熊公の独り言 W




◆ 再緊急入院・緊急手術 ◆
 昨年12月22日(水)に導尿の管が抜けて、年末年始は快適に過ごすことが出来ました。12月の緊急入院・手術から退院して排尿時に記録を付けて生活してきました。20日間何事も無く経過したので、1月4日(火)で尿量の計測はやめにして、5日(水)からは排尿の時刻だけを記録することにしました。
 ところが、6日(木)のお昼前、尿に血が混じり血の塊状のものが出たので、午後からはまた尿量なども記録することにしました。血が混じった後、尿は金魚の糞のような血の塊が少しでましたが、尿の色は綺麗になりました。
 7日(金)は朝2回ほど血の塊が少しでましたが、尿の色は特別問題ありませんでした。
 8日(土)は外来受診の日、電車の乗り換えなどは負担になると考え、車を運転して『慶應義塾大学病院』に行き、尿検査・残尿量などのチェックを受けました。若干の炎症が有るということで抗生剤を処方されて帰って来ました。
 9日(日)は午前中、オシッコの色も量も問題無く出ていましたが11時頃「血尿か?」という尿が出ました。そして13時ハッキリした血尿になり、血の凝り状態の物が出て、尿量が極端に少なくなりました。次の排尿で病院行きを決断することにして、入院の準備を始めました。14時前もハッキリした血尿、そして、尿量もごくわずか、血の凝り状態のものも含まれています。確実に前回と同じ・・・。『安定性のバイアス』を働かせないために、病院に状況を伝えて、14時過ぎにワイフとタクシーで病院に向かいました。病院には15時頃に到着しました。


 1月9日(日)  =再緊急入院・緊急手術=
 日曜日ですから休日診療です。問診票などを記録している間に『尿閉』の苦しさがだんだんと増していきました。泌尿器科の先生も少なくて、若手の先生方だけ。しかし、確りカルテがありますから慎重に対応して下さっている感じでした。先ずはPCR検査です。そして、導尿管を挿入して、膀胱の洗浄と吸引をして下さいました。
 今回は症状が出てから4時間は経っていませんから、出来つつある血腫は柔らかく、洗浄・吸引によって取り除くことが出来、オシッコも綺麗になってくれました。
 入院する病室が決まり、ワイフとはここでお別れ、車イスで病室に向かいました。緊急入院ですからしばらくは個室で隔離です。泌尿器科の病棟には空きが無かったと言うことで、皮膚科の病棟の個室でした。10Aの1017号室でした。
 病室について荷物を整理していると、またまた血尿が出始めました。すぐに洗浄・吸引をして貰いましたが、やはり止血手術をした方が良いだろうということになり、少ないスタッフを集めて19時半頃から手術となりました。今回も全身麻酔です。目が覚めたのは21時半頃でした。

 病室に戻りしばらくすると、導尿して居るのに尿意が来ました。これは膀胱に尿がたまっている証拠ですからすぐに洗浄・吸引が行われました。これで尿意はおさまり、導尿されるオシッコの色も綺麗になっていきました。
 出血箇所は前回のようにハッキリとしたものではなかったと言うことです。前回止血した場所あたりからジンワリと出血がある状態だったとか、その場所は膀胱からの出口の近く、導尿管のバルーンが当たるところです。その為圧迫止血するように導尿管を牽引して過ごす事になりました。膀胱に変な力が掛かるので気持ちが悪く良く眠れませんでした。
 膀胱を潅流洗浄して様子を見ていきますが、生理食塩水は1時間あたり1000mlです。導尿した尿がたまる袋は2L位ですから、ナースは頻繁に尿を廃棄しに来てくれ、整理食塩水を補充してくれました。だだただ感謝です。

 
全身麻酔後は酸素マスク                     1017号室からの眺め

 1月10日(月)
 オシッコには血は混じらなくなって、9時頃から還流量は500mlとなりました。10時半頃に心電計が外されたので歩けるように。
 部屋からは新宿のビル群、都庁舎が正面に見えました。

 1月11日(火)
 8時頃から潅流量は300mlとなる。外は天気は雨、病室の移動は無さそうで個室で気ままに過ごす。便通が来ないので今晩から下剤を飲むことに。とにかく力むことが怖い・・・。
 今日は平日、先生方の数も増えた感じ。熊公はほぼ1ヶ月前に今回同様のことで緊急入院・緊急手術を受けましたから先生方はかなり慎重に対応して下さっていることを感じました。回診時に来る先生の数が5〜6人も・・・。掛かり付け医の『Mo先生』の言う通り、良い症例報告の材料なんだと思います。

