熊公の独り言 W




◆ 第一回目 手術 ◆
  〓 PCR検査・麻酔の説明 〓 11月30日(火)

 いよいよ『内腸骨動脈の動静脈奇形』の手術です。入院前日にPCR検査を受け、今回は全身麻酔で手術をするので、その説明を受けるため、慶應義塾大学病院に行きました。
 病院前、信濃町駅前の書店で入院中に読む本を物色して、11時にPCR検査です。これはあっという間に終わってしまいます。麻酔の説明は午後1時から、2時間の間どうしたものかと考えましたが、病院内で本を読みながら過ごすことにしました。

 1時少し前に呼ばれ、先ずは麻酔についてのビデオを見ました。全身麻酔というものは心臓以外の生体反応を止めちゃうような状態になるという事で、手術中は気管挿管して人工呼吸を受けるという事でした。ビデオを見た後は個別に呼ばれて、先生と直接お話をして、その日はお仕舞いとなりました。

 帰り道、タンメン+餃子を食べて、明日からの入院を考え、最後の晩餐用にお刺身を食べようと買って帰りました。その帰り道に病院から電話、病室はお願いしてあった通り、4人部屋の『特別療養環境室』が確保出来たという連絡でした。


  〓 入院 〓 12月1日(水)

 昨晩からかなりの風雨、これは傘を差して病院に行かなければならないかと思っていましたが、目が覚めた時には小降りになっていて、家を出る際には傘は不要でした。そこで、念のために折りたたみ傘を持って家を出ることにしました。
 午前9時45分〜10時までに入院の手続きをするようにという指示、これは『新型コロナ』のための混雑回避の策です。電車が順調に乗り換え出来て、予定よりも10分早く着いてしまいました。
 受付に行ったらすんなり受付してくれて、9階のA病棟で有ることが伝えられました。検査入院の時と同じ病棟、なんだかホッとする感じがしました。

 9階に向かい、案内された病室は何と前回と同じ903号室、しかも、ベッドも同じでした。なんだか懐かしい感じ・・・。

 
   外苑の紅葉と青山方向のビル                ラウンジからの国立競技場と富士山 


903号室 前回と同じ部屋・同じベッド

 ラウンジからは富士山を眺めることが出来ました。天気はドンドン回復しています。前回の入院は9月でしたから3ヶ月経ちました。外苑の木々は紅葉して、富士山は雪景色です。

 この日は採血だけ、本を読んだりスマホでAmazonのプライムビデオを見たりして過ごしました。シャワーを浴びる前に陰毛を少し剃り、2時にシャワーを浴びて、明日の手術に備えました。

 
リストバンドを付けられいよいよ患者に                シャワールーム 30分使えます 

 お昼に『鐵左』さんからメールが届きました。彼は山伏の修行もされている方、なんと熊公の入院にあたり、『万事安泰』の護摩木を焚いて下さったと言うことです。その時の写真が送られてきました。


西光寺山火祭りで熊公のため護摩木を焚いて下さる鐵左さん

 本当に有り難いことです。『鐵左』さんは工房立ち上げの頃に知り合い、彼が柔兵衛親方の所で修行されたことで『忍具作り』をまかされるようになった経緯があります。熊公はカトリックですが、人の思いは宗教には関係は無いです。本当に感謝です。お世話になったシスター方も毎日祈っていて下さるし、熊公は本当に恵まれていると思います。

 
  昼食                                富士山の夕景

 
         夕食                         入院中に読む本 岩波新書 『富士山』

 夕方は日没を見に行くことが出来ず残念でした。いよいよ明日は手術です。21時以降は食べるのは禁止です。夕食後、2階のコンビニに『T字帯』を買いに行きました。入院患者は午後5時から翌朝8時までコンビニに行き来出来ます。

 検査入院の時には前日に『夜更かし作戦』で絶対安静時に寝ているように考えました。でも、今回は手術は午後からですから、作戦など立てずに普通に寝ることにしました。

 今回は前回の入院でスマホのホルダーが有ると良いと考え、準備して行きました。これでスマホを手に持つ必要なく、使えるので楽でした。これは入院時の必須アイテムです。


  〓 手術 〓 12月2日(木)

