熊公の独り言 W




◆ 第二回目 手術 ◆
  〓 PCR検査・麻酔の説明等 〓 8月30日(火)

 『内腸骨動脈の動静脈奇形』の2回目の手術です。 12月の1回目の手術から9ヶ月、元々の予定ではこの時期は3回目の手術になっている予定でした。しかし、1回目の手術のあと、退院4日後の膀胱内に出来た血腫による尿閉での緊急入院、手術。1月にも同様な状況になり、本命の塞栓手術よりも膀胱の回復が優先されてきました。
 6月の泌尿器科の検査で手術できる状況になりました。塞栓手術の執刀医である『I先生』は更に1ヶ月様子を見るとこにして7月の検査結果で9月1日(木)に手術することに決定しました。今回は泌尿器科からのバックアップを万全にしての手術です。
 ちなみに、これまで『栓塞手術』と記載していましたが『塞栓手術』が本来と言うことで、これからはこの呼称にします。
 7月の検査の頃から『慶應義塾大学病院』で変わったことがあります。それは受付のビニールカーテンが取り払われたことです。新型コロナの第7波が起きている最中にカーテンが取り払われたのは何故なのか? 流行りだしたコロナの株が弱毒化したからでしょうか・・・。感染力の強さにビニールカーテンは用をなさないからでしょうか? カーテンを取り払うということは、受付に書類を提出する我々側よりも、受付のスタッフ側にデメリットが有るわけで、どういう判断だったものか・・・。('_'?)

 手術が9月1日(木)と決まったことで入院はその前日8月31日(水)になります。現在のコロナの状況からその前日にPCR検査を受けなければなりません。そして、なぜだか全身麻酔を受けるからと言うことで麻酔科のガイダンスも受けなければなりません・・・。12月・1月に合計4回も全身麻酔受けているのに・・・。

 緊急入院の頃からワイフが車で病院に連れて行ってくれるようになりました。確かに電車利用だと1時間掛かりますが、車だと首都高速が空いていれば30分です。病院までの道も確り覚えたことも有り、8月30日もワイフが車を出してくれました。ただし、平日のため首都高は渋滞、結果1時間かかりました。

 PCR検査はあっという間に終わります。今回は12月には無かった胸部レントゲン撮影・心電図・入院相談が有りました。入院相談では改めて導尿が一番心配で対応を宜しくお願いしたい旨を伝えました。また、麻酔科のガイダンスは無用で、誓約書には文句なくサインするので何とか対応して貰いたいと伝えました。その結果、ガイダンスビデオは見なくても良くなり、麻酔科の先生への受診も早めて貰う事が出来ました。といっても、麻酔科のガイダンスの時刻と同じ13時からです。ビデオ分くらい早まった程度でした。この相談の最後に傷に対応する力(免疫力?)をチェックすると言うことで、PCR検査のように鼻の粘膜を採られました。
 相談後に受付で会計の書類を待っている際に電話が掛かってきて、予定通り8800円の『特別療養環境室』に病室が確保できたという連絡が入りました。

 病院内のコンビニでお弁当を購入してフードコートで食事して12時半に麻酔科に、15分早く受付を済まして、麻酔科の先生が来次第受診できるようにしました。先生はビデオが終わる寸前くらいに来ました。当然と言えば当然で、ビデオが終わってからみんな受診するわけで、終わる頃に診察室に入ればいいわけです。
 診察と行ってもアレルギーの有無、全身麻酔のリスクに関してのリスク確認、そして誓約書へのサインだけです。これだけであれば入院初日にすれば終わっちゃうことなはずです。これは何とかならないものでしょうか・・・。

