熊公の独り言 W




◆ 名古屋・京都旅行 ◆
 熊公の次男は大学院卒業後エネルギー関係の会社に就職し、最初の任地が三重県 四日市のコンビナートでした。色々なところに転勤する職種です。四日市に居る間に結婚するんだろうと思って居ましたがその通りになりました。2014年からお付きあいを始めました。結婚話が出てきた矢先に新型コロナの流行になってしまい、結局昨年2月に入籍して、それまで四日市のマンションに住んでいましたが、拠点を名古屋市内にして生活しています。

 式は挙げずに『Photo Wedding』形式でウエディングドレスと和装での2人だけの思い出造りになって居ました。新型コロナの流行が少し落ち着いてきたところで、ミニ披露宴(親族顔合わせ会)を計画することになりました。その矢先に第7波がやってきたのでどうなることかと心配していましたが、何とか落ち着いてくれて予定通りに名古屋でその宴を持つ事になりました。
 熊公家関係からは熊公夫婦と長男、そして、子供がいないため熊公の息子達を我が子のように見守ってくれている義妹夫婦です。5人で一緒に動くことになるかと思って居ましたが、長男は飛行機オタクで何と名古屋へも飛行機で行くと別行動になりました。
 ホテルと飛行機のセットで新幹線代よりも安くなるそうです。w(゜o゜)w マイルも貯まるし、それをまた利用してまた旅行する訳です・・・。


 10月9日(日)  歩数:16814歩 およそ13km

 長男の飛行機は『JAL 201便』 羽田発8時15分です。かなり早く家を出たようです。名古屋セントレア着は9時15分、熊公達が東京駅で合流する頃には到着している事になります。名古屋での合流はホテルとしているので、それまでの間は空港で色々楽しむようです。

 
   羽田での飛行機鑑賞                        セントレアでの飛行機鑑賞

 10月10日(月)が『宴』、その為、前日に名古屋に行くことにしました。義妹夫婦とは東京駅で合流しました。天気は残念ながら曇り空、午後からは何と雨になるということです。富士山は眺めること出来ないと思っていました。

 3連休の中日、東京駅は混雑していました。中央口の新幹線改札近くで待ち合わせして、10時20分に定刻出発しました。その頃長男から写真が送られてきました。すると飛行機から富士山見えたようでした。ヒョッとすると新幹線からも眺められるかも・・・。期待しました。

   
長男からの写真                  三島駅過ぎた辺りで眺められた富士山     

 ヤッパリ富士山は綺麗です。眺められて良かった!!
 ワイフの田舎は掛川です。従姉妹は製茶工場を持つ家に嫁ぎました。今は工場は閉鎖しているそうですが、新幹線のすぐ脇で瞬間ですが眺められるということで義妹と2人ワクワクしているのが分かりました。そこで、大井川を渡る前から掛川駅を過ぎてしばらくの間動画を撮ってあげました。この気持ちは良く分かります。熊公の田舎は岩手県 雫石、岩手山が見えます。青森方面に行く際など新幹線や飛行機から岩手山の姿を見るだけでワクワクします。それが昂じて姿が似ている浅間山が見えるとワクワクしてしまうわけです・・・。

 ほぼお昼に名古屋駅に到着しました。午後の観光には礼服など持って歩くのは嫌ですし、色々方法を考えました。泊まるホテルは『久屋大通』に有ります。地下鉄 名城線と桜通線の駅なので、名古屋駅から桜通線で久屋大通駅で一旦下車してコインロッカーに荷物を預け観光しようかと思って居ました。しかし、旅慣れている長男が「ホテルにお願いすれば荷物与って貰えるはず」 と言っていたので、名古屋駅で電話して聞いたところOKと言うことで、コインロッカー代をタクシー運賃に回してホテルに向かい、荷物を預けました。

 名古屋での観光は、『熱田神宮』をお参りする際に『ひつまぶし』を食べるのが最初です。荷物を預けて『久屋大通駅』から地下鉄 名城線に乗り、『伝馬町駅』まで行き、まずは『ひつまぶし』のお店『蓬莱軒 神宮店』に行ってみました。すると、現在の待ち時間3時間という掲示・・・。とてもじゃないですがこれは無理ということで、境内の中にある『京きしめん』を食べることにしました。