 
前回検査時の患部のレントゲン写真

 これからしばらく続く手術は、まず第1段階は上の写真のコブ状になった部分に流入する血管の栓塞です。本来は有り得ない細かな血管が多数流入しているのだそうです。これを栓塞する為に何回の手術が必要になるでしょうか・・・。そして、第2段階としてコブ部分を塞ぐ手術となります。最短で2回の手術・・・、3〜4回受けることになるんだと思います。

 今日はいよいよ第一回目の手術です。短絡している動脈をアルコールによって栓塞していく手術。先に書いたように、コブ状に大きく成っている部分に相当の数の血管が流れ込んでいるという事です。これを数回に分けて栓塞して行き、最後にコブ部分を瞬間接着剤のようなもの、コイルなどを使って埋めるそうです。これから半年から1年くらい、数ヶ月おきに同じような手術が続きます。

 6時から飲水禁止です。6時少し前に確り水を飲みました。今日の日の出は6時32分です。富士山を眺めにラウンジに行きました。同じ考えをする人が数人いて、お友達になりました。

 
夜明けの青山 月齢27.2の月                        2日の『赤富士』    

 夜明けの青山方向のビルはなんだかとても新鮮に感じました。そして、日の出数分前に富士山に朝日が当たり『赤富士』になり綺麗でした。入院中に読むために持ち込んだ本は『富士山』という『岩波新書』です。こうして富士山を眺めながら『富士山』の本を読む、良い感じです。

 手術は1時からの予定です。11時頃に点滴のラインを確保する事になっています。それまでの間は自由です・・・。手術は絶対安静が少々大変ですが、痛くも痒くもないです。とにかく導尿だけが気になっています。そこで、『I先生』には確りお願いしておきました。

 11時20分に点滴のライン確保、12時半にT字帯を着け、術着に着替えました。しかし、1時からの手術は『呼び出しがあるまで待機』という事になりました。これは熊公の勝手な考えですが、導尿に泌尿器科の先生をお呼びするという事だったので、調整の都合で遅れたものと思って居ます。

 2時15分入室という連絡が来て、導尿は手術室で麻酔をかけたあとに行うということで、歩いて手術室まで行きました。病院のバックヤードを歩くのはなんだか面白かったです。手術室の通路では手術をする為なのか、終わったのか、手術着を着た先生方や看護師さんが沢山いました。会議室なのか休憩室なのか広い部屋が有ったり、興味津々でした。

 手術台に上がる前に氏名・生年月日のチェックを受け、これから行う手術についての確認がされました。自分で手術台に上がりました。その後、バイタルのセンサーを取りつけ、酸素マスクを着用しました。

 『これから麻酔薬を注入します。大きく深呼吸して下さい・・・』 と言われ、大きく4回呼吸したところまで覚えていますが、後はまったく記憶がありません。手術は2時半から始まったようです。

 『熊公さん 手術終わりましたよ!!』 と、声掛けされる直前に、手術の夢を見ているような気持ちが残っていますが、これは麻酔薬の注入が止められ、現を夢のように感じたのかも知れないです。
 「何時間かかりましたか?」 と聞くと『3時間です。』 と言われましたが、その後はまた記憶が飛んでいます。次に記憶が戻ったのは6時頃でした。『I先生』が病室に来られ、『短絡している血管の大本の塞栓は出来ました・・・』 といわれたような感じですが、まだ意識はハッキリしていない時なのでこれは次の通院の際に確りお聞きします。

 
酸素マスク・センサーが沢山付いています               バイタルのモニターと酸素供給装置  

 
パルスオキシメーター                      右鼠径部の止血の様子

 前々日の全身麻酔の説明の通り、気管挿管で人工呼吸をしたわけで、喉が風邪を引いたときのようにいがらっぽく感じました。ただ、腕の動脈から血圧を測定する事はしなかったようです。
 これから6時間絶対安静です。でも、麻酔が残っている感じですから、6時間の絶対安静は苦に成りませんでした。また、麻酔による不快感も無く、ただボーッとした感じでした。
 酸素マスクは鍛冶作業をしているときのような感じがしました。酸素が美味しい!! 酸素飽和濃度99%です。

