追記1 Vol.15
  
(2004年9月、日本ラテンアメリカ文化交流協会雑誌「オーラ!アミーゴス」
    に掲載された文章です。ノーカット版でご覧ください。)

【大切な人】
前回書いた私の記事にとても載せたいことがありました。でも載せられなかったことがありました。帆足まりこさんこと、マリキータさんとのことです。

****ご存じでない方のために…**************************************
帆足まりこさんはラテンアメリカ文化交流協会の会長をされていた方で、
昔はラジオのDJをされていたり、
NHKスペイン語講座に、ご主人のジローさんと一緒に「マリキータ&ジロー」という名で
出演されていたりしました。数年前からアルパにとても力を入れていらっしゃって、
日本で初の「全日本アルパコンクール」を始めたのもこの方です。
メキシコをとても愛し、メキシコと日本の交流に深く関わっていらっしゃいました。
残念ながら、昨年12月に他界されてしまいました。彼女が生前最後のメキシコ行きとなったのが
私と一緒のフェスティバルでした。

*************************************************************
 メキシコでの舞台をご一緒するお琴の浅井さんと、初めてであったのは成田空港でした。
 浅井さんはマリキータさんと20年来のお友達です。途中で乗継ぎのために立ち寄ったバンクーバーの空港で、浅井さんが私にぽつりとおっしゃいました。「マリキータ病気でね、10キロも痩せたのよ。調子悪いけど大好きなメキシコに行きたくて、先にメキシコで体力の調整をしているわ。これがメキシコ最後の舞台になるかもしれない。あなた、最高の舞台作りなさいよ。」と涙ぐみながら。私はその時まで彼女が病気だったことも全然知らず、ショックを受けました。メキシコへ近づくにつれて、マリキータさんと会った時どういう顔をしたらいいんだろうと不安でした。
 空港に迎えに来てくださったマリキータさんは、以前お会いしたときとは別人のように痩せていました。
歩くのもふらふらで、どうしてこんなに無理してまで来られたんだろうと思うほどでした。それでも皆に迷惑をかけまいと、しっかりお話をされ、いつもと変らないご様子で、振る舞っていらっしゃいました。ホテルへ着いてからもずっと部屋で寝たままで、私達とお食事をご一緒するときだけ顔を見せてくださいましたが、今思うと、体力の疲れは常にピークを過ぎていたんだと思います。浅井さんはメキシコにいるあいだ中ずっとマリキータさんのことを思い眠れない、とおっしゃっていました。
 お琴と和太鼓とアルパの合同練習は何度かやりましたが、マリキータさんとの歌との
合わせは結局本番まで一回もせず、ぶっつけ本番になりました。
私は、初めて合わせる楽器との難しさや緊張から体調を壊したけれど
ホテルの部屋で眠ったら立ち直った、と前回の記事に書きましたが、
本当はそんな簡単なものではありませんでした。横になりながらずっと
マリキータさんのことを思い、こんな状況でもステージを成功させるために
命がけでがんばっている人がいるんだと思ったら、私がこんなところで緊張している
場合じゃないわ、と気づきました。彼女がいたからこそ大きな舞台を乗り越えられたんだと思います。
つづく・・・

    メキシコ旅行記14にもどる  もどる