 1月12日(水)
 8時頃から潅流量は200mlとなる。お通じがありスッキリとする。病室の移動は明日という連絡。隔離解除になったのでラウンジまで行ってお茶やコーヒーなどを買って来る。
 膀胱の潅流は明日までで、明日採血して管を抜くのは明後日と夕方の回診の時に聞く。今回の退院は早いとワクワクした気持ちに・・・。
 入院時の必需品、スマホのアームスタンド、家でも毎日のように使っているので、元側の芯が金属疲労で折れてしまい、自立しない状況になって情けないことに・・・。退院が早そうだから我慢することに。
 入院している個室は皮膚科病棟、導尿・潅流は普通行われないということで、中堅の看護師さんに「新人の看護師に勉強のため見学させても良いか」 といわれ、OKを出したものの、忙しかったらしく見学には来ませんでした。

 1月13日(木)
 体温は平熱になった。やはり膀胱鏡で前立腺などに刺激が与えられ発熱するよう、今回は37.8度が最高体温でした。
 8時に採血、9時前に点滴のルートが外され、10時に潅流が終わる。明後日あたり退院になる感じ。
 11時頃部屋の移動、10Bの1036号室、前回の部屋の2つ隣、窓際のベッドでホッとする。窓の正面にはサンシャインビルが眺められる。

   
           部屋からの眺め                  単眼鏡 16倍+デジカメ 2倍で撮影

 久々にニュースを見ると新型コロナ東京で3124人、全国で18859人という事。第6波の山は本当に急激、感染力が高いという事が良く分かる。
 移動した病室は泌尿器科の病棟で、知っている看護師さんや看護助手の方が居てなんだか安心感があり、古巣に帰ったという感じ・・・。

 1月14日(金)
 点滴が外れたため良く眠れる。トイレに行って腰掛けて導尿管を見ると血尿になっていて、10時頃お腹の張りが強く感じられるのでナースコール。先生に見てもらうと、導尿管に血が固まってしまった可能性が高いという事で、洗浄して貰うとオシッコは綺麗になってくれた。ただし、止血剤などの点滴が再開され、潅流も再開されガッカリ・・・。


検査入院の時を思い出す・・・ 
 お昼のメニューは『うどん』でした。昨年9月の検
査入院の時のこと思い出しました。
 カテーテル検査の後の絶対安静の時の昼食が
『おむすび』でお願いしていたのに、『うどん』でし
た・・・。
 身体を起こして良いギリギリの所までベッドを起こ
しても、椀の中が見えない状態で『うどん』を食べま
した・・・。本当に食べ難いものでした。

 今回はこうやって椀の中をしっかり見ながら、具
を盛り付けて食べることが出来ました。食べながら
検査入院の時のことを思い出し、なんだか懐かし
い気持ちになりました。

 お昼を食べ終わり、お茶を買いに行こうと導尿管を見たところ、またまた血尿が出ていて、オシッコが詰まった感じ、すぐに見てもらうことに。エコーで見て見ると、またまた血腫が出来ていると言うことで、吸引して貰う。洗浄・吸引するとオシッコは綺麗になる。出血があることから導尿管を牽引して様子を見ることになる。牽引は膀胱に刺激があってどうも気分が悪いです・・・。
 アームスタンドの応急処置をしてみたものの役に立たず、テレビ台のフックにアームを紐で吊す感じにして使うことにして、何となく入院が長引きそうな感じなので、Amazonにアームスタンドを発注する。
 新型コロナは全国で22000人を越えた。間もなく第5波のピークを上回る勢い・・・。

 1月15日(土) =再々緊急手術=
 今回の牽引は痛く辛かった。5時頃は出血は無かったが9時頃にまたまた出血。この繰り返しからもう一度手術をすることになる。おそらくは日曜日は人手不足になるから、今日の内に手術した方が良いと判断した感じ・・・。
 病室のベッドのまま手術室まで移動して、10時45分入室、またまた全身麻酔で手術。目が覚めたのは丁度12時であった。それにしても全身麻酔は「これから麻酔しますね、大きく深呼吸して・・・」 の後は目が覚めるまでなんにも感じない不思議なものです。『華岡 青洲』からここまで来るまでの進歩には感心するばかりです。それにしても1ヶ月半の間に4回の全身麻酔・・・。大丈夫なんでしょうか・・・?