 
3時間待ち・・・

 
   かき揚げきしめん                           名古屋名物 『味噌カツ』

 『きしめん』も名物ですし、『味噌カツ』も有ったので1つ頼みワイフと半分こにしました。ここでも30分は待ちました。『七五三』のお参りに来ている家族が多く、ごった返して居ました。食べている最中に雨が降り出し、だんだんと強くなってきました。

 食後は神宮にお参りです。『草薙神剣』がご神体の神社です。数多くの武将からも崇拝された神社、宝物には刀があります。宝物館に行きたいところですが今日は取りやめにしました。

 
信長塀                                   本宮

 熊公はカトリック信者ですから拝むことはないのですが、それでも荘厳さは好きです。そこに歴史を感じます。雨が酷くなってきたのは残念でした。


足が不自由なカラス

 本宮に向かう途中で足が不自由なカラスに出会いました。人に慣れているのかそばに近づいても逃げることはありませんでした。ワイフはNHKの『キョエ』が大好きですからこのカラスに親近感を持ったようでした。

 『熱田神宮』のお参りのあとは名城線 『神宮西駅』に行き、今度は名古屋城へ向かいました。名古屋城は本丸御殿が復元されています。戦災で焼失したものを図面や写真を元に忠実に復元して居ます。2018年から公開されるようになりましたが、現在もまだ復元作業は続いています。

 
本丸御殿                               天守閣

 『尾張 名古屋は 城でもつ』 名古屋城本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作として、天守ともに、1930年に旧国宝第1号に指定されていました。しかし、1945年の戦災により、残念ながら焼失してしまいました。近世城郭の到達点として高く評価されているため、残された図面や写真を元に復元作業が行われているわけです。確かに狩野派のふすま絵などは素晴らしいものでした。

 
 
 

 
復元本丸御殿の絵画・彫刻

 現在天守閣は老朽化のため見学は出来ない状態でした。それでも、この復元本丸御殿は一見の価値があります。実は『ひつまぶし』のお店で義弟が待ち時間を聞いたところ、対応してた店員さんがそこに張ってあります・・・」 と言うような少し高飛車な対応だったようで、気分が悪かったようです。でも、この本丸御殿を見学したことで気分は癒やされたようでした。

 名古屋城見学を終えて、ホテルに行きチェックインです。市役所前駅が名古屋城の最寄り駅です。駅までの間に『きんしゃち横町』というものが有りました。若者が集まりそうな場所でした。

 
    シャチホコの給水所                     手前:名古屋市役所 奥:愛知県庁

 市役所前駅で立派な建物が、手前のタワー状の建物が名古屋市役所で、奥側のお城風の建物が愛知県庁のようです。また、金のシャチホコの水飲み場を見付けました。「名古屋の水道水は日本一美味い」 と書かれてありました。『東京水』だって負けてないぞ!!

 ホテルでチェックインをして長男と合流しました。長男とはこれから11日まで行動を共にします。夕食は『名古屋めし』を食べたいと考えて居て、東京で色々調べました。1つのお店で名古屋めしを堪能できるところはないか探したところ、良い感じのお店を見付けました。名古屋城で18時半に予約を取っておきました。

 
  『黒豚屋 らむちぃ』 入り口                        長男と義妹夫婦    

 お店は栄駅の南側にある『黒豚屋 らむちぃ』というお店です。『名古屋めし堪能コース 飲み放題』というものをお願いしておきました。10品出てきます。

  
エビフライ                   味噌カツ                   手羽先
  
豚テキ                  とんぺいオムレツ                 天むす

オムソバ

 写真に収めた料理は7品ですが、この他にサラダと枝豆、デザートがつきました。メチャクチャ美味しかったです。完食しました。
 「名古屋の料理はみんな味噌使って同じ味に感じて美味いと思わない」 という人が結構居ますが、熊公は今回食べていて全部違う味で、また食べたいと思うものでした。ワイフは味噌だれが気に入ってお土産に買って帰ると意気込んでいました。この10品 飲み放題コースは税込み4000円でした。
 今度名古屋に行ったときはまた寄りたいと思っています。翌日、次男に話したらこのお店は知らないようでした。
 ちなみに、『豚テキ』と『天むす』は三重県 四日市が発祥の地と聞いています。