 ワイフは病院内をズッと一緒に廻ってくれて、帰りも一緒です。帰りは首都高空いていて、30分で帰って来ました。

 帰宅したら速達が届いていました。差出人は鍛冶仲間で忍者仲間でもある『鐵左』さんからでした。彼は山伏修行もされています。
 12月の1回目の手術の時は『万事安泰』の護摩木を焚いて火渡りをして下さいました。今回の速達には『身代り守』が入っていて、この夏に羽黒山・月山・湯殿山の三山に山掛けをして、その際に熊公の健康を祈って下さったと言う手紙が添えられていました。本当に感謝です。熊公はカトリックの信者ですが、『鐵左』さんの思いはメチャクチャ嬉しいです。この『守り札』は入院時に持って行きました。

 
『鐵左』が送って下さったお守                   山掛けをする『鐵左』さん 

 熊公は御世話になったシスター方には毎日のミサの中で祈って頂いていますし、教会の信者さんで熊公のこの状態を知った方達は祈って下さっています。直接ご本人からは聞いて居らず、そのミサにあずかった方から伝え聞いた事ですが、わざわざ熊公の為にミサを上げて下さった方もいらっしゃいます。本当に幸せです。他者の中に自分が存在していることを感じた時『幸せ』を感じるものですね。本当に感謝です。


  〓 入院 〓 8月31日(水)

 この日もワイフが車で病院に送ってくれました。朝8時半に出ましたから45分で病院に着きました。玄関前で降ろして貰い、握手をして別れました。
 まずは入院受付に書類を提出、その後レンタルのパジャマ・タオルセットの依頼をして、入院中に口寂しくなった時用にコンビニで『大柿(大きな柿の種)』を購入して病棟に向かいました。血管外科・放射線科は9階のA病棟です。案内された病室は903号室、去年9月・12月に入院した時と同じ部屋、ベッドは隣の窓際のベッドでした。

 
   903号室 今回は窓際のベッド             羽田に都心上空コースで侵入する旅客機

 903号室の窓は南南西方向を向いていて、真正面は一号館でふさがれています。西側に東京体育館、そして、丹沢・富士山方向が眺められます。東側は信濃町駅前、その後ろ側に赤坂の街並みが見えます。今回は天気がいまいちでほとんど山は眺めることは出来ませんでした。ただ、南風時羽田空港に進入する都心上空コースの西側のコースを飛ぶ飛行機は眺められました。新宿上空辺りで車輪を出すようで、病室の窓から見る飛行機は車輪を出した状態でした。単眼鏡を持って行きましたから飽きずに眺めて居ました。

 
    東側:信濃町駅と赤坂方面                 西側:東京体育館と丹沢・富士山方向

 荷物を整理してスマホスタンドを設置し終えた頃に薬剤師が来て持参した薬やお薬手帳を確認、10時50分頃採血がありました。11時半に執刀医の『I先生』が来られ、導尿を外すタイミングなど泌尿器科と検討していることなどを聞きました。
 13時半シャワーを浴びて、あとはベッドでノンビリとして居ました。

 夜、8時頃に目の前の一号館の上の方に輝く光が、窓のカーテンを開けてみると花火が上がっていました。神宮球場で何かあったのでしょうか・・・。すぐに終わってしまったので写真を撮る時間は有りませんでした。きっとこの夏最後の花火です・・・。

  〓 手術 〓 9月1日(木)

 13時から手術の予定、当初は6時以降飲水禁止と伝えられていましたが、9時に変更になりました。食事は朝食から断食です・・・。6時に目を覚ましたら雨が結構強く降っていました。9時少し前にタップリと水を飲み断水に入りました。
 9時15分ルート確保、若い男性の看護師さん、血管を探るのに手間取り2回チクリとされました。10時過ぎから点滴が始まるので、ここでパジャマから術着に着替えをしました。12時過ぎから抗生剤の点滴が加わり、パンツをT字帯に履き替え、手術室への移動に備えました。はじめは歩いて手術室に行くと聞いていましたが、ストレッチャーで行くことになりました。12時45分頃ストレッチャーに乗って4階のE2手術室に、入室前で手術についての最終確認、不安の有無について確認されてから入室。

