熊公の独り言 W




◆ お刀が我が家に ◆
 熊公の年齢になると伯(叔)父・伯(叔)母達も伯(叔)父達はみんな亡くなり、存命の伯(叔)母達も終活をされています。父方の叔母も入退院を繰り返し、持ち物の整理をしています。この叔母が嫁いだ家は歴史書にも登場する旗本直参の名家です。二男一女の跡継ぎ(従兄弟)がいますが、刀を受け継ぎたいという従兄弟が居ないということで、昨年叔母から熊公に持って貰いたいという連絡を受けました。そこで熊公が引き継ぐこととなりました。

 引き継ぐお刀(脇差)は叔母の家に伝承してきたものではなく、戦後間もなく入手した物のようです。話を聴くところ刀には登録証が付いて居るということだったので、所持の名義変更で済むと考えて居ました。

 独り言等綴りましたからご承知の通り、熊公は12月初めに手術を受け、それ自体は問題無かったものの、導尿による膀胱内の血管を傷付けてしまったことで、血腫が出来緊急入院をすることになり色々大変でした。(>.<) お刀を受け取りに出向く予定でしたがそれが出来ず、やむなく送って貰うことにしました。お刀は12月28日に届きました。

 ここで困ったことが・・・、『登録証』が教育委員会のものとは違ったのです。警視庁による『所持許可証』でした。昭和21年11月14日に叔父のお父さんの名義で申請されたものでした。

    
表           《所持許可証》          裏

 提出されたのは尾久署、そして、欄外に国立博物館の印が押されていました。まだ米軍の占領下にあった時代ですから、表面と同様の内容が裏面に英語で記載されていました。時代を感じるものでした。しかし、通常の登録証とは違いますから、まず東京都の『教育庁地域教育支援部管理課文化財保護担当 刀剣担当』に電話をかけてみました。すると、尾久署の方に連絡するように言われ、そちらに電話することになりました。

 尾久署の指示で『発見届け』を出す必要があると言うことで、熊公の住まっている板橋の高島平署に連絡するように言われ、翌日朝に連絡しました。

 すぐに高島平署から生活安全課のお巡りさん2人が来られました。刀がどうして我が家に来ることになったのかを話し、状況を理解して貰いました。この刀は『所持許可証』の期限が切れており(登録更新から1年で更新)、現状では違法状態にあるわけで、『発見届け』を提出する必要があり、その申請が受理された段階で一旦叔母(実質は従兄弟)の所に戻され、『登録審査』を受ける事になりました。お刀は一旦高島平署へ持って行くことになりました。
 本来なら叔母か従兄弟が家に有った物を見付けたということになりますから、『発見届け』は従兄弟が書くべき所ですが、高島平署は熊公が書いても良いという判断をしてくれたので、熊公が書きました。後日従兄弟が高島平署に出向き、発見状況などを更に詳しく伝えることになりました。そして、証明書と刀を持ち帰り、東京都の登録審査会場に持って行き、東京都の登録証を貰うという手順を踏むことになりました。従兄弟には面倒を掛けてしまうことになりました。

 1月5日に従兄弟が高島平署に来て『発見届け済み証』とお刀を受け取り、2月19日に行われる登録審査に持って行くことになりました。

 2月19日、無事登録審査をパスして登録証が交付されました。そして、従兄弟はお刀をすぐに送ってくれました。今度は所持の名義変更です。22日に郵送して無事熊公が刀を保管することになりました。

 さて、このお刀(脇差)、状況から見て叔父のお父さんが亡くなられて以来手入れがなされていなかったように思われます。亡くなられてから何年になるでしょうか・・・。55年位前でしょうか・・・。仮に叔父が手入れしていたとして、叔父が亡くなってから11年です。ですから、最低でも11年は手入れされていなかったわけで、錆身であること覚悟していました。しかし、その心配は杞憂に終わりました。さすがに油は切れてしまっていましたが、錆はどこにも見られませんでした。タンスの中にズッとしまわれていたのが良かったのでしょう。12月に届いた際にすぐに油を塗ってあげました。また、白鞘の割れが見られたので布にぬるま湯を浸し、『そくい』をふやかして紐で巻き上げ直しました。しかし、やはりそれでは充分でなかったので、お米を練り上げて『そくい』を新たに作り、鞘の修理をしました。これによって確りと割れを直すことが出来ました。
 
