『Mo先生』がどうも4年間で動脈瘤が大きく成っているんじゃないか?と疑問にもたれ、1月13日に血管外科の権威でいらっしゃる『健康長寿医療センター』の血管外科の『A先生』のところに行くことになりました。考えてみれば『Mo先生』と『K先生』が仲の良い兄妹でなかったら、この発見はなかったわけです・・・。

 『A先生』は画像データを見られ、「これは総腸骨ではなく、内腸骨動脈の動脈瘤のようだが、普通の動脈瘤ではないな・・・。動静脈瘻か・・・?」 と言われ、患部を3Dで解析できる『日大病院』の『Me先生』を紹介され、1月16日に『日大病院』に行き、19日に3Dの造影CTを撮り、22日にワイフ同伴で結果を聴きに行きました。
 結果、「これは動静脈瘻ではないように考えられ、日大ではそれを処置できかねる、この処置の出来る医師は世界でも数十人、日本では数名です。」 と、言われ頭は真っ白、目の前が真っ暗になりました。下手すれば外国に行かなければならないのか・・・と、思った時『Me先生』は「この権威は慶應義塾大学病院にいます。放射線科の『I先生』を紹介しますから、そちらに行かれて下さい。」 と紹介状を書いて下さいました。本当にホッとする言葉でした。でもなんで放射線科? 一時は癌なのかと思いましたが、『Me先生』はハッキリとこれは癌ではなくて、放射線科の『I先生』がこの権威なんですと、話して下さりこれまたホッとしました。

 
骨格と動脈の関係                         動脈と静脈の関係

 1月27日『慶應義塾大学病院』の『I先生』の所に行きました。これまでのCT画像を持って行ったところ、その画像を見た瞬間に、「これは動静脈奇形です。」 と瞬時に、しかもハッキリと言われ、具体的に説明して頂きました。
 これは熊公が65年間付き合ってきたものだったわけです。動脈瘤のように緊急を要するものではない事が分かりました。しかし、これが大きくなっているのは事実ですから、それをどうすべきか考えなければならなくなりました。コロナ禍でもありますから、ほぼ半年後にもう一度お話しすると言うことで1回目のお話しは終わりました。

 『I先生』は「4年前の状態であれば白金(プラチナ)を使った詰め物で処置できたのですが、現状だと数百万円の白金を使うことになります。患者さんは高額医療に対しての『高額医療費制度』の『限度額適用認定証』を貰うことである程度の出費で済みますが、この制度上、大学が申請しても全額が自治体から下りるわけではないので、その差額分が大学の負担になってしまうので・・・。今の状態では積極的には勧められないです。」 と言うような話を聞きました。ただし、現在は身体用の瞬間接着剤のようなものも有り、それを使うことで何とかなるかも知れません。」 と言う話でした。

 主治医の『Mo先生』にこれらのことをお伝えしたら、「凄い先生方と出遭ってここまできた事になる訳で、その先生の言葉に従うのがベストだ!!」 と言われました。

 実際自分でも『内腸骨動脈瘤』ということを検索してみると、発見例は @ 破裂したあとに分かる。 A 他臓器の手術中に発見 B CT等で偶然に発見 という感じでした。熊公はBの状況だったわけで、非常に症例数が少ない事であることが分かりました。掛かり付け医の『Mo先生』とその妹『K先生』の繋がりからここまで来れたわけで、これはある意味奇跡的なことな訳です。掛かり付け医『Mo先生』は「慶應義塾大学病院は、お前のこと症例研究のために離さないだろうな・・・」 と、笑って話されていました。