 ホテルに戻る際、『中部電力 MIRAI TOWER』に行くことになりました。長男はタワー巡りをするのも好きです。雨で霞んだ感じがまた風情が有りました。

 
 
中部電力 MIRAI TOWER


 10月10日(日)  歩数:11217歩 およそ9km

 『宴』当日です。朝食はホテルで摂りました。何と朝食バイキングに『ひつまぶし』が有りました。『きしめん』も有って確り満喫しました。
 食後礼服に着替え、11時にホテルを出ました。最近礼服を着るのは喪の時ばかりでしたから、白のネクタイを久し振りに着けました。
 雨が降っていたのに着替えを終える頃から日が差しだし、傘は不要になりました。2人を守ってくれているような感じ、亡くなったオヤジ様・義父さんが祝福してくれている感じでした。

 『宴』の写真も沢山撮りましたが、こちらはプライベートなことなので今回は写真は割愛します。でも、次男夫婦は新型コロナ流行で思うように出来なかったことを色々な工夫でもの凄く楽しいものにしてくれました。オープニングムービーはレゴ好きな次男がレゴを使ってコマ送りの動画を作り結婚式をスタートする楽しい演出をしてくれました。
 食事も何回も何回も会場の方達と検討して組み立てたようです。小さなパンフレットが作られていましたが、これも2人で手作りしたということ。お嫁さんは素敵なマスクケースを用意してくれていました。宴途中での二人の生いたち・出逢いを紹介する動画も手作りしていました。この夏に2人で我が家に来たとき、写真をデータにしておいたものを渡しましたが、これを使って作られていました。ちょっとジィ〜ンとしてチョッピリ目に汗をかきました・・・。
 ケーキカットのかわりにフルーツポンチ作りを2人でして、宴の最後、デザートが出された頃に参加者に2人が取り分けるという面白い演出もありました。(^〇^)
 その他にも色々工夫された思い出が沢山出来る宴になっていました。

 
ヤクルトファンの長男の宝物                      お嫁さんの宝物    ・

 
オープニングムービーに使ったレゴ               参加者全員の似顔絵    

 お嫁さんのご両親とはリモートでお話ししたことはありますが、直接お目にかかるのは初めてで、少し緊張しましたが、楽しくお話しできました。
 2人が吟味して決めたお料理はメチャクチャ美味しかったです。お店のスタッフの方々もとても良くしてくれて、本当に思い出に残る宴になりました。婚姻届を出し、写真も送ってくれたりして夫婦になったのは頭では分かっているのですが、今回の宴で確りそれを実感することが出来ました。
 2人には暖かく素敵な家庭を築いて貰いたいものです。《信じ合うこと》・《希望を持つこと》・《お互いを大切にすること》 この3つの土台の上に夫婦が成り立つわけで、これを2人で堅固なものにしていって貰いたいです。末永く幸せに!!

 宴終了後着替えをして熊公達は京都に向かいます。義妹夫婦とは会場で別れました。礼服や革靴を持って京都観光は大変ですから、カバンを宅配便で送ることにしました。会場は佐川急便対応でした。熊公はクロネコメンバーズなので会場からは送らずに近くのクロネコ集配センターに行くことにしました。ところがここは何と3年前からクロネコの倉庫として使うだけになって居るといわれ、更に数百m離れたファミリーマートで発送することにしました。こんなことだったら会場から佐川急便で送るべきでした。

 ここからはタクシーを使って名古屋駅に向かい、新幹線で京都に行きました。名古屋駅から京都までは自由席、37分で到着します。いつもならホームのきしめん店で一杯食べるのですが、美味しい食事を食べましたから、お腹にその余裕はありませんでした。

 岐阜羽島駅通過した頃から天気が怪しくなってきました。関ヶ原は高い山が伊吹山程度で日本海側の天気の影響を受けやすい場所です。丁度その方向に雲がせり出してきているのが見えました。