刀身の寸法等
全 長 64.3cm 刃渡り 51.2cm
元 厚 5.82mm 元 幅  27.87mm
先 厚 3.89mm 先 幅 19.95mm
反 り 1.0cm 目釘穴 2つ

 叔父のお父さんがこのお刀をゲットした際どうも刀身だけだったようです。ボロボロの袋が白鞘の袋とは別にあって、その袋の表には『先祖傳來新藤家之重寶相州住國廣腰刀』 裏に『焼刃身ハダ』と書かれてありました。白鞘を新しく作ったようです。ハバキは刀身にフィットしていないので、鞘を作る際に余っていたハバキを転用した感じがします。脇差用のハバキにしては大過ぎる感じです。

 問題は銘です。袋書きと昭和21年発行の所持許可証には『國廣』と有りますが、國に当たる部分の左上1/4が目釘穴によって確り読み取れない状態です。仮に『國』で有れば『くにがまえ』が特徴的に見られるはずですが、それが見えないのです。さすがに『銃砲刀剣類登録証』の銘文の箇所は『相州住□広』と判読出来ない『□』になっています。ただ頂けないのは『廣』を『広』と記しているところです。教育委員会もっと確りして貰いたいものです。

 昭和21年の所持許可証は『国立博物館』が審査している感じですが、何故『國廣』としたのでしょうか・・・。不思議です。
 下の銘の写真、黄色の丸部分なんという漢字でしょうか・・・。文字の赤は熊公が画像に手を加えました。『國』で有れば『くにがまえ』が必ずあるはずですよね・・・。('_'?)

   
    新たな登録証                  中子の銘 『相州住?廣』

 
脇差しの姿                              刃紋の様子

 
   上 『兼宗』 下 『□廣』                   『兼宗』の刃紋 『互の目(ぐのめ)』

 我が家に既にある脇差『兼宗』と比較すると長さは1.2cm程長く、厚さ・幅がほんの少し大きい感じです。鍛え肌は『板目肌』、刃紋は基本『湾れ刃(のたれば)』ですが、『濤瀾刃(とうらんば)』的な部分もあります。
 刀剣用語は詳しくありませんが、『匂い締まる』状態で、『沸』はわずかに観察出来る程度です。

 江戸時代の刀だと思いますが、熊公の所に来るまでに何人もの人の手にされ、新藤家では『重宝』とされたお刀です。きちんと管理して次の世代に引き継ぎたいと思って居ます。熊公の長男に手入れの仕方、管理の仕方を伝えていますから、熊公の後は長男が確り保存管理してくれるものと思います。

 日本刀は美しいです。熊公は『鍛え肌』に注目しますが、刃紋の見せる景色、『匂い』・『沸』と呼ばれる鋼内部の金属組成の美しさに引きつけられてしまいます。
 『□廣』は『匂い締まる』それに対して『兼宗』は『匂い潤む』という表現になるようです。『沸』は『兼宗』は若干多めに観察出来ます。この『匂い』・『沸』が沸き立つ雲のようにも、波しぶきのようにも見えます。また、鍛え肌や刃紋を眺めて居ると、ずっと昔の刀鍛冶が汗を流し精魂込めて打った様子が目に浮かんできます。日本刀は見る度に違う表情を見せてくれます。これが日本刀の持つ美しさ、深遠さなんだと思います。お刀、熊公の所に来てくれて有り難う!! (^^)d

 今回、教育委員会の『登録証』を交付して貰いましたから、この後は所有者の変更が有った場合は変更届けを出すだけで済みます。もう一つの形としては最初の『刀剣類所持許可証』を警察署で取る方法もあります。ただし、これは毎年刀を署まで持っていき、更新する必要があります。ですから日本刀を所持する人はほぼ全員、教育委員会の登録になっているわけです。
(2022.02.28.)






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