  〓 決 断 〓

 次に『I先生』とお会いしたのは7月28日でした。熊公は66才まで生きれればそこから先はオマケと思って居ます。しかもここが破裂した場合は『ピンピンコロリ』の典型的死因ですし、みんなに迷惑はかけるけど死に方としてはベストだと思うということを話しました。
 ここで、『I先生』にこれまで出遭ってきた先生方は熊公さんが長く生きられるようにバトンを渡してくれたのですよ、ですからカテーテル検査をしましょう!!」 と言われ、同伴したワイフからは生の言う通り、普通は見付からないものが見付かって、こうして素晴らしい先生方と出会えたのは、亡くなったおじいちゃん(オヤジ様)の守りが有ってのことだと思うよ・・・」 と言われました。その言葉で検査を受けることにしました。
 検査はこのコロナ禍のため、初日はPCR検査からスタートで、翌日入院、次の日検査、翌々日状態を見て退院という段取りになる事を聞きました。また、『I先生』の放射線科には入院病棟がないので血管外科の病棟を使うため、今回はチームを組むという話になりました。

 チームでの検査になるということで血管外科の『Mt先生』の診察を受けるべく8月5日に『慶應義塾大学病院』に行き、入院の手続きを済ませました。病棟は差額ベッド代が掛かからない大部屋は終日マスク着用、差額ベッド代がかかる最低が1日8800円でした。個室の最高額は1日242000円でした。マスクを常に付けていたく有りませんし、今年は旅行にも行っていませんから、8800円のお部屋(4人部屋)をお願いして帰って来ました。『差額ベッド』は正式には『特別療養環境室』と呼ばれるようです。

   9月1日(水):PCR検査
   9月2日(木):入院
   9月3日(金):カテーテル検査
   9月4日(土):退院(予定)

 という予定が組まれました。

 熊公は幼稚園年長さんの2月に1ヶ月間入院したことがありますが、これはオヤジ様・オフクロ様の考えに従い自分は身を任すだけでした。確かに生死をさまよう病で、手術の前夜42度の熱でモウロウとしていましたが、いつもおっかないオヤジ様が優しく、その当時で千円はしたであろう箱入れのアイスクリームを口に入れてくれた時には、幼心に「僕は死ぬんだな・・・」 と思い、「このまま死んじゃうのならば案外死ぬのは苦しくないかも・・・」 と思ったこと思い出します。
 自分自身が親となり、今年結婚した次男が一歳の時『麻疹』で42度の熱が3日間もつづき、モウロウとしてまったく反応しなくなってしまった際、オヤジ様がどんな気持ちであったかを思い知らされました。
 3日目の夜中、次男はもう駄目かもと言う事で、カトリックで大切にしている『ルルドの水』を夜中の12時頃飲ませ、みんなで祈りました。
 その夜は熊公が夜中様子を見ていたのですが、一時間半ほどしてウトウトッとして目が覚めた時、笑っている次男が・・・。熱を測ると42度だった熱が36.4度の平熱になっていました。不思議なことです。奇跡などとは言いませんが、次男はマリア様に守って頂いたと信じています。
 熊公の幼稚園時代の入院時、手術後、オヤジ様がオモチャがないと可哀想だからと、3本のレールとディーゼルカーと炭水車というメチャクチャな組合せの鉄道模型をお見舞いに持って来てくれました。これは現在も大切に保管しています。ただ、長男がチビの頃にレールを1本なくしてしまいましたが、成人した長男もこのオモチャの重要性は分かっているようです。熊公はそれ以来入院した経験はありません。点滴は不整脈が出た昨年12月に受けましたが、これも年長さんの入院以来でした・・・。


  〓 PCR検査 〓 9月1日(水)

 コロナ禍です。入院・手術・退院全てを一人で行わなければなりませんから淋しいものが有ります。1日は日帰りでPCR検査を受けに行きました。もの凄く簡単であっという間に終わり午前中に帰宅しました。陽性の場合は午後連絡しますと言われましたが、連絡無し、無事『陰性』でした。
 翌2日からが入院です。何しろ痛くも痒くも困ったこともない、ただCTの画像に写ったから検査の為入院です。自分としてはなんとも不思議な気分です。