 いつもなら『I先生』が「これから始めますよ」 と声掛けしてくれるのに、今回はギリギリになられたのか会うこと叶わず、傍のスタッフの先生方に「『I先生』に手術宜しくお願いしますとお伝え下さい。」 と話して手術台に移りました。

 ストレッチャーから手術台に移動して術着を脱ぎ、バイタルセンサー・血圧計を装着、手術は13時半頃からスタートとなりました。
 今回も導尿は泌尿器科のベテランの先生が全身麻酔後に行ってくれる事になりました。麻酔科の先生に「これから麻酔をします。大きく深呼吸して下さい・・・」 と言われ、3階呼吸した記憶であとは手術終了で起こされるまでまったく何も無し・・・。全身麻酔は本当に凄いです。覚めたあとも頭が痛いとか吐き気がするとかいう事も無し、唯一の欠点は断食・断水が長いと言うことくらいです。

 いつものように「今何時ですか?」 と聞くのが最初の言葉。答えは16時45分でした。今回も3時間の手術だったわけです。

 病室に戻る記憶は今回も飛んでいて、ベッドに移ったことは記憶しています。病室には17時に戻ってきました。何と今回はこの段階で導尿を外すことになりました。とにかく熊公の膀胱が刺激に弱い事、泌尿器科の先生方は周知して下さっているので、今回はこの処置だったようです。
 手術中の尿には血は混じらなかったと言うことでした。ここからは『尿瓶』で対応することになります。カテーテルを挿入した右足は深夜までは絶対に動かしてはいけないので、右足に毛布を掛けて貰い動きにくくしました。
 麻酔はまだ残っている状態ですからうつらうつらとしていました。水は3時間後から飲んで良いので、20時に水飲んでも良いですよと伝えられヤレヤレと思ったところに、「夕食お届けに上がりました・・・」 看護助士さんが食事を持って来ました。手術前には2日の朝食までは断食ですと言われていましたから、間違えでは無いかと確認して貰いました。そうしたら食事もOKと言うことでした。
 ただし、絶対安静での食事ですからどうしたものか・・・。メニューを聞くと『シーフードピラフ』と言うことだったので、おむすびにして貰うことにしました。副食とデザートの『キウイフルーツ』はさすがに食べること出来ませんでした。ヨーグルトはお腹のために流し込むようにして食べました。

 
         20時に運ばれてきた夕食            おむすびにして貰った『シーフードピラフ』を食べる熊公

 『シーフードピラフ』はそれだけで食べることが出来たので良かったです。ただし、おむすびにはし難いご飯なので口元で崩れてしまうのは少々困りました。

 深夜に絶対安静解除になりました。ここで酸素マスクも外されました。右足は曲げるのはNGですが、寝返りはOKです。でも、念のため左足を動かす程度にして、止血解除まで我慢することにしました。
 不思議なくらい尿意が来ませんでした。また尿閉起こしているのか?と、疑いましたが、尿閉でも尿意はあって、それでも出ないから苦しいわけでとにかく尿意を待ちました。でも、絶対安静状態では一人で尿瓶にするのは無理です。さすがに看護師さんも分かっていたようで、深夜になってから手の届くところに尿瓶を置いてくれました。

 造影剤はオシッコでしか外に排出できないからとにかく水を飲むようにと掛かり付け医『Mo先生』に言われていますから、深夜以降お茶をタップリ飲みました。それでも尿意はなかなか来ませんでした。


夜中の酸素飽和濃度測定の光

 朝方やっと尿意が来ました。今度は尿瓶をどう使うかです。T字帯に尿漏れパットの大きいものが付けられていました。まずはT字帯の前部分を外してパットをどけ、尿瓶の口に○○を突っ込む・・・。ベッドを起こして良い最大角度は30度まで、尿瓶の持ち手を持った状態ではオシッコの貯まる部分が起きてしまいます。本当に色々困りました・・・。そんなこんなで不安が先に立つものだから出た量は100cc位でした。幸い血尿ではありませんでした。次に困ったのはT字帯を元に戻す作業です。のぞき込むところまで身体を起こせないので、手探りで行うわけで時間が掛かりました・・・。