 深夜に見回りに来られた看護師さんに、『これから少し動くことOKですよ』 と言われ、絶対安静がとけました。喉が渇いていたので、水を飲んでも良いか確認したらOKと言うことだったので、18時間ぶりに水を飲みました。お茶は飲み干してしまったので、3時頃に来られた看護師さん(深夜と同じ方のような違うような・・・)にお茶を買ってきて貰うようにお願いして、またまた水分を補給しました。


  〓 療 養 1日目 〓 12月3日(金)

 朝、地震を感じました。富士五湖を震源とする地震 大月で震度5弱と言うことでした。東日本大震災の4日後に富士山直下でM6.4の地震が起きています。平安時代の貞観地震の5年前には青木ヶ原樹海を形成する溶岩を流した噴火が起きています。
 現在、富士五湖の直下では地震が頻発しています。日本だけでは無く世界各地で噴火活動が起きていますから、今後注意してみていかないといけないようですね。
 寝ながら読んでいる『富士山』には、大沢崩れは2500年位前から崩壊を起こしているんだそうです。一方300年前に起こった『宝永の噴火』は16日間で大沢崩れ3500年分の噴出物があったんだとか・・・。富士山は大崩壊を繰り返し、その度に噴火によって再生されてきている訳です。現在眺めて居る富士山の姿はその一瞬を見ているに過ぎないと書かれてありました。人間はちっぽけですね・・・!!

 7時半頃に血管外科の女の先生が止血の様子を確認に来られ、止血は確り出来ていると言うことでテープを外して貰い、同時にバイタルのセンサーや酸素マスクも外され、動けるようになりました。残りは導尿の管です。朝食前に外してもらえれば楽だったのですが、この時間帯は看護師さんの引き継ぎの時間、結局外してもらったのは9時頃でした。

 32時間ぶりの食事を食べ、ホッとしました。この日の朝食はパンでした。

 
朝食                                  昼食

 導尿の管が外され、尿意が来たのでトイレへ、やはり出血がありました。でも、前回のような嫌な感じは無く、なんと二回目の排尿からは出血はありませんでした。手術時に先生方が配慮して下さったことが上手く行き、本当に感謝です。この後、様子を見に来られる先生方に感謝を伝えました。前回より細い管を使って下さり、泌尿器科の先生が処置して下さったようです。

 この日は病室でレントゲンを撮りました。レントゲン室まで行くのではなく、小型レントゲンと技師2人が病室に来て、胸と腹部のレントゲンを撮りました。これにはビックリでした。
 昼過ぎに抗生剤の点滴を受け、これが最後の点滴でした。ライン自体は夕方まで付けた状態でした。点滴を終えた頃に採血がありました。これは手術後の経過を見る為のものです。
 日没を見ようと思って居たら、4時過ぎに足の血圧を測ってくるように言われ、3階の検査室に出向き、測定しました。両足と腕の血圧を同時に測定して、バランスが取れているかを確認するという事でした。これで全て終了です。


ラウンジに飾られたクリスマスツリー (撮影は5日朝)

 血圧の検査の帰りラウンジに寄るとクリスマスツリーが飾られていました。年末を感じます・・・。

 5日は念のために予備日として病室を確保してあるのですが、どうもその辺が上手く調整出来ていなかったようで、夕刻、退院は5日になりますと言われました。これは超〜〜〜残念なことでした。
 オマケに持って来た本は読み終えてしまったし・・・。

 
3日のシルエット富士                             夕食    


  〓 療 養 2日目 〓 12月4日(土)