  〓 入 院 〓 9月2日(木)

 2日は10時までに入院手続きをする事になっています。患者の集中を防ぐため熊公は9時45分からの手続きです。

 
慶應義塾大学病院の一号館                タグを付けられいよいよ患者に・・・

 入院手続きを済ませて一号館 9階の病棟に向かいました。エレベーターホールの先が談話室のようになっていて、そこからA病棟・B病棟に別れていますが、それぞれの病棟に入るには最初はインターホンで入院する為に来た旨を伝えて、迎えに来てくれた看護士さんに誘導されない限り入れない仕組みでした。写真の赤矢印あたりが熊公の病室です。

 病室に案内され、腕にタグを取りつけられいよいよ患者になりました。病室は4人部屋ですが一人分のスペースが広くて、隣とのベッドの境は机とクローゼットで仕切られ、反対側にはテレビ台・冷蔵庫・セキュリティーボックスがありました。さすが『特別療養環境室』です。(^〇^)

 
   熊公のベッド 隣との境になる机・クローゼット       1日目は採血以外やること無し音楽を聴きながら読書

 パジャマは病院から借りることが出来たのでそれを受け取り着替えてからは、翌日の検査の為の採血を受けるだけで、あとはやることがありません。採血のあとに血液型検査のための採血がありました。注射大嫌い人間からすると、採血の時に血液型のチェックの採血も合わせてしてくれ!! と言いたくなりました。というより言っちゃいました。(`_´メ)

 『慶應義塾大学病院』は幸いにWi−Fi環境が整っているので、使えるように設定して音楽を聴いたり、読書をしたり、YouTubeを見たりしながら過ごしました。Wi−Fi環境が無い場合、契約のプランを1ヶ月間変更することを考えて居ましたが、『慶應義塾大学病院の冊子』にWi−Fi環境があると書かれてあったので契約変更しないで済みました。(^-^)v

 
      国立競技場                      明治神宮野球場と赤坂御所方向

 談話室からは現在パラリンピックが行われている国立競技場や赤坂御所、四谷方向が眺められました。開会式の時などはきっと雰囲気が伝わってきたことでしょうね・・・。
 検査後は6時間は絶対安静でカテーテルを挿入する右足は何があっても動かしてはならないと聞いています。6時間同じ姿勢・・・想像がつきません。こうなったら寝ていたら良いのではないかと考えて、消灯後もスマホをいじりながら夜更かししました。看護士さんが見回りに来た時は修学旅行なんかの生徒の気分になりました。ヽ(^o^)ノ


  〓 カテーテル検査 〓 9月3日(金)

 翌3日は6時から禁飲食、9時から検査です。先に書いたように検査後は6時間は絶対安静で、翌日まではベッドから降りてはいけないという少々辛いことになります。

 6時に看護士さんが来て禁飲食を伝えられました。いつも飲む薬を飲み検査に備えました。検査後は絶対安静です。オシッコは導尿でクリアーできますが、大便の場合ベット上でしかも寝た状態ですることになりますから、手術モードに入る前に済まさなければなりません。8時からは手術モードに入りますから、それまでに済ませられるように頑張りました。前日午後からは寝た状態ですから腸がいつものように動いてくれていないので、いつものようにはいきませんでした。なんとかスッキリさせてモード突入を待ちました。

 ここでまたまた採血が、なんの採血かと聞くと血液型の確認と言うことでした。昨日も血液型のチェックの採血を受けたと伝えましたが、2回のチェックが必要なようでした。

 8時半頃に導尿のための管挿入です。男の看護士さんが行ってくれましたが、そばには若い女の看護士さんもいるので恥ずかしいこと限りなしです。(/o\)
 尿道に管を入れるなんてビクビクものです。実際変な気持ちがして二度としたくないと思いました。そして、点滴が始まりました。いよいよ手術モードスタート突入です。
 8時40分頃に術着に着替え、ストレッチャーに横になりました。検査の部屋は4階です。

