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10月26日(水)、『慶應義塾大学病院』の放射線科に受診しました。11時05分の予約で造影CTを撮り、その結果で本命の塞栓手術の今後が決まります。なんだか合格発表を待つ受験生の気分でした。
ワイフが車を出してくれて病院へ行きました。去年12月の緊急入院以来、毎回週休を調整して車を出してくれています。感謝です。
首都高5号線、中台ランプから飯田橋ランプまで、その後は防衛省の前を通り、合羽坂から都道319号で病院です。空いていれば自宅から30分です。平日だと1時間というところです。今朝は中台料金所で少し混んだくらいで、45分でした。
受付を済ませ、10時40分頃検査着に着替えをして、呼ばれるのを待ちました。11時チョット過ぎに呼ばれCTを撮り、その後は13時の『I先生』の受診を待つ事になります。CT撮影終了は11時20分頃でしたから早めの昼食を摂りました。レストランが混み出したので、受診する場所に近い一号館1階のスターバックスでコーヒーを飲み時間を潰しました。
12時45分に放射線科の受付に行き、呼ばれるのを待ちました。午後1番の受診です。でも、先生が来るのが15分ほど遅れました。
入室してすぐにCT画像を見ながら説明を受けました。その結果まだ患部は完全に固まっていないということでした。患部に流入する血流を9割くらい減らすことに成功して、この50日くらいの間に血栓が患部内に出来、自然に塞栓する事を期待していましたが、まだ血液の流れがあると言うことでした。熊公の『動静脈奇形』はかなり複雑な形をしているため、9月の塞栓で残った1割の流入の中に、若干流れの強めなものが有るようです。そのため、血栓が完全に固まり切れていないようです。
画像を見るに、患部に血栓は出来ていましたし、患部が小さくなってきているのは確かでした。患部が破裂する可能性はかなり低くなったことは事実のようです。今回の判定の感じは完全に不合格では無いものの、『補習を受けてレポート提出』でクリアーできるかな? という感じです。本当は今日合格して快気祝いをしたいと思って居ました。お預けは残念です。
昨年1月と今回の状況の比較 左:1月 右:本日
上の写真を見るに、赤丸内の真っ白い部分が動脈、その下側が患部で、そこから静脈に短絡しています。患部が小さくなっていて、白っぽさも薄くなっています。ここがもっと黒くなってくれれば合格な訳です・・・。
完全に塞栓しない場合は静脈側から塞栓する手術を受けることになります。でも、導尿はしたくないですし、何としても自然に固まって貰いたいです。『I先生』も、もう少し様子を見ようということで、来年1月18日(水)<84日後>にもう一度造影CTを撮ることになりました。
1月18日は『結婚記念日』です。この日に今後手術不要となってくれたら美味いお酒になるでしょうね・・・。そして、実はこの日がオヤジ様がこの世に生存した日数と熊公の生存日数が同じになる日です。オヤジ様の年齢が一つの目標ですから、この日も確り生きていて、手術不要が告げられること祈るばかりです。
今日は病院で沢山小さな子達と出逢いました。みんなどこかに具合の悪い場所を持っているのです。CT撮影の場所近くでは、1才に満たない赤ちゃんがお母さんから離れて腎臓検査の検査室に入っていきました。その後は鳴き声が30分以上聞こえていました。
熊公は65才で動静脈奇形が見付かり、この1年半それを改善するために病院通いをしてきました。年齢的には充分では無いにしても、65年間は不自由なく過ごしてきました。今日出遭った子達はおそらくは2才以下の子達です。何とも複雑な気持ちになりました。
熊公も幼稚園年長さんの時に生きるか死ぬかの状態で1ヶ月間入院したことがあります。その時、自由に歩けるようになった頃、新生児が亡くなる場面に出くわしました。夜中にトイレに行くとき、新生児室がザワザワしていて、酸素テントに産まれたばかりの子が寝かされ、看護婦さんやお医者さんが慌ただしく動き回っていました。廊下から若い夫婦がそれを見守っているところを今でも鮮明に思い出せます。
翌朝、目が覚めると新生児室は静かで、朝の見回りの看護婦さんに赤ちゃんのことを聞くと、亡くなったと言うことを聞きました。初めて自分より小さい子の死を経験した時でした。
自分が父親になって、息子達が病気になったとき、初めてあの夜見た若い夫婦の気持ちが分かり、同時に熊公自身が入院した時のオヤジ様・オフクロ様の気持ちを知ることが出来ました。その経験から小さな子が病で苦しむのは本当に辛く思います。そして、それを見守るご両親の気持ち何とか軽くしてあげたいと思います。今日出遭った子達がみんな元気に大きく育ってくれたらと思いました。みんな元気になれ!!
(2022.10.26.)
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