 
天気悪化の嫌な予感・・・

 実際関ヶ原は雨でした。そして、米原辺りでもさっきまで雨が降っていたという感じでした。でも、京都に近づいてくると雲は多いものの雨は降っていない状態でした。

 京都駅に着いてまずは長男が『一澤信三郎帆布』にバックの修理依頼のため行きたいと言っていたので、そこまでタクシーを使いました。修理代と送料を考えると新しい物を購入した方が良いということで、同じバックを購入していました。熊公もワイフに1つプレゼントしました。
 お店の場所は八坂神社前の道を北に知恩院前を過ぎて100m位です。宿は四条河原町に近い場所を取ってありますからここからは歩いて向かいます。八坂神社のところから四条大橋に向かっていく途中にワイフが大好きな『鍵善良房 四条本店』があります。着いたのは17時半でした。買いたかった『岩山椒』は売り切れでした。それでも幾つか購入していました。いつもなら『葛きり』を食べますが今日はちょっとお腹がいっぱい状態で無しにしてホテルに向かいました。

 
鴨川と納涼床                              高瀬川   

 チェックインしてお部屋に荷物を置いて18時半に予約してある懐石料理店の『志る幸』に向かいました。ここもワイフ一押しのお店です。

 
   『志る幸』 入り口前で                     『利休弁当 味噌汁はハモ』

 『利休弁当』をお願いして味噌汁は『ハモ』にしました。ワイフと長男は『おとしいも』です。ここのお食事も京都を感じる美味しいものです。京都へ行ったときには行きたいところです。

 
 南座                                 先斗町

 食事のあとは四条大橋へ行き『南座』や『納涼床』の夜景を眺めて、先斗町をそぞろ歩きして、新京極の商店街を歩いて、ホテルに戻りました。新京極の商店街は昔と随分様変わりして居ました。


 10月11日(火)  歩数:12746歩 およそ10km


   :一澤信三郎帆布  :二条城  :広隆寺  :天竜寺  :大覚寺  F:龍安寺
   :妙心寺
   ア:志る幸  イ:菜の花       A〜Gは見学地  ア・イは食事処

 今日は一日京都観光です。17時頃の新幹線で東京に帰る計画です。今日の行動は観光タクシーを利用します。幾つかある観光タクシー会社ですが、『MKタクシー』にお願いすることにしました。9時にホテルにお迎えに来て貰うことにしてあります。
 8時50分頃チェックアウトしたときにタクシーが来ました。事前に廻りたいところをメールしてありますから、微調整だけで済みます。ホテルを出て二条城に、ここは見学をしないで車窓から眺めるだけにしました。タクシーのドライバーは本当に良く色々な事を知っていて、車窓から眺められるものを説明してくれました。二条城までの道では市立の御池中学校の校舎の一階部分にはカフェ入っていること等話してくれました。ある生命保険の会社ビルは二階建てになっていて、これは小学校の校庭に日が当たらなくなるから等、面白い話もしてくれました。

 最初の見学地は太秦の『広隆寺』です。行く途中に嵐山鉄道と出会います。映画に『嵐電』が登場するのを観たこと思い出しました。
 広隆寺には弥勒菩薩に会いに行きました。仏像フィギアーで毎日見て居ますが、フィギアーでも癒やされますからましてや本物は・・・。

 
 二条城                                  嵐山鉄道

 
    広隆寺 太子堂                        渡月橋 (法輪寺橋・琴きき橋)

 本当に久しぶりに弥勒菩薩にお会いしました。静寂そのもの、一日でも眺めて居られると思います。ズッと見て居たかったです。
 広隆寺のあとは天竜寺です。渡月橋(法輪寺橋・琴きき橋)を観て、小督(こごう)塚を廻って天竜寺に行きました。渡月橋の話、小督の話、本当に詳しく説明してくれました。
 渡月橋近くでバナナマンの日村が何かのロケをしているところを見かけました。

 
 