 検査の部屋は放射線の装置が並び普通の手術室とはチョット雰囲気が違いました。入室は予定通り9時でした。ここで最後の質問を受け、術着を脱ぎ、術台の上に。そこでパジャマのパンツと下着のパンツを脱がされ、スッポンポンに・・・。陰部はガーゼで覆ってくれました。でも、女性の看護士さんに見られちゃうのはやっぱり恥ずかしいです・・・。

 全て準備が完了した時に執刀される『I先生』が来ました。カテーテル検査は局部麻酔で行います。熊公の動静脈奇形は左側の骨盤奥にあります。カテーテルは右鼠蹊部の動脈から入れていき、下行大動脈の分岐点で左の動脈に進入して奇形患部に到達するという術式です。そこから造影剤を入れながら診断のための撮影をしていくわけです。

 
    黄色線がカテーテルの入るルート                   動静脈奇形の拡大図      

 熊公の血管には奇形があるため大動脈が本来真っ直ぐなものがS字にカーブしているんだそうです。自分の身体の様子、骨格などをこうやって見る事が出来る時代なんですね・・・。

 余計なところに放射線が行かないようにおそらくは鉛のチョッキのようなものでしょう、患部以外の場所に載せられました。続いて心電計のセンサーを取りつけ、左腕に血圧計を取りつけ、右手指にオキシメーターを取りつけられました。

 局部麻酔の注射は深さを変えながら注入していくようでした。その後カテーテルを挿入する穴を右太もも鼠蹊部の動脈に開けます。掛かり付け医の『Mo先生』から手術の手順など聞きましたから今どういう状態なのかは想像できました。
 看護士さんが「痛くないですか?」 と質問してきました。痛くないと伝えたら。「今はさっきの注射よりはるかに痛いことしているんですよ、麻酔良く効いているようですね・・・」 と、言っていました。穴を開けた瞬間は脈動している血液が噴き出すんだそうです。それを出来るだけ少なくするためでしょう、穴を開けたところよりも心臓側をかなり強い力で止血しているのが分かりました。『Mo先生』の話では、この穴を押し広げるようにして、カテーテルの挿入口を確保すると聞いていました。その通り今度はグイグイと押される感じがしてきました。ここで圧迫止血は終わりでした。
 カテーテルが挿入されているんだなと思うとなんだか変な気持ちでした。時々「具合悪くないですか?」 と聞かれますが、痛くもないし、辛くもないですが、心の中が気持ち悪いです・・・」 と、答えました。気持ちはやっぱり落ち着きませんから、『マリア様への祈り』を何度も何度も唱えて心を落ち着かせるようにしました。

 患部にはアッと言う間に到着した感じです。気持ちなんでしょうが患部にカテーテルが来た事が感じられました。この後、何回か造影剤を投入して撮影をしていきました。造影剤が入ると熱くなります。今回は局所に投入するのでまず奇形患部の大きさ、場所が分かる感じでした。その後、お尻側が熱くなったり、左足太ももの方が熱くなったりしました。その都度カテーテルを移動させ造影剤を投入しながら、血液の流れを確りと見極めているのが分かりました。機械の角度を変えたりして、その都度「息を吸って、吐いて、止めて・・・」 という指示が出ます。この状態で10秒位我慢です。
 術台にはレールがついていて、そのままCTの中にも入り撮影されました。『I先生』はスタッフの先生と相談しながらカメラの位置など決めていかれました。最後に元の場所に戻って、最終的な撮影をして検査終了となりました。