  〓 療 養 1日目 〓 9月2日(金)

 朝になり、いつもだと7時半頃に先生が回診して止血状態を見て、止血を解いてくれるのですが8時になっても先生が来ないので、看護師に問い合わせたところ、何と緊急手術があって回診が遅れると言うことになりました。これまでは止血解除に向けての頑張りがありましたから良いのですが、ここからは拷問状態です。止血解除になるまでは安静状態でベッドの角度は30度まで、バイタルセンサー類も付けたままになります。早く取り外してくれ〜〜〜!! と思って居るところに朝食が届きました。

 
拷問状態で食べる朝食 「超〜〜ショック」 なんちゃって・・・

 上の写真が安静状態解除にならない状態で出た朝食です。左側の写真は食事の内容確認のために撮影したもの。右側が最大30度の角度でベッドを起こした目線での状態・・・。この状態で食べるのはかなり大変です。若い女性の看護師さんに傍に座って貰い『アーン』して貰えたら最高なんだけど・・・。(^_-)
 去年12月の1回目の手術のあとは7時半に止血解除で同時に安静もとけました。12月・1月の緊急入院の場合は安静でも起き上がることはOKでしたから苦労はありませんでした。去年9月の検査入院の時の絶対安静時の『うどん』以来の大変な食事になりました。でも、悔しいですから液体の味噌汁とお茶以外は全て食べました・・・。

 安静解除になったのは10時でした。ここでバイタルセンサー類も外され自由に歩ける状態になりました。更に14時に点滴も終了。手術後の採血があってその後は術後の様子確認のみ。ゴロゴロして養生するだけです。

 オシッコは血液混じること無く良かったです。導尿後の若干の違和感だけ。ただ、全身麻酔時の気管挿管で少々喉がいがらっぽい状態がありました。


   〓 療 養 2日目 〓 9月3日(土)

 入院で嫌なのは便通が乱れること、前日は便通無しでした。そこで今日は出来るだけ病棟内を歩き回ることにしました。いつもであれば休診日でも17時以降翌朝8時までしかコンビニに行くこと許されていませんでしたが、最近はそれが緩和されて、休診日にはいつでも2階コンビニまで行くことが出来るようになりました。二号館のファミマまで行って帰ってくるコースを使えばかなりの距離歩けますが、今日は読書もしたいので病棟内だけでお終いにしました。とにかく点滴も採血も何も無いので看護師さん達にもほったらかされる状態の一日です。朝夕の血圧測定・検温、オシッコの回数や食事などの記録も確り自分で記録していますから。朝夕に看護師さんが来た時に用紙を渡すだけです・・・。

 読みかけの本と未読の本の2冊を持って入院しましたが、お昼までには2冊とも読了・・・。あとはスマホと山の景色頼りです。しかし、山は天気の関係で眺めることは出来ませんでした。飛行機もこの日は都心上空コースでは無かったので、スマホで楽しむことになりました。1月までは院内のWi-Fiは24時間で更新しなければなりませんでしたが、今回は初日に接続したらそのまま使えるようになっていました。これは本当に助かりました。これまでWi-Fiで接続していると思って居たら途中で接続が切れて、データ通信になって居たということがありましたから、やはり苦情というか改善のお願いがあったのでしょうね・・・。同じ様に入院前日の麻酔科受診も入院当日に変更して貰いたいものです。

 4時頃に事務の方が来られ退院の際は休診日なので支払いせずにそのまま帰宅して良い旨の説明がありました。ほとんど毎回退院が休診日なので退院する時になんか悪いことしているような気持ちになってしまいます・・・。
 その後、退院後の療養計画書を受け取り、注意点など看護師さんから聞きました。今回いちばん沢山御世話になった『T看護師』さん。看護師なりたて一年目のフレッシュな方でした。