天竜寺の『曹源池庭園』と『達磨』の掛け軸

 庭園のモミジは紅葉が始まりだした感じでした。何度も兵火に遭っているので庭園は『夢窓国師』の時代そのものではないですが、当時の面影は残しているということです。

 ドライバーさんとは庭園で一旦別れ、熊公達は竹林を歩いてトロッコ列車の嵐山駅まで歩くことにしました。車はそこに回送してくれることになりました。

 
酔芙蓉                                  竹林で

 酔芙蓉の花は朝は白く咲き出し、夕方には赤くなるお花、『酔』の字好きです。竹林も人が居ないと気持ちが良いです。竹も好きな植物です。熊公家の家紋は『丸に九枚笹』です。笹や竹は良いですね・・・。ただし、工房付属農園の笹の根の侵入だけは許せないです。

 
    こんな狭い道も走ってくれます               落ち柿の話の伝わる松尾芭蕉も逗留した家

 
愛宕街道                                 鮎の宿

 天竜寺のあとは大覚寺に向かいます。嵯峨野の狭い道も通ってくれて色々案内をして下さいました。松尾芭蕉の弟子の家、柿の実の販売交渉成立した翌日柿が全て落ちたという話とか、『鮎の宿』とは鮎が一日泊まって翌日は料理されるから付けられたとか聞きました。そして、『愛宕街道』も走りました。
 桂枝雀の落語が好きで良く聞きますが、その中に『いらちの愛宕詣り』というものが有ります。『いらち』というのは『せっかち』『気が短い』というような言葉、いらちを治して貰うために愛宕神社にお参りするお話しですが、その主人公がこの道を歩いたのか・・・等と想像しながら景色を眺めて居ました。
 また、大覚寺に向かう時は戦前に愛宕山に向かう鉄道の路面を道路にしたものでした。戦争でレールは弾丸等になったわけです。愛宕山に登るためのケーブルカーも有ったようですが、これも供出させられたと言うことでした。

 大覚寺は旧嵯峨御所です。雅な感じのするお寺です。天気になったからでしょうか、カップルが和装で色々写真を撮っているところに出くわしました。次男夫婦もこんな風にして写真を撮ったのかな・・・?等と想像しました。何と2組も撮影していました。

 
   明智門                                中央の木が台杉

 入り口の左側にはお寺の門としてはちょっと不思議な門がありました。これは『明智門』と呼ばれているもので、亀山城の城門を移設したものと言うことでした。また、台杉といわれる杉の木がありました。一本の杉の切り株からひこばえを成長させてそれを垂木として使うと言う話しでした。北山杉の有名な地域ですから、そういった細い杉の木も上手く使えるようにしたのでしょう・・・。

 
   辰殿前の護摩段                        雅な回廊 少し傾斜している

 大覚寺は嵯峨天皇の離宮が有った場所です。平安貴族が歩いているような感じのする渡り廊下や回廊がありました。『辰殿』の前には護摩段が有り、『辰殿』の裏側には嵯峨天皇ほかの歴代天皇が書写した般若心経を収める『心経殿』が有りました。

 
大沢池をバックに撮影するカップル                   シコミドが雅な『辰殿』    

 『辰殿』の前には御所らしく『右近の橘』と『左近の桜』が植えられて居ましたが、何とここは桜では無く梅でした・・・。回廊は微妙に傾斜が付けられて有りました。これは雨水を排水するためのものと言うことでした。

 大覚寺の次は龍安寺です。ここは修学旅行の定番ですね・・・。

 
一休禅師が生まれたと言われる地域                           広沢池         

 龍安寺までの道も嵯峨野を確りと眺められるコースで走って頂きました。畑の周りに電気柵が巡らされていました。これは鹿除けということでした。この地域は夜になると普通に鹿と出くわすそうです。

 
      お馴染みの石庭                      細川護熙元首相の手になるふすま絵

 龍安寺の石庭についてドライバーさんは詳しく説明して下さいました。遠近法を用いた事、石の位置が意味を持ち工夫されていること、納得です。
 石は15個、しかしその全てが見える位置は無い・・・。場所が分かると見えていなくとも意識される。ここに悟りの境地がある・・・。未来であったものが現在になり、瞬間に過去になっていく・・・。その境地はやはり禅の世界なんだと思います。外国人にも案内をするようですがここを説明してもなかなか理解されないと話していました。
 家のどこかにジョーン・バエズのレコードが有ると思いますが、そのジャケットはこの石庭を眺めている姿だったと思います。違ったかな?