 「カテーテルを抜きます」 と言われ最後の最後で、またまた挿入先の心臓側を圧迫されました。カテーテルが抜けるところだなと想像できました。続いて傷口の圧迫止血です。スタッフの先生が強い力で止血しているのが分かりました。15分間その状態を維持しました。15分後血が止まったことを確認して、すぐに指代わりのものを傷口の上に載せてテーピングです。1本は左腰の裏側から傷の上を通り右太ももの下の方の内側まで、もう1本は右腰の裏側から、右太ももの内側を通り外側まで、本当に強い力で押さえつけられました。これで検査終了です。6時間右足は絶対に動かしてはいけない事になりました。
 最後に「最終バイタル ○○ ○○ 異常有りません・・・」 と言う声、『ああっ “ドクターX 〜外科医・大門 未知子〜” で聞くやつだ!!』 と、ドラマの中の患者役のような気持ちになりました。(^^)d

 心電計・血圧計・オキシメーターを取り外し、T字帯を着けました。術台からストレッチャーに移動するのは右足を動かないように移動するので大変な状況でした。ストレッチャー上で術着を付けて、病室に戻ってきてきました。ベッドに移動するのも一苦労・・・。熊公が太り過ぎなのですが・・・。m(_ _)m


  〓 絶対安静 〓

 ここで看護士さんに右足をベッドに拘束して下さい・・・とお願いしたのですが、「それは出来ないです。もしやる場合は同意書をやり取りしないといけないんです・・・」 と言われ断念しました。でも、右足に布団を載せてくれて簡単には動かない状態にしてもらえました。
   
      止血の様子                           点滴が続きます

 検査は入室から1時間40分位でした。病室に戻ったのは11時でした。ここから5時までが絶対安静です。お昼は『おにぎり』でお願いしましたが、この日はなんと『うどん』がメニューで、おにぎりは作れないことに、看護士さんにお願いして院内のコンビニで『おにぎり』買ってきて貰うことも出来ましたが、残すことが嫌ですからなんとか挑戦することにしました。

 ベッドを起こせる最大角度は30度までと言われています。この状態では丼の中は見えません・・・。と言って身体を起こしたら30度超えちゃうわけで・・・。幸い汁は別について来たので、丼にほんの少しだけ入れて、フォークを使って食べるようにしました。なんとか完食しました。

 ここで不思議なことが・・・。知り合いのシスターから電話がありました。1月に自分の病気についてお手紙を書いたのですが、「その後どうですか?」 と検査終了直後に電話です。今その検査のための手術を受けて病室に戻ったところですと話すと、「それでは他のシスター達と一緒にお祈りしますから・・・」 と言われました。もの凄く心強いものを感じました。そして、「シスター、是非 手術しなくて済むようにお祈りして下さい!!」 と、お願いしちゃいました。(;^_^A

 昨晩の作戦通りここからは寝ることにしました。目が覚めると4時でした。あと1時間です。作戦大成功でした。ここからは『Amazon プライム・ビデオ』の出番です。

 5時過ぎると寝返りを打っても良い事になります。ただし、ベッドからは降りられない状態です。実際、左側には導尿の管とバックがあり、右側には点滴されていますから寝返り打っても良いといわれても実際上は無理な話です。

 傷口が開いてしまったら明日4日の退院はなくなってしまいますから、少し自由になった程度でそのまま右足は動かさず、寝たまま生活です。
 病院の夜は長く感じるものですが、Wi−Fi環境のおかげで動画見続け思いの外楽しく過ごすこと出来ました。ただ、日中寝る作戦が裏目に出て、夜はなかなか眠れない状態に・・・。(-_-;)

 看護士さん達は1時間おき位に様子を見に来てくれました。12時間の点滴を夜中の3時に交換しに着てくれ、導尿されたオシッコも交換してくれました。献身的に働かれる看護士さん達の姿は崇高に思えました。簡単にできる仕事ではないですね・・・。