 夕方ほぼ真南に半分の月(月齢6.7)が浮かんでいました。入院した日の夕方は三日月(月齢3.7)でした。月の満ち欠けをカレンダーにしたこと納得できますね。確り3日経過したわけです。

 
8月31日(水)の月                          9月3日(土)の月

 19時にシャワーの予約を取りました。シャワーのあとは退院に向けて荷物をまとめました。スマホは本当に便利、『NHKプラス』を使ってブラタモリを見ました。石見銀山でのブラブラのかいでした。2013年8月にワイフと訪れた場所、『仙の山』『大野地区の家並み』『間歩』・・・懐かしい場所が沢山出てきました。 
 10時からは『NHKスペシャル』で『玉鋼に挑む 日本刀を生み出す奇跡の鉄』でした。これもしっかり見る事が出来ました。
 番組のことは知っていましたが、元同僚の先輩がメールを送ってくれました。鉄=熊公という状態で熊公のことが先輩の心の中に存在しているわけで、ここでも『幸せ』を感じることが出来ました。
 22時半やっと便通がありました。『NHKスペシャル』の途中でしたが、玉鋼より便通優先です。(/o\) 録画はワイフに依頼してありますし、番組終了後に見てない部分すぐに見直しました・・・。『NHKプラス』は本当に助かります。


  〓 退 院 〓 9月4日(日)

 5時には目が覚めました。たった5日間の入院ですがヤッパリ退院は嬉しいものです。血圧測定・検温を済ませ、ベッドをフラットに戻して、毛布やタオルケットを綺麗にたたみました。そして髭剃りです。
 8時に朝食が運ばれてきました。食べ終えたあとは歯磨きをして着替えをしました。パジャマやレンタルで使ったタオルを所定の場所に持っていき、スマホスタンドなどを取り外して荷物をまとめ、9時を待ちました。

 9時にナースコールで退院の点検をお願いして、頼んで置いた血液検査の結果を受け取り、通行許可証を渡して、手首に付けてある『患者IDリストバンド』を切ってもらい、勲章代わりに頂くことにしました。これで5本のリストバンドが貯まりました。

 ラウンジで『Keio University』のロゴ入りの水のペットボトルを家へのお土産に2本買って、2階コンビニで瞬間接着剤を購入。外に出たのは9時20分でした。

 帰りもワイフが車で迎えに来ることになっています。日曜日なので30分で来るはずなので、9時に家を出るようにしてあります。早くて9時半に到着する予定、それまで外の日陰で娑婆の空気を味わっていました。

 
  慶應の水                           入院していた病棟

 9階A病棟903号室は赤矢印の辺り、手前の一号館の屋根と重なっている辺りです。泌尿器科の病棟は10階なので景色は良かったですが、血管外科の方は1階低い分チョット残念なところがありました。


ワイフのお迎え

 10分ほど待つと見慣れた茶色の軽乗用車が送迎ゲートに入って来ました。あれだなと思って良く見ると助手席に人が乗っているので別の車か・・・と思いました。更に近づいてきたら、なんと助手席にのっていたのは長男でした。
 長男は今借りているアパートがオーナーの理由によって出なくてはいけない事になり、300m位離れた所のマンションに引っ越すことになりました。昨日冷蔵庫の移動の時に保冷バックを使いたいから貸して欲しいという連絡をワイフが受けた時に、熊公の退院の話とお昼に『握り寿司』を食べたいらしいよ。と伝えたらしく。それならば保冷バック借りがてら、寿司の相伴に与ろうという魂胆でワイフの迎えに同行すると伝えたと言うことでした。ちょっと嬉しい感じ・・・。でも、出費が増える・・・。(>_<)

 平日であればタクシーが沢山駐まり、人が沢山歩いている場所ですが、さすがに日曜日タクシーは2〜3台、歩いている人もほんの少しだけです。車の乗り降りはゆっくりと出来ました。
 家に帰り着いたのは10時チョット過ぎ、30分でつきました。高速代は450円くらい往復で900円、ガソリン代を入れても2人以上であれば電車使うよりも安くて速いです。
 診察などで駐車場を使う場合は駐車料金がチョット掛かりますが、人混みを通らずに済むからコロナ感染のリスクを減らすことが出来るので良いし、空いていれば30分です。それに『Door to door』ですから楽です。