 今回は術後の痛みがきつく痛み止めを2種類出して貰う。こんな状態の中で便意が来る・・・。なんとも恥ずかしいが、ベッドに寝たままでの排便を経験する。便は気持ちよいくらい出てくれて、本当にスッキリとした。しかし、用を足した後の始末をして貰うのは恥ずかしい限り・・・。(-_-;)
 スマホのアームスタンド午前中に届いたという事で、ワイフが届けてくれました。後で知ったことですが、ワイフは手術後の経過報告を『MR先生』から聞いたという事でした。
 昨日からズッと寝っぱなしで、さすがに腰が痛くなる・・・。腰にタオルを宛てがい痛みが来ないようにする。


パルスオキシメーターの光
 全身麻酔の後は心電計やパルスオキシメータ
ーなどの電線が取りつけられ、酸素マスクが付け
られます。夜暗くなってからのパルスオキシメータ
ーの光は『ETの映画』のようです。

 酸素飽和度が若干低下した際にマスクを確り付
け直されましたが、逆に苦しくなりました。吐いた
息がマスク内に残り、送られ行くる酸素とバランス
が崩れたためでした。マスクを緩めて吐いた息が
すぐに外に逃げるようにすることで呼吸が楽にな
りました。マスクより管を直接鼻に入れる感じの
方が良い感じがしました。


 13時頃トンガ諸島付近のフンガ・トンガ‐フンガ・ハアパイ火山で大規模噴火が発生というニュースを聞く。津波が起きて日本にも影響が出るもよう・・・。それにしても地球の内部は活動的になっている感じです。

 1月16日(日)
 入院一週間、今回は長引く感じ・・・。8時頃先生の回診の際に出血箇所は12月の時の様にハッキリしたものではなく導尿のバルーンが擦れて出血が起きている感じで、12月に止血処置した部分からジワーッと出血しているという事。その為出来るだけ早く管を抜くという事を伝えられました。
 9時頃心電計などのモニターが外され、33時間ぶりの朝食を食べる。美味い!!
 お昼を食べるため動くと血尿が出る。しかし、安静にすると綺麗になる。この後も動くと血尿が出て安静にするとおさまるという繰り返し・・・。尿の色はピンクを少し濃くした感じ、この程度であれば問題無いと言うことで安心する。
 トンガの噴火による津波は日本にも被害をもたらしたよう。今回の津波は地盤の変動によって起きたものとは違うということ。大量に噴出した『硫化ゾル』による寒冷化が心配されるという話も・・・。またタイ米を買い付けるなんていう事が起こらなければ良いですが・・・。

 1月17日(月)
 朝、血圧を測りにナースステーションに行くときは良かったが、トイレで少し力むとまた血尿になり、安静にすると綺麗になる。今回も血尿はほんのりピンクになる程度で済んでホッとする。
 お昼はトイレに行っても出血無し。14時半頃潅流停止。
 夕食後、2階のコンビニまで行き、ご褒美にエクレアと大柿(柿の種)を買って来て、夜景を見ながら食べる。エレベーターで一緒になったナースに「頑張りに対するご褒美ですね・・・」 と言われた。まったくその通り・・・。

 
ご褒美のエクレアと大柿                     エクレア 頂きま〜〜〜す

 1月18日(火)
 8時40分導尿管を抜く。点滴はまだ継続中。今回はワイフが届けてくれた『ルルドの水』を「前立腺の腫れが引いていますように」 と祈りながら飲む。午後にシャワーの予約を入れる。
 お昼前にトイレに行き排尿するも、オシッコはほとんど出てくれなかった、やはり前立腺が腫れているようで、再導尿となってしまった・・・。シャワーの予約を取り消して、下を拭いて貰い、17時前に頭だけ洗う。9日ぶり、本当に気持ちが良かった。
 夕食後、爪切りを買いにコンビニに行き、ついでに、おやつとしてシュークリームを買ってくる。
 今日は『結婚記念日』 35年目であったことを思い出す。夜になってしまったがワイフにメールを送る。やはり入院していると日にちや曜日の感覚が薄れてしまう感じ・・・。

 1月19日(水)  =導尿管が抜ける=
 昨晩はチンチンの先が痛んで、鎮痛剤をもらう。そのおかげで朝までよく眠ることが出来た。
 朝、トイレに行って少し力んだところ、オシッコが管にでは無く、チンチンの先から確りと出てくれた。尿道は導尿管で塞がっている、その周りからオシッコが出たと言うことは前立腺が少し小さくなってくれている感じ、そこで先生にお願いして11時に管を抜いて貰い、様子を見ることになりました。排尿した際に、導尿管に尿がまったくといって良いくらい出ていないから、尿道管の口を血の塊が塞いでいる予感がする・・・・