 4人部屋ですが個人のスペースは広く取られてあり、過去にワイフの入院やオフクロ様の入院の時の病室とは違って、隣の方と話すような雰囲気はありませんでした。ただ、通路側がカーテンで仕切られて居るだけなので、声は聞こえてきます。
 熊公の隣の方は認知症が有る方のようで、1ヶ月間入院されているようでした。この方、突然怒るような感じが有って、食事に梅が出ていないと看護士を罵倒するようなことがありました。それでも看護士さん達は上手に対応されていました。ナースコールは押しっぱなし、常習犯という感じで、これまた看護士さん達上手く扱われていました。
 熊公のお向かいの方は奥さんが認知症で一人にしておけないから5日には退院したいと頑張っていらっしゃいました。この方は全てに感謝の言葉を言われる方で、自分もこうありたいと思う方でした。術後38度の熱が出ていて退院に間に合うか心配されていました。
 斜め向かいの方は中国の方でした。病院スタッフとは流ちょうな日本語で話されていました。こちらの方は奥様と電話で話されることで安定を図っている感じでした。
 結局3人の方とはお話しすることはありませんでした。それ位『個』が保たれる感じのお部屋でした。


  〓 退 院 〓 9月4日(土)

 4日、いよいよ退院の日です。早く導尿の管を取って貰いたいと思って居ました。7時頃に採血がありました。この採血で出血の様子や炎症などのことが分かるそうです。退院の目安を作る為のものと言うことでした。結局3日間に4回の採血を受けました。

 『慶應義塾大学病院』は第1・3土曜日、日曜日、祝日は休診日です。その為、退院を確定するお医者さんが回診するのが遅くなるかもと言われていましたがその通りでした。9時15分に着て、「採決の結果も傷の状況も問題ありませんから退院出来ます。導尿管など抜くよう看護士に伝えます。」 と出て行かれました。でも10分待っても看護士さんが来ません。10時にはベッドを開けなければならないのに・・・。そこで初めてナースコールを押しました。休診日で人手が足りない中で天手古舞いしていたようで、「遅くなって申し訳ないです・・・」 と言われながら導尿の管を抜きました。その気持ちの悪いこと・・・、オマケに出血がありました。二度と導尿はしたくないものです。(-_-#)
 点滴も針も抜けてやっと自由の身です。24時間ほぼ同じ姿勢で寝た状態、さすがに起き上がる時はフラフラする感じでした。看護士さんが付いて居てくれて、きちんと歩けることを確認してくれました。

 ここから歯磨きをして荷物を片し、着替えをして、トイレへ。でも、寝たきりでしたから腸が動いていない感じ、便が腸内にあるのに、便意が来ない、スッキリしない感じのままで最終的なチェックを受けるためナースコールをしました。

 ベッド周り、クローゼット・引き出し・セキュリティーボックスなどの忘れ物チェックを受けて、退院となりました。この3日間特にお世話になった看護士さんにお礼が出来なかったので、最後にお世話してくれた看護士さんにお礼を伝えて貰うようにお願いして病棟を後にしました。10時丁度でした。
 それにしても、9階のA病棟の看護士さん達はみんな美人さんで、もの凄く献身的に対応して下さり心癒やされました・・・!! (*^O^*)

 休診日なので会計も止まっているので支払いは後日来院の時です。次の検査結果を聞くのが22日午後になったので、その時に支払うことになりました。お金を払わずに病院を出るのは何となく変な気持ちになりました。

 一人で帰宅するつもりでしたが、ワイフがどうしても迎えに行くと聞かないので、信濃町駅のコンビニ前で合流することにして居ました。10時10分頃合流して、一緒に帰ってきました。ワイフの愛を感じちゃいました!! (^_-)

 途中、東武デパートの今半によってハンバーグなどを購入、最寄り駅のAEONで熊公はお昼用の鯵とイカのお寿司を購入して帰宅しました。
 すぐにシャワーを浴びてサッパリとして、家族みんなで昼食を摂りました。勿論、ビールを飲みながら・・・。

 今回の検査の結果、どういうことになるでしょうか・・・。22日ワイフも同伴して、その結果を聴きに行きます。出来れば手術はしたくないものです。(^人^)
(2021.09.05.)






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