  
都心の夜明け                           4日の『赤富士』

 5時頃から目を覚まし、音楽などを聴いていました。そして、6時20分頃にラウンジに行き、赤富士を眺めます。初日から富士山を眺めるときいつも一緒になる、『富士山友達』となったおばさんと話しながら富士山を眺めました。
 今日は本当に何もすることが無い、ただベッドに横になっているだけの1日です。本は読み終わっちゃったし、プライムビデオとスマホ内の音楽・落語だよりです・・・。
 A病棟の廊下を歩き回って運動もしましたが、なんともつまらない1日です・・・。看護師さん達も『何も無いから暇ですね・・・、ゆっくりのんびりして下さい』 と、哀れに思って下さっていました。

 
朝食                                 昼食

 
  4日の日没                               夕食    

 夕方は日没をしっかり見るためにスタンバイしていました。東京では12月1日から10日くらいまでの間が日没時刻が最も早い時季になります。16時27分です。丹沢の後ろ側に沈むので実際には25〜26分くらいでしょうか・・・。

 丹沢に沈みきる寸前が一番綺麗でした。部屋に戻ったら、採血の結果のコピーと『退院療養計画書』と通院の『予約票』が届きました。次の通院は15日(水)午後1時です。その際に『I先生』にお会いして、今回の手術のことを詳しく聞き、次の手術の予定を立てることになります。
 あと2〜3回、このような入院手術を繰り返すことになります・・・。

 シャワーは一番最後の時間に予約して、シャワーの後はベッドでビデオ見ながらゴロゴロしていました。


  〓 退 院 〓 12月5日(日)

 今回も同室の方とはお話しすることはありませんでした。『特別療養環境室』はそれ位『個』が保たれます。ただ、看護師さんとの会話などは聞こえてきます。今回、お隣と斜め向かいの方は『膵臓』を手術された方のようで、お向かいの方は『肝臓』を手術されたようです。ドレーンが外れるかどうかという感じの頃合いでした。おトイレに行く際に看護師の介助が必要だったりするので、夜は物音で起こされる事がありました。しかし、これはお互い様のこと、目が覚めてもすぐに寝ることが出来ました。
 会話されている雰囲気から、皆さん闘病に前向で、看護師さん達に感謝の気持ちを確り伝える方達でした。
 『退院』 はやはりワクワクします。早くその時が来ること願って過ごしました。

 
 都心の夜明け                            5日の『赤富士』

 今朝も日の出を見にラウンジに行きました。朝焼けにシルエットで浮かび上がる都心のビル群、『一日が始まる!! という気持ちが沸き上がってきます。『赤富士』は最終日はそれ程赤くなりませんでした。でも、やはり富士山は綺麗です。出来れば浅間山方向も眺められれば最高ですが・・・。次回の入院の時にはコンパクトカメラと単眼鏡を持って行こうかと思って居ます。


朝食

 朝食を食べて、歯磨きをして、用を足し、着替えをして、荷物をまとめ、ベッドを綺麗にして看護師さんが来るのを待っていました。とにかく気持ちは退院で一杯です。

 看護師さんは引き継ぎが終わり9時過ぎに来られました。退院準備は完了していますから、同時に最終点検を受けて、9時30分頃に退院となりました。

 今回、病室では9人の看護師さん達にお世話になりました。看護師さん達の献身的な働き、本当に脱帽です。熊公には到底出来ないことです。どうしてあんなに優しく対応出来るんでしょうか・・・。

 今回も会計は次の通院時と言うこと、なんだか申し訳ない感じで信濃町の駅に向かいました。今回もワイフが迎えに来てくれました。今回は熊公の方が早く着きましたから15分位待っていました。わざわざお迎えなんかいらないのに・・・。でも、来てくれるその思いに感謝です。

 最寄り駅のAEONで『手まり寿司』と『餃子』を購入、お昼は久々のビールを飲みながらこれを食べました。天国です!! ヤッパリ自宅が一番ゆっくり出来ますね・・・。

 15日(水)に詳しく今回のことをお聞きして、次の入院の予定を立てることになります。2〜3ヶ月のサイクルで手術が続く事になるようです・・・。
 その様子によって、このページに追記することになるかも知れません・・・。
(2021.12.05.)






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