 
布団の上にキョエとクマのぬいぐるみそしてメッセージが        入院中食べたいと思って居た『お寿司』    

 入退院に車を出してくれるワイフには本当に感謝!! そして、愛情を感じます。荷物を片付けるために部屋に行くと布団が敷いてあり、その上にキョエとクマのぬいぐるみが置かれ、一匹のキョエがメッセージカードを掲げてくれていました。
 入院しているとやはり病院で出ないものが食べたくなります。1月の緊急入院で11日間入院した時は牛肉の塊が食べたくなりました。今回は『寿司』そして『レバー』でした。お寿司はお昼に食べて、夕食でニラレバ炒めを食べることになりました。

 『退院療養計画書』を受け取る時看護師さんから「お風呂は次の診断まで湯船に浸からないように」 と指示を受けました。手術後の今回の担当医『S先生』から、「奇形部に流れ込む血液の量をかなり減らすことが出来た」 と聞きました。残念ながら執刀医の『I先生』とは手術後に会えず直接お話を聞けなかったのですが、かなりの塞栓が出来た感じでした。そのため血流が多くなったり、圧力が掛かる湯船に浸かる事はしばらく出来ないようです。お酒も控えなければならないのでしょうね・・・。『退院療養計画書』には『食事については注意はありません』 と書かれてあるだけ、飲酒は控えるようにとはありません・・・。
 お昼は病院勤務の長男が居ますから五月蠅いこと限りなし・・・。それでも500mlのビール一缶飲んじゃいました。晩酌は我慢です・・・。
 夕方に兄貴がチョコッと顔を出しました。工房付属農園で収穫した野菜類を届けに来がてら、熊公の様子を見に来たわけです。これも本当に嬉しいことです。玄関先で野菜類を渡してきて、「今週も農園の管理は俺がやってやるから、確り良い子にしてろよ」 と言って帰っていきました。

 退院後も血尿は出ては居ません。導尿後の違和感が少しある感じですが1月の時とはまったく違います。前立腺への影響も最小限に済ませることが出来たようです。

 今週10日(土)が泌尿器科に受診です。ここでまた採尿・採血があって手術後の膀胱の状況が把握される予定です。放射線科への受診は14日(水)の予定です。ここで今回の手術の状況を確り聞くことが出来ると思います。一応画像データを貰えるようにお願いしてあります。

 担当医の『S先生』の「流入量をかなり減らすことが出来た・・・」という言葉は完全に動脈側の塞栓が終わっていないことを示すものと思いますから、動脈側の塞栓手術は最低でもあと1回はある感じです。プラス静脈側が有りますから2回以上入院があると言うことですね・・・。

 手術自体は痛くも痒くもないのでまったく不安は有りません。導尿に関しても今回のように泌尿器科の大きなバックアップがあれば大丈夫そうです。
 強いて言えば絶対安静時の食事と便秘になること位ですかね・・・。膀胱のことも有りますから次回の塞栓手術は6ヶ月くらいあとになるのかと考えて居ます。

 今回も熊公のことを知っている方達の祈りとワイフや家族の愛を感じる入院でした。手術室に向かう時には聖マリアへの祈りを沢山していました。旧約聖書 コヘレトの書の『すべてに時がある・・・』の言葉から、この手術も神が与えてくれたことで『時』なんだと思っています。どんなことでも、決してマイナス思考になる事なく、前向に考えて行こうと思っています。
 今回の手術の際に熊公の為に心を傾けて下さった皆さん本当に有り難うございました。そして、今後もまだ塞栓手術は続きますので、どうぞ心に留めて頂ければ幸いです。宜しくお願いします!!
(2022.09.05.)






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