 先生方は導尿管を着けて退院して、次の外来で抜く方針を立てていたようで、今日一日の排尿の様子を見てもらい、それによって退院の仕方を決めて貰うようにお願いした。
 朝の排尿時に思った通り、最初のオシッコは血の塊がドロッと2つ出て、50ml位しか出なかった。次はやはり血の塊がドロッと出て、血尿が350ml位出る。やはりこの血の塊が導尿管の口を塞いでいた感じがする。残尿を見てもらうと300ml位あると言うことであった。
 導尿管が抜けているので、13時半にシャワーを浴びることにする。10日ぶりのシャワー、本当にスッキリとした。\(^o^)/

 14時頃にトイレに行くと血の塊は出ず、350ml程排尿出来た。すぐに残尿を見てもらうと250ml位残っていると言われ、すぐにトイレに行って排尿して、また測定して貰ったところ100ml位になっていた。オシッコの色も綺麗になってくれている。先生がどう判断するか・・・。

 15時半頃先生が来られ、まず明日退院の予定と伝えられる。夕方の回診で明日朝の残尿が200ml以下であれば管を着けずに退院しても良いとすると伝えられる。
 バルーンが悪さをしているのだから出来るだけ着けたくないし、血の塊も尿道そのものの方が排出しやすいはず、なんとしても管を着けずに退院したい。夕方、退院に向けての書類や薬が届いた。
 21時に点滴が外され自由の身になった。動きやすくなったので退院に向けて荷物の整理を行う。
 今日のことは昨日飲んだ『ルルドの水』のほんの少しの奇跡と信じて、夜は聖母マリアへ祈りを捧げる。

 1月20日(木)  =退 院=
 朝、5時45分排尿する。500ml程出てくれた。すぐに残尿の測定をして貰うと192mlと言うこと。ギリギリセーフで管を着けずに退院出来ることになった。これは何より嬉しいこと!!

 
     退院の日の朝                      帰宅して昼食に食べたステーキ

 8時前の回診で確りと管を着けずに退院して良い旨を伝えられる。そして、ナースに朝の体温・血圧を伝えているときに『MR先生』が来て下さり、「血尿など異変を感じたら真夜中にでも連絡をして来るように」 と伝えられる。なんだかその言葉に安心する。
 8時40分頃に退院のチェックを受けて、会計に行く。少し待たされ、9時15分位に病院を後にする。今日もタクシーを使う。およそ30分で帰宅出来た。とにかく管を着けずに退院出来たのが嬉しい。

 お昼は用意して貰ったビフテキを食べることに。夜は焼きトンのデリバリー・・・。やっと自由の身になりました。しかし、お酒は控えめにします。

 病棟の看護師さんや看護助手の方達には「お会いしたいけれど病院じゃ困りますね・・・」 といわれ、まったく同じ気分で退院して来たことを感じます。
 『尿閉』による入院はもう勘弁して貰いたいものです。膀胱内の粘膜は3ヶ月くらいで完治するという事、4月半ばまで血尿が出るなどの異変が起こらないことを祈りたいです。
 『動静脈奇形』の治療に当たって下さっている『I先生』は泌尿器科の判断によって今後の手術を考えていくと話されていたので、先ずは膀胱の回復が優先されることになります。不安だった、12月初めの栓塞手術によって血管の圧力に変化が起き、それが膀胱の血管に影響しているのではないかという事に関しては、『I先生』はハッキリと「違う」 と言われました。そういう場合どういう状態になるかも話して下さったので、とにかくおまかせしていこうと思って居ます。

 今年の『鍛冶作業初め』は未だに行えていません。畑もどんな状態になっているか・・・。でも、屈んだり腹圧が上昇するようなことは控えなければなりません・・・。ジャガイモの種芋をゲットしなければいけないし、忍具の依頼品製作も・・・。これからしばらくの間はビクビクしながら生活することになりそうです。

 今回の入院は当初早く退院出来ると思って居たのに、なんと11日間、そして2回も手術を受けるという大変なことになりました。この後は『動静脈奇形』の栓塞術だけの入院になってくれること祈っています。
 今回の入院で御世話になった看護師さんの延べ人数は35人でした。みんな優しい方達で安心して入院生活をおくる事が出来ました。感謝です!!
(2022.01.22.)






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