 
  『吾唯足知』のつくばい                             龍安寺垣    ・

 石庭の裏側には『吾唯足知』(吾ただ足るを知る)のつくばいが有ります。中央の□が四文字の中央になるデザインです。漢字のクイズに同じような物が有りますね・・・。水戸黄門さんが寄贈したものと言うことです。本物はお茶室の方にあると言うことですが、レプリカがあります。この言葉も考えさせられるものです。

 当初の予定では龍安寺の前に仁和寺を見学して境内にある『梵』という食事処で昼にしようと思って居ましたが、仁和寺の前に龍安寺に来ました。昼食の時間ですから境内にある『菜の花』というお店で昼食を摂ることにしました。頼んだのは『精進丼』です。長男は『にしん蕎麦』を注文しました。

 
      精進丼                              にしん蕎麦を頼んだ長男

 『精進丼』は湯波を餡かけにしたものでなかなか美味しかったです。付いてきた『湯葉豆腐』も美味しかったな〜〜。(o^O^o)

 龍安寺のあとは最後の見学地になります。仁和寺を考えて居ましたが、ドライバーさんの提案で妙心寺の『退蔵院』に行くことにしました。妙心寺は臨済宗の大本山です。熊公の田舎の宗旨は臨済宗なので妙心寺のことは知っていました。ワイフは妙心寺のどこかで座禅体験をしたと言っていました。妙心寺の境内の面積は10万坪もあると言うことです。
 熊公の曾婆ちゃんは明治か大正の頃、岩手からここに来たという話を聴いたことがあります。蒸気機関車の時代、もの凄い旅行だったと思います。

 
            大本山妙心寺                   境内にある『浴室』 明智光秀の伯父が寄進したもの

 明智光秀は自刃を覚悟したときに妙心寺の仏殿に礼拝して辞世の句を詠んだということです。光秀の伯父に当たる密宗和尚が光秀の菩提を弔うために浴室を儲けたということです。
 退蔵院は仏殿の手前左手にあります。

 
水琴窟の音を楽しむワイフ                    庭園 紅葉が始まりだしていました

 ここのお庭『余香苑』は島根の足立美術館の庭園を造られた中根金作氏の設計になるものです。昭和40年に完成したということです。ここも数百年経つと天竜寺のお庭のようになるのでしょうか・・・。
 退蔵院の方丈には国宝の『瓢鮎図』が有ります。『小さい瓢箪で大きな鯰をいかに捕らえるか』という禅問答、高僧の31人がこれに答えているということです。どんな回答をしたのかあとで調べてみようと思って居ます。禅問答というと落語の『蒟蒻問答』の楽しいお話を思い出しますが、本物はどんな回答でしょうか・・・。

 
国宝の瓢鮎図                              高僧の回答

 庭園にはしだれ桜があったり水琴窟があったりします。『元信の庭』というものが有ったり、『陰陽の庭』という白い砂と黒い砂で作られた石庭もありました。現在植木の選定作業中で職人さんが歩いた痕がある石庭もちょっと面白かったです。

 
長男作                                   熊公作

 出口近くにミニチュアの石庭造りが出来るものが有りました。ここも陰陽の2つになっていました。長男は陽、熊公は陰の庭を造ってみました。

 妙心寺の見学で見学終了です。時刻は15時をまわったところでした。ここから京都駅まで送って貰いました。京都駅到着は15時半でした。ここでも途中色々説明をして下さいました。

 
やたら低い二階建て家屋                       隣との間がやたら狭すぎる

 京都市内の家屋で古い二階建ては二階の高さが低いということでした。端の方に来ると立てないということでした。また、間口が狭い区画だったことから隣の家との間隔がもの凄く狭いのも特徴ということでした。こういうのは普通にガイドブック片手に観光しているのであれば気付き難いですね。

 京都タワー側に送って貰いました。時間は6時間30分、計画通りでした。仁和寺の代わりに妙心寺 退蔵院に行き、食事処も予定と違いましたが満足な一日となりました。ドライバーさんの解説は本当に楽しく勉強になりました。観光タクシーは3〜4人で使うので有れば決して損はしないです。


一日チャーターした 『トヨタ ルーミー』

 駅ではお土産を購入したりして16時半過ぎに指定券を購入しに行きました。すると空席は有るものの3人席側のみということで、2人で座るため2人席が空いている新幹線を探して貰ったところ17時半発のものに空席がありました。これを購入しました。
 3人で廻っていたのに2人席・・・。勿論、長男は伊丹空港から飛行機で帰るのです・・・。

 
      熊公とワイフのツーショット               伊丹行きのリムジンバス乗り場に向かう長男

 とても充実した旅行になりました。次男のミニ披露宴にプラスした名古屋と京都の旅行、本当に楽しかったです。いつもは車での旅行ですから移動の際はお酒飲めませんが、新幹線ですからビールとワインにおつまみを購入してホームに向かいました。東京側の先頭車両の16号車です。新幹線ホームの先端からは清水寺が眺められました。

 
新幹線ホーム一番前から眺められる清水寺               17時30分発 『のぞみ242号』     

 新幹線は定刻に発車しました。東京まで2時間15分です。江戸時代であれば半月以上掛けて歩いたわけです。もの凄い事ですね・・・。

 
発車してすぐ見える京都タワー                        すぐに渡る鴨川    

 もう何年京都に行っていなかったでしょうか・・・。新幹線ホームから京都タワーが眺められた時代です。地下のお店には清水焼のお店もありました。今回は洋服などのお店が沢山でそういうお店は無くなっていました。浦島太郎状態でした・・・。

 
     夕暮れの比叡山                     長男から送られてきた空港の写真

 琵琶湖の南側を走っている頃、夕日にシルエットになった比叡山を眺めることが出来ました。長男は伊丹空港発20時15分の『JAL 138便』です。羽田には21時25分頃に到着です。出発までの間たこ焼きを食べたり、飛行機を眺めたりしていたようです。
 神戸の『ぼっかけうどん』のことを話、そのレトルトがあったら買って来てと伝えていました、空港でそれをゲットできたということです。


送られてきた『たこ焼き』の写真

 熊公達は東京に予定通り19時45分に到着しました。東京駅から我が家までは1時間10分。21時少し前に帰宅しました。
 オフクロ様は起きて待っていてくれました。ミニ披露宴の次男夫婦の様子など伝えたら、安心したように床に就きました。
 翌日は写真を整理して夕食時に写真をテレビに写して宴の様子・旅の様子を伝えました。またまた喜んで貰えました。
 名古屋・京都の旅本当に充実した旅になりました。また行こうと思います。



 14日は『鉄道開業150周年』の記念日です。名古屋や京都の方ではそれ程でもありませんでしたが東京駅はスタンプラリーのようなことがあったり、鉄道グッズの販売が行われる準備がされていました。明治5年(1872年)までは一番速い乗り物は『馬』であって、乗るのは楽ではなかったようですが、移動の疲れが軽減されるものが『駕籠』だったわけです。江戸時代以前、東京−京都間は半月は掛かったわけです。今では2時間15分です。最後に150年記念に合わせて熊公の工房にある双頭レールと現在の新幹線レールを並べた写真を掲載します。

 
新幹線レールと双頭レール                   双頭レールの刻印 1870年製

 この双頭レールにはイギリスの会社 “DARLINGTON IRON” の刻印と 1870年製を示す記号、そして日本へ送るJRの刻印が有ります。新橋−横浜の開通の翌年、大阪-神戸間に実際に敷設されたもので、錬鉄製です。錬鉄は脆い鉄なのですぐに駄目になるからその時はひっくり返して使えという、何ともおおらかな時代のレールです。実際に頭が割れているものも工房にはあります。
 この双頭レールは大阪の『Tさん』に頂いたものです。『Tさん』は数年前に亡くなられてしまいましたが、もしもご存命だったらきっと熊公と同じようにレールを並べてブログをアップされていたと思います。
(2022.10.13.)






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